第一次世界大戦後の混乱期において出現したイデオロギーの中でヨーロッパで最も成功し、その地位を維持することに成功したのは、ファシズムと呼ばれるイデオロギーだった。幻滅した共産主義者や権威的な民族主義者の信念から生まれたファシズムは、左翼と右翼の双方から着想を得た「第三の位置」として特徴づけられる。その世界観にはマルクス主義の遺産が埋もれている。だが、生産者と資本主義の寄生虫との弁証法を受け入れている一方、階級闘争が国家間闘争に置き換えられており、その猛烈な国家主義は社会主義の国際主義的思想と対立する。そして、ファシズムは必然的に戦間期におけるドイツ、スペイン、イタリアでの激しい闘争を引き起こした。どのような場合でも、ファシスト党は最終的に勝利をおさめ、敵である社会主義者を地下に追いやった。

ファシズムの最も特徴的な性質は、国家への奴隷のような献身だ。政府はしばしば強力な一人の人間の統制下に置かれ、最終的な調停者を務め、国内で全権を握る。宗教団体、労働組合、民間企業などは、明確に国家権力へ服属しつつもある程度限定された形で認可される。政府はまた、国家の神話を支持し、過去の栄光を不当に奪われた高貴な民族の物語を紡ぎ出し、団結して失ったものを取り返す中で民衆が強さを見いだすことを要求する。彼らは自由主義諸国の退廃的な自己満足や社会主義諸国の退廃への屈服を嘲笑する。だが逆説的に見れば、ファシストはこれらの部外者たちを自分たちが大切にするすべてを破壊しようとする迫りくる脅威として捉えているのである。

サブイデオロギー


第一次世界大戦後の混乱期において出現したイデオロギーの中でヨーロッパで最も成功し、その地位を維持することに成功したのは、ファシズムと呼ばれるイデオロギーだった。幻滅した共産主義者や権威的な民族主義者の信念から生まれたファシズムは、左翼と右翼の双方から着想を得た「第三の位置」として特徴づけられる。その世界観にはマルクス主義の遺産が埋もれている。だが、生産者と資本主義の寄生虫との弁証法を受け入れている一方、階級闘争が国家間闘争に置き換えられており、その猛烈な国家主義は社会主義の国際主義的思想と対立する。そして、ファシズムは必然的に戦間期におけるドイツ、スペイン、イタリアでの激しい闘争を引き起こした。どのような場合でも、ファシスト党は最終的に勝利をおさめ、敵である社会主義者を地下に追いやった。

ファシズムの最も特徴的な性質は、国家への奴隷のような献身だ。政府はしばしば強力な一人の人間の統制下に置かれ、最終的な調停者を務め、国内で全権を握る。宗教団体、労働組合、民間企業などは、明確に国家権力へ服属しつつもある程度限定された形で認可される。政府はまた、国家の神話を支持し、過去の栄光を不当に奪われた高貴な民族の物語を紡ぎ出し、団結して失ったものを取り返す中で民衆が強さを見いだすことを要求する。彼らは自由主義諸国の退廃的な自己満足や社会主義諸国の退廃への屈服を嘲笑する。だが逆説的に見れば、ファシストはこれらの部外者たちを自分たちが大切にするすべてを破壊しようとする迫りくる脅威として捉えているのである。
ファシズム
多くのものはカネで買える。鋼鉄の塔、金色の都市、臆病者の忠誠心などもだ。だが暴力、つまり国家を独占することはできない。少なくとも、今のところは。
この政体において、企業資本は他の国々で許容される範囲を遥かに超えた影響力を保持しているとは言え、国はその権限を維持している。法人とその手足はあらゆる場所にいて、彼らの意向を無視することなどはできないが、その要求や陰謀も最終的には一つの暴力装置の気まぐれや欲求に従うこととなる。経済や社会生活が民間企業に支配されているとはいえども、国家の政治的方向性についてはある単一存在の強力な手に委ねられており、少数の利益以上の、より大きな目的のためにある者を動かすことが出来る。ここでは、労働と資本の両方がより上位のものによる構想に含まれているといえよう。
企業国家主義
コーポラティズムは、ラテン語の「人体」を語源とし、資本主義と社会主義の双方に対抗する「第三の位置」としては最初期に提示された経済モデルの一つである。ギリシャ哲学から左翼サンディカリズムに至るまで非常に多様な思想の影響を受けてはいるが、最終的にコーポラティズムの思潮を掴んだのは、初期のファシストたちであった。戦間期にはカトリック等に関わりのある宗教伝統主義、統合主義、「教権的ファシズム」と深く結びつき、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ、エンゲルベルト・ドルフース、アントニオ・サラザールといった者たちの手本とされるようになった。

コーポラティズムは集団主義的かつ経済的階級が社会の基本単位であると考える一方で、至高ともいえる善は階級闘争ではなく階級間協調によってのみ達成されると説いている。労働者も雇用者も同様に、各々の産業に応じて同業者組合、企業連合、労働組合、協同組合など何らかの形態の法人組織を結成し、これらの法人組織のみが政府への働きかけを行う。個人が政府に対してどの程度の代表権を与えられているかは国によって様々ではあるが、一般的にはほとんど与えられていない。コーポラティズムはまた、その地域に普及している道徳規範、特に結婚制度、性的観念、家族構造、メディアに関して、伝統主義的な解釈を行うことを強く志向する傾向がある。
コーポラティズ
ベニート・ムッソリーニがミラノのサンセポルクロ広場で行った談話に由来するサンセポルクロ主義は、国家ファシスト党が存在せず、ファシズムがまだ「戦闘ファッショ」を名乗っていた時代からの、ファシスト思想の最初期の形である。その名前とアイコンは、国民に恐れられていた黒シャツ隊(後に国防義勇軍へと改称)の制服となった黒いシャツを最初に着用した組織である、イタリアの精鋭突撃隊のアルディーティをオマージュしている。

サンセポルクロのマニフェストは、資本主義と共産主義の中間を行く「第三の位置」であり、両者の良い部分を取り入れ、不要な部分を切り捨てるというものであった。初期のファシズムはその通りに、政府による市場介入と民間主導経済、男女同権論や労働者の活力向上計画と狂信的ナショナリズムや無制限の軍国主義、女性参政権と一党独裁国家を結び付けた。政治的、社会的、経済的な信念が混ざり合ったそれは、最善を知る救世主のような存在であり、信念を追い求める強さを持つ人々の代弁者、ドゥーチェによってまとめられる。

より中産階級に配慮した、革命的ではない政策が採用されたことにより、サンセポルクロ主義は長年放棄されてきた。しかし、エットレ・ムーティが流星のように権力を握ったことで、再び政治の表舞台に現れることとなった。やや不安定ではあるが、このイデオロギーが下層階級や軍人たちに豊富な支持層を持っており、社会主義の浸透に対抗するための強力な道具となっていることは否定できない。サンセポルクロ主義が成功し、民族的熱意の新時代が始まるのか、それとも再び忘れ去られるのかは、時が経たねば分からない。
サンセポルクロ
主義
ニッコロ・ジャーニの手で創設されたファシズム神秘主義学校は長きに渡り古代と近代の哲学、社会、宗教の総合的分析に取り組んできた。同校は、歴史の偉大な出来事の背後にある理由を見出すために努力し続けた。そして、生徒は遂にそれが国家、経済、宗教、倫理、人種が緊密に結びついたものであると結論付けた。そうして、すべてをまとめ上げながらも最善を唱え最悪と対峙する存在が必要になった--そして、それはファシズムだった。

ニッコロ・ジャーニの眼下においては、ファシズムは単なる政治的イデオロギー以上のものとなる。国家への永続的献身を説き、神を揺るぎなく信仰し、自らの家族と同志・戦友に忠誠を誓う。これこそが宗教を含む他の社会規範を代替する、人の一生の全瞬間に適用できる包括的な価値規範である。実際、ファシズムはキリスト教の最終的かつ論理的な帰結である。メシアと同質であるドゥーチェが美徳の規範になる。そして政治と宗教の両方で最高権威として働く--かくして腐敗と退廃した聖職者は用無しとなる。

以前までは学問の場と理論的な議論の範疇に収まっていたファシズム神秘主義は、ニッコロ・ジャーニがイタリアで権力を握ったことにより、重要性と信者を劇的に増していった。教義は絶望の淵に立つイタリア市民に希望を与える。不安の代わりに義務を。疑義の代わりに献身を。信者の数と強さが増せば増すほどドゥーチェは微笑む。一人ひとりの信者はファシズムのあるべき姿に一歩近づくだけではない--肉体と精神の両方の昇天にも一歩近づくのだから……
ファシズム神秘
主義
一部の人の考えは別にして、国家サンディカリズムはファシズムでも社会主義でもない。ジョルジュ・ソレルやラミロ・レデスマ・ラモスの著作に根差すように反共産主義的でありながら、革命的でもある非常に特殊なイデオロギーであり、受けてきた様々な影響を融合してできたまったく新しいものなのである。

その名の通り、国家サンディカリズムは革命的サンディカリズムの非常に国家主義的な一形態であると言える。シンジケート制度を中心とした社会の組織を目指し、階級闘争の代わりに階級協調を行い、常に自己革命を行おうとするもので、少なくとも思想上は非常に進歩的である。

国家サンディカリズムはラテンアメリカにおいて未だ人気を誇っているほか、スペインの知識人の間にも影響力が残っているが、こちらではかつてのように流行している訳ではない。実際、1920年に時代の潮流が変化して以降、当時は若く情熱的であると見られていたイデオロギーが、今では国家社会主義や共産主義などの他の急進的潮流に取って変わられつつある。とはいえ、確かに予想外の事態だとは思われるだろうが、国家サンディカリズム復活の可能性はまだ残っていそうだ。永続的な近代化こそがその最大の強みであると、判明する日が来る可能性が残っているからである。
国家サンディカ
リズム
「世界は祖国を必要とし、祖国は国民を必要としている」といった表現を好む指導者もいる。しかし、一見中道的に見える国民結束と共同努力を説く声の背後には、地中海の支配者、ベニート・ムッソリーニが何年も前に初めて考案したものと同じ、ファシズム的体制が隠されているのである。それが、ファシスト・ポピュリズムだ。

ファシスト・ポピュリズムは、地方の農民や小作農のためのファシズムだ。都市や街に内在する「退廃」や「堕落」といったものから隔絶された、美化されている「古き国家」の利益と福祉に焦点を当てている。結果、ほとんどの農本左派や中道派すらも不合理だと感じるほど、農村部の福祉政策に強く焦点が当てられる。

ファシスト・ポピュリズムはまた、基盤強化のため、平均的な農民のノイローゼや懸念に熱心に取り組む。外国人嫌悪や反ユダヤ主義に代表される「よそ者」への嫌悪感は、政策に顕著に表れている。農民が「労働に対する正当な給料を国家から受けとることができる」ようにするための福祉や、農村産業を外部の「敵対的」な競争相手から(公平かどうかは別として)守るための保護主義も、イデオロギーにとって同様に重要である。
ファシスト・ポ
ピュリズム
巨人の肩の上に立ち、新たな時代の到来を告げる人々は、腐敗した帝国の死骸から新たなエネルギーの潮流を生み出していた。熱狂的な「革命的民族主義」は、かつて帝国主義者の軍靴に押さえつけられていた場所で具現化した。ロンドンの不平等条約、パリの資源略奪、ベルリンの帝国主義を否定する新たなこの民族主義は、かつての植民地支配により現れた恐怖と残虐行為を跳ね除けるため、ヨーロッパ帝国の陰で咆哮してきた。

このような思想を持つ植民地独立後の政権の多くは、歴史的な搾取の結果として、未発達で高度に階層化された経済を統治させられることが多い。しかし、行政府は自国の近代化を推進し、愛国的な、時に報復主義的となるレトリックを用いて、しばしば強力な個人や機関の下に国民を団結させる。新興国は、政治、そして生活全ての中心であり続ける。労働者は強力な国家のために働くよう指示され、兵士はついに確保された祖国の自由を守るために戦うよう指示される。道徳や個人の自由度に関する見解は様々だが、近代化され、一つに統一された文化的アイデンティティを持つことはほとんどの人が同意している。灰色の軍靴の下で弱々しい姿を見せるヨーロッパが破壊されていく中、解放された人民は、もはや鞭に耐えられなくなった主人からの独立を祝うために歓声を上げる。
革命的民族主義
スペイン第二共和政の混乱の中で生まれたファランヘ主義は、国家サンディカリズムの革命思想と保守的なカトリックの教義、そしてヒスパニズムの融合を目指すものである。反資本主義的で、反共産主義的で、扇動的で力強い国家サンディカリズムを維持しながらも、実際にはそれよりはるかに穏健だ。ファランヘ主義者は、包括的なコーポラティズム、階級協調的な国家資本主義の枠組みの下においての、労使関係を仲介する縦割り型シンジケートや労働組合の創設を呼びかけている。

しかし、国家サンディカリズムとファランヘ主義が最も対立するのは、その社会観である。前者が「永続革命」を標榜するのに対し、後者は超保守的であり、教会と国家の緊密な連携、ローマ・カトリックとヒスパニズム的アイデンティティを中心とした強力な民族主義を要求するのだ。
ファランへ主義
他の列強諸国のように、日本は20世紀初頭の戦間期に大きく分裂した。第一次世界大戦後の時点では、日本が封権社会と鎖国政策から近代的で工業化された国民国家へと転換を始めてから、まだ60年しか経っていなかった。このような変化には初期段階の問題が付き物である。自由市場の多くは長期間かけて自然に形成されたものであるため、特に経済学の分野ではその傾向が強く、革命的な社会主義の到来は問題をさらに複雑化するだけであった。時代の不確実性、イデオロギー的実験、植民地主義という新たな経験が組み合わさり、「革新官僚」という日本独特の不可解な体制が発生した。

革新官僚という控えめな名前とは裏腹に、彼らは残酷な搾取の遺産を背負っている。容赦なく搾取された傀儡国家、満洲国において最もよく体現されているその思想は、明らかに非人間的で、企業主義的で、ファシスト的でさえある。これらの官僚にとって、経済学とは数字とよく動く歯車以外の何物でもなく、戦争と動員に対する国家の備えを拡大するための一連の歯車仕掛けに過ぎない。ドイツ帝国末期の総力戦経済、ワイマール共和国の経済合理化、多くの強硬的な社会主義者に支持される計画経済を利用する、革新官僚の究極の目標は単純だ。経済を国家の要求通りに完璧に隷属させ、軍や政治化した官僚が恩恵を被るようにすることだ。
革新官僚
統合主義には多くの種類があり、その擁護者が置かれる状況によって左右されることが多い。しかし、その核となる原理は非常に似通っており、同一の基盤を持っている。厳格な原理主義、伝統主義的なカトリック主義だ。

統合主義は、啓蒙思想がもたらした価値観、すなわち世俗主義、民主主義、自由主義を否定するものである。「進歩」や変化を受け入れることはしない。逆に、統合主義者は、人々が道徳的な尊厳ある生活を送るためには、強硬なカトリック主義を前提とした社会において、農本的な中世精神へ回帰するしかないと主張している。

統合主義は、社会が人体のように機能するという企業的観念に基づいて形成されている。古代の理想の上に築かれる輝かしい未来ではなく、栄光ある、通常は空想上の存在であるその過去を、いかなる手段を用いても取り戻そうとする冷酷で強硬な試みを基礎としているのだ。
統合主義
十分な信仰心があれば、どんな障害も、どんな壁も持ちこたえることはできない。大衆を活気づけ、あらゆる思想を浸透させることのできる信仰のような力は、歴史上かつてなかった。それは行動、展望、人格を変えることができる。それが遍在するように、宗教がやがて国家と融合し、教権的ファシズムとして知られるイデオロギーの奇怪な幻想を形成することは明らかだ。

このイデオロギーは、国家は本質的に宗教と相互関係にあると主張する。信仰と国家の分離は完全に消え去り、政策は明らかに宗教的な様相を呈する。しかし、神権政治ではない。聖職者は権力の座には就かないが、指導者は高位の宗教指導者と顔を合わせることになる。組織化された宗教運動は国家に従属する。国家の歴史について、教権的ファシズムは国家と宗教の根深い結びつきを強調し、セルビアの聖サワやフランスのジャンヌ・ダルクのような宗教的、敬虔な人物をしばしば賛美する。これらの人物は、その信仰だけでなく、歴史における役割のために尊敬される。彼らは宗教的な人物であると同時に、国家そのものと同じように政治的な人物となるだろう。宗教が政治になり、政治が宗教になるのだ。教権的ファシズムを見るとき、これが信仰の真の目的なのか、それとも単に宗教を陰湿な政治的道具に変えただけなのか、考えずにはいられない。
教権的ファシズ
1930年代は、大恐慌の後に世界を襲った経済的壊滅状態から生まれた、かつてない政治的二極化に包まれた激動の時代であった。そして伝統的な政治的思想の惨状とそれに対する幻滅によって、労働者インターナショナル・フランス支部やベルギー社会党に属する右派の活動家たちは新たに新社会主義という運動を生み出した。

機能不全や混乱に見舞われた社会に統一と平静をもたらそうとする新社会主義者らは、マルクス主義的史観と階級闘争の理論を否定する。その代替として、アンドリク・デ・マンやマルセル・デアといった新生新社会主義運動における革新的な立役者は「プラニスム」やテクノクラート集団が国家の先頭に立ち、上からの革命を行い民衆をそこに従わせることで急進的な社会の再構築を目指す「建設的革命」といった理論的概念を生み出し、提唱した。一見するとあまり民族主義的には見えないかもしれないが、独裁的な傾向にありかつファシストのレトリックや思想に傾倒する新社会主義のイデオローグたちは、自らの国家に蔓延する不和を解決する方法として民族主義を見出した。それによって、革命から生じる厳格な変革に続く、テクノクラート的、プラニスム的、コーポラティズム的、かつ社会主義的な社会の造成への道が開かれた。

ソ連の凋落によって国際社会主義運動が潰えゆくと共に、新社会主義運動はその規模を増しつつある。ボリシェヴィズムの崩落によって従来の観念を捨てざるを得なくなった元社会主義者や、かつて勝利を収めた枢軸国を包む停滞と絶望に幻滅した元ファシストの両方が、冷笑主義という苦悩に苛まれながら運動の約束と治療に希望を見出し殺到している。
新社会主義
C・H・ダグラスは、借金でない購買力が全国民に供給される経済制度の説明の中で、それを「巨大金融の閉鎖集団」の策略を克服する方法とみなした。社会信用を信奉するファシストは、その閉鎖集団が持つ暗黙の特徴を明示する。彼らは、国内外の金融機関を、支配を狙うユダヤ人の陰謀と決めつけ、社会信用の展開によってこの陰謀を覆そうとしている。

社会信用ファシストにとって、ユダヤ銀行家の影響は国の伝統の破壊をもたらす。奴らの市場操作によって、美徳は無価値となり、悪徳が利益を生むようになるのだ。そうして人々は神と国を捨て、無目的な退廃を好むようになる。こうしたファシストたちにとって、これは購買力の分配によって解決される人為的な欠乏の問題に過ぎない。ファシストたちは、義理堅い者たちに補助金を出し、社会信用によって美徳を儲けさせることで、近代という道徳の荒れ果てた地に国民的価値を回復できると信じている。

彼らを批判する者は多く、指摘も無数に行われているが、社会信用は国際社会においてまだ若いイデオロギーであり、そのファシストの申し子はさらに若い。その夢が実現できるのか、妄想の航海が現実という岩に打ち砕かれるのかは、時が経たねば分からない。
社会信用



第一次世界大戦は、三王国戦争以来の紛争としてイギリスに大きな傷跡を残し、フランスとフランドルの血に染まった塹壕は、心的外傷を負った全世代の精神に刻み込まれた。ヨーロッパが不確実な新世界へとよろめきながら歩みを進め始めたとき、真に怪物的な存在を発見した。そして、イギリスもこの暗い発見の例外ではなかった。

大陸の同胞とは異なり、イギリスのファシズムは明確な2つの路線に沿って発展した。オズワルド・モズレ―の擁護したより正統で革命的な一派と、貴族や上流階級の心の中で芽生えたはるかに特異な形のファシズムである。後者の形態は、明らかにイギリス的なファシズムを説いたものだ。かつてのイギリスを、金融家、ユダヤ人、共産主義者から守り、帝国を彼らの手から救うというのである。ドイツの軍靴がロンドンを行進し、新たなイギリスを率いる協力者を募ったとき、それに応じたのはこの英国ファシズムの信奉者たちであり、こうして彼らの教義はいっとき支配的な存在となった。

しかし今、英国ファシズムは再び岐路に立たされている。
1956年蜂起により、モズレ―の信奉者たちが再び台頭し、さらに革命的なファシズムの信奉者たちも新たに加わった。だが、人民党守旧派に、復活した宿敵が反撃を始めるのを黙っているつもりなどなく、かつての指導者の周囲に再び結集した。今後数十年で、英国ファシズムが寡頭的な伝統主義の砦として堅固に立ち、文句なしの主権者としての地位を再び固めるのか、若者の炎と活力によって倒され、彼らが最初で最後の支持者となったまま枯れて忘れ去られ、死んでいくのかが分かるだろう。
年老いたドンヴィルは死に、埋葬され、英国ファシズム守旧派の最後の一人が去っていった。今、アンドリュー・フォンテインは勝利し、党が望む構想の下、英国ファシズムの形を成型する準備ができている。しかし、その構想が何であるかについては、誰も決められない。

英国ファシズムは、かつてそれを特徴づけていた反ユダヤ主義やアングロサクソン至上主義を捨てた。だが、それに代わるものは何なのか?これは、党内でも意見の分かれる問題だ。ファシスト革命はブリタニアで勝利を収めたが、今や自ら作り上げた泥沼にはまっている。

一方の側に立つのは、ジェフリー・ハムだ。モズレ―の構想に従う者たちは、ドイツと肩を並べてイギリスの運命を切り開く決意を持った特異な人物である指導者を中心に団結するイギリスを求めている。もう一方は、ジョン・ビーンだ。その夢は、国そのものを中心に統一されたイギリス、ブリタニアの臣民の革命的な出自に忠実なファシズムである。

かつてファシズムの最大の象徴であった団結は、人民党が互いの喉を切り裂くように嘘をつき合う中で、道端に捨てられた。この状況は長くは続かない。ただ一度の意志の勝利は避けられない。
英国ファシズム

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最終更新:2024年10月24日 18:59