愛知揆一 |
|
所属政党 |
大政翼賛会 - 保守本流 |
イデオロギー |
コーポラティズム |
大日本帝国の内閣総理大臣候補 |
もし誰かが翼賛会のメンバーに、現在の首相である愛知揆一を一言で表すようにと頼んだら、纏まりのないリベラルな反体制派から高木の左派、岸も警戒するような狂気の軍国主義者に至るまで、一人残らず「特徴がない」で同意するだろう。
1907年、東京に生まれた愛知は、第二次世界大戦中の大蔵省で経歴を積み、黙々と職務をこなした。その献身的な姿勢以外は、特別ではなかった。また、思想的な信念があるわけでもない。赤城合意の後、大政翼賛会に入り、保守本流の傘下で国会議員に選ばれた--そうでなければ、彼は当選しなかっただろう。
井野碩哉内閣の大臣として奉仕した愛知は、かつての後援者、ひいては国会の全会派からますます距離を置くようになった--誰からも等しく距離を置かれるようになった。このため、井野の汚職があまりに面白くないということと相まって、彼のカリスマ性のなさを嫌がる人が圧倒的に多かった。当面の政治の行き詰まりを打開するための妥協案として、正式に選ばれたのだ。
国会は全会一致で愛知を承認したが、本人でさえも第一候補ではなかった(本人は実際の選出について口を閉ざしているが)。すでに国会では、より好ましい候補者を擁立しようとする動きが各派に広がっている。
愛知はこれを気にしない。その後、比較的平穏な生活に自由に戻れるのであれば、誰が後を継ごうとかまわない。
安田危機による政治家の一斉逮捕に伴って井野が総理を辞任した後、暫定的に総理に選出される人物。どの派閥に対しても距離を置いており、信念や信条は全くない。首相選出の理由も「一時しのぎ」であり、正式に首相が決まればすぐに辞任する。
史実では官房長官や大蔵大臣などを歴任した。経歴だけで見れば明らかに井野より上である。にもか変わらずTNOではやる気のない無能扱いをされている。
最終更新:2024年10月17日 01:56