共和民主連合(きょうわみんしゅれんごう、英語:Republican-Democratic Coalition)は1959年に結成された
アメリカ合衆国の政党連合。
急進派の躍進に対抗して結成された、旧来の二大政党である共和党と民主党による穏健派の同盟である。
共和民主連合 |
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略称: RDC |
代表: ・ リチャード・ニクソン ・ ジョン・F・ケネディ |
設立年: 1959年 |
イデオロギー: 自由主義、保守主義 |
公式カラー: 青、赤 |
概要
歴史
1960年アメリカ大統領選挙
派閥
共和党
保守派の政党である共和党は、最も偉大なる生存者、
リチャード・ニクソンに率いられることとなった。ネガティブキャンペーンの達人、ニクソンは1952年の金融スキャンダル、1954年カリフォルニア州知事選での敗北を乗り越え、キーフォーヴァー政権の国務長官に就任した。国内での不評が高まる中、サイレント・マジョリティのリーダーとして自らを奮い立たせている。
彼の下には、ルーズベルトの行き過ぎを直ちに終わらせることを信条とする赤字強硬派、バリー・ゴールドウォーターの共和党強硬派と、漸進的な保守改革を好むニューイングランドの保守派、ネルソン・ロックフェラーの共和党責任派が存在する。
ここ数年の危機的状況により、ニクソンはリーダーシップの維持に苦労している。それでも、共和党での指導力を維持しつつ共民連立を存続させ、何としてでも1964年の再選を果たそうと決意している。
民主党
ルーズベルト、アイゼンハワー、キーフォーヴァーの遺産を受け継ぐ民主党は、カリスマ的なジョン・F・ケネディ副大統領に率いられることとなった。この新たな時代における希望を象徴するかのように、ケネディは国民に失敗を乗り越え、未来を受け入れるよう促した。公民権運動の指導者と面会し、軍事的抑制を求め、経済停滞に対する積極的な解決策を提唱した彼の決断により、ケネディは多くの人々に愛される人物となった—大統領を怒らせながらも。
ケネディの下では、派閥抗争が渦巻いている。一方は、リンドン・べインズ・ジョンソン議員に代表される民主党労働派だ。彼らは、ニューディール政策を不完全なものとみなし、政策を拡大、発展させようとしている。
一方、議会にはリチャード・ラッセル・ジュニア上院議員が率いる民主党南部派も存在する。南部出身者中心の彼らは、ケネディが黒人指導者たちと会談したことに憤慨しており、人種隔離の維持を模索している。
最終更新:2024年10月18日 00:22