生田信達

生田信達(いくたのぶたつ、1940年5月-)は、日本の政治家。衆議院議員大蔵大臣特命担当大臣(法務)を歴任。

来歴

生い立ち

父は生田善次郎、妹は生田正子
1940年5月、兵庫県神戸市出身。幼少期に戦争を経験しながら、父の別荘がある但馬町に避難していた。兵庫県立神戸高等学校大阪大学法学部国際法学科をそれぞれ卒業。阪大法学部では、岡村寿人ゼミであった。

政界へ

大学卒業後、ゼミの先輩である氏郷横道(保守党衆議院議員)の国会事務所に入る。私設秘書として選挙区回りや団体交渉を担当した。27歳の時に、氏郷の娘と結婚した。1972年12月、神戸市市議会議員選挙へ保守党公認候補として立候補。初当選を果たす。当選後、「神戸市議会」に所属する保守党会派議員の18名とともに、保守党兵庫県支部「こうべ市議団」を結成して政調会長に就任。1975年、共和党保守党が合併して誕生した自由党へ参加。党南日本連合会「こうべ市議団」政調副会長に就任。1976年12月、神戸市議選で2選目を果たす。

国政進出へ

1978年6月に衆議院が解散。義父である氏郷横道から、神戸1区の3年目の公認候補者として出馬するように要請を受け、神戸市議会議員を辞職する。第24回衆議院総選挙で、8人中6位という次点で落選。選挙浪人を味わうことになる。自由党南日本連合会「衆議院神戸1区支部第3支部長」に就任する。市議時代の同僚とともに辻立ちから選挙を始める。
1980年5月、「反社会党ブーム」の流れを受けて、第25回衆議院総選挙で3位で初当選を飾る。当選後、義父の所属する八政会に参加。派閥の論理で副幹事長に就任する。

初入閣

第26回衆議院総選挙(1983年)、第27回衆議院総選挙(1987年)でそれぞれ当選を果たし、1987年に3回生議員となる。小選挙区への住み分けでは、逝去した元総理である遠山昇の後任が優先的すみわけられたため、自身は、社会党現職との戦いを迫られて兵庫3区から立候補することになる。社会党現職で総務大臣の経験を持つ吉川秀元との争いとなった。3期目には、衆議院商工委員長に就任。
1989年の第28回衆議院総選挙で、4選目を果たす。当選後、上京の直前に義父の元秘書で八政会の事務局員を務める人物から連絡を受け、八政会座長に就任する。総選挙後に発足した瀬川内閣で、特命担当大臣(法務エネルギー資源領土問題)として初入閣。

幹事長政審会長

1990年6月、第1回党首公選が行われ、八政会からも福岡一会長の意向で平川修二(元内閣官房長官)を擁立する方針で合意した。予備選をトップ通過したものの、船中勉に決選投票で敗れる結果となる。そのような経緯から第1次船中内閣では、要職への起用がなかった。しかし、生田は幹事長代行に就任。1994年12月から幹事長に就任する。
1997年8月、船中勉党首が、党首任期の3年制導入を置き土産に退任を表明。党首公選が行われると、福岡一の退任以降、急激に力を失っていた八政会で独自候補を擁立することが叶わず、雄伯会の派内候補者である室堂卓二を、玄徳会二期会の4派閥で推薦することを決定。座長として、派閥調整の最前線を担当する。室堂卓二(新党首)の下、政審会長に就任。1999年6月、室堂内閣(第2次改造)大蔵大臣として入閣。

党首選出馬の意向

2000年8月、室堂卓二の任期満了に伴う党首公選では、自派閥の八政会雄伯会の推薦を受けて出馬の意向を固める。しかし、前回の党首選で足並みをそろえていた他派閥が、船中勉(元首相)の後見を持つ華政クラブの後押しを受けた山口厚の推薦に回る。最終的に、雄伯会が内部分裂したため組織支援を受けれず、予備選で5名中4位に沈んだ。党首選後、派閥結束力の再構築を図るために派内で最も政治的経験と集票力を持つ生田自身が八政会会長に就任。第1次山口内閣第2次山口内閣で、農林大臣として入閣。

下野・派閥解消

2003年8月の党首公選、2006年11月の党首公選では、派閥的支援を一切行わないことを決定。2008年1月に最高顧問の地位にあって派閥の精神的主柱だった福岡一を失った。2009年5月の第35回衆議院総選挙で、自由党は下野。自身はかろうじて小選挙区で当選したものの、派閥幹部を含めて党幹部までもが小選挙区落選や落選という結果を受け入れることになる。この現状を憂う中、自由党党内反省会で、「派閥解消による組織一新を求められるべき」と主張。自派閥である八政会は、9月に解散して保守党から続く長い歴史に幕を下ろした。無派閥に転じてからも党の長老として発言力が残り、数回行われた反省会では、党名変更や組織再編などの改新案を熱烈に主張。このような中、2011年に「70歳以上の公認候補者に関して、都道府県連単位で精査すること」という文書を党本部が全国に通達。明らかな生田への挑発行為だったが、自身も退任することを良しとして、2012年11月の衆議院解散に伴って政界引退。

選挙歴

選挙 開票日 年齢 選挙区 政党 定数 順位
神戸市議会議員選挙 1972.12 32 保守党 3 2/5
神戸市議会議員選挙 1976.12 36 自由党 3 2/6
第24回衆議院総選挙 1978.7.2 38 旧神戸1区 自由党 5 6/8
第25回衆議院総選挙 1980.5.18 40 旧神戸1区 自由党 5 3/8
第26回衆議院総選挙 1983.6.5 43 旧神戸1区 自由党 5 4/7
第27回衆議院総選挙 1987.5.1 46 神戸3区 自由党 1 1/3
第28回衆議院総選挙 1989.10.29 49 神戸3区 自由党 1 1/2
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最終更新:2025年07月27日 01:41