来歴
1912年4月、
日本国有鉄道へキャリアとして入社。
東京駅、
品川駅での現場管理を経て、
仙台鉄道管理局で
東北本線の最初期における管理運営を担った。仙台方面、特に東北地方の鉄道行政に深い関心を向けた。一方で、現場経験がさほど長いわけでもなく、
職員局人事部長、
運輸総局貨物部長、国際運輸部長などを経て、国鉄総裁室の政府委員として国会答弁も経験した。典型的な国鉄官僚であったが、1933年の
国鉄民輪労働争議の発生について初動対応の遅れを突かれたため、当時の
牧田信久総裁が急遽後退されると、後任で
大阪勧業銀行出身の
十時三郎辺の総裁室秘書役として指導役を担当。
福岡鉄道管理局長、
東京鉄道管理局長を経た後、
運輸省が設置され、
運輸省大臣官房次長。1942年9月に
企画院総裁室付に移り、全国鉄道網管理法の法案要綱制定を担当したが、当時法律については全くの素人で、法案成立に携わったのはこの時が初めてだった。1943年には
運輸省に再び戻ったが、
鉄道総局で名のあるポストを受けることなく、終戦の少し前、1945年3月に
八重山本土防衛前線指揮所の運輸技監として戦地の最前線に送られた。八重山は、最後まで戦争の被害を受けず、結局五体満足で帰任するが、当時の
日本国有鉄道で局長ポストを充てられないと断られたため、辞職。
3選目・4選目
経歴
1890年3月_
薩摩藩出身
1908年3月_
旧制一高・卒
1912年3月_
東京大学法学部私法学科・卒
1912年4月_
日本国有鉄道・キャリア入社
1912年7月_
東京駅駅務員
1913年7月_
品川駅駅務員
1914年7月_
仙台鉄道管理局経理部契約課・調達係長
1916年1月_仙台鉄道管理局経理部契約課・課長補佐
1919年7月_仙台鉄道管理局経理部契約課長
1920年7月_仙台鉄道管理局経理部次長
1922年1月_
経営局財務部資金調達課長
1923年1月_
職員局人事部次長兼異動課長
1924年7月_職員局人事部長
1926年7月_
運輸総局貨物部長
1928年7月_運輸総局国際運輸部長
1930年1月_国鉄総裁室秘書役
1935年7月_
福岡鉄道管理局長
1938年7月_
東京鉄道管理局長
1940年4月_
運輸省大臣官房官房次長
1942年9月_
企画院総裁室付
1943年4月_運輸省
鉄道総局付
1944年10月_運輸省鉄道総局国鉄管理監補佐役
1945年3月_
八重山本土防衛前線指揮所運輸技監
1945年10月_運輸省退官
1948年8月_
弁護士登録
1955年5月_
第17回衆議院総選挙で
鹿児島2区から初当選
役職歴
選挙区
最終更新:2025年09月18日 23:14