小さな後悔
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ディノ
一つだけ後悔している事がある。
それは多分、彼女の心が欠片もこちらに落ちて来ていなかったあの頃にしか、聞き出せなかった事。
ネアが、殺さなければならなかったその男と、一度でも共に生きてみようと思った事があったのか。
あの頃の自分には、それを知りたいと思う余裕がなかった。
窓の外を見ている事が多い人だった。その半分以上は死者の国に魅せられてしまっていた美しい人に、自分は一度でも祖国の事を尋ねただろうか。
言葉一つが漏れても危ういのだとしても、あの人が誰かを愛する事が出来たのかを知っておくべきだった。
母の心に触れる事は、終ぞなかった。
自室に帰ると、扉の外に息を潜める小さな子供の気配を感じた。ぎくりとしたが、血に濡れた手を清めるまではその来訪に気付かないふりをした。
今なら分かる。
あの時、何もなかったふりをするのではなく、罪悪感に打ちのめされた小さな王子に、自分は救われたのだと伝えてやるべきだった。
ネア
あの雨の日、会場をから通りに出た直後に、自分を追うように店を出た誰かの強い視線を感じた。パーティの窓辺でふと、背後に煙草と檸檬のコロンの香りを感じた事も。
ニュースの訃報を見て病室の白い薔薇を思い出し、何度か考えた。
振り返り手を伸ばしたなら、違う未来もあったのだろうかと。
彼女に夫を殺したのはあなただと詰られた時程、窓辺にいた子供の視線に顔を上げた事を悔いた事はなかった。
二人きりでダンスを踊り、彼女であれば自分を救えるのだろうかと考えた我が身の愚かさよりも、最初から出会うべきではなかったのだ。
君は多分そうではなかった。
だからこそ。
失望したと思って線を引いた。不愉快なものはそちら側で、利益を見込めない選択には愉快さが必要なのだと。
けれども、静謐な湖のような瞳でこちらを見た人間に感じた例えようもない不愉快さに、思い知らされた。
あの歌を歌った人間を、雪食い鳥の巣に置き去りにするのではなかったのだ。
その望みを叶えたりせず、ウィームからどこか遠い国に攫ってしまうべきだったと考える夜もある。
そうすれば自分の宝はまだ生きていて、記憶を消してしまって閉じ込める事も出来たのだ。
そう願うことは、共に過ごせて幸福だったと言ってくれた彼への裏切りのようで、胸が潰れそうになる。
取り返しはつかなかった。
滅びの夜に生まれ落ちた赤子を妻にと言われても、貧乏くじを引いたという思いしかなかった。
けれど、彼女があっという間に失われてから、何度その横顔を思い出しただろう。
だが、あの人は、自分のような男に愛されずに逃げられてきっと幸運だったのだ。
ノア
彼女は、きっと自分を選ぶと思っていた。呆れたようにこちらを見て、ここで何をしているのかと声をかけてくれる筈だと。
けれどもそんな事は起こらず、もう一度会いにも行かなかった自分が顔を背けていた間に、彼女は燃える王宮に閉じ込められている。
結界を掻き毟っても手は届かなかった。
(本日のSSの最後は、もう一つのネアのお話で。時系列としては、最初のネアがジークの死後、最後のお話のネアは進水式の直前になり、ネアがジークに抱いた恋心は、見知らぬ男性への憧から、本人を知り芽生えかけていたのだと気付いた想いへと変化します)
ネア
子供染みた憧れで、美しい人は恐ろしくても良いと思っていた。
勘の良さは父と結婚する前の母そっくりだと言われていた私が、あれは良くないものだも気付くべきだったのだ。
もう誰もどこにも行かないでと言うべきだった私を殺したのは、あの夜に生まれた愚かで小さな恋心だったのだろう。
以上となります。
お付き合いいただき、有り難うございました。
最後のお話ですが、
だも→だと、ですね…。
無念です………。
最終更新:2022年05月07日 11:59