第127話 違いの目線
1484年(1944年)4月13日 午前6時 ユークニア島南東180マイル沖
第72任務部隊第1任務群司令官であるジョン・マッケーン少将は、旗艦イラストリアスの艦橋上で、第2策敵隊が発艦していく様子を眺めていた。
イラストリアスの飛行甲板中央部から、艦上偵察機であるS1Aハイライダーがエンジンを吹かしつつ、その特徴ある細長い機体を前進させていく。
やがて、そのハイライダーはイラストリアスの飛行甲板から大空に舞い上がっていく。その姿は、朝焼けの光景と合間って、優雅に見える。
「第2策敵隊、発艦終了しました。」
張り出し艦橋から偵察機の発艦を見つめていたマッケーンに、航空参謀が語りかけた。
「ああ。」
それに、マッケーンは答えたが、声にいささか力がこもっていない。
「しかし、敵機動部隊は、一体どこに行ったんだ?」
マッケーンは、悩んでいた。
第72任務部隊は、マオンド艦隊が10日のうちに出港したという情報を聞いて、いち早くスィンク諸島の東方近海に張り付き、敵艦隊を待ち伏せた。
その後の情報では、出港した艦隊は機動部隊のみである事が判明した。
最初、アメリカ側はサフクナ軍港に集結している全艦隊が出港したかと思ったのだが、それは違った。
「敵さんは、足を引っ張る砲戦部隊を置いて身軽になったか。」
第72任務部隊司令官ジェイムス・サマービル中将は、出港した敵艦隊が、機動部隊のみである事に不安を感じていた。
敵が全艦隊を率いて出港した場合、マオンド側は自らの機動部隊のみならず、砲戦部隊の上空をも守らなければならない。
そうなると、敵の負担は増えてしまう。
逆に、機動部隊のみであれば、そういった負担も無くなり、自慢の快速性を生かして身軽に行動できる。
敵が機動部隊のみを出撃させた事は、そのような利点も生かせる事を考えたからであろう。
むしろ、全艦隊の出港よりも脅威であると言える。
「マオンド機動部隊は、まずTF72に向かって来るだろう。このTF72を打ち破らねば、後が続かなくなるからな。」
サマービル中将はそう言ってから、全部隊に敵に備えるよう命じた。
だが・・・・・
「10日に出港したはずの敵機動部隊は、あれからスィンク沖に近付こうとしないない。サフクナの潜水艦は、11日から
12日にかけて、1日ほど監視できなかったが、それからは監視を続けている。それなのに、一向に見つからんとは。」
マッケーンは、憂鬱そうな表情を浮かべた。
「3日前は、すぐにでも戦いの火蓋が切って落とされると思ったのに。まさか、苛立ちと戦う羽目になるとはねぇ。」
「まぁ、そこまでイライラしないでもいいじゃないですか。」
空母イラストリアス艦長のスレッド大佐が、穏やかな口調でマッケーンに言った。
彼は、言ったついでに紅茶を渡した。
「どうぞ、アメリカンティーですよ。」
「ああ、すまんね。」
マッケーンは苦笑しながら、紅茶のカップを受け取った。
「しかし、ここ最近は本場の紅茶もなかなか飲めなくなりましたなぁ。」
「備蓄分がついに底をついたようだからな。だが、その代わり、アメリカンティーは豊富にあるぞ。特に、このレモンティーはうまい。」
マッケーンは、そう言いながら、カップに入っている輪切りにされたレモンをスプーンでつついた。
「私は、ストレートで飲むほうが好きだったんですがねぇ。あの独特の味がなんとも。」
スレッド艦長は、心底残念そうに表情を暗くする。
TF72.1を構成するイギリス艦艇群は、長期の航海にも対応できるように、本国から紅茶をごっそりと持ち込んでいた。
転移後は、その備蓄してあった紅茶をなるべく節約していたのだが、44年2月に、とうとう最後の紅茶が人の胃の中に消えていった。
それ以降、彼らはアメリカ紅茶を飲まざるを得なくなっている。
ここ最近、コーヒーや紅茶の生産は頭打ちの状態であり、アメリカ軍部隊の中には、生活必需品であるコーヒーが時折飲めない場合もある。
アメリカ国内のコーヒー業者は、原材料がアメリカ国内でしか取れないため、一定の収穫量を過ぎるとコーヒー自体が作れなくなる可能性が
出るため、生産に制限を課している。
その一方、業者側もコーヒー菜園を増やす等して対策を行っているが、その成果が現れるのは、早くても来年以降になるという。
コーヒー等の嗜好品が、いささか不足している一方、現地のアメリカ軍部隊・・・・・特に陸軍では、解放地で生産されている
香茶を好んで飲む部隊が増えてきた。
現在、アメリカを始めとする連合軍は、北ウェンステル領の南部一帯。全体で表すと、約3分の1を手中に収めている。
北ウェンステル領では、現地在中のシホールアンル軍との交戦が続いているが、じわじわと北に押しつつある。
そんな中、北ウェンステル領の住民達は、連合軍部隊を歓迎し、さまざまなもてなしを施した。
特にラグレガミア地方で行われた歓迎は、現地に進軍したアメリカ第1軍団の将兵に好評を博し、軍団長のパットン将軍は、
この町の喫茶店で出された香茶を飲むなり、
「私は生まれて以来、こんな上等な香茶にめぐり合えた事はない。」
と言わしめたほど、北ウェンステル領の香茶は好評であった。
コーヒーの品薄のせいで、アメリカ軍内ではこのように、現地の飲み物で代用するという“非常手段”が取られている有様だが、
コーヒーが、以前と同じように好き放題飲めるようになるまでは、まだしばらく時間が必要である。
「それにしても、敵さんはどこに行ったのかなぁ。」
マッケーンは、紅茶を一口すすった後、まるで恋人を探しているかのような口調で呟いた。
「様子を見ているのではありませんか?」
マッケーンの後ろに立っていた航空参謀のレイオット・マリガン中佐が、これまた紅茶を片手に持ちながら言った。
「潜水艦の報告では、マオンド機動部隊は、昨日の午後3時現在までに、18ノット程度の速力で、スィンク諸島から
約500マイル(800キロ)東南に離れた沖合いをずっと遊弋しているようです。我が機動部隊の艦載機は、500マイル
程度の距離ならなんとか飛べ、敵に一撃を与えられますが、ただそれだけで終わってしまいます。まず、距離が長いために、
被弾損傷機が母艦に辿り着けない可能性があります。それに、敵機動部隊は、陸上のワイバーン基地と支援を受けられる海域に
いる可能性が極めて高い。」
「現に、昨日はベニントンの偵察機が、陸地から400キロ離れた海域で敵の戦闘ワイバーンに襲われたからな。」
「そうなると、敵さんはワイバーンの支援でこっちの艦載機を消耗させた上で、反撃に出ると決めているのでしょう。
一見単純そうだが、敵からすれば現実的で、堅実な案ですな。」
スレッド艦長は、そう言ってから顔をしかめた。
「敵機動部隊の規模は、大雑把ながらも竜母5ないし6は居るからな。当然、劣勢の敵はこっちと正面から叩き合っても負ける
公算が大きい。それを少しでも無くすためには、こっちの手駒を減らしてから・・・か。」
「マイリーにも、戦上手がいるのかもしれませんな。」
航空参謀は、ため息まじりにそう言った。
「シホールアンル側から、色々手ほどきを受けたのかもな。シホールアンル軍は、マイリーと違って経験豊富だ。」
「そのシホールアンルに教えられた事を、マオンド機動部隊は忠実に守っている、ですか。こりゃ厄介な事態になりましたな。」
機動部隊同士の航空戦では、当然航空機と空母の数が多いほうが有利である。
だが、機動部隊同士の決戦と言っても、所詮は航空機が主体の航空戦であり、どちらか一方が運用する航空機を増やせば、戦い方は違って来る。
例え、自軍が空母10隻、艦載機700機以上を有し、相手側の機動部隊を押そうとしても、相手側が陸上基地からほぼ同数の航空部隊を引っ張れば、
航空機の性能に左右されるとはいえ、必然的に激しい殴り合いと化す。
場合によっては、元々戦力が勝っていたほうが、逆に劣勢となる可能性もあるだろう。
マオンド側は、その考えを元に動いている可能性が高い。
マッケーンは、内心でそう確信していた。
「サマービル司令官は、どのような考えをしているのかな?」
彼は、ふとサマービルが何を考えているのか気になった。
(彼なら、この状態を進展させるためにどうするだろうか。やはり、無理にでも突っ込むとするだろうか?)
マッケーンはそう思ったが、すぐに打ち消した。
(この戦力では、とてもではないが、基地航空隊と敵機動部隊を同時に相手取るのはきついかもしれんな)
第72任務部隊は、4月5日から今日までに、32機の艦載機を失っている。
32機全てが、戦闘で失われた訳ではなく、戦闘喪失は13機に留まっている。
残りは、被弾による修理不能機や、着艦事故等による喪失である。
これによって、機動部隊の使用可能機数は504機に減っている。
本来ならば、後方にいる護衛空母部隊から補充の艦載機が送られてくるのだが、その護衛空母は、今日の夕方にユークニア島へ
入港予定の船団に含まれているため、すぐには補充ができない。
(太平洋で暴れている第58、第57任務部隊のように、空母が10隻ほどあれば、陸地にもある程度近付けるのだが。)
マッケーンは、内心ため息を吐いた。
空母任務群があと1個あれば、多少強引な攻撃作戦を取れるのだが、空母が足りないTF72にはできない話である。
(となると、やはり敵が出て来るのを待つしかないな。恐らく、サマービル司令官もそう考えているだろう)
マッケーンはそう結論付けたが、不意に強い不安感が押し寄せた。
脳裏に一瞬、それでいいのか?という言葉が思い浮かんだ。
「・・・・司令?」
スレッド艦長が、マッケーンの顔をまじまじと見つめている。
しかし、マッケーンは思考に集中し過ぎているため、一度呼びかけただけでは応じない。
「司令。」
スレッドは、先よりも強い口調でマッケーンを呼んだ。
「・・・・お、おお。どうしたね?」
「は、どこか体の具合が・・・・」
「ああ。いや、何でもない。どこも悪くないよ。」
マッケーンは、ぱっと明るい笑みを見せた。知らず知らずのうちに、怖い顔つきになっていたのだろう。
(あまり、変な事は考えんほうがいいな)
マッケーンは内心で決めると、策敵機が発艦する様子を見つめ続けた。
だが、先は晴れやかな気持ちで見れた発艦風景も、今は、それほど楽しめなかった。
マッケーンの脳裏の中に、何かが引っ掛かり続けていた。
それから2時間後、
「司令、ちょっとよろしいでしょうか?」
イラストリアスの司令官席に座っていたマッケーンは、作戦参謀のリヴァル・スタインバーグ中佐に呼び止められた。
「何だね?」
「これを見て貰いたいのですが。」
スタインバーグ中佐はそう言うと、綴られた数枚の紙を差し出した。
紙を受け取ったマッケーンは、一通り目を通した。
「これは、TF84司令部の通信か。」
「はい。」
アメリカ大西洋艦隊は、第7艦隊の発足と同時に第8艦隊というもう1つの艦隊を編成している。
この第8艦隊は、大半が護衛駆逐艦や護衛空母で編成された護衛専門の部隊であるが、同時に潜水艦部隊も編成表に加わっている。
潜水艦部隊は、第84任務部隊と、第85任務部隊の2個任務部隊に分かれている。
第84任務部隊、第85任務部隊は、共に36隻の潜水艦で編成されており、それらを、更に3つの任務群に分けている。
スタインバーグ中佐が持ってきた通信文は、第84任務部隊第2任務群に属している潜水艦の交信記録であった。
「TG84.2の潜水艦は、5隻が丸1日ほど、通信が途絶えているな。これと似たような報告を、俺もつい最近耳にしている。しかし、どうしてこんな物を?」
「司令、パンパニート、ボーフィン、アーチャーフィッシュ、スティールヘッド、タニー、この5隻の潜水艦が、どこの海域に配備されていたか分かりますか?」
スタインバーグは、マッケーンに質問で質問に答えた。これは、本来好まれない返し方だが、スタインバーグはあまりこういった返し方をしない。
スタインバーグ中佐は、普段は真面目な士官である。話し方は、どういう訳か気怠げに聞こえることもあるが、しっかりしており、物事をはっきりと言う。
そんな彼が、あえてそのような答え方をしたと言う事は・・・・・
そして、彼の質問の意味は・・・・・
10秒ほど黙した彼は、ようやく、スタインバーグ中佐の言わんとしている事がわかった。
「この5隻の潜水艦は、いずれもサフクナ軍港沖に配置されていた。それも、広い範囲を。」
「半径300マイル(480キロ)以上空白地帯が、敵艦隊が出港した11日午前11時から翌日の午後2時まで、ほぼ丸1日、しかし、たった1日だけ
空いていたのです。それから少し経って、潜水艦部隊は監視を再開できました。これは、変だと思いませんか?」
「う~む、確かに変だ。」
マッケーンは腕を組みながら唸った。
「潜水艦の目潰しを行うのなら、敵の艦隊が出港する前にやるべきだ。なのに、敵機動部隊が出た後で潜水艦を封じるとは、要領が悪すぎる。
作戦参謀、この事は、TF72司令部や艦隊司令部に伝えてあるかね?」
「はい。と言うか、旗艦や7艦隊司令部では、私が司令に伝える前からこの事で協議が行われているようです。」
「そうか。」
マッケーンはそう言いながら、イラストリアスの左舷を航行している戦艦プリンス・オブ・ウェールズに視線を向けた。
「この不思議な事態に、サマービル司令官は何を考えているかな。」
マッケーンは、単調な口ぶりで呟いた。ふと、プリンス・オブ・ウェールズの向こう側に、分厚い雲が見えた。
現在、艦隊は変針した後、一旦南に向かっている。あと10分ほど進んだら、北に転舵する予定だ。
雲の位置は、歓待の輪形陣から左側。分かり易く言えば、西の遠くにある。
「そういえば、ユークニア島は今日雨だったな。」
彼は、何気ない口調で作戦参謀に聞いた。
「はい。それに、スィンク諸島からその西側200マイルにかけて前線が南下していて、広範囲にわたって雨が降っているようです。
先ほど、気象士官から聞いた情報です。」
「ああ、俺も聞いたよ。」
マッケーンがそういった時、唐突にCICから報告が飛び込んできた。
「策敵機より緊急信です!我、敵機動部隊を発見せり!」
突然の報告に、マッケーンは目を大きく見開いた。
「敵の位置は、艦隊より南東、方位133度。距離は約270マイル。」
その報告を聞いて、マッケーンは怪訝な表情を浮かべた。
「270マイルとは、随分敵も近付いたな。しかし、敵の詳細は分からんのかな?」
「すぐに第2報が入ると思います。」
スタインバーグ中佐の言葉通り、3分後には策敵機から第2報が入った。
「策敵機より第2報。敵は竜母5ないし6、巡洋艦らしきもの3、駆逐艦10以上を伴う。敵の進路は北西方向、速力18ノット。
艦隊上空に敵ワイバーンの姿なし。」
「敵ワイバーンの姿なしか。敵の直掩はちょうど母艦に降りているのかもしれんな。」
「270マイルなら、攻撃隊を飛ばして1時間程度で敵に取っ付けます。それに、我々は今、敵に発見されていません。
ここは、先手を打つべきでしょう。」
「そうだな。サマービル司令官に意見具申」
と言いかけた時、早速TF72司令部から通信が届いた。
通信の内容は、待機していた攻撃隊を即時発艦させよ、であった。
「流石は歴戦の指揮官。戦い方を心得ている。」
マッケーンは、サマービルの素早い判断に満足していた。
「よし!攻撃隊を上げるぞ!」
彼は、いささか気分を高揚させながら、張りのある声音でそう言い放った。
すると、またもや通信が入った。
通信士が、それまでとは打って変わった口調で、入ってきた通信の内容を知らせた。
それを聞いたマッケーンは、高揚していた気分が一気に冷めた。
4月13日 午前8時20分 マオンド軍第1機動艦隊
「敵偵察機に発見された模様です!」
魔道士の報告が、じっと前を見つめていた彼の耳に入ってきた。
「・・・・そうか。」
どこか、満足したような響きを含む声が、彼の口から漏れた。
彼。第1機動艦隊司令官であるホウル・トルーフラ中将は、口元に笑みすら浮かべていた。
いや、彼だけではない。
艦橋内にいる誰もが、目を輝かせていた。
敵に発見された、と言う報告を受け取ったのにもかかわらず、彼らに悲壮感は無かった。
むしろ、喜んでいた。
「これで、後は敵発見の報を待つのみです。」
「うむ。もう少しの辛抱だ。」
トルーフラ中将は、笑みを抑えてから、皆に聞こえるようにして言い放った。
そして、5分後。
「司令官!策敵ワイバーンより、敵発見の報告が届きました!」
艦橋に飛び込んできた魔道士が、喜色をあらわにしてトルーフラ中将に報告する。
「敵は、空母4ないし5隻、戦艦らしきもの2隻を含む。その他に、駆逐艦など多数を含む!距離は艦隊より北西160ゼルド(480キロ)!」
「ついに獲物を見つけたか!」
トルーフラ中将は、顔に獰猛な笑みを浮かべた。
「司令官、すぐに攻撃隊を出しましょう!」
「ああ、言われずとも分かっている。命令!待機中の攻撃隊は、直ちに発進し、目標のアメリカ艦隊攻撃に向かえ!」
トルーフラ中将の命令は、直ちに全部隊に伝わった。
飛行甲板には、既に攻撃用のワイバーン隊が上げられている。後は、発艦するのみである。
艦首を風上に向けた後、攻撃隊は次々と発艦していった。
第1次攻撃隊の内訳は、竜母ヴェルンシア、ミリニシア、イリョンスからそれぞれ戦闘ワイバーン16騎、攻撃ワイバーン18騎ずつ、
小型竜母のイルカンル級3隻からは、戦闘ワイバーン8騎、攻撃ワイバーン12騎ずつが発艦する。
計162騎のワイバーンが、アメリカ軍艦隊に殺到する予定である。
結果がどう出るかは、定かではないが、今のところ、物事はマオンド側の思い通りに進んでいた。
1484年(1944年)4月13日 午前6時 ユークニア島南東180マイル沖
第72任務部隊第1任務群司令官であるジョン・マッケーン少将は、旗艦イラストリアスの艦橋上で、第2策敵隊が発艦していく様子を眺めていた。
イラストリアスの飛行甲板中央部から、艦上偵察機であるS1Aハイライダーがエンジンを吹かしつつ、その特徴ある細長い機体を前進させていく。
やがて、そのハイライダーはイラストリアスの飛行甲板から大空に舞い上がっていく。その姿は、朝焼けの光景と合間って、優雅に見える。
「第2策敵隊、発艦終了しました。」
張り出し艦橋から偵察機の発艦を見つめていたマッケーンに、航空参謀が語りかけた。
「ああ。」
それに、マッケーンは答えたが、声にいささか力がこもっていない。
「しかし、敵機動部隊は、一体どこに行ったんだ?」
マッケーンは、悩んでいた。
第72任務部隊は、マオンド艦隊が10日のうちに出港したという情報を聞いて、いち早くスィンク諸島の東方近海に張り付き、敵艦隊を待ち伏せた。
その後の情報では、出港した艦隊は機動部隊のみである事が判明した。
最初、アメリカ側はサフクナ軍港に集結している全艦隊が出港したかと思ったのだが、それは違った。
「敵さんは、足を引っ張る砲戦部隊を置いて身軽になったか。」
第72任務部隊司令官ジェイムス・サマービル中将は、出港した敵艦隊が、機動部隊のみである事に不安を感じていた。
敵が全艦隊を率いて出港した場合、マオンド側は自らの機動部隊のみならず、砲戦部隊の上空をも守らなければならない。
そうなると、敵の負担は増えてしまう。
逆に、機動部隊のみであれば、そういった負担も無くなり、自慢の快速性を生かして身軽に行動できる。
敵が機動部隊のみを出撃させた事は、そのような利点も生かせる事を考えたからであろう。
むしろ、全艦隊の出港よりも脅威であると言える。
「マオンド機動部隊は、まずTF72に向かって来るだろう。このTF72を打ち破らねば、後が続かなくなるからな。」
サマービル中将はそう言ってから、全部隊に敵に備えるよう命じた。
だが・・・・・
「10日に出港したはずの敵機動部隊は、あれからスィンク沖に近付こうとしないない。サフクナの潜水艦は、11日から
12日にかけて、1日ほど監視できなかったが、それからは監視を続けている。それなのに、一向に見つからんとは。」
マッケーンは、憂鬱そうな表情を浮かべた。
「3日前は、すぐにでも戦いの火蓋が切って落とされると思ったのに。まさか、苛立ちと戦う羽目になるとはねぇ。」
「まぁ、そこまでイライラしないでもいいじゃないですか。」
空母イラストリアス艦長のスレッド大佐が、穏やかな口調でマッケーンに言った。
彼は、言ったついでに紅茶を渡した。
「どうぞ、アメリカンティーですよ。」
「ああ、すまんね。」
マッケーンは苦笑しながら、紅茶のカップを受け取った。
「しかし、ここ最近は本場の紅茶もなかなか飲めなくなりましたなぁ。」
「備蓄分がついに底をついたようだからな。だが、その代わり、アメリカンティーは豊富にあるぞ。特に、このレモンティーはうまい。」
マッケーンは、そう言いながら、カップに入っている輪切りにされたレモンをスプーンでつついた。
「私は、ストレートで飲むほうが好きだったんですがねぇ。あの独特の味がなんとも。」
スレッド艦長は、心底残念そうに表情を暗くする。
TF72.1を構成するイギリス艦艇群は、長期の航海にも対応できるように、本国から紅茶をごっそりと持ち込んでいた。
転移後は、その備蓄してあった紅茶をなるべく節約していたのだが、44年2月に、とうとう最後の紅茶が人の胃の中に消えていった。
それ以降、彼らはアメリカ紅茶を飲まざるを得なくなっている。
ここ最近、コーヒーや紅茶の生産は頭打ちの状態であり、アメリカ軍部隊の中には、生活必需品であるコーヒーが時折飲めない場合もある。
アメリカ国内のコーヒー業者は、原材料がアメリカ国内でしか取れないため、一定の収穫量を過ぎるとコーヒー自体が作れなくなる可能性が
出るため、生産に制限を課している。
その一方、業者側もコーヒー菜園を増やす等して対策を行っているが、その成果が現れるのは、早くても来年以降になるという。
コーヒー等の嗜好品が、いささか不足している一方、現地のアメリカ軍部隊・・・・・特に陸軍では、解放地で生産されている
香茶を好んで飲む部隊が増えてきた。
現在、アメリカを始めとする連合軍は、北ウェンステル領の南部一帯。全体で表すと、約3分の1を手中に収めている。
北ウェンステル領では、現地在中のシホールアンル軍との交戦が続いているが、じわじわと北に押しつつある。
そんな中、北ウェンステル領の住民達は、連合軍部隊を歓迎し、さまざまなもてなしを施した。
特にラグレガミア地方で行われた歓迎は、現地に進軍したアメリカ第1軍団の将兵に好評を博し、軍団長のパットン将軍は、
この町の喫茶店で出された香茶を飲むなり、
「私は生まれて以来、こんな上等な香茶にめぐり合えた事はない。」
と言わしめたほど、北ウェンステル領の香茶は好評であった。
コーヒーの品薄のせいで、アメリカ軍内ではこのように、現地の飲み物で代用するという“非常手段”が取られている有様だが、
コーヒーが、以前と同じように好き放題飲めるようになるまでは、まだしばらく時間が必要である。
「それにしても、敵さんはどこに行ったのかなぁ。」
マッケーンは、紅茶を一口すすった後、まるで恋人を探しているかのような口調で呟いた。
「様子を見ているのではありませんか?」
マッケーンの後ろに立っていた航空参謀のレイオット・マリガン中佐が、これまた紅茶を片手に持ちながら言った。
「潜水艦の報告では、マオンド機動部隊は、昨日の午後3時現在までに、18ノット程度の速力で、スィンク諸島から
約500マイル(800キロ)東南に離れた沖合いをずっと遊弋しているようです。我が機動部隊の艦載機は、500マイル
程度の距離ならなんとか飛べ、敵に一撃を与えられますが、ただそれだけで終わってしまいます。まず、距離が長いために、
被弾損傷機が母艦に辿り着けない可能性があります。それに、敵機動部隊は、陸上のワイバーン基地と支援を受けられる海域に
いる可能性が極めて高い。」
「現に、昨日はベニントンの偵察機が、陸地から400キロ離れた海域で敵の戦闘ワイバーンに襲われたからな。」
「そうなると、敵さんはワイバーンの支援でこっちの艦載機を消耗させた上で、反撃に出ると決めているのでしょう。
一見単純そうだが、敵からすれば現実的で、堅実な案ですな。」
スレッド艦長は、そう言ってから顔をしかめた。
「敵機動部隊の規模は、大雑把ながらも竜母5ないし6は居るからな。当然、劣勢の敵はこっちと正面から叩き合っても負ける
公算が大きい。それを少しでも無くすためには、こっちの手駒を減らしてから・・・か。」
「マイリーにも、戦上手がいるのかもしれませんな。」
航空参謀は、ため息まじりにそう言った。
「シホールアンル側から、色々手ほどきを受けたのかもな。シホールアンル軍は、マイリーと違って経験豊富だ。」
「そのシホールアンルに教えられた事を、マオンド機動部隊は忠実に守っている、ですか。こりゃ厄介な事態になりましたな。」
機動部隊同士の航空戦では、当然航空機と空母の数が多いほうが有利である。
だが、機動部隊同士の決戦と言っても、所詮は航空機が主体の航空戦であり、どちらか一方が運用する航空機を増やせば、戦い方は違って来る。
例え、自軍が空母10隻、艦載機700機以上を有し、相手側の機動部隊を押そうとしても、相手側が陸上基地からほぼ同数の航空部隊を引っ張れば、
航空機の性能に左右されるとはいえ、必然的に激しい殴り合いと化す。
場合によっては、元々戦力が勝っていたほうが、逆に劣勢となる可能性もあるだろう。
マオンド側は、その考えを元に動いている可能性が高い。
マッケーンは、内心でそう確信していた。
「サマービル司令官は、どのような考えをしているのかな?」
彼は、ふとサマービルが何を考えているのか気になった。
(彼なら、この状態を進展させるためにどうするだろうか。やはり、無理にでも突っ込むとするだろうか?)
マッケーンはそう思ったが、すぐに打ち消した。
(この戦力では、とてもではないが、基地航空隊と敵機動部隊を同時に相手取るのはきついかもしれんな)
第72任務部隊は、4月5日から今日までに、32機の艦載機を失っている。
32機全てが、戦闘で失われた訳ではなく、戦闘喪失は13機に留まっている。
残りは、被弾による修理不能機や、着艦事故等による喪失である。
これによって、機動部隊の使用可能機数は504機に減っている。
本来ならば、後方にいる護衛空母部隊から補充の艦載機が送られてくるのだが、その護衛空母は、今日の夕方にユークニア島へ
入港予定の船団に含まれているため、すぐには補充ができない。
(太平洋で暴れている第58、第57任務部隊のように、空母が10隻ほどあれば、陸地にもある程度近付けるのだが。)
マッケーンは、内心ため息を吐いた。
空母任務群があと1個あれば、多少強引な攻撃作戦を取れるのだが、空母が足りないTF72にはできない話である。
(となると、やはり敵が出て来るのを待つしかないな。恐らく、サマービル司令官もそう考えているだろう)
マッケーンはそう結論付けたが、不意に強い不安感が押し寄せた。
脳裏に一瞬、それでいいのか?という言葉が思い浮かんだ。
「・・・・司令?」
スレッド艦長が、マッケーンの顔をまじまじと見つめている。
しかし、マッケーンは思考に集中し過ぎているため、一度呼びかけただけでは応じない。
「司令。」
スレッドは、先よりも強い口調でマッケーンを呼んだ。
「・・・・お、おお。どうしたね?」
「は、どこか体の具合が・・・・」
「ああ。いや、何でもない。どこも悪くないよ。」
マッケーンは、ぱっと明るい笑みを見せた。知らず知らずのうちに、怖い顔つきになっていたのだろう。
(あまり、変な事は考えんほうがいいな)
マッケーンは内心で決めると、策敵機が発艦する様子を見つめ続けた。
だが、先は晴れやかな気持ちで見れた発艦風景も、今は、それほど楽しめなかった。
マッケーンの脳裏の中に、何かが引っ掛かり続けていた。
それから2時間後、
「司令、ちょっとよろしいでしょうか?」
イラストリアスの司令官席に座っていたマッケーンは、作戦参謀のリヴァル・スタインバーグ中佐に呼び止められた。
「何だね?」
「これを見て貰いたいのですが。」
スタインバーグ中佐はそう言うと、綴られた数枚の紙を差し出した。
紙を受け取ったマッケーンは、一通り目を通した。
「これは、TF84司令部の通信か。」
「はい。」
アメリカ大西洋艦隊は、第7艦隊の発足と同時に第8艦隊というもう1つの艦隊を編成している。
この第8艦隊は、大半が護衛駆逐艦や護衛空母で編成された護衛専門の部隊であるが、同時に潜水艦部隊も編成表に加わっている。
潜水艦部隊は、第84任務部隊と、第85任務部隊の2個任務部隊に分かれている。
第84任務部隊、第85任務部隊は、共に36隻の潜水艦で編成されており、それらを、更に3つの任務群に分けている。
スタインバーグ中佐が持ってきた通信文は、第84任務部隊第2任務群に属している潜水艦の交信記録であった。
「TG84.2の潜水艦は、5隻が丸1日ほど、通信が途絶えているな。これと似たような報告を、俺もつい最近耳にしている。しかし、どうしてこんな物を?」
「司令、パンパニート、ボーフィン、アーチャーフィッシュ、スティールヘッド、タニー、この5隻の潜水艦が、どこの海域に配備されていたか分かりますか?」
スタインバーグは、マッケーンに質問で質問に答えた。これは、本来好まれない返し方だが、スタインバーグはあまりこういった返し方をしない。
スタインバーグ中佐は、普段は真面目な士官である。話し方は、どういう訳か気怠げに聞こえることもあるが、しっかりしており、物事をはっきりと言う。
そんな彼が、あえてそのような答え方をしたと言う事は・・・・・
そして、彼の質問の意味は・・・・・
10秒ほど黙した彼は、ようやく、スタインバーグ中佐の言わんとしている事がわかった。
「この5隻の潜水艦は、いずれもサフクナ軍港沖に配置されていた。それも、広い範囲を。」
「半径300マイル(480キロ)以上空白地帯が、敵艦隊が出港した11日午前11時から翌日の午後2時まで、ほぼ丸1日、しかし、たった1日だけ
空いていたのです。それから少し経って、潜水艦部隊は監視を再開できました。これは、変だと思いませんか?」
「う~む、確かに変だ。」
マッケーンは腕を組みながら唸った。
「潜水艦の目潰しを行うのなら、敵の艦隊が出港する前にやるべきだ。なのに、敵機動部隊が出た後で潜水艦を封じるとは、要領が悪すぎる。
作戦参謀、この事は、TF72司令部や艦隊司令部に伝えてあるかね?」
「はい。と言うか、旗艦や7艦隊司令部では、私が司令に伝える前からこの事で協議が行われているようです。」
「そうか。」
マッケーンはそう言いながら、イラストリアスの左舷を航行している戦艦プリンス・オブ・ウェールズに視線を向けた。
「この不思議な事態に、サマービル司令官は何を考えているかな。」
マッケーンは、単調な口ぶりで呟いた。ふと、プリンス・オブ・ウェールズの向こう側に、分厚い雲が見えた。
現在、艦隊は変針した後、一旦南に向かっている。あと10分ほど進んだら、北に転舵する予定だ。
雲の位置は、歓待の輪形陣から左側。分かり易く言えば、西の遠くにある。
「そういえば、ユークニア島は今日雨だったな。」
彼は、何気ない口調で作戦参謀に聞いた。
「はい。それに、スィンク諸島からその西側200マイルにかけて前線が南下していて、広範囲にわたって雨が降っているようです。
先ほど、気象士官から聞いた情報です。」
「ああ、俺も聞いたよ。」
マッケーンがそういった時、唐突にCICから報告が飛び込んできた。
「策敵機より緊急信です!我、敵機動部隊を発見せり!」
突然の報告に、マッケーンは目を大きく見開いた。
「敵の位置は、艦隊より南東、方位133度。距離は約270マイル。」
その報告を聞いて、マッケーンは怪訝な表情を浮かべた。
「270マイルとは、随分敵も近付いたな。しかし、敵の詳細は分からんのかな?」
「すぐに第2報が入ると思います。」
スタインバーグ中佐の言葉通り、3分後には策敵機から第2報が入った。
「策敵機より第2報。敵は竜母5ないし6、巡洋艦らしきもの3、駆逐艦10以上を伴う。敵の進路は北西方向、速力18ノット。
艦隊上空に敵ワイバーンの姿なし。」
「敵ワイバーンの姿なしか。敵の直掩はちょうど母艦に降りているのかもしれんな。」
「270マイルなら、攻撃隊を飛ばして1時間程度で敵に取っ付けます。それに、我々は今、敵に発見されていません。
ここは、先手を打つべきでしょう。」
「そうだな。サマービル司令官に意見具申」
と言いかけた時、早速TF72司令部から通信が届いた。
通信の内容は、待機していた攻撃隊を即時発艦させよ、であった。
「流石は歴戦の指揮官。戦い方を心得ている。」
マッケーンは、サマービルの素早い判断に満足していた。
「よし!攻撃隊を上げるぞ!」
彼は、いささか気分を高揚させながら、張りのある声音でそう言い放った。
すると、またもや通信が入った。
通信士が、それまでとは打って変わった口調で、入ってきた通信の内容を知らせた。
それを聞いたマッケーンは、高揚していた気分が一気に冷めた。
4月13日 午前8時20分 マオンド軍第1機動艦隊
「敵偵察機に発見された模様です!」
魔道士の報告が、じっと前を見つめていた彼の耳に入ってきた。
「・・・・そうか。」
どこか、満足したような響きを含む声が、彼の口から漏れた。
彼。第1機動艦隊司令官であるホウル・トルーフラ中将は、口元に笑みすら浮かべていた。
いや、彼だけではない。
艦橋内にいる誰もが、目を輝かせていた。
敵に発見された、と言う報告を受け取ったのにもかかわらず、彼らに悲壮感は無かった。
むしろ、喜んでいた。
「これで、後は敵発見の報を待つのみです。」
「うむ。もう少しの辛抱だ。」
トルーフラ中将は、笑みを抑えてから、皆に聞こえるようにして言い放った。
そして、5分後。
「司令官!策敵ワイバーンより、敵発見の報告が届きました!」
艦橋に飛び込んできた魔道士が、喜色をあらわにしてトルーフラ中将に報告する。
「敵は、空母4ないし5隻、戦艦らしきもの2隻を含む。その他に、駆逐艦など多数を含む!距離は艦隊より北西160ゼルド(480キロ)!」
「ついに獲物を見つけたか!」
トルーフラ中将は、顔に獰猛な笑みを浮かべた。
「司令官、すぐに攻撃隊を出しましょう!」
「ああ、言われずとも分かっている。命令!待機中の攻撃隊は、直ちに発進し、目標のアメリカ艦隊攻撃に向かえ!」
トルーフラ中将の命令は、直ちに全部隊に伝わった。
飛行甲板には、既に攻撃用のワイバーン隊が上げられている。後は、発艦するのみである。
艦首を風上に向けた後、攻撃隊は次々と発艦していった。
第1次攻撃隊の内訳は、竜母ヴェルンシア、ミリニシア、イリョンスからそれぞれ戦闘ワイバーン16騎、攻撃ワイバーン18騎ずつ、
小型竜母のイルカンル級3隻からは、戦闘ワイバーン8騎、攻撃ワイバーン12騎ずつが発艦する。
計162騎のワイバーンが、アメリカ軍艦隊に殺到する予定である。
結果がどう出るかは、定かではないが、今のところ、物事はマオンド側の思い通りに進んでいた。