第183話 炉辺談話
1484年(1944年)10月8日 午前7時 バージニア州ノーフォーク
巡洋戦艦のアラスカが、機関不調の修理のためにノーフォークへ到達したのは、10月8日の午前7時を回ってからであった。
この日、ノーフォークの上空には、見事な秋晴れが広がっていた。
「ふむ。2日前と比べて、大分気持の良い天気だなあ。」
アラスカの艦長を務めている、リューエンリ・アイツベルン大佐は、艦橋の張り出し通路から空を見るなり、副長のロバート・ケイン中佐に話しかけた。
「そうですなぁ。南海岸沖を航行している時は、大雨の上に波が荒れていましたからなぁ。」
「33000トン近くもある艦体がゆらゆらと揺れていたからね。艦橋は特に揺れが酷かったぞ。」
リューエンリは苦笑しながら、ケイン副長に話しつつ、頭の中で昨日の事を思い出す。
アラスカは、ヘイルストーン作戦が終了してから1週間後の9月26日に、突然機関の故障を起こした。
その日から、アラスカは25ノット以上の速度が出せなくなった。
報告を受けた艦隊司令部は、リューエンリに対して、至急、本国へ帰還し、修理を行うようにという指示を下した。
アラスカ級巡洋戦艦の最大の特徴は、他の新鋭戦艦と違って32・5ノットという旧世代の駆逐艦並みの高速力を発揮出来る事であり、
先のレビリンイクル沖海戦でも、アラスカ級巡戦を含んでいたTG37.2は、他の空母群と違って30ノット以上の高速で海上を
驀進しつつ、敵航空部隊に応戦していた。
しかし、そのアラスカが機関故障で、スピードが思うように出せないとあっては、高速機動部隊の所属艦としては失格であり、
リューエンリは不承不承ながらも、司令部の指示に従った。
アラスカは9月28日の早朝に、ファスコド島の泊地を出港し、途中マルヒナス運河を経由して太平洋に入り、そこから16ノットという
ゆっくりとした速度で一路、ノーフォークに向かった。
本来ならば、西海岸の海軍工廠……ピュージェットサウンドやサンディエゴ等の、大きな海軍工廠に入るのだが、これらの工廠では、
先のエルネイル上陸作戦で使用した輸送船や、損傷艦の修理、整備で埋まっており、仕方なく、ノーフォークに向かう事となった。
その道中である南海岸沖を航行中に、アラスカは嵐に巻き込まれた。
幸いにして、大型艦であるアラスカはこの嵐を何とか抜け切る事が出来たが、大自然の脅威は、32900トンの新鋭艦を頼り無く感じさせるほど、
散々に苛め抜いた。
そのせいで、新兵はおろか、艦にすっかり馴染んでいる者まで船酔いに悩まされる事となり、乗員の大半は、天候の予測を誤った気象班を
口汚く罵った。
「ともあれ、アラスカはこうして、帰る事が出来たわけだ。」
リューエンリは、しみじみとした表情を浮かべつつ、眼前に広がる祖国の土を見つめる。
ノーフォーク港には、何隻もの艦船が停泊している。
軍港の右端には、竣工したばかりの正規空母アンティータムが停泊している。
エセックス級の13番艦として竣工したアンティータムは、2日前に完成し、近々、搭載する航空団と共に本格的な訓練を始めるようだ。
その後ろには、同じエセックス級空母が艤装を受けている。
この空母は、まだ艦橋が取り付けられていないが、それでも5インチ連装砲が前後に1基ずつ取り付けられており、工期は7割型終えているようだ。
リューエンリはゆっくりと息を吸いながら、港の左端に視線を移す。
そこには、1隻の戦艦と、2隻の護衛空母が、同じように艤装を受けている。
戦艦は既に完成間近であり、形からしてアイオワ級戦艦だ。
「副長、あそこのアイオワ級は間もなく完成するようだな。」
「ええ。艦番号も振られていますね。あの艦は恐らく、モンタナですね。」
「モンタナか。」
リューエンリは、7隻のアイオワ級戦艦に付けられている艦名を思い出す。
1番艦から4番艦以降の艦名は、モンタナ、イリノイ、ケンタッキーとなっている。
5番艦であるモンタナは、予定では11月中に竣工し、翌年の2月か、遅くても4月中には戦力化されると言われている。
また、4月には、エセックス級よりも大型の空母であるリプライザル級航空母艦の1番艦リプライザルが戦力化される予定であり、
米海軍の戦力は依然として、拡大しつつあった。
「来年の春までに、エセックス級空母2隻とアイオワ級戦艦1隻が新たに加わるのか。先の海戦で空母5隻、戦艦1隻を含む多数の艦を
失った合衆国海軍だが……」
リューエンリは、今やレビリンイクル沖の悲劇と呼ばれた、あの海戦の事を思い出しながら呟く。
「もう、その損害を埋められるほどまでに来ているとはな。これなら、この戦争もまだ続けられる、筈なのだが……」
「艦長。国内の世論は、自分達の考えとは全く逆の流れになっていますよ。」
副長は、沈んだ声音でリューエンリに言う。
「…確か、講和に賛成する国民が6割居る。と、一昨日のラジオで言ってたな。」
「はい。あの時点では6割ですが、今では7割ぐらいに膨れ上がっているんじゃないですかね。」
「かも知れんな。」
リューエンリは頷く。
アメリカの世論が、講和に傾いている事は彼らも知っていた。
アラスカの通信アンテナは、連日ラジオ放送を受信し、休憩時間の際に艦内に流しているが、ラジオのニュース番組は、盛んに
講和関連の報道を繰り返していた。
この報道は、アラスカの乗員達にも多少の影響を与えていた。
昨日、リューエンリは休憩中に、航海士のジョン・ケネディ中尉と20分ほど話し合ったが、その話題も、アメリカは講和するか否かであった。
「そう言えば、今日はルーズベルト大統領のラジオが放送される日ですね。」
「ああ、炉辺談話だな。」
「もしかしたら、大統領は今日のラジオ放送で、何か重大な知らせをするかもしれませんよ。」
ケイン副長の言葉に、リューエンリは頷く。
「だろうな。今回の講和の事で一番悩んでいるのは、恐らく大統領だろう。君の言う通り、今日の放送で国民に自分の考えを
打ち明ける可能性はかなり高い。」
リューエンリはずっと前を見据えたまま、低い声で言い放った。
「恐らく、今日はある意味で、記念すべき日になるかもな。アメリカという国は勿論の事、この世界が歩む道が決まった日。
として。」
「歩む道……ですか。」
ケイン副長は、言葉の重みを噛みしめながら、震えた声でリューエンリに返す。
「ただの一海軍大佐が放った、根拠の薄い妄言だがね。」
彼はそう言ってから、クスリと笑う。
「艦長!前方よりタグボートが向かって来ます!」
唐突に、見張りの報告が耳に入る。
リューエンリはそのまま顔を上げて、艦首方向から来る4隻のタグボートを視認した。
「助手のご登場だ。いつも通りにやれ。」
彼は単調な口調で命じる。
やがて、タグボートは2隻ずつに別れ、それぞれが艦首と艦尾に取り付いた。
アラスカは、4隻のタグボートの助けを借りながら、指定された桟橋の側に停船する事が出来た。
リューエンリは、アラスカの艦体が完全に停止したのを確認してから、最後の命令を発する。
「両舷停止!錨を下ろせ!」
「両舷停止!投錨用意!アイアイサー!」
快活の良い声で兵が復唱し、艦は命令通りにスクリューが止まる。
艦首方向で重々しい音が鳴り、直後に何かが落ちる音が響く。錨がちゃんと海面に落下した証しである。
「艦長。ようやく帰ってきましたね。」
「1年ぶりの祖国だ。休暇をもらえたら、家に帰ってゆっくり出来るな。」
リューエンリは、自然に頬が緩むのを感じる。
「とはいえ、まだ仕事は残っている。アラスカはこの後、艦体をドックに入れなきゃならん。それまでは、まだ気は抜けないな。」
彼は再び気を引き締めてから、最後の仕事に取り掛かり始めた。
10月8日 午後7時55分 ワシントンDC
ルーズベルトは、いつものように、自らの執務机に置かれていく各ラジオ放送局のマイクを、原稿を見ながら確認する。。
NBC放送を始めとする各ラジオ局は、毎週日曜日に、ルーズベルト自身が発するラジオ放送を全国に向けて流している。
この炉辺談話と呼ばれるラジオ放送が開始されたのは、ルーズベルトが大統領に就任した1933年3月12日からであり、以降、
11年以上に渡って続けられている。
(それにしても)
ルーズベルトは顔を上げ、何気ない動作で執務室を見回した。
室内には、機材を設置しているスタッフがせわしなく働いている。その働きぶりは手慣れており、毎回、彼はスタッフの腕の良さに感心している。
しかし、彼は、スタッフ達も内心では動揺しているだろうと思っている。
(過去11年間で、私はこれほど緊張した事は無い。今日行う放送は、恐らく、皆が驚く内容だろう……ラジオ局のスタッフ達も、
ああして働いてはいるが、心の中では、私が講和するか否かの言葉を1秒でも早く聞きたいと思っているのだろう)
ルーズベルトは心中で呟きながら、再び原稿に目を通す。
放送開始4時間前から自ら書き始め、20分前に完成させたこの原稿の内容は、協力を願い出た2人の娘。
フェイレとメリマから得た情報も混じっている。
(私は、シホールアンルの実体をあえて隠して来た。もし、あの2人の情報が世に知られたら、確かに反響はあるだろう。
だが、我がアメリカ国民は、時折、過敏に反応する場合がある。勿論、私はその過剰反応を抑えるために、言葉を選んで話すが……
いずれにしろ、この後はアメリカ国民の理性と、運に掛けるしかあるまい)
彼が思案に耽っている中、放送責任者から唐突に声を掛けられた。
「大統領閣下。放送準備が整いました。」
「…ふむ。ご苦労。」
ルーズベルトは鷹揚に頷いてから、時計を確かめる。時刻は午後7時58分を回った所だ。
放送まで、あと2分足らず。
不意に、彼の胸中に不安がよぎる。
もし、この放送が終わっても、国民の反応が薄かったら?
あるいは、国民の反応が過剰になり過ぎ、他の同盟国にも迷惑が及ぶような状況になったら?
土壇場になって、様々な雑念が浮かんで来る。
合衆国大統領たるルーズベルトとは言え、所詮はただの人間である。
急な不安に駆られるのは、当然の事であった。
しかし、そんな不安感も、時刻が8時を回った瞬間、スイッチが入れられたかのようにあっさりと消え去った。
放送責任者の合図を見るや、ルーズベルトは頷き、マイクに向かって口を開いた。
「親愛なるアメリカ国民の皆さん。こんばんは。私は合衆国大統領ルーズベルトです。今日も、炉辺談話の時間がやってまいりました。」
ルーズベルトは、いつもよりも、幾らか軽やかな口調で喋る。
「最近、我が国は、シホールアンル帝国並びに、マオンド共和国より提案された講和案の関連で大きく揺れている事は、国民の皆様も
ご存知でしょう。先日の世論調査では、約6割の国民が、講和に賛成するという結果が出ました。確かに、あの講和案は、シホールアンル、
マオンドの実情を表している物であると思っております。以前、私は戦争の落とし所とはどういう時であるかと、皆さんにお話ししました。
その事から考えるに、シホールアンル、マオンド両国は、今こそが落とし所であると考え、あのような講和案を、アメリカを含む連合国に
送って来たのだろうと思います。」
ルーズベルトは、原稿を読み上げながら、スタッフ達の視線を感じていた。
彼らの中には、知り合い、または家族が戦場に行っている者も居る。
そんな彼らは、ルーズベルトの発する一語一句を聞き逃すまいと、真剣な表情で聞いている。
(君達がどんな考えを抱いているのかは、私は知らん。しかし、今から伝える言葉は、彼らにとって衝撃的な代物になるだろう。)
彼は心中で呟きつつ、原稿の続きを読み上げる。
「我がアメリカを始めとする連合国は、シホールアンル、マオンドの両国が支配していた被占領国のうち、既にいくつかを解放しております。
自分達の血を流して得た両国の指導者にとって、この事は許容しがたい物でしょう。しかし、両国はこれ以上戦争を続ければ、被占領国を
失うだけでは済まなくなると判断し、今回の提案を申し込んで来た。それと同時に、我がアメリカが受けた傷も、決して小さな物では
ありませんでした。今回の戦争で、家族や、お知り合いを亡くされた国民は多い。戦争が続けば、当然、犠牲者は増えます。ですが、
そこに舞い込んで来た講和の申し入れという朗報に、国民の多くは、最初は戸惑い、今では安堵に変わっているでしょう。その方達も、
シホールアンル、マオンドの支配権が大幅に減少し、我がアメリカは、少なくない犠牲を払いつつも、敵を存分にこらしめてやったと思われ、
そして、今こそが、戦争終結の時であると考えているのでしょう。いや、実際、そう考えてもおかしくはありません。実情を見れば、
確かに、シホールアンルとマオンドは、我々連合国相手に今も苦戦を強いられている。領土も大幅に減ったという事もあり、私自身、
両国を充分にこらしめた。と、判断しても良いと思っております。」
言葉が途切れた時、執務室の雰囲気が変わるのを、彼は肌で感じ取っていた。
今は生放送中であるため、執務室のスタッフ達は誰もが口を閉ざしている。
しかし、その表情は様々である。
先のルーズベルトの発言は、講和に賛成していると思われても当然である。
スタッフ達は、大統領の講和容認とも聞ける言葉に、ある者はようやく戦争が終わるのかと、安堵の表情を表す。
ある者は、少し納得がいかぬといった様子で顔を強張らせる。
また、ある者はやや放心したかのような表情を浮かべる。
(……諸君、まだ話は終わっていないぞ)
ルーズベルトは、心中でスタッフ達に語り掛けながら、続きを読んでいく。
「ですが、それは少し前までの話です。今の私は、正直に申し上げて、戦争を止める事には反対であります。今、私が申し上げた言葉に、
納得が行かぬと思われる方も多い事でしょう。しかし、私は決意しました。」
彼は、一呼吸置いてから、言葉を発した。
「私がそう決意する事になった主な原因は、この戦争で起こった、信じられぬ国家解体劇と、ある者達の悲惨な体験談を
聞いた事にあります。これからお話しする事は、我がアメリカが道を誤れば、確実に起こり得るであろう、恐るべき出来事です。」
ルーズベルトは、スタッフ達の反応が再び変わるのが分かった。
彼は、調子が悪くない事を感じながら、本題に入った。
「皆さんは、シホールアンル帝国と連合国が戦っている北大陸の戦況はご存知でしょう。それでは、ヒーレリ公国という国は、
どこにあるか知っていますか?ヒーレリ公国は、一昔前までは、あの北大陸で第2位の国力を持つ強国であり、軍事力はシホールアンルと
比べても遜色の無い物でした。このヒーレリは、過去に何度もシホールアンル帝国と戦争を繰り返しており、今から50年以上前にも、
ヒーレリはシホールアンルと戦争を始めました。戦争は、双方に少なからぬ打撃を与えましたが、ヒーレリ側が幾らか不利な形で戦いは
終わりました。そして、戦争終結から2年後。当時のヒーレリ公国首脳は、緊張状態が続くシホールアンルとの関係を改善するために、
親愛政策という物を実行に移しました。この親愛政策は、戦争で極度で悪化した両国の関係を進展させる目的で行われましたが、政策の
中にはシホールアンル側との技術交流は勿論の事、移民も認める等、それまでヒーレリが掲げて来た、シホールアンルの対強硬策と比べて
考え方をかなり変えていました。当時の国王は、戦争終結から1年後に即位したばかりの新王であり、かねてからシホールアンル側の緊張が
続く事を憂慮していました。新王は根強い反対を、時には実力でもって抑えつけ、遂にはその親愛政策を実行するまでになりました。
この政策が実行に移されるや、両国の関係は徐々に改善され、戦争終結から30年後には国交が正式に回復し、両国は蜜月の時代を
過ごす事になりました。親愛政策は以降、ヒーレリ公国にとって欠かせぬ存在になりました。そして1462年に、親愛政策を結んだ国王が
死去し、変わって即位した息子が国王になった時、彼は愕然としました。
ヒーレリ国内には当時、8000万人の国民がおりましたが、その他にも、800万人の移民や、2世がおり、シホールアンル側からやって
来た移民は500万人と、全体の半数以上を占めていました。それに加え、一部の地方都市では、移民の2世が役人となり、現地の行政に
かかわっていましたが、シホールアンルが北大陸統一戦争に踏み切る4年ほど前から、それらの地区は、中枢部の指示に従いにくくなりました。
その新王は、父が行った親愛政策が、いつの間にか、シホールアンルや、その息の掛った諸外国の移民達が国内で好き勝手出来る状況を作り
出してしまった事で、それまで反対派の生き残りが、父の政策を売国政策と切り捨てていた事を初めて理解しました。シホールアンル帝国は、
ヒーレリとの紛争開始前から領土的野心を抱き始め、紛争終結後には、長い時間を掛けてヒーレリを切り崩していく作戦が立案され、
それはヒーレリが親愛政策を始めてから実行に移されました。ヒーレリに移住したシホールアンル人は、善良な移民も多数居ましたが、
その中には密命を帯びた工作員もかなり混じっておりました。
やがて、時が経つにつれて、シホールアンル移民達はヒーレリの大地に馴染み、同時に、工作員達の活動もより活発になりました。
戦争終結から35年後には、移民にも行政参加が出来る政策が履行され、多くの移民が現地の役人に採用されました。
こうして、シホールアンル帝国は、強かな国であったヒーレリを内側から崩し始めたのです。新王は、この状況を打開する為に、様々な策を練り、
それを実行しましたが、いずれも捗々しい成果はあがらず、逆にシホールアンル側の抗議に怯える日々が続きました。
そして、運命の1476年。シホールアンルはヒーレリに交渉を持ちかけ、ヒーレリは不承不承ながらも、これに応じました。
同年9月には、突如として有力な地方領が中央からの命令を全く受け付けなくなり、状況は悪化。9月28日には、中央の閣僚までもが、
いきなり行方をくらませるという事態になりました。そこに、シホールアンル側の更なる交渉の申し入れがあり、ヒーレリ側の国王はそこで、
シホールアンルの魔の手が既に、国の奥深くにまで浸透している事を知りました。
国内は相次ぐ騒動で混乱し、シホールアンル軍は大軍での侵攻を準備している。騒乱状態のまま、外地軍の侵攻を受ければ、ヒーレリは瞬く間に
蹂躙され、移民を除く国民達は、レスタン王国と同様に虐殺される事は目に見えていました。国王は苦渋の決断の末に、シホールアンル帝国の
軍門に下る事を決めました。こうして、強国ヒーレリは、一時の判断ミスによって、国家解体という取り返しのつかない事態を招いてしまったのです。」
ルーズベルトは一旦言葉を止め、軽く深呼吸する。
「シホールアンルは、このような方法は勿論の事、様々な工作や、軍事侵攻という手段を用いて領土を拡大し、遂には北大陸を統一、
南大陸侵攻、そして、我が合衆国にも襲い掛かりました。レーフェイル大陸に居るマオンド共和国も同様です。マオンドの場合は、
軍事侵攻をした後に、地域の反対派住民を徹底的に粛清したり、強制収容所に入れるか、あるいは、奴隷として売る等、恐ろしいまでの
人権侵害を繰り返しています。
この世界には、我々のようにハーグ条約やジュネーブ条約といった、戦時中の決まり事は全くと言って良いほどありませんが、
それでも、被占領国の人間をあからさまに虐待したり、殺害するという行為は断じて許してはならない。
シホールアンルとマオンドは、この戦争で、幾多の罪を犯してきました。私は、その戦争で悲惨な体験をした被害者達と対談する事が
出来ました。私は、北大陸と、レーフェイルからやって来た2人の被害者から話を聞きましたが、正直申し上げまして、人は目的のためならば、
これほどまでに酷くなれるのかと思いました。これからお話しする事は、とてもショッキングな内容ですので、もし、聞きたくないと
思われる方が居るのならば、ラジオのチャンネルを変えてもらっても構いません。尚、この話は、全て、明日の新聞に載ります。
後で内容を知りたいと思われた方がおられるのならば、そちらで確認して下さい。」
彼は言葉を切り、側に置いてあった水を飲んで、喉の渇きをいやした。
(ヒーレリの話でも、かなり衝撃的な内容だが、本番はここからだぞ)
彼は、内心そう呟いた。
「私は、2人の名前を敢えて公表しません。2人の被害者は、精神的にもかなり消耗しており、ここでマスコミの取材等を受ければ、
被害者達の精神は更に消耗し、最悪の場合は人格が破綻する恐れがあります。国民の皆様の中には、それでも名前を教えてくれと
思われる方もいるかもしれませんが、そこの所は、どうか、ご理解願います。これから話す事は、全て、実際に起きた出来事です。
まず、私は北大陸からやって来た被害者から話を聞きました。この被害者は、元々はデイレア国の生まれであり、幼少期はその国で
過ごしました。しかし、年齢が6歳を迎えたある日、彼女はシホールアンルからやって来た軍人たちに連れて行かれ、そのまま
シホールアンル国内の施設に連れて行かれました。両親は、彼女が連れて行かれた後に殺害されたと言われています。彼女が連行された
その施設には、彼女と同様に、6歳から7歳頃の子供達が100人集められ、それから4年間、訓練を受けました。施設に連行されてから
4年後、元々100人はいた同期の者達は、僅か8人しかいませんでした。何故、8人しかいなかったか?
実は、彼女が連れて行かれた施設は、秘密の軍事訓練施設であり、ここでは集めた子供達に殺人術を教え込んでいたのです。
残りの92人は、全てが訓練中に死んでいます。死に方は様々で、ある者は同期の訓練生の餌食となり、ある者は教官に役立たずとして殺された。
訓練のやり方も、我々から考えたら想像もできない方法ばかりであり、ある時には、どこからか拉致して来た子供達を相手に、
仕込んだ殺人術の実戦練習を行わせ、より多くを殺した者が評価されたと言っておりました。その訓練の最中に、相手に同情した場合は、
その訓練生も、教官によって処理……分かりやすく言えば、殺害されたと証言しています。シホールアンル帝国は、このように、幼少期から
本格的な殺人術を仕込んでいく事によって、特殊任務に携わる各種特殊部隊の増強に努めているのです。しかし、私が対談した被害者の場合は、
それだけに留まらず、更に魔法関連の施設で様々な人体実験を受けたと言っていました。この世界では、魔法の起動を迅速にするために、
体に直接、薬を投与して魔術刻印なるものを作り上げると言われていますが、この方法は、体に多大な負担を与えるばかりか、最悪の場合は
死に至る場合もあるため、一昔前に非効率的であるとして廃れ、今では一部の魔道士にしか、この方法は使われていないと言われています。
しかし、シホールアンル帝国は、この魔術刻印を人体に形成させる事によって、人間を強力な破壊爆弾に変えようと画策し、
幾多もの人間に過酷な人体実験を施してきているのです。私と対談した被害者は、その実験で最適な人材と認められたために、通常よりも
過酷な実験を繰り返し受け、その結果、体中に魔術刻印を埋め込まれてしまったと話していました。彼女に埋め込まれた魔術刻印は、
後に写真に取られ、明日の新聞にその写真が掲載されます。彼女は、今年の1月に、我が軍の救出部隊によって救助され、今では心身共に、
順調に回復しています。
話は変わって、今度はレーフェイルからやって来た被害者の体験談を話します。この被害者は、この世界ではハーピィとよばれる、人間種とは
別の亜人種と呼ばれる種族の方で、外見の特徴は両腕に翼が付いている事です。彼女もまた、マオンド側に家族ごと拉致され、マオンド国内の
収容所に収監されました。マオンドもまた、シホールアンルと同様に様々な実験を行い、彼女達ハーピィ族は、空中戦に特化した生物兵器を
作るために、マオンド側によって幾多もの実験を強制されて来ました。マオンドは、ハーピィ族以外の他の種族も、集落から強引に連れ出しては
収容所に送り込み、生物兵器開発のために惨い事を行って来ました。この被害者は、ある日、別の種族が収監されている檻に、マオンド兵達が
兵器化に失敗し、凶暴化した生物兵器を放り込み、虐殺される様子を楽しんで見ていたと、涙ながらに語りました。
また、ある時は、どこからか連れて来た数十人の人間を、戦力化したばかりの生物兵器に襲わせて殺させた事もあったと言っていました。
収監者達は、時折、看守達からも性的暴行を繰り返し受け、しまいには収監者達には自殺者が相次ぐ事態にまで至ったようです。被害者は、
昨年の12月に収容所から脱走し、海に逃亡しました。
彼女は、陸地から遠く離れた沖合で力尽きましたが、偶然にも、付近を通りかかった我が海軍の潜水艦が彼女を救助しました。
私は、この2人から話を聞いた事で、やり方を一歩間違えれば、この世界が地獄同然の世界に変わるのではないかと危惧しました。」
ルーズベルトは脳裏に、フェイレ、メリマと対談した時の様子を思い浮かべる。
2人とも、実に素直であり、男が見れば、誰もが一度は守ってみたい。そういう感情を沸き起こさせるような、魅力的な存在であった。
シホールアンルとマオンド。この2国が道を誤らなかったら、2人は、あんな悲惨な体験を送る事も無かったであろう。
上手く行けば、将来有望な人材として活躍していただろう。
しかし、シホールアンルとマオンドは、理不尽な理由で、罪も無い多くの人命を弄び、奪って来た。
決して、許す事はできない。
ルーズベルトは、心中でその言葉を呟く。
「彼女達は、シホールアンルとマオンドによって、人生を滅茶苦茶に狂わされてしまったのです。
親愛なる国民皆さん。確かに、今の状況は、長い戦争を終わらすためには絶好の機会でしょう。では、講和を結んだ後は、
どうなるのでしょうか?
友好国と思えた筈のシホールアンルは、過去に、同じ友好国であったヒーレリをじわじわと侵食し、しまいには解体した。
皆さんはご存知無いでしょうが、ヒーレリの国王は、公式では幽閉先で、事故で死亡した事になっていますが、真実は違います。
ヒーレリ王家は、秘密裏に処刑され、死体は見つからぬように粉砕され、海に投げ捨てられたと、捕虜からそう伝えられています。
皆さんの中には、我が国にはスパイ防止法も備わっているから、シホールアンルの工作員は入国できぬとお思いの方も居るでしょう。
確かに、現状ではシホールアンルのスパイは活動できないでしょう。彼らは、スパイ防止法という未知の物は知りません。
ですが、忘れてはいけません。
シホールアンルは、相手から常に学び、そして進化していきます。彼らは、今は出来なくとも、後になって実行可能になるよう、
あらゆる手段を講じてその時に備えます。万全に思えるスパイ防止法といえど、人間が作った物には変わりありません。彼らは必ず、
その穴を見つけ、我が国の内部に浸透してくるでしょう。それは、マオンドとて同じです。彼らは非常に執念深い。今は相手を倒せないから、
その相手と和解しても、彼らの頭の中にある倒す目標は、ずっとその相手のままなのです。恐らく、マオンド側も、戦備が整えば、我が合衆国を
倒そうとするでしょう。国民の皆さん。貴方達は、自分達の子孫が、気分本位に殺されたり、恐ろしい訓練に付き合わされたりする可能性は無いと、
私の話を聞いた上でも思っていますか?自分達の故郷に、おぞましい姿をした生物兵器が蹂躙したり、唐突に潰滅させられたりする事はないと
本気で思っていますか?」
ルーズベルトは、マイクの向こうの国民に問い掛ける。
「また、彼らは、この世界の特徴でもある魔法を使って、あの被害者達を含む、多数の人々を苦しめ、死なせて来た。マオンドとシホールアンルは、
魔法を悪用した責任も取らなければならない。国民の中には、先の話を聞いて、魔法自体が悪だと思う方もおられるかもしれませんが、私は、
決してそうは思いません。我々が車を操り、又は機械を操るのと同じように、魔法もまた、人に操られて使われています。責任は、魔法自体には無く、
魔法を使って、悪事を働いた両国にあります。我々は、この事に関しても、両国に強く、責任を追及する必要があると考えています。」
ルーズベルトは、厳しい口調でそう断言した。
彼自身、魔法は使い方によって毒にもなり、薬にもなると確信している。
魔法も、他の物と同様に、良い使い方をすれば印象は良くなるが、悪い使い方をすれば、悪印象しか残らない。
ほんの些細な事であるが、世の中は、この些細な事だけでも、時として問題になる事が多々ある。
特に、民間企業は(民間だけに限った事ではないが)このような事に敏感であり、少し悪い噂が立っても、会社はそれを払拭しようと、
全力で対策を行う。
ルーズベルトは、当初、国民がフェイレとメリマの体験談を知るに当たって、魔法世界に悪印象を持つのではないかと危惧した。
彼は、それを払拭させるため、あえて分かりやすい方法で魔法自体は悪くないと伝えたのである。
「さて。平身低頭しながら講和を申し入れて来たシホールアンル、マオンドに対して、大統領はいいがかりを付けて撥ね退け、戦争を継続しようと
思う人も居るでしょう。傍目から見れば、事実、そうなります。しかし、貴方達は不審に思いませんか?何故、かの国が、強硬策を取り下げ、
急に態度を軟化させて来たか。そして、何故?我々が提案して来た、“現政権の即時解散”を撥ね退け、勝手に自分達が提案して来た方法を
通そうとして来ているか。彼らは確かに、政権の交代を約束しましたが、我々連合国は、政権を即時交代、あるいは打倒させることが条件にと明記した
上で、ヴィルフレイングでの共同宣言を発表しました。ですが、その重要な案件を無視したシホールアンル、マオンドの講和案は、明らかにおかしい。
国民の皆さん、かの国は、このようにして、我が国に自分勝手な案を突き付け、共に仲良くしようと言ってきていますが、はっきり申し上げまして、
私はシホールアンル、マオンドを信用する事は出来ません!」
ルーズベルトは、語尾を上げて強調した。
「私は、このアメリカ合衆国の大統領として、国の代表を務めております。私は、国民の言葉を無視する事は出来ません。であるからにして、
今ここで、私が反対を唱えていても、アメリカはシホールアンルやマオンドのような独裁政権ではないため、国民が反対と言えば、その意向に
沿って国を動かさなければなりません。言うまでもありませんが、アメリカの主役は、あなた方国民です。私は、近々行われる世論調査で、
国民の皆様の意見を聞き次第、最終的な決断を下します。共和党のデューイ議員も先日言われておりましたが、国民のための政治を行うのが、
我々アメリカ合衆国です。最終的な判断は、日を改めて行います。」
ルーズベルトはそこまで言ってから、再び水を口に含む。
「最後になりますが、私はもう1度だけ申します。シホールアンルとマオンドは、確かに講和を申し入れて来ましたが、この2国は、
過去に様々な方法を用いて領土を拡大した事。そして、その領土拡張策の影響で、幾多もの罪の無い人々が犠牲になった事。我々に手を
差し伸べようとしている国は、心のうちでは何を考えているか分かりませんが、少なくとも、遠い未来に向けて、何か策を練っている事は、
ほぼ確実です。私見ではありますが、彼らの卑しい企みを粉砕するには、強大な軍事力で持ってかの国の中枢部を捻じ伏せ、そして、
“我々連合国主導”の下に戦後処理を行い、過去を清算するのが、最も望ましい方法である。というのが、私の考えであります。
もうこれ以上は申し上げません。結果がどうなろうとも、私は、アメリカ国民が常に最善な方策を考え、それを実行に移すであろうと
心の底から信じております。」
ルーズベルトは再び深呼吸してから、最後の言葉を放った。
「それでは皆さん。また、来週にお会いしましょう。我がアメリカ合衆国、連合国、そして、過酷な時代を生き延びた、勇敢なる協力者達に
幸あらん事を。」
その日の翌日。全米の各新聞社は、前日の炉辺談話の内容を大々的に報道した。
各新聞社のトップ記事には、いずれもシホールアンル、マオンド関連の報道で埋め尽くされており、体のあちこちに黒い紋章の
ような物が付いている被害者の写真も大きく掲載されていた。
各新聞社の見出しは、それぞれが異なってはいたが、浮き彫りになった衝撃の真実を伝えようと、各社とも目立つフォントを使って
大きく現していた。
ニューヨークタイムズは、
「驚愕の真実!合衆国を挟む2大覇権国家の全貌!」
といった言葉を並び立て、その下には、炉辺談話で話された内容を記していた。
アメリカ国民は、炉辺談話と、その翌日の新聞報道でそれまでの考えを一変させた。
戦争反対を唱えていたとある者は、まず、炉辺談話を聞いて押し黙り、その翌日の新聞を読んだ後に、自らの考えが誤っていた事を自覚した。
新聞社の中でも、大手の新聞社…ニューヨークタイムズや、ワシントンポスト等のマスコミは、新聞報道と同時に世論調査も行った。
世論調査は10月9日から11日の計3日間に渡って行われる事になり、結果発表は、12日の朝刊にて行うと決められた。
アメリカ国民の総意は、どうなるのか?
大方の予想はついていたが、この時は、誰もが知る由も無かった。
1484年(1944年)10月8日 午前7時 バージニア州ノーフォーク
巡洋戦艦のアラスカが、機関不調の修理のためにノーフォークへ到達したのは、10月8日の午前7時を回ってからであった。
この日、ノーフォークの上空には、見事な秋晴れが広がっていた。
「ふむ。2日前と比べて、大分気持の良い天気だなあ。」
アラスカの艦長を務めている、リューエンリ・アイツベルン大佐は、艦橋の張り出し通路から空を見るなり、副長のロバート・ケイン中佐に話しかけた。
「そうですなぁ。南海岸沖を航行している時は、大雨の上に波が荒れていましたからなぁ。」
「33000トン近くもある艦体がゆらゆらと揺れていたからね。艦橋は特に揺れが酷かったぞ。」
リューエンリは苦笑しながら、ケイン副長に話しつつ、頭の中で昨日の事を思い出す。
アラスカは、ヘイルストーン作戦が終了してから1週間後の9月26日に、突然機関の故障を起こした。
その日から、アラスカは25ノット以上の速度が出せなくなった。
報告を受けた艦隊司令部は、リューエンリに対して、至急、本国へ帰還し、修理を行うようにという指示を下した。
アラスカ級巡洋戦艦の最大の特徴は、他の新鋭戦艦と違って32・5ノットという旧世代の駆逐艦並みの高速力を発揮出来る事であり、
先のレビリンイクル沖海戦でも、アラスカ級巡戦を含んでいたTG37.2は、他の空母群と違って30ノット以上の高速で海上を
驀進しつつ、敵航空部隊に応戦していた。
しかし、そのアラスカが機関故障で、スピードが思うように出せないとあっては、高速機動部隊の所属艦としては失格であり、
リューエンリは不承不承ながらも、司令部の指示に従った。
アラスカは9月28日の早朝に、ファスコド島の泊地を出港し、途中マルヒナス運河を経由して太平洋に入り、そこから16ノットという
ゆっくりとした速度で一路、ノーフォークに向かった。
本来ならば、西海岸の海軍工廠……ピュージェットサウンドやサンディエゴ等の、大きな海軍工廠に入るのだが、これらの工廠では、
先のエルネイル上陸作戦で使用した輸送船や、損傷艦の修理、整備で埋まっており、仕方なく、ノーフォークに向かう事となった。
その道中である南海岸沖を航行中に、アラスカは嵐に巻き込まれた。
幸いにして、大型艦であるアラスカはこの嵐を何とか抜け切る事が出来たが、大自然の脅威は、32900トンの新鋭艦を頼り無く感じさせるほど、
散々に苛め抜いた。
そのせいで、新兵はおろか、艦にすっかり馴染んでいる者まで船酔いに悩まされる事となり、乗員の大半は、天候の予測を誤った気象班を
口汚く罵った。
「ともあれ、アラスカはこうして、帰る事が出来たわけだ。」
リューエンリは、しみじみとした表情を浮かべつつ、眼前に広がる祖国の土を見つめる。
ノーフォーク港には、何隻もの艦船が停泊している。
軍港の右端には、竣工したばかりの正規空母アンティータムが停泊している。
エセックス級の13番艦として竣工したアンティータムは、2日前に完成し、近々、搭載する航空団と共に本格的な訓練を始めるようだ。
その後ろには、同じエセックス級空母が艤装を受けている。
この空母は、まだ艦橋が取り付けられていないが、それでも5インチ連装砲が前後に1基ずつ取り付けられており、工期は7割型終えているようだ。
リューエンリはゆっくりと息を吸いながら、港の左端に視線を移す。
そこには、1隻の戦艦と、2隻の護衛空母が、同じように艤装を受けている。
戦艦は既に完成間近であり、形からしてアイオワ級戦艦だ。
「副長、あそこのアイオワ級は間もなく完成するようだな。」
「ええ。艦番号も振られていますね。あの艦は恐らく、モンタナですね。」
「モンタナか。」
リューエンリは、7隻のアイオワ級戦艦に付けられている艦名を思い出す。
1番艦から4番艦以降の艦名は、モンタナ、イリノイ、ケンタッキーとなっている。
5番艦であるモンタナは、予定では11月中に竣工し、翌年の2月か、遅くても4月中には戦力化されると言われている。
また、4月には、エセックス級よりも大型の空母であるリプライザル級航空母艦の1番艦リプライザルが戦力化される予定であり、
米海軍の戦力は依然として、拡大しつつあった。
「来年の春までに、エセックス級空母2隻とアイオワ級戦艦1隻が新たに加わるのか。先の海戦で空母5隻、戦艦1隻を含む多数の艦を
失った合衆国海軍だが……」
リューエンリは、今やレビリンイクル沖の悲劇と呼ばれた、あの海戦の事を思い出しながら呟く。
「もう、その損害を埋められるほどまでに来ているとはな。これなら、この戦争もまだ続けられる、筈なのだが……」
「艦長。国内の世論は、自分達の考えとは全く逆の流れになっていますよ。」
副長は、沈んだ声音でリューエンリに言う。
「…確か、講和に賛成する国民が6割居る。と、一昨日のラジオで言ってたな。」
「はい。あの時点では6割ですが、今では7割ぐらいに膨れ上がっているんじゃないですかね。」
「かも知れんな。」
リューエンリは頷く。
アメリカの世論が、講和に傾いている事は彼らも知っていた。
アラスカの通信アンテナは、連日ラジオ放送を受信し、休憩時間の際に艦内に流しているが、ラジオのニュース番組は、盛んに
講和関連の報道を繰り返していた。
この報道は、アラスカの乗員達にも多少の影響を与えていた。
昨日、リューエンリは休憩中に、航海士のジョン・ケネディ中尉と20分ほど話し合ったが、その話題も、アメリカは講和するか否かであった。
「そう言えば、今日はルーズベルト大統領のラジオが放送される日ですね。」
「ああ、炉辺談話だな。」
「もしかしたら、大統領は今日のラジオ放送で、何か重大な知らせをするかもしれませんよ。」
ケイン副長の言葉に、リューエンリは頷く。
「だろうな。今回の講和の事で一番悩んでいるのは、恐らく大統領だろう。君の言う通り、今日の放送で国民に自分の考えを
打ち明ける可能性はかなり高い。」
リューエンリはずっと前を見据えたまま、低い声で言い放った。
「恐らく、今日はある意味で、記念すべき日になるかもな。アメリカという国は勿論の事、この世界が歩む道が決まった日。
として。」
「歩む道……ですか。」
ケイン副長は、言葉の重みを噛みしめながら、震えた声でリューエンリに返す。
「ただの一海軍大佐が放った、根拠の薄い妄言だがね。」
彼はそう言ってから、クスリと笑う。
「艦長!前方よりタグボートが向かって来ます!」
唐突に、見張りの報告が耳に入る。
リューエンリはそのまま顔を上げて、艦首方向から来る4隻のタグボートを視認した。
「助手のご登場だ。いつも通りにやれ。」
彼は単調な口調で命じる。
やがて、タグボートは2隻ずつに別れ、それぞれが艦首と艦尾に取り付いた。
アラスカは、4隻のタグボートの助けを借りながら、指定された桟橋の側に停船する事が出来た。
リューエンリは、アラスカの艦体が完全に停止したのを確認してから、最後の命令を発する。
「両舷停止!錨を下ろせ!」
「両舷停止!投錨用意!アイアイサー!」
快活の良い声で兵が復唱し、艦は命令通りにスクリューが止まる。
艦首方向で重々しい音が鳴り、直後に何かが落ちる音が響く。錨がちゃんと海面に落下した証しである。
「艦長。ようやく帰ってきましたね。」
「1年ぶりの祖国だ。休暇をもらえたら、家に帰ってゆっくり出来るな。」
リューエンリは、自然に頬が緩むのを感じる。
「とはいえ、まだ仕事は残っている。アラスカはこの後、艦体をドックに入れなきゃならん。それまでは、まだ気は抜けないな。」
彼は再び気を引き締めてから、最後の仕事に取り掛かり始めた。
10月8日 午後7時55分 ワシントンDC
ルーズベルトは、いつものように、自らの執務机に置かれていく各ラジオ放送局のマイクを、原稿を見ながら確認する。。
NBC放送を始めとする各ラジオ局は、毎週日曜日に、ルーズベルト自身が発するラジオ放送を全国に向けて流している。
この炉辺談話と呼ばれるラジオ放送が開始されたのは、ルーズベルトが大統領に就任した1933年3月12日からであり、以降、
11年以上に渡って続けられている。
(それにしても)
ルーズベルトは顔を上げ、何気ない動作で執務室を見回した。
室内には、機材を設置しているスタッフがせわしなく働いている。その働きぶりは手慣れており、毎回、彼はスタッフの腕の良さに感心している。
しかし、彼は、スタッフ達も内心では動揺しているだろうと思っている。
(過去11年間で、私はこれほど緊張した事は無い。今日行う放送は、恐らく、皆が驚く内容だろう……ラジオ局のスタッフ達も、
ああして働いてはいるが、心の中では、私が講和するか否かの言葉を1秒でも早く聞きたいと思っているのだろう)
ルーズベルトは心中で呟きながら、再び原稿に目を通す。
放送開始4時間前から自ら書き始め、20分前に完成させたこの原稿の内容は、協力を願い出た2人の娘。
フェイレとメリマから得た情報も混じっている。
(私は、シホールアンルの実体をあえて隠して来た。もし、あの2人の情報が世に知られたら、確かに反響はあるだろう。
だが、我がアメリカ国民は、時折、過敏に反応する場合がある。勿論、私はその過剰反応を抑えるために、言葉を選んで話すが……
いずれにしろ、この後はアメリカ国民の理性と、運に掛けるしかあるまい)
彼が思案に耽っている中、放送責任者から唐突に声を掛けられた。
「大統領閣下。放送準備が整いました。」
「…ふむ。ご苦労。」
ルーズベルトは鷹揚に頷いてから、時計を確かめる。時刻は午後7時58分を回った所だ。
放送まで、あと2分足らず。
不意に、彼の胸中に不安がよぎる。
もし、この放送が終わっても、国民の反応が薄かったら?
あるいは、国民の反応が過剰になり過ぎ、他の同盟国にも迷惑が及ぶような状況になったら?
土壇場になって、様々な雑念が浮かんで来る。
合衆国大統領たるルーズベルトとは言え、所詮はただの人間である。
急な不安に駆られるのは、当然の事であった。
しかし、そんな不安感も、時刻が8時を回った瞬間、スイッチが入れられたかのようにあっさりと消え去った。
放送責任者の合図を見るや、ルーズベルトは頷き、マイクに向かって口を開いた。
「親愛なるアメリカ国民の皆さん。こんばんは。私は合衆国大統領ルーズベルトです。今日も、炉辺談話の時間がやってまいりました。」
ルーズベルトは、いつもよりも、幾らか軽やかな口調で喋る。
「最近、我が国は、シホールアンル帝国並びに、マオンド共和国より提案された講和案の関連で大きく揺れている事は、国民の皆様も
ご存知でしょう。先日の世論調査では、約6割の国民が、講和に賛成するという結果が出ました。確かに、あの講和案は、シホールアンル、
マオンドの実情を表している物であると思っております。以前、私は戦争の落とし所とはどういう時であるかと、皆さんにお話ししました。
その事から考えるに、シホールアンル、マオンド両国は、今こそが落とし所であると考え、あのような講和案を、アメリカを含む連合国に
送って来たのだろうと思います。」
ルーズベルトは、原稿を読み上げながら、スタッフ達の視線を感じていた。
彼らの中には、知り合い、または家族が戦場に行っている者も居る。
そんな彼らは、ルーズベルトの発する一語一句を聞き逃すまいと、真剣な表情で聞いている。
(君達がどんな考えを抱いているのかは、私は知らん。しかし、今から伝える言葉は、彼らにとって衝撃的な代物になるだろう。)
彼は心中で呟きつつ、原稿の続きを読み上げる。
「我がアメリカを始めとする連合国は、シホールアンル、マオンドの両国が支配していた被占領国のうち、既にいくつかを解放しております。
自分達の血を流して得た両国の指導者にとって、この事は許容しがたい物でしょう。しかし、両国はこれ以上戦争を続ければ、被占領国を
失うだけでは済まなくなると判断し、今回の提案を申し込んで来た。それと同時に、我がアメリカが受けた傷も、決して小さな物では
ありませんでした。今回の戦争で、家族や、お知り合いを亡くされた国民は多い。戦争が続けば、当然、犠牲者は増えます。ですが、
そこに舞い込んで来た講和の申し入れという朗報に、国民の多くは、最初は戸惑い、今では安堵に変わっているでしょう。その方達も、
シホールアンル、マオンドの支配権が大幅に減少し、我がアメリカは、少なくない犠牲を払いつつも、敵を存分にこらしめてやったと思われ、
そして、今こそが、戦争終結の時であると考えているのでしょう。いや、実際、そう考えてもおかしくはありません。実情を見れば、
確かに、シホールアンルとマオンドは、我々連合国相手に今も苦戦を強いられている。領土も大幅に減ったという事もあり、私自身、
両国を充分にこらしめた。と、判断しても良いと思っております。」
言葉が途切れた時、執務室の雰囲気が変わるのを、彼は肌で感じ取っていた。
今は生放送中であるため、執務室のスタッフ達は誰もが口を閉ざしている。
しかし、その表情は様々である。
先のルーズベルトの発言は、講和に賛成していると思われても当然である。
スタッフ達は、大統領の講和容認とも聞ける言葉に、ある者はようやく戦争が終わるのかと、安堵の表情を表す。
ある者は、少し納得がいかぬといった様子で顔を強張らせる。
また、ある者はやや放心したかのような表情を浮かべる。
(……諸君、まだ話は終わっていないぞ)
ルーズベルトは、心中でスタッフ達に語り掛けながら、続きを読んでいく。
「ですが、それは少し前までの話です。今の私は、正直に申し上げて、戦争を止める事には反対であります。今、私が申し上げた言葉に、
納得が行かぬと思われる方も多い事でしょう。しかし、私は決意しました。」
彼は、一呼吸置いてから、言葉を発した。
「私がそう決意する事になった主な原因は、この戦争で起こった、信じられぬ国家解体劇と、ある者達の悲惨な体験談を
聞いた事にあります。これからお話しする事は、我がアメリカが道を誤れば、確実に起こり得るであろう、恐るべき出来事です。」
ルーズベルトは、スタッフ達の反応が再び変わるのが分かった。
彼は、調子が悪くない事を感じながら、本題に入った。
「皆さんは、シホールアンル帝国と連合国が戦っている北大陸の戦況はご存知でしょう。それでは、ヒーレリ公国という国は、
どこにあるか知っていますか?ヒーレリ公国は、一昔前までは、あの北大陸で第2位の国力を持つ強国であり、軍事力はシホールアンルと
比べても遜色の無い物でした。このヒーレリは、過去に何度もシホールアンル帝国と戦争を繰り返しており、今から50年以上前にも、
ヒーレリはシホールアンルと戦争を始めました。戦争は、双方に少なからぬ打撃を与えましたが、ヒーレリ側が幾らか不利な形で戦いは
終わりました。そして、戦争終結から2年後。当時のヒーレリ公国首脳は、緊張状態が続くシホールアンルとの関係を改善するために、
親愛政策という物を実行に移しました。この親愛政策は、戦争で極度で悪化した両国の関係を進展させる目的で行われましたが、政策の
中にはシホールアンル側との技術交流は勿論の事、移民も認める等、それまでヒーレリが掲げて来た、シホールアンルの対強硬策と比べて
考え方をかなり変えていました。当時の国王は、戦争終結から1年後に即位したばかりの新王であり、かねてからシホールアンル側の緊張が
続く事を憂慮していました。新王は根強い反対を、時には実力でもって抑えつけ、遂にはその親愛政策を実行するまでになりました。
この政策が実行に移されるや、両国の関係は徐々に改善され、戦争終結から30年後には国交が正式に回復し、両国は蜜月の時代を
過ごす事になりました。親愛政策は以降、ヒーレリ公国にとって欠かせぬ存在になりました。そして1462年に、親愛政策を結んだ国王が
死去し、変わって即位した息子が国王になった時、彼は愕然としました。
ヒーレリ国内には当時、8000万人の国民がおりましたが、その他にも、800万人の移民や、2世がおり、シホールアンル側からやって
来た移民は500万人と、全体の半数以上を占めていました。それに加え、一部の地方都市では、移民の2世が役人となり、現地の行政に
かかわっていましたが、シホールアンルが北大陸統一戦争に踏み切る4年ほど前から、それらの地区は、中枢部の指示に従いにくくなりました。
その新王は、父が行った親愛政策が、いつの間にか、シホールアンルや、その息の掛った諸外国の移民達が国内で好き勝手出来る状況を作り
出してしまった事で、それまで反対派の生き残りが、父の政策を売国政策と切り捨てていた事を初めて理解しました。シホールアンル帝国は、
ヒーレリとの紛争開始前から領土的野心を抱き始め、紛争終結後には、長い時間を掛けてヒーレリを切り崩していく作戦が立案され、
それはヒーレリが親愛政策を始めてから実行に移されました。ヒーレリに移住したシホールアンル人は、善良な移民も多数居ましたが、
その中には密命を帯びた工作員もかなり混じっておりました。
やがて、時が経つにつれて、シホールアンル移民達はヒーレリの大地に馴染み、同時に、工作員達の活動もより活発になりました。
戦争終結から35年後には、移民にも行政参加が出来る政策が履行され、多くの移民が現地の役人に採用されました。
こうして、シホールアンル帝国は、強かな国であったヒーレリを内側から崩し始めたのです。新王は、この状況を打開する為に、様々な策を練り、
それを実行しましたが、いずれも捗々しい成果はあがらず、逆にシホールアンル側の抗議に怯える日々が続きました。
そして、運命の1476年。シホールアンルはヒーレリに交渉を持ちかけ、ヒーレリは不承不承ながらも、これに応じました。
同年9月には、突如として有力な地方領が中央からの命令を全く受け付けなくなり、状況は悪化。9月28日には、中央の閣僚までもが、
いきなり行方をくらませるという事態になりました。そこに、シホールアンル側の更なる交渉の申し入れがあり、ヒーレリ側の国王はそこで、
シホールアンルの魔の手が既に、国の奥深くにまで浸透している事を知りました。
国内は相次ぐ騒動で混乱し、シホールアンル軍は大軍での侵攻を準備している。騒乱状態のまま、外地軍の侵攻を受ければ、ヒーレリは瞬く間に
蹂躙され、移民を除く国民達は、レスタン王国と同様に虐殺される事は目に見えていました。国王は苦渋の決断の末に、シホールアンル帝国の
軍門に下る事を決めました。こうして、強国ヒーレリは、一時の判断ミスによって、国家解体という取り返しのつかない事態を招いてしまったのです。」
ルーズベルトは一旦言葉を止め、軽く深呼吸する。
「シホールアンルは、このような方法は勿論の事、様々な工作や、軍事侵攻という手段を用いて領土を拡大し、遂には北大陸を統一、
南大陸侵攻、そして、我が合衆国にも襲い掛かりました。レーフェイル大陸に居るマオンド共和国も同様です。マオンドの場合は、
軍事侵攻をした後に、地域の反対派住民を徹底的に粛清したり、強制収容所に入れるか、あるいは、奴隷として売る等、恐ろしいまでの
人権侵害を繰り返しています。
この世界には、我々のようにハーグ条約やジュネーブ条約といった、戦時中の決まり事は全くと言って良いほどありませんが、
それでも、被占領国の人間をあからさまに虐待したり、殺害するという行為は断じて許してはならない。
シホールアンルとマオンドは、この戦争で、幾多の罪を犯してきました。私は、その戦争で悲惨な体験をした被害者達と対談する事が
出来ました。私は、北大陸と、レーフェイルからやって来た2人の被害者から話を聞きましたが、正直申し上げまして、人は目的のためならば、
これほどまでに酷くなれるのかと思いました。これからお話しする事は、とてもショッキングな内容ですので、もし、聞きたくないと
思われる方が居るのならば、ラジオのチャンネルを変えてもらっても構いません。尚、この話は、全て、明日の新聞に載ります。
後で内容を知りたいと思われた方がおられるのならば、そちらで確認して下さい。」
彼は言葉を切り、側に置いてあった水を飲んで、喉の渇きをいやした。
(ヒーレリの話でも、かなり衝撃的な内容だが、本番はここからだぞ)
彼は、内心そう呟いた。
「私は、2人の名前を敢えて公表しません。2人の被害者は、精神的にもかなり消耗しており、ここでマスコミの取材等を受ければ、
被害者達の精神は更に消耗し、最悪の場合は人格が破綻する恐れがあります。国民の皆様の中には、それでも名前を教えてくれと
思われる方もいるかもしれませんが、そこの所は、どうか、ご理解願います。これから話す事は、全て、実際に起きた出来事です。
まず、私は北大陸からやって来た被害者から話を聞きました。この被害者は、元々はデイレア国の生まれであり、幼少期はその国で
過ごしました。しかし、年齢が6歳を迎えたある日、彼女はシホールアンルからやって来た軍人たちに連れて行かれ、そのまま
シホールアンル国内の施設に連れて行かれました。両親は、彼女が連れて行かれた後に殺害されたと言われています。彼女が連行された
その施設には、彼女と同様に、6歳から7歳頃の子供達が100人集められ、それから4年間、訓練を受けました。施設に連行されてから
4年後、元々100人はいた同期の者達は、僅か8人しかいませんでした。何故、8人しかいなかったか?
実は、彼女が連れて行かれた施設は、秘密の軍事訓練施設であり、ここでは集めた子供達に殺人術を教え込んでいたのです。
残りの92人は、全てが訓練中に死んでいます。死に方は様々で、ある者は同期の訓練生の餌食となり、ある者は教官に役立たずとして殺された。
訓練のやり方も、我々から考えたら想像もできない方法ばかりであり、ある時には、どこからか拉致して来た子供達を相手に、
仕込んだ殺人術の実戦練習を行わせ、より多くを殺した者が評価されたと言っておりました。その訓練の最中に、相手に同情した場合は、
その訓練生も、教官によって処理……分かりやすく言えば、殺害されたと証言しています。シホールアンル帝国は、このように、幼少期から
本格的な殺人術を仕込んでいく事によって、特殊任務に携わる各種特殊部隊の増強に努めているのです。しかし、私が対談した被害者の場合は、
それだけに留まらず、更に魔法関連の施設で様々な人体実験を受けたと言っていました。この世界では、魔法の起動を迅速にするために、
体に直接、薬を投与して魔術刻印なるものを作り上げると言われていますが、この方法は、体に多大な負担を与えるばかりか、最悪の場合は
死に至る場合もあるため、一昔前に非効率的であるとして廃れ、今では一部の魔道士にしか、この方法は使われていないと言われています。
しかし、シホールアンル帝国は、この魔術刻印を人体に形成させる事によって、人間を強力な破壊爆弾に変えようと画策し、
幾多もの人間に過酷な人体実験を施してきているのです。私と対談した被害者は、その実験で最適な人材と認められたために、通常よりも
過酷な実験を繰り返し受け、その結果、体中に魔術刻印を埋め込まれてしまったと話していました。彼女に埋め込まれた魔術刻印は、
後に写真に取られ、明日の新聞にその写真が掲載されます。彼女は、今年の1月に、我が軍の救出部隊によって救助され、今では心身共に、
順調に回復しています。
話は変わって、今度はレーフェイルからやって来た被害者の体験談を話します。この被害者は、この世界ではハーピィとよばれる、人間種とは
別の亜人種と呼ばれる種族の方で、外見の特徴は両腕に翼が付いている事です。彼女もまた、マオンド側に家族ごと拉致され、マオンド国内の
収容所に収監されました。マオンドもまた、シホールアンルと同様に様々な実験を行い、彼女達ハーピィ族は、空中戦に特化した生物兵器を
作るために、マオンド側によって幾多もの実験を強制されて来ました。マオンドは、ハーピィ族以外の他の種族も、集落から強引に連れ出しては
収容所に送り込み、生物兵器開発のために惨い事を行って来ました。この被害者は、ある日、別の種族が収監されている檻に、マオンド兵達が
兵器化に失敗し、凶暴化した生物兵器を放り込み、虐殺される様子を楽しんで見ていたと、涙ながらに語りました。
また、ある時は、どこからか連れて来た数十人の人間を、戦力化したばかりの生物兵器に襲わせて殺させた事もあったと言っていました。
収監者達は、時折、看守達からも性的暴行を繰り返し受け、しまいには収監者達には自殺者が相次ぐ事態にまで至ったようです。被害者は、
昨年の12月に収容所から脱走し、海に逃亡しました。
彼女は、陸地から遠く離れた沖合で力尽きましたが、偶然にも、付近を通りかかった我が海軍の潜水艦が彼女を救助しました。
私は、この2人から話を聞いた事で、やり方を一歩間違えれば、この世界が地獄同然の世界に変わるのではないかと危惧しました。」
ルーズベルトは脳裏に、フェイレ、メリマと対談した時の様子を思い浮かべる。
2人とも、実に素直であり、男が見れば、誰もが一度は守ってみたい。そういう感情を沸き起こさせるような、魅力的な存在であった。
シホールアンルとマオンド。この2国が道を誤らなかったら、2人は、あんな悲惨な体験を送る事も無かったであろう。
上手く行けば、将来有望な人材として活躍していただろう。
しかし、シホールアンルとマオンドは、理不尽な理由で、罪も無い多くの人命を弄び、奪って来た。
決して、許す事はできない。
ルーズベルトは、心中でその言葉を呟く。
「彼女達は、シホールアンルとマオンドによって、人生を滅茶苦茶に狂わされてしまったのです。
親愛なる国民皆さん。確かに、今の状況は、長い戦争を終わらすためには絶好の機会でしょう。では、講和を結んだ後は、
どうなるのでしょうか?
友好国と思えた筈のシホールアンルは、過去に、同じ友好国であったヒーレリをじわじわと侵食し、しまいには解体した。
皆さんはご存知無いでしょうが、ヒーレリの国王は、公式では幽閉先で、事故で死亡した事になっていますが、真実は違います。
ヒーレリ王家は、秘密裏に処刑され、死体は見つからぬように粉砕され、海に投げ捨てられたと、捕虜からそう伝えられています。
皆さんの中には、我が国にはスパイ防止法も備わっているから、シホールアンルの工作員は入国できぬとお思いの方も居るでしょう。
確かに、現状ではシホールアンルのスパイは活動できないでしょう。彼らは、スパイ防止法という未知の物は知りません。
ですが、忘れてはいけません。
シホールアンルは、相手から常に学び、そして進化していきます。彼らは、今は出来なくとも、後になって実行可能になるよう、
あらゆる手段を講じてその時に備えます。万全に思えるスパイ防止法といえど、人間が作った物には変わりありません。彼らは必ず、
その穴を見つけ、我が国の内部に浸透してくるでしょう。それは、マオンドとて同じです。彼らは非常に執念深い。今は相手を倒せないから、
その相手と和解しても、彼らの頭の中にある倒す目標は、ずっとその相手のままなのです。恐らく、マオンド側も、戦備が整えば、我が合衆国を
倒そうとするでしょう。国民の皆さん。貴方達は、自分達の子孫が、気分本位に殺されたり、恐ろしい訓練に付き合わされたりする可能性は無いと、
私の話を聞いた上でも思っていますか?自分達の故郷に、おぞましい姿をした生物兵器が蹂躙したり、唐突に潰滅させられたりする事はないと
本気で思っていますか?」
ルーズベルトは、マイクの向こうの国民に問い掛ける。
「また、彼らは、この世界の特徴でもある魔法を使って、あの被害者達を含む、多数の人々を苦しめ、死なせて来た。マオンドとシホールアンルは、
魔法を悪用した責任も取らなければならない。国民の中には、先の話を聞いて、魔法自体が悪だと思う方もおられるかもしれませんが、私は、
決してそうは思いません。我々が車を操り、又は機械を操るのと同じように、魔法もまた、人に操られて使われています。責任は、魔法自体には無く、
魔法を使って、悪事を働いた両国にあります。我々は、この事に関しても、両国に強く、責任を追及する必要があると考えています。」
ルーズベルトは、厳しい口調でそう断言した。
彼自身、魔法は使い方によって毒にもなり、薬にもなると確信している。
魔法も、他の物と同様に、良い使い方をすれば印象は良くなるが、悪い使い方をすれば、悪印象しか残らない。
ほんの些細な事であるが、世の中は、この些細な事だけでも、時として問題になる事が多々ある。
特に、民間企業は(民間だけに限った事ではないが)このような事に敏感であり、少し悪い噂が立っても、会社はそれを払拭しようと、
全力で対策を行う。
ルーズベルトは、当初、国民がフェイレとメリマの体験談を知るに当たって、魔法世界に悪印象を持つのではないかと危惧した。
彼は、それを払拭させるため、あえて分かりやすい方法で魔法自体は悪くないと伝えたのである。
「さて。平身低頭しながら講和を申し入れて来たシホールアンル、マオンドに対して、大統領はいいがかりを付けて撥ね退け、戦争を継続しようと
思う人も居るでしょう。傍目から見れば、事実、そうなります。しかし、貴方達は不審に思いませんか?何故、かの国が、強硬策を取り下げ、
急に態度を軟化させて来たか。そして、何故?我々が提案して来た、“現政権の即時解散”を撥ね退け、勝手に自分達が提案して来た方法を
通そうとして来ているか。彼らは確かに、政権の交代を約束しましたが、我々連合国は、政権を即時交代、あるいは打倒させることが条件にと明記した
上で、ヴィルフレイングでの共同宣言を発表しました。ですが、その重要な案件を無視したシホールアンル、マオンドの講和案は、明らかにおかしい。
国民の皆さん、かの国は、このようにして、我が国に自分勝手な案を突き付け、共に仲良くしようと言ってきていますが、はっきり申し上げまして、
私はシホールアンル、マオンドを信用する事は出来ません!」
ルーズベルトは、語尾を上げて強調した。
「私は、このアメリカ合衆国の大統領として、国の代表を務めております。私は、国民の言葉を無視する事は出来ません。であるからにして、
今ここで、私が反対を唱えていても、アメリカはシホールアンルやマオンドのような独裁政権ではないため、国民が反対と言えば、その意向に
沿って国を動かさなければなりません。言うまでもありませんが、アメリカの主役は、あなた方国民です。私は、近々行われる世論調査で、
国民の皆様の意見を聞き次第、最終的な決断を下します。共和党のデューイ議員も先日言われておりましたが、国民のための政治を行うのが、
我々アメリカ合衆国です。最終的な判断は、日を改めて行います。」
ルーズベルトはそこまで言ってから、再び水を口に含む。
「最後になりますが、私はもう1度だけ申します。シホールアンルとマオンドは、確かに講和を申し入れて来ましたが、この2国は、
過去に様々な方法を用いて領土を拡大した事。そして、その領土拡張策の影響で、幾多もの罪の無い人々が犠牲になった事。我々に手を
差し伸べようとしている国は、心のうちでは何を考えているか分かりませんが、少なくとも、遠い未来に向けて、何か策を練っている事は、
ほぼ確実です。私見ではありますが、彼らの卑しい企みを粉砕するには、強大な軍事力で持ってかの国の中枢部を捻じ伏せ、そして、
“我々連合国主導”の下に戦後処理を行い、過去を清算するのが、最も望ましい方法である。というのが、私の考えであります。
もうこれ以上は申し上げません。結果がどうなろうとも、私は、アメリカ国民が常に最善な方策を考え、それを実行に移すであろうと
心の底から信じております。」
ルーズベルトは再び深呼吸してから、最後の言葉を放った。
「それでは皆さん。また、来週にお会いしましょう。我がアメリカ合衆国、連合国、そして、過酷な時代を生き延びた、勇敢なる協力者達に
幸あらん事を。」
その日の翌日。全米の各新聞社は、前日の炉辺談話の内容を大々的に報道した。
各新聞社のトップ記事には、いずれもシホールアンル、マオンド関連の報道で埋め尽くされており、体のあちこちに黒い紋章の
ような物が付いている被害者の写真も大きく掲載されていた。
各新聞社の見出しは、それぞれが異なってはいたが、浮き彫りになった衝撃の真実を伝えようと、各社とも目立つフォントを使って
大きく現していた。
ニューヨークタイムズは、
「驚愕の真実!合衆国を挟む2大覇権国家の全貌!」
といった言葉を並び立て、その下には、炉辺談話で話された内容を記していた。
アメリカ国民は、炉辺談話と、その翌日の新聞報道でそれまでの考えを一変させた。
戦争反対を唱えていたとある者は、まず、炉辺談話を聞いて押し黙り、その翌日の新聞を読んだ後に、自らの考えが誤っていた事を自覚した。
新聞社の中でも、大手の新聞社…ニューヨークタイムズや、ワシントンポスト等のマスコミは、新聞報道と同時に世論調査も行った。
世論調査は10月9日から11日の計3日間に渡って行われる事になり、結果発表は、12日の朝刊にて行うと決められた。
アメリカ国民の総意は、どうなるのか?
大方の予想はついていたが、この時は、誰もが知る由も無かった。