第230話 火消し人、太平洋へ
1485年(1945年)3月3日 午前11時 マオンド共和国首都クリンジェ
この日のクリンジェは、2週間以上も続いた雨がやっと晴れ上がったせいか、町中を行く人が普段よりも多く見受けられた。
市場には人で溢れ返り、活気の良い掛け声が辺りに響き渡っていた。
主要な道路には、住民が使用する馬車が往来して行く。
その流れを、ほんの少し前までは全く見受けられなかった物が、鮮やかにコントロールしている。
広い通りの中央には、MPの2文字が入ったアメリカ兵が、マオンド住民達が使う馬車の流れを、手信号と口に加えた笛を使って止まれや、
進めという合図を交互に伝えている。
程無くして、馬車の背後から、いかつい駆動音を鳴らしながら黒い影が迫って来る。
馬車を操る御者が、慌てて道の端に移動させる。道の沿道を歩いていた住民達は、郊外から現れたと思しき米軍車両の隊列に、一様に目を向けて行く。
アメリカ軍車両は、最初は小さなジープが走り抜けて行き、次に、歩兵を満載したトラックが通過する。
その後は、M3ハーフトラックとM8グレイハウンド装甲車といった装甲車両が後に続いて行く。
総勢30台以上もの車両部隊は、周囲にエンジンの騒音をまき散らしながら、首都クリンジェの街道を突っ切って行った。
米軍の車列が通り過ぎた後、通行人の何人かは、首都の中心部にある臨時政府庁舎を見つめ、ため息を吐きながら、再び歩みを始める。
マオンド共和国臨時政府庁舎……旧マオンド共和国宮殿の天辺に掲げられた星条旗は、マオンド共和国の民達に、自分達の祖国が敗戦国であり、
アメリカの占領下に甘んじているという事実を、嫌が応にも痛感させていた。
アメリカ陸軍第15軍司令官であるヴァルター・モーデル中将は、公用車の窓の中から、占領下である首都クリンジェの様子を見つめていた。
「……閣下。あと5分ほどで、司令部に到着いたします。」
「うむ。」
モーデルは、窓の外から視線を外さぬまま、運転手に一言返す。
「曹長。私が見る限り、クリンジェは、以前と比べて賑やかになったかと思うのだが。」
「やはり閣下もそう思われますか。」
モーデルと顔見知りである運転役の曹長は、弾んだ声でそう返した。
「2か月前、ここに来た時は人通りが少なかったからな。それが、今では市場はおろか、沿道にも人が多数見受けられる。これはやはり……」
「ええ。1月に発足した、臨時政府の復興政策のお陰でしょうな。」
曹長は思い出したかのようにそう言った。
「マオンド共和国は、昨年に国王が退位した後、新しい首脳部が集められて臨時政府が発足しましたからな。その臨時政府は、1にも2にも、
戦火で荒れた祖国を復興する事が先であるとして、わざわざ、マッカーサー閣下に援助をお願いしてまで復興政策を推し進めてます。自分としては、
まだ敗戦後の混乱が残っているこの時期に、早々と復興を行うのは無理があるのではないかと思っていましたが……」
「私も、そう思っていたよ。2月中旬までは、各地で混乱も続き、私も臨時政府の政策はまずく、マッカーサー閣下の判断も時期尚早過ぎたと
ぼやいた物だが……一応、落ち着きを取り戻しつつあるようだな、この国は。」
「はい。今となっては、町の市場には人で溢れ返っております。本国政府は、マオンドが単独で、満足に政権を運営できるまで復興するには、
最低でも10年は掛かるだろうと言っておられたようですが……マッカーサー閣下の考えではそれよりも、もっと短い内にマオンドは独立できる
だろうと言っておるようです。」
「ほほう……マッカーサー閣下が。」
モーデルは、脳裏に、このレーフェイル派遣軍の総司令官であるマッカーサー元帥の顔を思い浮かべた。
常に尊大そうな態度を取るマッカーサーは、時折、大胆な発言をする時もある。
モーデルは、このマッカーサーの下で働き始めて早1年以上経っていたが、彼の自信がどこから湧いてくるのか、未だに分からなかった。
(あの人は、一体何を見て判断しているのだろうか。)
彼は、複雑な表情を浮かべながら、公用車がレーフェイル派遣軍総司令部の置かれた5階建ての石造りの建物に到達するのを待った。
それから5分後、モーデルを乗せた公用車は、臨時政府の置かれた共和国宮殿の反対側にある5階建ての建物の前で止まった。
「閣下、到着いたしました。」
「うむ。御苦労だった。」
モーデルは、運転役の曹長に軽くねぎらいの言葉を送りながら、小包を小脇に抱えて公用車から出た。
石造りの荘厳な建物は、臨時政府の置かれた共和国宮殿の前にある。
その入り口の両側には2名のMPが立っており、モーデルの姿を見るや、見事な敬礼で彼を出迎えた。
彼は、MPに答礼しながら、レーフェイル派遣軍司令部の置かれた建物の中に入って行った。
内部に入ると、事前に待機していた士官がマッカーサーの執務室まで案内してくれた。
モーデルは、士官に3階の執務室の前まで連れて来られた時、ふと、執務室の場所が前回と同じでは無い事に気付いた。
(3階か……2か月前の派遣軍の会議に来た時は2階だった筈だが……どうした物かな。)
と、心中で呟いている時、案内役の士官が執務室のドアを2度ノックしてから開いた。
「司令官。モーデル閣下がお見えになりました。」
士官はマッカーサーから手振りで合図を送るのを見た後、モーデルに振りかえる。
「どうぞ。」
「うむ、ありがとう。」
モーデルは頷きながら礼を言った後、執務室内に入る。
「良く来たな、ミスター・モーデル。」
執務机に座っていたレーフェイル派遣軍司令官ダグラス・マッカーサー元帥は、顔に笑みを浮かべながらモーデルを出迎えた。
「お久しぶりであります、司令官閣下。」
「こちらこそ。まぁ、そこのソファーにでも座りたまえ。」
マッカーサーは、モーデルにソファーに座るように促しつつ、彼も席を立って、部屋の端に置かれたソファーにどっかりと腰を下ろした。
モーデルは、部屋を見回しながら、マッカーサーが座っているソファーとはの反対側の位置に置かれているソファーに座った。
そこに、従兵がコーヒーをトレイに乗せて入室して来た。
従兵はコーヒーを、2つのソファーに挟まれるように設置されてあるテーブルに置き、穏やかな足取りで退出していった。
「閣下。執務室を移動されたようですな。」
「ああ。少しばかり、気分転換も兼ねて移動したのだよ。元々、ここは向かい側の宮殿に努めていた使用人達の宿舎だったようだから、
どこもかしこも質素な作りだ。ここも広いだけで、大して変わらん。」
マッカーサーは、コーヒーを一口すすった後、コーンパイプを取り出しながら部屋を見回した。
「今は、部屋の周囲に明るい色の張り紙を張っているが、ここに移動した時は、壁も床も真っ白だったぞ。余りにも寂し過ぎる物だから、
私は適当に模様替えをさせたよ。」
「しかし、2階の執務室の方が、ここよりは少し広いように感じられましたが。」
モーデルがそう言うや、マッカーサーは苦笑しつつ、右手をひらひらと振った。
「いくら広くても、周りに窓が全く無いというのは落ち着かないな。私は、万が一の場合に備えて、最初は窓が無い部屋でも良いと思ったが……
狙撃の脅威が無い以上は別に必要無いと思ってここに移動したのだ。それに、ここの窓からは……」
マッカーサーはソファーから立ちあがり、窓辺に歩み寄った。
「臨時政府の置かれた共和国宮殿を眺め見る事が出来る。建物の規模としてはあちらが大きく、見下されているようにも見えるが、私はそうは思わん。」
マッカーサーはモーデルに顔を向けた。
「逆に、私は、彼らにアメリカは常に監視をしている、というメッセージを送れていると思っている。」
彼はそう言うと、ゆっくりとソファーまで歩み寄り、腰を下ろした。
「我々は、マオンドに対する先生でいなければならない。彼らが、自分達で国を運営できるようになるまでは、合衆国はここを拠点に、マオンドの
占領政策を続けて行くべきだ。」
「閣下の言われる通りですな。」
モーデルは頷きながら言う。
「おっと、話がずれてしまったな。さて、道を元に戻すとして……第15軍の移動準備は着々と進んでいるようだね。」
「はい。先月の24日頃から、各師団共に重機材の積め込みや人員の移動を行っており、3日後には第1陣が出港できるでしょう。
15軍の最後の船団は、4日後に出港する予定です。」
「第15軍には本当に苦労を掛けてしまうな。君達はこれから、太平洋戦線に出向く事になるのだから。私としては、対マオンド戦に貢献した君達を、
一度は本国に返したいと思っていたのだが……」
「致し方ない事だと思います。レスタン戦線での我が軍の損害はかなりの物ですからな。」
マーケット・ガーデン作戦と名付けられたレスタン領進行作戦は、2月28日に、最後のシホールアンル軍が撤退した事で連合軍の勝利に終わった。
1ヵ月余にも渡る地上戦で、連合軍部隊は推定80万程のシホールアンル軍のうち、およそ40万名以上に損害を与え、多数の石甲部隊を壊滅させると
言う戦果をあげた。
その一方で、連合軍側も20万もの死傷者を出した他、レーミア海岸上陸部隊の援護に当たった太平洋艦隊も、主力の高速空母部隊や戦艦部隊に喪失艦が
続出すると言う大損害を被っている。
この作戦期間中、シホールアンル軍と連合軍の損害比率は約2:1であり、連合軍側が優勢と言えたが、連合軍部隊は、レスタン領の解放と言う2次目標は
達成できたものの、最優先目標であった、レスタン領駐留のシホールアンル野戦軍主力の撃滅は遂に果たせなかったため、作戦自体は完全に成功とは
言い難く、軍部の一部には、作戦は7割方成功で、3割方失敗であると公言する者も居た。
とはいえ、レスタン領の奪還は、連合軍部隊の新たな勝利を刻む事となり、属国をまた1つ失ったシホールアンル帝国の威信は、更に落ち込んだと言われている。
だが、それに伴う代償は大きく、アメリカ軍だけでも、死傷者88400人を出し、多くの部隊が後方で再編成を余儀なくされる程の損害を被っている。
ワシントンの統合参謀本部では、レスタン戦での損害を補充するため、作戦には参加していなかった予備の軍を前線に回すと同時に、平穏を取り戻した
大西洋戦線から2個軍を段階的に太平洋戦線に転用する事を決定。
その第1陣となったのが、モーデルの率いる第15軍であった。
「しかし、この方面の戦争が終わって早3ヶ月か。あっという間だったな。」
「司令官閣下は、占領軍司令官に就任されて以来多忙と聞いています。良く見ると、少しばかり、顔が……」
「やはり、君もそう思うかね?」
マッカーサーは、再び苦笑しながらモーデルに言う。
「少し、顔がやつれてしまったよ。ここ3カ月は、マオンド臨時政府の首脳陣のみならず、トハルケリ連邦やクナリカ民公国とも定期的に会談を
行っているからな。君も新聞で知っていると思うが、先週はクナリカ民公国を訪問して閣僚と会談を行っている。マオンド占領軍司令官とは
聞こえがいいが、実際は東奔西走の激務ばかりだな。」
マッカーサーは自嘲気味にそう言い放つ。
先週の金曜日。マッカーサーはクナリカ民公国に赴き、現地のオーク族出身のイベガ・クリグボグ臨時防衛大臣と、獣人族出身のクリフ・ルゥインスゥ外交大臣と
会談を行い、アメリカはクナリカ民公国に対してある程度の技術、物資援助を行う事で合意している。
その際の風景が、現地に同行したワシントンポスト社のカメラマンに撮影され、2日後の新聞には、クリグボグ防衛大臣とルゥインスゥ外交大臣と
握手を交わすマッカーサーの姿が掲載された。
その3日前には、トハルケリ連邦にも専用機で赴いており、マッカーサーはそこでも、現地のイロノグ・スレンラド主席と2時間に渡って会談を行っている。
このように、マッカーサーは各地を飛び回り、現地のアメリカ軍最高司令官としての任務に励んでいたのだが、流石の彼も、顔に疲労を濃く滲ませていた。
「そういえば、今月の中頃には、ルーズベルト大統領がこのレーフェイル大陸の指導者を集めて首脳会談を行うと聞いておりますが。」
「大統領閣下は、自分の口からアメリカの今後の方針を伝え、レーフェイル大陸各国がどのように道を歩んでいこうと考えているのかを聞きたいと言って
おられるようだ。一応、先月の20日にトルーマン副大統領がヘルベスタン共和国に赴き、ソルト首相と会談しているが。」
マッカーサーはそこまで言ってからコーンパイプを取り出し、中に葉を入れ始める。
「やはり、このレーフェイル大陸の情勢は安定したとは言い辛いからな。今の所、戦争が再発する危険は全く無いが、各国ともマオンドの支配下にあった
せいで経済はガタガタだ。復興に失敗しては元も子もないから、ひとまず、アメリカも交えた上で経済をどう回復すれば良いのかを、大統領閣下も交えて
話し合うつもりだろう。」
彼はそう言った後、コーヒーを半分程まで飲み、パイプの中の葉に火を付けた。
「とはいえ、今後しばらくは、各国を飛び回る事も無いだろうから、私も少しは落ち着ける。マオンド戦犯の逮捕や、戦争犯罪の証拠探しも順調に進んで
いるからな。」
マッカーサーは頷きながらモーデルに言った。
「戦犯の捜索や証拠探しも、最初はなかなかに大変だったようだ。ある時は、我が軍の部隊が現地住民と衝突寸前の所まで行ったからな。」
「ヴィド・マオコヴァ事件の事ですな。」
「ああ。クナリカ民公国の寒村で起きた事件だったが……あれが流血の事態に発展していたら、今頃、わたしはクビになっていたかもしれん。」
マッカーサーは自嘲気味に話した。
ヴィド・マオコヴァ事件とは、クナリカ民公国……元はマオンド共和国クナリカ領で発生した事件である。
当時、クナリカ領に進駐したアメリカ陸軍第17軍所属の第16軍団は、同地方の治安維持を行うと同時に、所属していた一部の部隊を用いて戦犯の捜索や
戦争犯罪の情報収集に従事していた。
1月17日午前8時、クナリカ民公国北部にあるヴィド・マオコヴァと呼ばれる村落で、戦犯と思しき男女3名が村人に拘束されたと、同地で情報収集に
当たっていた現地の協力者から連絡が入った。
アメリカ軍は、至急、部隊を派遣させて3名の戦犯と思しき人物を確保させる事にし、戦車1個小隊を含む機械化歩兵1個中隊を現地に急行させた。
出発から2時間後、部隊の指揮官であったヴァンド・ウィッグス少佐は、自ら先頭のジープに乗り組み、戦犯と思われる3人の人物が拘束されている村落に入ったが、
そこで彼が目にした物は恐るべきものであった。
そこでは、村人に拘束されたと思しき戦犯が、まるで、中世の魔女狩り裁判のように磔にされた上、火あぶりに処されていた。
耳障りな悲鳴が村中に響き渡り、それを見つめていた住民達は、陰惨な笑みを顔に張り付かせながら口々に罵声を放っていた。
火刑に処されている人物の隣には、集団でリンチを受けて息も絶え絶えになっている4名の男女が転がされており、うち1名は新たに十字架を背中にくくりつけられ
ようとしていた。
住民の1人が、進入して来たウィッグス少佐のジープを見つけるや、村の広場に居た500名の住民達は、一斉に“解放軍”である彼らを歓迎し始めた。
だが、歓迎されたウィッグス少佐の心境は、村の住民達が考えているような物では無かった。
ヴィド・マオコヴァの村は、マオンド占領時代には、現地に駐留していたナルファトス教関係者や軍部隊によって陰惨な迫害を受け、最盛期には1000名を
数えた村の住民達は、今や700名に減っていた。
獣人達の住む村でもあるこの村落は、亜人種という事だけで言われの無い迫害を受け、連れ去られた住人は、誰1人として返って来なかった。
マオンド共和国が降伏した後、住民達は直前になって、慌てて撤退していったマオンド兵に、復讐する機会を逃したとして悔しがったが、最近になって、この村に
マオンド側の戦犯とその協力者が潜んでいるらしいとの情報が入り、村人たちは協力して、戦犯探しに努めた。
やがて、別の地方から来たアメリカ軍協力者の援助の甲斐あって、戦犯3名と、それに協力した“裏切者”2名を拘束する事に成功。
その後は、皆がよってたかって乱暴を加えた。
興奮しきった住民達は、今までの復讐として5名全員を処刑する事に決めた。
これに反対したのがアメリカ軍協力者であった。
「ちょっと待ってくれ!こいつらの証言は後の裁判で重要な証拠になる!ここで殺してしまっては、裁判を開けなくなるぞ!ここはひとまず耐え、こいつらを、
今、ここに向かいつつあるアメリカ軍に引き渡すべきだ!」
と、アメリカ軍協力者は住民を説得しようとしたが。
「何を言うんだ!こいつらは今までに何をやったか分かるか?俺の親父はな、酔ったナルファトス教関係者にぶつかっただけで邪教徒呼ばわりされた挙句、
その場で切り殺されたんだぞ!裁判すら行わずに仲間を殺しまくった連中に、裁判を受ける資格は無い!」
住民達は協力者の言葉など耳を貸さず、そのまま1人目を火刑にしてしまった。
「やったぞ!マオンドの外道が焼けて行くぜ!」
彼らは、猛烈な炎に包まれて、炭化していく元ナルファトス教関係者の姿を見ながら、凄惨な光景を愉しげに見つめていた。
そんな時に現れたアメリカ軍は、彼らにとって自分達の“戦果”を見せびらかす機会ともなった。
「兵隊さん!見てくれ、あいつは俺達がやっつけてやったんだ!」
「どうだ!いい焚火だろう。あそこで燃えているのはマオンド女だが、生意気にも魔法で姿を変えてやがったんだ!だが、これで元通りさ!」
「連中の処理は俺達に任せてくれ!あんたらにもいい見世物になるぞ!」
ウィッグス少佐を取り囲んだ住民達は、興奮した様子で口々にそう言っていたが、次第に、彼らの口調もしりすぼみとなっていった。
彼らとしては、ジープのアメリカ兵達は自分達が上げた“戦果”を褒め称えてくれるだろうと考えていた。
長い間、復讐に燃えていた彼らとしては、それはある意味、当然の考えと言える。
だが、アメリカ兵達は……特に、指揮官と思しき将校の顔は、喜びを見せる所か、全くの無表情だった。
それどころか、次第に怒りの表情を露わにして来た。
「……君達は、戦犯を焼き殺したのかね?」
「……へ、へぇ。そうですが……」
「ほう……戦犯を……後の裁判で必要な貴重な“情報源”を殺した……と言うのだね?」
「……あ、アメリカの旦那さん。どうかされたんですか?」
村の若者がウィッグス少佐に話し掛けた。その時、若者は恐怖で凍りついた。
「どうかされた?ああ、どうかされているよ……貴様らが証拠隠滅を図った事にな!!!」
ウィッグス少佐は、怒りの余り大音声で喚いた。
ウィッグス少佐の怒りには訳があった。
彼の部隊は、これまでに4度ほど、戦犯の逮捕、拘束に関わって来たか、そのうち2件が、確保直前に何かしらの不審死を遂げていた。
現地の協力者は、裏で戦争犯罪の証拠を消そうとしている勢力が動いているとアメリカ軍司令部に伝えており、この2件も、それらの勢力による
物だとほぼ断定されている。
ウィッグス少佐は、心中で証拠隠滅を図る謎の勢力に憎悪の念を抱いていた。
そこに、今回の珍事が舞い込んで来たのである。
普通に考えれば、今回の騒動は、現地民の突発的な行動が起こした事件である事は分かった筈であった。
だが、現場の指揮官は、相次ぐ戦犯の証拠隠滅という事件に頭に来ていた。
彼は、コソコソと動く卑怯な勢力に鉄槌を下してやりたいと思っていた。そこに、今回の騒動が起こったのである。
タイミングとしては、まさに最悪と言えた。
「お前達を戦犯の証拠隠滅罪で拘束する!全員、この村から離れるな!!!」
目の前で起きた、“3件目の証拠隠滅”に激怒したウィッグス少佐は、声高にそう叫んだ後、指揮下の部隊に指示を下し、この村を包囲させた。
住民達は仰天してしまった。
彼らとしては、当然の事をしたまでの筈だったが、目の前のアメリカ軍指揮官はこれに激怒し、あっという間に見慣れない鉄の車や兵隊が村を包囲してしまい、
ごつい重機関銃、小銃の筒先は村人達に向けられた。
村の出入り口には、噂にしか聞いていなかった戦車までもが現れ、アメリカ兵達の殺気が村落に向けられている事に驚愕した。
「た、隊長さん!これはどういう事ですか!?」
村の村長が、慌てた口調でウィッグス少佐に問い掛けた。
「わしらはただ、復讐を成し遂げようとしたまでです!決して、悪い事はしていません!」
「村長さんよ、言っておくが、俺達にとっては、それが悪い事なんだ。正直に言う、あなた方の中には、マオンド派の連中が潜んでこの騒動を引き起こしたか……
あるいは、この村自体が、マオンド派の巣窟という可能性がある。いや、こう、堂々と証拠隠滅を図ったからには、後者の方の可能性が高いだろうな。」
「!?」
「恐らく、お前達は何か強力な兵器を持って、俺達をだまし討ちにしようと考えているのだろう。だが……そうはいかんぞ!そんな卑怯者は、圧倒的な鉄と火力
を叩き付けて跡形もなく吹き飛ばしてやる!」
ウィッグスは完全に頭に血が上っていた。
村長たちは、自分達はマオンド派では無いと言い続けた。確かに、村長たちはマオンド派では無かった。
彼らはむしろ、反マオンドの立場である。
だが、村長たちは説得を行う際に、幾度もミスを重ねていた。
彼らはあろうことか、自分達で戦犯を処理させて欲しいと言い続けたのである。
ここで、すぐに戦犯を引き渡すと付け加えていれば、米軍側の誤解もすぐに解けたのだが、頭に血が上っていたのは、ウィッグスのみならず、村長たちも同様であった。
交渉が始まって1時間経っても、事態は進展しなかった。
最後の所で一向に譲らない村長に対して、ウィッグスは遂に、軽爆隊による航空支援を要請し、それから30分後には、なんと12機のA-26インベーダーが爆弾、
ロケット弾を満載した状態で村の上空に現れ、2度、超低空を通過した後、村の上空を旋回し続けた。
これで完全に肝を潰した村長は、遂に戦犯の引き渡しに応じ、生き残った4人をアメリカ軍側に渡したが、米軍側は完全に、この村がマオンド派の巣窟と決め付けて
いたため、それから1時間に渡って、戦車と装甲車両を含めた、1個中隊規模の完全武装の部隊で包囲を続けた。
結局、村に居た現地協力者の証言の甲斐あって、ウィッグス少佐は自分が誤解していた事に気付き、ようやく村の包囲は解かれ、上空に飛来した12機のA-26も
基地に帰還していった。
この日の出来事は後にヴィド・マオコヴァ事件と名付けられる事になったが、クナリカの住民達は、この事件で、解放軍である米軍に対して、こう印象付ける事になった。
あるクナリカ人曰く……
「アメリカ軍は、例え敵であっても戦意の無い捕虜の処刑はしないし、させようともしない。現に、ヴィド・マオコヴァ事件ではそうだった。もし、
自分達の村や町に、あの戦争の戦犯が紛れ込んできたら、なるべく、捕まえるだけにした方がいい。それ以上の事をしたら、アメリカ軍は激怒して、
多数の戦車と飛空挺を持ち出して来るだろう。それ以前に、こちらがどうしようもないと思ったらアメリカ軍に頼めばいい。彼らなら、圧倒的な
火力で、たちまち事件を解決するだろう。」
それから月日が経ち、クナリカ民公国では全域に、戦犯は確実にアメリカ軍かクナリカ軍に引き渡し、戦犯の殺害や暴行は厳罰に処すとの報せが伝わった。
当然、反マオンド感情の高いクナリカ人の中には、これを不満に思う者も居たが、復讐行為を、圧倒的な軍事力で持って文字通り抑えつけた米軍が相手と
あっては、その不満も堂々と言えなかった。
その後、クナリカ領のみならず、マオンド本土全土では、お尋ねものになった旧ナルファトス教関係者やマオンド軍戦犯の引き渡しが相次いだ。
ヴィド・マオコヴァ事件は、米軍に対して、多分に間違った印象も持たれることにも繋がったが、捕虜を虐待すれば米軍が激怒すると言う話は、多分に効果的であり、
結果としては戦犯の逮捕や証拠の収集をやり易くすると言う嬉しい結果にも繋がっていた。
とはいえ、一歩間違えれば、ヴィド・マオコヴァ村では流血の惨事が起こった事は確実であり、マッカーサーの地位が危うい状況にあった事は、明確であった。
「あの事件は、一歩間違えればこちらが悪者になっていましたな。」
「まぁ、何はともあれ、流血の事態に至らなかった事は幸いだった。あの後、中隊の指揮官は、休養を名目にアラスカ送りにされたが、あれがきっかけで
戦犯の拘束と調査、証拠集めも順調に行き始めた。結果としてはいい方向に流れたと、私は思う。」
マッカーサーは口から紫煙を吐きだしながら言う。
「ただ、どうも……武力で住人を脅してしまった事は、少し、残念であったと思う。本当なら、もっと穏便に行きたかった物だがな。」
「同感ですな。いくら頭に血が上ったとは言え、戦車や航空機を投入して威嚇した事には変わりないですからね。」
「ひとまず、証拠集めは順調に行き始めている。あとは、いつまでに裁判を開く事が出来るか、だな。滅茶苦茶な裁判を開いて戦犯を裁く事も出来んから、
しっかりと考えなければならん。」
「滅茶苦茶な裁判ですか。」
「そうだ。特に、被占領国側の人間から判事を選ぶのは、極力避けた方が良いかも知れん。彼らは感情的になって判決を下す恐れがある。また、我々が逮捕した
戦犯の中には、冤罪で逮捕したと思しき者も混じっている可能性があるからな。そのような物を処刑しては、合衆国は世界に恥を晒す事になる。また、問題は
それだけではない、この国の住民をどうやって育て上げ、どのような国にしていくかも考えなければならん。我々がかつての旧世界に居た、名だたる支配者の
国の多くが衰亡した理由の1つは、占領した国と、住民を育てるばかりか、逆に虐げてしまったからだ。かの国々のように、我が合衆国もまた、このマオンドを
支配している。」
マッカーサーは、コーンパイプを口にくわえて、煙を吸う。
「マオンドを支配すると言う事は、この国に対して、責任を負わねばなら行けないと言う事だ。かつての大帝国は、その責任を“放棄”したも同然の事を
したばかりに、悉く衰え、滅んでいる。我々合衆国は、それらの反省を踏まえた上で、この国を立て直さなければいけないだろう。」
「なるほど……しかし、そう上手く行く物ですかな?」
モーデルは、コーヒーをすすりながらマッカーサーに聞いた。
「……前例が無い訳ではないぞ。」
マッカーサーは自信ありげに答えた。
「かつての旧世界にあった日本は、国力が決して大きいとは言えないながらも、併合した朝鮮と台湾を発展させ続けていた。私は以前、朝鮮の写真を見せて貰ったが、
その発展ぶりには私も感嘆したものだ。やり方さえ違え無ければ、国力の小さな日本でも、併合した地域を発展させられるのだ。我が合衆国は、日本よりも国力は大きい。
朝鮮や台湾のように、この国を発展させられる事も出来る筈だ。」
「アメリカだから……ですか。」
モーデルは、小声で呟いた。
「とはいえ、戦後はいささか苦しくなるだろうから、この国に行う支援も多くは出来んだろう。だが、私はこの国を任された以上、マオンドを良い
方向に生まれ変わらせるつもりだ。それが、私に与えられた任務なのだからな。」
「……なかなかに辛そうな道のりが待っていそうですが。」
「ハハハ。ミスター・モーデル、元々軍人と言う物は、それ自体が辛い道のりを歩まなければならん。何しろ、人を殺す事を前提に仕事をしなければ
ならんのだから。」
マッカーサーは微笑をたたえながらモーデルに言う。
「だが、今回の任務は、国を再生する事だ。この国を、昔とは違って良い方向にな。私は、この仕事はむしろ、やり応えがあると感じているぞ。」
彼は意味ありげな笑みを浮かべた後、再びコーンパイプを吹かした。
「こんな時に、君がここから立ち去るのは寂しい物だが……太平洋戦線が戦力を必要としている以上、仕方ない。」
「北大陸戦線では、シホールアンル軍も相当に近代化されていると聞きますからな。我々も上手くやれるかどうか、少し不安な所です。」
「なに。あそこにはアイゼンハワーがいる。彼は私の下で働いて来た副官の中では優秀な男だった。彼の下で働けるのならば心配はあるまい。それに……」
マッカーサーは、体をずいと前に寄せた。
「君は我が軍きっての“火消し人”だ。北大陸でもうんと暴れて、この戦争の火消しに携わると良い。」
「はっ、そのように出来るよう、努力いたします。」
モーデルは、軽く頭を下げながらそう答えた。
「閣下。これは、私からのプレゼントです。」
モーデルは、側に置いていた小包を手に取り、マッカーサーに渡した。
「ん?これは何かな。」
マッカーサーは小包を開けてみた。
小包の中からは、枯れた葉らしき物が現れた。
「トハスタで取れたタバコ葉です。現地でも希少なキベリクという花を使った葉で、なかなか良い味わいが楽しめるようです。」
「ほほう、これはありがたい。」
マッカーサーは満面の笑みを浮かべて礼を言った。
「実を言うと、私からも贈り物がある。」
マッカーサーはそう言うと、ソファーから立ち上がり、執務机の後ろのロッカーからビンを取り出した。
「これは、私からの餞別だ。トハスタ産の果実酒だ。」
「これはまた……ありがとうございます。」
モーデルは微笑みながら、マッカーサーに礼を返した。
「トハルケリの防衛大臣から贈られた物だ。ちょうど、1本だけ余っていたから君に渡そうと思ってな。」
「いやはや……しかし、高そうな果実酒ですな。これは、ゆっくりと味わいながら飲まなければ。」
「機会があれば是非飲んでくれ、なかなかの逸品だぞ。」
マッカーサーは自慢するかのようにモーデルに勧めた。
「おっと。もうこんな時間だったか。」
マッカーサーは自分の腕時計を見るなり、幾分、慌てた口調で言った。
「申し訳ない。これから司令部内で会議があるのだ。すまないが、今日はこれまでのようだな。」
「いえ、私にはお構いなく。」
モーデルはそう言うと、ソファーから立ち上がった。
「では、私はこれで。」
「太平洋戦線でも頑張ってくれたまえ。」
マッカーサーは右手を差し出した。
「……ハッ。微力を尽くします。」
「微力じゃなく、派手に暴れ回って来ます、と言った方が良かったな。」
マッカーサーの陽気な口調に、モーデルは笑いながらも、固い握手を交わしたのであった。
1485年(1945年)3月3日 午前11時 マオンド共和国首都クリンジェ
この日のクリンジェは、2週間以上も続いた雨がやっと晴れ上がったせいか、町中を行く人が普段よりも多く見受けられた。
市場には人で溢れ返り、活気の良い掛け声が辺りに響き渡っていた。
主要な道路には、住民が使用する馬車が往来して行く。
その流れを、ほんの少し前までは全く見受けられなかった物が、鮮やかにコントロールしている。
広い通りの中央には、MPの2文字が入ったアメリカ兵が、マオンド住民達が使う馬車の流れを、手信号と口に加えた笛を使って止まれや、
進めという合図を交互に伝えている。
程無くして、馬車の背後から、いかつい駆動音を鳴らしながら黒い影が迫って来る。
馬車を操る御者が、慌てて道の端に移動させる。道の沿道を歩いていた住民達は、郊外から現れたと思しき米軍車両の隊列に、一様に目を向けて行く。
アメリカ軍車両は、最初は小さなジープが走り抜けて行き、次に、歩兵を満載したトラックが通過する。
その後は、M3ハーフトラックとM8グレイハウンド装甲車といった装甲車両が後に続いて行く。
総勢30台以上もの車両部隊は、周囲にエンジンの騒音をまき散らしながら、首都クリンジェの街道を突っ切って行った。
米軍の車列が通り過ぎた後、通行人の何人かは、首都の中心部にある臨時政府庁舎を見つめ、ため息を吐きながら、再び歩みを始める。
マオンド共和国臨時政府庁舎……旧マオンド共和国宮殿の天辺に掲げられた星条旗は、マオンド共和国の民達に、自分達の祖国が敗戦国であり、
アメリカの占領下に甘んじているという事実を、嫌が応にも痛感させていた。
アメリカ陸軍第15軍司令官であるヴァルター・モーデル中将は、公用車の窓の中から、占領下である首都クリンジェの様子を見つめていた。
「……閣下。あと5分ほどで、司令部に到着いたします。」
「うむ。」
モーデルは、窓の外から視線を外さぬまま、運転手に一言返す。
「曹長。私が見る限り、クリンジェは、以前と比べて賑やかになったかと思うのだが。」
「やはり閣下もそう思われますか。」
モーデルと顔見知りである運転役の曹長は、弾んだ声でそう返した。
「2か月前、ここに来た時は人通りが少なかったからな。それが、今では市場はおろか、沿道にも人が多数見受けられる。これはやはり……」
「ええ。1月に発足した、臨時政府の復興政策のお陰でしょうな。」
曹長は思い出したかのようにそう言った。
「マオンド共和国は、昨年に国王が退位した後、新しい首脳部が集められて臨時政府が発足しましたからな。その臨時政府は、1にも2にも、
戦火で荒れた祖国を復興する事が先であるとして、わざわざ、マッカーサー閣下に援助をお願いしてまで復興政策を推し進めてます。自分としては、
まだ敗戦後の混乱が残っているこの時期に、早々と復興を行うのは無理があるのではないかと思っていましたが……」
「私も、そう思っていたよ。2月中旬までは、各地で混乱も続き、私も臨時政府の政策はまずく、マッカーサー閣下の判断も時期尚早過ぎたと
ぼやいた物だが……一応、落ち着きを取り戻しつつあるようだな、この国は。」
「はい。今となっては、町の市場には人で溢れ返っております。本国政府は、マオンドが単独で、満足に政権を運営できるまで復興するには、
最低でも10年は掛かるだろうと言っておられたようですが……マッカーサー閣下の考えではそれよりも、もっと短い内にマオンドは独立できる
だろうと言っておるようです。」
「ほほう……マッカーサー閣下が。」
モーデルは、脳裏に、このレーフェイル派遣軍の総司令官であるマッカーサー元帥の顔を思い浮かべた。
常に尊大そうな態度を取るマッカーサーは、時折、大胆な発言をする時もある。
モーデルは、このマッカーサーの下で働き始めて早1年以上経っていたが、彼の自信がどこから湧いてくるのか、未だに分からなかった。
(あの人は、一体何を見て判断しているのだろうか。)
彼は、複雑な表情を浮かべながら、公用車がレーフェイル派遣軍総司令部の置かれた5階建ての石造りの建物に到達するのを待った。
それから5分後、モーデルを乗せた公用車は、臨時政府の置かれた共和国宮殿の反対側にある5階建ての建物の前で止まった。
「閣下、到着いたしました。」
「うむ。御苦労だった。」
モーデルは、運転役の曹長に軽くねぎらいの言葉を送りながら、小包を小脇に抱えて公用車から出た。
石造りの荘厳な建物は、臨時政府の置かれた共和国宮殿の前にある。
その入り口の両側には2名のMPが立っており、モーデルの姿を見るや、見事な敬礼で彼を出迎えた。
彼は、MPに答礼しながら、レーフェイル派遣軍司令部の置かれた建物の中に入って行った。
内部に入ると、事前に待機していた士官がマッカーサーの執務室まで案内してくれた。
モーデルは、士官に3階の執務室の前まで連れて来られた時、ふと、執務室の場所が前回と同じでは無い事に気付いた。
(3階か……2か月前の派遣軍の会議に来た時は2階だった筈だが……どうした物かな。)
と、心中で呟いている時、案内役の士官が執務室のドアを2度ノックしてから開いた。
「司令官。モーデル閣下がお見えになりました。」
士官はマッカーサーから手振りで合図を送るのを見た後、モーデルに振りかえる。
「どうぞ。」
「うむ、ありがとう。」
モーデルは頷きながら礼を言った後、執務室内に入る。
「良く来たな、ミスター・モーデル。」
執務机に座っていたレーフェイル派遣軍司令官ダグラス・マッカーサー元帥は、顔に笑みを浮かべながらモーデルを出迎えた。
「お久しぶりであります、司令官閣下。」
「こちらこそ。まぁ、そこのソファーにでも座りたまえ。」
マッカーサーは、モーデルにソファーに座るように促しつつ、彼も席を立って、部屋の端に置かれたソファーにどっかりと腰を下ろした。
モーデルは、部屋を見回しながら、マッカーサーが座っているソファーとはの反対側の位置に置かれているソファーに座った。
そこに、従兵がコーヒーをトレイに乗せて入室して来た。
従兵はコーヒーを、2つのソファーに挟まれるように設置されてあるテーブルに置き、穏やかな足取りで退出していった。
「閣下。執務室を移動されたようですな。」
「ああ。少しばかり、気分転換も兼ねて移動したのだよ。元々、ここは向かい側の宮殿に努めていた使用人達の宿舎だったようだから、
どこもかしこも質素な作りだ。ここも広いだけで、大して変わらん。」
マッカーサーは、コーヒーを一口すすった後、コーンパイプを取り出しながら部屋を見回した。
「今は、部屋の周囲に明るい色の張り紙を張っているが、ここに移動した時は、壁も床も真っ白だったぞ。余りにも寂し過ぎる物だから、
私は適当に模様替えをさせたよ。」
「しかし、2階の執務室の方が、ここよりは少し広いように感じられましたが。」
モーデルがそう言うや、マッカーサーは苦笑しつつ、右手をひらひらと振った。
「いくら広くても、周りに窓が全く無いというのは落ち着かないな。私は、万が一の場合に備えて、最初は窓が無い部屋でも良いと思ったが……
狙撃の脅威が無い以上は別に必要無いと思ってここに移動したのだ。それに、ここの窓からは……」
マッカーサーはソファーから立ちあがり、窓辺に歩み寄った。
「臨時政府の置かれた共和国宮殿を眺め見る事が出来る。建物の規模としてはあちらが大きく、見下されているようにも見えるが、私はそうは思わん。」
マッカーサーはモーデルに顔を向けた。
「逆に、私は、彼らにアメリカは常に監視をしている、というメッセージを送れていると思っている。」
彼はそう言うと、ゆっくりとソファーまで歩み寄り、腰を下ろした。
「我々は、マオンドに対する先生でいなければならない。彼らが、自分達で国を運営できるようになるまでは、合衆国はここを拠点に、マオンドの
占領政策を続けて行くべきだ。」
「閣下の言われる通りですな。」
モーデルは頷きながら言う。
「おっと、話がずれてしまったな。さて、道を元に戻すとして……第15軍の移動準備は着々と進んでいるようだね。」
「はい。先月の24日頃から、各師団共に重機材の積め込みや人員の移動を行っており、3日後には第1陣が出港できるでしょう。
15軍の最後の船団は、4日後に出港する予定です。」
「第15軍には本当に苦労を掛けてしまうな。君達はこれから、太平洋戦線に出向く事になるのだから。私としては、対マオンド戦に貢献した君達を、
一度は本国に返したいと思っていたのだが……」
「致し方ない事だと思います。レスタン戦線での我が軍の損害はかなりの物ですからな。」
マーケット・ガーデン作戦と名付けられたレスタン領進行作戦は、2月28日に、最後のシホールアンル軍が撤退した事で連合軍の勝利に終わった。
1ヵ月余にも渡る地上戦で、連合軍部隊は推定80万程のシホールアンル軍のうち、およそ40万名以上に損害を与え、多数の石甲部隊を壊滅させると
言う戦果をあげた。
その一方で、連合軍側も20万もの死傷者を出した他、レーミア海岸上陸部隊の援護に当たった太平洋艦隊も、主力の高速空母部隊や戦艦部隊に喪失艦が
続出すると言う大損害を被っている。
この作戦期間中、シホールアンル軍と連合軍の損害比率は約2:1であり、連合軍側が優勢と言えたが、連合軍部隊は、レスタン領の解放と言う2次目標は
達成できたものの、最優先目標であった、レスタン領駐留のシホールアンル野戦軍主力の撃滅は遂に果たせなかったため、作戦自体は完全に成功とは
言い難く、軍部の一部には、作戦は7割方成功で、3割方失敗であると公言する者も居た。
とはいえ、レスタン領の奪還は、連合軍部隊の新たな勝利を刻む事となり、属国をまた1つ失ったシホールアンル帝国の威信は、更に落ち込んだと言われている。
だが、それに伴う代償は大きく、アメリカ軍だけでも、死傷者88400人を出し、多くの部隊が後方で再編成を余儀なくされる程の損害を被っている。
ワシントンの統合参謀本部では、レスタン戦での損害を補充するため、作戦には参加していなかった予備の軍を前線に回すと同時に、平穏を取り戻した
大西洋戦線から2個軍を段階的に太平洋戦線に転用する事を決定。
その第1陣となったのが、モーデルの率いる第15軍であった。
「しかし、この方面の戦争が終わって早3ヶ月か。あっという間だったな。」
「司令官閣下は、占領軍司令官に就任されて以来多忙と聞いています。良く見ると、少しばかり、顔が……」
「やはり、君もそう思うかね?」
マッカーサーは、再び苦笑しながらモーデルに言う。
「少し、顔がやつれてしまったよ。ここ3カ月は、マオンド臨時政府の首脳陣のみならず、トハルケリ連邦やクナリカ民公国とも定期的に会談を
行っているからな。君も新聞で知っていると思うが、先週はクナリカ民公国を訪問して閣僚と会談を行っている。マオンド占領軍司令官とは
聞こえがいいが、実際は東奔西走の激務ばかりだな。」
マッカーサーは自嘲気味にそう言い放つ。
先週の金曜日。マッカーサーはクナリカ民公国に赴き、現地のオーク族出身のイベガ・クリグボグ臨時防衛大臣と、獣人族出身のクリフ・ルゥインスゥ外交大臣と
会談を行い、アメリカはクナリカ民公国に対してある程度の技術、物資援助を行う事で合意している。
その際の風景が、現地に同行したワシントンポスト社のカメラマンに撮影され、2日後の新聞には、クリグボグ防衛大臣とルゥインスゥ外交大臣と
握手を交わすマッカーサーの姿が掲載された。
その3日前には、トハルケリ連邦にも専用機で赴いており、マッカーサーはそこでも、現地のイロノグ・スレンラド主席と2時間に渡って会談を行っている。
このように、マッカーサーは各地を飛び回り、現地のアメリカ軍最高司令官としての任務に励んでいたのだが、流石の彼も、顔に疲労を濃く滲ませていた。
「そういえば、今月の中頃には、ルーズベルト大統領がこのレーフェイル大陸の指導者を集めて首脳会談を行うと聞いておりますが。」
「大統領閣下は、自分の口からアメリカの今後の方針を伝え、レーフェイル大陸各国がどのように道を歩んでいこうと考えているのかを聞きたいと言って
おられるようだ。一応、先月の20日にトルーマン副大統領がヘルベスタン共和国に赴き、ソルト首相と会談しているが。」
マッカーサーはそこまで言ってからコーンパイプを取り出し、中に葉を入れ始める。
「やはり、このレーフェイル大陸の情勢は安定したとは言い辛いからな。今の所、戦争が再発する危険は全く無いが、各国ともマオンドの支配下にあった
せいで経済はガタガタだ。復興に失敗しては元も子もないから、ひとまず、アメリカも交えた上で経済をどう回復すれば良いのかを、大統領閣下も交えて
話し合うつもりだろう。」
彼はそう言った後、コーヒーを半分程まで飲み、パイプの中の葉に火を付けた。
「とはいえ、今後しばらくは、各国を飛び回る事も無いだろうから、私も少しは落ち着ける。マオンド戦犯の逮捕や、戦争犯罪の証拠探しも順調に進んで
いるからな。」
マッカーサーは頷きながらモーデルに言った。
「戦犯の捜索や証拠探しも、最初はなかなかに大変だったようだ。ある時は、我が軍の部隊が現地住民と衝突寸前の所まで行ったからな。」
「ヴィド・マオコヴァ事件の事ですな。」
「ああ。クナリカ民公国の寒村で起きた事件だったが……あれが流血の事態に発展していたら、今頃、わたしはクビになっていたかもしれん。」
マッカーサーは自嘲気味に話した。
ヴィド・マオコヴァ事件とは、クナリカ民公国……元はマオンド共和国クナリカ領で発生した事件である。
当時、クナリカ領に進駐したアメリカ陸軍第17軍所属の第16軍団は、同地方の治安維持を行うと同時に、所属していた一部の部隊を用いて戦犯の捜索や
戦争犯罪の情報収集に従事していた。
1月17日午前8時、クナリカ民公国北部にあるヴィド・マオコヴァと呼ばれる村落で、戦犯と思しき男女3名が村人に拘束されたと、同地で情報収集に
当たっていた現地の協力者から連絡が入った。
アメリカ軍は、至急、部隊を派遣させて3名の戦犯と思しき人物を確保させる事にし、戦車1個小隊を含む機械化歩兵1個中隊を現地に急行させた。
出発から2時間後、部隊の指揮官であったヴァンド・ウィッグス少佐は、自ら先頭のジープに乗り組み、戦犯と思われる3人の人物が拘束されている村落に入ったが、
そこで彼が目にした物は恐るべきものであった。
そこでは、村人に拘束されたと思しき戦犯が、まるで、中世の魔女狩り裁判のように磔にされた上、火あぶりに処されていた。
耳障りな悲鳴が村中に響き渡り、それを見つめていた住民達は、陰惨な笑みを顔に張り付かせながら口々に罵声を放っていた。
火刑に処されている人物の隣には、集団でリンチを受けて息も絶え絶えになっている4名の男女が転がされており、うち1名は新たに十字架を背中にくくりつけられ
ようとしていた。
住民の1人が、進入して来たウィッグス少佐のジープを見つけるや、村の広場に居た500名の住民達は、一斉に“解放軍”である彼らを歓迎し始めた。
だが、歓迎されたウィッグス少佐の心境は、村の住民達が考えているような物では無かった。
ヴィド・マオコヴァの村は、マオンド占領時代には、現地に駐留していたナルファトス教関係者や軍部隊によって陰惨な迫害を受け、最盛期には1000名を
数えた村の住民達は、今や700名に減っていた。
獣人達の住む村でもあるこの村落は、亜人種という事だけで言われの無い迫害を受け、連れ去られた住人は、誰1人として返って来なかった。
マオンド共和国が降伏した後、住民達は直前になって、慌てて撤退していったマオンド兵に、復讐する機会を逃したとして悔しがったが、最近になって、この村に
マオンド側の戦犯とその協力者が潜んでいるらしいとの情報が入り、村人たちは協力して、戦犯探しに努めた。
やがて、別の地方から来たアメリカ軍協力者の援助の甲斐あって、戦犯3名と、それに協力した“裏切者”2名を拘束する事に成功。
その後は、皆がよってたかって乱暴を加えた。
興奮しきった住民達は、今までの復讐として5名全員を処刑する事に決めた。
これに反対したのがアメリカ軍協力者であった。
「ちょっと待ってくれ!こいつらの証言は後の裁判で重要な証拠になる!ここで殺してしまっては、裁判を開けなくなるぞ!ここはひとまず耐え、こいつらを、
今、ここに向かいつつあるアメリカ軍に引き渡すべきだ!」
と、アメリカ軍協力者は住民を説得しようとしたが。
「何を言うんだ!こいつらは今までに何をやったか分かるか?俺の親父はな、酔ったナルファトス教関係者にぶつかっただけで邪教徒呼ばわりされた挙句、
その場で切り殺されたんだぞ!裁判すら行わずに仲間を殺しまくった連中に、裁判を受ける資格は無い!」
住民達は協力者の言葉など耳を貸さず、そのまま1人目を火刑にしてしまった。
「やったぞ!マオンドの外道が焼けて行くぜ!」
彼らは、猛烈な炎に包まれて、炭化していく元ナルファトス教関係者の姿を見ながら、凄惨な光景を愉しげに見つめていた。
そんな時に現れたアメリカ軍は、彼らにとって自分達の“戦果”を見せびらかす機会ともなった。
「兵隊さん!見てくれ、あいつは俺達がやっつけてやったんだ!」
「どうだ!いい焚火だろう。あそこで燃えているのはマオンド女だが、生意気にも魔法で姿を変えてやがったんだ!だが、これで元通りさ!」
「連中の処理は俺達に任せてくれ!あんたらにもいい見世物になるぞ!」
ウィッグス少佐を取り囲んだ住民達は、興奮した様子で口々にそう言っていたが、次第に、彼らの口調もしりすぼみとなっていった。
彼らとしては、ジープのアメリカ兵達は自分達が上げた“戦果”を褒め称えてくれるだろうと考えていた。
長い間、復讐に燃えていた彼らとしては、それはある意味、当然の考えと言える。
だが、アメリカ兵達は……特に、指揮官と思しき将校の顔は、喜びを見せる所か、全くの無表情だった。
それどころか、次第に怒りの表情を露わにして来た。
「……君達は、戦犯を焼き殺したのかね?」
「……へ、へぇ。そうですが……」
「ほう……戦犯を……後の裁判で必要な貴重な“情報源”を殺した……と言うのだね?」
「……あ、アメリカの旦那さん。どうかされたんですか?」
村の若者がウィッグス少佐に話し掛けた。その時、若者は恐怖で凍りついた。
「どうかされた?ああ、どうかされているよ……貴様らが証拠隠滅を図った事にな!!!」
ウィッグス少佐は、怒りの余り大音声で喚いた。
ウィッグス少佐の怒りには訳があった。
彼の部隊は、これまでに4度ほど、戦犯の逮捕、拘束に関わって来たか、そのうち2件が、確保直前に何かしらの不審死を遂げていた。
現地の協力者は、裏で戦争犯罪の証拠を消そうとしている勢力が動いているとアメリカ軍司令部に伝えており、この2件も、それらの勢力による
物だとほぼ断定されている。
ウィッグス少佐は、心中で証拠隠滅を図る謎の勢力に憎悪の念を抱いていた。
そこに、今回の珍事が舞い込んで来たのである。
普通に考えれば、今回の騒動は、現地民の突発的な行動が起こした事件である事は分かった筈であった。
だが、現場の指揮官は、相次ぐ戦犯の証拠隠滅という事件に頭に来ていた。
彼は、コソコソと動く卑怯な勢力に鉄槌を下してやりたいと思っていた。そこに、今回の騒動が起こったのである。
タイミングとしては、まさに最悪と言えた。
「お前達を戦犯の証拠隠滅罪で拘束する!全員、この村から離れるな!!!」
目の前で起きた、“3件目の証拠隠滅”に激怒したウィッグス少佐は、声高にそう叫んだ後、指揮下の部隊に指示を下し、この村を包囲させた。
住民達は仰天してしまった。
彼らとしては、当然の事をしたまでの筈だったが、目の前のアメリカ軍指揮官はこれに激怒し、あっという間に見慣れない鉄の車や兵隊が村を包囲してしまい、
ごつい重機関銃、小銃の筒先は村人達に向けられた。
村の出入り口には、噂にしか聞いていなかった戦車までもが現れ、アメリカ兵達の殺気が村落に向けられている事に驚愕した。
「た、隊長さん!これはどういう事ですか!?」
村の村長が、慌てた口調でウィッグス少佐に問い掛けた。
「わしらはただ、復讐を成し遂げようとしたまでです!決して、悪い事はしていません!」
「村長さんよ、言っておくが、俺達にとっては、それが悪い事なんだ。正直に言う、あなた方の中には、マオンド派の連中が潜んでこの騒動を引き起こしたか……
あるいは、この村自体が、マオンド派の巣窟という可能性がある。いや、こう、堂々と証拠隠滅を図ったからには、後者の方の可能性が高いだろうな。」
「!?」
「恐らく、お前達は何か強力な兵器を持って、俺達をだまし討ちにしようと考えているのだろう。だが……そうはいかんぞ!そんな卑怯者は、圧倒的な鉄と火力
を叩き付けて跡形もなく吹き飛ばしてやる!」
ウィッグスは完全に頭に血が上っていた。
村長たちは、自分達はマオンド派では無いと言い続けた。確かに、村長たちはマオンド派では無かった。
彼らはむしろ、反マオンドの立場である。
だが、村長たちは説得を行う際に、幾度もミスを重ねていた。
彼らはあろうことか、自分達で戦犯を処理させて欲しいと言い続けたのである。
ここで、すぐに戦犯を引き渡すと付け加えていれば、米軍側の誤解もすぐに解けたのだが、頭に血が上っていたのは、ウィッグスのみならず、村長たちも同様であった。
交渉が始まって1時間経っても、事態は進展しなかった。
最後の所で一向に譲らない村長に対して、ウィッグスは遂に、軽爆隊による航空支援を要請し、それから30分後には、なんと12機のA-26インベーダーが爆弾、
ロケット弾を満載した状態で村の上空に現れ、2度、超低空を通過した後、村の上空を旋回し続けた。
これで完全に肝を潰した村長は、遂に戦犯の引き渡しに応じ、生き残った4人をアメリカ軍側に渡したが、米軍側は完全に、この村がマオンド派の巣窟と決め付けて
いたため、それから1時間に渡って、戦車と装甲車両を含めた、1個中隊規模の完全武装の部隊で包囲を続けた。
結局、村に居た現地協力者の証言の甲斐あって、ウィッグス少佐は自分が誤解していた事に気付き、ようやく村の包囲は解かれ、上空に飛来した12機のA-26も
基地に帰還していった。
この日の出来事は後にヴィド・マオコヴァ事件と名付けられる事になったが、クナリカの住民達は、この事件で、解放軍である米軍に対して、こう印象付ける事になった。
あるクナリカ人曰く……
「アメリカ軍は、例え敵であっても戦意の無い捕虜の処刑はしないし、させようともしない。現に、ヴィド・マオコヴァ事件ではそうだった。もし、
自分達の村や町に、あの戦争の戦犯が紛れ込んできたら、なるべく、捕まえるだけにした方がいい。それ以上の事をしたら、アメリカ軍は激怒して、
多数の戦車と飛空挺を持ち出して来るだろう。それ以前に、こちらがどうしようもないと思ったらアメリカ軍に頼めばいい。彼らなら、圧倒的な
火力で、たちまち事件を解決するだろう。」
それから月日が経ち、クナリカ民公国では全域に、戦犯は確実にアメリカ軍かクナリカ軍に引き渡し、戦犯の殺害や暴行は厳罰に処すとの報せが伝わった。
当然、反マオンド感情の高いクナリカ人の中には、これを不満に思う者も居たが、復讐行為を、圧倒的な軍事力で持って文字通り抑えつけた米軍が相手と
あっては、その不満も堂々と言えなかった。
その後、クナリカ領のみならず、マオンド本土全土では、お尋ねものになった旧ナルファトス教関係者やマオンド軍戦犯の引き渡しが相次いだ。
ヴィド・マオコヴァ事件は、米軍に対して、多分に間違った印象も持たれることにも繋がったが、捕虜を虐待すれば米軍が激怒すると言う話は、多分に効果的であり、
結果としては戦犯の逮捕や証拠の収集をやり易くすると言う嬉しい結果にも繋がっていた。
とはいえ、一歩間違えれば、ヴィド・マオコヴァ村では流血の惨事が起こった事は確実であり、マッカーサーの地位が危うい状況にあった事は、明確であった。
「あの事件は、一歩間違えればこちらが悪者になっていましたな。」
「まぁ、何はともあれ、流血の事態に至らなかった事は幸いだった。あの後、中隊の指揮官は、休養を名目にアラスカ送りにされたが、あれがきっかけで
戦犯の拘束と調査、証拠集めも順調に行き始めた。結果としてはいい方向に流れたと、私は思う。」
マッカーサーは口から紫煙を吐きだしながら言う。
「ただ、どうも……武力で住人を脅してしまった事は、少し、残念であったと思う。本当なら、もっと穏便に行きたかった物だがな。」
「同感ですな。いくら頭に血が上ったとは言え、戦車や航空機を投入して威嚇した事には変わりないですからね。」
「ひとまず、証拠集めは順調に行き始めている。あとは、いつまでに裁判を開く事が出来るか、だな。滅茶苦茶な裁判を開いて戦犯を裁く事も出来んから、
しっかりと考えなければならん。」
「滅茶苦茶な裁判ですか。」
「そうだ。特に、被占領国側の人間から判事を選ぶのは、極力避けた方が良いかも知れん。彼らは感情的になって判決を下す恐れがある。また、我々が逮捕した
戦犯の中には、冤罪で逮捕したと思しき者も混じっている可能性があるからな。そのような物を処刑しては、合衆国は世界に恥を晒す事になる。また、問題は
それだけではない、この国の住民をどうやって育て上げ、どのような国にしていくかも考えなければならん。我々がかつての旧世界に居た、名だたる支配者の
国の多くが衰亡した理由の1つは、占領した国と、住民を育てるばかりか、逆に虐げてしまったからだ。かの国々のように、我が合衆国もまた、このマオンドを
支配している。」
マッカーサーは、コーンパイプを口にくわえて、煙を吸う。
「マオンドを支配すると言う事は、この国に対して、責任を負わねばなら行けないと言う事だ。かつての大帝国は、その責任を“放棄”したも同然の事を
したばかりに、悉く衰え、滅んでいる。我々合衆国は、それらの反省を踏まえた上で、この国を立て直さなければいけないだろう。」
「なるほど……しかし、そう上手く行く物ですかな?」
モーデルは、コーヒーをすすりながらマッカーサーに聞いた。
「……前例が無い訳ではないぞ。」
マッカーサーは自信ありげに答えた。
「かつての旧世界にあった日本は、国力が決して大きいとは言えないながらも、併合した朝鮮と台湾を発展させ続けていた。私は以前、朝鮮の写真を見せて貰ったが、
その発展ぶりには私も感嘆したものだ。やり方さえ違え無ければ、国力の小さな日本でも、併合した地域を発展させられるのだ。我が合衆国は、日本よりも国力は大きい。
朝鮮や台湾のように、この国を発展させられる事も出来る筈だ。」
「アメリカだから……ですか。」
モーデルは、小声で呟いた。
「とはいえ、戦後はいささか苦しくなるだろうから、この国に行う支援も多くは出来んだろう。だが、私はこの国を任された以上、マオンドを良い
方向に生まれ変わらせるつもりだ。それが、私に与えられた任務なのだからな。」
「……なかなかに辛そうな道のりが待っていそうですが。」
「ハハハ。ミスター・モーデル、元々軍人と言う物は、それ自体が辛い道のりを歩まなければならん。何しろ、人を殺す事を前提に仕事をしなければ
ならんのだから。」
マッカーサーは微笑をたたえながらモーデルに言う。
「だが、今回の任務は、国を再生する事だ。この国を、昔とは違って良い方向にな。私は、この仕事はむしろ、やり応えがあると感じているぞ。」
彼は意味ありげな笑みを浮かべた後、再びコーンパイプを吹かした。
「こんな時に、君がここから立ち去るのは寂しい物だが……太平洋戦線が戦力を必要としている以上、仕方ない。」
「北大陸戦線では、シホールアンル軍も相当に近代化されていると聞きますからな。我々も上手くやれるかどうか、少し不安な所です。」
「なに。あそこにはアイゼンハワーがいる。彼は私の下で働いて来た副官の中では優秀な男だった。彼の下で働けるのならば心配はあるまい。それに……」
マッカーサーは、体をずいと前に寄せた。
「君は我が軍きっての“火消し人”だ。北大陸でもうんと暴れて、この戦争の火消しに携わると良い。」
「はっ、そのように出来るよう、努力いたします。」
モーデルは、軽く頭を下げながらそう答えた。
「閣下。これは、私からのプレゼントです。」
モーデルは、側に置いていた小包を手に取り、マッカーサーに渡した。
「ん?これは何かな。」
マッカーサーは小包を開けてみた。
小包の中からは、枯れた葉らしき物が現れた。
「トハスタで取れたタバコ葉です。現地でも希少なキベリクという花を使った葉で、なかなか良い味わいが楽しめるようです。」
「ほほう、これはありがたい。」
マッカーサーは満面の笑みを浮かべて礼を言った。
「実を言うと、私からも贈り物がある。」
マッカーサーはそう言うと、ソファーから立ち上がり、執務机の後ろのロッカーからビンを取り出した。
「これは、私からの餞別だ。トハスタ産の果実酒だ。」
「これはまた……ありがとうございます。」
モーデルは微笑みながら、マッカーサーに礼を返した。
「トハルケリの防衛大臣から贈られた物だ。ちょうど、1本だけ余っていたから君に渡そうと思ってな。」
「いやはや……しかし、高そうな果実酒ですな。これは、ゆっくりと味わいながら飲まなければ。」
「機会があれば是非飲んでくれ、なかなかの逸品だぞ。」
マッカーサーは自慢するかのようにモーデルに勧めた。
「おっと。もうこんな時間だったか。」
マッカーサーは自分の腕時計を見るなり、幾分、慌てた口調で言った。
「申し訳ない。これから司令部内で会議があるのだ。すまないが、今日はこれまでのようだな。」
「いえ、私にはお構いなく。」
モーデルはそう言うと、ソファーから立ち上がった。
「では、私はこれで。」
「太平洋戦線でも頑張ってくれたまえ。」
マッカーサーは右手を差し出した。
「……ハッ。微力を尽くします。」
「微力じゃなく、派手に暴れ回って来ます、と言った方が良かったな。」
マッカーサーの陽気な口調に、モーデルは笑いながらも、固い握手を交わしたのであった。