ドン!という大きな音が、自衛官の心臓をびくつかせた。青い服を着たその
自衛官は、周囲の暑さで出た汗と、冷や汗の二種類を流していた。
彼が恐怖した音の原因は、今彼が誘導している73式大型トラックである。
舷側扉から木でできたスロープを下ったとき、トラックの車体が
大きく動いたのだ。
もっともトラックは巨体を軋ませながらも、タイヤのゴムが戻る悲鳴を
物ともせずに水タンクを引きずっていた。彼が心配しているのも、トラック
よりもその足下の部分だった。
彼やトラックの足下に広がる岸壁は、全て石組みで出来ていた。
そこは隙間をセメントで固めているわけでもなく、せいぜい漆喰の
ような何かが埋まっているだけだった。
大きな音に心細くなった彼は、付近で作業中の上官に質問をしてみる事にした。
「三田一尉殿、ここは本当に大丈夫なんでしょうか?」
「ここは大丈夫かって、そんなことわからん!見たことも無い所なんだから
俺にもまるで見当が付かん!それより次来てるぞ!」
三田一尉の返答は、随分と的外れな物だった。一尉はどうやら、
部下が未知の世界に恐怖したのだと思ったらしい。
彼は質問をもう一度しようと思ったが、車の誘導が先だと思い直して振り向いた。
しかしそこには、先程よりも巨大化した恐怖が彼を待ち受けていた。
彼の目の前に来たのは、特大型トラックだった。正式名称を74式特大型
トラックといい、自衛隊のトラックの中では最大を誇る。彼にとって
更に不幸だったのは、それが搭載量を増大させたロングタイプだったことだ。
彼は誘導をしながらも、先程より多くの冷や汗を流していた。スロープを
ゆっくりと下る特大型が、今の彼には圧殺処刑機のように見えた。
前よりさらに大きな音がして、タイヤと車体がギシギシと嫌な軋み音を上げる。
その時、スロープが大きな音を立てて上下動を起こした。
彼は瞬間的にびくついたが、次の瞬間になっても何も起こらなかった。
そのため彼の動きは中途半端に硬直したようになってしまった。
「おーい!どうした!気分でも悪いのか?」
トラックの窓から運転手が顔を出し、彼に問いかける。彼は慌てて
取り繕うように、「大丈夫だ!」と応えた。
それを聞いた運転手は、「だったらしっかり誘導しろ!」と怒った。トラックは
下方視界が悪いから、安全な位置に誘導員がいても神経を使う。今回は足場が
悪いから、更に張りつめていた所に彼の妙な動きである。運転手が怒るのも
無理はなかった。
彼は運転手に謝って、すぐに誘導を再開した。しかしその最中も、やはり
恐怖感は消えないままであった。
特大型を誘導した所で待機場所が無くなったため、作業は一端中断となった。
炎天下での作業だったので、そこで小休止を入れることになった。
彼はちょうど良いタイミングだと思い、三田一尉と話すことにした。
「三田一尉、さっきの話なんですが・・・」彼は水筒の水を飲んでいる三田に
話しかけ、側に座った。尻にごつごつと痛い感触が、やはりここは岩の上
なのだと彼に再認識させる。
「どうした?こんな訳のわからん所に来て、怖くなったか?」
三田は多少うんざりしたような口調で話していた。その口調が少し
気に障ったが、彼は平素のままで喋った。
「いえ、さっきの『ここ』はここの岸壁の事です。段差は大きいし全部
石組みだし、こんな所をトラックで何度も通って、大丈夫なんでしょうか?」
その言葉を聞いた三田は、拍子抜けしたような表情をした後、大声で笑い出した。
「ははははは!なんだそう言うことか!そんならそうと早く言え!」
「な、何がおかしいんですか?別に変なことを言ったつもりは無いんですが」
「いや、こっちの勘違いに笑っただけだ。気にするな。
質問はここを通って大丈夫かだったな?」
「まあ良いです。で、答えか何かはあるんですか?」
彼は何となく納得の行かない気分だったが、答えがあるなら聞きたいと
言う気分の方が勝った。取り敢えず、三田一尉の話を聞くことにした。
「昔の貿易で、キリンや象を運んだって言うだろ?でもその時、象の重みで
港がダメになったって話は聞かない。その時代の港でも、5~6tやそこらの
重さは平気だった訳だ」
彼も確かに昔、歴史か何かで習った記憶があった。象の種類は分からないが、
確かにその頃の港でも、それなりの耐久力が有る証拠にはなる。
「でも、我々のトラックは象より重いですよ?それに、たまに1~2台なら
まだしも、何回も連続して乗ったらまずい気が・・・」
三田は彼の質問をもっともだと思ったのか、別の話を始めた。
「イタリアではローマ時代の街道を、普通に輸送路に使っているそうだ。しかも
アスファルトの道路がボロボロになっても、そっちは大丈夫らしい」
「アッピア街道とかですか?水路は現役だと聞きましたけど、そっちもですか」
「まあつまり、古い技術も馬鹿にしたもんじゃ無いって事だ。そんなに簡単には
壊れやしないさ」
彼もようやく納得したのか、深く頷いた。そして話が終わったときには、
ちょうど小休止も終わろうとしていた。
「よーし、休憩ももう終わりだ。作業に戻るぞ!」
「はっ!」
歯切れよく返事をして走っていく彼を、三田は笑顔で見つめていた。どうやら
彼は『この訳の分からない世界』の事を、少なくとも今は考えていないと
三田は確信していた。
三田がうんざりしていたのは、「今後のこと」について考えすぎる者が余りに
多かったからだ。考える者自身が悩み抜くのはいいが、士官である三田には
思い切り実害が伴っていた。
ことあるごとに「今後どうするか」「ここはどんな所か」という質問を
部下や後輩隊員から浴びせかけられ、その数は既に数十回を数えていたのだ。
自衛官は、周囲の暑さで出た汗と、冷や汗の二種類を流していた。
彼が恐怖した音の原因は、今彼が誘導している73式大型トラックである。
舷側扉から木でできたスロープを下ったとき、トラックの車体が
大きく動いたのだ。
もっともトラックは巨体を軋ませながらも、タイヤのゴムが戻る悲鳴を
物ともせずに水タンクを引きずっていた。彼が心配しているのも、トラック
よりもその足下の部分だった。
彼やトラックの足下に広がる岸壁は、全て石組みで出来ていた。
そこは隙間をセメントで固めているわけでもなく、せいぜい漆喰の
ような何かが埋まっているだけだった。
大きな音に心細くなった彼は、付近で作業中の上官に質問をしてみる事にした。
「三田一尉殿、ここは本当に大丈夫なんでしょうか?」
「ここは大丈夫かって、そんなことわからん!見たことも無い所なんだから
俺にもまるで見当が付かん!それより次来てるぞ!」
三田一尉の返答は、随分と的外れな物だった。一尉はどうやら、
部下が未知の世界に恐怖したのだと思ったらしい。
彼は質問をもう一度しようと思ったが、車の誘導が先だと思い直して振り向いた。
しかしそこには、先程よりも巨大化した恐怖が彼を待ち受けていた。
彼の目の前に来たのは、特大型トラックだった。正式名称を74式特大型
トラックといい、自衛隊のトラックの中では最大を誇る。彼にとって
更に不幸だったのは、それが搭載量を増大させたロングタイプだったことだ。
彼は誘導をしながらも、先程より多くの冷や汗を流していた。スロープを
ゆっくりと下る特大型が、今の彼には圧殺処刑機のように見えた。
前よりさらに大きな音がして、タイヤと車体がギシギシと嫌な軋み音を上げる。
その時、スロープが大きな音を立てて上下動を起こした。
彼は瞬間的にびくついたが、次の瞬間になっても何も起こらなかった。
そのため彼の動きは中途半端に硬直したようになってしまった。
「おーい!どうした!気分でも悪いのか?」
トラックの窓から運転手が顔を出し、彼に問いかける。彼は慌てて
取り繕うように、「大丈夫だ!」と応えた。
それを聞いた運転手は、「だったらしっかり誘導しろ!」と怒った。トラックは
下方視界が悪いから、安全な位置に誘導員がいても神経を使う。今回は足場が
悪いから、更に張りつめていた所に彼の妙な動きである。運転手が怒るのも
無理はなかった。
彼は運転手に謝って、すぐに誘導を再開した。しかしその最中も、やはり
恐怖感は消えないままであった。
特大型を誘導した所で待機場所が無くなったため、作業は一端中断となった。
炎天下での作業だったので、そこで小休止を入れることになった。
彼はちょうど良いタイミングだと思い、三田一尉と話すことにした。
「三田一尉、さっきの話なんですが・・・」彼は水筒の水を飲んでいる三田に
話しかけ、側に座った。尻にごつごつと痛い感触が、やはりここは岩の上
なのだと彼に再認識させる。
「どうした?こんな訳のわからん所に来て、怖くなったか?」
三田は多少うんざりしたような口調で話していた。その口調が少し
気に障ったが、彼は平素のままで喋った。
「いえ、さっきの『ここ』はここの岸壁の事です。段差は大きいし全部
石組みだし、こんな所をトラックで何度も通って、大丈夫なんでしょうか?」
その言葉を聞いた三田は、拍子抜けしたような表情をした後、大声で笑い出した。
「ははははは!なんだそう言うことか!そんならそうと早く言え!」
「な、何がおかしいんですか?別に変なことを言ったつもりは無いんですが」
「いや、こっちの勘違いに笑っただけだ。気にするな。
質問はここを通って大丈夫かだったな?」
「まあ良いです。で、答えか何かはあるんですか?」
彼は何となく納得の行かない気分だったが、答えがあるなら聞きたいと
言う気分の方が勝った。取り敢えず、三田一尉の話を聞くことにした。
「昔の貿易で、キリンや象を運んだって言うだろ?でもその時、象の重みで
港がダメになったって話は聞かない。その時代の港でも、5~6tやそこらの
重さは平気だった訳だ」
彼も確かに昔、歴史か何かで習った記憶があった。象の種類は分からないが、
確かにその頃の港でも、それなりの耐久力が有る証拠にはなる。
「でも、我々のトラックは象より重いですよ?それに、たまに1~2台なら
まだしも、何回も連続して乗ったらまずい気が・・・」
三田は彼の質問をもっともだと思ったのか、別の話を始めた。
「イタリアではローマ時代の街道を、普通に輸送路に使っているそうだ。しかも
アスファルトの道路がボロボロになっても、そっちは大丈夫らしい」
「アッピア街道とかですか?水路は現役だと聞きましたけど、そっちもですか」
「まあつまり、古い技術も馬鹿にしたもんじゃ無いって事だ。そんなに簡単には
壊れやしないさ」
彼もようやく納得したのか、深く頷いた。そして話が終わったときには、
ちょうど小休止も終わろうとしていた。
「よーし、休憩ももう終わりだ。作業に戻るぞ!」
「はっ!」
歯切れよく返事をして走っていく彼を、三田は笑顔で見つめていた。どうやら
彼は『この訳の分からない世界』の事を、少なくとも今は考えていないと
三田は確信していた。
三田がうんざりしていたのは、「今後のこと」について考えすぎる者が余りに
多かったからだ。考える者自身が悩み抜くのはいいが、士官である三田には
思い切り実害が伴っていた。
ことあるごとに「今後どうするか」「ここはどんな所か」という質問を
部下や後輩隊員から浴びせかけられ、その数は既に数十回を数えていたのだ。