三田は質問責めにされても、とにかくまともに答えなかった。
夜中に来れば酒を飲ませ、昼間の休みには賭けでごまかし、一度来た者と
次に来そうな者には、仕事の割り当てを多めにしてやった。
質問にまともに答えないのは、三田自身にも答えなど分からないからだ。それに
ひたすら励ましなどしても、逆効果になる可能性も考えられた。疑り深い性格の
者だと、それが原因でより深みにはまる場合があるからだ。
が、こういったごまかしにも限界はある。酒や金は尽きれば終わりだし、仕事に
常に忙殺されるほど、航海中のスケジュールは殺人的では無いからだ。
しかし上陸してからは、全てが変わると三田は思った。先程の彼の態度は
将来に恐怖するものの態度ではないからだ。
照りつける太陽と白茶けた岸壁の上で、三田はすがすがしい気分に一瞬だけ
浸り、すぐに作業の監督に戻った。
炎天下の作業も終わり、海自隊員達は赤く沈む夕日の中に居た。倉庫付近に物資と
車を預けた、陸自の隊員達も居並んでいる。彼らの目の前には、艦隊司令や陸自の
司令官ら、部隊の首脳が立っていた。
「えー、諸君。とりあえず物資の陸揚げは終わった。我々は予定外の状況が
発生したため、現在イラクのバスラにいることは、もう説明したと思う」
白いスピーカーを手に持っているのは、陸自司令官の望田一佐だった。彼は嵐の後
通信が途絶したこと、燃料補給のためクゥエートに向かったこと、進路を誤って
バスラに寄港したことなど、今までの状況を概ね説明した後、隣の男にスピーカを渡した。
スピーカーを手渡されたのは、艦隊司令の芝尾一佐である。彼は望田よりも
いかつい面持ちで、第一声を発した。
「えー、先程の望田一佐の説明で分かるとおり、現在の我々は遭難者と言って良い。
だがこれは、ただの遭難などではない。それは周囲をみれば理解できると思う」
芝尾が空いている手で指を指すと、隊員達は一斉にそちらを向いた。
そしてそこには、何もなかった。現代文明を示す建物が、何もなかったのだ。
隊員達の反応を確かめた後、芝尾一佐は話を再開した。
「見て分かるとおり、ここは例えイラクであっても現代ではない」
言葉の後にざわつくのが分かっていたのか、芝尾は暫く喋らなかった。
本来ならこのような学生然とした空気は、厳しく指導されるべきだったが
現在は状況が状況だ。ここで強い統制を敷くと、混乱が深まる可能性が有った。
そしてざわめきが収まった後、芝尾はもう一度話し始めた。
「現在の状況下では、日本及び他国との連絡は極めて困難であると判断される。
従ってこれからは、我々は自主的行動を取って行かねばならない。日本や他国との
連絡が可能になるまでの間、司令部は自主判断を行う決心をした」
この時のざわめきが、ある意味で一番大きかった。但しそれは、声に出る
ざわめきではなく心のざわめきであった。芝尾を含む司令部の全員は、
『自主判断』宣言に心を粟立たせていた。
自衛隊は長い間、文民統制と他国共同を防衛の基本としてきた。そのため自衛隊の
幹部クラスは、どうしても受け身になりがちであった。もっとも『自主判断』
なぞ出来るような人間は、どちらにしろ異端扱いなのだが。
とにかくここまで大きな部隊が自主判断するなど、自衛隊始まって以来の
出来事だった。前例のない事態に、司令部全体は戸惑っているのだ。
しかし事態の重さは、その他の状況とは桁違いだった。通信不通どころか
現代文明そのものから、完全に切り離されてしまったのだから。
この事態の重さを考えれば、自主判断宣言という一種の大バクチも
仕方がないと、司令部は考えていた。
「そして、司令部の自主判断による最初の命令を伝える。海自一般隊員及び
陸自一般隊員は、しばらくの間輸送艦内に宿泊してもらう。理由は、先方が
用意できる宿泊施設は、部隊全員を収容不可能なためである。以上解散!」
こうして自衛隊史上始まって以来の大事件は、その始まりの終わりを告げた。
夜中に来れば酒を飲ませ、昼間の休みには賭けでごまかし、一度来た者と
次に来そうな者には、仕事の割り当てを多めにしてやった。
質問にまともに答えないのは、三田自身にも答えなど分からないからだ。それに
ひたすら励ましなどしても、逆効果になる可能性も考えられた。疑り深い性格の
者だと、それが原因でより深みにはまる場合があるからだ。
が、こういったごまかしにも限界はある。酒や金は尽きれば終わりだし、仕事に
常に忙殺されるほど、航海中のスケジュールは殺人的では無いからだ。
しかし上陸してからは、全てが変わると三田は思った。先程の彼の態度は
将来に恐怖するものの態度ではないからだ。
照りつける太陽と白茶けた岸壁の上で、三田はすがすがしい気分に一瞬だけ
浸り、すぐに作業の監督に戻った。
炎天下の作業も終わり、海自隊員達は赤く沈む夕日の中に居た。倉庫付近に物資と
車を預けた、陸自の隊員達も居並んでいる。彼らの目の前には、艦隊司令や陸自の
司令官ら、部隊の首脳が立っていた。
「えー、諸君。とりあえず物資の陸揚げは終わった。我々は予定外の状況が
発生したため、現在イラクのバスラにいることは、もう説明したと思う」
白いスピーカーを手に持っているのは、陸自司令官の望田一佐だった。彼は嵐の後
通信が途絶したこと、燃料補給のためクゥエートに向かったこと、進路を誤って
バスラに寄港したことなど、今までの状況を概ね説明した後、隣の男にスピーカを渡した。
スピーカーを手渡されたのは、艦隊司令の芝尾一佐である。彼は望田よりも
いかつい面持ちで、第一声を発した。
「えー、先程の望田一佐の説明で分かるとおり、現在の我々は遭難者と言って良い。
だがこれは、ただの遭難などではない。それは周囲をみれば理解できると思う」
芝尾が空いている手で指を指すと、隊員達は一斉にそちらを向いた。
そしてそこには、何もなかった。現代文明を示す建物が、何もなかったのだ。
隊員達の反応を確かめた後、芝尾一佐は話を再開した。
「見て分かるとおり、ここは例えイラクであっても現代ではない」
言葉の後にざわつくのが分かっていたのか、芝尾は暫く喋らなかった。
本来ならこのような学生然とした空気は、厳しく指導されるべきだったが
現在は状況が状況だ。ここで強い統制を敷くと、混乱が深まる可能性が有った。
そしてざわめきが収まった後、芝尾はもう一度話し始めた。
「現在の状況下では、日本及び他国との連絡は極めて困難であると判断される。
従ってこれからは、我々は自主的行動を取って行かねばならない。日本や他国との
連絡が可能になるまでの間、司令部は自主判断を行う決心をした」
この時のざわめきが、ある意味で一番大きかった。但しそれは、声に出る
ざわめきではなく心のざわめきであった。芝尾を含む司令部の全員は、
『自主判断』宣言に心を粟立たせていた。
自衛隊は長い間、文民統制と他国共同を防衛の基本としてきた。そのため自衛隊の
幹部クラスは、どうしても受け身になりがちであった。もっとも『自主判断』
なぞ出来るような人間は、どちらにしろ異端扱いなのだが。
とにかくここまで大きな部隊が自主判断するなど、自衛隊始まって以来の
出来事だった。前例のない事態に、司令部全体は戸惑っているのだ。
しかし事態の重さは、その他の状況とは桁違いだった。通信不通どころか
現代文明そのものから、完全に切り離されてしまったのだから。
この事態の重さを考えれば、自主判断宣言という一種の大バクチも
仕方がないと、司令部は考えていた。
「そして、司令部の自主判断による最初の命令を伝える。海自一般隊員及び
陸自一般隊員は、しばらくの間輸送艦内に宿泊してもらう。理由は、先方が
用意できる宿泊施設は、部隊全員を収容不可能なためである。以上解散!」
こうして自衛隊史上始まって以来の大事件は、その始まりの終わりを告げた。