会議を行った日の夜、新沼は士官用個室の寝床に横たわっていた。輸送艦は元々結構な
大きさがある新型艦で、一定数の陸自部隊を載せることも考慮に入れて設計されている。
その為艦には居住スペースがふんだんにあり、こうして一人寝も出来るという訳だった。
半分まどろむような思考の中で、新沼は幾つもの事をとりとめもなく考えていた。
何故こんな所に来てしまったのか。自分たちは帰れるのか。帰る方法は?その他にも
家族や妻のこと、今日の会議などを想っている内に、思考は一つに収束されていった。
なぜ司令部は、あんなに早い時期に食糧確保に努めたのだろうか?状況把握や帰還方法の
議論などよりも優先的に、それもあれだけ簡単に決めるなどおかしすぎる。
彼の思考に浮かび上がったのは、決定に対する不満感ではなく違和感だった。例えば
子供が知らない街で迷子になったら、まず諦めてとどまるよりも、自分の家にどう
やって帰るかを考えるものだ。言ってみれば帰りたい気持ちの方が、動いて疲れるのを
厭がる心より遥かに強いということだ。
だから司令部の決定は、迷子がいきなりその街の子になろうとするようなものなのだ。
そんな奇妙な子供が、果たしてこの世にいるのだろうか?と彼は考えていた。
しかし同時に、自分の考えが危険であることにも彼は気付かされていた。芝尾に会議で
言われたように、すぐに時間を越えられるほどの嵐に遭遇できるとは限らないのだ。
それにその嵐を見つけようとしても、知識や観測機器・情報が決定的に不足していた。
そこで彼は芝尾の言葉を、一種の長期戦略なのだと受け取っていた。いつ来るか
分からない嵐に賭けず、気長に帰る手を探すための行動なのだと解釈したのだ。
だがそう考えると、彼にはもっと司令部の発想が分からなくなった。元の時代への
帰還を考えているとしても、こんなに早期に決定する必要は無かったはずなのだ。
出来る限り自力で粘り、その後で物資を流用するならばそれも納得が出来る。けれども
危地に陥る前から物資を利用することは、任務放棄のようにしか思えなかった。
最後まで諦めずに行動せず、簡単な方向へ走ったような気がして納得が行かないのだ。
今のところ大っぴらに批判しているのは自分だけだが、口に出さない、そして出せない
所で同じ考えに達している者、もっと過激な事を思っている者も居るだろうと彼は
思っていた。つまり安易な考えだと受け取る者は確実に居ると分かっているのだ。
そこに気付かないほど司令部は間抜けではないはずなのに、なぜこんな事をしたの
だろうか?批判の元を作ることは、今は絶対に出来る時期ではないのに。
そこまで考えたところで、彼はいい加減眠ることにした。とにかく今やるべき事は、
司令部をなじる事ではなく、どうやって海上観測や状況の確定を行うかなのだ。
明日起きたらそれについて手を付ける事にして、彼は重くなり始めた瞼を閉じた。
********************************
バスラ寄港から約一月が経ったある日の事。その日の輸送艦の甲板上には、普段からは
想像も付かないような数の色が踊っていた。遠目にはまるでミニチュアの庭園のように
見えるその色彩の上には、黒く小さな羽虫のようなものが動き回っている。
その動き回る羽虫を近くで見てみれば、その正体が司令部の自衛官と、都市に住む
商人や貴族らで有ることが分かる。そして色彩の正体とは、色とりどりの飾り付けや
テーブルの上に置かれた何種類もの料理だった。
そう、この日輸送艦の最上甲板では、船上パーティーが開かれていたのだ。甲板に固定
されていた車は一日目に下ろしてあったから、後は表面の凹凸を埋めて海鳥の糞を
掃除すれば、簡単に広いスペースが確保できたのだ。
こんな所を会場にした理由には、もちろん政治的意図がある。輸送艦にはとにかく人を
驚かせる物が山ほど有るのだから、力を端的に見せつけるにはいい場所だと言える。
他の船を見下ろす高さ、船上とは思えぬ大きさと開けた空間。そして隅やへりの方には
細い塔や珍奇な機械の塊どもが鎮座していた。このような物を初めて見れば、例え現代
人でも大抵は驚愕するものだ。想像すらしえない時代の人間ならばなおさらである。
そしてそのもくろみは、今のところ完全に成功していた。貴族達は船の大きさに驚き、
商人達は物珍しそうに料理や様々な物を調べていた。
「この料理は随分と不思議な味がしますな。美味ではあるのだが、それ以上に全く
味わったことのない味だし、見たことのない素材が大変多くて面白い」
「お褒めにあずかり光栄です。まだ他にも料理はありますから、堪能なさってください」
客人の応対に回っているのは、特別に編成された『外交班』のメンバーだった。彼らは
編成から数週間の間に、言葉に関する不足知識の追加と徹底した再学習を行い、結果
応対に回せる人数が増えているのだった。
パーティーの場を取り仕切っているのは、任侠映画の若頭の様な顔をした男である。
名前は南一臣三佐という。元イラン在外公館の警備官であり、その言語能力と文化への
理解度を買われて、今回の派遣部隊に同行している男だった。
彼は顔の怜悧さに似合う知性を持っているが、決して陰険でも傲慢でもなかった。
客に対する笑顔と誠実な対応を忘れず、恐ろしげな雰囲気は全く持っていない。
だがそんな彼でも、もちろん困惑することはある。
「しかしこんな大きな物を動かすとは・・・随分強力なジンを使っているのですね」
「じ、ジンですか。まあ確かにそれなりの物は使っていますね。だいたい二つで
この船を動かしています。この国の物とは大分姿が違っていますが」
彼、というより司令部はこの『ジン』という概念をとりあえず何かのエネルギー
若しくは運動機関に相当する物だと位置づけていた。会話からの推定によって
導いた曖昧な答えでは有るが、何も分からずに喋るよりはましだった。
艦や道具の動力について訪ねられる場合、大抵この言葉が出てくるのだ。とにかく
それらしい意味を決めつけてみて、その上で会話をしないとどうにもならない。
「ほう、たったの二つですか。それでは一つが随分と強いジンなのでしょうな。
一体何の力を使っているのです?」
「炎の力を渦巻かせて、その力で動いています。一つで馬一万頭分くらいの力を
持っていますね」
「一万頭分!それはまたかなり強い炎のジンですな。しかしこの要塞の様な船を
動かそうと思ったら、それくらいの力は必要なのかもしれませんな」
取り敢えず騙し騙しではあるが、ジンという言葉を意訳すれば会話は成立するように
なった。が、その一方で彼はその事に違和感を覚えていた。ジンという単語自体は、
この時代にも存在するはずの物だからだ。
そして『ジン』という言葉が指し示す本来の物とは、「妖精」や「精霊」といった
霊的存在であった。だからエネルギーとも訳せる現在の使用状況は、本来の意味から
すれば余りに異様なのだ。
彼は最初の内、言葉に理解できない部分が有るのを当然と考えていた。自分の知っている
文語体言葉(フスハー)は、過去に一度失われ、基礎だけが現代に再現された。その基礎
だけを習ったのだから、知らない言葉は覚えるしかないと思っていたのだ。
しかし今の状態は、本来の意味が分かっているはずの言葉が有り得ないような使われ
方をしているのである。その奇妙さが彼の違和感の原因だった。
大きさがある新型艦で、一定数の陸自部隊を載せることも考慮に入れて設計されている。
その為艦には居住スペースがふんだんにあり、こうして一人寝も出来るという訳だった。
半分まどろむような思考の中で、新沼は幾つもの事をとりとめもなく考えていた。
何故こんな所に来てしまったのか。自分たちは帰れるのか。帰る方法は?その他にも
家族や妻のこと、今日の会議などを想っている内に、思考は一つに収束されていった。
なぜ司令部は、あんなに早い時期に食糧確保に努めたのだろうか?状況把握や帰還方法の
議論などよりも優先的に、それもあれだけ簡単に決めるなどおかしすぎる。
彼の思考に浮かび上がったのは、決定に対する不満感ではなく違和感だった。例えば
子供が知らない街で迷子になったら、まず諦めてとどまるよりも、自分の家にどう
やって帰るかを考えるものだ。言ってみれば帰りたい気持ちの方が、動いて疲れるのを
厭がる心より遥かに強いということだ。
だから司令部の決定は、迷子がいきなりその街の子になろうとするようなものなのだ。
そんな奇妙な子供が、果たしてこの世にいるのだろうか?と彼は考えていた。
しかし同時に、自分の考えが危険であることにも彼は気付かされていた。芝尾に会議で
言われたように、すぐに時間を越えられるほどの嵐に遭遇できるとは限らないのだ。
それにその嵐を見つけようとしても、知識や観測機器・情報が決定的に不足していた。
そこで彼は芝尾の言葉を、一種の長期戦略なのだと受け取っていた。いつ来るか
分からない嵐に賭けず、気長に帰る手を探すための行動なのだと解釈したのだ。
だがそう考えると、彼にはもっと司令部の発想が分からなくなった。元の時代への
帰還を考えているとしても、こんなに早期に決定する必要は無かったはずなのだ。
出来る限り自力で粘り、その後で物資を流用するならばそれも納得が出来る。けれども
危地に陥る前から物資を利用することは、任務放棄のようにしか思えなかった。
最後まで諦めずに行動せず、簡単な方向へ走ったような気がして納得が行かないのだ。
今のところ大っぴらに批判しているのは自分だけだが、口に出さない、そして出せない
所で同じ考えに達している者、もっと過激な事を思っている者も居るだろうと彼は
思っていた。つまり安易な考えだと受け取る者は確実に居ると分かっているのだ。
そこに気付かないほど司令部は間抜けではないはずなのに、なぜこんな事をしたの
だろうか?批判の元を作ることは、今は絶対に出来る時期ではないのに。
そこまで考えたところで、彼はいい加減眠ることにした。とにかく今やるべき事は、
司令部をなじる事ではなく、どうやって海上観測や状況の確定を行うかなのだ。
明日起きたらそれについて手を付ける事にして、彼は重くなり始めた瞼を閉じた。
********************************
バスラ寄港から約一月が経ったある日の事。その日の輸送艦の甲板上には、普段からは
想像も付かないような数の色が踊っていた。遠目にはまるでミニチュアの庭園のように
見えるその色彩の上には、黒く小さな羽虫のようなものが動き回っている。
その動き回る羽虫を近くで見てみれば、その正体が司令部の自衛官と、都市に住む
商人や貴族らで有ることが分かる。そして色彩の正体とは、色とりどりの飾り付けや
テーブルの上に置かれた何種類もの料理だった。
そう、この日輸送艦の最上甲板では、船上パーティーが開かれていたのだ。甲板に固定
されていた車は一日目に下ろしてあったから、後は表面の凹凸を埋めて海鳥の糞を
掃除すれば、簡単に広いスペースが確保できたのだ。
こんな所を会場にした理由には、もちろん政治的意図がある。輸送艦にはとにかく人を
驚かせる物が山ほど有るのだから、力を端的に見せつけるにはいい場所だと言える。
他の船を見下ろす高さ、船上とは思えぬ大きさと開けた空間。そして隅やへりの方には
細い塔や珍奇な機械の塊どもが鎮座していた。このような物を初めて見れば、例え現代
人でも大抵は驚愕するものだ。想像すらしえない時代の人間ならばなおさらである。
そしてそのもくろみは、今のところ完全に成功していた。貴族達は船の大きさに驚き、
商人達は物珍しそうに料理や様々な物を調べていた。
「この料理は随分と不思議な味がしますな。美味ではあるのだが、それ以上に全く
味わったことのない味だし、見たことのない素材が大変多くて面白い」
「お褒めにあずかり光栄です。まだ他にも料理はありますから、堪能なさってください」
客人の応対に回っているのは、特別に編成された『外交班』のメンバーだった。彼らは
編成から数週間の間に、言葉に関する不足知識の追加と徹底した再学習を行い、結果
応対に回せる人数が増えているのだった。
パーティーの場を取り仕切っているのは、任侠映画の若頭の様な顔をした男である。
名前は南一臣三佐という。元イラン在外公館の警備官であり、その言語能力と文化への
理解度を買われて、今回の派遣部隊に同行している男だった。
彼は顔の怜悧さに似合う知性を持っているが、決して陰険でも傲慢でもなかった。
客に対する笑顔と誠実な対応を忘れず、恐ろしげな雰囲気は全く持っていない。
だがそんな彼でも、もちろん困惑することはある。
「しかしこんな大きな物を動かすとは・・・随分強力なジンを使っているのですね」
「じ、ジンですか。まあ確かにそれなりの物は使っていますね。だいたい二つで
この船を動かしています。この国の物とは大分姿が違っていますが」
彼、というより司令部はこの『ジン』という概念をとりあえず何かのエネルギー
若しくは運動機関に相当する物だと位置づけていた。会話からの推定によって
導いた曖昧な答えでは有るが、何も分からずに喋るよりはましだった。
艦や道具の動力について訪ねられる場合、大抵この言葉が出てくるのだ。とにかく
それらしい意味を決めつけてみて、その上で会話をしないとどうにもならない。
「ほう、たったの二つですか。それでは一つが随分と強いジンなのでしょうな。
一体何の力を使っているのです?」
「炎の力を渦巻かせて、その力で動いています。一つで馬一万頭分くらいの力を
持っていますね」
「一万頭分!それはまたかなり強い炎のジンですな。しかしこの要塞の様な船を
動かそうと思ったら、それくらいの力は必要なのかもしれませんな」
取り敢えず騙し騙しではあるが、ジンという言葉を意訳すれば会話は成立するように
なった。が、その一方で彼はその事に違和感を覚えていた。ジンという単語自体は、
この時代にも存在するはずの物だからだ。
そして『ジン』という言葉が指し示す本来の物とは、「妖精」や「精霊」といった
霊的存在であった。だからエネルギーとも訳せる現在の使用状況は、本来の意味から
すれば余りに異様なのだ。
彼は最初の内、言葉に理解できない部分が有るのを当然と考えていた。自分の知っている
文語体言葉(フスハー)は、過去に一度失われ、基礎だけが現代に再現された。その基礎
だけを習ったのだから、知らない言葉は覚えるしかないと思っていたのだ。
しかし今の状態は、本来の意味が分かっているはずの言葉が有り得ないような使われ
方をしているのである。その奇妙さが彼の違和感の原因だった。