「あら、立花ちゃん」
駐屯地内の酒場「ミスティ」のママが声をかけてくれた。ぼくはカウンターに座るとビールを注文した。上空を自衛隊のヘリが通過していく。もう1つのパー ティの始まりだった。それをママさんは彼女特有のとがった耳で聞いているのだろう。生ビールを出しながらぼくに話しかけてきた。彼女が話しかけてくるのは 珍しい。きれいな女性で常連客も彼女目当てで通っているらしいが、愛想はあまりよくないので評判だった。彼女の名前は店の名前と同じ。ミスティ。ハーフエ ルフという人種らしい。今はもう滅びてしまった森の民、エルフの末裔だそうだ。ゴブリンと呼ばれる怪物どもが森を支配してから数百年。森の民の末裔である 彼女が、森を切り開いて作ったこの駐屯地に店を出すのも何か運命めいたモノを感じずにはいられない。
「立花ちゃん、最近お城に出入りしてるんですって?気をつけた方がいいわよ」
「保守派と改革派の内輪もめにでしょ?」
ぼくの言葉に彼女は少しびっくりしたようだ。無理もない。日本政府もよく把握していない話なのだから。考えてみれば、そんな状況の国にぼくたちをよく送り込む気になったもんだ。いくら目の前に石油があるからと言ってもだ。
「ふふ、さすが立花ちゃんね。もう城内に情報網つくったの?」
「顧客管理の鉄則。お客さんと仲良くなれってやつだよ」
そう言っていつの間に来ていたのか大川さんがぼくの横にどっかりと座った。彼もママ目当てのようだが、そもそもあなた、奥さんいるんじゃないですか?って突っ込みたいところだ。
「ホースを切られたんだって?よく爆発しなかったな」
日本国内だったら営業停止モノの大事件だ。大川さんはのん気にビールを飲みながら笑っている。ぼくは思い切って大川さんに昼間、リナロに言われたことを相談してみようと思った。
「一部の人間の嫌がらせみたいなんですが、やり方次第ではマガンダ侍従が押さえてくれるそうです」
「ほお、やり方ね・・・」
大川さんは興味を持ったようだ。
「彼にいくらか賄賂を渡せば事は収まるそうなんですが、会社の予算でどうにかなりませんか?」
ぼくの質問に彼はジョッキの中身を飲み干しながら黙った。そして一息つくと冷酷な言葉を発した。
「無理だ。っていうか無理に決まってんだろ。まあ、あとはおまえの営業力だな、ははは!」
そう言って大川さんは例によって飲むだけ飲むととっとと帰ってしまった。ぼくは半分予想されたリアクションに思わずカウンターに突っ伏した。
「そこの人、話を聞かせてくれませんか?」
その時、テーブル席の男が声をあげた。ぼくとママだけでない。店にいた業者や自衛官が一斉に彼に視線を向けた。彼はスーツにメガネ。迷彩服や作業服で埋ま るこの店の雰囲気から明らかに浮いている。そんなことお構いなしに彼は、さっきまで大川さんがいたカウンター席に座った。
「ママ、この人知ってる?」
「ここ2,3日通ってる人なの」
ミスティに思わず尋ねるが、彼はそんなぼくに内ポケットから名刺を出して渡した。それに書かれた内容を見て思わず目を見張った。
「内閣情報調査室・・・?」
目の前の男は誇らしげにメガネをかけ直した。
「そう、わたしは内閣官房の直属で国内外の情報を収集しているのだ。君の話は外務省も把握してなかった話だ。ぜひ、今後の日本とアルドラ王国のために君の情報を知りたくてね」
川村と名乗るこの胡散臭い男はどうやら、話を聞くに日本版007みたいだった。ぼくは半分仕事の愚痴も含めながら彼に今日の出来事を話してみた。
「わかった・・・。その侍従への賄賂。内調で負担しよう。ただし、君はわたしにどんなささいな情報でもいい。2日に1回、この酒場でわたしに伝えて欲しい。君の情報が今の内閣の方針を決める決め手になるかもしれないからな」
そう言って川村は鞄から金塊を取り出してぼくに渡した。
「え?え?」
「いろいろと期待してるぞ」
本物の金塊を見てたじろぐぼくの肩をぽんぽんと叩くと川村は笑って外に出ていった。すれ違いざまに陸上自衛隊の幹部が彼に敬礼するのが見えた。どうやら、彼は本物の政府の人間らしい。ということは、ぼくの手にある金塊は間違いなく本物だ。思わずママに相談する。
「ど、ど、どうしよう、ママ?」
「そんなことわたしに言われても困るわ」
当たり前すぎる返答が返ってきてぼくは途方に暮れた。
翌日、ぼくはスーツ姿で王宮にいた。マガンダ侍従に会うためだ。あの金塊。まさか捨てるわけにはいかなかった。もしも、川村が政府の人間でなければ、金塊 をぽんと渡すような職種の人々=気質ではない人々とおつきあいしなければいけなくなる。しかもこっちが借りがある状況で。もしも、川村が政府の人間の場 合、金塊を捨てるなり、持ち逃げすればぼくは日本には帰れない。結局、使い道は侍従に献上するくらいしか思いつかなかった。
「おお、異世界の魔法使いか・・・・」
謁見の間に現れたデブのおっさんは見下すようにぼくに声をかけた。ぼくはガス屋だって叫びたくなるがここは我慢の一手だった。
「実は侍従様に配管工事が終わりましたことをご挨拶と思いまして・・・」
そう言いながら、侍従の横に控える召使いに金塊を手渡した。侍従は彼からそれを受け取るとうっとりと眺めている。金銀財宝が大好きな悪代官タイプはどの世界にもいるようだ。
「ほほお、これは見事だ。で、タチバナ殿。何かわたしに用事があるのではないのかね?」
まるで自分が越後屋になった気分だったが、背に腹は代えられない。直立不動のまま答えた。
「はい!このたび王宮に設置させていただいた設備を定期点検するご許可をいただきたいのです」
「ふむ、そんなことか・・・」
そう言うと侍従は指をぱちんと鳴らした。召使いが何か書類みたいなモノを恭しく持ってきた。
「これを王宮に来る際は身につけるがよい。わたしの署名入りの許可証だ」
「ありがとうございます」
一応、形式上深々と頭を下げたぼくにデブのおっさんは付け加えた。
「ただし、神聖騎士団には気をつけるがよい。この許可証で城内は歩けるが、親衛騎士団の前で目立つ行動はするでないぞ。そなたたちは目の敵にされておる・・・・」
やっぱり・・・。たとえて言うなら、校内きっての不良に目を付けられた転校生ってところだろうか。ともあれ、このおっさんから許可証をいただいた以上、城内の出入りは完璧だ。ぼくの本業にも、気の進まない副業にも大いに役立つことだろう。
今日は王宮に挨拶に行くってことで他の仕事を入れていなかったぼくは、マガンダ侍従との会見がわずか30分で終わってしまい時間を持て余していた。アルド ラータ中心部から少し離れた酒場でスーツのまま酒をあおっていた。通りに面した店から街を眺めると面白い光景にいろいろと出くわす。街を歩く人々、郊外の 農家から農産物を売りに来ている行商人。豪華なドレスとお供の騎士を連れたこっちでいうセレブの馬車。走り回る子供たち、自衛隊のトラック。同業者の軽バ ンや軽トラック。最後の3つは明らかに浮いた存在だったが。その窓の向こうで知った顔がぼくを見てびっくりしている。
「タチバナ!何してんの?」
リナロだった。今日は非番らしい。飲酒運転もないこの国だ。彼女の希望である軽トラの荷台に乗る希望を叶えてやった。
「うっひゃああ!最高!」
大声で喜ぶ彼女を郊外の丘まで連れていってやった。丘で車を止めると、ぼくも荷台に登ってこっそり持ち出していた缶ビールを彼女に渡してやった。プルタブの開け方を説明してやる。
「かぁ~!のどにしみる!」
初めて飲んだ人の感想とは思えない言葉をリナロは発した。ぼくは一口飲んでタバコに火をつけて空を眺めた。日本にいたときと変わらない。真っ青な空と真っ白な雲のコントラストが美しい。
「侍従に「ご挨拶」してきたよ」
驚いたような顔をして彼女は隣に座るぼくを見た。
「どうだったの?」
「こんなものもらった」
そう言って彼女に侍従が偉そうに渡したモノを見せてやった。ますます、彼女は驚きの表情を浮かべた。
「これって、王座の間にも入れる許可証よ!」
ぼくはこのことにあまり驚いてない。王座の間と王の私室にはガスエアコンがある。これが壊れれば当然、ぼくと大川さんが修理にうかがうことになる。これは ガス屋としてごくごく当たり前の行為だ。もっとも、中世みたいな世界で、神に王権を授けられた王の間に、作業服を着たガス屋の兄ちゃんが「ちわー!」って 入るのを想像すれば、めちゃくちゃ違和感のある光景ではある。
「そう何度も行くことはないだろうさ・・・。どのみち、ぼくたちもいつかもとの世界に帰るんだし」
ほとんど意識もしないで言ったこの言葉に、リナロは驚きではなく半分あきれたような表情を浮かべてぼくを見た。
「あなた、ほんっっとに、何も知らないのね」
「な、何がだよ?」
頭ごなしの言葉に昼間からビールを飲んだせいもありいささかむっとしてリナロに答えてしまった。
「あなたの国はこの世界の「周期」によって呼び寄せられたの。「周期」はとてものんびりとしているわ。人間の一生なんて「周期」の前ではまばたきのようなものよ・・・」
リナロは「周期」についてぼくにレクチャーしてくれた。この世界では定期的に別の世界からの召還が発生するそうだ。人為的にではなく自然発生的に。その 「周期」はおよそ1000年。彼女たちの理屈で言えばこれは神の摂理であって人間ではどうすることもできないそうだ。ちなみに、ぼくたちの前に「周期」に よって召還された島は、1400年に渡ってこの世界に存在し続け200年前に忽然と姿を消したという。そしてつい数ヶ月前、日本列島が現れたというのだ。 つまらない次元だが、ユーロで貯蓄をしていた会社の先輩のことを思うと思わず同情せずにはいられなくなった。事はそんな問題じゃないんだが、普通のサラ リーマンからすればこのような壮大なスケールの話はなかなか現実味を帯びてこないのもまた実状だ。
「1000年後って3006年か。ドラ○もんどころか、宇宙戦艦ヤ○トまでできあがってるな・・・・」
思わずぼくがこぼしたこの言葉にリナロが食いついた。
「なに?宇宙戦艦ヤ○トって?」
ぼくたちは缶ビールがなくなるまで、ぼくがいた世界のことやこの世界のことについて語り合った。
夕方、「ミスティ」には約束通り川村が待っていた。ぼくは彼から預かった金塊の使い道とその成果。そしてリナロから聞いた話を彼に報告した。
「やはり、うすうす推測してはいたが。だがこれは発表できないな」
「なんでですか?」
川村の答弁に思わずぼくは反論した。彼は周囲の自衛官や業者に聞かれていないことを確認してぼくにそっと言った。
「そ んなこと、どうやって発表する?我々はもう元の世界には帰れません。痛みに耐えてがんばりましょう。ってか?そんなこと今のタイミングで言えば政治が保た ない。だが、今日持ち帰った君の情報でこれをどうすれば国民にわかりやすく説明するかのヒントが得られた。政治とはそういうものだ。大多数の人々を表面上 の変化はできるだけ少なくして上手に導くのが政治だ。」
この言い方は民間人のぼくにとってあまり愉快な言い回しではなかったが、彼の言い分に反 論するだけの理論武装ができているわけではない。それよりなにより、彼には借りができてしまった。マガンダ侍従から発行された許可証のことだ。ぼくからの 反論がないことを確認して内調の男は言葉を続けた。
「まあ、立花君。君に何も本物のスパイになれとは言わない。君はLPガス設備士だろ。だったら、仕事の片手間に見聞きするだけでいいんだ。我が国と我が国の未来に役立ちそうな情報をね」
本物だろうと偽物だろうとやっていることに変わりはないんじゃないか?ってつっこみをしたくなったが、やめにした。もはやぼくは川村のオーダーを断ること はできない。つまるところ、ぼくは市原悦子になるということだ。家政婦の仕事をしながら勤務先の裏事情を見聞きして「あら、いやだ」って言う役目だ。
「わかりましたよ。その代わり・・・・」
ぼくは交換条件を出すことにした。初めてぼくの能動的な要求に気がついた川村の顔に警戒信号が出たのを見逃さなかった。さすがは官僚だ。だが、ぼくは「3億ドル用意しろ」とか、トム・クランシーも真っ青な要求をする気は更々なかった。
「早いところこの駐屯地でもインターネットをしたいんですよ。あなたなら総理に直接言えるんでしょ?言ってくださいよ。夜は暇でたまんねーって!」
川村にとっては予想だにしなかったオーダーだったのだろう。きょとんとしている。だが、普通のリーマンのぼくにとっては突拍子もないオーダーではない。実 際問題、ここでは暇なのだから。報酬で2億くらいくださいって言うのもアリかもしれないが。ヘタレ国家とはいえ国が相手だ。国家を相手にそんな脅迫じみた 要求をするほどぼくは度胸があるわけではない。それに川村、ひいては政府が期待しているような情報をぼくが入手できるとも限らない。欲張る必要も必然性も まったくないのだ。だが、せめてささやかな希望だけでも、どさくさ紛れに言っておくのが得かなって程度のことだ。
「わかった・・・・。検討しよう」
川村はいささか拍子抜けした感じで返事すると、勘定を済ませて出ていった。これでよかったのだ。川村のスーツは左胸あたりがぽっこり膨らんでいた。素人で もわかる。拳銃を持っている。ぼくがあまりにめちゃくちゃな要求をすれば彼はそれでぼくを「指導」するなり、最悪殺すこともできるのだ。007もどきは映 画の世界で充分だった。
「まあ、いっか・・・」
その夜のぼくは見事、政府の川村を利用して今後の営業に関して、同業者に対するアドバン テージを得た喜びだけだった。川村の依頼を半分安請け合いしていたのだ。だが、このことがぼくの運命を大きく変えることになるなんて、3杯目の生ビールに 手をつけ始めたぼくは気がつくはずがなかった。
駐屯地内の酒場「ミスティ」のママが声をかけてくれた。ぼくはカウンターに座るとビールを注文した。上空を自衛隊のヘリが通過していく。もう1つのパー ティの始まりだった。それをママさんは彼女特有のとがった耳で聞いているのだろう。生ビールを出しながらぼくに話しかけてきた。彼女が話しかけてくるのは 珍しい。きれいな女性で常連客も彼女目当てで通っているらしいが、愛想はあまりよくないので評判だった。彼女の名前は店の名前と同じ。ミスティ。ハーフエ ルフという人種らしい。今はもう滅びてしまった森の民、エルフの末裔だそうだ。ゴブリンと呼ばれる怪物どもが森を支配してから数百年。森の民の末裔である 彼女が、森を切り開いて作ったこの駐屯地に店を出すのも何か運命めいたモノを感じずにはいられない。
「立花ちゃん、最近お城に出入りしてるんですって?気をつけた方がいいわよ」
「保守派と改革派の内輪もめにでしょ?」
ぼくの言葉に彼女は少しびっくりしたようだ。無理もない。日本政府もよく把握していない話なのだから。考えてみれば、そんな状況の国にぼくたちをよく送り込む気になったもんだ。いくら目の前に石油があるからと言ってもだ。
「ふふ、さすが立花ちゃんね。もう城内に情報網つくったの?」
「顧客管理の鉄則。お客さんと仲良くなれってやつだよ」
そう言っていつの間に来ていたのか大川さんがぼくの横にどっかりと座った。彼もママ目当てのようだが、そもそもあなた、奥さんいるんじゃないですか?って突っ込みたいところだ。
「ホースを切られたんだって?よく爆発しなかったな」
日本国内だったら営業停止モノの大事件だ。大川さんはのん気にビールを飲みながら笑っている。ぼくは思い切って大川さんに昼間、リナロに言われたことを相談してみようと思った。
「一部の人間の嫌がらせみたいなんですが、やり方次第ではマガンダ侍従が押さえてくれるそうです」
「ほお、やり方ね・・・」
大川さんは興味を持ったようだ。
「彼にいくらか賄賂を渡せば事は収まるそうなんですが、会社の予算でどうにかなりませんか?」
ぼくの質問に彼はジョッキの中身を飲み干しながら黙った。そして一息つくと冷酷な言葉を発した。
「無理だ。っていうか無理に決まってんだろ。まあ、あとはおまえの営業力だな、ははは!」
そう言って大川さんは例によって飲むだけ飲むととっとと帰ってしまった。ぼくは半分予想されたリアクションに思わずカウンターに突っ伏した。
「そこの人、話を聞かせてくれませんか?」
その時、テーブル席の男が声をあげた。ぼくとママだけでない。店にいた業者や自衛官が一斉に彼に視線を向けた。彼はスーツにメガネ。迷彩服や作業服で埋ま るこの店の雰囲気から明らかに浮いている。そんなことお構いなしに彼は、さっきまで大川さんがいたカウンター席に座った。
「ママ、この人知ってる?」
「ここ2,3日通ってる人なの」
ミスティに思わず尋ねるが、彼はそんなぼくに内ポケットから名刺を出して渡した。それに書かれた内容を見て思わず目を見張った。
「内閣情報調査室・・・?」
目の前の男は誇らしげにメガネをかけ直した。
「そう、わたしは内閣官房の直属で国内外の情報を収集しているのだ。君の話は外務省も把握してなかった話だ。ぜひ、今後の日本とアルドラ王国のために君の情報を知りたくてね」
川村と名乗るこの胡散臭い男はどうやら、話を聞くに日本版007みたいだった。ぼくは半分仕事の愚痴も含めながら彼に今日の出来事を話してみた。
「わかった・・・。その侍従への賄賂。内調で負担しよう。ただし、君はわたしにどんなささいな情報でもいい。2日に1回、この酒場でわたしに伝えて欲しい。君の情報が今の内閣の方針を決める決め手になるかもしれないからな」
そう言って川村は鞄から金塊を取り出してぼくに渡した。
「え?え?」
「いろいろと期待してるぞ」
本物の金塊を見てたじろぐぼくの肩をぽんぽんと叩くと川村は笑って外に出ていった。すれ違いざまに陸上自衛隊の幹部が彼に敬礼するのが見えた。どうやら、彼は本物の政府の人間らしい。ということは、ぼくの手にある金塊は間違いなく本物だ。思わずママに相談する。
「ど、ど、どうしよう、ママ?」
「そんなことわたしに言われても困るわ」
当たり前すぎる返答が返ってきてぼくは途方に暮れた。
翌日、ぼくはスーツ姿で王宮にいた。マガンダ侍従に会うためだ。あの金塊。まさか捨てるわけにはいかなかった。もしも、川村が政府の人間でなければ、金塊 をぽんと渡すような職種の人々=気質ではない人々とおつきあいしなければいけなくなる。しかもこっちが借りがある状況で。もしも、川村が政府の人間の場 合、金塊を捨てるなり、持ち逃げすればぼくは日本には帰れない。結局、使い道は侍従に献上するくらいしか思いつかなかった。
「おお、異世界の魔法使いか・・・・」
謁見の間に現れたデブのおっさんは見下すようにぼくに声をかけた。ぼくはガス屋だって叫びたくなるがここは我慢の一手だった。
「実は侍従様に配管工事が終わりましたことをご挨拶と思いまして・・・」
そう言いながら、侍従の横に控える召使いに金塊を手渡した。侍従は彼からそれを受け取るとうっとりと眺めている。金銀財宝が大好きな悪代官タイプはどの世界にもいるようだ。
「ほほお、これは見事だ。で、タチバナ殿。何かわたしに用事があるのではないのかね?」
まるで自分が越後屋になった気分だったが、背に腹は代えられない。直立不動のまま答えた。
「はい!このたび王宮に設置させていただいた設備を定期点検するご許可をいただきたいのです」
「ふむ、そんなことか・・・」
そう言うと侍従は指をぱちんと鳴らした。召使いが何か書類みたいなモノを恭しく持ってきた。
「これを王宮に来る際は身につけるがよい。わたしの署名入りの許可証だ」
「ありがとうございます」
一応、形式上深々と頭を下げたぼくにデブのおっさんは付け加えた。
「ただし、神聖騎士団には気をつけるがよい。この許可証で城内は歩けるが、親衛騎士団の前で目立つ行動はするでないぞ。そなたたちは目の敵にされておる・・・・」
やっぱり・・・。たとえて言うなら、校内きっての不良に目を付けられた転校生ってところだろうか。ともあれ、このおっさんから許可証をいただいた以上、城内の出入りは完璧だ。ぼくの本業にも、気の進まない副業にも大いに役立つことだろう。
今日は王宮に挨拶に行くってことで他の仕事を入れていなかったぼくは、マガンダ侍従との会見がわずか30分で終わってしまい時間を持て余していた。アルド ラータ中心部から少し離れた酒場でスーツのまま酒をあおっていた。通りに面した店から街を眺めると面白い光景にいろいろと出くわす。街を歩く人々、郊外の 農家から農産物を売りに来ている行商人。豪華なドレスとお供の騎士を連れたこっちでいうセレブの馬車。走り回る子供たち、自衛隊のトラック。同業者の軽バ ンや軽トラック。最後の3つは明らかに浮いた存在だったが。その窓の向こうで知った顔がぼくを見てびっくりしている。
「タチバナ!何してんの?」
リナロだった。今日は非番らしい。飲酒運転もないこの国だ。彼女の希望である軽トラの荷台に乗る希望を叶えてやった。
「うっひゃああ!最高!」
大声で喜ぶ彼女を郊外の丘まで連れていってやった。丘で車を止めると、ぼくも荷台に登ってこっそり持ち出していた缶ビールを彼女に渡してやった。プルタブの開け方を説明してやる。
「かぁ~!のどにしみる!」
初めて飲んだ人の感想とは思えない言葉をリナロは発した。ぼくは一口飲んでタバコに火をつけて空を眺めた。日本にいたときと変わらない。真っ青な空と真っ白な雲のコントラストが美しい。
「侍従に「ご挨拶」してきたよ」
驚いたような顔をして彼女は隣に座るぼくを見た。
「どうだったの?」
「こんなものもらった」
そう言って彼女に侍従が偉そうに渡したモノを見せてやった。ますます、彼女は驚きの表情を浮かべた。
「これって、王座の間にも入れる許可証よ!」
ぼくはこのことにあまり驚いてない。王座の間と王の私室にはガスエアコンがある。これが壊れれば当然、ぼくと大川さんが修理にうかがうことになる。これは ガス屋としてごくごく当たり前の行為だ。もっとも、中世みたいな世界で、神に王権を授けられた王の間に、作業服を着たガス屋の兄ちゃんが「ちわー!」って 入るのを想像すれば、めちゃくちゃ違和感のある光景ではある。
「そう何度も行くことはないだろうさ・・・。どのみち、ぼくたちもいつかもとの世界に帰るんだし」
ほとんど意識もしないで言ったこの言葉に、リナロは驚きではなく半分あきれたような表情を浮かべてぼくを見た。
「あなた、ほんっっとに、何も知らないのね」
「な、何がだよ?」
頭ごなしの言葉に昼間からビールを飲んだせいもありいささかむっとしてリナロに答えてしまった。
「あなたの国はこの世界の「周期」によって呼び寄せられたの。「周期」はとてものんびりとしているわ。人間の一生なんて「周期」の前ではまばたきのようなものよ・・・」
リナロは「周期」についてぼくにレクチャーしてくれた。この世界では定期的に別の世界からの召還が発生するそうだ。人為的にではなく自然発生的に。その 「周期」はおよそ1000年。彼女たちの理屈で言えばこれは神の摂理であって人間ではどうすることもできないそうだ。ちなみに、ぼくたちの前に「周期」に よって召還された島は、1400年に渡ってこの世界に存在し続け200年前に忽然と姿を消したという。そしてつい数ヶ月前、日本列島が現れたというのだ。 つまらない次元だが、ユーロで貯蓄をしていた会社の先輩のことを思うと思わず同情せずにはいられなくなった。事はそんな問題じゃないんだが、普通のサラ リーマンからすればこのような壮大なスケールの話はなかなか現実味を帯びてこないのもまた実状だ。
「1000年後って3006年か。ドラ○もんどころか、宇宙戦艦ヤ○トまでできあがってるな・・・・」
思わずぼくがこぼしたこの言葉にリナロが食いついた。
「なに?宇宙戦艦ヤ○トって?」
ぼくたちは缶ビールがなくなるまで、ぼくがいた世界のことやこの世界のことについて語り合った。
夕方、「ミスティ」には約束通り川村が待っていた。ぼくは彼から預かった金塊の使い道とその成果。そしてリナロから聞いた話を彼に報告した。
「やはり、うすうす推測してはいたが。だがこれは発表できないな」
「なんでですか?」
川村の答弁に思わずぼくは反論した。彼は周囲の自衛官や業者に聞かれていないことを確認してぼくにそっと言った。
「そ んなこと、どうやって発表する?我々はもう元の世界には帰れません。痛みに耐えてがんばりましょう。ってか?そんなこと今のタイミングで言えば政治が保た ない。だが、今日持ち帰った君の情報でこれをどうすれば国民にわかりやすく説明するかのヒントが得られた。政治とはそういうものだ。大多数の人々を表面上 の変化はできるだけ少なくして上手に導くのが政治だ。」
この言い方は民間人のぼくにとってあまり愉快な言い回しではなかったが、彼の言い分に反 論するだけの理論武装ができているわけではない。それよりなにより、彼には借りができてしまった。マガンダ侍従から発行された許可証のことだ。ぼくからの 反論がないことを確認して内調の男は言葉を続けた。
「まあ、立花君。君に何も本物のスパイになれとは言わない。君はLPガス設備士だろ。だったら、仕事の片手間に見聞きするだけでいいんだ。我が国と我が国の未来に役立ちそうな情報をね」
本物だろうと偽物だろうとやっていることに変わりはないんじゃないか?ってつっこみをしたくなったが、やめにした。もはやぼくは川村のオーダーを断ること はできない。つまるところ、ぼくは市原悦子になるということだ。家政婦の仕事をしながら勤務先の裏事情を見聞きして「あら、いやだ」って言う役目だ。
「わかりましたよ。その代わり・・・・」
ぼくは交換条件を出すことにした。初めてぼくの能動的な要求に気がついた川村の顔に警戒信号が出たのを見逃さなかった。さすがは官僚だ。だが、ぼくは「3億ドル用意しろ」とか、トム・クランシーも真っ青な要求をする気は更々なかった。
「早いところこの駐屯地でもインターネットをしたいんですよ。あなたなら総理に直接言えるんでしょ?言ってくださいよ。夜は暇でたまんねーって!」
川村にとっては予想だにしなかったオーダーだったのだろう。きょとんとしている。だが、普通のリーマンのぼくにとっては突拍子もないオーダーではない。実 際問題、ここでは暇なのだから。報酬で2億くらいくださいって言うのもアリかもしれないが。ヘタレ国家とはいえ国が相手だ。国家を相手にそんな脅迫じみた 要求をするほどぼくは度胸があるわけではない。それに川村、ひいては政府が期待しているような情報をぼくが入手できるとも限らない。欲張る必要も必然性も まったくないのだ。だが、せめてささやかな希望だけでも、どさくさ紛れに言っておくのが得かなって程度のことだ。
「わかった・・・・。検討しよう」
川村はいささか拍子抜けした感じで返事すると、勘定を済ませて出ていった。これでよかったのだ。川村のスーツは左胸あたりがぽっこり膨らんでいた。素人で もわかる。拳銃を持っている。ぼくがあまりにめちゃくちゃな要求をすれば彼はそれでぼくを「指導」するなり、最悪殺すこともできるのだ。007もどきは映 画の世界で充分だった。
「まあ、いっか・・・」
その夜のぼくは見事、政府の川村を利用して今後の営業に関して、同業者に対するアドバン テージを得た喜びだけだった。川村の依頼を半分安請け合いしていたのだ。だが、このことがぼくの運命を大きく変えることになるなんて、3杯目の生ビールに 手をつけ始めたぼくは気がつくはずがなかった。