第68話 とある航空兵の災難(後編)
6月8日 午前7時 空母エンタープライズ艦内
「・・・・・・・そんな・・・・・」
リンゲ・レイノルズ少尉は、咄嗟に股間に手を触れてみたが、信じたくない現実に強いショックを受けた。
「こんな事が・・・・・こんな馬鹿な事が!!」
リンゲは頭を抱えて思わず叫んでしまった。
「おい、どうしたレイノルズ?」
いきなり扉の向こうから聞き慣れた声が響いた。同僚のラウンドス少尉の声だ。
「何かあったのか?」
「いや、レイノルズの部屋から悲鳴じみた叫びが。」
更に新たな声が加わった。中隊長のカーチス大尉だ。
(やばい!今入ってこられたら)
そう思っている最中にラウンドスが血相を変えて入って来てしまった。
「おいレイノルズ!大丈夫か!?」
「どっか体が悪いのか!?」
膨らんだ胸を隠す暇も無く乱入して来た2人に、レイノルズは絶句してしまった。
「・・・・ん?」
「・・・・・少尉、彼の胸は元々こうだったかね?」
「い・・・・いえ。ビッグEの飛行甲板並みに真っ平でありました。」
「では、この突き出した物は何だ?それに、レイノルズはいつもに増して女顔に見える。」
「本当に信じ難い事ですが・・・・・・ちなみにレイノルズ、お前の性別は何だ?」
ラウンドス少尉のこの一言に、リンゲは我に帰った。
「男・・・・いや、元男、と言ったほうが良いかも。」
「との事です。」
「なるほどね・・・・・ハッハッハ!」
カーチス大尉はひとしきり笑った後、
「こいつは大変な事になったぞ!!」
いきなり仰天した表情で喚いた。
「これって、本物・・・・・なのか?」
ラウンドス少尉が、リンゲの膨らんだ胸に触れたが、確かに本物であった。
「本物だ!ていうか揉もうとするな!」
「と言う事は・・・・・・少尉、下もか?」
リンゲは恥ずかしさの余り顔を真っ赤に染める。
「そ・・・そうであります。」
「なんという事だ・・・・・・おまけに声も女みたいに高い。畜生、俺の中隊にいきなり女が沸いて
出てくるとは思いもよらなかったぞ。」
「とにかく、飛行長に報告しましょう。」
一瞬、リンゲがやめてくれと言いたそうな表情で2人を見つめた。
「なあリンゲ。飛行機に乗りたかったらまず、その体をなんとかせにゃならん。そのためにも、
一応は飛行長にも事情を説明するべきだ。」
「・・・・アイ・サー。」
カーチス大尉の言葉に、リンゲは渋々と頷いた。
リンゲの心中には、どうしてこのような事になったのかという思いがあったが、同時に、こんな体で
どう過ごせば良いのかという不安が渦巻いていた。
その心中を察したのか、ラウンドス少尉がポンと肩を叩いた。
「なあに、心配するな戦友。お前は忘れたのか?」
「え?何をだい?」
同僚の言葉に、リンゲは首をかしげた。
「このビッグEには、第3艦隊直属の“魔道参謀”がいるんだぜ。それも超一流のな。そいつから
何かいい解決策を聞き出せるかも知れんぜ。」
10分後、ラウスは、飛行長のティム・カーター中佐と共にリンゲ少尉の部屋に来ていた。
「しかし、見事なまでに女の体系だな。思わず見とれてしまうな。」
カーター中佐はそう呟きながら、リンゲの体をまじまじと見つめた。
リンゲはカーキ色の軍服に着替えているが、全体のプロポーションは女性のそれになっており、
特に張り出した胸元に視線が集中してしまう。
「エンタープライズから降りてもモデルとして活躍できるかもしれんな。」
「飛行長!自分は好き好んでこんな体になった訳じゃないんですよ!栄えあるビッグE戦闘機隊の
一員である自分がまさか・・・・こんな・・・・」
いきなりリンゲは涙を浮かべて嗚咽し始めた。それに慌てたカーター中佐が優しさのある口調で諌めた。
「あ・・・・すまなかった。つい口が滑っちまって。だから泣かんでくれ。な?」
「うぅ・・・・すいません。」
「とりあえず、落ち着いた所で本題に入りましょうか。」
ラウスの場の空気をぶち壊しにするような、やたらにのんびりした口調が響いた。
彼は、事の顛末を聞いたハルゼーに、
「先生、出番ですぜ。」
と言って飛行長と共に原因究明の為に送り出された。
ラウスはどれほど変わってしまったのかと、リンゲの部屋に来るまで想像していたが、リンゲの姿は完全な女性の物となっていた。
「リンゲさん。見た限りでは、完璧に女になってるね。何か昨日とかそれ以前に変化はなかった?」
「変化ですか・・・・自覚症状とかですか?」
「そうだね。」
「特に、体に異常を感じられるとかは無かったです。起きたら、いきなりへんてこな体系になっていて。
自分でもさっぱりです。それよりもラウスさん。」
リンゲは悲壮な面持ちでラウスに詰め寄った。不謹慎にも、ラウスは自分の鼓動が早くなるのを感じた。
彼は内心で、見事に化けてしまったなと思った。
「自分の体は治るのでありますか?」
「う~ん、直るっちゃ直る。運が悪ければそのまま。」
彼はそう言ってから説明を始めた。
「俺が考えられるのは、魔法による一種の体改変だね。魔法には色々な種類があるんだけど、その中には
男性から女性に姿を変えられるビネルィチという名の魔法がある。こいつはかけた瞬間から3時間ほど、
男もしくは女になれて、よく敵地の情報収集とかに使われていた。でも、対抗魔法を吹っかけられたら
すぐに消えちまうんで、10年前ぐらいから全く使われてねえけど。多分、その類の魔法にかかってるんじゃないかな?」
「いや、それはおかしい。」
カーチス大尉は真っ先に否定した。
「俺達は、6月には言ってからは昨日しか上陸していない。それ以前に、敵さんがこんな子供の悪戯じみた
ような事をやるはずがない。シホールアンルシンパの本命はヴィルフレイングの情報収集だ。」
「しかし中隊長、ラウスさんはまだ敵とは一言も言っていませんよ?」
リンゲがカーチス大尉に指摘した。
「ラウスさんはその類の魔法にかかっていると言っています。と言う事は、私をこんな体にしたのは敵のみ
ならず、味方の仕業でもありえるかもしれない。ラウスさんはそう言いたいんですよね?」
「そうさ。この類の魔法は敵味方が元々使っていたからね。特に一番使っていたのは俺達南大陸の連中だったり
するし。リンゲさん、本当に思い当たりは無いのかい?」
「思い当たりですか・・・・・・・・あっ!」
リンゲの表情が変わった。どうやら、思い当たりがあるようだ。
「昨日、ラウントスや中隊長と一緒に飲みに言った時、途中で女の子を見つけました。」
「ああ、あのエリラとかいうカレアント軍の軍曹か。」
「ええ、そうです!」
「リンゲさん、そのエリラって奴に何かされたのか?」
ラウスがすかさず聞いてきた。
「ええ。何か、薬みたいな物を飲まされたんです。確か疲労緩和剤とかいう。」
「カレアントが最近開発した、魔法を染み込ませた薬品だな。あの魔法薬はかなりいい薬品のようだけど・・・・・・
緩和どころか、元々の性を除去するとは聞いた事が無い。」
「それじゃあ・・・・自分はこの薬の副作用でこんな体になってしまったのですか?」
「副作用・・・・にしては、こんな荒っぽい変化が出る事は無い筈だ。疲労緩和剤の初期には、軽い目眩等の症状が
起きたようだけど、今は改良されて副作用はすっかり無くなっている。なのに・・・・」
ラウスは困惑したような表情で考え込んだ。
「レイノルズ少尉。一応言っておくが、貴様がこの体のままでいるなら、当然戦闘機には乗せられない。
本国に戻ってもらう事になる。」
「そんな、飛行長!」
リンゲは椅子から立ち上がった。
「まあ落ち着け。それは体が元に戻らなかった場合の話だ。貴様は体を元に戻したいか?」
カーター中佐の諌めるような言葉に、リンゲはゆっくりと頷く。
「よろしい。ならば、一旦艦から降りて、そのエリラという女に会って話を付けて来い。そうすれば、
貴様の体も元に戻るだろう。」
「飛行長の言う通りだな、リンゲさん。」
ラウスも言って来た。
「俺も考えたが、薬の副作用自体でこんな体になるのはあり得ない。恐らく、薬自体に疲労緩和の魔法の他に、
別の魔法が染み込まれていたかもしれない。エリラっていう奴に会えば、なんとかなるかも。」
「では、自分は艦を下りて元の体に直す方法を見つけるんですね?」
「そうだ。お前は歴戦の戦闘機乗りだからな。こんな変てこな事態で失うのは俺としても惜しい。カーチス大尉、
そう思わんか?」
「その通りです、飛行長。」
カーチス大尉はさも当然と言った口調で返事した。
「そうと決まったら、自分と一緒にエリラさんを探しに行きましょうか。めんどくさい事はとっとと解決するのが一番すよ。」
ラウスの気の抜けた言葉が室内に響いた後、リンゲは意を決し、早速行動に出た。
午前8時 ヴィルフレイング市内
「で、その店が、ここから20分ほど歩いた森にあるんだな?」
「まあそうですね。あの森の中で、自分達は行き倒れていたエリラとかいう女を見つけたんです。」
「その女が寝床にしている宿屋とかは見た?」
「いえ・・・あの店で別れましたから、彼女が家に帰ったかまでは、正確に分からないですけど。」
「本当に家なんかあるかな。カレアント軍の特殊部隊は、ほとんどが宿無しで生活しているって噂があるぐらい、
任務中は野宿を繰り返すみたいだから、その女が言っていた家が無い可能性も捨てきれないね。」
「そうなんですか・・・・てことは、今もあの森の中をうろちょろしているのですか?」
「そうとは限らないね。時折、こんな街に出て来る事もあるよ。町に出る時は、大抵が食料などの買い付けか、
宿屋に泊まって任務中の疲れを癒すとか、そんな物だね。」
ラウスはそう言って、傍らにいるリンゲに顔を向ける。
彼。いや、彼女は顔を赤らめながら、制帽を目深に被っていた。
リンゲに対して、道行く男達の視線が四方八方から注がれていた。
カーキ色の軍服を身に着け、海軍の制帽を被っているリンゲだが、彼女の外見は本物の女であるため、周囲の
男連中が注目していた。
「おい、あの女結構いい体してんな。」
「お前もそう思うか?俺もだぜ。」
「あの胸見てみろ。俺の彼女並みにあるぞ。」
「ありゃF以上だな。」
「女の癖に海軍の軍服着てるぞ。」
「男装の麗人って奴か。悪くないね。」
「畜生、ベッドに連れ込みたいもんだぜ。」
リンゲの耳に、男連中のひそひそ話(聞こえているのでひそひそ話では無いが)が聞こえてくる。
しまいには写真に撮られる有様である。
その言葉を耳にしたり、写真に撮られるたびに、リンゲは背筋が凍り付くような思いに囚われる。
「さっさとあの軍曹殿を見つけないと、あのアホたれ共にやられちまう。」
「そうだなぁ。俺も君に同情するよ。」
リンゲは、男連中の卑しい視線を受けつつも、ラウスと共に足早で町を離れていった。
午前8時30分を回った頃に、問題の店にやって来た。
「リンゲさん。君が言うエリラとかいう女はどの方角に去って行った。」
「酒を飲んでたんで、記憶が少し曖昧なんですけど・・・・・多分北の方角、あっ、この道だったかも。」
リンゲは、伸びる一本道を指差した。あの晩、エリラは確かに、この道を歩いて帰って行った。
「とりあえず、駄目もとで行ってみるか。」
ラウスは相変わらず、のんびりとした口調で言いながら、その道に進み始める。
「歩いて15分ほどの所に寝床があるとか言っていましたけど。」
「寝床ねぇ。俺も魔法使いになる時に、ちょっくら特殊部隊系の訓練を受けていたんだけど、大抵敵の
スパイ狩が任務の奴は、自分も敵のスパイに寝込みを襲われかねないから常に寝床を変えてるんだよ。
やられちまったらおしまいだからね。」
「と言うと、ラウスさんはエリラがもうこの付近には居ないと考えてるんですか?」
「まあな。でも、もしかしたらこの付近にまだ居るかもしれない。それから何か武器持ってるか?」
「武器ですか・・・・・」
リンゲは呟きながら右腰に吊ってあるホルスターに手を触れた。
ホルスターの中にはコルトM1911拳銃が入っている。
普段は拳銃を持ち歩かないが、危険な敵のスパイが出没する森の奥地に行くため、艦長が特別に携帯を許可したのだ。
「拳銃なら持っていますけど。」
「まあ、何も無いよりはマシか。」
と、適当に雑談を交わしながら道を進んでいく。
15分ほど経つと、道の右側に酷いボロ屋があった。
「廃屋がありますね。もしかして。」
「いらん期待は持たないほうがいい。大抵はもぬけの殻だよ。都合よく、あのドアから出てくればいいけど」
いきなりドアが開かれ、そこから1人の女が現れた。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
3人はじばし無言であった。
1分ほど沈黙が経った後、エリラとリンゲは互いに指を向け合った。
「「あーーー!」」
2人が仰天した表情で叫んだ。あまりに大きい声で、ラウスは顔をしかめた。
「バカ!いきなり大声出しやがって!」
ラウスはリンゲを罵ったが、当の本人はエリラに詰め寄っていた。
「よくもこんな体にしてくれたな!お陰で気分は最悪だよ!」
「ご・・・ごめんなさい。あっ、胸があたしより大きい。」
エリラは謝る傍ら、リンゲの膨らんだ胸を見て羨ましげに言った。
「好きで大きくなった訳じゃない!さあ、早く元に戻してもらおうか?ここに来るまで、町の男連中に
変な目で見られたんだぞ!」
「ま、まあ落ち着いてよ。ね?一応、あたしも悪いとは思ってるの。まさか、別の薬を渡してしまうとは
思わなかったんだ。あんたの体を治す気はあるから、大丈夫よ。」
「治してくれるんだな?」
「ええ、そうよ。だから安心して。」
エリラは引きつった笑顔でリンゲに言った。
「そ、そうか。いきなり怒鳴ったりして済まない。」
「いいのよ。あたしが悪かったし。ちなみに、あそこで大あくび掻いてる人は知り合い?」
「・・・・ん?俺か?」
ラウスは暇そうな口調で言う。2人はこくりと頷いた。
「初めまして。俺はラウス・クレーゲルだ。よろしく頼む。俺も魔法をかじってるからそこのリンゲさんと
一緒に原因を究明しに来たんだ。」
「なるほどね。とりあえず中に入って。少し手狭だけど。」
納得したエリラは、ひとまず2人を廃屋の中に入れる事にした。
「疲労緩和剤の薬品は、元々こんな物だったんですけど、あたしが改良を加えて作ったのが、この赤い栓の
容器に入っていた薬。この薬には、疲労の緩和作用の他に、性転換の作用も入っていました。」
「それを飲んだリンゲが、こんな体になってしまった訳か。それ以前に、カレアント軍では薬品の勝手な
改良は推奨されていないんじゃねえか?」
ラウスの指摘に、エリラはビクッと体を震わせた。
「まあ・・・・・ねえ。そこはちょっと・・・・」
彼女は苦笑してごまかそうとする。それを許さない者が口を開いた。
「そこはちょっとで、俺の体はこんな風になってしまったんですが。」
リンゲは嫌に爽やかな笑顔で、エリラに言う。
「そもそも、何でこんな馬鹿げた薬を作ったんだ?」
「それはですね・・・・・・あたし、1ヵ月後に本国に戻る事になっているんです。その時に、ムカツク上官に
この薬を飲ませて復讐しようと考えていたんです。」
「そんないらん物を作るな!!やられた奴の事を考えろよ!!」
「まあ落ち着けよ。彼女だって、君にやりたくてやった訳じゃねえんだ。それはともかく、早く解除剤を作らないと
いけないな。」
「作る準備はもう出来ています。」
「術式を書いた紙はあるかな?」
「ええと、確かこっちに・・・・・」
エリラは、屑篭を乗せていた腐れかけの木箱を取り出し、蓋を開ける。
ごそごそと探してからしばらく経って、
「あ、ありました。一応この6枚ほどの紙に解除剤に入れる魔法の途中までの術式が書いてあります。」
木箱から数枚の紙を取り出した。
「ども。ちょっくら見るぜ。」
ラウスはその紙を1枚1枚、じっくりと見ていく。
「ラウスさん、それは何ですか?」
「薬の解毒剤みたいな物さ。この姉ちゃんはやさしいぜ。しっかり治す事も考えている。あんた、カレアントでは
結構腕の立つ魔道士だろ?」
「分かります?」
「分かるぜ。術式の構成もそこらの並みの魔道士と比べて上手い。でも、」
全てを見終わったラウスは、彼女に紙を返した。
「俺からしたらまだ雑すぎるね。俺は以前、ミスリアルで魔法を習ってきたからそれなりの知識と技量を持っている。
確かに君の魔法はなかなか筋がいいが、まだ雑も多いし、無駄がありすぎる。この途中から再開して、リンゲさんの
体を治すまで大体どれぐらいの時間を予想していた。」
ラウスが、エリラに厳しい指摘をしながら質問する。
「ええと・・・・・2日・・・・ほどです。」
「2日か・・・・・俺からしたら遅すぎる。俺が作れば、2日と言わず、半日で作れるぜ。」
「え!?そんなに短い時間で・・・・・どうやって!?」
「どうやって?決まってるだろう。」
そこで、ラウスはニヤリと笑みを浮かべた。
「無駄な部分を省けばいいんだ。この術式には余分な物がかなり盛り込まれている。従来のカレアントの
魔術式に比べれば、これでも大分軽いと言えるけど、ミスリアルやバルランドの魔法に比べたら重いし、
それに無駄な部分が多い。」
「では・・・・・どうすればいいんですか?」
ラウスはリンゲに顔を向けた。リンゲは不安げな表情でラウスを見つめている。
手違いで女の体になってしまったリンゲ。
彼女の胸中には、ひたすら戻りたいとの思いが渦巻いているのだろう。
「俺が君と一緒に魔術式を作る。そうだな・・・・・早ければ夕方までには完成するかもしれない。
確証は無いが、とにかく今から作業に取り掛かろう。めんどくさい事はさっさと終わらせねえとな。」
午後4時30分
突然の轟音に驚いたリンゲは、ベッドから跳ね起きた。
「うわぁ!?」
それに驚いたラウスとエリラが、リンゲの方に振り向いた。
「何だ!」
「どうしたの!?」
リンゲは慌てて、胸の真ん中や腹、そして背中を撫で回す。
「何だ・・・・・夢だったのか。」
リンゲはそう言うと、深いため息を吐いた。
またもや、遠くから轟音が聞こえて来る。
「航空機の音?」
リンゲはそう呟きながら窓の外を見てみた。
森の上空を、1機のB-24が低空すれすれに通過していった。
通過していくB-24はこれだけではなく、100機を越える数のB-24が、同じように上空を通過して行った。
「陸軍航空隊のB-24だ。北に向かっているみたいだな。」
彼はそう呟きながら、ベッドに座った。
「リンゲさん。あんた叫びながら跳ね起きたけど、なんか夢でもみてたのかい?」
「ああ、見てましたよ。2度と見たくない夢でした。」
「2度と見たくない夢?どんなのだ?」
「思い出すだけでもぞっとするんですが、自分が女から戻れなくて、そのまま本国に戻った夢なんですが、
これがまた怖くてね。夢の中では3ヶ月ほど経っていて、その3ヶ月間、誰かに四六時中見られているよう
な気がしたんですよ。で、ある日。そのまま家に帰ってきたら、誰かに抱きつかれ、その場で腹や胸に銃弾を
撃ち込まれました。なんか、銃弾が体を貫通する時の感触がやけにリアルで・・・・・ああ思い出したくないです。」
「訳のわからん夢だな。それ以前に夢の中で殺されるとは、どうも不吉だよな。」
「きっと疲れちゃってるんですよ。人間、精神的に疲れすぎると悪夢をよく見るみたいですよ。」
エリラが明るい声でそう言って来た。その言葉に、リンゲは再び気を悪くした。
「精神的に疲れさせた張本人さん。さっさと薬を作ってくださいね。」
リンゲの爽やかな笑みに、エリラは身を震わせた。
「も、もうちょっとだけ待ってて。もう少しで完成するから。」
あははと引きつった笑みを浮かべながら、エリラは作業を再開する。
それから30分後。
「出来た!解除薬!!」
エリラは胸を張って、出来立ての解除薬を高く掲げた。
それに対するリンゲの反応は、あまり良くなかった。
「そうかー。そいつはおめでどう、と言いたいんだが。」
リンゲは容器を指差した。
容器の中の液体は、どす黒く、いかにも毒で詰まっていますと言わんばかりにどろどろとしていた。
「飲んだら、俺の人生も解除しないよね?」
「どうぞ~♪」
「話聞け馬鹿野朗。」
「まあまあ、落ち着けよ。そいつは毒じゃないよ。正真正銘の解除薬だ。今すぐ飲んでも大丈夫だ。」
ラウスが眠たそうな声音、しかも棒読み口調で言って来た。
「本当ですかぁ?」
「あたしが保証するわ!」
「・・・・そのセリフはラウスさんに言って貰いたかったけど、とりあえずありがとう。」
リンゲは礼を言うと、差し出された試験管のような容器を手に取り、液体を口に流し込んだ。
味は無いが、変わりに泥でも食べているかのような気色悪い感触が口に広がる。
「うう・・・・気持ち悪い。」
「大丈夫。我慢よ♪」
「畜生、人事と思って。」
能天気なエリラの発言に、リンゲは怒ろうとしたがやめた。
「・・・・・・・・」
しばらく沈黙した後、リンゲは胸元を見る。相変わらず、胸の部分は張り出したままだ。
「ちなみに、解除薬はすぐに効果が現れないわ。効果が出るのは半日後で、それまでは現役の女の子のままよ。」
「逆に、効果が現れ始めたら、後はあっという間に男に戻っていく。要するに、明日の朝起きたら元通りと言うわけさ。」
「へえ~、そうなんですか。疲労緩和剤はすぐに効果が出たのに。」
「まっ、これで一安心という訳さ。」
「そうですか・・・・・」
リンゲはやっと、安心したような表情を浮かべた。
(時間はかかるけど、ようやくこれで)
リンゲは物思いに浸り始めた時、いきなり誰かが胸を揉んできた。
「はぁ~、それにしても、羨ましいねぇ。この胸。あたしより大きいなんて・・・・」
エリラは調子に乗って、さらに揉み続けようとする。
しかし、今度はエリラも、リンゲに同じ事をされた。
「ひゃっ!?な、何すんの!!」
「お前と同じ事してんだよ!やられたら倍返し!それがアメリカ人の流儀ってもんさ!」
やや顔を紅潮させたリンゲが、エリラに向かって喚いた。
「何ですってぇ!そっちがそう来るなら、こっちも応えるまでよ!!」
そう言って、2人の馬鹿げた戦いは始まってしまった。
「はあ、見てらんねぇ・・・・」
胸を揉み合うリンゲとエリラに呆れながら、ラウスは大あくびを掻いた。
6月13日
あのとんでも事件から5日経ったその日、リンゲ・レイノルズ少尉は、カーチス大尉らと共にルイシ・リアンで飲んでいた。
「しかし、女になったリンゲは実に良かったな。今では俺達と同様のおっさんに戻っちまったが。」
「おっさんて言うな。俺はまだ21だぞ。」
ラウンドス少尉の言葉に、リンゲは邪険するような口調で突っ込んだ。
「そう。貴様らはまだケツの青いヒヨっ子だ。おっさんと言うのは俺のような奴を言うんだぜ。」
カーチス大尉が自分に指を向けながら言う。
「何言ってるんですか。中隊長もまだ30手前でしょう。まだまだ若いですぜ。ささ、どうぞ。」
リンゲは空になったカーチス大尉のグラスに酒を注いだ。
「おう。気が利くな。」
「しかし隊長。ここ最近は、陸軍航空隊も大幅に増援部隊を送っていますね。この5日間で300機近い
B-24がミスリアルに飛んで行きましたぜ。」
ラウントス少尉が言った。
それにカーチス大尉が頷く。
「ミスリアルには、陸軍の第5航空軍がいる。そいつらはヴェリンスやカレアント北西部に空襲を仕掛けているが、
いまいち効果は上がってないようだ。恐らく、その爆撃の強化のために、まずはB-24を大幅に増派したのかもな。」
「中隊長、その増派されたB-24部隊なんですがね、何でもバルランドにある草原地帯で盛んに低空爆撃訓練を
行っていたようですよ。」
「低空爆撃訓練か。そいつは何度も聞いているんだが、不思議だよな。B-24は高高度から爆弾を投下する重爆なのに。」
「自分も詳しい事は知りませんが、きっと、ヴェリンスか、カレアントの占領地に何かあるんでしょう。」
「ふむ。敵の急所みたいな物があるのかも知れんな。とは言っても、俺達は機動部隊の艦載機パイロットだから、あんま詳しく知る必要も無いが。」
その時、リンゲの背後から声が聞こえた。
「すいません。ここ座ってもいいですか?」
リンゲは後ろを振り返った。そこには、あの日と同じ姿をした、エリラがいた。
「・・・・・エリラ。」
「座ってもいい?」
リンゲはしばらく躊躇ったが、
「・・・・まあ仕方ない。座れよ。」
快く承諾した。
「おい、何しに来たんだ?」
「ちょっとね。」
そう言って、エリラは微笑んだ。
「やっぱり、あなたは男のままのほうが一番ね。」
いきなりの言葉に、リンゲはドキッとなる。
「え?それはどういう事なんだ?」
「簡単よ。惚れた人の姿は、元のままの姿がいいって事。」
エリラが悪戯っぽく笑うと、リンゲはその笑顔に見とれてしまっていた。
6月19日 午前7時 ミスリアル王国フラナ・リレナ
フラナ・リレナは、ミスリアル王国の北東部にある小さな町である。
国境から200ゼルドの所にあるこの町の郊外には、いつの間にか作られた滑走路があった。
B-24爆撃機の機長であるラシャルド・ベリヤ中尉は、乗機のクルー達と共に駐機場に止められている愛機に
向かって歩いていた。
「しかし機長。自分達はエルフの美人が見られると思って楽しみにしとりましたが、見えるのは相変わらず、
B-24とむさい野朗ばかりですなあ。」
コ・パイ(副操縦士)のレスト・ガントナー少尉の言葉に、ベリヤ中尉は声を上げて笑った。
「何言ってるんだ。訓練尽くしの俺達にそんな暇はないさ。それよりも、エルフの美人を相手にするより、
俺達の愛機を相手にしておいたほうがいいぜ。もっと錬度が上がれば、相変わらず分からずじまいの
未知の作戦にも生き残れる。さて、まずは訓練あるのみだ。」
いつもながら、意気揚々と語るベリヤ中尉にクルー達は苦笑した。
彼らが真の攻撃目標を知らされるのは、あと4日経ってからのことである。
6月8日 午前7時 空母エンタープライズ艦内
「・・・・・・・そんな・・・・・」
リンゲ・レイノルズ少尉は、咄嗟に股間に手を触れてみたが、信じたくない現実に強いショックを受けた。
「こんな事が・・・・・こんな馬鹿な事が!!」
リンゲは頭を抱えて思わず叫んでしまった。
「おい、どうしたレイノルズ?」
いきなり扉の向こうから聞き慣れた声が響いた。同僚のラウンドス少尉の声だ。
「何かあったのか?」
「いや、レイノルズの部屋から悲鳴じみた叫びが。」
更に新たな声が加わった。中隊長のカーチス大尉だ。
(やばい!今入ってこられたら)
そう思っている最中にラウンドスが血相を変えて入って来てしまった。
「おいレイノルズ!大丈夫か!?」
「どっか体が悪いのか!?」
膨らんだ胸を隠す暇も無く乱入して来た2人に、レイノルズは絶句してしまった。
「・・・・ん?」
「・・・・・少尉、彼の胸は元々こうだったかね?」
「い・・・・いえ。ビッグEの飛行甲板並みに真っ平でありました。」
「では、この突き出した物は何だ?それに、レイノルズはいつもに増して女顔に見える。」
「本当に信じ難い事ですが・・・・・・ちなみにレイノルズ、お前の性別は何だ?」
ラウンドス少尉のこの一言に、リンゲは我に帰った。
「男・・・・いや、元男、と言ったほうが良いかも。」
「との事です。」
「なるほどね・・・・・ハッハッハ!」
カーチス大尉はひとしきり笑った後、
「こいつは大変な事になったぞ!!」
いきなり仰天した表情で喚いた。
「これって、本物・・・・・なのか?」
ラウンドス少尉が、リンゲの膨らんだ胸に触れたが、確かに本物であった。
「本物だ!ていうか揉もうとするな!」
「と言う事は・・・・・・少尉、下もか?」
リンゲは恥ずかしさの余り顔を真っ赤に染める。
「そ・・・そうであります。」
「なんという事だ・・・・・・おまけに声も女みたいに高い。畜生、俺の中隊にいきなり女が沸いて
出てくるとは思いもよらなかったぞ。」
「とにかく、飛行長に報告しましょう。」
一瞬、リンゲがやめてくれと言いたそうな表情で2人を見つめた。
「なあリンゲ。飛行機に乗りたかったらまず、その体をなんとかせにゃならん。そのためにも、
一応は飛行長にも事情を説明するべきだ。」
「・・・・アイ・サー。」
カーチス大尉の言葉に、リンゲは渋々と頷いた。
リンゲの心中には、どうしてこのような事になったのかという思いがあったが、同時に、こんな体で
どう過ごせば良いのかという不安が渦巻いていた。
その心中を察したのか、ラウンドス少尉がポンと肩を叩いた。
「なあに、心配するな戦友。お前は忘れたのか?」
「え?何をだい?」
同僚の言葉に、リンゲは首をかしげた。
「このビッグEには、第3艦隊直属の“魔道参謀”がいるんだぜ。それも超一流のな。そいつから
何かいい解決策を聞き出せるかも知れんぜ。」
10分後、ラウスは、飛行長のティム・カーター中佐と共にリンゲ少尉の部屋に来ていた。
「しかし、見事なまでに女の体系だな。思わず見とれてしまうな。」
カーター中佐はそう呟きながら、リンゲの体をまじまじと見つめた。
リンゲはカーキ色の軍服に着替えているが、全体のプロポーションは女性のそれになっており、
特に張り出した胸元に視線が集中してしまう。
「エンタープライズから降りてもモデルとして活躍できるかもしれんな。」
「飛行長!自分は好き好んでこんな体になった訳じゃないんですよ!栄えあるビッグE戦闘機隊の
一員である自分がまさか・・・・こんな・・・・」
いきなりリンゲは涙を浮かべて嗚咽し始めた。それに慌てたカーター中佐が優しさのある口調で諌めた。
「あ・・・・すまなかった。つい口が滑っちまって。だから泣かんでくれ。な?」
「うぅ・・・・すいません。」
「とりあえず、落ち着いた所で本題に入りましょうか。」
ラウスの場の空気をぶち壊しにするような、やたらにのんびりした口調が響いた。
彼は、事の顛末を聞いたハルゼーに、
「先生、出番ですぜ。」
と言って飛行長と共に原因究明の為に送り出された。
ラウスはどれほど変わってしまったのかと、リンゲの部屋に来るまで想像していたが、リンゲの姿は完全な女性の物となっていた。
「リンゲさん。見た限りでは、完璧に女になってるね。何か昨日とかそれ以前に変化はなかった?」
「変化ですか・・・・自覚症状とかですか?」
「そうだね。」
「特に、体に異常を感じられるとかは無かったです。起きたら、いきなりへんてこな体系になっていて。
自分でもさっぱりです。それよりもラウスさん。」
リンゲは悲壮な面持ちでラウスに詰め寄った。不謹慎にも、ラウスは自分の鼓動が早くなるのを感じた。
彼は内心で、見事に化けてしまったなと思った。
「自分の体は治るのでありますか?」
「う~ん、直るっちゃ直る。運が悪ければそのまま。」
彼はそう言ってから説明を始めた。
「俺が考えられるのは、魔法による一種の体改変だね。魔法には色々な種類があるんだけど、その中には
男性から女性に姿を変えられるビネルィチという名の魔法がある。こいつはかけた瞬間から3時間ほど、
男もしくは女になれて、よく敵地の情報収集とかに使われていた。でも、対抗魔法を吹っかけられたら
すぐに消えちまうんで、10年前ぐらいから全く使われてねえけど。多分、その類の魔法にかかってるんじゃないかな?」
「いや、それはおかしい。」
カーチス大尉は真っ先に否定した。
「俺達は、6月には言ってからは昨日しか上陸していない。それ以前に、敵さんがこんな子供の悪戯じみた
ような事をやるはずがない。シホールアンルシンパの本命はヴィルフレイングの情報収集だ。」
「しかし中隊長、ラウスさんはまだ敵とは一言も言っていませんよ?」
リンゲがカーチス大尉に指摘した。
「ラウスさんはその類の魔法にかかっていると言っています。と言う事は、私をこんな体にしたのは敵のみ
ならず、味方の仕業でもありえるかもしれない。ラウスさんはそう言いたいんですよね?」
「そうさ。この類の魔法は敵味方が元々使っていたからね。特に一番使っていたのは俺達南大陸の連中だったり
するし。リンゲさん、本当に思い当たりは無いのかい?」
「思い当たりですか・・・・・・・・あっ!」
リンゲの表情が変わった。どうやら、思い当たりがあるようだ。
「昨日、ラウントスや中隊長と一緒に飲みに言った時、途中で女の子を見つけました。」
「ああ、あのエリラとかいうカレアント軍の軍曹か。」
「ええ、そうです!」
「リンゲさん、そのエリラって奴に何かされたのか?」
ラウスがすかさず聞いてきた。
「ええ。何か、薬みたいな物を飲まされたんです。確か疲労緩和剤とかいう。」
「カレアントが最近開発した、魔法を染み込ませた薬品だな。あの魔法薬はかなりいい薬品のようだけど・・・・・・
緩和どころか、元々の性を除去するとは聞いた事が無い。」
「それじゃあ・・・・自分はこの薬の副作用でこんな体になってしまったのですか?」
「副作用・・・・にしては、こんな荒っぽい変化が出る事は無い筈だ。疲労緩和剤の初期には、軽い目眩等の症状が
起きたようだけど、今は改良されて副作用はすっかり無くなっている。なのに・・・・」
ラウスは困惑したような表情で考え込んだ。
「レイノルズ少尉。一応言っておくが、貴様がこの体のままでいるなら、当然戦闘機には乗せられない。
本国に戻ってもらう事になる。」
「そんな、飛行長!」
リンゲは椅子から立ち上がった。
「まあ落ち着け。それは体が元に戻らなかった場合の話だ。貴様は体を元に戻したいか?」
カーター中佐の諌めるような言葉に、リンゲはゆっくりと頷く。
「よろしい。ならば、一旦艦から降りて、そのエリラという女に会って話を付けて来い。そうすれば、
貴様の体も元に戻るだろう。」
「飛行長の言う通りだな、リンゲさん。」
ラウスも言って来た。
「俺も考えたが、薬の副作用自体でこんな体になるのはあり得ない。恐らく、薬自体に疲労緩和の魔法の他に、
別の魔法が染み込まれていたかもしれない。エリラっていう奴に会えば、なんとかなるかも。」
「では、自分は艦を下りて元の体に直す方法を見つけるんですね?」
「そうだ。お前は歴戦の戦闘機乗りだからな。こんな変てこな事態で失うのは俺としても惜しい。カーチス大尉、
そう思わんか?」
「その通りです、飛行長。」
カーチス大尉はさも当然と言った口調で返事した。
「そうと決まったら、自分と一緒にエリラさんを探しに行きましょうか。めんどくさい事はとっとと解決するのが一番すよ。」
ラウスの気の抜けた言葉が室内に響いた後、リンゲは意を決し、早速行動に出た。
午前8時 ヴィルフレイング市内
「で、その店が、ここから20分ほど歩いた森にあるんだな?」
「まあそうですね。あの森の中で、自分達は行き倒れていたエリラとかいう女を見つけたんです。」
「その女が寝床にしている宿屋とかは見た?」
「いえ・・・あの店で別れましたから、彼女が家に帰ったかまでは、正確に分からないですけど。」
「本当に家なんかあるかな。カレアント軍の特殊部隊は、ほとんどが宿無しで生活しているって噂があるぐらい、
任務中は野宿を繰り返すみたいだから、その女が言っていた家が無い可能性も捨てきれないね。」
「そうなんですか・・・・てことは、今もあの森の中をうろちょろしているのですか?」
「そうとは限らないね。時折、こんな街に出て来る事もあるよ。町に出る時は、大抵が食料などの買い付けか、
宿屋に泊まって任務中の疲れを癒すとか、そんな物だね。」
ラウスはそう言って、傍らにいるリンゲに顔を向ける。
彼。いや、彼女は顔を赤らめながら、制帽を目深に被っていた。
リンゲに対して、道行く男達の視線が四方八方から注がれていた。
カーキ色の軍服を身に着け、海軍の制帽を被っているリンゲだが、彼女の外見は本物の女であるため、周囲の
男連中が注目していた。
「おい、あの女結構いい体してんな。」
「お前もそう思うか?俺もだぜ。」
「あの胸見てみろ。俺の彼女並みにあるぞ。」
「ありゃF以上だな。」
「女の癖に海軍の軍服着てるぞ。」
「男装の麗人って奴か。悪くないね。」
「畜生、ベッドに連れ込みたいもんだぜ。」
リンゲの耳に、男連中のひそひそ話(聞こえているのでひそひそ話では無いが)が聞こえてくる。
しまいには写真に撮られる有様である。
その言葉を耳にしたり、写真に撮られるたびに、リンゲは背筋が凍り付くような思いに囚われる。
「さっさとあの軍曹殿を見つけないと、あのアホたれ共にやられちまう。」
「そうだなぁ。俺も君に同情するよ。」
リンゲは、男連中の卑しい視線を受けつつも、ラウスと共に足早で町を離れていった。
午前8時30分を回った頃に、問題の店にやって来た。
「リンゲさん。君が言うエリラとかいう女はどの方角に去って行った。」
「酒を飲んでたんで、記憶が少し曖昧なんですけど・・・・・多分北の方角、あっ、この道だったかも。」
リンゲは、伸びる一本道を指差した。あの晩、エリラは確かに、この道を歩いて帰って行った。
「とりあえず、駄目もとで行ってみるか。」
ラウスは相変わらず、のんびりとした口調で言いながら、その道に進み始める。
「歩いて15分ほどの所に寝床があるとか言っていましたけど。」
「寝床ねぇ。俺も魔法使いになる時に、ちょっくら特殊部隊系の訓練を受けていたんだけど、大抵敵の
スパイ狩が任務の奴は、自分も敵のスパイに寝込みを襲われかねないから常に寝床を変えてるんだよ。
やられちまったらおしまいだからね。」
「と言うと、ラウスさんはエリラがもうこの付近には居ないと考えてるんですか?」
「まあな。でも、もしかしたらこの付近にまだ居るかもしれない。それから何か武器持ってるか?」
「武器ですか・・・・・」
リンゲは呟きながら右腰に吊ってあるホルスターに手を触れた。
ホルスターの中にはコルトM1911拳銃が入っている。
普段は拳銃を持ち歩かないが、危険な敵のスパイが出没する森の奥地に行くため、艦長が特別に携帯を許可したのだ。
「拳銃なら持っていますけど。」
「まあ、何も無いよりはマシか。」
と、適当に雑談を交わしながら道を進んでいく。
15分ほど経つと、道の右側に酷いボロ屋があった。
「廃屋がありますね。もしかして。」
「いらん期待は持たないほうがいい。大抵はもぬけの殻だよ。都合よく、あのドアから出てくればいいけど」
いきなりドアが開かれ、そこから1人の女が現れた。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
3人はじばし無言であった。
1分ほど沈黙が経った後、エリラとリンゲは互いに指を向け合った。
「「あーーー!」」
2人が仰天した表情で叫んだ。あまりに大きい声で、ラウスは顔をしかめた。
「バカ!いきなり大声出しやがって!」
ラウスはリンゲを罵ったが、当の本人はエリラに詰め寄っていた。
「よくもこんな体にしてくれたな!お陰で気分は最悪だよ!」
「ご・・・ごめんなさい。あっ、胸があたしより大きい。」
エリラは謝る傍ら、リンゲの膨らんだ胸を見て羨ましげに言った。
「好きで大きくなった訳じゃない!さあ、早く元に戻してもらおうか?ここに来るまで、町の男連中に
変な目で見られたんだぞ!」
「ま、まあ落ち着いてよ。ね?一応、あたしも悪いとは思ってるの。まさか、別の薬を渡してしまうとは
思わなかったんだ。あんたの体を治す気はあるから、大丈夫よ。」
「治してくれるんだな?」
「ええ、そうよ。だから安心して。」
エリラは引きつった笑顔でリンゲに言った。
「そ、そうか。いきなり怒鳴ったりして済まない。」
「いいのよ。あたしが悪かったし。ちなみに、あそこで大あくび掻いてる人は知り合い?」
「・・・・ん?俺か?」
ラウスは暇そうな口調で言う。2人はこくりと頷いた。
「初めまして。俺はラウス・クレーゲルだ。よろしく頼む。俺も魔法をかじってるからそこのリンゲさんと
一緒に原因を究明しに来たんだ。」
「なるほどね。とりあえず中に入って。少し手狭だけど。」
納得したエリラは、ひとまず2人を廃屋の中に入れる事にした。
「疲労緩和剤の薬品は、元々こんな物だったんですけど、あたしが改良を加えて作ったのが、この赤い栓の
容器に入っていた薬。この薬には、疲労の緩和作用の他に、性転換の作用も入っていました。」
「それを飲んだリンゲが、こんな体になってしまった訳か。それ以前に、カレアント軍では薬品の勝手な
改良は推奨されていないんじゃねえか?」
ラウスの指摘に、エリラはビクッと体を震わせた。
「まあ・・・・・ねえ。そこはちょっと・・・・」
彼女は苦笑してごまかそうとする。それを許さない者が口を開いた。
「そこはちょっとで、俺の体はこんな風になってしまったんですが。」
リンゲは嫌に爽やかな笑顔で、エリラに言う。
「そもそも、何でこんな馬鹿げた薬を作ったんだ?」
「それはですね・・・・・・あたし、1ヵ月後に本国に戻る事になっているんです。その時に、ムカツク上官に
この薬を飲ませて復讐しようと考えていたんです。」
「そんないらん物を作るな!!やられた奴の事を考えろよ!!」
「まあ落ち着けよ。彼女だって、君にやりたくてやった訳じゃねえんだ。それはともかく、早く解除剤を作らないと
いけないな。」
「作る準備はもう出来ています。」
「術式を書いた紙はあるかな?」
「ええと、確かこっちに・・・・・」
エリラは、屑篭を乗せていた腐れかけの木箱を取り出し、蓋を開ける。
ごそごそと探してからしばらく経って、
「あ、ありました。一応この6枚ほどの紙に解除剤に入れる魔法の途中までの術式が書いてあります。」
木箱から数枚の紙を取り出した。
「ども。ちょっくら見るぜ。」
ラウスはその紙を1枚1枚、じっくりと見ていく。
「ラウスさん、それは何ですか?」
「薬の解毒剤みたいな物さ。この姉ちゃんはやさしいぜ。しっかり治す事も考えている。あんた、カレアントでは
結構腕の立つ魔道士だろ?」
「分かります?」
「分かるぜ。術式の構成もそこらの並みの魔道士と比べて上手い。でも、」
全てを見終わったラウスは、彼女に紙を返した。
「俺からしたらまだ雑すぎるね。俺は以前、ミスリアルで魔法を習ってきたからそれなりの知識と技量を持っている。
確かに君の魔法はなかなか筋がいいが、まだ雑も多いし、無駄がありすぎる。この途中から再開して、リンゲさんの
体を治すまで大体どれぐらいの時間を予想していた。」
ラウスが、エリラに厳しい指摘をしながら質問する。
「ええと・・・・・2日・・・・ほどです。」
「2日か・・・・・俺からしたら遅すぎる。俺が作れば、2日と言わず、半日で作れるぜ。」
「え!?そんなに短い時間で・・・・・どうやって!?」
「どうやって?決まってるだろう。」
そこで、ラウスはニヤリと笑みを浮かべた。
「無駄な部分を省けばいいんだ。この術式には余分な物がかなり盛り込まれている。従来のカレアントの
魔術式に比べれば、これでも大分軽いと言えるけど、ミスリアルやバルランドの魔法に比べたら重いし、
それに無駄な部分が多い。」
「では・・・・・どうすればいいんですか?」
ラウスはリンゲに顔を向けた。リンゲは不安げな表情でラウスを見つめている。
手違いで女の体になってしまったリンゲ。
彼女の胸中には、ひたすら戻りたいとの思いが渦巻いているのだろう。
「俺が君と一緒に魔術式を作る。そうだな・・・・・早ければ夕方までには完成するかもしれない。
確証は無いが、とにかく今から作業に取り掛かろう。めんどくさい事はさっさと終わらせねえとな。」
午後4時30分
突然の轟音に驚いたリンゲは、ベッドから跳ね起きた。
「うわぁ!?」
それに驚いたラウスとエリラが、リンゲの方に振り向いた。
「何だ!」
「どうしたの!?」
リンゲは慌てて、胸の真ん中や腹、そして背中を撫で回す。
「何だ・・・・・夢だったのか。」
リンゲはそう言うと、深いため息を吐いた。
またもや、遠くから轟音が聞こえて来る。
「航空機の音?」
リンゲはそう呟きながら窓の外を見てみた。
森の上空を、1機のB-24が低空すれすれに通過していった。
通過していくB-24はこれだけではなく、100機を越える数のB-24が、同じように上空を通過して行った。
「陸軍航空隊のB-24だ。北に向かっているみたいだな。」
彼はそう呟きながら、ベッドに座った。
「リンゲさん。あんた叫びながら跳ね起きたけど、なんか夢でもみてたのかい?」
「ああ、見てましたよ。2度と見たくない夢でした。」
「2度と見たくない夢?どんなのだ?」
「思い出すだけでもぞっとするんですが、自分が女から戻れなくて、そのまま本国に戻った夢なんですが、
これがまた怖くてね。夢の中では3ヶ月ほど経っていて、その3ヶ月間、誰かに四六時中見られているよう
な気がしたんですよ。で、ある日。そのまま家に帰ってきたら、誰かに抱きつかれ、その場で腹や胸に銃弾を
撃ち込まれました。なんか、銃弾が体を貫通する時の感触がやけにリアルで・・・・・ああ思い出したくないです。」
「訳のわからん夢だな。それ以前に夢の中で殺されるとは、どうも不吉だよな。」
「きっと疲れちゃってるんですよ。人間、精神的に疲れすぎると悪夢をよく見るみたいですよ。」
エリラが明るい声でそう言って来た。その言葉に、リンゲは再び気を悪くした。
「精神的に疲れさせた張本人さん。さっさと薬を作ってくださいね。」
リンゲの爽やかな笑みに、エリラは身を震わせた。
「も、もうちょっとだけ待ってて。もう少しで完成するから。」
あははと引きつった笑みを浮かべながら、エリラは作業を再開する。
それから30分後。
「出来た!解除薬!!」
エリラは胸を張って、出来立ての解除薬を高く掲げた。
それに対するリンゲの反応は、あまり良くなかった。
「そうかー。そいつはおめでどう、と言いたいんだが。」
リンゲは容器を指差した。
容器の中の液体は、どす黒く、いかにも毒で詰まっていますと言わんばかりにどろどろとしていた。
「飲んだら、俺の人生も解除しないよね?」
「どうぞ~♪」
「話聞け馬鹿野朗。」
「まあまあ、落ち着けよ。そいつは毒じゃないよ。正真正銘の解除薬だ。今すぐ飲んでも大丈夫だ。」
ラウスが眠たそうな声音、しかも棒読み口調で言って来た。
「本当ですかぁ?」
「あたしが保証するわ!」
「・・・・そのセリフはラウスさんに言って貰いたかったけど、とりあえずありがとう。」
リンゲは礼を言うと、差し出された試験管のような容器を手に取り、液体を口に流し込んだ。
味は無いが、変わりに泥でも食べているかのような気色悪い感触が口に広がる。
「うう・・・・気持ち悪い。」
「大丈夫。我慢よ♪」
「畜生、人事と思って。」
能天気なエリラの発言に、リンゲは怒ろうとしたがやめた。
「・・・・・・・・」
しばらく沈黙した後、リンゲは胸元を見る。相変わらず、胸の部分は張り出したままだ。
「ちなみに、解除薬はすぐに効果が現れないわ。効果が出るのは半日後で、それまでは現役の女の子のままよ。」
「逆に、効果が現れ始めたら、後はあっという間に男に戻っていく。要するに、明日の朝起きたら元通りと言うわけさ。」
「へえ~、そうなんですか。疲労緩和剤はすぐに効果が出たのに。」
「まっ、これで一安心という訳さ。」
「そうですか・・・・・」
リンゲはやっと、安心したような表情を浮かべた。
(時間はかかるけど、ようやくこれで)
リンゲは物思いに浸り始めた時、いきなり誰かが胸を揉んできた。
「はぁ~、それにしても、羨ましいねぇ。この胸。あたしより大きいなんて・・・・」
エリラは調子に乗って、さらに揉み続けようとする。
しかし、今度はエリラも、リンゲに同じ事をされた。
「ひゃっ!?な、何すんの!!」
「お前と同じ事してんだよ!やられたら倍返し!それがアメリカ人の流儀ってもんさ!」
やや顔を紅潮させたリンゲが、エリラに向かって喚いた。
「何ですってぇ!そっちがそう来るなら、こっちも応えるまでよ!!」
そう言って、2人の馬鹿げた戦いは始まってしまった。
「はあ、見てらんねぇ・・・・」
胸を揉み合うリンゲとエリラに呆れながら、ラウスは大あくびを掻いた。
6月13日
あのとんでも事件から5日経ったその日、リンゲ・レイノルズ少尉は、カーチス大尉らと共にルイシ・リアンで飲んでいた。
「しかし、女になったリンゲは実に良かったな。今では俺達と同様のおっさんに戻っちまったが。」
「おっさんて言うな。俺はまだ21だぞ。」
ラウンドス少尉の言葉に、リンゲは邪険するような口調で突っ込んだ。
「そう。貴様らはまだケツの青いヒヨっ子だ。おっさんと言うのは俺のような奴を言うんだぜ。」
カーチス大尉が自分に指を向けながら言う。
「何言ってるんですか。中隊長もまだ30手前でしょう。まだまだ若いですぜ。ささ、どうぞ。」
リンゲは空になったカーチス大尉のグラスに酒を注いだ。
「おう。気が利くな。」
「しかし隊長。ここ最近は、陸軍航空隊も大幅に増援部隊を送っていますね。この5日間で300機近い
B-24がミスリアルに飛んで行きましたぜ。」
ラウントス少尉が言った。
それにカーチス大尉が頷く。
「ミスリアルには、陸軍の第5航空軍がいる。そいつらはヴェリンスやカレアント北西部に空襲を仕掛けているが、
いまいち効果は上がってないようだ。恐らく、その爆撃の強化のために、まずはB-24を大幅に増派したのかもな。」
「中隊長、その増派されたB-24部隊なんですがね、何でもバルランドにある草原地帯で盛んに低空爆撃訓練を
行っていたようですよ。」
「低空爆撃訓練か。そいつは何度も聞いているんだが、不思議だよな。B-24は高高度から爆弾を投下する重爆なのに。」
「自分も詳しい事は知りませんが、きっと、ヴェリンスか、カレアントの占領地に何かあるんでしょう。」
「ふむ。敵の急所みたいな物があるのかも知れんな。とは言っても、俺達は機動部隊の艦載機パイロットだから、あんま詳しく知る必要も無いが。」
その時、リンゲの背後から声が聞こえた。
「すいません。ここ座ってもいいですか?」
リンゲは後ろを振り返った。そこには、あの日と同じ姿をした、エリラがいた。
「・・・・・エリラ。」
「座ってもいい?」
リンゲはしばらく躊躇ったが、
「・・・・まあ仕方ない。座れよ。」
快く承諾した。
「おい、何しに来たんだ?」
「ちょっとね。」
そう言って、エリラは微笑んだ。
「やっぱり、あなたは男のままのほうが一番ね。」
いきなりの言葉に、リンゲはドキッとなる。
「え?それはどういう事なんだ?」
「簡単よ。惚れた人の姿は、元のままの姿がいいって事。」
エリラが悪戯っぽく笑うと、リンゲはその笑顔に見とれてしまっていた。
6月19日 午前7時 ミスリアル王国フラナ・リレナ
フラナ・リレナは、ミスリアル王国の北東部にある小さな町である。
国境から200ゼルドの所にあるこの町の郊外には、いつの間にか作られた滑走路があった。
B-24爆撃機の機長であるラシャルド・ベリヤ中尉は、乗機のクルー達と共に駐機場に止められている愛機に
向かって歩いていた。
「しかし機長。自分達はエルフの美人が見られると思って楽しみにしとりましたが、見えるのは相変わらず、
B-24とむさい野朗ばかりですなあ。」
コ・パイ(副操縦士)のレスト・ガントナー少尉の言葉に、ベリヤ中尉は声を上げて笑った。
「何言ってるんだ。訓練尽くしの俺達にそんな暇はないさ。それよりも、エルフの美人を相手にするより、
俺達の愛機を相手にしておいたほうがいいぜ。もっと錬度が上がれば、相変わらず分からずじまいの
未知の作戦にも生き残れる。さて、まずは訓練あるのみだ。」
いつもながら、意気揚々と語るベリヤ中尉にクルー達は苦笑した。
彼らが真の攻撃目標を知らされるのは、あと4日経ってからのことである。