第105話 工作部隊上陸
1484年(1944年)1月10日 午前1時 ウェンステル領トアレ岬
潜水艦アルバコア艦長であるジェームス・ブランチャード少佐は、周辺海域を潜望鏡で見回していた。
1分ほど周囲を見回した後、彼は潜望鏡を下ろさせた。
「潜望鏡下げ!」
ブランチャード少佐は取っ手をパチンと畳む。ウィーンという駆動音と共に潜望鏡が下げられる。
「浮上する。メインタンクブロー!」
「メインタンクブロー、アイアイサー。」
艦長の指示に従い、空気手がタンク内の水を排水し、潜舵手は舵を調節して、アルバコアの艦体を上昇させていく。
やがて、アルバコアは指示通りに海面へ浮上した。
「工作部隊、上陸準備急げ!」
ブランチャード艦長は、艦内放送で、後部兵員室で待機している工作部隊に上陸準備を命じる。
「ふぅむ・・・・我ながら完璧ね。」
工作部隊の魔法担当要員である、エリラ・ファルマント軍曹は、鏡に映った自分の顔を見て満足した表情を浮かべていた。
その鏡に映っている顔は、黒いショートの髪に普通の人間の耳を生やしていた。
「ねえエリラ。あなたの変身魔法が凄い事は理解できたんだけど・・・・」
エリラの後ろで、メンバーの1人であるイルメ・ラトハウグが声をかけてきた。どこか怒りを含んだ声音である。
「なんなのこれは?あたしに対する嫌がらせかな?」
エリラは、イルメのほうへ振り向いた。イルメはエリラと違って黒く長い長髪に、変身前とは違って優しさに溢れる顔をしている。
その顔の左頬には、なぜか縦に入った傷があった。
「ああこれね。なんとなく似合うかなあと思って」
「余計なもんつけるなよ!」
イルメはエリラの言葉を最後まで聞かずに、彼女の頭を叩いた。
「おいおいおい、上陸前から仲間割れするなよ。」
ヴィクター中尉が苦笑しながら、があがあ吼えるイルメを抑えた。
「とにかく、これで準備は出来た訳だ。今は時間があまりないから、急いで上に上がるぞ!」
ヴィクター中尉はそう言うと、我先に兵員室を飛び出していく。他の隊員達も各種装備を持って兵員室を出て行った。
5分後、彼らは艦長の見送りのもと、用意されたボートで、目的地であるトアレ岬に向った。
10分ほどで、彼らを乗せたボートはトアレ岬の近くにある砂浜に辿り着いた。
「それでは皆さん。任務の成功を祈ります。」
別れ際に、短艇長がヴィクター中尉らに別れの挨拶を言った。
「ああ。ここまで連れて来てくれてありがとう。君達も、帰りは気を付けろよ。じゃあな。」
短い挨拶が終わると、ボートはアルバコアに向けて引き返して行った。
7人はボートを見送った後、早速歩き始めた。
5分ほど歩いた後、彼らは森の中で突如立ち止まった。
「独立戦争で、最後の決戦が行われた場所はどこだ?」
ヴィクター中尉は、暗闇の向こうにそう言い放った。
「ヨークタウン。」
暗闇の向こうから、野太い声が帰って来た。人影が、太い木の陰からぬぅっと出て来た。
「アタリですかな?」
「ああ。正解だ。」
ヴィクター中尉はそう言いながら、人影に近付いた。
工作部隊は、潜入する前にミスリアル側からスパイの支援を受けてはどうか?という提案をもたらされた。
彼らは協議の末にスパイの支援を受ける事にした。
このやりとりは、このスパイが本物か、偽者かを確かめるためのものだ。
「あんたが俺達の協力者だな?」
「そうです。」
懐中電灯がその人影に向けられた。柔和そうでいながら、体つきはヘビー級ボクサー並みの厚さがある。
「私はアルブ・フライドレと申します。あなたが工作部隊の指揮官ですか?」
「ええ。名前はヴィクター、アロルド・ヴィクターです。後ろに並んでいるのはチームのメンバーです。」
ヴィクター中尉はそう言った後、メンバーを1人1人紹介した。
「ほほう、なかなか頼もしい面々だ。それにしても、皆さん完璧にウェンステル人になりすましていますな。」
「イルメとロウクは元々ウェンステル人だよ。」
「正確に言うと、あたしは南ウェンステル出身ですけどね。」
イルメが苦笑しながら補足した。
「北ウェンステルだろうが南ウェンステルだろうが、同じウェンステル人ですよ。まぁとりあえず、話の続きは隠れ家でやると
しましょう。ここ最近はシホールアンル軍の警戒が段々ときつくなっていますので。私が案内します。」
アルブはそう言うと、ヴィクター中尉の前に立って歩き始めた。
1時間ほど歩いた所で、彼らは隠れ家に辿り着いた。
隠れ家は、質素な納屋を改造した2階建ての古ぼけた民家であった。大きさとしてはそこそこある。
森の中にあるため、2階部分には木々やツタがびっしりと張り付いている。
「ここです。中は一通り整理してあります。」
アルブはそう言いながらドアを開け、中に入っていった。工作部隊のメンバーも後に続く。
外見とは裏腹に、中は意外と綺麗であった。
「ほほう、なかなか豪華だな。」
「半年前までここは宿泊施設として使っていたのですよ。今は客も来ないので閉めていたのですが、ここなら目立ち
にくいので、活動拠点としては最適です。」
「ふむ。いい場所を確保してくれたものだ。」
メンバーらは隠れ家の中に入ると、床に装備品を置いた後、床に腰を下ろした。
「色々持ち込まれているようですが、装備品の中には小銃や機関銃などは入っていますか?」
「重火器は持ち込んでいないが・・・・・」
ヴィクター中尉は、装備品の中から持ち込んできた武器を取り出した。
取り出された武器はM3短機関銃とM1911自動拳銃、そしてナイフであった。
「銃器類はこれぐらいかな。この2種類の銃はいくつかの予備弾薬と共に1人ずつに与えている。後の装備品は無線機の部品ぐらいだ。」
「なるほど・・・・・」
アルブはしばらく考えてから、ヴィクター中尉に言った。
「ヴィクターさん。わかってはいると思いますが、活動中にはなるべく銃器類は持たないで下さい。銃器が見つかれば、すぐにバレてしまいます。」
「ああ、わかっている。活動中は国内を練り歩く冒険者と思わせるために、刃物類しか持たせないよ。」
「その他にも、このナイフも持たない方がいいです。これは確かに刃物類ですが、ウェンステル領の民やシホールアンル軍は、
このような形のナイフを1つも持っていません。ですから、ナイフを持ち歩く際には、これを使ってもらいます。」
アルブは立ち上がると、テーブルに置いてあった木箱を持って彼らの側に戻って来た。
「この木箱には、ウェンステルの民が使用している刃物類が入っています。短剣に長剣、全て揃っています。こちらから選んで
使えば大丈夫でしょう。」
「わかった。とはいっても、俺達全員がナイフを持つ訳ではないがね。7人全員が刃物を持っていると、盗賊の類かと怪しまれるからな。」
「それも良いでしょう。刃物を持つ者は、大体7人中4人、多くても5人までなら大丈夫です。元々、ウェンステルには化け物がよく
出ますからね。シホールアンル側は表面上、民の武装は控えるように命じていますが、少人数のグループで、必要最低限内の武装なら
咎められる事はありません。」
「そうか。じゃあ、誰が短剣、もしくは長剣を持つかは後で決めるとするか。」
ヴィクター中尉の言葉に、メンバーは全員が頷いた。
「では、ここで一息入れるとしましょう。私が暖かい飲み物を用意しますよ。」
アルブはそう言って微笑むと、立ち上がって飲み物の準備をし始めた。
「そう言えば、あんたはこの仕事を始める前は何をやっていたんだ?」
ヴィクター中尉はアルブに聞いた。
「そうですねぇ・・・・以前は軍の歩兵部隊に所属していました。自分の所属していた部隊は、終戦まで頑張ったんですが。結局は負けて
しまいました。最後は部隊長が自分らを任務から解放すると言って、部隊を解散させました。終戦の前日の出来事でしたかな・・・・・」
「元軍人か。どうして、連合国側のスパイになったんだい?」
「復讐ですよ。」
アルブはさらりと答える。
「祖国を奪ったシホールアンル野朗に、いくらかでも復讐をしたいと思ったのです。私は魔道士だったので、知り合いのつてを辿って、
ミスリアル軍諜報組織のスパイ部隊に入りました。」
アルブは他人事のような口調で説明していく。説明していく間に、用意したコップに出来たての香茶を入れる。
漂って来る香ばしい匂いに、ヴィクター中尉は和らいだ気持ちになった。
「気が付けば、もう3年になりますなぁ。」
「3年か・・・・」
「ええ。あれよこれよという内に、あっという間に時間が過ぎましたよ。人間、どのような状況下でも、早く歳を取っていくものだなぁ
と思いますよ。」
「ハハ、そりゃ同感だね。俺も今年で28歳になるが、20を過ぎるとババーっと、早く年月が流れてしまう物だな。最近では、
気が付けばおじいちゃんになってました、と言わないか、心配してるよ。」
ヴィクター中尉の言葉に、一同が笑い声を上げた。
「飲み物ができましたよ。ささ、飲んで下さい。」
アルブはトレイにカップを載せてから、ヴィクターらの側に歩み寄ってきた。彼は1人1人、カップを手に取り、香茶を飲んだ。
「やはり、寒い時には暖かい飲み物がいいな。体が中からあったまるよ。」
「コーヒーと違って、独特の味がしますね。あたし、これ好きになりましたよ。」
エリラは、この香茶を心底気に入ったようだ。
「初めて飲む人はよく言いますよ。この香茶は、山岳地帯に生えている花を原料に作っているんですよ。この花がまた綺麗な花でしてね。
現物はお見せできませんが、近いうちに見れるかもしれませんよ。」
「ほう。一度見て見たいものだな。」
彼らは、しばしの間香茶を飲みながら談笑を重ねた。
それから20分後。
「では、あなた達は明日から早速、活動されるのですね?」
「ああ。そのつもりだ。」
ヴィクター中尉は即答する。
「敵が先に捕らえれば、シホールアンルは強大な兵器を開発する。そうなれば、この戦争の行方は大きく変わってしまうだろう。
そうならない為にも、俺達はこいつを早く見つけなければならない。」
彼は、床に置いた1枚の似顔絵を、指でトントンと叩きながら力説する。
「しかし、この少女が、本当に戦争を左右するほどの兵器・・・・なのですか?」
「詳しい事は俺も知らされていないが、上層部はそう判断している。」
「そうですか・・・・わかりました。」
アルブは納得して頷いた。
「私も、出来る限りの協力はしましょう。」
「ありがとう。」
「ちなみに、出発はいつ頃ですか?」
「午前中にはここから出ようと思っている。」
「わかりました。あ、もう1度言いますが、銃器の携帯は控えて下さい。それに、ここ最近はシホールアンル軍もかなり神経を尖らせて
いますから、決して荒事は起こさないで下さい。一連の空襲で、ウェンステル領のシホールアンル軍は、全軍が厳戒態勢に入っています。
それに、シホールアンル側の諜報組織も幾名かのスパイをウェンステルに潜り込ませているという噂もあります。行動中は、常に用心して下さい。」
「勿論さ。いつも以上に、慎重に行動するよ。」
その後、午前2時半にはアルブは帰宅し、ヴィクター中尉らは明日の出発に備えて眠る事にした。
1484年(1944年)1月10日 午前9時 北ウェンステル領ラグレガミア
ラグレガミアの町は、すっかり雪景色に覆われていた。
空は見事な冬晴れに覆われていたが、冬の冷気はこの小さな町を簡単に暖かくさせてくれない。
それでも、天気の悪い日に比べればまだ暖かかった。。
この日、フェイレはラグレガミアのある喫茶店に足を運んでいた。
「今日も開いているわね。」
彼女は、店のドアに掲げられている営業中という札を見て、やや満足そうに呟いた。
フェイレはさり気ない動作でドアを開けた。
ドアには小さな鈴が付いており、開けるとチリンチリンという耳障りの良い音が鳴った。
「いらっしゃーい。」
店の中は、左側にカウンターがあり、カウンターの前には8個の椅子が置かれている。
右手には8つほどの丸いテーブルが並べられ、1つのテーブルには5つの椅子が取り囲むようにして並んでいる。
「やあ姉さん。毎度ありがとうよ。」
店の奥から出て来た店員が、営業スマイルを浮かべながらフェイレに話しかけてきた。
「ちょっと、暖かい物が飲みたくてね。」
フェイレはにこやかな笑みを浮かべて、店員に返事した。
この店は、フェイレが以前立ち寄った事のある露天喫茶の店である。
この喫茶店は、冬の間は露天にテーブルを置かず、室内のみで営業を行っている。
フェイレはこの喫茶店の香茶が気に入り、その日以来4回もこの店を訪れている。
「いつもの奴をお願いね。」
「あいよ!」
既に、顔馴染みとなっている店員の少年が、注文を受け取ると、店の奥に引っ込んで行く。
それと入れ替わりに、少年の父親でもある店の店主が奥から出て来た。
「おお、いらっしゃい。」
「どうも~。親父さん。今日も元気そうね。」
フェイレは、店主に向って陽気な口調で挨拶した。
「勿論さ。俺は元気さが取り得だからね。」
店主はそう言って、豪快に笑い飛ばした。
「親父はここ最近、妙に機嫌が良いんだよ。」
奥から少年がカップを持って出て来た。持っていたカップを、カウンター前の椅子に座るフェイレに渡す。
「ここ最近?」
「ああ。」
店主は頷くと、意味ありげな微笑を浮かぶ。
「もうすぐで、邪魔者達が出て行ってくれるからね。」
「邪魔者・・・・それってシホールアンル軍の事?」
「当たりだ。」
店主は人差し指をフェイレに向けて言い放った。
「なんでも、西海岸にあるシホールアンル軍の港があちこち襲われているらしい。それも、今までに無いほどの執拗さでね。昨日、
酔っ払ったシホールアンル軍の将校がべらべら喋ってたんだ。」
「攻撃を受けているのは、西海岸だけじゃないみたいだ。」
少年も自分が耳にした情報を話し始める。
「東海岸でも、西海岸と同様に港や運河の辺りが襲われているみたいだ。噂では、連合軍が近々北大陸にやって来るという話があるほどだよ。」
少年の言葉に、フェイレは納得していた。
(なるほど・・・・親父さんの機嫌が妙に良い訳だわ)
ウェンステル・・・・特に北ウェンステルは、シホールアンルの支配下に置かれて早3年が経っている。
シホールアンルの占領政策はそこそこ良い物であった。しかし、それは従順に従う者に限られた。
抵抗運動や過激なテロ活動を行い、それがシホールアンル側に露呈した場合、その後には死しかなかった。
このラグレガミアでも、11月20日に、とある6人家族が大衆の前で公開処刑された。
その家族は、占領以来ずっと抵抗活動に協力していた。
それがバレたために、家族全員が処刑されたのである。
このような事は、年が明けた今でもちらほら耳にするほどで多く、ウェンステル領の民達は、内心シホールアンル側を憎んでいた。
今、ウェンステルはシホールアンルの支配下の下で、作られた平和、強制された平和を過ごしている。
「あれから3年か・・・・・シホールアンルが侵攻した時は、味方軍の大敗走に唖然となり、奴らがこの国を乗っ取ってからは、
常に奴らのご機嫌を伺わないといけない日が続いた。しかし、そんなシホールアンル野朗と付き合うのも、あと少しだな。」
フェイレは、香茶をすすりながら店主の話を聞いていた。
その口ぶりからして、店主が連合軍の北大陸侵攻を望んでいる事が伺えた。
「そういえば姉さん。」
店主の側に立っていた少年がフェイレに聞いてきた。
「昨日の午前9時ぐらいに空を見てたかい?」
「いや、昨日は気分悪いからちょっと寝込んでた。何かあったの?」
「俺見たんだよ。白い雲を引きながら飛んでいく飛空挺を。なんか、ちっこい飛空挺みたいなのが結構高い所を飛びながら北に向って
いたんだよ。結構な数の飛空挺が飛んで行ったね。」
「ああ、俺もそれ見たぞ。飛空挺みたいなのがケツから雲引いていたな。ありゃめちゃくちゃ高い所まで上がってたかもな。」
「もしかして、5000グレルまで上がってたんじゃねえの?」
「馬鹿言え。いくら飛空挺でも5000グレルまでは上がれねえよ。第一、上がれたとしても4000グレル辺りが妥当だろう。
まあ4000でもかなり高い高度だがね。冬の季節は、低高度を飛んでも気温が低いし、夏と比べて雲を引きやすいからな。」
「へぇ、飛空挺が北に向って飛んで行ったんだ。もしかして、アメリカ軍の飛空挺かな。」
「かもしれねえな。ルベンゲーブを襲った飛空挺は、4つも発動機を積んでいたと言うし、もしかしたら、その大型飛空挺が
このラグレガミアからもっと北のあたりを爆撃しに行ったかもな。」
「北大陸に攻め込まれないうちに、ウェンステルの中部辺りにまで大型飛空挺が堂々と飛んで来るんだから、シホールアンルもそろそろヤバイかもね。」
少年は、どこか嬉しげな口調で父親に言った。
「かもな。」
父親も、息子に向って微笑む。
(アメリカの飛空挺がこのウェンステルの中部辺りまで飛んで来ている・・・・となると、シホールアンル軍も今頃は神経を尖らせているかもね)
この店主と少年の情報を聞いたフェイレは、連合軍の北大陸侵攻に期待するよりも、シホールアンル側の警戒強化を気にしていた。
フェイレは、シホールアンル帝国にとって必要な存在である。
彼女は、自分の体に入れ込まれた呪わしき鍵を手に入れようとするシホールアンルが、なりふり構わぬ策に出る事を特に警戒していた。
情報がウェンステル領の全駐留軍に伝われば、彼女の追っ手は爆発的に増える事になる。
そうなれば、いくらフェイレといえども逃げ延びられる可能性は無きに等しい。
袖から手首の皮膚がはみ出ている事に気が付いた。
手首には、あの呪わしき魔法実験で埋め込まれた魔術刻印がやや見える。
(こんな物のために・・・・あたしは・・・・・!)
自然に、怒りがむらむらと湧き起こって来る。
今すぐにでもシホールアンル兵を見つけ、皆殺しにしてやりたいという気持ちに駆られそうになるが、それを何とか抑える。
(いけない。意識したら、また発作が起きる。そうなれば・・・・・)
ふと、脳裏に懐かしき家々が燃えている光景が映し出される。
それを背景にして、声高に何かを言う2人の人影。
お前は、人を必ず不幸にする化け物・・・・・
ヒトヲ・・・カナラズフウニスルバケモノ
ワ タ シ ハ ・ ・ ・ ・ ・
「おい、どうした姉ちゃん?」
店主の声が耳に入ってくる。その何気ない声音でフェイレは我に返った。
「なんか・・・・・妙に怖い顔をしていたぞ。大丈夫か?」
「い、いや。大丈夫よ。」
フェイレは慌てて顔に笑いを作った。
「ただ、ちょっとだけ考え事をしてただけ。」
「考え事か・・・・さては、彼氏か?」
「え、ちょ!別にそんなんじゃないわ!」
「おお?慌てるという事はやっぱり彼氏か。」
「だから違うってば」
「うんうん、おじさんにはわかるぞ。その気持ち。ああ、若いって良いもんだぜ。」
「違うって言ってるでしょうが!」
フェイレは額に青筋を浮かべながら怒鳴った。
「おお、そうだったか?いや、すまんね。」
「親父、またかよ。」
少年が呆れたような口調で言った。どうやら、息子と父はちょっと違うようだ。
フェイレはそう思った。
「全く、いらねえお節介だぜ。彼氏の事で悩んでいるんだからそっとしとけよ。」
「違うっつってんでしょ!」
フェイレは先の思いを取り消した。
(親子揃って思考回路が一緒か!呆れるわね!!)
彼女は内心で、目の前の親子をののしった。
「いやはや、すまんね。」
「まあ、別にいいけどね。」
フェイレは気を取り直し、カップに入っている香茶を飲み干した。
「お詫びに、一杯おごろうか?」
店主は空になったカップを指差した。
「ありがとう。お言葉に甘えようかな・・・・とは思ったけど、遠慮しとくわ。」
彼女はそう言うと、懐から代金を取り出した。
「おや、もう行くのかい?いつもはもうちょっと話していくのに。」
「ええ。今日はちょっと急いでいるの。だから今日はここまでね。」
「そうか。ま、道中気を付けてな。おい。お客様のお帰りだ。」
店主は、フェイレの事を気にかけながら、隣にいる少年に声をかける。
立ち上がって、ドアに向うフェイレに、少年はいつもの言葉を投げかけた。
「ありがとうございました。またお越し下さい!」
その言葉を聞いたフェイレは、振り返る。そして、店主と少年に微笑んでからドアを開け、店を後にしていった。
「なあ親父・・・・あの姉さん、また来ますって言わなかったな。」
「ん?それがどうかしたのか?」
唐突に放たれた息子の言葉に、店主は怪訝な表情を浮かべた。
「あの姉さん、いつもまた来るね、と言って帰るんだ。でも、今日はそれが無かった。それに、最後に見せたあの笑顔・・・・・
なんか、別れを告げたような感じがしたよ。」
「そうか?俺にはさっぱりわからなかったな。」
店主は首を傾げるばかりで、息子の心情がわからなかった。
「さて、これからまた忙しくなるぞ。おい、ボサッとしてねえで早く果物の皮をむいて来い!」
少年は店主の渇にはっとなってから、慌てて奥に引っ込んで行った。
1484年(1944年)1月10日午後2時 南ウェンステル領エンデルド
南ウェンステル領エンデルドは、シホールアンル軍が占領する前はウェンステル公国有数の良港として広く使われてきた。
シホールアンル軍もまた、占領後に艦隊司令部や物資集積所、航空基地を置いたりして、この港町を有効活用していた。
そのため、エンデルドは米機動部隊や陸軍航空隊の空襲を何度も受け、その度に激戦を繰り広げてきた。
長い激闘の末に、エンデルドは解放された。
今、エンデルドは、連合軍の重要拠点として使用されていた。
エンデルドの住人達は、港に入港している船の数を見て半ば信じられないような表情を浮かべ、こう思っていた。
「どうして、こんなに船が集められるのか」
と。
それもそうであろう。エンデルドには、北大陸上陸作戦に参加する海軍艦艇や、輸送船が多数集結していたのだ。
シホールアンル軍が占領した時も、多くの船舶が出入りを繰り返していたが、今はそれすらも上回る規模の大船団で、港は埋め尽くされていた。
アメリカ第4軍は、2日前から兵員や物資を輸送船に乗せる作業に当たっていた。
その作業は、今日の午後4時までには終わる目処がついていた。
「見ろ、フリッツ。壮観だな。」
第4軍司令官のドニー・ブローニング中将は、参謀長のフリッツ・バイエルライン大佐に語りかけた。
「ええ。一体何隻ほどが集まっているんですかね。」
「少なめに見積もって、軽く500隻は超えているかもな。援護の艦隊を含めればもっと行くかも知れんぞ。」
「はあ・・・・この数は、ある意味反則技ですな。」
バイエルライン大佐は苦笑しながら、ブローニング中将に言う。
「反則技か。まあ、そうとも取れるな。そういえば、兵員の乗り組みはどれぐらいまで済んでいる?」
「既に8割方は輸送船に乗り組みました。機甲部隊の大半も、乗り組みを終えています。」
バイエルライン大佐は説明しながら、ふとキャタピラ音のする方向に視線を向ける。
そこには、機甲師団所属の戦車が、ゆっくりとした歩調でとある艦に乗っていく姿があった。
戦車が乗り込もうとしている艦は、それまでの輸送船と比べると、どこか小さい。
戦車を吸い込みつつある艦首部は高めで、その艦はあまり速力が出せないように感じられる。
全体的には、空母と似たような印象があるが、よく見ると甲板上には所々銃座が設けられ、その横には梱包された物資が置かれている。
この艦こそ、アメリカが開発した新兵器、戦車揚陸艦・・・通称LSTである。
LSTは、戦車部隊や、それに相当する物資や兵員を海上輸送するために建造されたものである。
この戦車揚陸艦の原案はイギリスが発表している。アメリカ海軍はそれをもとにこのLSTを作り上げた。
全長99.97メートル、全幅15.24メートル。基準排水量1780トン、満載時3880トン、速力は最大で13ノット出せる。
武装は、40ミリボフォース機銃6丁に、20ミリ機銃6丁、50口径3インチ単装砲2門だ。
機銃の数からして、対空戦闘を重視されている事がうかがえる。
このLSTに搭載できる戦車は20両、上陸用舟艇6隻、兵員はLSTの乗員を除いて140名が乗船可能だ。
今回の作戦では、このLSTが大量に投入され、作戦参加部隊の戦車輸送に大きく貢献しているという。
また、LSTは様々な用途に分けて改造が可能だ。
現在、本国ではロケット弾発射を専門とする地上支援型や、両用砲、機銃を主に搭載した対空支援型が検討されている。
「LSTが無ければ、こう速いペースで準備を行えなかったでしょうなぁ。」
「ああ。LSTは本当に便利な物だ。これで、Dデイにはどうにか間に合いそうだな。」
ブローニング中将はほっとしたような口調で呟いた。
「あと2日で北大陸ですか。なんか緊張しますな。」
「まあ気楽に行けばいいさ。俺はいつも気楽にやっていけるぞ。」
ブローニング中将はそう言うと、バイエルライン大佐の肩をポンと叩いた。
「何せ、第4軍には電撃戦のスペシャリストがいるからな。」
バイエルライン大佐は、その言葉に対して、自信の満ちた笑顔を浮かべ、ゆっくりと頷いた。
5分後、2人は輸送船に乗り込み、それから出港の時まで待ち続けた。
Dデイの決行日は1月12日となっていた。
1484年(1944年)1月10日 午前1時 ウェンステル領トアレ岬
潜水艦アルバコア艦長であるジェームス・ブランチャード少佐は、周辺海域を潜望鏡で見回していた。
1分ほど周囲を見回した後、彼は潜望鏡を下ろさせた。
「潜望鏡下げ!」
ブランチャード少佐は取っ手をパチンと畳む。ウィーンという駆動音と共に潜望鏡が下げられる。
「浮上する。メインタンクブロー!」
「メインタンクブロー、アイアイサー。」
艦長の指示に従い、空気手がタンク内の水を排水し、潜舵手は舵を調節して、アルバコアの艦体を上昇させていく。
やがて、アルバコアは指示通りに海面へ浮上した。
「工作部隊、上陸準備急げ!」
ブランチャード艦長は、艦内放送で、後部兵員室で待機している工作部隊に上陸準備を命じる。
「ふぅむ・・・・我ながら完璧ね。」
工作部隊の魔法担当要員である、エリラ・ファルマント軍曹は、鏡に映った自分の顔を見て満足した表情を浮かべていた。
その鏡に映っている顔は、黒いショートの髪に普通の人間の耳を生やしていた。
「ねえエリラ。あなたの変身魔法が凄い事は理解できたんだけど・・・・」
エリラの後ろで、メンバーの1人であるイルメ・ラトハウグが声をかけてきた。どこか怒りを含んだ声音である。
「なんなのこれは?あたしに対する嫌がらせかな?」
エリラは、イルメのほうへ振り向いた。イルメはエリラと違って黒く長い長髪に、変身前とは違って優しさに溢れる顔をしている。
その顔の左頬には、なぜか縦に入った傷があった。
「ああこれね。なんとなく似合うかなあと思って」
「余計なもんつけるなよ!」
イルメはエリラの言葉を最後まで聞かずに、彼女の頭を叩いた。
「おいおいおい、上陸前から仲間割れするなよ。」
ヴィクター中尉が苦笑しながら、があがあ吼えるイルメを抑えた。
「とにかく、これで準備は出来た訳だ。今は時間があまりないから、急いで上に上がるぞ!」
ヴィクター中尉はそう言うと、我先に兵員室を飛び出していく。他の隊員達も各種装備を持って兵員室を出て行った。
5分後、彼らは艦長の見送りのもと、用意されたボートで、目的地であるトアレ岬に向った。
10分ほどで、彼らを乗せたボートはトアレ岬の近くにある砂浜に辿り着いた。
「それでは皆さん。任務の成功を祈ります。」
別れ際に、短艇長がヴィクター中尉らに別れの挨拶を言った。
「ああ。ここまで連れて来てくれてありがとう。君達も、帰りは気を付けろよ。じゃあな。」
短い挨拶が終わると、ボートはアルバコアに向けて引き返して行った。
7人はボートを見送った後、早速歩き始めた。
5分ほど歩いた後、彼らは森の中で突如立ち止まった。
「独立戦争で、最後の決戦が行われた場所はどこだ?」
ヴィクター中尉は、暗闇の向こうにそう言い放った。
「ヨークタウン。」
暗闇の向こうから、野太い声が帰って来た。人影が、太い木の陰からぬぅっと出て来た。
「アタリですかな?」
「ああ。正解だ。」
ヴィクター中尉はそう言いながら、人影に近付いた。
工作部隊は、潜入する前にミスリアル側からスパイの支援を受けてはどうか?という提案をもたらされた。
彼らは協議の末にスパイの支援を受ける事にした。
このやりとりは、このスパイが本物か、偽者かを確かめるためのものだ。
「あんたが俺達の協力者だな?」
「そうです。」
懐中電灯がその人影に向けられた。柔和そうでいながら、体つきはヘビー級ボクサー並みの厚さがある。
「私はアルブ・フライドレと申します。あなたが工作部隊の指揮官ですか?」
「ええ。名前はヴィクター、アロルド・ヴィクターです。後ろに並んでいるのはチームのメンバーです。」
ヴィクター中尉はそう言った後、メンバーを1人1人紹介した。
「ほほう、なかなか頼もしい面々だ。それにしても、皆さん完璧にウェンステル人になりすましていますな。」
「イルメとロウクは元々ウェンステル人だよ。」
「正確に言うと、あたしは南ウェンステル出身ですけどね。」
イルメが苦笑しながら補足した。
「北ウェンステルだろうが南ウェンステルだろうが、同じウェンステル人ですよ。まぁとりあえず、話の続きは隠れ家でやると
しましょう。ここ最近はシホールアンル軍の警戒が段々ときつくなっていますので。私が案内します。」
アルブはそう言うと、ヴィクター中尉の前に立って歩き始めた。
1時間ほど歩いた所で、彼らは隠れ家に辿り着いた。
隠れ家は、質素な納屋を改造した2階建ての古ぼけた民家であった。大きさとしてはそこそこある。
森の中にあるため、2階部分には木々やツタがびっしりと張り付いている。
「ここです。中は一通り整理してあります。」
アルブはそう言いながらドアを開け、中に入っていった。工作部隊のメンバーも後に続く。
外見とは裏腹に、中は意外と綺麗であった。
「ほほう、なかなか豪華だな。」
「半年前までここは宿泊施設として使っていたのですよ。今は客も来ないので閉めていたのですが、ここなら目立ち
にくいので、活動拠点としては最適です。」
「ふむ。いい場所を確保してくれたものだ。」
メンバーらは隠れ家の中に入ると、床に装備品を置いた後、床に腰を下ろした。
「色々持ち込まれているようですが、装備品の中には小銃や機関銃などは入っていますか?」
「重火器は持ち込んでいないが・・・・・」
ヴィクター中尉は、装備品の中から持ち込んできた武器を取り出した。
取り出された武器はM3短機関銃とM1911自動拳銃、そしてナイフであった。
「銃器類はこれぐらいかな。この2種類の銃はいくつかの予備弾薬と共に1人ずつに与えている。後の装備品は無線機の部品ぐらいだ。」
「なるほど・・・・・」
アルブはしばらく考えてから、ヴィクター中尉に言った。
「ヴィクターさん。わかってはいると思いますが、活動中にはなるべく銃器類は持たないで下さい。銃器が見つかれば、すぐにバレてしまいます。」
「ああ、わかっている。活動中は国内を練り歩く冒険者と思わせるために、刃物類しか持たせないよ。」
「その他にも、このナイフも持たない方がいいです。これは確かに刃物類ですが、ウェンステル領の民やシホールアンル軍は、
このような形のナイフを1つも持っていません。ですから、ナイフを持ち歩く際には、これを使ってもらいます。」
アルブは立ち上がると、テーブルに置いてあった木箱を持って彼らの側に戻って来た。
「この木箱には、ウェンステルの民が使用している刃物類が入っています。短剣に長剣、全て揃っています。こちらから選んで
使えば大丈夫でしょう。」
「わかった。とはいっても、俺達全員がナイフを持つ訳ではないがね。7人全員が刃物を持っていると、盗賊の類かと怪しまれるからな。」
「それも良いでしょう。刃物を持つ者は、大体7人中4人、多くても5人までなら大丈夫です。元々、ウェンステルには化け物がよく
出ますからね。シホールアンル側は表面上、民の武装は控えるように命じていますが、少人数のグループで、必要最低限内の武装なら
咎められる事はありません。」
「そうか。じゃあ、誰が短剣、もしくは長剣を持つかは後で決めるとするか。」
ヴィクター中尉の言葉に、メンバーは全員が頷いた。
「では、ここで一息入れるとしましょう。私が暖かい飲み物を用意しますよ。」
アルブはそう言って微笑むと、立ち上がって飲み物の準備をし始めた。
「そう言えば、あんたはこの仕事を始める前は何をやっていたんだ?」
ヴィクター中尉はアルブに聞いた。
「そうですねぇ・・・・以前は軍の歩兵部隊に所属していました。自分の所属していた部隊は、終戦まで頑張ったんですが。結局は負けて
しまいました。最後は部隊長が自分らを任務から解放すると言って、部隊を解散させました。終戦の前日の出来事でしたかな・・・・・」
「元軍人か。どうして、連合国側のスパイになったんだい?」
「復讐ですよ。」
アルブはさらりと答える。
「祖国を奪ったシホールアンル野朗に、いくらかでも復讐をしたいと思ったのです。私は魔道士だったので、知り合いのつてを辿って、
ミスリアル軍諜報組織のスパイ部隊に入りました。」
アルブは他人事のような口調で説明していく。説明していく間に、用意したコップに出来たての香茶を入れる。
漂って来る香ばしい匂いに、ヴィクター中尉は和らいだ気持ちになった。
「気が付けば、もう3年になりますなぁ。」
「3年か・・・・」
「ええ。あれよこれよという内に、あっという間に時間が過ぎましたよ。人間、どのような状況下でも、早く歳を取っていくものだなぁ
と思いますよ。」
「ハハ、そりゃ同感だね。俺も今年で28歳になるが、20を過ぎるとババーっと、早く年月が流れてしまう物だな。最近では、
気が付けばおじいちゃんになってました、と言わないか、心配してるよ。」
ヴィクター中尉の言葉に、一同が笑い声を上げた。
「飲み物ができましたよ。ささ、飲んで下さい。」
アルブはトレイにカップを載せてから、ヴィクターらの側に歩み寄ってきた。彼は1人1人、カップを手に取り、香茶を飲んだ。
「やはり、寒い時には暖かい飲み物がいいな。体が中からあったまるよ。」
「コーヒーと違って、独特の味がしますね。あたし、これ好きになりましたよ。」
エリラは、この香茶を心底気に入ったようだ。
「初めて飲む人はよく言いますよ。この香茶は、山岳地帯に生えている花を原料に作っているんですよ。この花がまた綺麗な花でしてね。
現物はお見せできませんが、近いうちに見れるかもしれませんよ。」
「ほう。一度見て見たいものだな。」
彼らは、しばしの間香茶を飲みながら談笑を重ねた。
それから20分後。
「では、あなた達は明日から早速、活動されるのですね?」
「ああ。そのつもりだ。」
ヴィクター中尉は即答する。
「敵が先に捕らえれば、シホールアンルは強大な兵器を開発する。そうなれば、この戦争の行方は大きく変わってしまうだろう。
そうならない為にも、俺達はこいつを早く見つけなければならない。」
彼は、床に置いた1枚の似顔絵を、指でトントンと叩きながら力説する。
「しかし、この少女が、本当に戦争を左右するほどの兵器・・・・なのですか?」
「詳しい事は俺も知らされていないが、上層部はそう判断している。」
「そうですか・・・・わかりました。」
アルブは納得して頷いた。
「私も、出来る限りの協力はしましょう。」
「ありがとう。」
「ちなみに、出発はいつ頃ですか?」
「午前中にはここから出ようと思っている。」
「わかりました。あ、もう1度言いますが、銃器の携帯は控えて下さい。それに、ここ最近はシホールアンル軍もかなり神経を尖らせて
いますから、決して荒事は起こさないで下さい。一連の空襲で、ウェンステル領のシホールアンル軍は、全軍が厳戒態勢に入っています。
それに、シホールアンル側の諜報組織も幾名かのスパイをウェンステルに潜り込ませているという噂もあります。行動中は、常に用心して下さい。」
「勿論さ。いつも以上に、慎重に行動するよ。」
その後、午前2時半にはアルブは帰宅し、ヴィクター中尉らは明日の出発に備えて眠る事にした。
1484年(1944年)1月10日 午前9時 北ウェンステル領ラグレガミア
ラグレガミアの町は、すっかり雪景色に覆われていた。
空は見事な冬晴れに覆われていたが、冬の冷気はこの小さな町を簡単に暖かくさせてくれない。
それでも、天気の悪い日に比べればまだ暖かかった。。
この日、フェイレはラグレガミアのある喫茶店に足を運んでいた。
「今日も開いているわね。」
彼女は、店のドアに掲げられている営業中という札を見て、やや満足そうに呟いた。
フェイレはさり気ない動作でドアを開けた。
ドアには小さな鈴が付いており、開けるとチリンチリンという耳障りの良い音が鳴った。
「いらっしゃーい。」
店の中は、左側にカウンターがあり、カウンターの前には8個の椅子が置かれている。
右手には8つほどの丸いテーブルが並べられ、1つのテーブルには5つの椅子が取り囲むようにして並んでいる。
「やあ姉さん。毎度ありがとうよ。」
店の奥から出て来た店員が、営業スマイルを浮かべながらフェイレに話しかけてきた。
「ちょっと、暖かい物が飲みたくてね。」
フェイレはにこやかな笑みを浮かべて、店員に返事した。
この店は、フェイレが以前立ち寄った事のある露天喫茶の店である。
この喫茶店は、冬の間は露天にテーブルを置かず、室内のみで営業を行っている。
フェイレはこの喫茶店の香茶が気に入り、その日以来4回もこの店を訪れている。
「いつもの奴をお願いね。」
「あいよ!」
既に、顔馴染みとなっている店員の少年が、注文を受け取ると、店の奥に引っ込んで行く。
それと入れ替わりに、少年の父親でもある店の店主が奥から出て来た。
「おお、いらっしゃい。」
「どうも~。親父さん。今日も元気そうね。」
フェイレは、店主に向って陽気な口調で挨拶した。
「勿論さ。俺は元気さが取り得だからね。」
店主はそう言って、豪快に笑い飛ばした。
「親父はここ最近、妙に機嫌が良いんだよ。」
奥から少年がカップを持って出て来た。持っていたカップを、カウンター前の椅子に座るフェイレに渡す。
「ここ最近?」
「ああ。」
店主は頷くと、意味ありげな微笑を浮かぶ。
「もうすぐで、邪魔者達が出て行ってくれるからね。」
「邪魔者・・・・それってシホールアンル軍の事?」
「当たりだ。」
店主は人差し指をフェイレに向けて言い放った。
「なんでも、西海岸にあるシホールアンル軍の港があちこち襲われているらしい。それも、今までに無いほどの執拗さでね。昨日、
酔っ払ったシホールアンル軍の将校がべらべら喋ってたんだ。」
「攻撃を受けているのは、西海岸だけじゃないみたいだ。」
少年も自分が耳にした情報を話し始める。
「東海岸でも、西海岸と同様に港や運河の辺りが襲われているみたいだ。噂では、連合軍が近々北大陸にやって来るという話があるほどだよ。」
少年の言葉に、フェイレは納得していた。
(なるほど・・・・親父さんの機嫌が妙に良い訳だわ)
ウェンステル・・・・特に北ウェンステルは、シホールアンルの支配下に置かれて早3年が経っている。
シホールアンルの占領政策はそこそこ良い物であった。しかし、それは従順に従う者に限られた。
抵抗運動や過激なテロ活動を行い、それがシホールアンル側に露呈した場合、その後には死しかなかった。
このラグレガミアでも、11月20日に、とある6人家族が大衆の前で公開処刑された。
その家族は、占領以来ずっと抵抗活動に協力していた。
それがバレたために、家族全員が処刑されたのである。
このような事は、年が明けた今でもちらほら耳にするほどで多く、ウェンステル領の民達は、内心シホールアンル側を憎んでいた。
今、ウェンステルはシホールアンルの支配下の下で、作られた平和、強制された平和を過ごしている。
「あれから3年か・・・・・シホールアンルが侵攻した時は、味方軍の大敗走に唖然となり、奴らがこの国を乗っ取ってからは、
常に奴らのご機嫌を伺わないといけない日が続いた。しかし、そんなシホールアンル野朗と付き合うのも、あと少しだな。」
フェイレは、香茶をすすりながら店主の話を聞いていた。
その口ぶりからして、店主が連合軍の北大陸侵攻を望んでいる事が伺えた。
「そういえば姉さん。」
店主の側に立っていた少年がフェイレに聞いてきた。
「昨日の午前9時ぐらいに空を見てたかい?」
「いや、昨日は気分悪いからちょっと寝込んでた。何かあったの?」
「俺見たんだよ。白い雲を引きながら飛んでいく飛空挺を。なんか、ちっこい飛空挺みたいなのが結構高い所を飛びながら北に向って
いたんだよ。結構な数の飛空挺が飛んで行ったね。」
「ああ、俺もそれ見たぞ。飛空挺みたいなのがケツから雲引いていたな。ありゃめちゃくちゃ高い所まで上がってたかもな。」
「もしかして、5000グレルまで上がってたんじゃねえの?」
「馬鹿言え。いくら飛空挺でも5000グレルまでは上がれねえよ。第一、上がれたとしても4000グレル辺りが妥当だろう。
まあ4000でもかなり高い高度だがね。冬の季節は、低高度を飛んでも気温が低いし、夏と比べて雲を引きやすいからな。」
「へぇ、飛空挺が北に向って飛んで行ったんだ。もしかして、アメリカ軍の飛空挺かな。」
「かもしれねえな。ルベンゲーブを襲った飛空挺は、4つも発動機を積んでいたと言うし、もしかしたら、その大型飛空挺が
このラグレガミアからもっと北のあたりを爆撃しに行ったかもな。」
「北大陸に攻め込まれないうちに、ウェンステルの中部辺りにまで大型飛空挺が堂々と飛んで来るんだから、シホールアンルもそろそろヤバイかもね。」
少年は、どこか嬉しげな口調で父親に言った。
「かもな。」
父親も、息子に向って微笑む。
(アメリカの飛空挺がこのウェンステルの中部辺りまで飛んで来ている・・・・となると、シホールアンル軍も今頃は神経を尖らせているかもね)
この店主と少年の情報を聞いたフェイレは、連合軍の北大陸侵攻に期待するよりも、シホールアンル側の警戒強化を気にしていた。
フェイレは、シホールアンル帝国にとって必要な存在である。
彼女は、自分の体に入れ込まれた呪わしき鍵を手に入れようとするシホールアンルが、なりふり構わぬ策に出る事を特に警戒していた。
情報がウェンステル領の全駐留軍に伝われば、彼女の追っ手は爆発的に増える事になる。
そうなれば、いくらフェイレといえども逃げ延びられる可能性は無きに等しい。
袖から手首の皮膚がはみ出ている事に気が付いた。
手首には、あの呪わしき魔法実験で埋め込まれた魔術刻印がやや見える。
(こんな物のために・・・・あたしは・・・・・!)
自然に、怒りがむらむらと湧き起こって来る。
今すぐにでもシホールアンル兵を見つけ、皆殺しにしてやりたいという気持ちに駆られそうになるが、それを何とか抑える。
(いけない。意識したら、また発作が起きる。そうなれば・・・・・)
ふと、脳裏に懐かしき家々が燃えている光景が映し出される。
それを背景にして、声高に何かを言う2人の人影。
お前は、人を必ず不幸にする化け物・・・・・
ヒトヲ・・・カナラズフウニスルバケモノ
ワ タ シ ハ ・ ・ ・ ・ ・
「おい、どうした姉ちゃん?」
店主の声が耳に入ってくる。その何気ない声音でフェイレは我に返った。
「なんか・・・・・妙に怖い顔をしていたぞ。大丈夫か?」
「い、いや。大丈夫よ。」
フェイレは慌てて顔に笑いを作った。
「ただ、ちょっとだけ考え事をしてただけ。」
「考え事か・・・・さては、彼氏か?」
「え、ちょ!別にそんなんじゃないわ!」
「おお?慌てるという事はやっぱり彼氏か。」
「だから違うってば」
「うんうん、おじさんにはわかるぞ。その気持ち。ああ、若いって良いもんだぜ。」
「違うって言ってるでしょうが!」
フェイレは額に青筋を浮かべながら怒鳴った。
「おお、そうだったか?いや、すまんね。」
「親父、またかよ。」
少年が呆れたような口調で言った。どうやら、息子と父はちょっと違うようだ。
フェイレはそう思った。
「全く、いらねえお節介だぜ。彼氏の事で悩んでいるんだからそっとしとけよ。」
「違うっつってんでしょ!」
フェイレは先の思いを取り消した。
(親子揃って思考回路が一緒か!呆れるわね!!)
彼女は内心で、目の前の親子をののしった。
「いやはや、すまんね。」
「まあ、別にいいけどね。」
フェイレは気を取り直し、カップに入っている香茶を飲み干した。
「お詫びに、一杯おごろうか?」
店主は空になったカップを指差した。
「ありがとう。お言葉に甘えようかな・・・・とは思ったけど、遠慮しとくわ。」
彼女はそう言うと、懐から代金を取り出した。
「おや、もう行くのかい?いつもはもうちょっと話していくのに。」
「ええ。今日はちょっと急いでいるの。だから今日はここまでね。」
「そうか。ま、道中気を付けてな。おい。お客様のお帰りだ。」
店主は、フェイレの事を気にかけながら、隣にいる少年に声をかける。
立ち上がって、ドアに向うフェイレに、少年はいつもの言葉を投げかけた。
「ありがとうございました。またお越し下さい!」
その言葉を聞いたフェイレは、振り返る。そして、店主と少年に微笑んでからドアを開け、店を後にしていった。
「なあ親父・・・・あの姉さん、また来ますって言わなかったな。」
「ん?それがどうかしたのか?」
唐突に放たれた息子の言葉に、店主は怪訝な表情を浮かべた。
「あの姉さん、いつもまた来るね、と言って帰るんだ。でも、今日はそれが無かった。それに、最後に見せたあの笑顔・・・・・
なんか、別れを告げたような感じがしたよ。」
「そうか?俺にはさっぱりわからなかったな。」
店主は首を傾げるばかりで、息子の心情がわからなかった。
「さて、これからまた忙しくなるぞ。おい、ボサッとしてねえで早く果物の皮をむいて来い!」
少年は店主の渇にはっとなってから、慌てて奥に引っ込んで行った。
1484年(1944年)1月10日午後2時 南ウェンステル領エンデルド
南ウェンステル領エンデルドは、シホールアンル軍が占領する前はウェンステル公国有数の良港として広く使われてきた。
シホールアンル軍もまた、占領後に艦隊司令部や物資集積所、航空基地を置いたりして、この港町を有効活用していた。
そのため、エンデルドは米機動部隊や陸軍航空隊の空襲を何度も受け、その度に激戦を繰り広げてきた。
長い激闘の末に、エンデルドは解放された。
今、エンデルドは、連合軍の重要拠点として使用されていた。
エンデルドの住人達は、港に入港している船の数を見て半ば信じられないような表情を浮かべ、こう思っていた。
「どうして、こんなに船が集められるのか」
と。
それもそうであろう。エンデルドには、北大陸上陸作戦に参加する海軍艦艇や、輸送船が多数集結していたのだ。
シホールアンル軍が占領した時も、多くの船舶が出入りを繰り返していたが、今はそれすらも上回る規模の大船団で、港は埋め尽くされていた。
アメリカ第4軍は、2日前から兵員や物資を輸送船に乗せる作業に当たっていた。
その作業は、今日の午後4時までには終わる目処がついていた。
「見ろ、フリッツ。壮観だな。」
第4軍司令官のドニー・ブローニング中将は、参謀長のフリッツ・バイエルライン大佐に語りかけた。
「ええ。一体何隻ほどが集まっているんですかね。」
「少なめに見積もって、軽く500隻は超えているかもな。援護の艦隊を含めればもっと行くかも知れんぞ。」
「はあ・・・・この数は、ある意味反則技ですな。」
バイエルライン大佐は苦笑しながら、ブローニング中将に言う。
「反則技か。まあ、そうとも取れるな。そういえば、兵員の乗り組みはどれぐらいまで済んでいる?」
「既に8割方は輸送船に乗り組みました。機甲部隊の大半も、乗り組みを終えています。」
バイエルライン大佐は説明しながら、ふとキャタピラ音のする方向に視線を向ける。
そこには、機甲師団所属の戦車が、ゆっくりとした歩調でとある艦に乗っていく姿があった。
戦車が乗り込もうとしている艦は、それまでの輸送船と比べると、どこか小さい。
戦車を吸い込みつつある艦首部は高めで、その艦はあまり速力が出せないように感じられる。
全体的には、空母と似たような印象があるが、よく見ると甲板上には所々銃座が設けられ、その横には梱包された物資が置かれている。
この艦こそ、アメリカが開発した新兵器、戦車揚陸艦・・・通称LSTである。
LSTは、戦車部隊や、それに相当する物資や兵員を海上輸送するために建造されたものである。
この戦車揚陸艦の原案はイギリスが発表している。アメリカ海軍はそれをもとにこのLSTを作り上げた。
全長99.97メートル、全幅15.24メートル。基準排水量1780トン、満載時3880トン、速力は最大で13ノット出せる。
武装は、40ミリボフォース機銃6丁に、20ミリ機銃6丁、50口径3インチ単装砲2門だ。
機銃の数からして、対空戦闘を重視されている事がうかがえる。
このLSTに搭載できる戦車は20両、上陸用舟艇6隻、兵員はLSTの乗員を除いて140名が乗船可能だ。
今回の作戦では、このLSTが大量に投入され、作戦参加部隊の戦車輸送に大きく貢献しているという。
また、LSTは様々な用途に分けて改造が可能だ。
現在、本国ではロケット弾発射を専門とする地上支援型や、両用砲、機銃を主に搭載した対空支援型が検討されている。
「LSTが無ければ、こう速いペースで準備を行えなかったでしょうなぁ。」
「ああ。LSTは本当に便利な物だ。これで、Dデイにはどうにか間に合いそうだな。」
ブローニング中将はほっとしたような口調で呟いた。
「あと2日で北大陸ですか。なんか緊張しますな。」
「まあ気楽に行けばいいさ。俺はいつも気楽にやっていけるぞ。」
ブローニング中将はそう言うと、バイエルライン大佐の肩をポンと叩いた。
「何せ、第4軍には電撃戦のスペシャリストがいるからな。」
バイエルライン大佐は、その言葉に対して、自信の満ちた笑顔を浮かべ、ゆっくりと頷いた。
5分後、2人は輸送船に乗り込み、それから出港の時まで待ち続けた。
Dデイの決行日は1月12日となっていた。