『
聖白蓮』
【午後 15:37】C-3 紅魔館 地下大図書館
「殴られた横っ腹の借りを返す前に、だ。念の為聞いておこうか、
聖白蓮」
先のダメージをものともせずに、DIOが気障ったらしく腕を組む。
些か掃除の行き届いてない書物の群から立ち上る埃の煙幕は、まるで吸血鬼の胃から吹き出される寒波を想像させるおぞましい寒気。
少々、難儀な物の怪退治になりそうだ。
白蓮は予感される大仕事に背筋を強張らせながらも、決して気圧されない。
「何でしょうか?」
「お前は何故、このDIOの前に立つ?
そこの出来損ないを救いに来たのだと寝言を言うのなら、これは『親子』の問題だ。引っ込んでいてもらおう」
戦う理由。それは白蓮にとっても、置いてはおけない問題だ。
万事の発生には、必ず理由がある。
相応の理由があるのだから異変を起こす者がいるのだし、異変が起こるから巫女は解決に向かう。
民衆を救い、導く役職に就く尼公の白蓮ですら「力も方便です」と残している。先の宗教戦争において自ら出陣した珍事にだって理由はあるのだ。
『妖怪退治』と『殺し』は決してイコールでは結ばれない。
しかし、このゲームにおいてはそのイコールが結ばれ“得る”。得てしまう。
たとえ目の前の吸血鬼が妖怪の括りに則し、退治なり成仏なりさせてしまえば、現状に限って言えばそれはもう『殺し』の領域となる。
『殺人』にも理由はある。誰でもいいから殺したかったなどと供述する人非人の戯言ですら、広義で見ればそれは一つの理由だ。
白蓮がDIOらと戦う理由は明確だ。
その戦いの過程で彼らの命を奪ってしまう結果が起こり得る事も、予想しなければならない。
言うならば今の白蓮には、『殺人』を犯す公然の理由がある。本人はそれを許容してはいないが、当て嵌ってしまうのだ。
無論、僧侶たる彼女が“それ”を犯してしまえば、因果応報により必ず地獄に堕ちる。断じて避けなければならない。
「“因縁生起”……世の中のものは、すべて相互に関係しあって存在している、因縁によって生ずる、という考え方です」
「フン。坊主の説法を頼んだ覚えはない。尤も、その考え自体には同意できるが」
「因縁生起を略し、『縁起』と呼ぶ。“吉凶の前兆”という様に、昨今ではかけ離れた意味で使われるこの言葉は、本来は因と縁が互いに密接に絡み合う意味なのです」
縁起の考え方は、仏教が持つ根本的な世界観である。
この因果論は、“様々な条件や原因が無くなれば、結果も自ずから無くなる”、という逆の考え方も出来る。
DIOがジョルノという親子の『縁』を断ち切ろうとする『理由』には、我が子すらも滅す事によって、ジョースターという『縁起』を完全に消滅させようという魂胆がある。
仏教の世界でいうところの『縁滅』を狙っているのだ。
「貴方の所業に理由はあるのでしょうが……それはやはり悪行でしかない。
無論、私がこの場へ赴いたのにも理由はあります」
テカテカの光沢を反射させながら、白蓮は右腕をDIOに向け、人差し指を立てた。
「ひとつに。そちらの神父様の持つ、
ジョナサン・ジョースターから奪った円盤。
彼を蘇生させるには、その円盤が必要不可欠と判断した故に、ここまで参りました」
真っ当な理由だ。いわば人助けに類する行動理念であり、白蓮を象徴すると言っても良い行動であった。
DIOもプッチもそこは容易に予測出来る。そして白蓮の言う通り、ジョナサンのDISCは未だプッチの懐に仕舞われていた。
この円盤の特徴の一つに、破壊不能レベルの弾性を纏うことが挙げられる。外圧によって壊すことは難しいが故に、たとえ宿敵の命そのものと呼べる円盤でもこうして持ち続ける他ない。ここに
ヴァニラ・アイスさえ居れば悩むまでもない話であるが。
「御足労悪いが……このDISCだけは渡せないのだ。諦めて寺へ帰るといい。力ずくはあまりオススメしない」
「力ずく、ですか。好きな言葉ではありませんが……嫌いな言葉でもありません」
「……中々面白い尼だ。少し気に入った。……他の理由は?」
「ふたつに。人類の三大禁忌(タブー)というものがあります。内一つが『親殺し』の大罪。
どのような理由があろうと、己を産み落とした親を殺すなど言語道断。逆もまた然り、です」
見過ごせない。見過ごせるものか。
家族の問題、で見過ごしてしまうほど、白蓮の眼は曇ってなどいない。
親子で殺し合わなければならない程、憎んでいるというのか。
ならば何故、産んだのだ。
それを問い質すつもりは無いし、返ってくる答えにはおよそ正常な感情など篭ってないだろう。
永く、善も悪も見てきたから分かる。
最期を看取ったスピードワゴンがかつて忠告した言葉が、ここで理解出来た。
この男DIOは、生粋の邪悪だ。
絶対に、野放しには出来ない。
「なるほど。正義の真似事のつもりか」
「はい。正義の真似事を、演じさせて頂きます」
幻想郷のようにはいかない。
交わし合う言葉も不要。
躱し合う弾幕も無意味。
言葉遊びも、弾幕遊びも、全ては児戯だと切り捨てたなら。
あまりに無情で、あまりに空しいではないか。
この荒廃した箱庭で正義論など掲げて、私(おまえ)は部下を何人失った? 家族を何人救えた?
いっそ。何も掲げさえしなければ。
正義も悪も翳さず、降り掛かる厄災を払うのみに徹すれば。
少なくとも、
寅丸星は死なせずに済んだのではないか。
(…………私とした事が。まだまだ修行が足りませんね。自暴自棄と無念無想を混同するなど)
聖白蓮は、それを選ばない。
寅丸星の信じた正義を否定し、捨てる選択は愚の骨頂だ。
拠り所を放棄し、単孤無頼の奈落に堕ちた人間は、等しく弱い。
掲げるモノを信じるから、人は強くなれるのだ。
昔日に人間の身を辞めた白蓮の目にも、素晴らしき『人間賛歌』は七色のように美しく映る。
あとは空に架かったそのアーチを、この自分が辿れるかどうかだ。
「───正義、正義か。……ククク。なるほど、なるほど……!」
正義を宿す白蓮の、瞳に映った邪悪は嘲る。
静寂だったさざ波は、間もなく荒波となり、地下中に波乱を招く津波となって鼓膜を打つ。
「ハハ……ッ! ハァーーッハッハッハッハァ!!!」
閑かなる地の底だからこそ、男の絶笑はより深く引き立った。
乱反射される嘲笑い。ドス黒い悪の大気で覆い被さる巨大な津波は、そこに居る正義の心を揺さぶった。
「可笑しいですか」
不快からか。はたまた戦慄の類か。
白蓮は喉元でひりついていた言葉を吐き、目の前の悪をひと睨みする。
「クックック……! いや、そうではない。
ただ、あまりにもお前が私の『予想通り』の人物像だったものでな」
黄金に揺蕩う髪を根元からクシャりと握り締め、腕の震えを強引に塞き止める。男を突如として襲った痛快なる破顔は、そうまでの現象を引き起こすものか。
「プッチ神父から、何か私の良くない風評でも吹聴されたのですか」
「それも間違ってはいないが……私はお前に少し、興味があった。名簿で初めてその名を目にしてからな」
名簿。そこに連なる
聖白蓮の並びが、果たしてこの男へと如何なる興趣を与えたのか。
依然、白蓮の疑問符は止まない。
「お前からすれば、実にくだらん言い掛かりよ。しかし、こと私にとっては……これが意外と死活問題でね。中々どうして、馬鹿にできんのだ」
「随分と回りくどい御方です。言いたいことがあるのなら、ハッキリと」
「名前だよ。お前の名に、私は…………そう。恥ずかしながら白状しよう。
───恐れたのだ。ほんの僅かだが、動揺を覚えてしまった。このDIOが、だ」
過ぎ去った過去の笑い話を、心の引き出しからそっと取り出すように。
かの邪悪の化身は俯きがちに首を振り、また笑った。
自らを〝悪〟と言い切る悪人正機を体現した、この男ほどの者が。
可愛げすら覗かせるように、それを言うのだ。
「失敬な話ですね。私は魔王か何かですか」
「魔王……なるほど。言い得て妙だ。あながち間違いでもない。
お前は私にとって、滅ぼすべき『魔王』の様な存在……その可能性もあった」
心外だ。確かについぞ最近まで、白蓮は魔界に身を置いていた。だがその心まで魔に染まった訳ではない。魔王などと蔑まれる所以などあるか。
「名は体を表す……ということわざがあるように。言葉には時折、不可思議な魔力が籠る。日本ではこれを……え~~~と、」
「言霊でしょうか」
「そう。その言霊というのが実に……ある意味では重要なのだ。
血脈と共に『ジョジョ』という愛称が代々に渡り継がれるのも、言葉に魔力が宿るからとしか思えん。そういう風習が定まっている訳でもないのにな」
DIOが流した『ジョジョ』の名に、白蓮は軽く眉をしかめる。
愛称。ジョジョ。直感的に、それは
ジョナサン・ジョースターの渾名なのではと予感する。
背後で鈴仙を治療するジョルノも、『ジョジョ』の名にほんの一瞬ピクリと反応したのには、その場の誰も気付かなかった。
「その言霊と私の名前に如何なる関係が?」
「聖(ひじり)……私はその名に、少しだが縁があってね。
正確には『聖(ホーリー)』……ホリィ・ジョースターだったかな」
ホリィ・ジョースター。またしてもジョースター。
その女性の名前……ルーツの根源を知る者は、ここではDIOとプッチの二名のみ。
全ての事の発端である女。そう言い換えてもいいのかもしれない。
かの
ジョセフ・ジョースターがエジプトのDIOを嗅ぎ付け、仲間を連れて遥々と海を渡って来たのも、元を正せば
空条承太郎の母・空条ホリィがDIOの影響を受けて昏睡したからである。
この点に関してDIOの意図があった訳では無い。ホリィが生来、スタンドの発現に耐えられる精神をしておらず、DIOの復活が血脈を介して彼女に悪影響を及ぼしたからであり、あらぬ必然を引き起こしてしまったに過ぎない。
DIOは『聖女』が嫌いである。
少年時代、浅はかな考えでエリナに手を出し、ジョナサンの成長を引き起こす一因を作ってしまった。
周囲からは『聖子さん』などと呼ばれていたらしいホリィへと、間接的にではあるが危害を加えた為、
空条承太郎を敵に回してしまった。
メリーに関してもそうだ。彼女の瞳はエリナと酷似している。メリーもDIOにとっての『聖女』。だからこそ丸め込み、手篭めにしようと画策している。
DIO。
ディオ・ブランドー。
彼の持つ女性観の根源には、とうに他界した『母親』が密接に絡んでいる事は、本人も自覚するところである。
思い返せば……母もまた、ディオにとっては聖女の様な存在だったろう。
母の愛があったおかげで幼少ディオは、過酷な環境をたった独りでも生き抜いてこれた。
そして、母の清すぎた聖心のせいでディオは、余計な重苦を背負ってきたと言ってもいい。
あの女は、人間として眩しいくらいに良く振る舞い、息子に愛を注いできたろう。
しかしディオの育った環境においては、その愛は必ずしも幸福には結びつかなかった。
ディオは母親が嫌いであった。
だからこそ、聖女を憎むのかもしれない。
聖なる女は、いつだって彼の闇の運命を祓ってきた。
「聖(ひじり)などと、こんな御高尚な名を付けられた程だ。さぞ正義感に満ち溢れ、義に厚い女なのだろうなと……確信すらしていたのだよ。
くどいが、言葉には本当に魂が宿るものだな。お前もまた、エリナによく似ている。その奇天烈な積極性に目を瞑ればだが、な」
「人様を魔王と呼んだり聖女と呼んだり……しかし、『言葉の魔力』ですか。確かに、古来より名前には不思議な力が籠ると考えられてきました。
神<DIO>と名付けられた貴方が聖女に恐怖するのも……皮肉な運命めいたモノを感じます」
本人も言う通り……DIOの言い分は極めて自己中心的で、無関係の白蓮からすれば言い掛かりもいい所だ。
しかし、彼は恐らくそういった迷信やジンクスを受け入れるタイプだろう。
実際に白蓮はDIOの前にこうして立ち塞がっている。そして、その彼女を自ら倒すことで、運命を……恐怖を乗り越えようとしている。
聖白蓮とは、DIOにとって紛うことなき障害なのだ。
信じ難いほどに、前向きな男だ。
ベクトルさえ間違わなければ……このゲームを共に打破する、頼れる仲間になれたろうか。
「尤も、私は自身が聖女だなどと自惚れておりません」
誠に口惜しく、遺憾千万である。
「───魔人経巻」
詠唱省略。ゼロコンマからの魔法発動を可能とする巻物。
それが、黒を基調とする彼女のバイクスーツの内から。
つまりは素肌。白蓮の胸部の狭間から音もなく取り出され。
「『ガルーダの爪』」
空気が爆発した。
音すら置き去りにして、白蓮が空想を具現化させたスキルの名は『ガルーダの爪』。
装った衣装にこれ以上似合う体術もない……とんでもなく強烈なライダーキック。
「『世界』」
爆発の如き蹴りが停止した。
半ば不意打ちに近い形で炸裂した白蓮の足技は、男の呟いたザ・ワールドの明滅と共に、止まる。
時を止めた訳ではない。彼女の目にも止まらぬ速度を、物理的に、単純なスタンドの防御で受け止めたに過ぎない。
「───更にくどいが、名前には魂が宿る。お前達が『スペルカード』の遊戯法により、くだらん弾幕へ名付ける事と同じように」
世界の腕が、攻撃の硬直で宙に止まったままの白蓮の足首を掴んだ。
「天国へ至るのに必要な『14の言葉』が設定されたように」
そのまま、世界は受けた蹴りの反動をモノともしない勢いで、掴んだ白蓮を一旦大きく頭上へと振りかぶり。
「……ッ! 御免ッ!」
その手は食うかと、筋力倍加の魔法を受けた白蓮の凄まじい拳骨が。
命蓮寺の鐘を毎朝毎晩、素手にて十里先まで打ち鳴らす程の鋼鉄の拳が。
人体の急所……脳天へと、真上からモロに叩き込まれた。
常人であれば、即死必至の破壊拳。
常人であれば。
「我々スタンド使いも、傍に立つヴィジョンに名前を付ける」
その拳を頭蓋に受けておいて。
DIOのスタンドはまるで動じない。揺らぎもしない。
脳が揺れたのは、掴まれた白蓮の方だった。
一切の躊躇もなく、世界は彼女の身体を床へと思い切り叩き付けた。スタンドの腕が掴んでいた箇所は足首なので、必然的に白蓮は顔面から硬い床へと振り込まれる事となる。
鈍い音が木霊する。
幸い、砕けたのは床板のみに留まった。もしも彼女の肉体強化が頭部にまで及ばずにいたら、これで決まっていたろう。
頭半分めり込ませて地に放り込まれた白蓮を不敵に見下ろしながら、男はスタンドを我が身の傍に立たせる。
「紹介しよう。これが我がスタンド───『世界(ザ・ワールド)』だ」
筋骨隆々に構築された、黄金の肉体美。
ザ・ワールドの言霊を冠するスタンドがDIOと並ぶ。
冷気とも熱気とも見えない蒸気が、彼らの肉体から噴出する。あるいは、スタンドのエネルギッシュなオーラとでも呼ぶべきか。
DIOと、『世界』。
最悪の吸血鬼が、最高のスタンドを身に付けてしまったのは、この世の必然か。
「聖さんッ!」
ジョルノが張り上げる。
白蓮はスタンドを展開していなかった。つまり、まず確実に非スタンド使いだ。生身の人間があのスタンドに対抗出来るわけが無い。
「……ッ! 加勢します!」
鈴仙の治療を優先したいが、白蓮一人では荷が重すぎる。
ゴールド・Eを自身の前に動かし、勢いを付けて立ち上がる。が───
「邪魔はさせない。DIO様のご子息といえど……斬るわよ」
黒帽子を被った少女──
宇佐見蓮子がジョルノの前に立つ。
年齢はジョルノより少し上くらいだろうか。右手には妖しく光る不気味な刀。
「退いてください。でなければ……女といえど、容赦しない」
突撃はジョルノの方から。蓮子は動じることなく、刀構えて待ち受けるのみ。
警告はした。意識の暴走でショック死を迎えようが、躊躇はしない。
ゴールド・Eが、叫びと共に無数の拳を繰り出す。
「無駄無駄無駄無駄ァ!!」
パワーはさほどない。しかしこの場合、薄い痛覚であるからこそ痛みは倍増する。ジョルノのスタンドとは、そういうものなのだ。
スピードなら充分。世界にも対抗出来る速度のラッシュが、蓮子の体を撃ち抜───
「な……ッ!」
───けない。
蓮子の持つアヌビス神は、ジョルノのラッシュをひとつ残らず刀の峰で弾く芸当を見せ付けた。
おかしい。ただの少女にしては熟練された剣の腕、だという事を差し引いても、おかしい。
所詮、刀だ。スタンドであるゴールド・Eの攻撃を防いだ事も、刀を生命化出来なかった事も理屈に合わない。
「いや……その刀、スタンドか」
刀自体が『スタンド』! 警戒すべきは、あのスタンドに隠された能力。それがある筈だ。
息子の勇姿を応援する父の姿とは程遠く。
チラと見た、ジョルノと蓮子の交戦を遠巻きに眺めるDIOの隙だらけな横っ面に、熱と衝撃が撃ち込まれる。
「いガ? ご子息が心配ですか」
顔面から床に叩き付けられ、昏倒したと思われた白蓮が、ケロリとしながら回し蹴りを決めていた。
「……硬いな、女。イイだろう……やはりお前は、このDIOの栄養となる資格を有していコハッ!」
脇腹に、大きく腰を落としての正拳突き。
最初に叩き込んだ脇腹への掌撃と同箇所。今度は、内部に組み立てられた骨をまとめて粉砕する程のパワーを込めた。
「コハ? 随分と余裕ですが、貴方の食事とやらになるつもりは御座いません」
ギリギリと鳴る白蓮の拳からの、筋肉と骨との摩擦音。
DIOの巨躯は、今度こそ抗った。先のように空へ吹っ飛ばされる事なく、白蓮の正拳突きに耐えたのだ。
(堅い。そして重い。だが、この女……何よりも───)
───疾いッ!
余裕を見せていたとはいえ、世界が見切れなかった程の轟速が生身の女から繰り出された。
どれ程の荒修行を耐え忍べば、こんな馬鹿げた肉弾ミサイルを身に付けられるのか。
これは、想像以上に……
「どうやら貴方は肉食系のようですが……お生憎様。
私は修行僧……肉などタブーの、菜食主義者(ベジタリアン)です!」
想像以上に……強いッ!
「DIOッ! ホワイトスネイ───!」
後方から迫るプッチの救助は、煙のように掻き消された。
白蓮の『ヴィルパークシャの目』。周囲の状況に目を配らせる暇すら挟まず、ほんの一喝でプッチのフォローをも遮った。
限界まで強化された彼女の肺から吸い上げられた空気が、声の大砲となり、音響兵器に昇華する。
物理的な砲撃ならばスタンドでどうともなるが、広範囲の衝撃波ともなれば防御のしようがない。プッチはたまらず吹き飛び、僅かだが強制的に戦線から離脱された。
「私は遊ぶつもりはありません。一瞬でケリを付けます!」
ケリがDIOの下顎に到来する。むしろ着弾とも称すべき、爆発的なハイキック。
常人なら脳震盪どころの話ではない。顎が割れ、滝すらも下から上へ割りかねない重さの蹴撃は、間もなくDIOの顔面に地割れを起こした。
(ザ・ワールドの可動が追い付かん……! 攻撃を繰り出すまでの初速から最高速に達するまでの間隔が、疾すぎる! これはまるで……)
───まるで、時間が止められたように。
迫り来る白蓮の百掌が炸裂する刹那。DIOの心の水面は、外面とは裏腹に恐ろしい平衡を保っていた。
思考を進める暇すら与えてくれない……という意味合いでなく。
DIOの感じた「時を止められたようだ」という聖の猛攻は、ある意味でも理にかなっている。
極限まで時が圧縮され、意識のみが白蓮の残像をかろうじて捉えられている。物理的には、DIOの身体は全く追い付かない。
───まるで、承太郎の『星の白金』のように。
承太郎のスタープラチナは時間を止める。そのカラクリは、厳密に言えばDIOの『世界』とは少し理屈が異なる。
“速すぎる”が故に光速をも置き去りにし、本体視点からは周囲がとてつもなくゆっくりに見えているという現象だ。
───まるで、ジョルノの『黄金体験』のように。
現時点でのDIOには素知らぬ事であるが、ジョルノのゴールド・Eにはある能力がある。
殴った生物の意識のみを暴走させ、本人から見た周囲全ての光景を限界までスローに感じさせるものだ。
ジョルノの能力を引用して喩えるのならば、万全の
聖白蓮の肉体とは、黄金体験を受けてかつ暴走する意識に身体がしっかりと付いていくような状態だ。
少なくとも。吸血鬼の能力を手に入れたとはいえ、元々は人間としてのポテンシャルでしかなかったDIOの、修練も工夫もさほど蓄えていない肉体と、女性でありながら幾星霜にも積んできた修行と知識の総決算の末、人間をやめた大魔法使いの
聖白蓮では、経験値の差が圧倒的であった。
歯痒いことであるが、生身同士ではDIOが白蓮を覆せる道理は無い。当然、スタンドを用いての肉弾戦ともなれば別だが、ここに来て承太郎から刻まれた左目のダメージが効いている。
視野が通常の半分である事の不便とは、想像していた以上に重荷となる。遠近感がぼやけ、立体感も取り難く、動体視力まで低下している。これらの欠落は言うまでもなく、戦闘においては命取りだ。
主に防御・回避行動において、DIOは素早い敵に遅れを取らざるを得ない。その遅延はほんの僅かな“ゆらぎ”程度でしかなかったが、白蓮ほどの熟練された格闘者相手では致命的な傷となる。
(戦いの流れは……完全にこの女が掌握している)
これでやれ尼だの、やれベジタリアンだのと自称するのだから恐れ入る。要はこの僧侶、戦い慣れていたのだ。
「明鏡は形を照らす所以。
故事は今を知る所以───明鏡止水」
厳かに紡がれた聖女の瞳には、今や一点の曇りも映さず。
止水の如き静寂にたたえられた水からは、刹那の次に荒波が打ち出される理の矛盾。
澄み切り落ち着いた心は、両の掌を四十の臂へと錯覚させるに至る真境地。
「其の疾きこと風の如く。
徐かなること林の如く。
侵掠すること火の如く。
動かざること山の如し───風林火山」
人の目では止まらぬ数多の腕が、風の如く邪悪を穿つ。
静と動。逆襲に構え、受け流す型を取り、時には林の如く静寂を保つ。
苛烈を纏う四十の閃撃は、悪を灼き尽くす火の如く攻め立てる。
肉体に受けた幾本もの槍など、山の如く受け切りものともせず。
無慈悲なる四十の腕は、絶えなき猛攻の更なる加速により、二十五の世界が乗算された。
千の世界が集約し、更に千が掛け合わさり。
永久の加速により、また更に千。
その数、〆て十億。俗に三千世界と呼ぶ。
邪悪の化身が統べる一個の『世界』など、数にもならない。
───天符『三千大千世界の主』
「南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無南無ァ!!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!!」
やがて白蓮の背後からは、後光と共に千手観音が現れ。渾身の連打を無慈悲にもお見舞いする。
有り得ぬ錯覚を五分の視界で拾いつつも、DIOは防戦一方なりにザ・ワールドの障壁でそれらを防ぐ。
無限の型から繰り出される掌打のラッシュ。白蓮が涼しい顔で打ち出すそれらの猛攻は、もはやスタープラチナと大差ない……いや、ともすればそれ以上の速度。
重さでは承太郎に一歩劣るが、彼女のラッシュは拳でなく掌打……つまり破壊でなく脳を揺さぶる目的に比重を置いている。
この矛の選出が、破壊に耐性のある吸血鬼DIO相手には正解の型でもあった。
しかし。攻防は数秒ともたない。
三千の光芒を降り注がせる白蓮の腕の内、たった二つの掌(たなごころ)。その両が、優しく合わさっていた。
不思議な事に、ラッシュの合間に白蓮は『祈り』を終えていた。
この攻防の何処にそんな余裕があったのか。全力ラッシュの隙間に、両腕を攻撃ではなく、まして防御でもなく。
一見無防備とも取れる、祈りの型に差し出す余裕すらあったというのか。
DIOの反応が、一瞬遅れた。
時間にして須臾ほどの刹那であった筈というのに、白蓮の動きがひどく緩慢に映り、その上でザ・ワールドですら追い付けない可動速だったのだからおかしな話だ。
半跏倚坐(はんかふざ)。
右足を左足のもも上に組んで載せ、座する型を云う。
加えて両の腕を、母性溢れた胸へ捧げ、祈りに。
あろう事か彼女は。
剣戟の最中に攻守を放棄し、瞼すら閉じながら瞑想した。
世界をも置き去りにしていく、遥か短い一瞬の間際に。
「無数の掌は研ぎ澄まされし刀の一振。
三千を一にて。一を雷切にて。
下されし裁きこそ───紫電一閃」
その祈りを、インドラの雷といった。
屋内に、紫電が産まれる。
至近で大爆発でも起こったかのような、凄まじい轟音。
天井から床をくり抜き地下まで貫くほどの落雷が、人為的な祈りによって引き起こされたというのだ。
火花散る千の攻防は、万の太陽を掻き集めた巨大な光芒が引き裂き、終焉の幕を下ろした。
DIOが立っていた空間には、代わりに直径五メートル程もある大穴が口開いていた。
炭化した図書館の床の底からは、黒煙と共に闇が吐き出されている。アレをまともに喰らったのでは、原型が残っているかも怪しい。
「DIO!」
「DIO様!」
プッチも流石に声を荒らげた。ジョルノと交戦中であった蓮子も、手を止めて叫ぶ。
一部始終を視界に入れていたジョルノはしかし、いち早く違和感に気付き、彼女の姿を探した。
(聖さん……?)
居ない。強烈な雷光に数秒、視界が機能不全となっていた為、DIOと白蓮の姿が途絶えたのだ。
段々と鮮明さを取り戻していく光景には、DIOは勿論ながら、そこに居るべき白蓮の姿までもが無かった。
「───まさか屋内で雷に遭遇するとはな。ただの脳筋女ではないようだ」
意中の人物ではない声が、これ見よがしに響く。
三千世界を叩き込まれた筈だ。たかだか一個の『世界』の、たかだか二本の腕などで。
あれを退けた? 有り得ない。
「……時を、止めたのか」
ジョルノの確信めいた問い掛けに、DIOは満足気な嘲笑で応える。
男の眼差しの遥か向こうには、壁に激突したのか、蹲る白蓮の姿があった。DIOは瞬時にしてカウンターを叩き込み、彼女をあの位置にまで吹き飛ばしていたのだ。
胸を抑え、吐血している。致命傷ではないが、引き摺るダメージだ。
「しかし……なんと強堅な肉体だ。今のは即死させるつもりで打った全力の拳だぞ? 全く以て感服する」
カツカツと足音を立てながら、DIOが白蓮へと近付いていく。
皮肉を混ぜながらも、男は今しがた一撃を入れた聖女に対し、内心では畏怖の気持ちを僅かに覚えていた。
時間停止からの心臓狙い。完璧に決まったかに見えたカウンターは、その実それほど効いてはいない。
物理的な攻撃を馬鹿正直に続けていては、少々骨が折れる相手だ。あれも肉体強化魔法とやらの恩恵なのだろう。
突出して厄介なのは、攻撃から攻撃に転じる非現実的な速度。
それを可能としているのは、幻想郷縁起にも載っていた『魔人経巻』という巻物。理屈は不明だが、巻物を広げるだけで詠唱した事になり、魔法を発動するのに通常必要な『詠唱』という隙を丸ごとカット出来るという。
あれだ。白蓮の持つ魔人経巻が、奴の繰り出す攻撃の起点となっている。
スタープラチナ以上の攻速ともなれば、流石に苦戦は免れない。
「お前がどれだけ疾かろうが、このDIOの『世界』は追い越せん。祈りたければ、死ぬまで祈ってろ」
「……ッ! 魔人、経巻!」
床へ這いつくばっていただけの白蓮が、たちどころに巻物を広げ上げる。
ただそれだけの所作で、彼女は次の瞬間……迫り来るザ・ワールドの鼻面に膝蹴りを見舞い終えていた。
「……やはり、電光石火の如き瞬発力」
到底人の身で辿り着ける境地ではない。決意に至るまでの道順こそ違えど、在りし日のディオと同じに人間をやめた彼女は、その対価に見合った肉体をモノとした。
ただ一つ。人間をやめたという点で同類であった二人には、大きなベクトルの相違があった。
『死』を極端に畏れたかつての白蓮は、若返りと不老長寿を手に入れる為に人間をやめた。
若くして『人間には限界がある』という壁を悟ったディオは、石仮面により人間をやめた。
善悪という論点を除外するならば、白蓮が『過去』へ後退する点に対し、ディオは『未来』へ前進する為に人間をやめたのだ。
この差が、この戦いにおいて何を齎すという訳でもない。
しかし少なくとも、DIOのある意味純粋な執念が形を得、具現した精神性が『ザ・ワールド』である事は間違いない。
スタンドの有無。こればかりは覆せないハンデであった。
「───惜しむらくは、『波紋』にも『スタンド』にも精通せず、心得が無かったその不運よ」
疾い。重い。堅い。
それだけの話だ。白蓮にはDIOと拳交えるだけの、最低限の資格すら有していない。
彼女に備わる唯一の資格など、DIOの血肉となる食事……それへと変わる下層の末路のみ。
「初めの遣り取りの時にも思ったが……やはりお前は『スタンド』の特性をよく知らないようだ」
顔面に叩き込まれた強烈な膝蹴りに、一ミリたりともの身悶えすら覗かせず。
ザ・ワールドは、宙に止まった白蓮の足首を緩やかに握り締めた。
「……ッ!」
白蓮の視界が180度反転する。捻られた視界を立て直すよりも早く、衝撃が背骨から貫通した。
今度はザ・ワールドの鋼鉄の膝が、彼女の背にめり込んでいた。
(攻撃が……効いていない!?)
初撃にあれだけの攻撃を与えておいて、ケロリとしていた時点で気付くべきだった。
スタンドとスタンド使い。同じ寺の修行僧、雲居一輪と雲山の様な関係だと思っていたが……少し、勝手が違うらしい。
「大原則だ。───スタンドはスタンドでしか攻撃出来ない」
突き刺さるようなエグい痛みと共に、白蓮の身体は宙へと浮いた。
振り上げられるスタンドの拳。所謂、瓦割りの型を取ったザ・ワールドが、瓦よろしく彼女の腹部、臍の中心を猛然と殴り付けた。
くの字となって床へ衝突した白蓮。痛みに喘ぐよりもまず、呼吸困難に陥る。
朦朧とする白蓮の視界に映るは、スマートながらも隆々と盛り上がった金色の脚。
マズイ。即座に両腕をクロスさせ、重力を帯びた攻撃に備えるも。
「つまりは、生身では基本的にスタンドへ干渉する事も出来んのだ。お前の攻撃を防ぐことは容易いが、逆はどうかな?」
かかと落とし。脳天目掛けて振り落とされるそれを、非スタンド使いの白蓮に防御する術はない。
クロスさせた屈強な盾すらも、DIOのスタンドはすり抜ける。盾の向こうには、白蓮の額が無抵抗に晒されていた。
鉄塊に鉄塊を撃ち込んだ様な、思わず耳を塞ぎたくなる重苦しい音。
先の紫電のお返しと言わんばかりに、DIOは極めて無遠慮に、相手の頭蓋へと鋼鉄の雷を落とした。
「が……ッ!」
細く短い女の叫喚。
如何な強化された肉体であろうと、人体の弱みへと立て続けだ。彼女の様子ひとつ見ても、鈍いダメージが蓄積されつつある事は明白。
間髪入れず、ザ・ワールドのつま先が悶える白蓮の背と床の隙間へと入れられた。
勢いよく真上へ振り上げられる脚と共に、彼女の身体は回転を強要されながら、再び空中へと放り込まれる。最早サッカーボールと変わらない扱いだ。
「せめて『波紋』くらいは身に付けていたならば、良い試合には運べただろうが……お得意の法力ではプロレスごっこが関の山か?」
舞い上がるグラデーションのロングヘアが、乱雑に掴まれる。宙吊りの形でザ・ワールドに拘束された白蓮の眼前へと、DIOが立ち塞がる。
「聖さんッ!」
ジョルノは救援に向かいたくとも、アヌビス神を構える蓮子の邪魔を突破出来ずにいた。
信じ難い事だが、ゴールド・Eをフルパワーで稼働させても敵のスピードや技術が遥か上を行っている。
ジョルノ本体にダメージや疲労はさほど無いが、それは蓮子が時間稼ぎを主にした付かず離れずの立ち回りを展開しているからであり、思う様に攻めさせてくれないのだ。
その上、白蓮を助ける為にこの場を無思慮に離れ、意識の無い鈴仙が狙われては本末転倒だ。
更に悪い事に、あの妖刀は段々とパワーやスピードが上昇しているように感じる。
恐らく戦う相手から学習し、無際限に成長するスタンドなのだろう。その能力を活かす為での時間稼ぎでもあるらしい。
(埒が明かない……こうなったら)
決心を付けたジョルノが床を破壊し、無から有を生み出そうとする最中にも。
「さて。肉体派坊主の有り難い説法のお返しに、このDIOがわざわざスタンド教室を開いてやった訳だが……。
そろそろ終わりとしようか。お前以外にもゴミ掃除は残っているのでね」
長髪を掴まれ、宙吊りの白蓮へとDIOの魔手が襲う。
「……時間を、止められるもの……ならば」
聖女の血を吸わんとするその指が、まさに喉元へと到達する間際。
細々と呟く白蓮が、懐に隠し持った独鈷をサーベル状の形態に変貌させ。
「止めて、みなさ───」
全ての世界が、同時に停止した。
「───ザ・ワールド。時は止まる」
やはりだ。
聖白蓮は、
空条承太郎へと遠く及ばない。
奴が相手であれば、こうまで露骨に接近し、時を止めるなどという単純なやり方は選べなかったろう。
駆け引きを挟んでいないのだ、白蓮は。
スタンド戦であれば用いて然るべき、間合いの取り合い。能力の考察。二手三手先を読み合う駒の奪い合い。彼女にはそれらの“探り”が殆どない。
非スタンド使いというハンデを度外視しても、彼女のスタイルは清々しい程に愚直で、分かり易かった。
なまじDIO以上の運動能力を持つものだから、かえって攻め手のパターンは絞りやすい。決して単調な技しか持たない訳でもないだろうが。
所詮、このDIOの敵では無かったということだ。
DIOにとって聖女とは、触らぬ神であると同時に、取り除かなければならない危険因子という認識でもある。
厄介ではあったが、少し捻ってペースを乱しさえすれば……御覧の有様。
時が止まった今、まさに煮るなり焼くなりであるが、この女相手なら少々煮ようが焼こうが、易々とは拳を下げないだろう。
「懐かしいな。百年前もこうして、ジョナサンの奴と拳で遣り合ったものだ」
遣り合った、とは到底言えない、あまりに一方的な試合だったと記憶している。あの時はグローブを着用していたし、ジャッジも見ていたのだったか。
だが時の止まった今。なんの気兼ねなく禁じ手を行える。止まっていようがいまいが、もはや関係ないが。
暑苦しいファイトスタイルで攻める白蓮の脳筋精神に感化されたかは定かでないが、DIOはゆっくりと両腕を前に構え、静止した白蓮の前へと挑発するように差し出した。
今となっては子供のごっこ遊びのようなもので、思い出すと苦笑すら漏れるが、ロンドンに住んでいた少年時代ではそれなりに嗜み、格好が付いていたように思う。
昔も今も何も変わらない、ブース・ボクシングの構え。
勿論、今回“も”対戦相手を再起不能にしてやろうといった、あの頃以上にドス黒い目的の上で。
瞬きすら許されない白蓮の瞼。
見る者が眩むほどの美貌の、その上からまず。
「顔面に一撃。そしてこのまま……」
吸血鬼の底知れぬ怪力が、その面を潰さんとし。
「親指を目の中に突っ込んで……殴り、抜けるッ!」
駄目押しに、もうひと工夫。
この女はちょっとやそっと殴った程度では、こちらの拳が痛むレベルにタフだ。
しかしどれだけ肉体を強化しようと、人には鍛えようもない箇所というものが幾つか点在する。
眼球。
正義の炎を燃やす彼女の瞳から、それを消し去らんと。
かつて宿縁の男へと叩き込んでやった時よりも遥か膨らんだ、悪意。
目頭に突き刺した爪先を、眼孔へ潜り込ませる。
粘膜を破るぶちゃりとした水っぽい音が響く。
そのまま突き入れた親指を、テコの要領で外へと掻き出す。
まるで職人の魅せるたこ焼き作りのように、丸々とした眼球がヅルンと裏返った。
目と脳を繋ぐケーブルの役目を果たす視神経もぶちぶちと引き千切られ、白蓮の右眼球がDIOの掌に収まった。
「“目をくり抜けば天国へ行ける”……などと世迷言を吐き、気を違えた女が自ら眼球を抉った話があるが……さて。
空洞となったお前の視界に『天国』は映っているか?
聖白蓮」
───そして時は動き出す。
「……っ!? 〜〜〜ぁ、ぐッ!」
火薬を詰め込まれた爆弾袋が、一斉に花火を上げた。
顔面に蓄積された痛みの爆発よりも、突如として失われた右半分の視界に、声にもならない絶叫を上げたくなる。
白蓮は、しかし耐え切った。
痛覚。五感の喪失。
それらは修験者が荒行の中で自ら引き寄せる類の、強き戒め。
本来そうあるべき痛みが、他人によって無秩序に与えられ蹂躙される。
許される所業ではない。罪も無い、女子供にすら埒外の痛みを強要する〝悪〟は、絶対に放ってはおけない。
そして、
きっと。
ここから我が意思が歩む道の先には。
天国や極楽、悟りの境地など……有りはしないのだろう。
「……私、ごときの仏道の先に、『天国』は有り得ない……でしょう。
貴方がたと共に、『奈落』へと……ハァ、ハァ……堕ちる覚悟は、出来て、おります」
黒澄んだ血を垂らしながら、右目を失った白蓮の不完全な視界の先に、自らの顔面を抑えて苦悶するDIOが映っている。
男は傷付いた左目と対を成すように、右目にも亀裂を入れられていた。
「……ッ!! 貴様、ひじり……びゃく、れぇぇん……ッ!」
今までに見せていた全ての余裕が、男の表情から消し飛んでいた。
時間が止められる直前、白蓮の握った独鈷がDIOの肉体に届く隙は無かった筈だ。
時が動き出した直後に斬り付けられた? 有り得ない。
確かにDIOには気を緩ませる素振りこそあったが、時間停止直後の弛緩など、最も油断すべきでない瞬間だという事は誰より重んじている教訓だ。まして相手はスタープラチナ以上の速度を持っている。
眼球をひりつかせるこの斬撃は、いつ入れられた?
DIOが最も注意力散漫となる瞬間は、いつだ?
「───聖、白蓮。キサマ、“まさか”……」
───まるで、承太郎の『星の白金』のように。
それは、始めの白蓮の猛攻を受けたDIOが、彼女の凄まじい速度を身に受けて描いた印象だった。
あくまで彼女は非スタンド使い。『ザ・ワールド』に直接干渉出来る術はない。
しかし、限界を超えて到達する『光速』のその先の世界。
先の、F・Fが入り込んだ
十六夜咲夜と交戦した際にも同じ現象が起こった。
『時の止まった世界』へ足を踏み入れる手段は、どうやら一つではないらしい。
その上、この白蓮は……あの
空条承太郎のスタープラチナと“同じタイプ”。
同じタイプの……───!
「入門してきたのかァ!!
聖白蓮ッ!!」
「他宗派への入門は言語道断ゆえ、それは誤りです。本来ここは、私の『世界』なのですよ」
荒修行もここまで来ると人智の及ばない領域だ。
時間をも置き去りにして可動するスタープラチナと同等の理屈で以て、白蓮の速度はとうとうDIOの世界にすら追い付いた。
速い。ただそれだけの馬鹿げたエネルギーを限界突破し、静止した時間の中をも跳ね回り、DIOへと返しの刃を突き付けた。
こうなっては、本格的に彼女を始末せねばならなくなった。誰であろうが、時の世界への入門など許されるべきでない。
戦い方も慎重スタイルへ変えねばならない。相手が時間の鎖に縛られないともなれば、戦闘に駆け引きを差し込めざるを得なくなる。
白蓮が静止した時をも動けると分かれば、DIOの取る選択肢は大幅に狭まれるのだ。
やはり、DIOにとって『聖女』とは禍であった。
「問いを返します。DIO……貴方の閉じられた闇の視界に、『天国』とやらは映ってますか?」
完全に右眼球を抉り取られた白蓮とは違い、DIOの右目の傷は深くはない。放ってもすぐに治癒が始まるだろう。
だが一秒が命取りとなる戦闘においては、あまりに長過ぎる暗黒の時間。
一時的に視覚不全となったDIOの鼓膜に、安らぎへ誘うような温和な声が鳴り響く。
「極楽浄土を目指すには、貴方はあまりに独善で、邪悪すぎる。身の程を知り、悔い改めなさい」
「また説法のつもりか……? 田舎のお香臭い坊主如きが、オレによくぞ垂れたものだ」
右目が埋まっていた場所を空洞とさせながら、それでも白蓮は堂々と構える。
傍から見れば、不気味極まる光景だ。
苦を受け入れんとする格好が、視界を手放したDIOの瞼の裏にも焼き付くようだった。
男は考える。
この女は果たして……停止した時の中を『何秒』動けるのか?
DIOの現在の限界停止時間は『8秒』。つい先程覚醒した奴の潜在速度がそれ以上とは思えないが、確かめねばならない。
「ザ・ワールド! 時よ止まれッ!」
「───スカンダの脚」
時間停止。それは確実に成功した。
それでも聖女の脚は止まることなく、DIOの門を蹴破ってきた。
貫通不可の『世界』を盾にしようが、瞬間移動の如きスピードですり抜けてくる技はまさに疾風迅雷。
塞がれた視界の中、縦横無尽に動き回る獣を捕らえるのは容易ではない。
数発の鈍痛が、身体中の神経を一度に駆け回った。白蓮のあまりに疾すぎる乱打が、まるで時間の静止が一気に解放されたかのようにDIOの肉体を襲撃する。
「が……ッ!」
視覚は無い。だが血の匂いや気配で分かる。
気付けば、女は背後にまで回っていた。一瞬の間の後、肺の中の空気が暴発し吐き出される。
刀の達人が対象を斬り付け、数瞬の硬直の後に血が噴出し両断されるという描写をよく見るが、アレと同じだとDIOは感じた。
痛覚すらもタイムラグに置く打撃。彼女が通り去った空間には真空すら発生し、そのスキマを埋めようと周囲の空気が引き寄せられ、軽い乱気流をも産んだ。
またも吹き飛ぶ吸血鬼の体。
もはや単純な接近戦において白蓮の体術は、『世界』を弄べる領域にまで至りかけている!
『いい加減にしろ……暴れ過ぎだ』
分厚い本棚をまるで障子紙か何かのように破って奥まで吹き飛んだDIOを追撃せんと、力を込める白蓮の背後より不気味な声が響く。
全身におぞましい文様を貼り付けた、白い人型のスタンド。
古明地さとりより話には聞いていたが……!
「……プッチ神父!」
「『ホワイトスネイク』!」
先の果樹園での交戦により、その能力の一端は想像出来る。
恐らく『遠隔操作』の類だが、肝心のプッチ本体の姿は見えない。あの負傷だ。騒ぎに紛れ身を隠したのだろう。
即座に五感を研ぎ澄まし、隠れた本体を察知するべきだが、既にスタンドの腕は白蓮の額へと迫っていた。
反射的に防御し、カウンターを企むが……
「しま……ッ!」
防御の腕を透過し、ホワイト・スネイクの指が眼前に突っ込んでくる!
スタンドはスタンドでしか干渉できない。ついぞ先程告げられたルールが急遽脳裏に浮かんだ白蓮は、咄嗟に首を後方へ逸らすも。
白蛇の指先が白蓮の喉元を通過し、一回り小さいサイズの円盤がそこから生えた。
白蓮の肉体に半端な物理攻撃など大して通じない事は散々思い知らされた。
であるならば、プッチの『ホワイト・スネイク』は、ある意味では『ザ・ワールド』よりも上等な攻撃力を持つ。
頭部のDISCさえ奪えれば、問答無用で相手を無効化出来るのだ。いわば、防御無視の効力を持つプッチならば、白蓮と戦うには『向いている』。
『記憶DISCとまではいかなかったが……奪ってやったぞ』
一撃狙いのDISC化はギリギリで回避されたが、白蓮の喉を通ったホワイトスネイクは、僅かばかりの功績を挙げた。
「〜〜〜〜っ!? ───っ! ───っ!」
懸命な様子で、白蓮は何やら喉元を必死に抑える。
スタンドの指がちょっと掠った程度の接触。その鋼の肉体には全く傷にもならない筈。
事実、抑えた箇所に異常は見られない。
そこから失われた小さな円盤の正体は。
(こ、声が……出ない!?)
『声』を円盤化させ、盗られた。
彼女は素知らぬ事だが、プッチはついさっきもDIOの『視力』を一時的に抜き取り、鈴仙の攻撃を無効化させるという奇策を披露している。
右目を潰され、白く透き通るように物柔らかだった声をも失った白蓮は、敵のこの攻撃に潜む意図を察した。
声が出せないという事は、どういう事か。
俗に謂われる『スペルカード』という弾幕攻撃。
幻想郷に住まうあらゆる少女達が好む遊戯に使用される、オリジナル必殺技のようなものだ。
スペルと名の付くからには、呪文またはそれに類する手段を利用して作り上げる弾幕なのだが。
少女達は、そのごっこ遊戯の中でこそ如何にもといった技名を宣言……つまりスペカを唱え多種多様な弾幕を描く。
別名:命名決闘法と定められている以上、スペカの宣言は必要だというルールも確かに存在するが……実の所、弾幕を放つのにその宣言は必ずしも必要とはしない。
あくまでルールの中での取り決めなのだ。命名決闘法の外であれば、わざわざ宣言するまでもなく不意打ちを狙うのも当然ながら自由なのである。
要は、多くの少女達は技を放つのに『声』を発する必要が、実は無い。
が、例外も存在する。
聖白蓮。彼女を幻想郷の人外その他諸々の種族にカテゴライズするならば───『大魔法使い』だ。
アリス・マーガトロイドや
パチュリー・ノーレッジといった魔女系統もこれに相当する。
呪文やお経を“読み上げる”行為を起点とし、肉体強化魔法並びに全てのスペカを発動させるスタイルだ。
その彼女の『声』が奪われた。
それはつまり、肉体強化含む全スペカが封印されたも同義───
「───魔法『魔界蝶の妖香』」
縮小された視界の中、白蓮は悠然と敵を見つめ……
───唱えた。
声は、まるで響かない。
誰一人の鼓膜に、掠りともしていない。
けれども、その唇の動きだけは確かに一つのスペカ宣言を成し終え。
物陰に隠れながら彼女を窺っていたプッチには、不思議とそう聞こえた。
プッチの狙いに誤算があるとしたなら。
白蓮の操る『魔人経巻』……誰が呼び始めたのか、通称エア巻物にびっしり記された呪文には、読経の必要が無いという事だ。
その特殊な巻物には、広げるだけで“読み上げた”事とする機能が搭載されていた。白蓮の速攻の秘密とは、まさにこれの恩恵に依る所が大きい。
(あの教典……思った以上に厄介だ! それに私の居場所がバレているのか……!?)
紫色に光る蝶形の弾が所狭しと駆け巡る。その狙いは正確とは言えないが、白蓮がプッチの居場所を凡そ見当付けている事の証明だ。
法力万全の白蓮の五感は鋭い。プッチにとって不運なのは、その五感の内、視覚と聴覚が半ば塞がれている障害が、却って彼女の感覚をより鋭敏に研ぎ澄ませている事だ。
白蓮から見て、右前方の本棚の後ろにプッチは身を隠している。
事実上の即死効果を与える遠隔操作型スタンドを持ちながら、近接超特化型の白蓮の前に本体が身を晒すメリットは皆無。果樹園で交戦した際は作戦上、本体のみで迎え撃っただけだ。
勢いに乗った白蓮に迂闊に近付く愚など有り得ない。教科書通りにプッチはスタンドのみを対峙させるも、彼女は遠距離攻撃すら充分なカードを揃えているらしい。まこと、大魔法使いの称号は伊達じゃない。
それでも、スタンドを持たない白蓮から見ればプッチは脅威だ。スタンドを前に立たせるだけで、大概の弾幕の盾となってくれる。
プッチの隠れる直線軌道上を翔ける蝶弾のみ、ホワイトスネイクが手刀で弾き落とす。こうなってしまっては分が悪いのは白蓮の側であった。
全方位に広がる蝶の弾幕をものともせず、ホワイトスネイクはあっという間に白蓮の元に辿り着いた。
彼女のDISCを確実に獲る為、視界の消失している右側から攻める。ザ・ワールドの拳とは違い、ホワイトスネイクの指は受ければ即・戦闘終了となり得る。
(避け切れない……っ!)
DIOから受けた幾多の攻撃は、彼女の俊敏性を明確に奪う程の鈍痛をその足へ蓄積させていた。
ホワイトスネイクの攻撃を、完全に回避しきれない。
「ゴールド・エクスペリエンス……床板を『蝶』に変えた」
突然、頭が割れ砕けそうな激痛がプッチの頭部を襲った。
それだけではない。自らの額から『DISC』が半分ほど突出している。
「が……っ! こ、この現象は……!?」
DISCが飛び出ているのだから、これはホワイトスネイクのDISC化能力が何故かプッチ本体へと『返って』きていると考えた方が道理だ。
注視してみれば、白蓮と……そしてジョルノの周囲にはいつの間にか、紫色の蝶々がひらひらと踊るように舞っていた。
白蓮の放った蝶形の弾幕『魔界蝶の妖香』と、ジョルノの創った蝶とが、互いに交差しあい、紛れるように飛ばされていたのだ。
ホワイトスネイクは、その内の一羽を弾幕と見誤って叩き落としてしまった。
───ジョルノが産んだ生物には、『攻撃するとダメージがそのまま本体へ返る』という強力な能力が備わっているとも知らずに。
「あの神父は僕が叩きますので、聖さんはDIOをお願いします。あと“これ”……貴方の『目玉』ですので、嵌めといて下さいね」
「……!? ★●■〜〜〜っ!」
声は全くとして出ていないが、白蓮の驚愕と困惑ぶりはその顔にも存分に表れている。
なにせ先程DIOに抉り取られたばかりの自分の眼球が、野球ボールか何かのような扱いでジョルノから投げ渡されたというのだから無理もない。
勿論それはたった今彼が手頃な物で創った目玉なのだが、ジョルノの能力を詳しく知らない白蓮は、そんな物を大した説明なく受け取ってしまった反動で思わず頬が引き攣った。
そのトンデモ行為に、彼が以前ブチャラティから受けた仕打ちのトラウマが多分に含まれていたかどうかは本人のみが知るところだが。
「神父は……あそこか」
反射ダメージの効果で、プッチの頭部からはスタンドDISCが半分飛び出ている。それにより、身悶えていたホワイトスネイクの像がノイズに紛れて消失した。
これ以上ない好機。プッチは今、直ぐ様の反撃が出来ないという、スタンド使いにとって致命的な状態。
ジョルノが駆ける。狙うは当然プッチ本体!
「させないッ!」
この場で唯一手の空いた蓮子が、再度してジョルノの前へと飛び出た。
周囲には夥しい数の蝶。下手に攻撃すれば自らの首を締めかねない事になるのは、今の攻防を見ていれば予想出来る。
臆することなくジョルノが疾走する。不規則に漂う反射蝶を上手く避けて彼を斬り伏せるという事は、如何な刀の達人であろうと難事である。
「だったら、斬れないように……斬ればいい」
蓮子が小さく呟くと同時。
ジョルノの右肘から先が宙を飛び、全ての蝶が散るようにして消えた。
「───ッ!? ぅ、なに……っ!?」
「ジョルノさん!?」
両眼と、消失したホワイトスネイクが落とした己の『声』を取り戻した白蓮の視界に飛び込んできた最初の光景は。
鮮やかに振り下ろされた妖刀の輝きと、血飛沫と共に舞う少年の腕。
蓮子の一振は確実に反射蝶ごとジョルノの右腕を通過した筈が、どういう訳かリフレクターが作用しなかった。
物体透過能力。
アヌビス神が持つ、厄介極まるスキルの一つである。
ジョルノを護るように飛び舞う蝶の数々をすり抜けて無視し、対象のみをブッた斬る。
こと“斬る”能力に関して、アヌビス神の力は本物である。
「『ガルーダの爪』!」
重症を負ったジョルノと前衛を交代するように、白蓮は移動と攻撃を併せ持った蹴りを見舞った。DIOにも披露してみせた、爆撃を模した苛烈なるライダーキックである。
それすらも、刀の峰で止められた。
速さに掛けては他の追随を許さない白蓮の蹴りを、こんな少女相手に、だ。
相手が人間の少女だということで、白蓮にも無意識下での躊躇は澱んでいたかもしれない。それにしたって、ザ・ワールドをも翻弄するレベルのスピードは易々と防がれるものではない。
いや、それよりも……。
(この子……今、明らかに私を見ずして受け止めた!)
白蓮の瞬速に追い付いたのは、少女の視線より刀が先だった。
まるで刀そのものに意思があるかの如く、少女の腕をグンと引っ張って白蓮の蹴りを受けさせたように見えたのだ。
(敵本体は『刀』の方……!? だとすれば……)
刀に意識を奪われている。有り得ないことではない。
今、こうして接近して分かったが、どうもこの少女……正気を感じない。
いや、元来持つ正気が、上から悪の気に包み込まれているかのように朧気で薄明な意思だ。
つまりは……少女に傷を付けず、刀のみを破壊しなければならない芸当が求めら───
「URYYYYィィイイァ!!」
少女の不遇な環境に、一瞬胸を痛めてしまった事が仇となったか。
戦場に復帰したDIOが、猛烈なパワーを込めて白蓮の左肩へスタンドの一撃を入れてきた。
ミシミシと、全身の骨髄を伝播する重い痺れが彼女の動きを鈍くし、次に襲ったザ・ワールドの回し蹴りは、今までで一番に深く白蓮の身体へ食い込んだ。
「あ……!」
今度こそ受け身すら取れず、白蓮は木の葉のように吹き飛ぶ。
「聖、さん……!」
重症ながらも、ジョルノが隻腕のスタンドを起動させて白蓮をキャッチ。彼女の強力な近接戦闘術が一瞬でも戦線を離脱されれば、片腕のジョルノにこの猛攻を防ぐ術は無い。
『おのれ……味な真似をしてくれる……!』
視界には入ってくれないが、プッチ本体が態勢を立て直したのか。
ホワイトスネイクが側頭部を抑えながらも、再び発現して現れた。
さっきみたいに反射の罠に二度掛かってくれるようなヘマはしないだろう。
「頑張った方だけど……ここまでよ」
今しがたジョルノの戦闘力を半分削いだ蓮子が、アヌビス神の切っ先を向けて言った。失った右腕を作る隙など、与えてくれるわけがない。
決して前線に出ようとはしていない彼女だが、ストレートに強力なのはあの刀だ。白蓮とDIOの戦いにジョルノがまるで介入出来なかった事から、その厄介性は伺い知れた。
「聖……そしてジョルノ。貴様ら二人だけは、絶対にここで摘まなくてはならない」
DIOが横にスタンドを立たせて睨んだ。
息こそ荒くなっているが、ダメージはそれほど入っていない。白蓮から断絶された右目も、いつの間にやら殆ど再生しかけている。
囲まれた。
二対三という数での不利は元々、白蓮の奮闘が限りなく上手く回ってこそ埋められた穴である。
長期戦となれば劣勢に陥るのは当然。ましてDIOのみならず、配下の神父と少女の方も想像以上に曲者であるというのだから。
(紫さんは……さっきからまるで動いてないな。彼女の事だ、そうあっさりもやられないだろうが……)
万事休すの状況に追い込まれ、逆に頭が澄み始めたのか。
ジョルノの心中には、
八雲紫の姿が浮かんだ。
彼女に預けたブローチの位置は、館の一箇所から全く動かずにいる。
ターゲットの人物を発見したのであればすぐさま外部に出る筈であるし、見付けられないのならいつまでも不動でいる意味が分からない。
恐らく、向こうは向こうで何か『予定外』のアクシデントでも起こっているのだろう。
(何を僕は……あの人の救援でも期待しているのか?)
自分らしくない弱音に、ジョルノはかぶりを振った。
今までにもこの程度の窮地など、幾度となく経験してきたろう。
どうもDIOの、“あんな話”を聞かされてから臆病になっている気がして。
こんな時、ブチャラティならどんな声を掛けてくれるのか。
ディアボロを倒して新たなボスの座に就き、組織パッショーネを一から洗浄していく過程で、彼の家庭事情をほんの少しだけ調べてみた事がある。
幼い頃より両親は離婚。父親は麻薬絡みのいざこざにより、死亡。
調査書によれば、当時まだ子供であったブチャラティはその時、襲撃してきたマフィア二人を殺害している。
父を守る為に。そして父を奪った麻薬をこの世から消滅させる為に。
ブチャラティは自ら闇の世界の住人となり、幹部にまで登り詰めた。
力を持たない子供の彼であったからこそ、『父親』とは唯一の拠り所であり、依存すべき繋がりであったのだ。
だから彼は、『父親』から憎まれ、手を下されそうになったトリッシュを命懸けで守ると誓った。
ジョルノは……トリッシュと同じ存在だった。
『父親』から目の敵とされ、命を狙われるという恐怖は……想像以上に人間を弱くさせる。
きっとブチャラティならば。
そんなブチャラティだからこそ、彼はジョルノをも救おうとするだろう。
あの人はもうこの世にいないが、心の底から尊敬すべき人間であった。
彼はあの時、ローマでジョルノに全てを託し。
最期に……きっと、『夢』を叶えて逝ったに違いない。
「僕はまだ───自分の夢を叶えていない」
運を天に任せた上で全てを諦めては、勝利者にはなれない。
DIOは想像より遥かに強大で、邪悪だった。
準備不足は否めない。元より、ここは敵の本拠地だ。
普段の自分であれば、時期尚早だとしてDIOとの決戦は見送っていたかもしれない。
八雲紫の『夢』を語る、その純朴な瞳に。
どこか……惹かれたのだろう。
理由を訊かれたのなら。それが彼女に手を貸そうとした理由だ。
そして。父親とケリをつける為に此処へ来た。
誰しも───夢を語る時の瞳というのは純粋で、
眩くて、
清く、
正しい光を纏うものなのだ。
黄金の髪を持った少年が、断固とした眼差しで宣言する。
片腕となったゴールド・Eを隣へ並ばせ、DIOを睨みつけた。
「ギャングスターに、僕はなります」
言葉の響きに、揺らぎなど無かった。
傍で聞き遂げる白蓮にも、少年の持つ根底の強さが見て取れた。
発された単語の意味は不明だが、少年の宣誓は白蓮にとっても、心地好い余韻を残してくれた。
「───ボーイズビーアンビシャス。……少年よ大志を抱け。外の世界には、こんな言葉があると聞いた事があります」
少年の語る『夢』は、白蓮にも過日の大志を思い出させてくれた。
少年でも、少女ですらないけども、自分にも『夢』と呼べる想いが今でもある。
それを叶え遂げるまで、倒れる訳にはいかないのだ。
「私を使ってください、ジョルノさん。貴方はまず、腕の止血を……」
「易々とは治療させてくれないでしょう。僕の見ていた限りでは、聖さんと相性が悪い相手はあの神父の男です」
「……全員、私が相手取ります。その間に貴方は何とか……」
白蓮のポテンシャルなら、多数相手でも時間稼ぎは可能かもしれない。
だが、スタンドを持たない。それだけの事実が、戦況を大きく傾かせる致命的要因となりかねない。
「作戦会議は終わりか? 言っておくが、先程までのように『疾い』だけで翻弄できると思わない事だ」
クールダウンを経たDIOが自信を顕にする。
根拠の無いハッタリではない。男の自信は、揺るぎない経験の元に立ち上げられている。
あらゆる窮地に即座の対策を導き出してこそ、百戦錬磨のスタンド使いたる所以。伊達に世界中のスタンド使い達を見てきたわけではない。
きっと白蓮のスピードなど、すぐにも順応し対応を立てられる。
どうすればいい。
先ずは敵の陣形を崩したい。ホワイトスネイクに攻撃は通じない以上、そこ以外を突くしかない。
白蓮は腹を決めた。
魔人経巻を広げ、パラメータを一気に増幅させ。
ジョルノが失った右腕の治療に取り掛かり。
ホワイトスネイクが駆け出し。
蓮子がアヌビス神を振りかぶり。
DIOが叫び、時間を止める。
その全てに先んじて、
此処に立つ誰もが予想すらしなかった、
弩級のアクシデントが、
熱風の爆音と共に姿を現した。
最終更新:2018年11月26日 18:02