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中野正夫『ゲバルト時代』(バジリコ)の書評。
とっぴな連想だが、本書を読んで押井守のアニメ「うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー」を
思い出した。あのアニメは「永遠に続く学園祭前夜」が舞台になっているが、
本書は、67年から73年の日本における「永遠に続く革命前夜」という幻想の中で
ゲバルト活動に身を投じた、一青年の青春記なのである。
唐沢は押井守が高校生のときに学生運動をしていたのを知らないのだろうか。
山本直樹『レッド』2巻(講談社)の巻末に収録された対談で、押井は山本を相手に
自らの運動体験について語っている。あたりまえのことだが、押井の作品には彼の
個人的な経験が色濃く影響しているのだから、『ゲバルト時代』を読んで
『ビューティフル・ドリーマー』を連想するのは決して突飛ではない。
単に唐沢が無知だから「とっぴな連想」だと感じただけである。
唐沢はたまにオタクらしさをアピールしようとするが、ほとんど上手くいっていないような気がする。
正直な話、これまでこの時代の革命闘争の記録をいくら読んでも、
どこか得心がいかなかった。
当時の思想状況や政治状況をいかに解説されても、評者が子供心に
あの頃感じていたある種の躁(そう)的な雰囲気が伝わってこない
というじれったさがあった。
あの騒乱を「革命ごっこ」、若者たちの「パフォーマンス」とシビアな評価で
とらえた本書の刊行で、やっとひざを打ったというのが本音である。
日本の学生運動を一種の「ごっこ遊び」と考えるのは、
例えば60年安保闘争に参加していた西部邁も同じようなことを言っていて、
「やっとひざを打った」というのはやはり唐沢が無知なだけではないか?という気がする。
学生運動の体験記を多少読めばそれくらいのことはすぐにわかりそうなもので、
「これまでこの時代の革命闘争の記録をいくら読んでも」というのは少し疑わしい。
この本を補助線にして、今の日本、今の若者に思いを馳(は)せてみて欲しい。
はい、唐沢の書評の問題点のひとつ、「読者に対して変なアピールをする」が出た。
本を読んで何を感じ何を考えるかは読者の自由なのであって、
どうして評者に本の読み方まで指示されなければならないのか。
この悪癖が最も出たのは「朝日新聞」2007年4月1日に掲載された
中野晴行『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(筑摩書房)の書評である。
酒井七馬は、手塚治虫『新宝島』の共作者として知られる漫画家なのだが、
……と言ってしまえば書評者としての責は全うするのだが、こういう書籍を、
先にも言った、“手塚治虫すら知らない世代”にどう勧めればいいのか、悩むところである。
聞いたこともない、歴史から消えた人物のことが自分たちに何の関係があるのかと、
鼻で笑われるかもしれない。
しかし、酒井七馬という個人の評伝を超えてこの本には、才能あふれる一人の創作者が
もてあそばれる時代と運命、という永遠のテーマが描かれている。
マンガ史という狭い枠の中に押し込めるには勿体(もったい)ない本だ。
若い人たちにこそ、読んでもらいたいのである。
どうして「手塚治虫すら知らない世代」にわざわざ勧めようとするのかさっぱりわからない。
手塚治虫を知らない人が酒井七馬の伝記を読んでも、はたしてどれほど理解できるというのか。
ある程度の知識がなければ楽しめない本というのはあるのだ。
もし本当に「手塚治虫すら知らない世代」に読んで欲しいのであれば、
そんなアピールなんかしないで、本を手に取らせたくなるように工夫を
凝らすべきだろう。最後に、漫棚通信さんによる『謎のマンガ家・酒井七馬伝』評も
紹介しておこう。言うまでもないが、ちょっとしたイヤガラセである。
最終更新:2017年05月20日 17:30