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舞やリカちゃん、由実とモニカがそれぞれ一日の疲労で寝静まった深夜。
≪壇ノ浦に没した宝剣≫から風を招きだして洗濯物を乾燥させている千勢を横目にしていたTさんは、使いに走らせていた白い毛むくじゃらな獣がベランダに現れたのを確認し、窓を開けて迎え入れた。
「御苦労だったなケウ――む、やはり服を探すには勝手がわからな過ぎたか……。うむ、しかし目当ての物は探し出してくれたようだな。偉いぞ」
ケウの頭を撫でるTさんに嬉しそうに尻尾を振るケウ。その様子を見ていた千勢が首を傾げた。
「家までケウを使いにやって、一体何を持ってこさせたんだ?」
≪壇ノ浦に没した宝剣≫を適当にたてかけ、千勢が窓際に寄って来た。
「酒だ。見てみろ師匠」
そう言ってTさんはケウが咥えてきた瓶の、一本巻きにされた布を解き、瓶の側面にプリントされた銘を千勢に示す。
「ん? おお……!」
酒の銘を見て千勢が歓声を上げた。
「神便鬼毒酒とはまた良いものを持っているじゃないか!」
「以前厄介事に首を突っ込んだ時に礼としてもらったものだ。長く飲まずに貯蔵していたものだが、ちょうどいい機会だ」
そう言ってTさんは瓶の栓を開ける。千勢が表情を輝かせた。
「重畳重畳! さきほど舞が冷蔵庫のあまりで肴を作ってくれていたな。頂こうじゃないか! 夕食を見るになかなかの腕前。味にも期待がかかるな」
Tさんもああ、と頷く。
「特に肴を作る腕前はメキメキ上げていてな。もう俺では舞の作る肴に敵わん」
「それでも他の料理では勝っているということだろう? 嫌味な奴め。
それに舞が肴を作るのが上手くなってるという事はお前の為に上手くなってるようなものじゃないか。まだ舞に手をつけてないクセに嫁役でもやらせているのか?」
そこまで言って千勢は不意に、はっと何かに気付いたような表情を浮かべた。
半歩を引いて口許に手を当て、
「まさかワカメ酒――いや、あの子の場合はワレメ酒か……をさせていたりとかしないだろうな!? なんだその目にやらしいもといやさしい光景は! 羨ましいいやけしからん! 寺生まれは凄いな!」
……既に酔った中年のような事を言う。
Tさんは無視しようかと考え、しかし放っておいたら一人で勝手に盛り上がりそうな方向にスイッチが入りかけている千勢を見て、しかたなく相手をしてやる事にした。
「誰かさんが碌な料理をしないせいでこちらの腕が上がってしまったからな。……それと、舞に手出し云々だが……ある程度の区切りを迎えるまでは手を出す気はない」
千勢はほう、と零してテンションを下げ、「お堅い事だ」と小さく笑った。
「……だが、お前らしいな。――そしてつまるところ、舞は私のおかげで料理が上手くなるわけだ。将来いい嫁になるぞ」
自然に自己を正当化し始めた千勢に、Tさんは呆れた顔をしてため息を吐く。
相変わらず無茶苦茶な人だ……。
「……まあ、酒肴も揃った。久しぶりに飲もうか」
そう言って神便鬼毒酒を掲げるTさん。千勢も棚からグラスを探し、冷蔵庫にある肴を取り出した。
注がれた香り豊かな上質の酒を呷って、千勢が心底嬉しそうに息を吐く。
「あー、酒が美味い。――あの家からお前を連れ出して最初に稽古をつけてやった時の酒くらい美味い!」
「あの時、いきなり人を叩きのめして酒を呷りながら『これがお前が至るべき高みだ』とか言っていたな」
「よく覚えているじゃないか」
「ああ、いつかこの女を叩きのめしてやると心に誓ったものだ」
「はは、それはいいっ!」
愉快そうに膝を打った千勢は感慨深げにTさんを眺めやる。
「本当に強くなったな……身も心も」
Tさんは千勢に酒を注ぎながら言う。
「舞とリカちゃんの存在を弱点と言われるものかと思ったが」
「あの子たちはお前に必要だよ。殺し合いなどとは別次元のところでな」
「ふむ……」
……流石は師匠か。
こちらの事をよく見ている。そう思って笑みを浮かべていると、千勢が憚るように言葉を寄越してきた。
「……久しぶりに会ったというのに、いきなりこんな事に巻き込んですまない」
Tさんは無言でグラスを開けた。手酌で次の一杯を注ごうとして、横から千勢の手が伸びてくる。
彼女に酌を任せてTさんはぼそりと返す。
「望んだ事だ。舞も俺もリカちゃんも、既にこのまま見捨てることなどできない程度には入れ込んでいる……だから気にするな師匠」
Tさんのグラスに酒を注ぎながら、千勢は苦笑した。
「≪神智学協会≫との戦いでまた多くの命が消えた。皆戦う者は覚悟を決めているものだが、それでも失うのは寂しいな」
「仕方の無い事だろう。綺麗事を通そうとしても無理がかかる。血の流れない戦場は無いよ」
「まあ、な。――とうの昔に理解した事の筈なんだがなぁ……」
酌を取って千勢のグラスに酒を満たしたTさんに、千勢は微笑みかける。
「そんな中で失ってしまったと思っていたお前が生きていてくれて、私は嬉しいよ」
本当に、と呟いて、千勢は軽く面を伏せた。
「よく、生きていてくれた。××……」
「もうその名は――」
「分かっているさ」
面を伏せたまま、千勢は手を挙げてTさんの言葉を遮る。
「お前なりのけじめだな。融和した≪ケサランパサラン≫に対する礼儀のつもりなんだろう? だがせめて、今夜だけその名を惜しませろ…………弔い酒だ」
「……ああ」
グラスが合わされる玲瓏な音が小さく夜気に響いた。
≪壇ノ浦に没した宝剣≫から風を招きだして洗濯物を乾燥させている千勢を横目にしていたTさんは、使いに走らせていた白い毛むくじゃらな獣がベランダに現れたのを確認し、窓を開けて迎え入れた。
「御苦労だったなケウ――む、やはり服を探すには勝手がわからな過ぎたか……。うむ、しかし目当ての物は探し出してくれたようだな。偉いぞ」
ケウの頭を撫でるTさんに嬉しそうに尻尾を振るケウ。その様子を見ていた千勢が首を傾げた。
「家までケウを使いにやって、一体何を持ってこさせたんだ?」
≪壇ノ浦に没した宝剣≫を適当にたてかけ、千勢が窓際に寄って来た。
「酒だ。見てみろ師匠」
そう言ってTさんはケウが咥えてきた瓶の、一本巻きにされた布を解き、瓶の側面にプリントされた銘を千勢に示す。
「ん? おお……!」
酒の銘を見て千勢が歓声を上げた。
「神便鬼毒酒とはまた良いものを持っているじゃないか!」
「以前厄介事に首を突っ込んだ時に礼としてもらったものだ。長く飲まずに貯蔵していたものだが、ちょうどいい機会だ」
そう言ってTさんは瓶の栓を開ける。千勢が表情を輝かせた。
「重畳重畳! さきほど舞が冷蔵庫のあまりで肴を作ってくれていたな。頂こうじゃないか! 夕食を見るになかなかの腕前。味にも期待がかかるな」
Tさんもああ、と頷く。
「特に肴を作る腕前はメキメキ上げていてな。もう俺では舞の作る肴に敵わん」
「それでも他の料理では勝っているということだろう? 嫌味な奴め。
それに舞が肴を作るのが上手くなってるという事はお前の為に上手くなってるようなものじゃないか。まだ舞に手をつけてないクセに嫁役でもやらせているのか?」
そこまで言って千勢は不意に、はっと何かに気付いたような表情を浮かべた。
半歩を引いて口許に手を当て、
「まさかワカメ酒――いや、あの子の場合はワレメ酒か……をさせていたりとかしないだろうな!? なんだその目にやらしいもといやさしい光景は! 羨ましいいやけしからん! 寺生まれは凄いな!」
……既に酔った中年のような事を言う。
Tさんは無視しようかと考え、しかし放っておいたら一人で勝手に盛り上がりそうな方向にスイッチが入りかけている千勢を見て、しかたなく相手をしてやる事にした。
「誰かさんが碌な料理をしないせいでこちらの腕が上がってしまったからな。……それと、舞に手出し云々だが……ある程度の区切りを迎えるまでは手を出す気はない」
千勢はほう、と零してテンションを下げ、「お堅い事だ」と小さく笑った。
「……だが、お前らしいな。――そしてつまるところ、舞は私のおかげで料理が上手くなるわけだ。将来いい嫁になるぞ」
自然に自己を正当化し始めた千勢に、Tさんは呆れた顔をしてため息を吐く。
相変わらず無茶苦茶な人だ……。
「……まあ、酒肴も揃った。久しぶりに飲もうか」
そう言って神便鬼毒酒を掲げるTさん。千勢も棚からグラスを探し、冷蔵庫にある肴を取り出した。
注がれた香り豊かな上質の酒を呷って、千勢が心底嬉しそうに息を吐く。
「あー、酒が美味い。――あの家からお前を連れ出して最初に稽古をつけてやった時の酒くらい美味い!」
「あの時、いきなり人を叩きのめして酒を呷りながら『これがお前が至るべき高みだ』とか言っていたな」
「よく覚えているじゃないか」
「ああ、いつかこの女を叩きのめしてやると心に誓ったものだ」
「はは、それはいいっ!」
愉快そうに膝を打った千勢は感慨深げにTさんを眺めやる。
「本当に強くなったな……身も心も」
Tさんは千勢に酒を注ぎながら言う。
「舞とリカちゃんの存在を弱点と言われるものかと思ったが」
「あの子たちはお前に必要だよ。殺し合いなどとは別次元のところでな」
「ふむ……」
……流石は師匠か。
こちらの事をよく見ている。そう思って笑みを浮かべていると、千勢が憚るように言葉を寄越してきた。
「……久しぶりに会ったというのに、いきなりこんな事に巻き込んですまない」
Tさんは無言でグラスを開けた。手酌で次の一杯を注ごうとして、横から千勢の手が伸びてくる。
彼女に酌を任せてTさんはぼそりと返す。
「望んだ事だ。舞も俺もリカちゃんも、既にこのまま見捨てることなどできない程度には入れ込んでいる……だから気にするな師匠」
Tさんのグラスに酒を注ぎながら、千勢は苦笑した。
「≪神智学協会≫との戦いでまた多くの命が消えた。皆戦う者は覚悟を決めているものだが、それでも失うのは寂しいな」
「仕方の無い事だろう。綺麗事を通そうとしても無理がかかる。血の流れない戦場は無いよ」
「まあ、な。――とうの昔に理解した事の筈なんだがなぁ……」
酌を取って千勢のグラスに酒を満たしたTさんに、千勢は微笑みかける。
「そんな中で失ってしまったと思っていたお前が生きていてくれて、私は嬉しいよ」
本当に、と呟いて、千勢は軽く面を伏せた。
「よく、生きていてくれた。××……」
「もうその名は――」
「分かっているさ」
面を伏せたまま、千勢は手を挙げてTさんの言葉を遮る。
「お前なりのけじめだな。融和した≪ケサランパサラン≫に対する礼儀のつもりなんだろう? だがせめて、今夜だけその名を惜しませろ…………弔い酒だ」
「……ああ」
グラスが合わされる玲瓏な音が小さく夜気に響いた。