Admi1124

Admi

本家なんJに建てられたわずか数レスでdat落ちしたBBLの宣伝スレを偶然見てβ9年度から参戦。おんJ民がマジョリティなBBLではなかなかイレギュラーな存在かも。
製作者名の「Admi」は「Admiral」からとっているが某軍艦擬人化ブラゲのプレイヤーではない。

制作選手

1世代目 嶺崎康弘(外野手→内野手 パワーAP 9年度-18年度 T)

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野球ゲームに登録するにあたって「まぁ一応普通の野球選手っぽい名前にした方がいいよな…。」と自分のペナスピで活躍した外野手の名前を借りて参戦。
ペナスピでの同選手に合わせ大卒で登録し右も左もわからない状態でBBL世界に降り立った嶺崎はいきなりタイガースの「6番・右翼」を掴んでしまう。
微妙な成績を残しつつグキったらデートやごっプロで治す日々を送っていた嶺崎だが.280 10本打ったり殿堂入り主砲ウラチビル・レーニン外野手とクリーンナップを組んだり内野コンバートしてみたりとそこそこ充実した野球人生を送り通算1000本安打を達成。
しかし30歳で大練マイナス0を叩き出し大卒早熟という大外れを引いていたことが発覚。31歳で10年という短い現役生活に幕を下ろした。

2世代目 源内轟雷(救援投手 球速AP 19年度-35年度 T→S)

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元ネタはコトブキヤの「フレームアームズ・ガール」。
嶺崎と入れ替わるようにタイガースに入団。同期にシグナス投手、マイルカ投手と女の子ピッチャーが3人いたので「虎の三人娘」と呼ばれたり呼ばれなかったりした。
タイガースのチーム事情もあり24歳という若さで中1を任されて以降はタイガース、そしてFA移籍したスワローズで中継ぎとして活躍。特に先発ローテーションの再編を図っていた30年度以降のスワローズでは6年連続で100イニングを投げる大車輪の活躍で苦しい台所事情のスワローズを支えるピースの1つとなった。
35年度に現役を引退。実働16年間で895試合に登板、1338イニングを投げ通算235ホールド(41年度終了時点で11位)、通算奪三振率11.00(41年度終了時点で9位)を記録。32年度には初の武隈賞(銀賞)受賞投手になるなど能力こそ平凡ながら記録に残る投手となった(のかもしれない)。

非公式記録:28年度BBL代表、スワローズDT、第一回選手ドラフト12巡目(全体144位)指名、BBL総選挙中継ぎ部門4位

3世代目 アーキテクト(外野手 ミートAP 36年度-53年度 D→M)

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元ネタは2世代目と同じく「フレームアームズ・ガール」。
ドラゴンズでの長い2軍暮らしの末44年度オフにマリーンズへとトレードで移籍。「2番・右翼」で開幕スタメン出場を果たすとレギュラーに定着した。
46年度からは53年度に現役を引退するまでマリーンズのリードオフマンとして活躍。48年度から5年連続で最多安打者賞を獲得したのをはじめとしてベストナイン、首位打者、盗塁王、最高出塁率合わせて15個のタイトルを獲得しチームのV4に貢献した(と思いたい)。
選手名鑑はこちら→アーキテクト

非公式記録:第一回選手ドラフト5巡目(全体52位)指名

4世代目 イオナ(先発投手 変化AP 54年度-71年度 Bs→L)

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元ネタは「蒼き鋼のアルペジオ」のメンタルモデル。ニッパーだったり黒森峰の隊長だったりしたこともあった。
変化Sリリーフ→変化A先発と育成指針の変更を繰り返したが低球質によるボコボコ具合に中の人が耐えきれなかったこと、立てた予定がガバガバだったこともあり結果的にはDDBCCE+特能3つ(含重い球)というあまり面白みの無い能力値となってしまった。
凹凸型+やる気スイッチと恵まれた環境から繰り出された成績はものっそい凡である(87勝115敗 2.90)。

これまでと説明の雰囲気が大きく変わっているのはずっと更新をサボっていたからである。

5世代目 嶺崎フィオリーナ/嶺崎織奈(外野手 ミートAP 72年度-89年度 C→Bs)

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一世代目、嶺崎康弘を孫に持つ日系三世イタリア人。
祖父とは異なりミート力と守備力を持ち味とした彼女はバファローズの1番バッターとして安打を積み重ね、2500安打を達成したりB9とGGの両取りをしたりした。
持続早の長い停滞期で積極鍛錬にスイッチし特能を多く取るという育成を試しそこそこの結果が出たのは嬉しかったけどアプデにより現実的ではなくなりましたね。残念。
選手名鑑はこちら→嶺崎織奈

6世代目 フレズヴェルク(救援投手 球速AP 90年度-110年度 AD→MC→TE)

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いろいろ整形してたけど最終的に轟雷のライバルに落ち着いた左サイドハンドのリリーフ。コントロールの悪さを気迫と精神でカバーするのをコンセプトに育成したが思ったより四球を出さず製作者を困惑させた。
キャリアの序盤は芽が出なかったが12年目に抑え転向して以降は10年連続で防御率2.00を切り4度のセーブ王を獲得するなど安定した成績を残し続けてくれた。