ポケモン対戦史part1(第1世代~第2世代)
1996
ポケモンのメインが収集で
対戦という概念があまりなかった時代である。
そんな時代、当時KTCから出版されていた「遊びつくす本」「極める本」はケーブル対戦にも焦点を当てた、
当時としては珍しい攻略本であった。(というより今の時代から見ても珍しい本だが)
今となっては色々疑問符の付く本ではあったが、
ネットなども普及していなかった当時のプレイヤー達には大いに参考になったのではないだろうか?
これらの本などから出た対戦の重要要素は…
- 相手に先手を取れるか否かが分かれるため すばやさが重要
- 事実上弱点の存在しないエスパーが強い
- 無抵抗にする眠りが強い。加えて眠らせつつ体力を回復できるゆめくいが強い
- 3割で永続で凍るふぶきが凶悪(加えて当時は命中90だった)
これらの要素より、エスパータイプですばやさが高く、
技マシンでふぶきも覚えられる
ミュウツーは文句なしの最強ポケモンと言う結論に至った。
当然すばやく先手で眠らせられる
ゲンガーは強力で、
タイプ一致でゲンガー以上に強力なゆめくいが使える
スリーパーも凶悪ポケモンの一角であった。
こおりポケモンはタイプ一致で強力なふぶきを繰り出しつつ、
なおかつこおり属性は凍らないと言う事もあり、
フリーザー・
ラプラスなども強力なポケモンとして扱われた。
現在でこそ弱点の多さが目立つ氷タイプだが、鋼はまだ存在せず、格闘はエスパーにより抑えられ、
炎、岩もメジャー水タイプにより・・・と当時は殆ど気にならなかった。
今尚公式、非公式問わず
催眠に対する厳密なルールが敷かれることがあるのは
これらの時代からの教訓であろう。
(実際制限がかかってからは当時の催眠はあまり見なくなった)
他の戦術として凶悪なものにどくどくやしびれごななど相手を猛毒、麻痺にさせる→まきつくといった拘束系の技のコンボが挙げられる。
当時、麻痺状態は (素早さ1/4)+(20%の確率で行動不能)になるものであった。
また、拘束系の技も今の仕様とは違い、技が続いている間相手は全く行動できないという凶悪な性能を誇っており、
(ただし、今と違ってポケモンを入れ替えることは可能だった。また、技が発動しているときはあばれる同様他の技が使えなかった)
一度ハマれば相手の行動を全く受けずに撃破することができた。
これらのことがあったから金銀以降は麻痺や拘束系の技の性能が変化したと考えられる。
ちなみに当時麻痺状態になったとき、高速移動などで素早さが上がると麻痺状態のときに低下した素早さが元に戻る現象が起きていた。
1997
初代公式大会開催。いわゆる「ニンテンドウカップ97」である。
ルール上ミュウツーとミュウ以外は(たぶん)出場できたが決勝リーグで出てきたのは22種だけ。
出場ポケモンはLV50~55で出場ポケの3体の合計は155まで。
当時放送されていたマリオスタジアムでは実際にこのルールを用いての対戦が毎週放送されていた。
初期はまだまだ手探り状態で、ルール無しの頃から強いといわれていた
ゲンガーや
フーディンやフリーザーなどが使われていたが
ケンタロスや
スターミー、小さくなる
ラッキーなどはこの番組からメジャーになったものである。
やはり強かったのはLv55ケンタロスで、優勝者も使っていた。
後のポケスタでも対策必須、というか生半可なメンバーでは3ターンキルされる事もある。俺はあった。
ちなみにある雑誌では「闘神」と評されていた。
他にはかげぶんしん戦法も鬼で、回避率が壊れ性能だった事を物語る。
どくどくや再生技と合わせられるとほぼ手が付けられなくなる。
余談だが、今なお印象深いニックネームも見受けられる。
また、出場ポケの中に
ゴローニャはいて
ブースターはいなかった。
当時は目覚めるパワーなどはないので当時のゴローニャは
サンダースに対しては一方的な強さを誇った。
1998
98年の公式ルールは初代ポケスタを用いる関係上
ポケスタで使用可能なポケモン33匹だけがエントリー可能であった。
レベルは30に統一。前年と違いレベル配分と言う概念はなくなったが
主流のポケモンは前年と変わらずケンタロス、サンダース、スターミーなどであった。
このマンネリ化を打開すべく
当時ポケモン対戦を放送していたマリスタでは、
「この33匹をABCのグループに分け、初手は必ずCグループのポケモンを出す」
と言う特別ルールを設けた。
Aはいわゆるケンタロスやスターミーなどの強力なポケモン
BCは今風に言えば 中堅マイナーなどといわれる類のポケモンである。
しかしこのルールはエースのAグループポケモンを温存するあまり
入れ替えがしづらいと言う側面を持っており、今ひとつの相性でもゴリおすと言う光景が見られた。
これを逆手に取った戦法が「かげぶんしん+ねむる」戦法である。
シャワーズや
ナッシーなどの硬いポケモンで相手の攻撃を耐えつつ影分身を積み、
その回避率で眠るリスクをも減らすと言う黄金パターンである。
かげぶんしんが流行した当初は最初にどくどくを使い、相手を猛毒にする事で対策をとるプレイヤーもいたが
状態異常の回復も可能なねむるの前には意味を成さなかった。
末期は互いにこの戦略が横行し、
影分身眠る同士の泥仕合が毎週放送されると言う異常な事態が発生していた。
これらの影響からか、ポケモンスタジアム2ではかげぶんしんの効果が大幅に抑えられる事になった。
また、98年全国大会には7人中3人が当時のネットの乏しさから知られていなかった個体値・努力値システムを把握して育成したポケモンを実践投入していた。
参照
そのうちの1人は当時の捕獲難易度が今で言うXD産の
サンダーに近いといわれていたラッキーにも及んでいてほかの2人よりも上の個体値を厳選したという今から見てもその根性を賞讃してもいいくらいだった。
1999
次回作である金・銀が発売延期を繰り返す中、
赤・緑ベースでの開催を余儀なくされた99年大会では使用ポケモンに関して大胆なルールが設定された。
それは「
ミュウ、ミュウツーおよび今までの公式大会の全国トーナメントに参加していたポケモン使用禁止」というものである。
これは97、98年の大会で使用されるポケモンのメンツが固定化されていた為にそれまでと差別化する意味と、
ポケスタ2発売による追加ポケモンにスポットを当てる為であると思われる。
これによりスターミーやケンタロスといった従来のいわゆる強ポケが軒並み姿を消し、
それまではマイナーに分類されていたポケモンの活躍が目立っていた。
当時はステータス上特攻と特防は特殊ひとつにまとめられていたため、
特殊を2段階上昇させることができた度忘れ(さすがに強すぎたのか金銀以降は特防のみ2段階上昇に調整)が異様な強さを持っていた。
(今で言うと1ターンで瞑想を2回使えるようなもの)
このため、特殊が高くて度忘れ(+眠る)を使えた
ヤドランを愛用する人が多かった。
(初代ではエスパーの弱点はあって無いようなものだったため、度忘れをうまく積むことができればなかなか落ちなかった)
同時に当時は急所技のきりさくやはっぱカッターの急所に当たる確率が高かったため、
急所技をタイプ一致で使え、攻撃と素早さが高い
ペルシアンを使う人も多かった。
また身代わりの仕様もポケスタ2から変更になり
変化系や状態異常技を回避できるようになった。
硬いヤドランを突破するためにじわれなどの一撃必殺技が台頭し、
ペルシアンのきりさくへの対抗にカウンターなどが使われた。
このようにポケモンどころか戦略性までも大きく変化した。
余談だが
ファイヤーのみこの公式大会で使用できた唯一の伝ポケであった。
当時技マシンで火炎放射が無く火炎放射を覚えなかった為いわゆる「3鳥」の中で一番冷遇されているので当然とも言えるが。
「あく」「はがね」タイプの登場。
「もちもの」の登場。
「天候」の登場。
「どく」「むし」タイプの耐性が変化。
「
ほのお」タイプのポケモンに「こおり」タイプの技が半減、
「エスパー」タイプのポケモンにゴーストタイプの技が効く(2倍)ようになる。
「ほえる、ふきとばし」に相手の対戦ポケモンを強制交代させる効果がついた
「かぜおこし」のタイプが
ノーマルから
ひこうへ変化
「からてチョップ」のタイプがノーマルから
かくとうへ変化
「かみつく」のタイプがノーマルからあくへ変化
「からではさむ」のタイプがノーマルからみずへ変化
「
コイル、
レアコイル」のタイプに「はがね」が追加された。
ポケットモンスター金銀が発売された。
このソフトは赤・緑・青・
ピカチュウ版と連動していた。
新たにタイプが追加され、前作では貧弱な攻撃技しかなかった属性にも強力な技がつくなど属性関係が大きく変化した。
ちなみに某攻略本での開発スタッフの方々によると
あくタイプとはがねタイプを追加したのはエスパーを弱体化する目的が大部分との事。
ただ、ミュウツーは前作から持ち込む事で10万ボルトや冷凍ビーム等を覚えさせる事が可能だったり、
フーディンが技マシンで手軽に3色パンチを覚えたり等相変わらず強い。
どうぐが登場した。
ガラガラの専用道具、ふといホネは攻撃2倍と非常に強力で、
今まで
サンドパンに全てにおいて劣っていたのを完全にひっくり返し、活躍するようになった。
また、ねむる→はっかのみというコンボも登場した。
「とくしゅ」が「とくこう」と「とくぼう」に分離した。
分離はしたが前作との互換のため、努力値計算は二つを1つで行い、特攻が努力値に加算された。
ポケモンのタマゴが初めて登場した。これによって卵を産めるポケモンは厳選が容易になった。
特殊が分かれた結果、調整のため前作で非伝説で能力値がトップだった
パルシェンと
ギャラドスは一方を極端に下げられ、
ポジションとステータスがまるでつりあわなかった
カビゴンはとくぼうを大幅強化された。
また、伝説ポケモンの能力合計値も統一されたが、逆に御三家は能力値が同じだったものが差別化され、炎>水>草となった。
一撃必殺の性能も変更され、レベルによって判定されるようになった結果、
Lv55なら無効化されない限りどんなポケモンも倒せる強力な技になった。
戦術では、ねむねご、のろいが非常に優秀だった。
当時のねむねごは、ねごとでねむるが出てもHP全快という反則的な性能だった。
先に述べたカビゴンは特防が大幅に上がっていて、尚且つのろいのデメリットも無かったため両方との相性がよく非常によく使われた。
なお、金銀の伝説ポケモンは技がひどいことになっており、
金
ルギアはエアロブラストを、銀
ホウオウはせいなるほのおを覚えず
ライコウは10まんボルトすら使えないなど散々たる有様だった。
2000
公式大会のニンテンドウカップ2000が行われた。
大会はカビゴンが大量発生して、のろい、はらだいこ、じわれ、ねむるなどを主力に大活躍していた。
また、くろいまなざし+ほろびのうたムウマも対カビゴンとして使われていた。
決勝は剣の舞バトンタッチを受けたLv55ケンタロス無双と思いきや
かの有名な「むし!!!(
ヘラクロス)」のきあいのハチマキ→きしかいせいが決まり大逆転するという伝説が生まれた。
- 12/14 ポケットモンスター クリスタルバージョン
ポケモンスタジアム金銀 同日発売
クリスタル版で技教え人が初登場、ポケスタ金銀でスーパー技マシンも登場した。
この結果、せいなるほのおの無かった銀ホウオウ、エアロブラストの無かった金ルギアがようやく日の目を見ることができるようになった。
また、今まで10まんボルトを使えなかったライコウ、れいとうビームを使えなかった
スイクンなども技の面で改善された。
覚える技、タマゴ技も一部かわり、有名どころではパルシェンがまきびしを覚えるようになった。
某ネット対戦で生まれた昆布だが、当初のどくどく+すなあらしからしばらくして、まきびしも使われるようになったのだが、
まきびしを覚えるポケモンが当初の
フォレトス(とドーブル)に加え、新たにパルシェン、
ハリーセンが使えるようになり、発動要員が増えた。
特にパルシェンはリフレクターを使え、フォレトスに比べ特殊耐久以外全て上回っている上に
ライコウとの相性がよかったのでよく使われることになった。
同時にライコウが10まんボルトを覚えるようになったため、こちらも吠える要員として増えることになった・・・が、
実機ではこの頃から三犬厳選は厳しいものがあった。
この頃から三犬の中で
エンテイがやたら浮き始めていた。
当時、3鳥で浮いていたフリーザーや、第3世代時に600族・3王でそれぞれ浮いていた
カイリューと
レジロックが
後続の作品で改善されているのに対し、エンテイはそれほどでもなかったり。
余りに猛威を振るったはらだいこ、一撃必殺はそこでは禁止指定がかかることになった。
役割理論や昆布の全盛期でもある。
タイプ不一致岩雪崩にもかかわらず
エアームドをも突破できるガラガラ、
初代よりも弱体化したがじわれの使用率の上昇により使われ始めたケンタロス、
遺伝技でクロスチョップを獲得した
エレブー、
ヘドロばくだんのおかげで水+毒という止めにくい組み合わせを手に入れた
ドククラゲは
4匹まとめて最低四天王の名を襲名。
彼らをエースにしておけば適当にやっていてもそれなりに勝てるなど、かなり強力だった。
当時が誰もが認める最強ポケモンのねむねご残飯カビゴン、
アンコールで相手を縛り、腹太鼓で爆発的な突破力を手に入れた
ピクシー、
昆布戦法で有名なまきびし→吠えるの黄金コンビことパルシェン+ライコウといった面々も
(パルシェン以外は)エースにしておけば簡単にある程度の勝率をマークできてしまう。
対戦において、これらのうち数体を入れておけばそれなりの勝率をマークすることができた。
逆に
メガニウム、スイクン、ハピナス、ツボツボ、
ブラッキー、エアームドのように
当時の努力値システムもありものすごく堅い連中もいたため、
こいつらを突破できないと100ターン以上試合が続くなどという光景も見られた。
しかも殆どの奴らが決定力が低いので、お互い落ちない&落とせない。
ただし、剣の舞メガニウムや転がるツボツボ、眼差しバトンブラッキーなどは別であるが。
2001
最終更新:2013年11月30日 09:09