おはようセックス@小説まとめ
千億の生と死を見つめるもの
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匿名ユーザー
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死ぬ、とか、殺すとかいった言葉を使うのは、やはり大勢の人が躊躇うことと思います。
そりゃ当然です。物騒ですもんね。
でも私たち人間は、もう既にどうしようもなく、生と死の狭間に存在しているのです(だからといって、気軽に殺すとか死ぬなんて、言ってはいけないのですが)。
そりゃ当然です。物騒ですもんね。
でも私たち人間は、もう既にどうしようもなく、生と死の狭間に存在しているのです(だからといって、気軽に殺すとか死ぬなんて、言ってはいけないのですが)。
例えばここに取り出したる鶏のムネ肉。近所のスーパーで買ってきたものです。
いやはや、便利な世の中になりました。鶏を食べるのに、鶏を殺すところを見る必要がないんですから。そのうち、肉は野菜みたいに畑から生えてきて、魚は切り身で泳いでる……なんて事を信じる子供が溢れかえってもおかしくありません。
しかしあくまでそれは空想。そして、目の前にあるもののみが現実ではないのです。鶏を殺すところを見なくても、この鶏が殺されている事には、何の変化も見当たらないわけです。
別に鶏に限った話でもなく、人間は──あるいは、生命を喰らう生物そのものは──ありとあらゆる生命を、死神のごとく刈り取って生きています。生きていますとも。
これを食物連鎖といいます。弱肉強食の原理に倣った定理です。小学校で習います。
これを普段から意識していると、給食の時間になるたびに「今日は何匹の動物の死がここにあるのだろう」と考えてしまって、わりと洒落にならないくらい落ち込んでしまったりします(そう怯える事もないとは思うのですがね)。
ただ、産業革命も古(いにしえ)。今や生命も、大量生産の時代です。鶏も牛も羊も豚も、半ば機械的に殖やされては出荷されてゆきます。魚もこれに加わって参りました。
こんな事を考えると、ちょっぴりアンニュイというか、憂鬱というか、おセンチな気持ちになってしまいます。
なかなかどうして大量生産、そして大量消費の社会。生命の価値は大暴落。いつかはヒトも──なんて。
鶏のムネ肉を塩胡椒で炒めながら、そんな事を思ったりもします。
いやはや、便利な世の中になりました。鶏を食べるのに、鶏を殺すところを見る必要がないんですから。そのうち、肉は野菜みたいに畑から生えてきて、魚は切り身で泳いでる……なんて事を信じる子供が溢れかえってもおかしくありません。
しかしあくまでそれは空想。そして、目の前にあるもののみが現実ではないのです。鶏を殺すところを見なくても、この鶏が殺されている事には、何の変化も見当たらないわけです。
別に鶏に限った話でもなく、人間は──あるいは、生命を喰らう生物そのものは──ありとあらゆる生命を、死神のごとく刈り取って生きています。生きていますとも。
これを食物連鎖といいます。弱肉強食の原理に倣った定理です。小学校で習います。
これを普段から意識していると、給食の時間になるたびに「今日は何匹の動物の死がここにあるのだろう」と考えてしまって、わりと洒落にならないくらい落ち込んでしまったりします(そう怯える事もないとは思うのですがね)。
ただ、産業革命も古(いにしえ)。今や生命も、大量生産の時代です。鶏も牛も羊も豚も、半ば機械的に殖やされては出荷されてゆきます。魚もこれに加わって参りました。
こんな事を考えると、ちょっぴりアンニュイというか、憂鬱というか、おセンチな気持ちになってしまいます。
なかなかどうして大量生産、そして大量消費の社会。生命の価値は大暴落。いつかはヒトも──なんて。
鶏のムネ肉を塩胡椒で炒めながら、そんな事を思ったりもします。
と、そんな折に聞こえてくる「ぴんぽろぽろぽろ……」というインターホン。ほら、私の住んでる部屋は、ちょうどコンビニに入った時に鳴るようなタイプのインターホンで……。
「二人羽織さーん?いらっしゃいますかあ」
扉の向こうで聞き覚えのある声がします。「はいよう、何用でござんしょ」と、火を止めて玄関に向かいます。
「いやあ、カレー多めに作ったんだけどね」と、扉を開けたところに立っていたのは背の低いお隣の奥さんでした。
「あらまあ。でも、そういうのって明日の朝とかに食べません?」と私が言うと、「それがねえ」と、この歳ぐらいの奥さん方によくある身振り手振りを交えた話が始まり、ああ、長くなるんだろうなあ、と思いました。ムネ肉は焦げるな。確実に。
「……で、明日は朝から外食することになったの!もう酷いでしょ?ダンナったらいっつもそうやって勝手に予定立てて、アタシに一言もないのよ?酷いと思わない?」
「ははあ。そーですねえ」
「最近は娘も二回目の反抗期かってねえ、大学にも行かないとか言い出してもう困ったもんなのよぉ。あ、そういえば二人羽織ちゃん一人暮らしよね?やっぱり親に反抗したのかしら」
失礼な事を訊くなあ、とも思いましたが、揚げ足を取るのはやめておきましょう。これ以上長引かせたくもありませんし。
「私は自分の意思で出てきましたよ。親にも相談して、許可も貰いました」
「あらそお。エラいのねえ~。うちの娘も二人羽織ちゃんみたいにならないかしらあ。物腰が柔らかくて、落ち着いてて、それでいてしっかりしているような……」
私は他人から見るとそうなのか。
「もう二人羽織ちゃんうちに来ない?養うよ?全然養えるよ?」
「い、いえ、流石にそれは」
「やあねえ冗談よッ冗談!ハハハ!まあ気が変わったらいつでもおいで、どーせ一人も二人も変わらないからさ。あ、このカレー食べてね、そういうわけだから」
言って、奥さんは私にカレーの入ったタッパーを押し付けて、「じゃあね~」と手をやたらと小刻みに振って帰っていきました。
「いやあ、カレー多めに作ったんだけどね」と、扉を開けたところに立っていたのは背の低いお隣の奥さんでした。
「あらまあ。でも、そういうのって明日の朝とかに食べません?」と私が言うと、「それがねえ」と、この歳ぐらいの奥さん方によくある身振り手振りを交えた話が始まり、ああ、長くなるんだろうなあ、と思いました。ムネ肉は焦げるな。確実に。
「……で、明日は朝から外食することになったの!もう酷いでしょ?ダンナったらいっつもそうやって勝手に予定立てて、アタシに一言もないのよ?酷いと思わない?」
「ははあ。そーですねえ」
「最近は娘も二回目の反抗期かってねえ、大学にも行かないとか言い出してもう困ったもんなのよぉ。あ、そういえば二人羽織ちゃん一人暮らしよね?やっぱり親に反抗したのかしら」
失礼な事を訊くなあ、とも思いましたが、揚げ足を取るのはやめておきましょう。これ以上長引かせたくもありませんし。
「私は自分の意思で出てきましたよ。親にも相談して、許可も貰いました」
「あらそお。エラいのねえ~。うちの娘も二人羽織ちゃんみたいにならないかしらあ。物腰が柔らかくて、落ち着いてて、それでいてしっかりしているような……」
私は他人から見るとそうなのか。
「もう二人羽織ちゃんうちに来ない?養うよ?全然養えるよ?」
「い、いえ、流石にそれは」
「やあねえ冗談よッ冗談!ハハハ!まあ気が変わったらいつでもおいで、どーせ一人も二人も変わらないからさ。あ、このカレー食べてね、そういうわけだから」
言って、奥さんは私にカレーの入ったタッパーを押し付けて、「じゃあね~」と手をやたらと小刻みに振って帰っていきました。
「洗って返さなきゃ」
真っ先にそんな事を考えたのは、少し冷たいのかな、とも思いました。
真っ先にそんな事を考えたのは、少し冷たいのかな、とも思いました。
というわけで今日の晩ご飯は、具の大きなカレーと黒焦げの鶏のムネ肉塩胡椒炒め。ああ、玄関に向かう前に皿に移しておくんでした。
ふと考えてみると、あの奥さんも結婚して、子供ももうけていますから、人間として、人間の生を見つめてきた、という事になります。
それは一体、どれほどの経験で、どれほど尊いものなのでしょう。
「子供かぁ」と、タッパーをスポンジで擦りながら、ふとつぶやいてみたり。
私もいつかは、母になるのでしょうか。
無数の屍の上にあって、一人の生よりも尊いもの。
我が子というのは、どういった存在なのでしょう。まあ、考えたところで埒が開きませんが。
生命の重さには残念ながら大小があって、それは食物連鎖の下から徐々に重くなり、きっと人類、そしてその中で最も重いのは家族でしょう。そこから更に選ぶとすれば、きっと我が子です。
正直に言えば、子供を産んで育てるという行為に、疑問がないとも言えません。
例えば日本はここのところ少子高齢化が進んで人口も減っていますが、一方で世界的には人口は増えていて、人類は衰退するどころか繁栄、総人口70億人を誇る巨大種族です。
そんなさなか、私は果たして、種の保存という自然的な名目で子供を作るべきなのでしょうか。
いいえ、きっと違うのです。子供を産んで育てるのは、そんな打算や理論に裏打ちされた利己主義のものではなく、たぶん、人間という生き物に与えられた本能なのでしょう。
ふと考えてみると、あの奥さんも結婚して、子供ももうけていますから、人間として、人間の生を見つめてきた、という事になります。
それは一体、どれほどの経験で、どれほど尊いものなのでしょう。
「子供かぁ」と、タッパーをスポンジで擦りながら、ふとつぶやいてみたり。
私もいつかは、母になるのでしょうか。
無数の屍の上にあって、一人の生よりも尊いもの。
我が子というのは、どういった存在なのでしょう。まあ、考えたところで埒が開きませんが。
生命の重さには残念ながら大小があって、それは食物連鎖の下から徐々に重くなり、きっと人類、そしてその中で最も重いのは家族でしょう。そこから更に選ぶとすれば、きっと我が子です。
正直に言えば、子供を産んで育てるという行為に、疑問がないとも言えません。
例えば日本はここのところ少子高齢化が進んで人口も減っていますが、一方で世界的には人口は増えていて、人類は衰退するどころか繁栄、総人口70億人を誇る巨大種族です。
そんなさなか、私は果たして、種の保存という自然的な名目で子供を作るべきなのでしょうか。
いいえ、きっと違うのです。子供を産んで育てるのは、そんな打算や理論に裏打ちされた利己主義のものではなく、たぶん、人間という生き物に与えられた本能なのでしょう。
「まあ、その前にかれしという奴を捕まえてこなければなりませんが」
私は自嘲ぎみに空気を圧し潰すと、最近変えたばかりの携帯電話を取り出しました。
「……あ、お母さん?……うん、元気だよ、そっちは?…………」