- 樋川腹は、長男(字兼城)『赤嶺』、二男(字潮平)『茂屋小』、三男(字糸満)『上真銘』で字兼城の門中墓を共有している。
三兄弟は南山王・他魯毎に仕えていたが南山滅亡後、西原間切幸地村を経由して兼城間切に来たという。
墓は樋川腹の墓を使ってきたが、1911(明治44)年に墓を新設。長男『玉江』系統と三男『新玉井』系統は新墓に移ったが、二男『下玉江』系統と四男『下門』系統は樋川腹の墓を継続して使っている。
門中名 | 読み方 | 名字 | 備考 |
糸満市字兼城『赤嶺』 | アカンミ | 赤嶺・金城 | |
糸満市字潮平『茂屋小』 | ムヤーグヮー | (新垣) | |
糸満市字潮平『玉江』 | タマイ | 金城(・玉江・下門・上門) | 字潮平『茂屋小』の養子が始祖。 |
糸満市字糸満『上真目(上真銘)』 | ウィーマーミ | 金城・大城 |