糸満(いとまん・イチマン)
発祥・伝承
- 元々、他地域から人々が寄り集まって形成されたという。
古くから漁業が行われ、近隣の交通の便も良かったことから市が形成され、商工業が発展した。
- 『伊佐』の祖は真和志間切上間村の三兄弟が祖。長男筋が『比嘉』、二男筋が『伊佐』、三男筋が『小堀ン上』という。
三兄弟の生家は貧しく、長男は小禄に養子に出された。二男、三男は成長して糸満に移り、長男も後に糸満に移住した。
二男筋が宗家となっているのは、長男は一度他家に養子に出され、二男が親の跡を継いだからだという。
二男筋が宗家となっているのは、長男は一度他家に養子に出され、二男が親の跡を継いだからだという。
- 『鍛冶屋新屋』の祖は金城筑登之親雲上。沖縄市安慶田『東リ上』、越来『御殿川』が出自とされる。
始祖は鍛冶職として兼城間切に派遣された際、雨宿りのため軒先を借りた遠で『根人』腹の『新屋』の娘を妻にして糸満に定住したという。屋号は始祖の職業と妻の実家の屋号に由来する。
- 『勢理』は字阿波根『塩真(スマ)』の分かれ。
- 『根人』の始祖は、百名三郎または上里真三郎といい、玉城間切百名村『上里』の三男が始祖で玉城按司の子孫といわれる。
始祖は百名から高嶺間切与座に移り、糸満村に移り住む。20年程暮らした後、息子を残し与座に戻ったという。始祖の墓は与座にある。
息子の馬子は白銀堂の由来に関わる人物とされている。
息子の馬子は白銀堂の由来に関わる人物とされている。
- 『下茂』は南山王他魯毎に繋がるとの伝承あり。南山王の位牌を祀る。『下茂』系と『石垣』系に分かれる。
『下茂』系は字大里『下茂』の分かれとされる。『石垣』系は字真栄里『越地』の分かれとされる。
- 『宇那志』の祖は昔南山城主孫の越地大屋子と言われ、『下茂』の祖と『茂太』の祖と兄弟と言われる。
- 『宇那志』、『保才』、『玉城』、『座久仁』は祖先がきょうだいとされ、上米次腹と称され墓地を共用している。
越地大屋子の5世孫が糸満村に移り『与那ン下』の娘を妻にして『宇那志』を創設したという。
その長男は『宇那志』を継ぎ、二男は祖叔父の『保才』を継ぎ、三男は『玉城』、四男は『加那座』、五男は『安辺屋』、六男は『豆腐屋』、七男は『高ン根』、長女は『座久仁』に嫁いだ。
その長男は『宇那志』を継ぎ、二男は祖叔父の『保才』を継ぎ、三男は『玉城』、四男は『加那座』、五男は『安辺屋』、六男は『豆腐屋』、七男は『高ン根』、長女は『座久仁』に嫁いだ。
- 『保才』の祖は、上米次の始祖の弟だが、跡継ぎが居なかったので兄の孫である『宇那志』の二男が継いだ。
- 『玉城』は四つの系統があり、長男が『玉城』、二男は『鍋佐』、三男は『上ン当』、四男は『前玉井』系という。字真栄里『玉城』は分家。
- 『座久仁』は字真栄里『ザクジン』が出自と言われる。
- 『大屋』は字照屋『新屋』の分かれ。二男が字糸満『大屋』、三男が字賀数『新屋』、四男が字糸満『具志川』の祖という。
字照屋『新屋』は字大里『そうじ』の分かれとのこと。
『具志川』はかつて具志川(うるま市)に拝みにいく行事があったというが、伝承も記録も残されていない。
『具志川』はかつて具志川(うるま市)に拝みにいく行事があったというが、伝承も記録も残されていない。
- 『大殿内』は毛姓新崎家につながる大殿内大屋子が始祖。長男は『大殿内』を継ぎ、二男は『与那城』の養子となり、長女は『山戸見』に嫁いだ。
長男は豊見城渡嘉敷の元ノロを妻として六人の男子をもうけた。長男は『大殿内』、二男は『新島大殿内』、三男は『仲大殿内』、四男は『前大殿内』、五男は『大殿内前』、六男は『浜大殿内』の祖となった。
『山戸見』は古い時代に『大殿内』や『与那城』から養子を入れて継承されたという。
『山戸見』は古い時代に『大殿内』や『与那城』から養子を入れて継承されたという。
- 『与那城』は字真栄里の分かれとされる。『大殿内』より養子を迎えて継がれた。
- 『上地』は高嶺村字大里『越来』の分かれ。二男筋が『上地』系統、三男筋が『頭拝見』系統となった。
- 『大毛具志堅』は高嶺村字大里『仲道小』の分かれとされる。八重瀬町港川に分家がある。
- 『当堅』は『唐銀』系統と『当銀小』系統から成り、祭祀も二つに分かれて行う。
字照屋『宇』の分かれが『唐銀』といわれ、字照屋『宇』の『下門』の女子と字糸満『幸地』の『長嶺大屋』との男子の間に出来た男子が『当堅』の婿養子となり、その二男が『当銀小』の祖という。古い記録では『当堅』だが、現在は『唐銀』『当銀』の字を使う。
- 『兼久』は高嶺村字大里の分かれといわれるがどの家の系統なのかは不明。南山の王族につながるという。
- 『幸地』は西原町字幸地『仲門』の祖・幸地按司の二男・幸地子が始祖。友寄や志多伯、摩文仁間切伊原で子孫を残す。
その後、南山王に仕えるが南山滅亡時に姫の鍋小を連れて糸満に逃れ、姫を妻とし、幸地子の名を幸地美殿と改めた。
2~4代目は上原親雲上と称し、4代目の子供達が1684(康熙23)年に門中墓を築いた九人きょうだいである。
長男『上原』、二男『川ン端』、三男『安舎慶』、四男『波平下庫理』、五男『長嶺大屋』、六男『大幸地』、七男『場』、八男『うすくの下』、長女は『赤比儀』の『惣山』の金城筑登之親雲上の妻となった。
他に三代上原親雲上の二男・平田筑登之親雲上を始祖とする『平田』系統がある。
字座波『前茂屋』は分家。八重瀬町港川にも分家がある。
2~4代目は上原親雲上と称し、4代目の子供達が1684(康熙23)年に門中墓を築いた九人きょうだいである。
長男『上原』、二男『川ン端』、三男『安舎慶』、四男『波平下庫理』、五男『長嶺大屋』、六男『大幸地』、七男『場』、八男『うすくの下』、長女は『赤比儀』の『惣山』の金城筑登之親雲上の妻となった。
他に三代上原親雲上の二男・平田筑登之親雲上を始祖とする『平田』系統がある。
字座波『前茂屋』は分家。八重瀬町港川にも分家がある。
- 『赤比儀』は『惣山』ともいった。那覇市字大嶺『後上間』大嶺筑登之親雲上と字大里『浜』の女性との間の子・上間筑登之が始祖。母は夫との離縁後に身ごもっていることを知ったため、実家で上間筑登之を生み育てた。父方の那覇市字大嶺『後上間』は首里士族の麻姓9世真代の庶子の系統だという。
上間筑登之は成人後に糸満に移り住み、『勢理』の女子を妻にして三人の男子をもうける。長男は『惣山』を継ぎ『幸地』の『上原』の娘を妻にし、二男は『沢岻』の祖となり『座久仁』の女子を妻にし、三男は『東江小』の祖となり高嶺大里『川端小』の娘を妻にした。
『赤比儀』とは先祖が港で水先案内をする「赤(淦)引き」を務めたことによるという。『惣山』はこの家から地方役人惣山当が出たことによるという。
『赤比儀』とは先祖が港で水先案内をする「赤(淦)引き」を務めたことによるという。『惣山』はこの家から地方役人惣山当が出たことによるという。
- 『前平田』と『頭ノ前』は高嶺村字大里の分かれ。『頭ノ前』が長男筋、『前平田』は二男筋。両門中は墓地を共用している。
- 『栄口』は字北波平『長嶺』の分かれ。長嶺按司の系統とされる。
- 『浦添』は浦添市仲間の『前小湾』『後小湾』に繋がる家とされ、薩摩入りから間もない時期に糸満に移り住んだという。また、始祖は字真栄里の女性を妻にしたとされ、その関係か門中墓は真栄里にある。
- 『大工』の始祖は1610年に琉球検地の際に測量技師として来た大分の人で、字国吉『加ン座地』の女子を妻にして『加ン座地』の隣に屋敷を構えた。その男子が糸満に移り住み、『兼久』の『南ン門兼久』の女子を妻にしたのが始まりという。門中名は始祖の父が大工(測量技師)をつとめたことによる。妻方の屋号の『兼久』とも呼ばれることもあった。
- 『与那ン下』は南山王他魯毎に仕えた玉城大主が始祖。二人の娘がいたが長女に婿養子を取らせ『与那ン下』を継がせた。婿養子は岸本大屋という名護の人で、首里士族馬姓の名護親方良豊と名護の大兼久ノロとの間の子という。岸本大屋と玉城大主の娘との間には三男あり、長男が『与那ン下』を継ぎ、二男が『徳屋』、三男筋『玉那覇』の祖となった。
- 『大串』は字真栄里の分かれというがどの家の分かれかは不詳。
- 『川根』は字座波『大』と祖先が兄弟とされる。
- 『一ヵ所』は字照屋『下庫理』の長男系統『西リ那嘉比』の分かれ。
- 『当銘』は字照屋『波平』の分かれという。
- 『西平』は字大里の門中だったが糸満に移住した。南山王他魯毎の弟・南風原按司守忠(阿姓元祖)と大里のノロとの子が始祖。
- 『高所』は字照屋の分かれという。
- 『茂屋』は字大里と分かれという。長男が『前里』、二男が『前茂屋』、三男が『茂屋』という。
- 『高所』『茂屋』はお互いに養子をやり取りするなど血縁関係が深く、そのため墓地を共用しているという。
- 『上真目』は樋川腹といい、字兼城『赤嶺』と字潮平『茂屋小』と兄弟関係にあり、墓地を共用している。
- 『与座ン前』は字賀数『与座ン前』の分かれ。
- 『安舎慶』は字座波『世名城』の『上門』の男と字糸満『幸地』の『安舎慶』の娘との間の子が始祖という。
- 『上座』は字与座『大上座』の分かれとされるが、『上座』の祖先が大里から糸満に移り住んだといわれるため、出自が字大里とされている。
- 『大毛八重山』は字国吉『上地』の分かれで、墓を共用している。
門中一覧
門中名 | 読み方 | 名字 | 備考 |
伊佐 | イサ | 玉城・上原・金城・大城 | 真和志間切上間村の三兄弟が祖 |
鍛冶屋新屋 | カンザーミーヤ | 金城・具志堅 | 沖縄市安慶田『東リ上』、越来『御殿川』が出自 |
勢理 | シリー | 大城・上原・金城 | 字阿波根『塩真』の分かれ |
根人 | ニーッツ | 金城 | 玉城間切百名村『上里』の三男が始祖。玉城按司の子孫 |
下茂 | スム | 上原・金城・大城 | 昔南山城主の孫が祖。『下茂』『茂太』『宇那志』の祖は兄弟 |
茂太 | ムテー | 大城・上原・金城 | 昔南山城主の孫が祖。『下茂』『茂太』『宇那志』の祖は兄弟 |
宇那志 | ウナシ | 大城・宮城・玉城 | 上米次腹。昔南山城主の孫・真栄里の越地大屋子が始祖。長男筋 |
保才 | フセー | 玉城・大城 | 上米次腹。『上米次』の始祖の弟が始祖。兄の孫『宇那志』の二男が跡を継ぐ |
玉城 | タマグスク | 玉城 | 上米次腹。『上米次』の三男筋 |
座久仁 | ザクジン | 玉城 | 上米次腹。『上米次』の長女の嫁ぎ先。字真栄里『ザクジン』が祖とも。 |
大屋 | ウーヤ | 玉城・大城(・玉沢) | 字照屋『新屋』の分かれ。二男筋。 |
具志川 | グシカー | 金城・玉城・上原 | 字照屋『新屋』の分かれ。三男筋。 |
大殿内 | ウールンチ | 上原・大城 | 毛姓新崎家につながる大殿内大屋子が始祖 |
与那城 | ユナグスク | 上原・玉城・金城・大城 | 高嶺村字真栄里が出自。『大殿内』腹と血縁関係が強い |
上地 | ウィーチ | 大城・上原・玉城・金城 | 高嶺村字大里『越来』の分かれ |
大毛具志堅 | ウーモーグシキン | 上原 | 高嶺村字大里『仲道小』の分かれ |
当堅 | トーギン | 上原・金城・玉城 | 字照屋『宇』の分かれ |
兼久 | カニク | 金城 | 高嶺村字大里の分かれと言われる。南山の王族につながるという |
幸地 | コーチ | 上原・国吉・具志堅・長嶺・山城・金城・大城・玉城・新城・下門 | 西原町字幸地『仲門』の祖・幸地按司の二男・幸地子が始祖 |
赤比儀 | アカヒギ | 金城・上原・玉城(・西澤) | 那覇市字大嶺『後上間』大嶺筑登之親雲上の子、上間筑登之 |
前平田 | メーヒラタ | 大城・金城 | 高嶺村字大里からの分かれ。『頭ノ前』の祖先と兄弟。二男。 |
頭ノ前 | カシランメー | 大城・山城・玉得 | 高嶺村字大里からの分かれ。『前平田』の祖先と兄弟。長男。 |
栄口 | イーグチ | 長嶺・金城・玉城 | 糸満市字賀数『小嶺』門中がルーツ。字北波平『長嶺』からの分かれ。長嶺按司の系統とされる |
浦添 | ウラシー | 大城・金城・上原 | 浦添市字仲間『前小湾』『後小湾』からの分かれ |
大工 | セーク | 大城・金城・上原 | 1610年琉球検地の際に測量技師として来た大分の人が始祖 |
与那ン下 | ユーナンヒチャ | 玉城 | 南山王他魯毎に仕えた玉城大主が始祖。長男。 |
徳屋 | トゥクヤ | 玉城 | 南山王他魯毎に仕えた玉城大主が始祖。『与那ン下』の二男筋。 |
玉那覇 | タンノー | 上原・玉城・金城・伊敷 | 南山王他魯毎に仕えた玉城大主が始祖。『与那ン下』の三男筋。 |
大串 | ウーグッチー | 玉城・大城 | 高嶺村字真栄里の分かれ |
川根 | カーニー | 玉城・金城・上原・新垣・照屋・生盛 | 字大里『ヌン殿内小』の分かれ。字座波『大』は兄弟 |
一ヶ所 | イッカシ | 玉城 | 字照屋『下庫理』腹の分かれ |
当銘 | トーミ | 金城・上原・与崎 | 字照屋『波平』の分かれ |
西平 | ニシンザ | 上原・大城・西平 | 南山王他魯毎の弟・南風原按司守忠と大里のノロとの子が始祖 |
高所 | タカズ | 上原 | 字照屋からの分かれ。『茂屋』と血縁が深い |
茂屋 | ムヤー | 上原(・茂上) | 字大里からの分かれ。『高所』と血縁が深い |
上真目 | ウィーマーミ | 金城・大城 | 糸満市字兼城『樋川』腹。大里村眞境名の分かれ。三男筋。 |
与座ン前 | ユザンメー | 金城・大城・上原 | 糸満市字与座『大上座』腹がルーツ。字賀数『与座ン前』の分かれ |
安舎慶 | アサギ | 上原・大城 | 字座波『世名城』の『上門』が出自 |
上座 | ウィーザ | 大城 | 糸満市字与座『大上座』腹がルーツ。字与座『大上座(栄徳)』の分かれ |
大毛八重山 | ウーモーヘーマ | 上原 | 字国吉『上地』腹の分かれ |