与座(よざ・ユザ)
発祥・伝承
- 与座岳周辺の小さな集落が寄り集まって出来たのが発祥。
17世紀の初めに与座村と慶留村がが合併して出来たのが現在の与座だという。
- 『安謝』は尚真王十男・東風平親方の子と安謝ヌルとの子が始祖。
- 『新垣』は5,6代前に首里から来ていた新垣殿内の士族と与座の女性との子が始祖。戦前は『美里』と呼ばれる。
- 『栄徳』は『大上座』ともいい、中南山の上与座系統といわれる。
1772(乾隆37)年に与座で疫病が流行したとき、『大上座』が絶家となった。
そのため、字大里『そうじ(栄徳)』から養子が入って『栄徳』とも名乗るようになった。
字糸満『上座』と字賀数『与座ン前』は分家。
そのため、字大里『そうじ(栄徳)』から養子が入って『栄徳』とも名乗るようになった。
字糸満『上座』と字賀数『与座ン前』は分家。
- 『御殿』は高嶺天孫氏あるいは字大里タマターグスクの西大城按司系統といわれる。
字国吉『与座』や知念村字知名『神谷』は分家。
- 『鍛冶屋』は玉城間切百名『崎間』の分かれの太良という人物が首里から与座に移り住んだのが始まり。
中頭に太良の親元である本家筋があったが跡取りが絶えてから、その祖先も祀っている。
- 『慶留』は義本王の系統。
- 『佐久真』は南山王・達勃期の子・佐久真王子の子孫。
八重瀬町字高良『佐久真』は佐久真王子の兄弟という。
与座に直系子孫は残っていない。戦後、与座で『佐久真』から『佐久間』に表記を改めた。
字新垣『与座』、字座波『米福』、豊見城市字翁長『与座』、字保栄茂『徳与座』、字豊見城『東利』は分家。
与座に直系子孫は残っていない。戦後、与座で『佐久真』から『佐久間』に表記を改めた。
字新垣『与座』、字座波『米福』、豊見城市字翁長『与座』、字保栄茂『徳与座』、字豊見城『東利』は分家。
- 『島袋』は四代前に首里から『新垣』を頼って与座に移り住んだという。
- 『宮里』は『仲里』の女子と字大里『そうじ』の三男との間の子が始祖という。
- 『西』は南山王・達勃期系統だという。
- 『摩文仁』は南山時代末期の摩文仁按司の系統。
長男系統が字摩文仁『永田』、二男が『摩文仁』だという。
南山滅亡後に摩文仁から首里に上り、七代ほど前に一族で首里から与座に移住したという。
南山滅亡後に摩文仁から首里に上り、七代ほど前に一族で首里から与座に移住したという。
- 『山川』は昔、政変か何かで首里山川から与座に逃れた人が祖だという。『佐久真』に助けられ屋敷ももらったという。
- 『玉井』は『山川』の分家という。
門中一覧
門中名 | 読み方 | 名字 | 備考 |
安謝 | アジャ | 城間 | 東風平親方の子と安謝ヌルの子が始祖 |
新垣 | アラカチ | 新垣 | 首里の新垣殿内の士族と与座の女性の子が始祖 |
栄徳 | イートゥク | 伊敷 | 糸満市字与座『大上座』腹。中南山の上与座按司の系統 |
上地 | ウィーチ | 金城、東風平 | |
御殿 | ウドゥン | 伊敷、金城 | 高嶺天孫氏あるいは字大里の西大城按司の系統 |
川端 | カーバタ | 上間 | 那覇市字上間の分かれ |
鍛冶屋 | カンジャー | 金城 | 玉城間切百名村『崎間』の分かれ。 |
慶留 | ギル | 賀数、金城 | 義本王系。 |
幸勢頭 | コーシル | 金城 | 嶽元。汪応祖の十男与座大主の子孫 |
佐久真 | サクマ | 佐久間 | 達勃期の子佐久真王子の子孫 |
島袋 | シマブク | 島袋 | 首里から『新垣』を頼って移住 |
下茂 | シム | 喜納 | |
玉井 | タマイ | 伊敷 | 字与座『山川』の分かれ |
宮里 | ナーザトゥ | 宮里 | 『仲里』の女子と字大里『そうじ』の子が始祖 |
仲里 | ナカザトゥ | 仲里 | 国元。 |
西 | ニシ | 賀数、金城 | 達勃期の系統 |
摩文仁 | マブイ | 玉城 | 三山時代末期の摩文仁按司の系統 |
山川 | ヤマガー | 伊敷 | 首里山川から与座に逃れてきた人が祖 |