国吉(くによし・クニシ)
発祥・伝承
- 三山時代、国吉グスクは南山系のグスクで国吉大屋子が守っていた。
南山王他魯毎が嘉手志川と金屏風を交換しようとした時、国吉大屋子が川を手放すのをやめるように進言したが、聞き入れなかったため、南山は滅亡したという。
- 中城城主・護佐丸が滅ぼされた際、遺児盛親が乳母に連れられて国吉に逃れた。
国吉グスクの主・国吉ヌ比屋は盛親を12歳になるまで養育したという。
国吉ヌ比屋は後に士族査姓一門の祖となった。
国吉ヌ比屋は後に士族査姓一門の祖となった。
- 『伊敷』は字伊敷『殿内』の分かれ。『殿内』の子孫は字真壁(伊敷姓)や字上里(謝名姓)にいる。
- 『大屋』はムラの草分けという。字名城『前門』は分家で墓を共用している。
- 『我那覇』は国吉ヌ比屋の出自という。南山王・汪応祖と『我那覇』の娘との間に生まれた中村掟親雲上の子が国吉ヌ比屋との伝承がある。
門中の構成員は字国吉(玉城姓)の他、字真壁(金城姓)にいる。
- 『加ン座地』は『加ン座地』系と『上原』系で構成される。
『加ン座地』の娘が『上原』に嫁いだ縁で墓を共有し、門中を構成するようになったという。
墓地は字糸満『大工』と共用している。
王府時代に検地のために来琉し、『加ン座地』の娘を妻にした豊後(大分県)の人の子が字糸満『大工』の祖という。
墓地は字糸満『大工』と共用している。
王府時代に検地のために来琉し、『加ン座地』の娘を妻にした豊後(大分県)の人の子が字糸満『大工』の祖という。
門中一覧
門中名 | 読み方 | 名字 | 備考 |
伊敷 | イシキ | 神谷 | 字伊敷『殿内』の分かれ。 |
上地 | ウィーチ | 神谷 | |
大屋 | ウフヤ | 国吉 | 草分け。 |
運天 | ウンティン | 神谷 | |
川端 | カーバタ | 神谷 | |
我那覇 | ガナハ | 玉城 | 国元。国吉ヌ比屋系。 |
金城 | カニグスク | 金城 | 保才門中。 |
加ン座地 | カンザーチ | 比嘉・上原・国吉 | |
北谷 | チャタン | 照屋 | |
前門 | メージョー | 神谷・金城・仲里 | |
与座 | ユザ | 神谷 | 字与座『御殿』の分かれ。 |