――――とある地の古代遺跡にて、一つの古代遺物が調査隊の手で発掘される。
それは、一見すると白い陶製の仮面だった。
しかし仮面と言うにはやや異質で、他の遺跡から発掘される様な儀礼的な仮面とは違いなんの塗装も装飾も無い。
それどころか、そもそも面として必要な目の覗き穴すらも無かった。
ともすればただの白い器か何かと言ってもの差し違えない様な、酷く簡素で無機質な物だった。
では何故それが『仮面』であると判断されたか。
発掘した調査隊がこれを視界に入れたその瞬間、全員が瞬時に確信したのだ。
これは『仮面』であると、これは『顔』であると、これは『顔の無い貌』なのであると。
何故そう思ったのかは誰にもわからなかった。
理由も無く、それでも何故かこれ以上なくハッキリと、その場にいる全員がその認識をしたのである。
そしてこの仮面が発掘されて以降、調査隊に不可思議な事が起こり始める。
発掘調査中に他のメンバーの眼を盗み、何故かこの仮面を被ろうとする者が続出したのだ。
そして仮面を着けた者全てが……まるで魂が抜けたのかのように、何の反応もしない、虚ろな目の廃人と化していた。
調査隊のリーダーがどれほどメンバーに注意しても、どれほど厳重に仮面を保管しても、どういう訳か毎日の様に仮面を被ろうとする者が相次いだ。
まるで仮面そのものが、言葉で名状出来ない得体の知れない力で誘い込み、食事を愉しむかの様に。
この事態に恐怖したリーダーは破壊を試みたが、陶製の様に見えながら異様なまでの頑丈さで傷一つ付けられなかった。
仕方なくリーダーは何重にも封をした箱に仮面を厳重に保管して船に乗せ、本国へと輸送した。
しかし、仮面を乗せたその船は目的地に着く前に
ブラックシープ商会の手の船に襲われ、仮面を含む他の荷も根こそぎ奪われたうえで沈められてしまう。
以降、この仮面の行方は長きに渡り不明となっていたのだが―――――
作戦開始の号令と共に、即座に敵の根城とする
廃城の周辺各地にて爆音、轟音と共に粉塵と土煙が巻き起こり激しい戦闘が始まる。
グザン一行もまた、突然の強襲にも動じずに廃城の中から次々と溢れ出てくる敵の大群に向けて各々が能力を如何なく発揮して蹴散らしていく。
一国の軍を真正面から叩き伏せ殺戮と略奪を繰り返す、一介の『密猟者ギルド』の枠に収まるとは思えないその戦力は決して油断ならず、雑兵一人一人の力すらも最低でも
CからBランク冒険者に匹敵か上回りかねない程であった。
しかし、それらに立ち向かうは並の冒険者などではない。
未来のロクシアを統べるもの、全ての
魔王候補、
勇者候補に打ち勝ち、真の世界の頂点に君臨することを目指すグザンとその仲間たちである。
そして並み居る敵の後方で、仲間諸共消し飛ばそうと上級魔法の
詠唱に入っていた
魔族に向けて、空を切り裂く矢の如く奔る影。
取り巻き達をすれ違い様に全て斬り伏せ、詠唱を言い終わらないうちに肉薄した
グザンの妖刀と
征剣が閃き、魔族の身体が両断される。
敵の一人一人が手練れであるなら、此方は一人一人が一騎当千の戦神の如く、グザン達は並み居る敵の波を刃で掻き分け突き進む。
……と、破竹の勢いで進むグザンが突如立ち止まる。
ふと耳に聞こえたのは、戦場には似つかわしくないとある音。音楽。
聞こえる方向に目を向けると、地下へと続く長い長い石階段。
駆け下りながら重厚な扉を蹴り開けると、そこは地下にしてはかなり広い空間が広がっていた。
恐らくは元々地下に建設した教会か聖堂であったのだろう。古く薄汚れているが、沢山の長椅子が並び、
縦にも横にも広大に広がる壁や天井には
内なる神の神話をなぞらえた壁画が彩っていた。
その聖堂の奥に、苔生した周囲とは裏腹に一つだけやたらと新しく綺麗な物体があった。
それはロクシアでも非常に珍しい大型のパイプオルガンだった。恐らくはこれも商船などを襲い奪った略奪品であろう。
ロンデ王国等の技術力の高い国で制作されたであろう新品のそれの前に、一人の人物が佇み鍵盤を弾いていた。
刀の切っ先を突き付けながら何者かと問うグザンに、その男は演奏をやめてグザン達に向けて振り返る。
ぞわり――――と、一同の背中に言いようのない嫌な感覚が走る。
振り向いた男の顔には、白磁の様な質感の、眼の穴も、装飾も塗装もない無機質な仮面が張り付いていた。
ダークグリーンの
ローブが天井に点在する
魔導ランプで怪しく照らされ、裾から覗く手は痩せ細りまるで屍の様だった。
男はグザン達をその貌の無い顔で一瞥すると、大袈裟とも言えるような仰々しい仕草で深々と一礼し己の名を名乗る。
暗黒秘密結社ゴルゴーン。旅の途中でグザンも噂で聞いた事はあった。
ロクシアの世界と異なる場所、異質なる空間より存在し其処から来たる
神、
外なる神。
自分とも決して無関係でないその存在を信奉する者たちで構成され、世界の裏で数々の暗躍をする組織があると。
ゴルゴーンは言わばブラックシープの数ある“スポンサー”の一つだと男は言った。
多くの商船を襲い略奪を繰り返すブラックシープの元には世界各地で発掘、発見される
外神に関わる魔導具や神器も集まりやすく、
見つかったそれらを結社が莫大な金額で買い取り、その他にも襲撃後の隠蔽工作や世間への情報操作も行いブラックシープを支援する。
国からの調査での疑いはブラックシープに被ってもらい、代わりに組織の戦力提供にも協力するという関係であり、両組織を仲介する使者が自分であるとも。
つまり貴様も共犯で成敗される存在で良いのだな?とオールスローターの切っ先を突き付け睨むグザンに対し、
貴方様がそう思うのであればどうぞご自由に。と深々と頭を垂れながら仮面の男は愉しげな声で答えた。
次の瞬間、グザン達の背後の扉が独りでに閉まると、見えない何かの力で硬く閉ざされる。
刹那、切り込み隊長たる温羅が駆け、その剛腕に任せて振り上げた
鬼包丁を垂れたままの男の頭めがけて振りおろし――――止まった。
そう、止まった。男の
ローブから除いた骸の様にやせ細った腕が、素手で、片腕で、視線を上げる事もなく、分厚い刀身を鷲掴みにしていた。
温羅の、否、他の仲間たちの瞳が驚愕で見開いた次の瞬間、聖堂に爆音が響き渡り、温羅の身体が石造りの壁に叩き付けられる。
分厚い石壁に彼女の身体の跡がはっきり残るほどめり込み、温羅の口から少なくない量の血がこぼれる。彼女の固く分厚い腹筋が、黒焦げになっていた。
間髪入れず蔦が聖堂を埋め尽くさんばかりに死霊を溢れ返させる。
怨念に満ちた死霊たちが男に向けて両手を伸ばそうとした刹那、男は顔を上げることもなく軽く人差し指を立てる。
そのままクルリと一回しした次の瞬間、まるで水風船が割れるかのような軽快な音と共に、死霊たちの頭が全て弾け飛ぶ。
頭部の無くなった首から勢いよく血が噴き出し聖堂の床を血溜まりにし、それに蔦の吐き出した鮮血が混ざる。
使役する死霊を一度に大量に潰された事で、
怨霊魔術の力が逆流し呪詛返しに近い状態となり彼女の細身の体を打ちのめしていた。
グザンは即座に温羅と蔦の治療を
パッシフローラに指示し、残りの仲間たちに3人の護衛と後ろに下がるよう叫ぶ。
オールスローターとストロンゲストを構え
外神形態を迷わず発動させると、広い聖堂を翼を広げて飛び上がり暗金色の触手を男に向けて伸ばす。
獣の牙を剥き男の体を貪ろうと直進する触手に――――別の、真っ黒な触手が幾本も絡みつきその動きを止める。
顔を上げて立ち尽くす仮面の男。
その背には…どす黒く染まった無数の触手で異形の翼が形成され、臀部には8本の同様の黒い触手が尾として伸びる。
背後には不気味な曼陀羅の様な陣が浮かび上がり、赤黒く発光しながらゆっくりと回転する。
腕にはこれまたどす黒い血管が無数に浮かび上がり脈打っていた。
触手の先端には人間のそれに似た不揃いな歯の口が形成され、ゲラゲラと不快な笑い声を絶えず上げグザンの触手に絡みつき、そして喰い付いていた。
より不気味に、より異形の様相でありながら、その姿はまさに……グザンの
外神形態に酷似したモノであった。
驚愕するグザンを愉快そうに眺めながら、男は顔に張り付けた仮面を指でコンコンと叩きながら話す。
この仮面も、ブラックシープを通じて手に入れた神に纏わる太古の神器であると。
理を超越した混沌の力を人の身で利用すると、おのずと似たような姿になるものですね。しかし貴方の“ソレ”も実に素晴しい。
貴方の
“御母上”によく似て、神々しく、名状し難く、醜く、悍ましく、吐き気がする様な紛うことなき“ バ ケ モ ノ ”で、そんな異形で人々を導く勇者を名乗る…とても皮肉の効いた素敵で滑稽なジョークであると。
これに激怒したのは温羅と蔦の治癒にあたっていた
パッシフローラであった。
自らが信奉する神たる存在、そしてその化身とも言えるグザンの神聖な姿を露骨に侮辱された事に二人の治癒を進めながら彼女が噛みついたが、その二の次を口にする前に男の言葉が先に出て遮る。
そもそも本当に“アレ”が神の枠に収めるモノか?アレの何をどこまで知っている?
貴女の父から教わった物が本当に全てだとでも思っているのですか?この御方の過去を見た事のある貴女ならむしろアレの悍ましさこそよく分かるのでは?
本当はどこかで理解しているのではないですか?“アレ”は神様なんてモノですらない。本当は怖いんでしょう?ア レ も 、こ の 方 も 。
反論すら許さない様な矢継ぎ早に溢れ出る男の言葉の猛攻に、次第に気圧され治癒の手すら止まってしまいそうになる彼女を、
クラッスラがひっ叩いて我に返す。
男が
パッシフローラに語りかけている間にもグザンは己の触手で、刃で、男の黒い触手を断ち切り、引き千切り絶えず攻撃を加えようとしていた。
だが断ち切られた触手はグザンのそれよりも遥かに早い速度で再生してはグザンの追撃を阻みその身の手を、足を、肉を少しずつ戯れるように食い千切っていた。
つまり、男はグザンの
外神形態の猛攻を片手間に捌きながら
パッシフローラを嘲笑していたのだ。
そして遂に黒い触手は幾重にも分裂し暗金色の触手を完全に多い尽くし、グザンの動きを封じ床に縫い付けてしまった。
この力を使えば、こんなことも出来るんですよと男が嗤うと、次第に男の触手がグザンの触手に喰い付いたままその箇所が徐々に同化していく。
己の五感が目の前の男のモノと溶け合うかの様などうしようもなく気持ちの悪い感覚に、いよいよグザンの脳裏に焦りが浮かんできたその時……
突然男の手から、腕から、首から、体のいたる所からどす黒い、血と呼ぶにはあまりに穢れ、悪臭漂う液体が噴き出し始める。
おやおや。と男はまるで散歩中に雨でも降ってきたかのような反応で困ったように肩をすくめると…次の瞬間、まるで糸の切れた人形のように男は倒れ伏す。
悪臭と共にグザンを抑えた触手が溶け崩れていく中、グザンが起き上がりトドメを刺そうと剣を構えたが…男の身体に、既に命は感じられなかった。
酷い悪臭を残しながら触手が黒い泥とも墨とも言い表せない黒い液体に変わるのを見ながら、先程までの窮地とは裏腹にあっけない幕切れに、
外神形態からの大幅な体力の消耗に息を切らしながらグザンは険しい顔で男の死体を用心深く見つめた。
そしてゆっくりと近づき、その顔に張り付いた白い仮面を一思いに引き剥がす。
自らを、自らの仲間たちを追い詰めた男の素顔は…拍子抜けするほど、普通だった。
厳めしい訳でも歴戦の傷だらけという訳でもなく、どこにでもいそうなやや顔色の悪い痩せこけたただの中年の男だった。
その目は虚ろに空を彷徨っていたかの様に焦点が合わず、口からは体から噴き出したものと同じ黒い液体と大量の涎、舌はべろりとだらしなく垂れて黒ずんでいた。
強者の死に顔というのは必ずしも壮絶で威厳ある者であるとは限らないが……それでも、グザンは腑に落ちなかった。
そして、手に持った白い仮面に目を向ける。
男は言っていた。この仮面にも自分の
“母”と同類の、
外神の力が宿っていると。
ならば、あの悍ましいまでの邪気の出所はむしろ此方か?
利用できる力なら良いが、実際にその身に感じた者としては、はっきり言ってあまり良い活用法は浮かばない。
まだまだ敵は多い、他の者に渡る前にここで叩き壊しておくか?
と、まじまじと仮面を見つめながらグザンが思考している間に、蔦たちの治療が終わり彼女たちがこちらに駆け寄ってくる。
特に傷を負った二人と
パッシフローラは情けない姿を晒した事、相手の戯言に惑わされ己の役目を放棄しかけた事をいち早く主君に詫びようとしていた。
……それ故に、仮面を見つめていたグザンの険しい目つきが、一瞬呆けるように緩んだかと思った刹那。
まるで当たり前かのようにその仮面を自分の顔に被せた主君の姿に…
先程の男と同じく、糸の切れた人形の様にその場に倒れ伏した主君の姿を頭が理解するのに、幾ばくかの間が必要だった。
蔦たちが悲鳴にも近い声を上げようとしたその瞬間、先ほどまで硬く閉まっていた扉が突然開け放たれ、大量の敵が雪崩れ込んできたのだった。
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そして、グザンの意識は“深淵”へと堕ちる。 |
グザンが目を覚ますと、自身が異様な空間にいる事に気付いた。
白い。どこまでも無限に広がっているかのように続く、白い、白い、とにかく白しかない白紙の様な空間に立っていた。
『はじめまして、“母なるもの”の落とし仔よ。遊ぶだけならさっきので充分だったのですが、やはりまだ貴方に興味がありまして』
不意に背後から聞こえた声に振り替えると、そこには銀髪碧眼の、まだ幼い顔つきの少女が静かに微笑み佇んでいた。
幼くも端正に整った顔であどけない笑みを浮かべ、一見すればその愛らしさに多くの人々を魅了しそうな少女だった。
しかしグザンはその愛らしさの仮面の下に隠された、先ほど戦った男と全く同じ、どす黒い悪意に満ちた果てしなく“嫌な気配”を如実に感じ取った。
すぐさまグザンは臨戦態勢に入る。
気付けば手にはオールスローターは無くストロンゲスト一本だったが、それでも真っ直ぐに切っ先を少女に向けて再度外神形態を発動しようとしたが……
いくら気を集中しても己の 神力を感じる事が出来ず、発動に必要な力を練る事が出来なかった。
その様子を眺めながらクスクスと可笑しそうに笑う少女。
そして微笑みながらグザンに問いかける。
『貴方は 自らの母を知りました。自らが 人ならざるモノであることを知りました。そしてそれを受け入れました。だけど本当に良いんですか?』
何をいまさら。自分の生まれが何であろうと関係ない。
私には理想がある。大義がある。
中途半端な正義と悪にまみれ、混沌に満ちたこのロクシアの天下を平定し、泰平の世を作る。
それを成す為に力が必要であるならば、この世ならざる神の力であろうと関係ない。
利用できるもの全て己の力として覇道を進む。
例えこの身が人でなくとも、私は既に狗山座敷郎という人間を形作れる確固たる“己”があるのだから。
『それは素晴らしい。では貴方の願いどおり、名状しがたき神の力、悍ましき神の血筋、“貴方の血の呪い”、どうぞ望むままに』
微笑む少女がパチンと指を鳴らしたその瞬間、グザンの身体から再び暗金色の 神力が取り戻される。
……その身から溢れ出て、止めどないほどの莫大の量の神の力が。
グザンに本来制御しきれる容量を一瞬にして振り切り、背から伸びる触手は幾重にも分裂しながら枝分かれしグザン本体をあっという間に覆い尽くし、後光の八葉は眼が眩むばかりの金色の光を撒き散らす。
両腕は肉が肥大化しストロンゲストごと呑み込みながら歪で長大に引き伸ばされ、両足も溶け合いながら肥大化し巨大な海鼠じみた形へと膨らんでいく。
無数に分裂し続ける触手は何重にも絡み合い、口が、目玉が、舌が、耳が、出鱈目に生えては意味もない言葉とも叫びとも取れない不快な音を喚き散らす。
濁流のように溢れ出て止まらない神力の奔流に混乱し掻き消えそうなグザンの意識に、少女の笑い声が……本当に愉しそうな笑い声が聞こえる。
『ここは私の世界であり貴方の世界。貴方の最も深い心の場所。無意識の底に沈めた恐怖を描き出す無限に広がる白紙のキャンバス。
貴方は自らのハジマリを受け入れました。イマを受け入れました。だけどオワリの可能性は?本当は気付いていたはずですよね。
自分に流れる圧倒的な神の力に、人としての自分はいつまで持ち堪えられるのだろうかと。理想も、夢も、大義も、己も、
いつかあっさりと呑み込まれて、後にはもう何も残らない。残るのはもうバケモノとしての自分しか残らないのではないかと。
さっき遊ぶのに使った彼、わざと貴方の姿に似せて戦ったんですよ。まるで鏡で己の姿を見るかのように。彼と戦う貴方の眼、
ちゃんと、バ ケ モ ノ を 見 る 目 を し て ま し た よ 。 自 分 も 同 じ な 癖 に 。
それで 私の 力に耐えられなくて、自壊していく彼の姿を見る貴方の眼……ちゃぁんと 怖 が っ て ま し た よ ね 。 』
頭の中に、心の奥底に、否応なく沁み渡ってくるかのように少女の言葉が何度も何度も木霊し響き渡る。
否定しようとした。そんなわけがないと。
しかしもう声が出なかった。
ただ幾つも生えた口からは支離滅裂な絶叫しか垂れ流さなかった。
気が付けば、真っ白な世界はいつの間にか色鮮やかに彩られ、 沢山の桜が咲き誇り、多くの人々が行きかうどこかで見たような景色に変わっていた。
何処だっただろうか。思い出そうとしたが……思い出せない。
ただただ溢れ出る暗金色の神力の奔流に意識がボンヤリとして薄れていく。懐かしいけど気のせいかもしれない。
何時しか視界に映る人々は皆空を見上げ、自分を見ていた。自分を見て叫んでいた。
逃げまどい、泣き叫び、刀を手に狂ったように振り回していた。うるさいから手を伸ばして潰してみた。簡単に潰れた。おもしろい。
そのまま何度も何度も手を伸ばして潰してみた。手で払ってみた。つまみ上げて落としてみた。食べてみた。たのしい。
『己が頂点に君臨し世界を統べるという貴方の願い。神の力を極めなければ至れないその願い。それは叶うと約束しましょう。
貴方の先見と聡明は盲目白痴に変わり、溢れ出る神力で膨張と収縮を繰り返し、混沌に満ちた世界で自らが煮えたぎる混沌の核となり、
全ての生きとし生ける者は皆同じ思考に染まり世界は一つに纏まるでしょう。貴方という“白痴の魔王”への恐怖と絶望によって』
手を伸ばした。刀で指を斬られた。痛くなかった。
叩き潰そうと思った。手を振り上げた。
振り下ろそうと思ったら、他にも人がいた。
…女の子だった。他にもいた。
みんな女の子だった。なんだろう、欲しい。すごく欲しい。なんでだろう。
振り下ろすのをやめてまた手を伸ばす。あぁ、でも駄目だ。きっと潰してしまう。
それは嫌だ。なんでだろう。でも欲しい。でも…
大きな大きな手を伸ばす。大きな大きな手で女の子たちを掴もうとする。
あぁ、潰れる。潰れる。やだ。つぶれる。つぶれ
「狗山様」
――――――刹那、世界は、白紙の白に戻っていた。
滝の様に汗を流し、肩で荒く息をする外神形態のグザンの手には、輝く征剣が握りしめられ……
その剣先は、驚きに目を見開いた銀髪碧眼の少女の顔面に突き立てられ、縦に叩き割っていた。
貴様の言うとおりだ。私は、まだ怖かったんだろう。
自分がいつか自分でなくなるかもしれない事に。
理想も信念も消え去り狗山座敷郎という人間が消え去る己の末路に。
外神形態となったあの男の姿が、自分を鏡で見たかの様に……その異形に、恐怖を感じた事も。
己が母と同じ存在と成り果てる事への恐怖が…自分の心の奥に秘めた恐怖が先程見たあの光景ならば…他ならぬ自分の心ならば。
そこから私を引き戻してくれたあれらが…私を一人の狗山座敷郎として受け入れてくれた私の妻たちが、私を私として繋ぎ止めてくれる楔なのだ。
私はもう自分一人だけで自分自身を確立している訳じゃない。
人としての私を受け入れてくれた沢山の者達がいる。
私を人として育ててくれた 父がいる。どんな絶望にも逃げず立ち向かう父がいる!
人の私を愛してくれた妻たちがいる!私が私として愛した女たちがいるんだ!
まだ敵との戦いの最中なんだ…妻たちが待っているんだ!私が進む理想も大義も絶対に消させはしないッ、私の夢の為に、私の夢を支える者達の為にッ!!
こんな“決まってもいない未来”などという貴様の気色悪い夢に浸っている暇など無いのだッ!! 消え失せろ悪神ッ!!!
『██████████████████████████████████████████████████████!!!!』
気迫と共にグザンが吼えた瞬間、少女も…否、『闇』が咆哮した。
叩き割られた少女の顔面の断面からあの悪臭に満ちたどす黒い液体が溢れ出し、真っ白な世界を瞬く間に黒く塗り潰していく。
己の身体から出る暗金色の神力の輝き以外に一切の光の無い暗闇に包まれる。
否、次の瞬間、グザンの頭上に闇の中で尚赤黒く燃え上がる巨大な三つの眼が見降ろしていた。
『██████████████████████████████████████████████████████████████████████████!!!!!!!』
少女のものでも、女のものでも、男のものでも、老人のものでも、獣のものでもない。
またはそれら全てが出鱈目に混ぜ合わされたかの様な大音量の絶叫。
悪意に満ちたどす黒い 神力の津波がグザンを呑み込もうと迫り来る。
グザンもまた、渾身の力を込めて神力を振り絞り叫ぶ。
漆黒と金色の力の奔流がぶつかり合い、溶け合い、反発し合い――――閃光として、爆ぜた。
『…ならば、せいぜい足掻いて見せるがいい。その血の呪いは何度でも立ち塞がり貴様を蝕み貪るだろう。
貴様のその滑稽な決意の先に、自らと世界に何をもたらすのか…この深淵から、常に見ているぞ―――』
意識が光に消えていく寸前に聞こえたその声は……最後まで人を小馬鹿にした様な、愉しげな笑い声だった。
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ガシャドクロが押し入る敵を5,6人纏めて薙ぎ払う。
次々と召喚した天使たちでとにかく物量で押し返す。
グザンが意識を失っている間、大聖堂には変わらず嫌になる程の数の敵が次々と雪崩れ込んでいた。
大きな廃城だったとは言え一体何処にこれほどまでの人員が押し込められていたのか。
グザンの手をぎゅっと握りしめたまま、蔦がグザンの名を呼び続ける。
顔に張り付いた
白磁の仮面は、温羅の力で全力で引き剥がそうとしてもまるでビクともせず、
危うく主君の首ごともぎ取りそうになり苺の静止でなんとか止まったものの、グザンを護りながらの戦闘は徐々にではあるが押され始めていた。
そもそも仮面が外れたとしてもグザンの意識が戻る保証もないのだが、それでも彼の妻たちは彼が必ず戻ってくると信じていた。
しかし、いよいよ前衛で戦っていた
ガシャドクロが実体化を維持できなくなり、天使たちも魔族の高威力の闇魔法を立て続けに晒され続け羽を燃やし落ちていく。
全員の顔色に焦りが出始めたその時――――突如、グザンの身体から迸る暗金色の光と共に、高速で伸びた触手が次々と敵を突き刺し、打ち払い薙ぎ払う。
叫びと共に、顔に張り付いた仮面に大きく縦一文字のヒビ割れが走ると同時に、勢いよく飛び起きたグザンの顔から外れ真っ二つに割れて床に転がった。
飛び起きた勢いそのままに妖刀と征剣を握りしめ入り口付近に固まっていた敵へ真っ直ぐ突っ込み神力を込めた刀身を振り抜くと、文字通り扉と石壁ごと粉砕する。
すまん、性悪な化生の下らん戯言に付き合っていたら少し遅れた!まだ行けるかお前達!?
自らを守り続けた妻たちを今度はその伸ばした触手で庇いながら、グザンは彼女たちに向けて問いかける。
その言葉に、パアっと顔に輝きを取り戻した彼女たちも、当然の如く立ち上がりその目に闘志を燃やす。
妻たちのその顔に満足げに頷くと、古城の最上、通常玉座と謁見の間があるであろう場所から突然膨大な魔力の光が噴出する。
先ほど戦った仮面の男にも匹敵…いやそれ以上かもしれない圧倒的な禍々しいエネルギーが噴き出る場所に、
次々と目先の敵を倒しきったと思わしき他の勇者候補たちが向かっていく。恐らく、あそこに
この犯罪ギルドを統べる首領がいるのであろう。
ならば、自分もこんな有象無象どもに時間をかけている暇はない。
全ての頂点に立ち、このロクシアを平定する。自分の夢を、自分を信じてくれる者達の夢の為に、
彼は一片の迷いなき瞳で冒険者達の向かう先を見据えたのだった―――
ブラックシープ商会の壊滅後、グザンは真っ二つに割れたこの仮面を回収し
ギルドへの報告と共に提出した。
仮面は魔導の研究施設へと送られたが、既にグザンが報告する様な
魔力や
神力は一切感じられない為実質ただの未知の物質で出来た壊れたお面でしかなくなった。
今後の研究の為に現在は研究所の奥深くに保管されている。
なお、この一件以降、グザンはより己の力を制御できるよう更なる鍛錬に没頭するようになり、
今作戦で同行したとある勇者候補の勧めから強大な魔物が多数生息し同じく多くの
力の求道者が武者修行の地とする
デルモンガ島へと向かう事にしたという―――
関連
最終更新:2022年05月18日 20:08