「……タ」
誰かに、呼ばれたような気がした。だが、止まぬ雨に物音を聞き違えたのか、それとも単なる気のせいか、とジョルナータは気にも留めずに走り続ける。
彼女は急いでいた。移植した『腕』が馴染みきるまで、少しでも距離を稼ごうとしていたからだ。
既に10分近くが経ち、その目的はかなり達している。馴染みつつある『腕』は確かに切り札となりえよう、だが切り札を活かすためにはそれ相応の条件が必要だ。
本能が命じるまま、判別もつかぬ条件を整えるためジョルナータは走る。が、再びの声がジョルナータを止めた。
「ジョルナータ……」
声は、頭上から聞こえる。空を仰いだジョルナータは、だが驚かなかった。夜空に浮かぶステッラの魂にさえ、もはや眉一つ動かそうともしない。
ステッラの死は当に予想していたし、そもそも彼女の凍てついた心を動かすものなどもはやこの世に存在していなかったからだ。
「…………そう、やはり敗れたのですね」
ポツリと呟いた言葉は、事実をただ淡々と受け止めていた。
変わりきった少女の面構えを、魂は見下ろす。額髪に隠れて瞳が十分に映らないのは幸いだったのか。
「気をつけろ、やつは『時の流れの外』から襲いかかる……」
ジョルナータは答えようともせずに、ただこくりと頷く。相手がどんな能力であろうと、戦う覚悟はできていた。
無言の少女へと、魂は名残惜しげな視線を向けて上昇していく。それが、遂に雲の彼方へと消えようとした時になってようやく少女の口がかすかに動く。
「了解しました。やつは私が必ず倒します。ストゥラーダさんが得た『矢』、ウオーヴォさんのくれた命、ベルベットさんとあなたが稼いでくれた時は、無駄にしません」
その返答に、ステッラは微笑み、上昇の速度を速めていく。
「頼むぞ、ジョルナータ……。お前が俺たちの、最後の希望だ……」
落ちていく声だけを残し、ステッラが昇天する。その様を目に焼き付け、天を仰いでいたジョルナータであったが、やがて彼女は狂ったようにけたたましい笑いを浮かべる。
「希望? 希望ですって! アハハハハ、なんて悪い冗談なんですか! 私に残るは、もはや絶望だけですってのに! そんな女を、言うに事欠いて『希望』ですって?
……ホント、なんて冗談。くだらない、本当にくだらない!」
額をわしづかみにして、ジョルナータは狂ったように笑い続けていた。いや、既に狂っていた。
が、狂女の笑いは、やがて治まる。足音が聞こえた。
「ボスが仰っていたのはあの女だ、殺せ!」
雨にかき消されつつも聞こえてきた声と、走ってくる黒服の男たちに、ジョルナータはすぐに事情を察した。
どうやら足止めのつもりなのか、ボスは残るギャングを総出で放っていたらしい。
が、その光景にジョルナータは知らず笑みを浮かべた。今こそ解った、求めていた条件とは、これだったのだと。彼女は知っていた、己が新たなる能力を。
「インハリット・スターズ……、いいえ、こう名付けておきましょうか。インハリット・スターズ:エンドゲーム・エニグマ……。出番が来ましたよ」
背後に現したおぞましい姿を連れ、ジョルナータは一歩影へと踏み出す。少女の姿が闇に溶けた。
「身を隠したか……、だが逃がしはせん。標的は必ずこの付近にいる、散開して探せ!」
頭分の男の命令に合わせ、ギャングらが四方に散っていく。直後、阿鼻叫喚の光景が現出した。
ある組は、曲がり角に消えていく踵を目にし、足を速めた。
角を曲がった男たちが見たものは……女の足ただそれだけ。もし、膝から下だけが独立して飛び回っていくのを人の足と呼べるのであればの話だが。
「なっ!」
瞠目する彼らの前で、足は蠢き、やがて出来の悪い恐怖を具現化した。
足に、脚が生える。表面の肉が抉られるようにめくれあがっては、蜘蛛のような毛むくじゃらで節くれだった脚と変わっていき、次いで突き出ていた骨の先端が眼球へと変化していく。
金のかからない三流ホラーも同然の陳腐な変化であったが、男たちにとっては笑い飛ばすことさえできない。なぜなら現実だから。
現実とは認められないおぞましい光景に、自制心を失ったギャングたちが、反射的にスタンドを発現させた瞬間、それは起こった。
シュルリ、と音を立てて背後から伸びたコードが彼らの首に巻きつき、ゴキャリ! 恐ろしいほどの力で頭部を捻じり切っていく。
彼らが最後に目にしたのは、闇夜に光る眼と、コードを生やした一本の腕……。
また、ある組はこんな死にざまを迎えた。彼らは、突如聞こえた笑い声に、吸い込まれるように一本の路地裏へと足を運んだ。
その先で彼らが目にしたのは、長く伸びた血管をロープに、パイプから釣り下がっている女の生首であった。
生首は男たちを見るや笑いをおさめ、
「バァ!」
舌とともに口から何かを吐き出した! ゾブリ、と音を立ててそれは一人の男の眉間を貫いた。手に提げていた銃器を構えることすら間に合わなかった。
生首の口から飛び出したのは、ホラー映画の怪物が特徴とする二重の顎そのものであった。
その光景に恐怖し、思わず飛びずさろうとしたギャングたちを、金切り声を立てて灼熱が襲う。
ハチの巣になった男らが最後に目にしたのは、最初に死んでいた男が持っていたサブマシンガン、それにコードが付きたてられている光景。
生首だけとなったジョルナータは、死体を見下ろしながらひとりごちる。
「どうも、エンドゲーム・エニグマはスタンドパワーを多く消費してしまうのが悩みですねぇ。肉体の表面を骨化させたりするには、体内の成分では賄いきれませんし……」
左右に頭を揺らしながらしばし考えていたジョルナータであったが、やがて唇の端を吊り上げ、なんだ、と呟いた。
「なんだ。エネルギーや成分が足りないのなら、補充すればいいんだ」
つまるところ、ジョルナータは肉が好きであった。それも生に近いものが。
「はぁ……、はぁ!」
頭分の男は、一人足を速めていた。訳もわからぬうちに、訳もわからぬものによって部下たちが皆殺しにされるのを見れば、誰だとて逃げるであろう。
(あれは、女じゃない! いや、人間ですらない! もっとおぞましい何かだ!)
先ほどから思考は同じ事ばかりリフレインしている。彼は、自分が今何処にいて、何に向かって逃げているかもわからないまま走り、角を曲がり、そして。
広がった一枚の大きな皮と出くわした。それは、「いただきまぁす」と間延びした声を上げると、ブワリと男を包み込む。やがて、男の絶叫と何かを咀嚼する音が響き渡り、すぐに止んだ。
いつしか、そこには一人の女が立っていた。多量の肉を醜くだぶつかせた女、いやジョルナータは唇をねっとりと舐め回し、
「足りない、こんなんじゃ。もっと多く必要……」
不満そうにため息を漏らす。直後、死が一面に広がった。
それは、洪水のように周囲に広がっていった。下水管を伝って伸びる血管が、道いっぱいに広がっていく肉の津波が、ローマの街を汚染していく。
そして、災厄は貴賤を問わず全ての生き物へと広がっていく。肉を喰らうにつれ、都市を染めていく速度は増していき、やがてそれは首都を完全に包み込んだ。
「これは、どういうことだ……」
極彩色の『時の外の世界』を舞いながら、ドゥオーモは不興げに呟いた。
彼の視線の先にあるのは、醜い肉の塊がローマの市街を埋め尽くす光景であった。肉塊の表面が波打ち、巨大な目と変わっていく。
それは、時の流れから逸脱したドゥオーモが空を舞うのを追って視線を動かした。周囲に生えた肉の触手がゾワリと動く。
「見えている、というのか……。何にせよ、気に食わん」
使用させていただいたスタンド
No.3342 | |
【スタンド名】 | インハリット・スターズ:エンドゲーム・エニグマ |
【本体】 | ジョルナータ・ジョイエッロ |
【能力】 | 自身とその影響下にある『肉体』と『精神』を思うがままに支配する |
当wiki内に掲載されているすべての文章、画像等の無断転載、転用、AI学習の使用を禁止します。