タイパルーナ村


概要

 タイパルーナは、セトルラーム共立連邦・惑星ギルマリス・エミレユスト公国の東方、ジルバナール大陸北部に位置する辺境の村だ。共立公暦1000年時点で、かつて宇宙新暦時代に軍需工業の大都市として栄え、人口350万人を数えた歴史を持つ。新秩序世界大戦の終結以降、共立時代に広大な土地を活かした農業地として復興し、現在は往時の巨大な遺構群と自然環境を基盤に、癒しを求める観光客が集まる場所となっている。村の中心には静かな川が流れ、木造家屋と果樹園が広がるが、周囲には摩天楼の残骸や地下工場の廃墟が点在し、過去の繁栄と現在の穏やかさが共存する。現在の人口は約1600人で、住民は遺構と自然を活かした暮らしを営む。

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歴史

 タイパルーナの歴史は宇宙新暦時代に始まる。宇宙新暦3150年頃、エミレユスト公国が連邦の軍事戦略の要となると、タイパルーナは軍需工業の中枢都市に指定された。市域は60平方キロメートルに及び、地下15階層の工場群が建設された。宇宙艦の船体やエネルギー兵器の生産が主で、宇宙新暦4450年の最盛期には年間120隻の中型艦艇を製造した。高さ250メートルの「中央工廠タワー」を中心に摩天楼が立ち並び、技術者や軍関係者で賑わう大都市だった。宇宙新暦4500年。新秩序世界大戦が終結すると、生産拠点の首都星移転に伴い軍需需要が途絶え、工場は閉鎖。宇宙新暦4650年までに人口は40万人に激減し、摩天楼は放置され、地下施設は崩落が進んだ。大都市は廃墟と化し、共立公暦0年、改暦セレモニーを迎えても状況は変わらず、細々と暮らす住民が残るだけだった。復興の兆しが見えたのは共立公暦300年。公国政府が「共立辺境復興計画」を発動し、タイパルーナに農業振興の支援を投入した。旧市街の跡地が農地に転換され、共立公暦500年頃には果樹栽培が軌道に乗った。共立公暦800年以降、遺構が観光資源として整備され、1000年時点では大都市の遺産と農村の静けさが融合する場所として確立している。

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文化

 タイパルーナの文化は、宇宙新暦の大都市時代と共立公暦1000年の農村生活が交錯して形成されている。「中央工廠タワー」は半壊した鉄塔として村を見下ろし、基部は住民が修復して展望台に変えた。毎年秋の「タイパルーナ収穫祭」は最大の行事だ。リンゴや梨で作った菓子、穀物から取れたスープ、遺構の金属片を使った装飾品が並び、夜にはタワーから放たれる光のショーが川面を照らす。祭りは旧市街の「第一広場」で開催され、かつての繁華街が一時的に活気を取り戻す。自然との共生も文化の核だ。春には旧公園跡に植えた「パレミナ樹」の花が咲き、夏には川沿いの遺構で子供たちが遊ぶ。秋には果樹園での収穫体験、冬には雪に埋もれた遺構を巡る行事が行われる。「遺物工作体験」は観光客に人気で、工場跡から出た機械部品やガラス片を使い、ランプや彫刻を作る。旧市街の壁には住民が描いた絵や詩が飾られ、廃墟に温かみを加える。共立公暦1000年には「タイパルーナ民謡」が生まれ、収穫や遺構をテーマにした歌が村で歌い継がれている。

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政治

 タイパルーナはエミレユスト公国の管轄下にあり、共立公暦1000年時点で村長と議会が行政を担う。現在の村長はマリーナ・テルヴェストで、リンゴ農家の4代目だ。彼女は大都市時代の遺構を保存し、癒しと自然をテーマにした観光地化を進める。村議会は9人の住民代表で構成され、毎月第4緑曜日に旧市庁舎の遺構で会議が開かれる。議題は遺構の維持、農地の拡張、観光振興が中心で、住民は自由に参加して発言できる。公国政府からは「共立自然再生計画」と「遺産保全計画」の補助金が支給され、農地の灌漑や遺構の修復に使われる。フリートン政権(連邦政府)の施策で共立公暦600年には遺構の撤去案が出たが、住民投票で「保存」が賛成80%を獲得し、現在の方針が固まった。共立公暦1000年時点で、観光客の増加に伴い、遺構周辺の歩道整備や宿泊施設の拡充が課題だ。議会は外部企業と連携し、「第二遺産公園」の開設を計画中。住民の結束は強く、過去と未来を繋ぐ意識が政治を支えている。

経済

 タイパルーナの経済は共立公暦1000年時点で、農業と遺構を活用した観光業に依存する。旧市街の農地ではリンゴ、梨、小麦、トウモロコシが栽培され、「タイパルーナ・ゴールデンリンゴ」は年間80トン生産される主力商品だ。市場では果実酒やジャムも売られ、連邦各地に出荷される。観光客向けには「果樹園ツアー」が用意され、春の花見、夏の川遊び、秋の収穫、冬の雪中散策が人気だ。旧市街の倉庫跡を利用した市場は、週末に600人以上を集める。遺構群は経済の大きな柱だ。「タイパルーナ遺産公園」は地下工場と摩天楼の廃墟を整備した施設で、1日5回のガイドツアーが開催される。中央工廠タワーの展望台からは村全体が見渡せ、地下工場では当時の製造機械が展示される。共立公暦1000年の観光客数は年間12万人で、旧市街の宿泊所20軒は満室が続く。遺構から発掘された部品を使った工芸品や、地元食材の料理を提供する店も繁盛している。経済は自給自足に近く、遺産公園の収入が修復費に充てられる。共立公暦1000年時点で、観光需要の増加に対応し、遺構の拡張や新たな加工場の建設が進行中だ。

エピソード

 タイパルーナはメレザ・レクネールの故郷として知られている。メレザは宇宙新暦2602年にタイパルーナで生まれ、当時は航空宇宙軍府が統治する軍需工業の大都市だった時代だ。レクネール家は名門貴族で、両親は「中央工廠タワー」の技術者として働いていた。メレザは幼少期を工廠近くの住宅区で過ごし、厳格な軍事統制下で育った。彼女が13歳の時、父親の造反計画が発覚し、一族から引き離されたメレザは軍の保護下に置かれ、タイパルーナの少年学校で学んだ。この時期、彼女は「パレミナ樹の広場」でよく遊んだとされ、その記憶は後の人生に深い影響を与えた。宇宙新暦2615年、市民暴動に乗じてタイパルーナから脱出したメレザは、空港でヴァンス・フリートンと遭遇。保護されたものの、故郷を離れるきっかけとなったこの事件は、彼女の心に深い傷を残した。

 宇宙新暦4500年の新秩序世界大戦終結後、タイパルーナが衰退する中、メレザは逃避行を続けた。共立公暦300年の「共立辺境復興計画」が始まると、彼女は匿名で資金を提供し、「パレミナ樹の広場」の再整備を支援。かつて自分が愛した樹が復興の象徴として残ることを願ったとされる。共立公暦1000年時点で文明共立機構の常任最高議長を務めるメレザは、タイパルーナを「私の魂の故郷」と呼び、たびたび訪れている。「タイパルーナ遺産公園」の開設式典では、幼少期に描いた「パレミナ樹」のスケッチを寄贈し、旧市庁舎の遺構に展示された。彼女が母から教わったリンゴ菓子のレシピを基にした「スターダスト・ウィスパー」は、村の名物として観光客に愛されている。メレザは故郷の静けさに癒しを見出し、「タイパルーナの風景が、私に平和への決意を思い出させてくれる」と語っている。住民の間では、彼女が幼少期に川辺で遊んだ話や、暴動前に家族と過ごした家屋の跡が語り継がれており、観光ガイドの一部にもなっている。

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地域
最終更新:2025年04月07日 16:30

*1 作:PixAI

*2 作:PixAI

*3 作:PixAI

*4 作:PixAI