アウラの唇が、震えながら言葉をこぼした。
視界に映る天秤の皿は、無情にもフリーレン側へと振り切れている。
魔族にとって魔力は「尊厳」そのものだ。それが自分よりも遥かに格下の、ただの「エルフの小娘」だと思っていた存在に圧倒されたという事実は、アウラの魂を根底から揺さぶった。
アウラの脳裏を、これまでの自信に満ちた数百年が駆け巡る。
七崩賢として君臨し、数多の人間を、騎士を、魔法使いを、その魔力で屈服させてきた。
その全てが、この一瞬で砂の城のように崩れ去っていく。
「そんな……。私は、五百年以上生きた大魔族なのに……」
絶望が、冷たい汗となって背中を伝う。
目の前のフリーレンは、相変わらず無表情だった。
怒りも、嘲笑も、勝利の悦悦もない。ただ、害虫を駆除するかのような、淡々とした無機質な瞳。
今や、支配の呪縛はアウラ自身の身に食い込み、彼女の意志をがんじがらめに縛り付けていた。
「…………」
静寂が、戦場を支配する。
フリーレンが、ゆっくりと口を開いた。
その声は、アウラにとって死刑宣告よりも重く、冷ややかに響いた。
「アウラ、自害」
「ひっ!!」
「……あー、やっぱいいや。──」
「──アウラ、君は哀れだ。いい年して天秤遊びなんて。友達がいないから、そんなことして時間を潰してるんでしょ。可哀想。もう命令とかしないよ、見てられない。気の毒すぎる。魔族ってみんなこんな感じなの? 友達作れ、って命令してあげてもいいんだよ。コミュニケーションの楽しさを知らない人生なんて、本当に不憫だね。あ、人生って言ったけど、君たちは人間じゃないんだったね、失礼。リュグナーだかリーニエだか忘れたけど、あれも結局友達じゃないんでしょ。みんな死んだ目をして、常に葬式みたいな空気だもん。会話だってどうせ本音じゃない。かわいそう。なんだろうね、動物のほうがまだ、もう少し素直に生きてる気がする。言葉も話せないアナグマですら自分からアプローチして異性と交尾するのに。気の毒な生き方。仮に君がご飯を作って、相手に『おいしいよ』とか『うまいなアウラ』とか言われたとしても、全部『どうせ嘘なくせに……』って心の底で思っちゃうんでしょ。根暗な人間よりもよっぽど傷ついてそうな人生だね。すごいよ、もう神様ですら慈悲を与えない、ただの哀れな高知能生物」
「ちなみに私も人間じゃないけど友達いるよ。そりゃ陰では悪口言われてるかもだけどちゃんと定義としては友達だから。……それに比べて、君はどうなんだろうね。その鎧の人たち。あれ、友達なの?違うよね。何の関係性もないただの肉人形。互いにそう思ってないなら、それは友達じゃないよ。てか操ってるだけだし。てか生きてないし。てか臭いし。それが精いっぱいの友達だなんて、コミュニケーション能力が低くなりそうで怖くなっちゃう。よくここまで会話できたね。あ、そっか。君にはリーニエとリュグナーと、あと名前も知らないどうたらこうたらっていうお友達がいるんだもんね。ごめんね」
「……あれ?その顔。命令してほしいの?面白いね、奴隷以下。奴隷ですら心の底から命令望んでるわけじゃないのに。もし私が“死ね”って言ったら、君はそのまま従うの?うんステレオタイプなダサい上司みたいなこと言うけど、君は命令しても死なないよね?あ、死ぬよね。まぁだからなんだって話だけどね。じゃあ適当に命令するから、明日から山で木の実でも食べてその日暮らししてれば?もう何でもいいんだよ魔族なんか。時間の無駄だし。何言っても理解できないでしょ?ロボトミーされてるみたいなもんだから。かわいそ。流星群見てもキレイとか思えないんだね。達観してるわけでもないのに斜に構えさせられるとか私なら自害する。あ、命令が欲しいんだっけ?じゃあ……友達、作ってみたら?これでいい?」
「は? 友達の作り方? 普通に、誰かに言えばいいじゃない。『友達になって』って。でも、たぶん君には難しいと思う。見た目も怖いし、性格もこんなだし。上手くいかないことのほうが多いんじゃないかな。でも、少しは可能性があるかもしれないよ。子供とか、あまり深く物事を考えない相手とかなら。あ、言っておくけど、動物で妥協するのはなしね。それはペットだから。友達じゃねえから。ペットを家族とは呼んでも、友達って呼ぶ人はいないでしょ。わかる? つまり、リーニエに『友達になって』って言うのは禁止。あの子は動物だから。変なところで努力を諦めるのは許さないからね、たぶん誰かが。私は知らないけど。じゃあ、頑張って幸せな日々を送って。私がハンバーグにケチャップかウスターソースかで悩んでるころ、涙で枕濡らしてなよ」
フリーレンはそう言って、背を向けた。
「あ、忘れてた」
「え」
かと思いきやである。
夜はまだまだ終わらない。
「ついでに聞きたいんだけど。なんで魔族って人を殺すの? ……まあ、聞かなくてもだいたい分かるけどね。一応、確認したかっただけ。あー、やっぱ答えなくていいや。どうせドライなこと言えばウケると思ってるんでしょ? どうせ殺した数を仲間内で自慢するためでしょ。いや、仲間というか……動物同士で。俺は何人欺いたぜ、すげー! いや、あたしは何十人よ! うおおお、やばいやばいやばい!……とかさ。どうせ暗い森の中で焚き火でも囲んで、そんな話をしてるんでしょ。マシュマロとか焼きながら。素敵だね、一切の感情がこもってない自慢話。美味しいとも思っていない焦げ目をハフハフしながら食べて、キル数だけでドヤ顔してるんだ。それ、もう義務だよね。ただやりました、はい終わり。何が楽しいの? 全く分からない。一応言葉が話せるんだから、そのチンケな自慢披露大会をしてるときの気持ちを言語化してみなよ。笑ってあげるから。コーヒーに焼いたマシュマロを入れて、義務同然の味変をしたときに何を思ってたのか。それは純粋に知りたいな。……なぜかって? 君には答えられそうにないから」
「あと、ヒンメルはもういないじゃないって言ったとき、正直面白かったよ。それは決して君のユーモアを賞賛してるわけじゃない。まず、その時の顔ね。それはさておき、『死』を使えば人間は効くなんて共有してる君たち魔族の浅はかさが笑えた。言っておくけど、人間どころか毛皮だって、同種が死んだら悲しむよ。でも君たちは悲しまない。なぜか。前頭葉に問題があるからだよ。つまり、前頭葉を正常にする魔法なんてものがあれば、君らだって仲間の死を悲しめるわけ。感情がないことをアイデンティティみたいにしてるけど、結局は脳の構造に支障があるだけなんだよね。全く誇れたものじゃないよ。言っちゃえば、私と同種。頭の構造が少しだけ歪なだけの同種。……私、知ってるよ? 魔族をまともにする魔法。別に唱えてあげてもいいんだよ? でも、しない。なぜか。可哀想だから。他者を憐れむことができるのが、私たちだから。リーニエもリュグナーも死んだ。これを聞いて泣き崩れられないのは幸か不幸か……私みたいな、脳がクルミサイズの種族には断定できない問題だね。まあ、クルミサイズって普通、腫瘍の大きさを例えるときに使う言葉だけど。君たちがその頭の中に抱えてるようなね」
「まぁここまで色々言ったけどさ、アウラのこと心配なのは本当だからっていう嘘を聞きたいんでしょ?はい、今ムカついたよね。学習したよね。もう人を欺くの、やめなよ。面白くないんだよ、まずその顔がさ。あー、ごめん。今のなし。話を戻すね。自分がされて嫌なことは人にはしない。これ、五百年も生きてる自慢話は知らないけど、紀元前五千年前から人間は学習してることだから。そりゃ機嫌が悪いときはやっちゃうこともあるけど、それ以外のときはしない。これマナーね。人に優しくしたら自分も晴れやかになるんだから、これからはそうしなよ。……あ、これ命令じゃないから。単なるアドバイス。というか、私にここまで長々と話させて、内心楽しいと思ってるんでしょ? だって、五百年も友達がいなかったんだもの」
「以上。別にたくさん話してスッキリはしてない。暇潰し。君は私の暇潰しにつきあわされただけの気の毒な子。でも同情はしないよ、だって何も刺さってないんだから。バカなんだし。じゃあね。友達ができたら見せに来なよ。……その瞬間にゾルトラークを撃ち込んであげるから。じゃ」
〜
その後、アウラは、フリーレンに言われた通り友達を探した。
そして、できた。
鼻を垂らしたガキ(自称・友達)に服の装飾をベタベタ触られ、「ねーねーお姉ちゃん、その天秤貸してー!」と泥の手で引っ張られる日々。
500年生きた七崩賢のプライドは、マシュマロの焦げ目よりも無残に消失。
夜が更け、冷え切った部屋で一人。アウラは、あの呪詛のような言葉を反芻する。
『ペットを家族とは言うけど、友達とは言わない。わかる?』
「……これ、本当に友達なの? そもそも私、なんでこんなことしてるの……?」
理解できないはずの「虚無」と「羞恥」が、実体を持ってアウラを襲う。
魔族の歴史上初めて、彼女は、枕を涙で濡らしながら朝を待った。
そのころ。
当のエルフはというと、
「生野菜ってさ、咀嚼に時間がかかるよね。効率悪い」という、もはや魔法使いとして以前に生物としてどうかしている理屈で、サラダをトイレに流そうとしていた。
「フリーレン様」
「……なに?」
「捨てるなら最初から取らないでください」
フェルンに見つかり、しっかり怒られた。
少しだけ、萎えた。
(終)
最終更新:2026年03月27日 16:30