「ラインの乙女」のスケッチ その6

 というわけで、イリシア視点からの対ディアキニウス、コルネリア戦。さすがに黒騎士レベルの二人を相手にしては、手も足も出ずに逃げ回るので精一杯であった、というところで。そしてアルファルデスを相手にして生き残るアンドレア。こいつもなんだかんだで優秀な騎士であるという。



 ごくごく運の悪い傭兵集団を襲撃した幽霊騎士団の重魔道機装甲が撤収した先は、ゼニア共和国が放っていた密偵からの報告でイリシア達に知らされていた。敵は最初に駐屯していた村を出て前進し、林のある丘陵の影に野営地を設定しているらしい。そしてどうやらこちらの動きを誘っているらしく、特に人の出入りや煮炊きの煙を隠そうともしていないという。

『誘われていますね、お兄さん』

 イリシアは敵の野営地から五マイルほど離れた高配の裏側に「ラインの黄金」を駐機させ、機体の頭部だけ出してはるかかなたを観測していた。さすがにこれ以上近づくと敵の警戒線に引っかかるわけであり、詳細な情報を得るのは難しい。本来ならば軽騎兵がそうした偵察任務につくのが軍事的常識というものであるが、あいにくとその手の部隊は本隊と一緒に撤退の真っ最中である。

『つーことだ。でだ、左手三マイル先の森の裏手の沼地、あそこが足場が悪い上、うねの狭間にあって視線が通りにくくて確認しづらい。俺はあの森の中で待つから、あそこまで敵を誘い込んでくれ。やれんな?』
『大丈夫ですよ、お兄さん』

 まずは自信満々な声で答えたイリシアは、震えそうになる手をぎゅっと握り締めてアンドレアに内心の恐怖をさとられないように努めた。「帝國」の黒騎士というものがどれほどのものか、実際に「血縁上の母親」達と過ごした時間で彼女も見知っている。あの化け物共、それも三機もを一人で相手にして囮役を務めるなど、無理と無茶と無謀を乗算するようなものである。
 だが彼女とて、だてに十年近くも「ラインの黄金」の開発に携わってきたわけではない。「水」の精霊の加護を受けるのみならず、魔導覚醒し「光」「霊」二相をあやつる魔導騎士として鍛錬を重ねてきたのだ。三対一なら無理でも、せめて二対一なら逃げ回るくらいならやってのける自信はある。
 アンドレアの乗る「バルバレスコ」が傾斜を利用して敵に見つからないよう目的地の森へと移動する間、イリシアは野営地に動きが無いかじっと観察し続けていた。

『よし、こちらは配置についた』
『それでは、始めます!』

 日は中天に昇った頃合にアンドレアから合図が送られてくる。それにあわせてイリシアは機体全身に魔力を循環させると、まずは機体を「水」の精霊の力を得て強化し、次に背中の噴射機から魔力を放出して宙へと舞い上がった。そのまま一気に加速をかけて次の高配の斜面に着地し、一度周囲をぐるっと見回して確認してから次の高配へと跳ぶ。いかに機体を軽量化し飛翔時の魔力消費量を減らしてあるとはいえ、のべつまくなしに飛び続けていてはすぐに魔力も尽きてしまうし、そもそも噴射機が壊れてしまう。両手の菱形の射撃盾の魔力は目一杯充填してあるとはいえ、三機もの重魔道機を相手にするならすぐに使い果たし再充填が必要になるであろう。
 幸いにして噴射機の調子は非常に良く、無理をさせない限りは思う通りに動いてくれそうである。イリシアは最後の跳躍の後、軽く噴射機を吹かして一気に敵の野営地上空を横切ろうとした。
 その瞬間、前方で大きな魔力が爆発し、無数の魔力弾が襲い掛かってくる。あわてて両腕を機体前面で交差させ、射撃盾の魔力で氷の盾を生成して致命的な一撃を食らうのだけは防ぐ。

『待ち構えられていました!?』

 十何発か機体に命中したものの、装甲を魔力で強化していたおかげで穴があくだけで済んだ「ラインの黄金」は、そのままバランスを崩して敵の野営地に墜落しかける。それを魔導は「光」相で無理矢理機体に運動エネルギーをかけて姿勢を正し、なんとか両足から地面に着地し、そのままの勢いで天幕その他諸々をはね飛ばしつつ滑走してから停止した。

『人も馬もいない!』

 かまどが盛られそこから煙が立ち上ってこそいるが、野営地のどこにも人馬の影は見えず、それどころかあちこちにカカシが立てられている。イリシアは周囲の状況を確認すると同時に、噴射機に全力で魔力を回し、その場から斜め前方に跳び上がった。同時に林の中と野営地の中から「火」系統の魔力の光線が「ラインの黄金」の足の裏をかすめ焦げ痕を残す。

『イリシア! 全力で離脱しろっ!!』
『はいっ!!』

 空中で手足を振りロールを打って機体の軸線を無理矢理変えたイリシアは、自分達が幽霊騎士団にハメられてしまったことを嫌というほど思い知らされていた。すでに隠れている理由もなくなったのだろう、野営地の中から擬装用の網を払いのけて立ち上がった灰色の機体が槍をこちらに向けて魔力を練り上げている。そして林の中から、その機体以上の巨大な魔力が練り上げられていて、「ラインの黄金」の眼を通した彼女には大気が揺らいでいるようにすら見えた。
 イリシアは左右の噴射機の出力をあえて不均衡にさせることで、進路を左右に揺らして敵からの射撃をかわそうとした。一瞬、ぞわりとした感覚に襲われ、そこから逃げるように機体を斜め上方へと跳ねさせる。次の瞬間、林の中から飛んできた光線が「ラインの黄金」の腰部装甲をかすめ、装甲鈑を吹き飛ばした。その一撃で崩れたバランスをあえて直そうとはせず、再度噴射機を全力で吹かしてこの場から離脱しようとする。その急加速が功を奏したのか、無数の魔力弾が一瞬前に機体がいた場所を薙いでいった。


 敵の野営地から間一髪命からがら逃げ出したイリシアは、一度高配の裏に下りてから周囲を確認し、別の林の中に飛び込んで機体の膝をつかせて一息入れた。まさに間一髪としかいいようのない状況で、敵の光線がかすめた右足や、装甲を吹き飛ばされた腰のあたりが不調をうったえてきているのが判る。全身が脂汗でべっとりとしていて、肌着や下着が肌に張り付いて気持ち悪い。わずかの間だけ、ふー、ふー、と荒い息をついて呼吸を整えると、イリシアは即座にこの場から離れるべく機体を駆けさせた。
 こうして敵が待ち構えていたということは、自分達の拠点が「帝國」軍の監視下にあったのは確実である。ゼニア共和国が諜報を行っているのと同様に、「帝國」もこのミレトス平原で諜報活動を行っていたのだろう。つまり彼らが傭兵集団を襲ったのも、こうして「ラインの黄金」を釣り上げるための前振りだったのに違いない。
 そしてイリシアは、今になって自分を攻撃してきたのが二機だけだったことに気がついた。昨晩アンドレアから聞かされていたところでは、傭兵集団を壊滅させたのは三機だったはず。
 嫌な予感とともに林の外に「霊」相による視界を拡げた瞬間、林の外にさらに一機の灰色の重魔道機が短めの馬上槍を構えてこちらに近づいているのが「視え」た。
 イリシアはこのまま宙を飛んで逃げようかと考え、念のために周囲を再度「観て」すぐにその選択肢を棄てざるをえなくなった。彼女の後方からさっき魔力弾の散弾を撃ってきた機体がこちらに向けて疾走してきていて、しかも手にしている短槍には十分過ぎるほどに魔力が練り上げられている。この場で下手に飛び上がれば、その瞬間に回避することもままならず穴だらけにされることは確実である。
 イリシアはその場で機体を停止させると、術式を詠唱し両手の射撃盾に機体から魔力を補充した。最初の射撃を受け止めるのに盾の魔力の大半を使ってしまっていて、このまま下手に敵と戦うとなると魔力切れを招きかねない。
 そして、その一分にも満たない間に後ろから追いかけてきた敵との距離はかなりつまってしまっていて、かといってこのまま林から出たところでもう一機が待ち構えているところに飛び出すだけという状況に追い込まれてしまっていた。
 イリシアは覚悟を決めると、左手の射撃盾にいつでも氷刃を生成できるように術式を立ち上げてから機体を返し、追ってくる敵に向かって走り出した。


 追ってきた重魔道機は駆け寄ってくる「ラインの黄金」をみとめると、右手の短槍を引き寄せ突きの体勢をとりつつ速度を落とした。イリシアは右手の射撃盾から相手の左右に氷礫を数発づつ射撃して左右への動きを牽制しつつ、左手の射撃盾を身体の前に持ち上げる。あと数歩という距離まで近づいたところで敵機は足を止め、短槍を穂先をこちらへ向け射撃体勢に入った。その瞬間イリシアは、背中の噴射機を起動させると相手の頭上をかすめるような軌道をとって機体を跳ねさせた。同時に相手は自分の目前で短槍に充填していた魔力を爆発させ、同時に自ら地面を蹴って爆発の中に飛び込み槍を突き入れる。
 「ラインの黄金」はその爆発に軌道をずらされ、イリシアは左腕の射撃盾に生成した氷刃を空振りさせてしまった。空中で一回転し地面に着地したイリシアが視線を前に向けると、そこには「ラインの黄金」を見失ったらしい敵機が機体を左右に振ってこちらを探している姿が見える。
 好機、とばかりにイリシアが無事な左足で地面を蹴って左腕の氷刃を突き入れようとした瞬間、敵機は右脇の下から短槍を背中側に突き出し散弾を放った。穂先が自分の方に向いた瞬間、彼女は背中の左側の噴射機を吹かして進路をずらし、左腕の射撃盾に氷の防御壁を生成して襲い来る魔力弾を防ぐ。
 さすがに至近距離から放たれた魔力弾全てを防ぎきることはできず数発被弾するが、今度もぎりぎり魔力で強化された装甲に穴があく程度で防げた。
 一度距離をとろうと後方へ跳ぼうとした瞬間、今度は右手から待ち構えていたもう一機が林の中に突入してきて手にした馬上槍を突き入れてくる。それを右手の射撃盾から氷礫を数発撃ちこんで牽制しつつ今度は左側に跳び、なんとか挟撃されるのだけは防いだ。
 べきべきと木々をへし折りつつ着地したイリシアは、槍をしごいて全身をたわめている二機の重魔道機を前に自分が今置かれている状況を確認した。
 「ラインの黄金」は右足と腰が不調、よって近接戦で敵の打ち込みを受けることも逸らすことも困難。左腕の射撃盾は魔力切れ、魔力の再充填には数十秒かかる。右腕の射撃盾は、あと十数発氷礫を撃ったら魔力切れ。幸いにして背中の噴射機の調子はまだ安定している。
 イリシアは右手の射撃盾に氷刃を生成すると、左足を引いて機体をたわめ噴射機に魔力を充填させて敵機が動くその瞬間をとらえようと視力をこらした。
 数秒の対峙の後、機を合わせた二機が槍を打ち込むと見せて、それぞれ魔術を発動させる。左手の敵機は「火」の魔力の光線を、右手の敵機は「ラインの黄金」の左右に土壁を。
 敵機が魔術を発動させようとした瞬間を「観た」イリシアは、背中の噴射機から一瞬だけ魔力を噴射させて空中に跳び、膝を折るようにしてその場で後転する。背中を放たれた光線の輻射が焼き噴射機が悲鳴をあげるが、イリシアはそのまま空中で一回転すると再度噴射機から魔力を噴射させ、そのまま二機の頭上をかすめるようにして全速力で直進し、そのまま一気に林から飛び出した。
 イリシアは背中へと飛んでくる敵機の射撃を振り向きざまに右手の射撃盾に生成した氷壁で防ぎつつ、調子がおかしくなりつつある噴射機をだましだまし吹かせて左右に跳躍し、なんとかこの場から離脱することに成功した。
 なんとか最初の出撃位置まで戻ったイリシアは、さすがに魔力切れが近いのか敵機がこちらを追撃してくる様子が見られないことに腰が抜けるほどの安堵し、そのまま涙をぼろぼろ流しながら泣き出してしまった。


 ひとしきり泣いてから鼻をすすり服の袖で鼻水をぬぐったイリシアは、アンドレアが向かったはずの窪地がすっかり焼き払われ焦げた土が露出しているのを「見て」とり、恐怖に全身から脂汗が吹き出るのをとめることができないでいた。
 とりあえず周囲を確認して敵の姿が見えないことに安心してから、痛んだ機体をだましだまし動かしつつ、高配の裏側や森の陰をつたうようにして戦闘の跡も生々しい窪地へと向かう。
 自分の信じるありったけの神様にアンドレアが生きているよう祈りつつ窪地にたどり着いたイリシアは、機体を物陰に駐機させるとそろそろと背中の甲蓋を開けて機体から地面に降り立った。

「お兄さん?」

 震える声であたり呼びかけつつ、そっとあちこち物陰をのぞきこむ。

「アンドレア、お兄さん?」

 周囲は残留する魔力と煙でろくに視界もきかず、ぐずぐずになった地面のせいで何度も転びそうになる。
 イリシアは、最悪の予想に震えつつ、何度も何度もアンドレアの名前を呼びつつ、周囲を歩き回った。

「……イリシア、無事だったか」
「ひやぁっ!?」

 元は沼地だっただろう泥沼の片隅で物陰から声をかけられ、イリシアは思わず腰が抜けてしまいその場にへたりこんでしまった。

「あ、あの、お兄さん?」
「おう、安心しろ生きてっから。お前は怪我はしてねーか?」
「わ、わたしは、大丈夫、ですよ? お、お兄さんは?」
「命だけはなんとか、な」

 アンドレアの言葉にイリシアはよつんばいになって声のする方向に進んでゆき、ぼろぼろになった彼が身体半分泥に浸かった状態で転がっているのを見つける。服は焦げ跡だらけですぐにでも崩れ落ちそうで、彼自身も血まみれでとても無事なようには見えない。
 イリシアはなんとかがんばって泥の中からアンドレアを引きずり出すと、慌てて治癒の魔術を練り上げた。

「あー、助かったわ。ありがとうな、イリシア」
「あ、あの、怪我は、やけどのほかにも、ありません、か?」
「とりあえず骨は大丈夫だ。やけどでかなり危なかったんだが、今のでかなり楽になったつーか。お前こそ見たところ怪我はないようだけど、大丈夫か?」
「は、はい。わたしは大丈夫、ですよ」

 イリシアの治癒の魔術が効いたのか、険のとれた表情になったアンドレは、そのまま焼けた地面に横たわった。

「あ、あの、お兄さん、「バルバレスコ」はどうしたんですか?」
「……ああ、さすがに大破させられたんで、この沼ん中に沈めた。さすがに敵に渡すわけにはゆかねーからな」
「それって、もしかしなくても、責任問題になりません?」
「知らねーよ。あれだけ腕利きの魔法騎士とやりあって、命があっただけ奇跡だっつーの。てゆーか、あの灰色の機体、確実に中身は「黒の二」だぜ。そういや、お前の方には二機いったんだろ」

 よくやったな。
 そう言ってアンドレアは、嬉しそうに白い歯を見せて笑った。
 その笑顔にイリシアは、こらえていた涙がまた目からあふれるのを止めることができず、その場で声をあげて泣き出してしまった。


 ひとしきり泣いたイリシアがアンドレアと一緒に味方と無事合流できたのは、それから二日後のことであった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2014年06月08日 23:09