ガイラス

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ガイラス - (2011/04/24 (日) 15:24:39) の編集履歴(バックアップ)



基本情報


略歴

アトレティア国の将軍で、ロザンドの部下。
3328年のセロナバルス国首都陥落では首都に一番乗りする活躍をみせ、ロザンド軍におけるナンバー2の地位を得る。

3330年、ジルダー出奔からはじまったアトレティア内乱の争いで、ロザンドガザデルーと並び最有力候補であった。しかし、突如ビーストバリア国がロザンドに攻撃を仕掛け、グスティナの戦いになだれ込む。
当初は無謀な突撃と思われたこの戦いだが、ビーストバリア国の遠謀により、ガイラスとマルラは、既にビーストバリア国への内応を約束していた。こうしてガイラスは、主人であるロザンドの戦死を手土産にビーストバリア国に寝返る。

彼が寝返った理由は、ロザンドを蹴落として更なる地位が欲しかった、または彼に冷遇され私怨があった、単純に寝返りの褒賞に目が眩んだ等、いくつかの説があるが、その後の彼の行動と性格から、1つの説が答えなのではなく、複数の説が複合されての裏切りだと結論付けられている。

ビーストバリア国軍がトリスの戦いにおいてフレイミスト国軍と激突した時、今度は自らの保身の為に裏切りを考えるが、この時はチャンスがなかった為、戦いが終わるまでビーストバリア国軍に居た。その為運よく勝者の側に残留することとなる。

3333年2月、マドリアルの戦いを経て六界連合軍によるルーイガルド侵攻作戦がはじまると、ルーイガルド17327年のカティアの戦い、艦隊を失い大撤退戦となったハイネスブルの戦い、その後の立て直しとなったカスタリアの戦いに参戦。
その後、スパルス国から志願してきた兵士を独断で自軍に吸収するが、甘い汁にありつこうとした兵士達は、ガルーダ攻略戦における徹底した略奪の禁止と大決戦に不満を感じ、ガイラスは兵士の不満を押さえ込むため、いずれ自身が反乱を起こすから、それまでは動かない様にと兵士に言い含めた。
これが、本心だったのか、兵士を静めるための方便だったのかは謎だが、おそらくその後の状況にあわせて、どちらの行動もとれる準備をしていたと考えられている。

ガルーダ攻略後は、兵士を見捨てて逃亡したビアスコア帝国将軍を捕らえて、公開処刑として、水攻めにより怨嗟渦巻いていた民衆の怒りの矛先を「自分達を見捨てた将軍」に向けさせた。
ビアスコア帝国を降伏させた後はフェルトビーン帝国に進軍、エイクレア攻略戦ゲルトエルトの戦いを経て、17328年8月、両軍最大の決戦となったカルダザルスの戦いに参戦して勝利を収める。
この一連の戦いの中で、スパルスの兵士達が略奪を行った為、処刑されることとなった。その際、兵士達は「自分達はガイラスの後ろ盾がある」と語った。ガイラスは、兵士の反乱を鎮圧させるための方便だったと弁明するが、それまでの経歴と性格から、本心からの信頼を得ることはできず、彼の立場は連合軍内で孤立していくこととなる。

17329年8月、シャクティアナ帝国との決戦となったエリス・ラゴンの戦いに参戦するが、ラスブロスの猛攻により一度は撤退、六界連合軍はその直後にラスブロス強襲作戦を行い、サヌア傭兵団の強襲を成功させる為の陽動部隊として帝都で奮戦、六界戦争を勝利に導く。

その後、ビーストバリアに帰国、ガイラスは更なる上の地位を求め様々な裏工作に従事し、自らが見込んだ配下の将軍を利用して、次々と競争相手を蹴落としていたが、その部下自身がガイラスを追い落としての出世を企み始め、ガイラスの過去の謀略を全て暴露、更に身に覚えのない罪すら着せられる。
ガイラスは、反乱罪として囚われ、呪いの言葉を吐きながら処刑された。

人物

  • 彼がロザンドを裏切った理由は、前述の通り複数の説が存在するが、どちらにしてもベルーマは、ガイラスを「野心は高く、義理は低い者」と見抜いていた。セロナバルス王を名乗ってから、傲慢になっていたロザンドに少なからず不快な感情をもっていたガイラスは、ベルーマの内応工作に応じた。
  • 身に覚えのある反乱で罰せられたことはなく、身に覚えのない反乱罪で処刑されたその人生は、裏切り者の末路として後世における不名誉な代名詞にされた。

関連項目