アーマンド・ガララーガ

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アーマンド・ガララーガ - (2024/08/25 (日) 09:52:37) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2010/06/05(土) 02:16:50
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Armando Galarraga


[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス>メジャーリーグのチーム一覧]]に所属していたベネズエラ出身のメジャーリーガー。

1982年1月15日生まれ。
右投右打。
背番号59。


プレースタイルは[[スライダー>スライダー(変化球)]]とスプリッターのような握りから投げる87~90マイル(140キロ台前半)のシンカーを中心にゴロで打ち取るピッチング。

93マイル(150キロ)を越えるフォーシームも投げるが、軌道がフラットで打たれやすい。



少年時代の憧れの選手はベネズエラを代表する遊撃手オマー・ビスケール。

1998年にモントリオール・エクスポズと契約。

しかし2002年にトミー・ジョン手術(腱の移植手術)を受け、回復に時間がかかったために出世が遅れる。


2005年にはアルフォンソ・ソリアーノ(元[[広島東洋カープ]])の交換要員としてターメル・スレッジ(現[[横浜ベイスターズ]])、ブラッド・ウィルカーソンと共にテキサス・レンジャーズへ移籍。


2007年にメジャーデビューを果たすが、シーズン終了後にデトロイト・タイガースへ移籍する。


2008年はマイナーで開幕を迎えたが、4月中旬にメジャー昇格。
初登板で6回を1安打2失点に抑える好投でメジャー初勝利をあげた。


その後4月は3試合に登板し、防御率1.50・WHIP0.99で月間最優秀新人候補にノミネートされた。
この活躍を受けたジム・リーランド監督は、
「ストライクをどんどん投げ込むピッチングは私のお気に入り。しかしまだブルペンに回すか、マイナーで待機させるか決めかねている」
と先発ローテーションから外すことを示唆していたが、
シンカーとスライダーを両サイドに投げ分けてゴロに打ち取るピッチングを駆使し、8月までチームトップの11勝・防御率3.11・WHIP1.15をマーク。


最終的にチームはリーグ最下位に沈む中、チーム内2位の13勝・同トップの防御率3.73・WHIP1.19を記録。
被安打率7.66は[[松坂大輔]]に次いでリーグ2位だった。

2009年はワールド・ベースボール・クラシックにベネズエラ代表として出場。
[[アメリカ>アメリカ合衆国]]戦で1勝を挙げ、祖国のベスト4進出に貢献した。


しかしシーズン本番は2年目のジンクスに沈み制球が不安定となり球が浮き、5月だけで10本の本塁打を浴びた。

中盤に一時持ち直したがヒジの痛みで再度制球が乱れ出し、チームがプレーオフ争いに勤んでいた終盤はローテーションから外され、
6勝10敗・防御率5.64・WHIP1.57という悲惨な成績に終わる。



そして2010年6月2日。
メジャー史上に残る&font(#ff0000){大事件}が起こる。


この日のガララーガは8回までわずか75球のパーフェクトピッチング。
9回先頭打者の大飛球も中堅手ジャクソンの後ろ向きバスケットキャッチによりアウト。
メジャー史上初となる1シーズン3度目の完全試合達成は目前であった。



ところがラストバッターを迎え、悲劇が起こる。



一・二塁間のゴロに抑え、ボールは一塁手カブレラからカバーに入ったガララーガへ。

同投手が一塁ベースを踏み完全試合達成かと思われたがしかし、なんと&font(#ff0000){塁審がセーフと判定。}


後続の打者は三塁ゴロに打ち取り初完投・初完封勝利を収めるも、試合終了後もリーランド監督とタイガースナインが鬼の形相で詰め寄る。

セーフ判定を下したジム・ジョイス塁審はビデオで再確認し、「間違いだった…。私以上に、この判定を後悔している人間は他にいないと思う」と誤審を認め謝罪。



しかしコミッショナーは試合後の誤審は認められないと表明、&font(#0000ff){幻の完全試合となってしまう。}
この誤審は全米に衝撃を与え、ホワイトハウスの報道官も「完全試合の栄誉を与えるべきだ」と語った。



次の日、ジョイス審判は主審として球場に登場。
ジョイスの名前がアナウンスされるとスタンドからはやじが飛び、
「We All Know It Was Perfect(我々は皆、あれが完全試合だと知っている)」というボードも掲げられた。


試合前のメンバー表交換の際、リーランド監督は「こいつを持っていってくれないか?」とガララーガにメンバー表をジョイス審判の元へ届ける任を依頼。

ガララーガも快諾し、ジョイス審判と和解の握手を交わした。


この計らいにジョイス審判は思わず号泣。
スタンドのやじも大きな拍手と声援に変わった。



さらにその後、球団とスポンサーのゼネラル・[[モーター]]社(GM社)が「ガララーガの素晴らしいプロフェッショナリズムとスポーツマンシップをたたえる」とし、
最新型のシボレー・コルベット(約1490万円)が球場に届けられ、ガララーガは観客とチームメイトから祝福を受けベンチに下がった。

しかしシーズン通しての成績は4勝9敗と平凡なものでオフにアリゾナ・ダイヤモンドバックスへとトレードされた。



【名言集】
「一度だけ投げたら、またマイナーに落とされるんだろうなと思っていた。今は、マイナーに落とされると思いながら投げることはなくなったよ」


「わざわざ謝りに来てくれたことだけで十分だった。
 最初は怒りがこみ上げたが、人に間違いはつきもの。彼の涙をみたら、彼こそ一番つらいのだと思って、思わず抱き締めたよ」


「誰にでも間違いはある。彼は[[シャワー]]も浴びずに謝罪に来てくれた。たたえるべきことだと思う。誰もパーフェクトではない」



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- ガララーガさん大人ー  -- 名無しさん  (2017-01-13 14:03:27)
- でもさすがにこれはブチギレるべき案件だろう  -- 名無しさん  (2018-05-04 16:09:10)
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