田中浩康

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田中浩康 - (2016/10/12 (水) 00:30:41) の1つ前との変更点

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&font(#6495ED){登録日}:2010/01/17(日) 14:08:10 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 4 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- 田中浩康(たなかひろやす)は、[[ヤクルトスワローズ>東京ヤクルトスワローズ]]に所属する[[プロ野球]]選手。 京都府木津川市出身。 守備位置は主に二塁、遊撃と三塁も守れる。 あだ名は『野球学博士』、『ピロヤス』 また並行存在として[[中日>中日ドラゴンズ]]の山井が存在する。 【経歴】 早稲田大学から2004年のドラフト自由枠にてヤクルトに入団。 当時の早稲田は後々チームメイトになる青木や、阪神の鳥谷らが居た、今となっては結構豪華なチームであった。 2005年は開幕一軍入りを果たすが、出場機会に恵まれず5月に二軍落ち。 二軍では8月の月間MVPに選ばれるなどある程度の活躍を見せる。 2006年から毎年恒例となるオープン戦無双っぷりを発揮。 バカみたいに打ちまくり、WBCで岩村がケガをしたこともあって開幕スタメンとなるが、シーズンに入ってから打撃は停滞。 岩村が帰ってくると三塁に回っていたラロッカに二塁を奪われ二軍落ち。 7月になり今度は宮本ケガにより代えの遊撃として一軍昇格。 宮本が復帰すると今度はラロッカが離脱、ハイエナのように二塁の定位置を手にすると、オープン戦ほどではないが初本塁打を記録するなど活躍し、一時は5番にも座った。 翌2007年にラロッカが退団し、二塁に定着。 去年のリプレイを見るかのようなオープン戦無双っぷりをまたもや発揮するが、やっぱり開幕と同時に失速。 一時期他の二塁手と併用になるが5月にはレギュラーに定着。 早稲田大学時代と同様に青木と1・2番を打つこととなり、遂にブレイク。 最終的には規定打席到達で2割9分5厘、5本塁打、51打点。 更にリーグトップの51犠打、8三塁打を記録し、ベストナインに輝く。 しかし、ウッズ、阿部、小笠原らが選ばれる中、いかんせん影が薄く&font(#ff0000){「誰?」}扱いされていた。 2008年は開幕から打ちまくり、夏バテにも負けず安定した活躍を見せるが、やはりシーズン終盤に失速したものの打率は2割9分をマーク。 守備の不安も改善され、一躍"数字上は"球界を代表するセカンドになった。 &font(#808080){でも影薄い。}   2009年もレギュラーとして活躍、当初は7番であったが川島の不振もあり2番に昇格、途中まで例年通りに活躍をしていたが9月に入ると急失速。 打撃部門は自己最低に終わるが、[[犠打>バント(野球・犠打)]]38でリーグトップ、守備でも華々しい活躍を見せている。 2010年、ついに3割の壁を超える。 【性格・人物】 いい人。とにかくいい人。 どのくらいいい人かと言うと球場の周りでファンにサインを求められたら快く応じファン全員にサインをする。 &bold(){&font(#ff0000){サインを書きすぎて手首が腱鞘炎を起こしたり}}1回球場から自宅に帰ったのに&bold(){&font(#ff0000){ファンにサインをするためだけに球場に戻ってきてくれる}} …さすがに人が良すぎではないだろうか?   【プレイスタイル】 三振が少なく、しぶとく右方向へ弾き返すバッティングが持ち味だが、いかんせん併殺打が多い傾向がある。 その分犠打が上手いので、ランナーが詰まると送りバントをするのがお決まりになっている。 固め打ちやベースランニングの上手さから三塁打が多いが、盗塁は不得手で盗塁技術の向上が課題となっている。 守備はプロ入り当初こそ球足の速さに戸惑い、古田に&font(#ff0000){「はっきり言って下手」}と評されていた。 徐々に慣れてくると思い切りが良く、飛びついても余りボールをこぼさない堅守が光り、守備機会、守備率、失策、レンジファクターの全てにおいて球界でもトップクラスといった所。 だが、守備の上手さが光るものの中日の荒木にゴールデングラブを掠め取られている。 …まぁ、記者の主観で選ぶ賞だし仕方ないよね。 新庄が苦言を呈したことなんか全く気にしてないみたいだし。   【振り逃げない事件】 2007年の甲子園の阪神戦での出来事。 ヤクルト1点ビハインドで最終回、2死3塁の場面で浩康が打席に立った。 マウンドには守護神藤川、既に2ストライクと追い込まれ、「あと1球」コールの中投じられたフォークに反応、スイングと判定された。 しかし、これを捕手の矢野が後逸、振り逃げという思わぬ形で同点となった…かに思われた。 この時浩康はスイングしたとは思っていなかった為、1塁に向かわず、状況に気付き慌てて走り始めるも、時既に遅し。ボールは1塁に送球され、試合終了となった。 ちなみに、矢野も最初は振り逃げとは思ってなかった。 この1件以来、&font(#0000ff){「振り逃げないバッター」}というイメージが定着した。 しかし2009年、同じ甲子園で三振した際、捕手の狩野がボールをこぼしたと見るや&font(#ff0000){1塁へ全力疾走}、これが狩野の暴投を誘い、見事振り逃げに成功した。   追記、修正宜しくお願いします。 ---- &link_up(△)&aname(メニュー,option=nolink){メニュー} &link_edit(text=項目変更)&link_copy(text=項目コピー)&link_diff(text=項目変更点)&link_backup()&link_upload(text=アップロードページ) ---- #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600) } #center(){&link_toppage(-アニヲタWiki-)} - 山田が台頭してきてから某所では山田に嫉妬して陰口叩く陰湿キャラみたいに扱われてるある種かわいそうな人 -- 名無しさん (2015-08-23 12:23:35) #comment
&font(#6495ED){登録日}:2010/01/17(日) 14:08:10 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 4 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- 田中浩康(たなかひろやす)は、[[ヤクルトスワローズ>東京ヤクルトスワローズ]]に所属する[[プロ野球]]選手。 京都府木津川市出身。 守備位置は主に二塁、遊撃と三塁も守れる。 あだ名は『野球学博士』、『ピロヤス』 また並行存在として[[中日>中日ドラゴンズ]]の山井が存在する。 【経歴】 早稲田大学から2004年のドラフト自由枠にてヤクルトに入団。 当時の早稲田は後々チームメイトになる青木や、阪神の鳥谷らが居た、今となっては結構豪華なチームであった。 2005年は開幕一軍入りを果たすが、出場機会に恵まれず5月に二軍落ち。 二軍では8月の月間MVPに選ばれるなどある程度の活躍を見せる。 2006年から毎年恒例となるオープン戦無双っぷりを発揮。 バカみたいに打ちまくり、WBCで岩村がケガをしたこともあって開幕スタメンとなるが、シーズンに入ってから打撃は停滞。 岩村が帰ってくると三塁に回っていたラロッカに二塁を奪われ二軍落ち。 7月になり今度は宮本ケガにより代えの遊撃として一軍昇格。 宮本が復帰すると今度はラロッカが離脱、ハイエナのように二塁の定位置を手にすると、オープン戦ほどではないが初本塁打を記録するなど活躍し、一時は5番にも座った。 翌2007年にラロッカが退団し、二塁に定着。 去年のリプレイを見るかのようなオープン戦無双っぷりをまたもや発揮するが、やっぱり開幕と同時に失速。 一時期他の二塁手と併用になるが5月にはレギュラーに定着。 早稲田大学時代と同様に青木と1・2番を打つこととなり、遂にブレイク。 最終的には規定打席到達で2割9分5厘、5本塁打、51打点。 更にリーグトップの51犠打、8三塁打を記録し、ベストナインに輝く。 しかし、ウッズ、阿部、小笠原らが選ばれる中、いかんせん影が薄く&font(#ff0000){「誰?」}扱いされていた。 2008年は開幕から打ちまくり、夏バテにも負けず安定した活躍を見せるが、やはりシーズン終盤に失速したものの打率は2割9分をマーク。 守備の不安も改善され、一躍"数字上は"球界を代表するセカンドになった。 &font(#808080){でも影薄い。}   2009年もレギュラーとして活躍、当初は7番であったが川島の不振もあり2番に昇格、途中まで例年通りに活躍をしていたが9月に入ると急失速。 打撃部門は自己最低に終わるが、[[犠打>バント(野球・犠打)]]38でリーグトップ、守備でも華々しい活躍を見せている。 2010年、ついに3割の壁を超える。 【性格・人物】 いい人。とにかくいい人。 どのくらいいい人かと言うと球場の周りでファンにサインを求められたら快く応じファン全員にサインをする。 &bold(){&font(#ff0000){サインを書きすぎて手首が腱鞘炎を起こしたり}}1回球場から自宅に帰ったのに&bold(){&font(#ff0000){ファンにサインをするためだけに球場に戻ってきてくれる}} …さすがに人が良すぎではないだろうか?   【プレイスタイル】 三振が少なく、しぶとく右方向へ弾き返すバッティングが持ち味だが、いかんせん併殺打が多い傾向がある。 その分犠打が上手いので、ランナーが詰まると送りバントをするのがお決まりになっている。 固め打ちやベースランニングの上手さから三塁打が多いが、盗塁は不得手で盗塁技術の向上が課題となっている。 守備はプロ入り当初こそ球足の速さに戸惑い、古田に&font(#ff0000){「はっきり言って下手」}と評されていた。 徐々に慣れてくると思い切りが良く、飛びついても余りボールをこぼさない堅守が光り、守備機会、守備率、失策、レンジファクターの全てにおいて球界でもトップクラスといった所。 だが、守備の上手さが光るものの中日の荒木にゴールデングラブを掠め取られている。 …まぁ、記者の主観で選ぶ賞だし仕方ないよね。 新庄が苦言を呈したことなんか全く気にしてないみたいだし。   【振り逃げない事件】 2007年の甲子園の阪神戦での出来事。 ヤクルト1点ビハインドで最終回、2死3塁の場面で浩康が打席に立った。 マウンドには守護神藤川、既に2ストライクと追い込まれ、「あと1球」コールの中投じられたフォークに反応、スイングと判定された。 しかし、これを捕手の矢野が後逸、振り逃げという思わぬ形で同点となった…かに思われた。 この時浩康はスイングしたとは思っていなかった為、1塁に向かわず、状況に気付き慌てて走り始めるも、時既に遅し。ボールは1塁に送球され、試合終了となった。 ちなみに、矢野も最初は振り逃げとは思ってなかった。 この1件以来、&font(#0000ff){「振り逃げないバッター」}というイメージが定着した。 しかし2009年、同じ甲子園で三振した際、捕手の狩野がボールをこぼしたと見るや&font(#ff0000){1塁へ全力疾走}、これが狩野の暴投を誘い、見事振り逃げに成功した。   追記、修正宜しくお願いします。 ---- &link_up(△)&aname(メニュー,option=nolink){メニュー} &link_edit(text=項目変更)&link_copy(text=項目コピー)&link_diff(text=項目変更点)&link_backup()&link_upload(text=アップロードページ) ---- #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600) } #center(){&link_toppage(-アニヲタWiki-)} - 山田が台頭してきてから某所では山田に嫉妬して陰口叩く陰湿キャラみたいに扱われてるある種かわいそうな人 -- 名無しさん (2015-08-23 12:23:35) - 次はどこへ行くのやら -- 名無しさん (2016-10-12 00:30:41) #comment

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