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芥川龍之介 - (2013/04/04 (木) 15:24:59) の編集履歴(バックアップ)
登録日:2012/02/26(日) 15:54:59
更新日:2024/02/23 Fri 19:43:22
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1897年3月1日、東京市京橋区入船町(現 東京都中央区明石町)の牛乳屋、新原敏三、フクの長男として生まれる。
生後7ヶ月頃、母が精神異常となった為、母の実家の芥川家に預けられ、伯母のフキに育てられた。
11歳の時に母が死去。翌年には、母の兄である芥川道章の養子となり、芥川姓となる。
府立第三中学校(現 都立両国高等学校)、第一高等学校(現 東京大学)を卒業後、東京帝国大学に入学。
1914年 一高同期の菊地寛、久米正雄らと「新思潮」を刊行。
1915年 級友鈴木三重吉の紹介で夏目漱石の門下に入る(夏目は翌年死去)。
1916年 海軍機関学校の嘱託教官に赴任。
1918年 教職を辞して、大阪毎日新聞社に入社。
1919年 塚本文と結婚。
1921年 海外視察員として中国へ派遣。
中国から帰国後、芥川は徐々に心身が衰え、神経衰弱、腸カタルを発病。
1927年7月24日、自室にて服毒自殺を計る。
家族
妻、文との間に三子儲ける。
俳優
第二次世界大戦にて戦死
作曲家
死
少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である
何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である
(友人に宛てた手紙の一説)
睡眠薬を大量に服用し意識が朦朧とする中、芥川は遺稿となる「歯車」を書き残し絶命する。
作品
盗賊になろうか思い詰める若い下人と、死んだ女の髪を引き抜いていた老婆の話。
「人の幸福を妬み、不幸を笑う」人間の心理を描いた作品。夏目漱石に評価された。
人として、最低だ。
芸術史上主義の末路。
たった一度の善行から掴んだ最大の好機を己の醜い欲で無くした男・カンダタの話。
真相が今でも議論され続けている作品。
真実は永遠に藪の中。
子供の夢をぶち壊します。
あばばばば