劉禅

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劉禅 - (2017/02/08 (水) 17:36:07) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2011/09/28(水) 19:02:41
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&font(#6495ED){所要時間}:約 19 分で読めます

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劉禅(りゅう-ぜん)とは[[三国志]]における蜀漢の愚帝…つまりバカ殿様である。字は公嗣。
だが幼名の阿斗の方が有名。生没年207-271年。

せっかく趙雲が命がけで救出し、親父が必死こいて蜀を建国し、[[諸葛亮]]や[[姜維]]が命懸けで北伐敢行して魏に戦いを挑んだというのに
コイツが宦官を重用し、酒や女に溺れていたアホだったので蜀は衰退し魏に滅ぼされた。

[逸話]
・どうしようもない阿斗
魏での酒宴に劉禅が招かれた際、司馬昭の配慮で蜀の音楽が奏でられた。

元蜀の臣下はしくしくと涙を流しているのに、劉禅1人が太平楽。
司馬昭に&font(#ff0000){「ねぇ、蜀恋しくないの?」}と聞かれ、
#center(){&font(#0000ff){「いやー、ここは楽しいねぇ。思い出すことなんか何にもないよ、アハハー」}}

これには司馬昭はもちろん周りの臣までドン引き。たまりかねたのは郤正。
#center(){&font(#008000){「先祖の墓も蜀にあるし、一日として思い出さない日はないよグスッ…と言いなさい」}}

なぜかまたしても同じことを聞いて来た司馬昭
#center(){&font(#0000ff){「先祖の墓も蜀にあるし、一日として思い出さない日はないよグスッ… …… &font(#0000ff,u){&font(#ffffff){(あれ涙が出ないな…)}}」}

&font(#ff0000){「それ郤正の言葉とそっくりじゃん」}

&font(#0000ff){「嘘っばれた?アハハー」}}

これで元蜀の臣までガックシさせたり、笑いものにされた挙句、
司馬昭に「こいつの補佐は諸葛亮でも無理。まして姜維?どうしようもねぇよ」と評された逸話は有名。この事が「どうしようもない阿斗」の元となった。



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&font(#f1c232){「しばしお待ちくだされ、アニオタをご覧になっておられる皆様方。」}
&font(#f1c232){「上に書かれているは「三国志演義」における劉禅様の事であり劉禅様の本当のお姿ではないのであります。」}

&font(#f1c232){「(作者の方々には若干失礼とは存じますが)元々演義とは講談などで語られていた各武将や合戦の逸話を繋ぎ合わせて作られた架空の物語に過ぎないのでございます。」}
&font(#f1c232){「そしてその演義では史実では滅んだ蜀漢が「正義」として書かれておりました。」}
&font(#f1c232){「その為に蜀の人物は「生まれが貧しいが皇帝の血筋を持つ高潔な君主」、「数百人は一人で倒せそうな武将」、「あらゆる事に精通し天候まで操る軍師」と言う様にあからさまな美化や脚色が施されたのでございます。」}

&font(#f1c232){「…とは言え史実では蜀は為すすべもなく魏に滅ぼされており、当時の王朝の目に止まる事を考慮すれば((「魏と親交を結んでいたという邪馬台国でも後世にて著作された物語が統治者にとって相応しくない書物は絶版、もじった内容に書き換えると言う配慮がなされております。」))いくら物語とは言え「蜀が魏や呉を倒して大陸を治めた」などと語る事は恐れ多くて出来無いという事は私めも理解できるのです。」}
&font(#f1c232){「となると史実同様に蜀は魏に滅ぼされるという展開になるのですが上記の様に「超人ぞろいの国が滅ぼされる」という展開にすると苦情続出、物語の勢いに水を差すと作者が想定するのも無理はございません。」}
&font(#f1c232){「そこで史実では蜀が崩壊した時の君主であらせられた劉禅様が「無能で宦官を重用して先代が築き上げた国を衰退させたから蜀は滅んだ」という展開にして蜀が滅ぶ描写に説得力を持たせる配慮がなされました。」}

&font(#f1c232){「この事で三国志演義は我が国…そして海を越えて他の国の人々にまで愛され、登場した武将や文官は理想の人物として親しまれました…が劉禅様やわたく…いえ、重用されていた宦官の黄皓は「先代たちが建てた国を滅ぼした暗愚や小悪党」という形で語られ、愚かな人物と嘲笑と怒りを向けられてそれが真実だと人々に伝えられる事となったのです。」}
&font(#f1c232){「ああ、お労しや劉禅様。」}


*実際の劉禅の概略
演義では良き部分がスポイルされているだけで臣下や諸葛亮が眉を潜めることもあったが、そこまで酷い君主としては実は書かれていなかったりする。
諸葛亮の政策を全面信頼し自分の意志で妨害するような行為は皆無で、謀反疑惑に対しても配下を宥めて粛清や左遷せずに本人に釈明をさせて疑惑を解消させている。

しかし主人公とも言える父劉備が建て、意志を託された諸葛亮が盛り立てようとした国を滅ぼしたという事実が過剰なネガキャンを生み出す結果になってしまった。
このネガキャンはやたら効果があったようで、現代の中国でも滅茶苦茶嫌われており、[[魏延]]のように墓が何度も破壊され、時の権力者が「阿斗にはなるなよ」なんて言い張る程扱いが悪い。
幼名の阿斗が「阿呆」の語源なんて説もあったり、救いようのない人間を「どうしようもない阿斗」という慣用句があるほど。
この所為で大体の三国志創作でも暗愚扱いされている。 


そもそも正史において、蜀は歴史がきちっと整理されておらず、劉禅の統治については不明瞭な点が結構多いのが実情である。
ただし創作的要素を抜きにしても、ほとんど評価されておらず、問題が有りかつ非積極的な人物である事は史実での劉禅に対する言及からほぼ間違いないと思われる。
末期の蜀は全体的に問題が多いため君主の劉禅のせいで蜀が滅んだというのは言いすぎだが、もともと弱小国だった蜀がさらに末期的になった原因の一つくらいではあると言える。

*劉禅の生涯
[誕生直後]
北斗七星がどーたらこーたらなんて演義の創作なので無視。
1歳の頃にいきなり父・劉備が曹操に追われ、他の家族や劉備の重臣共々逃避行に走る。俗に言う「長坂の戦い」である。
この時、趙雲が胸に阿斗を胸に抱え、甘夫人共々救出したのは有名すぎるか。

[皇帝即位後〜蜀漢の滅亡まで]
223年、劉備が夷陵の放火事件が原因で病死し、皇帝に即位する。
[[諸葛亮]]を筆頭に蒋エン・費イ・董允の所謂「四相」を重用して政治を執り行っている。
魏も呉も、国内のバタバタで皇帝が時には退位させられ、殺されたりもする中で、劉禅はずっと皇帝であり続けた。
もっとも、魏が国内のゴタゴタで蜀を相手にしている暇がなく、また蜀もそんなバタバタを起こしていられる余裕さえない国力だったからともいえる。

そして国内のゴタゴタを片付けた魏が本格的に攻めてきた時には、[[姜維]]の援軍要請を黄皓の「占いでは魏は攻めてこない」という妄言を信じて無視することになり、対処が後手後手となった。

トウ艾が大軍を率いて侵攻し、成都に攻めてきた時は領民を見捨てて南蛮や呉に逃げようとしたが、譙周の勧めであっさりと降伏した。

が、この降伏も、劉備や諸葛亮がヒーローの三国志では売国奴扱いされる原因になってしまった。降伏を潔しとせず自決して果てた息子・劉諶との扱いの差を見れば一目瞭然である。
更に、降伏後も姜維の手綱を取れず、姜維は鍾会をたぶらかす形で反逆事件を起こした。
この反乱に伴って成都で領民は大混乱に陥り、魏によって女性も略奪され、それに伴い劉禅の妾である李昭儀が自殺。功臣である張翼や太子の劉璿などが巻き込まれて犠牲になっている。

[蜀滅亡後]
投降後はついてきた家臣は郤正以下僅かな者のみだった。この郤正の補佐を受けて劉禅は魏において落ち度無く振舞うことができたので、劉禅は「郤正を評価するのが遅かった」と嘆いたという。

その後は先祖の故郷幽州の安楽公((所領一万戸。曹丕に禅譲して山陽公となった献帝も一万戸もらっており、捨扶持とはいえそれなりの高待遇は受けていたことが分かる。))に封ぜられ、271年に天寿を全うした。
ただし次男の劉瑤を無視して六男の劉恂を後継者に指名したのでまたゴタゴタを起こした。
劉禅の子孫は晋の大規模内乱である[[八王の乱や永嘉の乱>五胡十六国時代]]で皆殺されてしまったという。((劉禅の弟・劉永の孫は生き残ったという記述はある。ただしその子孫がどうなったかは不明。))
 
*劉禅の人物評価
皇帝即位後、後宮を増員したり遊び回ったり等の問題行動が多く、董允に諌められていた。
まぁ父・劉備が急に死んでムシャクシャしてたのかもしれないが…。

また、蜀の末期にはお気に入りの宦官である((本来なら、政治権限を宦官が握ることはできないのである。))黄皓に政治権限を握らせた結果、皇室内も含む様々な問題を引き起こし、蜀の衰退を招いている。
この事は当時盟を結んでいた呉の使者である薛クに「蜀の君主は暗愚で過ちを知らない」「(蜀は)軒先に住むツバメの親子が、家が火事になっても気付かずに、安全だと思って浮かれている、というようなものだ」と称され、呉の張悌には「蜀は宦官が政治を欲しいままにしている」と非難される程だった。
このように、当時から問題が指摘されている人物ではあった。薛クの例えをそのまま受け取るなら、国の存亡の危機が迫っても暢気に遊んでいたという事になる。

三国志の著者・陳寿からは「白糸は染められるままに何色にも変ずる」=部下次第で名君にも暗君にも変わると評されており、
「四相」が政治を取り仕切っていた時代と、黄皓重用後の蜀の斜陽っぷりを見比べると良くわかる。


宦官の[[黄皓]]を気に入って重用した結果がグダグダすぎる上に、
バタバタ重臣が死んだ後まともな人材を集められなかった辺り、人物眼は父の様にあったわけではない。
それでも諸葛亮健在時にはある程度まっとうな性格であったが、その後は&font(l){NTRの証拠隠滅に臣下を処刑}黄皓台頭後は黄皓と反りが合わなかった功臣が左遷させられており、悪い色に染まったようだ。

演義では「酒色に溺れた」とされているが、正史には「酒」がらみのエピソードはほとんどない。この点だけは、阿斗ちゃんは孫権に対して勝ち誇ってもいいかもしれない。
しかし&font(#ea9999,b){色}に関するエピソードは豊富で、劉禅の人格を伺える逸話が殆どない中、エロ方面では非常に目立っており以下がその逸話である。

・後宮拡張おねだり計画

劉禅は&b(){常に}後宮の拡張を望んでいた。
後宮には皇帝の私生活の場、という側面もあるのだが、この場合「采女」つまり&font(#ff0000){アハーン}できる女の子を増やしたい!という率直な要望であった。正直なやつめ。
しかしお世話係である董允は&b(){「古の帝王でも后は12人でした。今既にその数がいるのに、これ以上増やすとかありえんだろjk」}とこれを聞き入れようとはしなかった。
この時点で「后妃」扱いされている女性だけで12人なので、手をつけられる女性はその何倍もいたはず。忙しい(はずの)皇帝の身でありながらさらなるハーレム強化計画を練るとは、なかなかの豪の者である。
まあ英雄色を好む、とも言われるし、ここまでならまあ・・・という感じではあるが、 &b(){このため劉禅は「何このおっさん厳しい」と董允を疎むようになった} ときては話が別である。
もっとも、この諌め自体は聞き入れて断念しており、董允の生きている間政治はまともだったようなので、一線は越えなかったとも言えるが。
ちなみに、蜀滅亡後、晋に候として迎えられた劉禅の子孫は&bold(){50人以上}もいた。

・臣下の奥さん完全NTR事件
車騎将軍であった劉琰には、若くて美貌の妻がいた。ある時新年の挨拶のために後宮に伺うと、本来ならその日に帰るところを&b(){一ヶ月も宮中に滞在させられた}。
名目の上では「皇太后の命令で」ということになっているが、どう考えても劉禅直々の&font(#ff0000){アハーン}な状況である。
劉琰は当然激怒し、戻ってきた妻に散々ドメった挙句、顔面に靴を叩きつけて離縁するという行動に出た。この仕打ちを受けた妻が訴えたため、劉琰は逮捕される。

当時の常識から言うと、家内暴力に公権力が介入するということはまずない(まあ、魏にも似たようなエピソードあるけどさぁ…)。よって当然&font(#ff0000){アハーン}な関係にあった誰かさんの関与があったのは間違いなく、
逆に&b(){そういう関係にあったことを裏付けてしまう}という墓穴っぷりではあった。そして&b(){その墓穴は劉禅自身の手でどんどん大きくなっていく。}
この時劉琰に罪状があったとするなら、妻に暴力を振るったことよりも、「皇帝の不貞を疑ったことで、その権威に泥を塗った」という点だろう。これは重罪として裁くのに充分な理由である。
しかし劉琰は結局晒し首という極刑に処されるのだが、その罪状は「顔は履物を置くところではないから(震え声)」という&b(){謎過ぎる理由}であった。

こんな理由で極刑にされた人間なんて三国志中見渡しても彼ぐらいだが、罪状が「皇帝の不貞を疑った罪」ではなかったことで、不貞が疑いではなく、実際に&font(#ff0000){アハーン}だったことを堂々と示した結果になった。
阿斗ちゃん的には&b(){墓穴の中にさらに墓穴を掘った}ような始末であり、この事件の後、臣下の妻女が参内することは皆無になったという。



この辺考慮すると演義で悪く書かれてしまうのもちょっと解る。
やはり、一代で蜀を築き上げた父親が偉大すぎたのかもしれない。ヘタレだけど。




&font(#f1c232){「え?やはりただの女に溺れ、宦官に操られていた愚かな君主ではないかと?滅相もない。」}
&font(#f1c232){「…確かに上記の内容は(特に逸話に関しては)否定のしようも御座いません…しかし他においては当時の状況や環境上やむをえない事情や評価できる面もあるのでございます。」}


*考察と評価点

・「白糸は染められるままに何色にも変ずる」
前述の陳寿の評価である。
…とは言え劉禅は決してただのお飾りやイエスマンではなかったのも事実である。

[諸葛亮死後]
佞臣「孔明が死んでよかったですね。」
劉禅「え?何で」
佞臣「孔明は隙を見て裏切ろうとしていたように思われます。その死は国を上げて祝福すべきことで、悲しむべき事ではありません。」
劉禅「(ぶち切れて即座に)お前、死刑」

当時劉禅は蜀の権力の大半を諸葛亮に委任しており、その気になれば諸葛亮が劉禅に取って代わることさえ出来たのである。
上記の佞臣の発言も(発言時期を別にすれば)決して間違ったものではなく((というより「水魚の交わり」と言われた劉備自身が、諸葛亮の将来の謀反を警戒していた節さえある。劉備は死の間際にわざとらしく尚書令(宰相と同格)李厳らの前で「太子が暗愚ならばとってかわるべし」などと言っていたが、普通に考えて「はい、そうします」とは返事できまい。その他「馬謖は役に立つまい」など一連の劉備の真意を「諸葛亮の簒奪を警戒して釘を刺した」と読むことも可能であろう。もっとも、劉備は内心はどうあれ諸葛亮をはっきり偏析するような言動は取らなかったが。))、劉禅が暗愚であったなら信じてしまい、一族を処刑してしまう可能性もあったのである。
少なくとも諸葛亮健在前後時は善悪の判断は出来ていたようであり、また先帝と同じく諸葛亮に最後まで全幅の信頼を持っていたと言う証でもある((尤もこの佞臣は劉備にも処刑されそうになっており、諸葛亮がとりなして命をつないでいる状態だった。自分を救った人物を死後罵る奴は誰が見てもクズなのは明らかである))。

[姜維の扱い]
演義ではぼかされているが彼の北伐は諸葛亮のそれとは違い(特に最後の方は)単に国力を消耗するだけの物となってしまっていた((ただし、魏に立ち向かう姿から民衆からは評価されていたと言う説もあり、軍や民の国内での不満を外敵に目を向けさせて逸らし、内部の引き締めを行うと言う形ではある程度成功していたとも言える。))。
蜀の臣下の大半が姜維の排斥を望んでおり、劉禅のお気に入りの黄皓に依頼して姜維を降格させようとする位であった。
状況的にどう考えても姜維は降格される…と思われたが劉禅は反対し、姜維は権力を維持する事が許されたのである。
(ただし、姜維はもう成都に自分の居場所がないと悟り、軍政にのめり込む結果になってしまったが)

姜維は元々魏の降将であり、謀反や反乱の可能性が諸葛亮とは比べ物にならない程高く((四相最後の一人であった費イは魏からの降将に宴席で暗殺されてしまった。 これも費イとソリの合わなかった姜維の立ち位置を悪化させたとも言える。))常識的に考えれば重用すべき人物ではなかったのである。
他に人材がいなかったからという可能性も否定はできない((夷陵の戦いで黄権や馬良などの有望な人材を多く失った上、その後も諸葛亮生前時に後の軍政を担えそうな逸材(例えば関興は史実でも若くして大抜擢された逸材だった)が早死してしまっていた。 また劉禅と遠い血縁関係とは言え魏から降ってきた夏侯覇が将軍になれる程人材が枯渇していた。))が、この事を考慮すると先帝や諸葛亮の遺志を尊重しており、蜀漢の皇帝であると言う自覚は最後まであったようである。
また、臣下の大半が排斥を支持する中で反対し、それがまかり通る状況を考えれば少なくとも皇帝としての権力や威厳、他者の意向のまま流されない意志も持っていたと言う事でもある。


確かに劉禅は配下に委任する度合いが強すぎた感が否めないが発言力や権限が皆無だったのではなく行使していなかっただけで要所では皇帝として意志主張をしていたのである。

能力のある臣下に適した仕事を与えて自らは極力口出しせずに能力を発揮させると言うのは君主として間違った行動ではなく弱小国の蜀が40年も持った事実を鑑みれば賢明な判断であったといえる。
少なくとも(やりたい様にやらせてくれた)劉禅が君主でなければ諸葛亮や姜維は権限を制限されてただの優秀な内政官や武将としてしか語られず今日の様な評価はされていなかったであろう。
皇帝自らがあれやこれやとやりだした結果[[孫皓]]のように暴政に走ってしまった例もあり、優秀な皇帝が陣頭指揮を執るというのも考えものである。

・人材発掘の怠りとそれに伴う黄皓の台頭
「四相」無き後政務を取り仕切った黄皓の人事によって蜀の中枢はガタガタになってしまい、魏に攻め込まれた際に為すすべもなく降伏するハメになってしまった。
劉禅が暗愚呼ばわりされる確固たる証拠としてあげられるのが、黄皓の台頭である。

晋に多くの旧臣が取り立てられた事を見れば蜀にも優秀な人材はそれなりに豊富だったようで、黄皓より優れた人材がしかるべき地位についていなかったのは事実であろう。
これが劉禅が人材発掘を怠った証拠であるという批判もある。
しかし、劉備や曹操が人材を集められたのはその時点で曹操や劉備が群雄の一人に過ぎず自由が利いたからであり、各地で戦乱状態で人の流動が激しかったという人集めに有利な面もあった。
劉禅の時代には、三国が鼎立して群雄割拠が一区切りつき他の群雄の持っている優れた部下を得ることが難しくなっており、蜀の人材集めという視点からは逆風であった。

仮にそれで人材を得られたとしても問題はまだある。
一度力を得た奸臣の排除はしばしば重大な内乱の種となる。魏でも、なまじ優秀であったが故に司馬昭の専横に怒り除こうとした皇帝曹髦は殺されてしまった。
綱紀粛正を行うには内ゲバを起こしても持ちこたえられるだけの国力と代替人材、皇帝自身の力が必要なのだが、元々国力に乏しく、新たな人材発掘もできずに人材もかつての忠臣達の縁故に頼り、更に北伐で国力の消耗が激しい状態であった蜀には最早内ゲバどころか粛清や権力剥奪を行えるだけの国力は無く、下手に行えばその隙に魏にあっという間に攻め滅ぼされてしまったと考えられる。
また、蜀の内部にも益州出身者と荊州出身者で派閥抗争があったとされ、こういった縁故や派閥を無視した画期的な人材の取立ては却って内乱の種になる恐れもあり得る。((孫皓の暴政についても、縁故や派閥を無視しすぎた人材の取立てが暴政と評価されたのではないか、という説がある。))

&font(#f1c232){「[[こちらの項目>黄皓]]もご覧いただければ当時の蜀の惨状がより理解できると思われます。」}

黄皓が劉禅を堕落させたのではなく、衰退していく国力を目の当たりにした劉禅や上層部が更なる国力の低下を恐れて綱紀粛正を行えず堕落していった事(そして忠臣の子孫を重用し、人材の育成や発掘がうまくいかなかったツケ)の具現化が黄皓という佞臣の台頭であり、たとえ黄皓がいなくても別の人物が似たような立場になっただろうという意見もある。

ただ結果的に国が混乱のうちに終焉を迎えた事を考えれば予想はどうあれ劉禅は綱紀粛正を断行するべきだったのは間違いないだろう。
年代的に魏も諸葛誕の乱や曹髦暗殺と内ゲバに忙しい時期であり、魏からのちょっかいが少なくなるこの期が自国の内政を自浄させるのは最大にして最後の好機でもあった。
結局、対処療法を行わず延命療法を行った結果が蜀の終焉となれば劉禅にも非はある。


・魏に対して交戦せずに降伏
演義においては情けない書かれ方だが史実とは状況が異なるので一概に批判出来るものではなかったりする。
確かに初期対応が遅れて後手後手に回ったのは落ち度であるが、姜維ら蜀の精鋭は剣閣で劉禅の降伏まで一歩も引かぬ戦いを展開し、成都までの守備軍の中にも抗戦した諸葛瞻がいる事から取れるべき手段を打った上での降伏であり、無抵抗のまま命惜しさ故に降伏したと言うような指摘は全くの筋違いである。

南蛮への逃亡や呉への逃亡が他の策として挙げられており、劉禅も乗り気だったのだが、史実では『同盟相手である筈の呉は火事場泥棒とばかりに白帝城へ攻撃中』、『南蛮も(少なくとも演義の様な)友好関係では無く反乱がたびたび起こっており、下手をすれば[[袁兄弟>袁家三兄弟(三国志)]]の様な末路を辿る可能性があり』、最早劉禅の望む逃亡は叶わず抵抗して散るか降伏しか取れる道は実質無いも同然であった。
抵抗するにしても上記の通り八方塞がりで救援の望みは皆無、成都に残された守備兵では滅亡までの日数を稼ぐこと位しか出来ずに無残に散るだけという状況であった。
譙周の意見に従い場当たり的な逃亡や無茶な戦いを諦め、降伏という判断は決して間違ったものではない。

降伏を良しとせず自決した息子の劉諶と比べて情けないという意見もあるが、既に成都が魏軍に包囲されている状況で劉禅が自決した場合、国の中枢がゴタゴタを起こして混乱を加速させるだけで次皇帝に余計な責任を押し付けるだけ或いは痺れを切らした魏軍に攻め込まれて皆殺しになる可能性もあり、無責任としか言いようがなかったであろう((劉諶が本当に蜀を存続させたいなら、自身が皇帝の子である以上、仲間だけでも集めて抵抗するか、一旦は逃げて再起を期するなども考えられたはずだが、あっさり自殺してしまった。追い詰められての行動としてやむを得ない面はあったかもしれないが、蜀の存続を望む視点からすれば、劉諶の行動も実は決して正しい行動ではない。))。
少なくとも皇帝である以上は次の王朝に引き継ぎをし、国と配下と民の行く末を見届けなければならない立場上自決は許されなかったという面もある。

・司馬昭との酒宴でのやり取り
臣下が故郷の事を思う中で呑気に楽しんでいると言う暗愚さを強調したエピソードであるが…

この話は史実かどうかも怪しく、下記の様に司馬昭側にしてもある程度劉禅への配慮が必要で下手に故郷への思いを刺激してはならなかった事や、何より''当の司馬昭が蜀平定後劉禅が洛陽に移されてから1年半後に病で死んでいる''事を考えると少なくとも司馬昭とは酒宴自体行わなかった可能性の方が高く、演義等と同じく「そういう設定の笑い話」と捉えるべきかもしれない。

仮に史実(或いは後を継いだ司馬炎辺りが似たようなことを行った)とした場合については、人によって見方が分かれる。
もちろん、冒頭で書いたように劉禅が素で回答した可能性はそれなりにある。

これに対して、擁護する立場からは、
①司馬昭は主君たる皇帝を殺害した経験を有する人物であり、下手に疑われるならば自分の命も危うい。
②姜維のように臣下たちが暴走して反乱を起こしたり、反乱に元皇帝として祭り上げられたりしないためにも、蜀に未練はないと思ってもらう必要があった。
③郤正も探りを入れてきている可能性がある((現に、宴会の中で郤正の言った言葉がなぜか司馬昭に漏れている。郤正が何を考えていたかは不明だが、劉禅の立場から「探られた」とみるのは不自然ではない。最も前述の通り郤正は劉禅が落ち度無く過ごせるように尽力した臣下なので、彼を疑うようでは白紙も色褪せたと言うものであろうが))。
そんな中で、郤正のいうことにバカ正直に従う太平楽でのんきな人物と思ってもらうための演技だった・・・というのが擁護説である。

他方、司馬昭が本当に「下手な態度を見せれば劉禅を殺すつもりで探りを入れていた」かどうかには疑問符が付く。
確かに司馬昭は皇帝殺害の前科を持っているが、投降してきた敵将の降伏を受け入れるなど、((魏で反乱を起こした文欽の息子・文鴦は兄・司馬師の死因ともなった仇敵の大将であるが、司馬昭はその降伏を受け入れ、文鴦は晋の代に至るまで司馬氏に仕えた。))投降者に対しての対応は全般に寛大であった((元々司馬一族は曹一族から簒奪に近い形で王朝を引き継いでいる為に下手に強気に出ると反発を招きやすいと言う状況もあると思われるが…))。
更に、蜀の旧臣は旧蜀の地などで南蛮や呉に対する任につくなど重用されていた者もおり、劉禅が害された場合は反乱や寝返りが起きる可能性がある。また、姜維による反乱と言う前科があるにも関わらず蜀の旧臣を外地での守りに重用し、一方で劉禅を首都に移したと言うことは、劉禅は彼らが反乱を起こさないための人質であったとも考えられる。
また、呉をまだ下していない中で投降した皇帝の劉禅を害するような事になれば、呉を滅ぼす時に態度が硬化するのは目に見えている。
そのため、司馬昭としては純粋な劉禅への配慮か、様子を見る意図はあったとしても、よほどのことがない限り特に劉禅をどうしようという意図はなかった可能性が高い。

指南役の郤正が「蜀が恋しいと泣け」と指導したのは司馬昭側のそういった事情を酌んでの蜀の旧臣たちへの配慮かもしれず、司馬昭らが劉禅を「ここまで無情になれるのか」と呆れたのはする必要の無い保身で故郷や先祖を蔑ろにする劉禅の態度に驚き、他方の劉禅は疑心暗鬼のままに太平楽を装ったというすれ違いが発生していたのかもしれない。

劉禅は最期は天寿を全うした。少なくとも劉禅は生かしておく価値が生かしておく害を上回る人物と評価されていたことは間違いないだろう。
それがこの宴席でのエピソードも一つの原因になっていたかどうかは、歴史の闇の中である。

&font(#f1c232){「上記の内容を「過剰擁護」、「曲解した見方で良く書いているだけ」等と一蹴するのはたやすいことでございます。」}
&font(#f1c232){「とは言え劉禅様が統治なされていた蜀漢時代は南方を除けば大した反乱も起こらなかったのも事実でございます。」}

*その他作品の阿斗ちゃん

●横山三国志
演義同様愚帝。アル中。

●コーエー三国志
シリーズの当初から、武力や知力は全キャラ中最底辺で安定。当初はあくまで「最底辺」であるだけで、そこそこの性能を持つ、劉璋と同レベル程度の単なるダメ君主に過ぎなかった。
しかしシリーズが進むに従ってどんどんネタ化が進行。10以降では能力値を&b(){3594(さん/ご/く/し)}の語呂合わせて固定されてしまった。

しかし同時にスタッフに非常に(ネタとして)愛されており、11では呂布や張飛並に専用台詞が用意され「強運」という「絶対に戦死しない」という特技を与えられるほどである。&font(l){ババ抜きのババじゃねーか}
また魅力パラメータは一貫して高目をキープしているので、君主として考えた場合そこまで使えないというわけでもない(魅力パラがない作品の場合はお察しください)。

しかし後述の無双などで若干評価が好転したためか、「いくらなんでも3594はやりすぎじゃないのか?」という声もチラホラと出てくるが、
「正史準拠にしたってせいぜい劉璋程度じゃん。そんなどこにでもいるダメ君主より、ネタになる今のままがいいよ」という歪んだ愛情を向ける人もまた多かった。
そしてそんな再評価を求める声に答えたのか、最新作である三国志13では、なんと

    統率34 武力19 知力30 政治35

ととてつもないパワーアップ。過去最強といってもよい阿斗ちゃんへと変貌を遂げた(各パラメータは100点満点です)。
プレイヤーからの評価は「評価されてうれしい」という喜びの声と、「これじゃ珍しくもない普通の暗君じゃん」と残念がる声にやはり別れたが、ほどなくして

    (3)(59)(4)(13)(30)
  (三)(国)(志)(13) (30周年)

のアナグラムであることが判明し、一転して「俺らの阿斗ちゃんが新たなネタのスタイルを編み出した」と激賞されることになった。

●真・三國無双シリーズ
「阿斗」が1や4ではアイテムだったりした。あとモブ。
4ではモブだが史実・演義同様君主になったりする。あと関平から星彩を横取りした。(ぶっちゃけ関平が歴史道理に死んでしまうし)
まぁ、星彩のモデル元が敬哀皇后・張皇后(史実での劉禅の嫁)なので仕方ない。エンパイアーズではモブ将も使えるという仕様上使用可能。
モーションの一部が親父と共通。名門も混じってる。無双乱舞が弱いが、ユニーク武器は親父より数段強い。

6からはついにユニークキャラ昇格。
暗愚とは言い切れない性格で、本気・本心を他人に見せない部分が大きい為、暗君呼ばわりされることも。
クロニクルモードの劉備との専用会話では失望させてしまったり、姜維にどこか低く見られたりしてる。
(史実と混同するのもどうかと思うが自分の立場を守ってくれている君主を姜維はもう少し敬うべきである。)
一方、彼の本心を見抜いてる星彩や司馬昭からは高く評価されている。
無双乱舞は「ちょっと待ってくれ」とポーズかけてからぶっ放す腹黒な部分もある。
晋伝EDでは司馬昭の質問に対して「あれをしなさい、これをしなさいと言われませんから」&bold(){「…とうに死んだ者たちのことで、ね」}と意味深な一言を残した。

OROCHI2でもプレイアブル参戦。今川義元、長曾我部元親と共に&bold(){蹴鞠の面白さに目覚めた。}
今回の彼は特にマイペースで周囲を呆れさせることもしばしば。所々「遊び」という言葉を使うあたりどこかこの状況を楽しんでいるフシもある。

演義でのイメージが普及してることから、製作スタッフ間ではユニーク昇格に付いて色々議論が巻き起こったらしい。
元々無双シリーズはどちらかといえば劉禅に好意的な作品だったが。

●蒼天航路
実は数少ない&bold(){劉禅を擁護している作品}。
最初の頃は長坂の逃避行でも怯えず笑っていた赤子。勿論史実同様趙雲に救出される。
その後は蛙好きの活発な少年として成長するが、
益州侵攻が原因で呉に帰還しようとしていたヨウさんに懐いていたこともあってついて行こうとする。
しかし「ここから先は敵の陣地や」「阿斗!男前になりや」と諭される。
 
●ロマンシングサガ2
劉禅をモデルにしたヤウダの国主アト王が登場。勿論暗愚。
むしろこっちは術が超強いコウメイの方が有名すぎるか。

●白井式三国志
幼少期はプラモ並にザツな体をしており、趙雲が落として額を割っても接着剤で元通りになったほど。
皇帝即位後は劉備と瓜二つ(勿論耳のでかさも)。

●一騎当千
原作とアニメには登場しないが、ゲームオリジナルで登場。
特オタである上に技がいちいちライダーチック。
ちなみに劉備との血縁関係は無い。ストーリーモードの最後でタッグを組むが。
モバゲーだと巨乳美少女で結構人気な模様。
馬謖や関平と一緒の絵となる事も多く、共々本編よりも遥かに出番(カードで登場的な意味で)が多い。

●三国志魂
ただのバカ。

●三国志大戦
1では武力1/知力1/歩兵/復活と最低のスペック。だがレアリティはアンコモン。
3では武力1/知力4/弓兵/復活/魅力と若干ましになったが本人が蜀所属にも関わらず計略「魏はいいところ」が魏の武将にしか掛からない、
且つ槍兵強化号令の為あまり使われていない。
なお、戦国大戦では彼と同じ様な立場のキャラとして武力1/統率1無特技足軽の今川氏真がいるが、計略の独自性故に今川単デッキでの使用率はそこそこ高い。
というかその計略が勝敗を分けることもザラにあったりする。
劉禅から見ればスペックで勝って計略で完全敗北した様なものである。何この差。

●反三国志
異常な蜀贔屓で有名な作品だが、彼は数少ない蜀の不遇組。
特に目立った功績らしい功績はなく、それどころか既に殺されていた呉の武将、徐盛の食客たちの仇討ちとして劉禅は暗殺されてしまう。
流石に捕まった犯人たちは処刑されたが、「彼らは主君のために命を捨てた忠義の士。残酷なことはやめ、処刑すれば十分」と&bold(){味方から犯人を庇われる。}
この時点では劉備は存命していたが、後に劉備の死んだ後、帝位を継いだのは劉諶であった。
決して無能に描かれているわけではない。前述の「白糸は染められるままに何色にも変ずる」の通り優秀な部下に支えられ、
さらにその部下が作品補正でチート強化されていたため、失策をやらかしたことはなかった。

●マンガ三国志 とみ新蔵
時代劇・剣術漫画の大家、とみ新蔵((ネットだと薩摩胆練り漫画『薩南示現流』の作者と言ったほうがいいかもしれない。))の筆致。
演義に反駁して善人に描くという程度の作品はそこそこあるが、群雄を凌ぐ名君として描かれた作品はこれが唯一と思われる。
諸葛亮に学んだ才気あふるる麒麟児として描かれ、その降伏も、戦乱に苦しむ軍民を慮っての判断と解釈された。晋での酒宴も、反戦主義からの態度として同情的に捉えられている。
この評価について、作者は公式ブログにて、無謀な外征と徴兵を繰り返す蜀漢と、それを礼賛する漢民族の思想に疑問を覚えた旨を語っている。
作者の姿勢が果たして実情に合致しているかは評価が別れるであろうが、一つの信念が貫かれていることは疑いがない。
同じく時代劇の大家である兄・平田弘史も、これに近い考え方で戦国時代の清水氏を描いている(リイド社『怪力の母』)。

追記・修正は蜀漢皇帝即位後にお願いします

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- 絶対 親父の劉備から 曹操の息子たちと 比較されて育ったろうな &br()…だから最後は親父の作った帝国より  &br()民の生命を優先したとも  -- 名無しさん  (2013-12-30 20:13:37)
- 真・三國無双では扱いが比較的マトモになってるとは思わなかった 三國志では相変わらず低能な上に数値もネタだし同じく暗愚扱いされやすい今川氏真の父が完全に俗説(三国で例えるなら演義)ベースのネタキャラになってるから  -- 名無しさん  (2014-01-26 06:04:26)
- 無双の彼は暗愚ではないから嬉しいが、虎戦車を「おもちゃ」と言ったりして何か不気味だ。  -- 名無しさん  (2014-02-26 21:22:07)
- 無双では馬鹿じゃなく卑屈  -- 名無しさん  (2014-02-26 21:37:22)
- ↑3何を勘違いしてるかわからぬが無双義元は全ッ然暗愚ではないよ。  -- 名無しさん  (2014-02-26 21:59:06)
- ↑蹴鞠一つで人間と妖魔共存させる男だからな。  -- 名無しさん  (2014-02-26 22:08:37)
- 義元や元親からは普通に有能と見抜かれていたな、無双では  -- 名無しさん  (2014-02-26 22:15:14)
- そりゃ歴代の君主達やその息子と比較されたら卑屈になるわな。魏や呉はそれ以上に最後悲惨だったが。  -- 名無しさん  (2014-02-27 19:20:19)
- 無双は、周りからの期待されないっぷりに歪んで、わざと暗愚のように振舞っているみたいなキャラ付けだな  -- 名無しさん  (2014-03-22 00:26:56)
- 実は凄い優秀だったが、そのせいで冷めた性格に育ってたとか、後年の劉備の自滅っ振りや孔明を始めとする北伐マニアなんて言われる連中に頭を痛めなてたなんて解釈してがあったが、あながち間違いじゃないかも  -- 名無し  (2014-03-22 01:49:45)
- まあなんやかんやで最終的な犠牲を最小限に抑えたのは偉いと思う  -- 名無しさん  (2014-03-22 03:17:34)
- 魏の皇帝が二代続けて早世したおかげで延命できた面があるから、少なくとも運は皇帝クラス。  -- 名無しさん  (2014-03-22 03:27:55)
- 墓を何度も壊されたってマジか…奴らの感性は分からん。別に自分が迷惑被ったわけでもないだろうに  -- 名無しさん  (2014-03-22 06:37:38)
- 浅学ながら言わせて貰うと、親父さんの劉備だって人材に恵まれた部分が大きい訳だし、特別、劉禅が愚暗な訳じゃないと思う。むしろ丞相である孔明が人材の発掘、育成、起用を怠ったせいではないですかね?「蜀が恋しいか?」「いいえ。ここは楽しい。」の下りも、やはり魏の人間の目もあるし、何より、いつまでも「蜀が恋しいよぅ。帰りたいよぅ。」とメソメソしてる人間よりマシだと思う。  -- 茶沢山  (2014-04-14 09:44:24)
- 孔明だって演義の捏造と他の武将の功績を孔明のにしてたりと何か酷いんだよね、実は特にかませにしてる連中からの評価が実際はそう言えばそんなのが劉備のとこにいるらしい説もあるとか……劉備没後からは何で蜀の国力で北伐北伐さわぐんだよとか父上から重用しないよう言われてた奴等を重用して痛い目に合いやがったけどあいつに変わる人材いないからなあ……で頭痛めてた劉禅説もあったらしい  -- 名無し  (2014-05-04 00:23:20)
- 別に捏造は孔明のせいじゃねぇけどな。北伐を急ぐのもこれ以上国力差が開くとどうしようもなくなるからだったし、別に故無く北伐をしたかったわけじゃない。  -- 名無しさん  (2014-05-04 05:19:03)
- 人徳(何だかんだ言って人は集まる)が劉備、武力や策謀が曹操、政治や治世が孫堅、なイメージなんですが、それで合ってる?  -- 茶沢山  (2014-05-04 07:56:19)
- ↑↑良くも悪くも劉備の残した影響が強過ぎた。そもそも劉備が関羽に張飛の仇討ち優先して大失敗に終わって蜀の国力が一時壊滅状態になり、孔明は止められなかった責任感じてたのも北伐にこだわった理由だろうし  -- 名無し  (2014-05-04 14:16:04)
- 無能な怠け者って感じ。だから人材が次々死んだあと最後に残った孔明あたりが死んだ時点でどうにもならなくなった。夷陵で劉備が人材焼却処分しなけりゃもっともっただろうなあ  -- 名無しさん  (2014-05-04 15:57:10)
- 劉備の場合、掲げた看板の為に、義兄弟の仇討ちを後回しに出来なかった、て事情もありそう。  -- 茶沢山  (2014-05-04 18:18:34)
- 日本史でいうなら、徳川家定や大正天皇だな。先ず無能で批判されるあたりが。徳川家定は松平慶永、大正天皇は山縣有朋が批判していたね。家定は阿部正弘、井伊直弼を重用したし、大正天皇は父親に比べたら政治に干渉せず、立憲君主制の元首として余計なことをしなかった。臣下からしたら、余計なことをしない分、有難い主君なのかもね。  -- 名無しさん  (2014-05-05 05:37:28)
- 日本史に例えるってなると曹操が織田信長で劉備は皇室か源氏の血を引く武将って事になるのか?  -- 名無し  (2014-05-05 13:00:56)
- ↑曹操は信長と信玄を足したような人。劉備は足利尊氏になるのか?武闘派の家臣には慕われていたから。  -- 名無しさん  (2014-05-05 21:43:46)
- 赤ん坊のときに父さんが投げて頭をぶってバカになったか・・・。  -- 名無しさん  (2014-09-03 12:20:07)
- かつての日本で例えると沖縄が堕ちる前に降伏したようなもんか。悪く言われてるけど孫コウなんかよりは大分マシじゃない?無双6での好意的解釈は結構良かった。  -- 名無しさん  (2014-09-03 13:02:34)
- 無双orochi2での趙雲との陣地会話には驚かされた。普段はのほほんとしているけどたまに核心をつく発言するから油断できない  -- 名無しさん  (2014-11-01 19:50:56)
- 無双シリーズでは4の白帝城やEDで剣の稽古をするあたりから扱いの良さが逓増してったイメージ。魔王再臨なんか劉禅救出するドラマティックモードのステージまであるし。  -- 名無しさん  (2014-12-02 16:58:52)
- 魏や呉のような皇位を巡る争いが起こらなかったこと、無駄な犠牲が多数出る前に見切りをつけて降伏したこと、降伏後は天寿を全うしたことなどは一概に暗愚とは言い切れない。もっと評価されるべき。  -- 名無しさん  (2015-01-23 19:50:11)
- つーかあれは創作だろうとは思うけど、もし本当の話だとしたら「蜀に帰りたがっている=いつか叛乱を起こす」ってことになるわけで  -- 名無しさん  (2015-01-23 20:57:59)
- そもそも司馬昭が同じ事を聞いてきたのが怪しい。郤性  -- 名無しさん  (2015-01-23 21:16:34)
- 郤正も司馬昭の手先になってた可能性もあるし。バカを装うことで自分に限らず、蜀から連れてきた自分の臣下も守ったととれる。  -- 名無しさん  (2015-01-23 21:17:40)
- ↑4それだと後継者でゴタゴタして降伏せずに逃亡しようとしたから劉禅は暗愚なんじゃ  -- 名無しさん  (2015-01-23 21:51:54)
- あの薄っぺら委  -- 名無しさん  (2015-02-23 06:59:42)
- 侍中宦官を重用して国政を乱したこと、挙句国を滅ぼしたこと、滅ぼした上にかつての部下を制御できず反乱が起きて都と人民ににダブルパンチを与えたこと、そして宴席でのユカイな受け応え。これが暗愚じゃなかったら誰が暗愚だって話だよ。歴史上これより下がいくらでもいるのは否定しないが。  -- 名無しさん  (2015-03-16 06:23:58)
- そもそも宴席での受け応えを演技とみなすのは何の根拠があってなのか。此の時点で既に劉禅は完全に無力な状態であり、皇帝ならともかく司馬昭に対してどんな発言をしたところでそれが原因で処罰されるといったことはない。文字通り劉禅の主体性の無さを顕してるだけだろう。  -- 名無しさん  (2015-03-16 06:26:53)
- 発言そのもので処罰されなくとも、罪を着せる動機になることは考えられる。元皇帝として反乱に担ぎ出されることもある。劉禅が素か演技かはともかく、司馬昭は探りを入れていると見るのが自然。  -- 名無しさん  (2015-03-16 09:14:28)
- 魏から帝位を簒奪した司馬昭の行動に暗殺が多いからなぁ。旧蜀臣に担ぎ出されても面倒だしさっさと難癖つけて殺そうとする可能性は無くもないわな。宴席での劉禅の意図は知らんw  -- 名無しさん  (2015-03-16 16:17:36)
- じゃあなんで「蜀が恋しい」って言った劉禅は難癖を付けて殺されなかったんだ  -- 名無しさん  (2015-03-16 16:37:34)
- ↑郤正とやらの言いなりらしいと確信できたからじゃない?  -- 名無しさん  (2015-03-16 16:41:22)
- じゃあなんで郤正はお咎め無しだったんだ。それに部下の言いなりなら、担ぎ出そうとするやつが近づいてもノーガードになるだろうし余計放置できないんじゃ  -- 名無しさん  (2015-03-16 16:56:44)
- ↑郤正とやらが魏のスパイになっていたとか。それから部下といっても近づくには許可がいるだろうし。蜀の旧臣が誰でも自由に接近できたわけじゃないと思う。そもそもそんなに部下なんていないと思うよ。  -- 名無しさん  (2015-03-16 17:54:30)
- となると郤正は劉禅が魏でつつがなく過ごせるように色々補佐した人だから、仮にスパイなら魏としては劉禅に平穏無事に暮らして欲しかったって事になるな。こりゃ最初から何言おうが処罰は無いな  -- 名無しさん  (2015-03-16 18:03:18)
- それに部下の状況がそうならそもそも担ぎ出される可能性自体が最初から皆無に等しい、まったくの無力ってわけか。  -- 名無しさん  (2015-03-16 18:17:30)
- 実際あれが演技だってのはどういう根拠に基づくのやら。まああの発言を無理矢理弁護するとなると、「実は演技だったんだよ!」「な、なんだってー!」ということにするしかないからだろうけど・・・  -- 名無しさん  (2015-03-16 18:32:54)
- 姜維ですら劉禅に付き従ってる感じじゃないしな。 下手したら劉禅に対して忠義を貫いた将っていないんじゃねえの?  -- 名無しさん  (2015-03-16 19:39:49)
- 忠義を貫いたかはわからんし将じゃないけど、郤正は蜀滅亡後に妻子を捨てて劉禅に付いて行ったな  -- 名無しさん  (2015-03-16 20:00:30)
- 劉禅は昔の作者や読者たちに嫌われすぎた結果特に人物像が分り難くなってる  -- 名無しさん  (2015-03-16 20:09:14)
- 陳寿の「白糸」と薛クの「劉禅は暗愚で過ちを知らない」からまあ、蜀末期の劉禅は駄目なんだろうなって事はわかるな  -- 名無しさん  (2015-03-16 20:19:02)
- 別に嫌われすぎたからじゃなくて、元々劉禅は記録が少ない。「」で囲めるような劉禅自身の発言なんて、自身の伝には司馬昭との一件ぐらいしか出てこない。他人の伝を探っても姜維から黄皓の件で詰め寄られたときぐらい。  -- 名無しさん  (2015-03-17 13:29:32)
- ↑10それは桓階を殺さなかった劉表や王修や牽招を登用した曹操と同じ理由じゃないかな  -- 名無しさん  (2015-03-17 16:30:32)
- ↑なるほど郤正の劉禅を補佐する能力を高く買ってたわけか。確かに郤正が居なければ劉禅は絶対何かやらかして処断する羽目になりそうだしな  -- 名無しさん  (2015-03-17 17:13:30)
- ↑それもあるかもしれないけど一番大事なのは郤正が自身の危険を顧みず「義」を貫いたということかと。そういう人物を許して臣下にすることで自分は「義」や「孝」をよく理解してる器の大きい人物ですよーっていうアピールになる。  -- 名無しさん  (2015-03-30 12:12:46)
- 今更過ぎるアピールだけどなw蜀がある間に見せてろよって感じで  -- 名無しさん  (2015-03-30 14:03:45)
- 降伏後の宴会のエピソードをコーエー評価スレでは「疲弊を無視して勝ち目のない北伐を繰り返す姜維、それを止めれない成都政府、漢朝の復興を頭から否定する士大夫、そして発言権を持てない自分。  -- 名無しさん  (2015-06-08 15:59:45)
- 蜀滅亡前後の態度は何も分かってないゆえの愚行というより分かっていても何も出来ないゆえのものではなかったか。あの受け答えは本当に楽しくて蜀を忘れたわけでも保身のために愚鈍を装ったのでもなく本当にあの頃の蜀には戻りたくもないし思い出したくもないと吐き捨てたかったのではないだろうか」と言われてるな。自分もそう考えるようになった  -- 名無しさん  (2015-06-08 16:02:54)
- ↑それだとつくづく皇帝の器じゃねぇなぁ・・・w  -- 名無しさん  (2015-06-08 16:42:28)
- オヤジのコレのどこが大徳だ?に比べたら分り易くてい好きだけどな まぁ後宮関係の話はちとヒクがw  -- 名無しさん  (2015-06-08 18:59:52)
- 昔読んだ三国志解説漫画で司馬昭の質問に答えた後「ここでは誰も私に戦を勧めませんから」と呟く疲れきった人になってた。イメージにあった横山三国志の印象は変わらなかったがちょっと見方は変わった  -- 名無しさん  (2015-06-08 19:36:10)
- 降伏後、対立者であった姜維すら擁護した郤正をスパイ呼ばわりたぁ酷い奴がいたもんだ  -- 名無しさん  (2015-06-11 14:13:13)
- 貶しあいに発展するような内容にするのは感心しない  -- 名無しさん  (2015-06-11 14:19:23)
- 孔明を粛清とかしなかった時点で君主としてはこいつより下が大量発生するんだよね。無能ではあるが暗愚ではないって感じ。  -- 名無しさん  (2015-09-10 16:07:57)
- そもそもそこらの暗愚なら孔明を殺してるんだよな ただ、有能型でもあそこまで全権委任してぶん投げないけどw  -- 名無しさん  (2015-11-19 00:37:49)
- 三國無双の4コマ漫画だと、父である劉備や他の武将からも無能扱いでいじめられ、 ガンガン連載のブレイド三国志では、完全に蜀をダメにした暗愚とボロクソに悪く描かれていたな。  -- 名無しさん  (2016-01-18 19:19:34)
- ↑2馬鹿野郎、まる投げ同然で委任してたからこそ孔明が今日まで評価されたんじゃないか。 結果的に過労死してしまったが孔明自身は「自分を信頼し全てを委ねてくれる」理想的な君主に巡り会えて満足だったと思うぞ。  -- 名無しさん  (2016-03-08 00:17:47)
- 無双のプレイアブルになってからは暗愚詐欺の人に。  -- 名無しさん  (2016-03-08 11:16:20)
- 最近は中国でも再評価されつつあるんだぜ、これはすごい事  -- 名無しさん  (2016-03-08 11:46:12)
- ↑ それはすごいな......。誰かがなんかしたから?  -- 名無しさん  (2016-03-09 11:50:10)
- ↑日本の影響だろうなたぶん  -- 名無しさん  (2016-03-09 11:56:38)
- 当たり。日本文化オタクの中国人はそこそこいてだな。ネット環境ある中流層の1割にも満たんと思うが、3億の1割は3千万人なわけで。彼らは日本人が三国志人気な事知って改めて調べ出し、大学でガチ研究する事もある。そして偉大なる中国の歴史として新解釈を発表するわけ。毛沢東信仰が薄れたから、劉禅は暗愚でFAという結論に議論の余地が初めて生まれた  -- 名無しさん  (2016-03-10 09:56:18)
- ↑日本の影響すげえな、あと三国志13の追記した人乙  -- 名無しさん  (2016-03-10 18:43:46)
- ↑ 日本の影響力って中国政府からしたら畏怖の対象だからな。 某アイドルグループの姉妹グループが上海にできた時も『日本が選挙という人民の政治介入を広めようとしてるアル』って発狂してたし。  -- 名無しさん  (2016-03-14 09:35:37)
- ↑ アイドルグループでその反応かよ大袈裟すぎだろワロタwww  -- 名無しさん  (2016-03-14 20:42:15)
- 真面目なwikiじゃないからそこまで厳密に欠く必要もないとおもうけど、いくら何でも無茶な擁護をし過ぎの気がする・・・・・・  -- 名無しさん  (2016-03-18 23:51:45)
- ue  -- 名無しさん  (2016-03-19 01:15:33)
- ↑投稿ミス  擁護も何もこれまでネガキャンが酷すぎた反動で擁護が過剰に見られているだけかと…(少なくとも魏や呉よりはマシだし)  -- 名無しさん  (2016-03-19 01:22:24)
- 例えば日本でも家老が実権を握る為、君主の若君をバカ殿に育てると言った事例は多くある。それに、記事にもあるが「滅ぼされた国の王は愚案で無ければ相互性が取れない」と言う事情もあり、過剰にdisられている可能性もあり、また家臣達が降伏後、国が滅びたのは自分達のせいでは無いとする為(自分達に滅亡の責があるとすると、仕えた新しい君主に重用されない為)、やはり「王がアホやから・・・」と言った記録を捏造する事は多くある。その証拠に、(以前からの滅ぼされた王朝の王もしばしば同様だが)幼少期は賢く武芸の才もあったとされるのに、晩年はその見る影も無くなっている。  -- 名無しさん  (2016-03-19 08:31:43)
- そういう一般原則はあるが、劉禅にそれが当てはまるのかというのは別の話でしょう。史書の常として可能性は否定しえないが、それを事実のように書くのは流石に違うのでは。自決した後で混乱が増加するってのも根拠のない推測だし、降伏に関しても最初は成都を見捨てて逃げようとして臣下に諫められてあきらめたんだし、黄皓に関してはそもそも最初から重用するのが悪いって話だし。まあ劉禅を擁護しようとなるとどうしても「きっとこういう深い理由があったに違いない」という論法にならざるを得ないしそれはまあいいんだけど、推測はあくまで推測として書くべきでは?断定ではなく。  -- 名無しさん  (2016-03-19 09:04:51)
- 擁護のための推測はまとめて一か所にして集中させるとか、史実の要素を書いてそのあとに黄色で佞臣的超ヨイショをつけるとかすると、史実と編集者の推測をある程度わけることができるし、もっと大胆な推測も書けて面白いのでは。  -- 名無しさん  (2016-03-19 09:21:14)
- まぁ確かに憶測なんだけど、判官贔屓と言うか、各作品でdisられ過ぎて擁護したくなる。 -- 名無しさん (2016-03-19 12:12:21
- 一応纏めてみました。 編集合戦の様で削除されている解説も多いので追記や修正していただければ幸いです。  -- 名無しさん  (2016-03-19 12:53:49)
- 擁護を幾らしても、最後は黄色を重用したという致命的采配が暗愚説を確定させてる悲しさよ。でも擁護すべき部分は擁護されつつあるからよかったよかった  -- 名無しさん  (2016-03-19 14:39:01)
- コメント欄が長くなってきたのでリセットしました  -- 名無しさん  (2016-03-19 20:49:29)
- まあ完璧な人間もすべてが駄目な人間もまずいないからね。大抵の人物には何かしら評価点、あるいは評価の余地がある。蜀は記録が比較的無茶苦茶な分考察の余地があるし  -- 名無しさん  (2016-05-22 19:09:06)
- なんというか三国史関係の作品だと英雄が起こした国を愚鈍な息子が駄目にしたっていう見事なオチにするために利用されまくった感じがすごいからなぁ。滅んだ原因もだいたいこいつのせいにすれば他の武将は活躍とかさせられるし  -- 名無しさん  (2016-07-07 03:58:11)
- 黄皓「許された」  -- 名無しさん  (2016-07-07 12:17:51)
- 降伏は妥当だったと思うなぁ。徹底抗戦じゃ後に残された人が大迷惑だ。美談扱いされる玉砕も残される人&付き合わされる人にとっては迷惑。※玉砕に付き合う人が納得してて徹底抗戦に意味がある場合はもちろん別ね。岩屋城の戦いとか  -- 名無しさん  (2016-07-29 13:41:50)
- 降伏は妥当だとしてもそれは降伏を勧めた譙周の評価点で逃げる気でいた劉禅の株は上がらないのでは  -- 名無しさん  (2016-07-29 15:24:21)
- 資料が少ないからしっかりとした評価が難しいのによくここまで議論できるね。三國志に対する愛を感じるわ。  -- 名無しさん  (2016-08-22 21:45:29)
- 正直嫌いじゃないな、人間らしいというか  -- 名無しさん  (2016-08-27 10:13:09)
- 小学生向けとコンビニ本の三国志関連の本では相変わらず蜀滅亡の戦犯と書かれているわ。  -- 名無しさん  (2016-09-13 07:09:55)
- そりゃあどうあがこうが蜀滅亡の戦犯扱いは変わらんと思うぞ。  -- 名無しさん  (2016-12-06 02:34:00)
- 無双の欄の飽三娘の記述いるか?はっきり言って不快だわ  --     (2017-01-15 20:54:54)
- ↑の者だけど消しといた  -- 名無しさん  (2017-01-15 20:58:11)
- たしかに記事のように「蜀が恋しい」なんて言ってたら司馬昭に疑われてたかもしれないし、どうせ復権出来ないならあらぬ疑いかけられるより暗愚な人物装ったっていいと思う  -- 名無しさん  (2017-01-16 15:12:56)

- 司馬昭は疑っても何もしないよ派といいや逆心を疑ったら失脚させるよ派の論戦が絶えず、劉禅のみならず司馬昭がどういう人物かという評も絡んでくる項目。  -- 名無しさん  (2017-02-08 17:36:07)
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