成田童夢

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成田童夢 - (2013/07/18 (木) 01:12:22) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2012/03/02(金) 23:39:06
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成田 童夢(なりた どうむ)とは、1985年9月22日生まれ、大阪市住之江区出身の元スノーボード選手である。現在は声優兼タレントとして活動している。
妹は同じく元スノーボードハーフパイプ日本代表選手の今井メロ。

2006年に開かれたトリノ冬期五輪スノーボードハーフパイプ日本代表選手として出場し、活躍が期待されたがミスを連発して予選で敗退した。
これが彼の国際公式戦での最後の姿となった。
  
『童夢』という名前は父親がつけたもので他の兄弟も次男・流星、長女・メロ、トランポリン選手の三男・緑夢(ぐりむ)とぶっ飛んだすごい名前、いわゆるDQNネーム扱いとなっている。
ちなみに妹のメロは漢字表記では「夢路」と書く。
しかし、国際スキー連盟からわからないと言われたため、登録名を変えたらしい。


堂夢のスノーボードプレイ時におけるスタイルに大きなヘッドホンを首にかけていると言うのがあったが実はシャーマンキングの麻倉葉のマネ。プレイスタイルも同漫画に登場するホロホロを真似たもの。ヘッドホンから聞いていた音楽はムーンライト伝説。さらには代表選手記者会見の言葉はサンジの引用であったという。
  
童夢の方は、実は声優を始めとするアニメ業界入りを目指して、スノーボードを捨てようとしていたこともあった。
……が、父親から「五輪に出たら好きな道に行ってもよい」といわれ、渋々スノーボードを続けさせられることに。
その上、競技に集中させるのに不要だとして、高校への進学もさせて貰えなかったとか。
トリノ五輪前年には、長年にわたる父親への不満から袂を分かち独立。

そして、五輪本番では項目冒頭通りの結末を迎えたが、当人曰く「五輪に出た段階で満足であり、演技に失敗した際悔し泣きをみせたが、内心はこれで辞められるとホッとした気分であった」と話している。
  
一方、彼の父親の話。
彼はなんとしてでもオリンピックでメダルを取らせたいという一心で、子供たちを育て上げた……のだが、子供達自身の願いはその思いに沿うものではなかった。

前述の通り童夢はアニメの世界を、メロもスポーツとは無縁の世界で生きていきたかったらしく、メロに到っては、父親と離婚をして別のところに住んでいた母親のところに身を寄せ、姓も成田から今井に変える始末。もっともこれは、父親がメロの稼いだ金を着服したうえ、遊興費に使ったのもあるが。
(彼らと違い表舞台に出ることのない次男・流星も今井姓である点から、妹と同じく母親と暮らしていると思われる)。
ちなみに、三男も父親から独立済。

なお、メロもトリノ五輪に童夢と同じ競技で出場したが、怪我のため満足な練習が出来ていなかった。
満身創痍の体で強行出場をしたものの散々な内容に終わり、そのまま日本に帰国した後は現役を退いている(詳細は本人項目で)。
  

【その後…】

妹と違い、童夢は再び父親のところに戻った。
父親の期待に反し、公式には2011年にとしているが、実際には競技への意欲をトリノの後にすでに失っていたらしく、2011年7月に引退をした。
父親からは競技に戻るよう説得されたが決心は変わらない。すでにスノーボードや賞状、トロフィーやメダルはすべて処分してしまい、タレントとして生きていくことにしたようだ。

ちなみに、メロもスノーボード時代の賞状、トロフィーやメダルは全て誰かにあげたり焼却処分したという。


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