初出:85話
正式名称
ロベル・エネ・エン・ルロワ
家族構成
妻:ヴァランティナ
子:ヴァランティナとの間に子をもうけた。
子:ヴァランティナとの間に子をもうけた。
母方の親戚
叔父:バルデル(母ブラウネの弟、後の枢密院宮廷大臣、首相)
叔父:バルデル(母ブラウネの弟、後の枢密院宮廷大臣、首相)
容姿
深い栗色の髪と青い瞳を持つ。物静かな性格で、父グロワス13世と容姿も性格も似ているとされる。年齢の割に背が高く、落ち着いた物腰である。
実は甘いものがあまり好きではない(90)。身長が父より幾分高く、目が母ゆずりの青であるところ以外、まさにメアリが若い頃に見た“グロワス王子“そのもの(95)。
実は甘いものがあまり好きではない(90)。身長が父より幾分高く、目が母ゆずりの青であるところ以外、まさにメアリが若い頃に見た“グロワス王子“そのもの(95)。
地位
王子(王位継承権有り)(~1738年) → ジェント大公(~1752年) → サンテネリ国王(~1770年) → 枢密院主催者(名誉称号)
通称
「ジェント大公」、「復古王」、「枢密院主宰者」
作中での活躍
王子時代(~1738年)
1717年に誕生。
父王グロワス13世の「王の授業」を受ける生徒の一人であり、王太子の弟グロワスや姉メアリ・アンヌとともに教育を受けた。
父王の生前から王太子グロワスと仲が良く、彼を支え、助けたいという強い意志を持つ。
王の死後、父王の遺言に従い、ジェント大公の称号と二重戦争で獲得した低地地方南部の都市ジェントを中心とした名ばかりの所領を受け継いだ。
父王グロワス13世の「王の授業」を受ける生徒の一人であり、王太子の弟グロワスや姉メアリ・アンヌとともに教育を受けた。
父王の生前から王太子グロワスと仲が良く、彼を支え、助けたいという強い意志を持つ。
王の死後、父王の遺言に従い、ジェント大公の称号と二重戦争で獲得した低地地方南部の都市ジェントを中心とした名ばかりの所領を受け継いだ。
大改革後
1742年、記録的な大雨とそれに続く暴動(大改革)が発生し、首都シュトロワが混乱に陥ると、妹フローリアと共にデルロワズ公領へ脱出した。
王の不在後、シュトロワではジュール・レスパンを行政委員長とするサンテネリ共和国(第1共和制)が発足。しかし、王政の終焉は認めつつも、王兄ロベルは国民会議に参加することで共和政府と対立せず、王党派として改革派に対抗する姿勢を明確にした。親族ルロワ譜代閥を抑え、姻戚デルロワズ公家を使い軍を制御下に置く。平民議員とアキアヌ閥貴族議員を中核とする”改革派”と手を結び、戦時下のサンテネリの分断を防いだ。
王の不在後、シュトロワではジュール・レスパンを行政委員長とするサンテネリ共和国(第1共和制)が発足。しかし、王政の終焉は認めつつも、王兄ロベルは国民会議に参加することで共和政府と対立せず、王党派として改革派に対抗する姿勢を明確にした。親族ルロワ譜代閥を抑え、姻戚デルロワズ公家を使い軍を制御下に置く。平民議員とアキアヌ閥貴族議員を中核とする”改革派”と手を結び、戦時下のサンテネリの分断を防いだ。
レスパンの死と復古王制
戦争終結後、サンテネリ共和国は、行政委員長レスパンを中心とする改革派と、ロベルを中心とする王党派に分裂の危機を迎えた。 1750年、改革派の首領ジュール・レスパンが王党極派の青年により銃撃され死亡。王党派・改革派の内戦により国が割れる可能性があったが、大組織者ブルノー・ボスカルとの会談により改革派の支持も得て、1752年にサンテネリ国王ロベル3世として登極し、復古王制を樹立した。
王権の委譲と共和国の成立
ロベル3世は在位中、枢密院に実権を委譲し、自身の権力行使を抑制する統治を続けた。 1770年、53歳のロベル3世は自身の王権を国民会に委譲する最後の枢密院令「サンテネリ共和国令」を可決させ、サンテネリ共和国(第2共和制)が成立。父グロワス13世が望んだ王権を国民に委ねるという思想を実現した。ロベル3世は王権委譲後も、「枢密院主催者」という名誉称号を独占的に保持した。
枢密院会議散会の挨拶全文
諸君。今日この場においては私に一言挨拶させてほしい
50余年前のある日、貴族会の演台で当時の王がこんな言葉を残している。”百年後のサンテネリには再び日が昇る”と。
そのときから半期が過ぎたが、残念なことに私たちの頭上には未だ太陽は昇らない。相変わらず財政は酷い有様だ。外交は多少落ち着いたものの、新産業の育成には後れを取り経済的な戦いでは劣勢を強いられている。”古史”的身分こそ取り払ったものの、私たちの社会には依然酷い不平等が至る所に残されている。
だが諸君。我が国は幸運なことに素晴らしい力を手にする。明日から。我々は、我々の未来を自分の手で選び取る権利を手に入れる。一人の愚かな王の手を、それは離れる。我々は真の意味で同胞となる。皆で生き、皆で歩み、皆で死んでいく。それは素晴らしいことではないか? サンテネリ人はもはや、他者の手に自身の運命を委ねない。それは偉大なことではないか? 私はルロワ朝最後の王として、”古史”の時代に幕を下ろす役を担ったことを光栄に思う。それを望んだ幾多の人々の裔として、この偉大な瞬間に立ち会ったことを。
…諸君、サンテネリの”昔話”はこれで終わりだ