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#CONTENTS ---- **第一次大戦時の各国の国力は? 各国の工業力(1900年イギリス=100) 1880年 1900年 1913年 1938年 英 73.3 100.0 127.2 181 米 46.9 127.8 298.1 528 独 27.4 . 71.2 137.7 214 仏 25.1 . 36.8 . 57.3 . 74 露 24.5 . 47.5 . 76.6 152 墺 14.0 . 25.6 . 40.7 - 伊. 8.1 . 13.6 . 22.5 . 46 日. 7.6 . 13.0 . 25.1 . 88 各国の鉄鋼生産(100万トン) 1900 1913 1920 1930 1938 英 5.0 7.7 9.2 7.4 10.5 3位→3位→2位 米 10.3 31.8 . 42.3 41.3 . 28.8 1位→1位→1位→1位→1位 独 6.3 . 17.6 7.6 11.3 . 23.2 2位→2位→3位→2位→2位 仏 1.5 4.6 2.7 . 9.4 6.1 3位 露 2.2 4.8 0.16 5.7 . 18.0 3位 墺 1.1 2.6 - - - 伊 0.11 0.93 0.73 1.7 . 2.3 日 -. 0.25 0.84 2.3 . 7.0 保有軍艦数量(万トン) 1880年 1900年 1914年 英 65.0 106.5 271.4 米 16.9 33.3 98.5 独. 8.8 28.5 130.5 仏 27.1 49.9 90.0 露 20.0 38.3 67.9 墺 6.0 8.7 37.2 伊 10.0 24.5 49.8 日 1.5 . 18.7 70.0 http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/ww1/ww1.htm http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_regions_by_past_GDP_%28PPP #right{(第一次大戦スレ:670-680)} **第一次大戦の各国の兵力は? 動員直後の兵力 同盟国 ドイツ 450万人 オーストリア=ハンガリー 335万人 ブルガリア 85万人(7万人は本国警備、残りの半分が戦闘員) トルコ ?(平時は23,5万人) 連合国 フランス 378,1万人 ロシア 500万人(前線に従事するのは40%) イギリス 73,35万人 イタリア 87,5万人 ルーマニア 56,4万人 セルビア 46万人 ベルギー 17,7万人(35%は要塞要員) オーストラリア 6,5万人 ニュージーランド 8430人 #right{(第一次大戦スレ:86)} **WWⅡ発生以前もWWⅠは「第一次」と呼ばれていたのでしょうか? 欧州大戦と呼ばれていたかと思う。 #right(){(16:眠い人 ◆ikaJHtf2)} 「the great war」と呼ばれていました. #right(){(16:260)} **オーストリア兵って評価低いですよね。 第一次世界大戦前はオーストリア帝国は多民族多言語国家であり、軍隊内でも意思の疎通 も侭ならない程でフランスやドイツといった年期の入った”国民国家”の敵ではなかった。 戦後帝国は解体したがすぐドイツに吸収合併させられたんで今一パっとしないと思われ。 #right(){(20:176)} **第一次世界大戦で、戦犯の裁判は行われなかったのでしょうか? Versailles条約の227条に、 「同盟及聯合国ハ国際道義ニ反シ条約ノ神聖ヲ冒シタル重大ノ犯行ニ付 前独逸皇帝「ホーヘンツォレルン」家ノ維廉二世ヲ訴追ス 右被告審理ノ為特別裁判所ヲ設置シ被告ニ対シ弁護権ニ必要ナル保障 ヲ与フ該裁判所ハ五名ノ裁判官ヲ以テ之ヲ構成シ亜米利加合衆国、大不 列顛国、仏蘭西国、伊太利国及日本国各一名を裁判官ヲ任命ス 右裁判所ハ国際間ノ約諾ニ基ク厳正ナル義務ト国際道義ヲ厳存トヲ立証 セムカ為国際政策ノ最高動議ノ命スル所ニ従ヒ判決スヘシ其ノ至当ト認ムル 刑罰ヲ決定スルハ該裁判所ノ義務ナリトス 同盟及聯合国ハ審理ノ為前皇帝ノ引渡ヲ和蘭国政府ニ要求スヘシ」 としていますが、実際にはオランダが彼の身柄引き渡しを拒んだことにより、戦争責任を 問うことは出来ませんでした。 また、ワイマール政府がHindenburgを始めとして、裁判を行いましたが、結局これも有耶無耶 のうちに終わっています。 #right(){(368:479,眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **第一次世界大戦の原因は,世界を動かしていた植民地帝国イギリスに対し,新しく力を持ってきたドイツが資源と植民地を求めて戦いを挑んだと思ってるんですが,他に何かあったら是非教えてください. 第一次大戦の原因は植民地や資源や経済じゃないぞ. そもそもドイツは英国が中立化することを期待していたし,英国議会もドイツがベルギーの中立を侵すまでは,戦争に消極的だった. 大戦に至る原因は大小様々にあるが,大きいのはドイツ統一後のナショナリズムがもたらした他国との不和と,当時のヨーロッパのパワーバランスそのもの. ドイツ・・・仏露2つの隣国を同時に敵にしたら勝てないと思い込んだ フランス・・ドイツより人口が少ないので単独で戦争になったら負ける ロシア・・・ドイツ・オーストリアより工業力が劣っており単独では(ry 英国・・・・ドイツかフランスがこれ以上強大化したら本国の安全保障が脅かされる この構図が何十年も続いており,様々な外交が展開され,植民地より本土が大事ということで,英仏が数百年の対立に終止符を打ち,ナショナリズムが原因でドイツは英仏露を次第に敵に回し,そして最後に”運悪く”破綻した. ロシアはブラフのつもりで総動員を始め,それが引き金でドイツは自国を守るためフランスに先制攻撃をかけ,イギリスはベルギーを渡さないために参戦し,最初の原因だったはずのオーストリアは,何が起こってるのか分からないまま流されていく. ロシアは,対墺動員だけなら恐らく戦争はなかったが,それではドイツに対し無防備になる. ドイツはシュリーフェン・プランの都合上,ロシアが対独動員を始めたら自動的にフランスに宣戦するしかなかった. ニコライ2世とヴィルヘルム2世の往復電報には,戦争をする気も無いのに,互いの事情がよく分からず,戦争に向かっていく悲哀がよく表れている. (世界史板) **第一次大戦は,列強の植民地の奪い合いで起きた抗争じゃないのですか? 植民地を含めた勢力圏のせめぎあいが背景にあったことは確かだが,別に植民地の奪い合いを直接原因として勃発したわけじゃない. どの国も積極的に戦争を拡大しようとしたわけではなく――積極的に戦争を回避しようと努力した国もないが――,短期戦を想定していたのに,大戦になってしまったという意味で,「何が原因で起きたのか分からない」という評価になる. 大戦に至った経緯が,動員合戦から始まって,戦時計画に基づいてまるで自動的に戦争に突入してしまったような感覚で,各国の当事者の思惑を超えてしまったのだから. 直接の原因はオーストリア皇太子がセルビア人に暗殺されたのが発端だが,オーストリア皇帝が珍しくブチギレしてドイツを道連れに宣戦布告して,意固地になって戦い続けて,そうこうするうちに「敵の敵」やら「味方の敵」やら,いろんな国がわらわらと参加してなしくずしに「世界大戦」化していったから,どうしてそうなったのか当事者にもわからないという結果に. 最初は単なる局地戦で短期決戦で終わるつもりだったのに. だから,よく言われるのは, 「軍事同盟が複雑に絡み合っていて,一国が戦争を始めるとその同盟国が自動的に参戦することの連鎖反応で,ヨーロッパ全体が戦争になってしまった」 という説明. もともと,各国の政治家にとっては,その複雑な軍事同盟は戦争をするためというより,できるだけ戦争を回避し,もし戦争が始まったら孤立せず自国に有利に展開させるための同盟のはずだった. 実際に条約や密約に基づいて動員令や戦争準備を始めても,開戦するかどうかは,最後までコントロール可能と考え,また戦争が始まっても都合で停戦は可能と考えていたのに,一旦はじまると各国の軍はそれぞれの仮想的の開戦準備状況に対応して相互にエスカレートしていき,政治家から見ると追い込まれるような形で開戦せざるを得なくなり,あとは収拾がつかなくなったというのが実態. 簡単に言えば, 「敵の敵だから援軍を送ります」 「敵の敵の敵の領地がガラ空き,獲得のチャンス!」 「なにやらわからない連中が来た,攻撃」 「味方だと思っていたのに攻めてきた,全滅させたれ!」 「であの国を滅ぼした暁には分割しましょう」 「貴国は来週から敵国となります,おたっしゃで」 「反乱が起きました,革命です」 「敵の敵の敵に向かって突撃!!」 (世界史板) **第一次世界大戦が始まった当初,国民は「数週間で戦争は終わる」と思っていたそうですが,これはなぜなのでしょう? 戦争を始める時は誰でも,自分の国にとって都合のいい筋書きを想定しているのです. 「クリスマスまでに終わる」といって始まったはずの戦争が,何年も何年もダラダラ続くなんて話はよくあることで,第一次大戦に限った話ではありません. 第1次大戦の場合,戦争が長期化した一因に兵器の,特に野砲の性能向上があるそうです. そのせいで塹壕から出ないから戦争が長期化. >当時は戦争というのは相手国を滅ぼすまで戦わなかった というのは,あながち間違いではありません. 日露戦争,米西戦争,ボーア戦争,バルカン戦争と,第一次大戦前の欧米の戦争は,相手国を滅ぼすまで戦ったりはしませんでした. (アジアやアフリカで植民地を建設する時は別.その場合は容赦なく在地勢力を滅ぼしましたが) (世界史板) **第一次世界大戦においてドイツやフランスは,シュリーフェンプランやプラン17のように,かなりトンデモな戦争計画を持っていましたが,他の国はどうだったのでしょうか? 差はあれど,第一次世界大戦に参加した国々は似たような戦争計画を持っていた. 共通していたのは皆,総動員の計画が第一であった点. シュリーフェンプランやプラン17が他国と比較して特異なのは,動員後,積極的に軍を敵国に進軍させている点. 他の国は動員後は国境線に配備させる程度だった. ただし,イギリスは明確な戦争計画や動員の計画は持っていなかった. 強いて言うならフィッシャー提督のバルト海作戦が戦争計画のひとつと言えるかも. 個人の提案と言うか妄想に過ぎないが.トンデモ具合は前述のものを超越している. google検索してみれば,その詳細は分かる. オーストリアとか,ロシアも開戦後どうするかという計画はあったものの,基本的に「鉄道を用いた動員計画」が全てだったと言われております. どうやら普仏戦争で,ドイツが鉄道を利用して動員しフランスに勝ったのがよっぽど印象に強かったのか,とにかく動員さえ敵国より早く終われれば戦争に勝てると思っていた模様. まあ,4年間も塹壕戦,総力戦が続くとは誰も想像せず,ナポレオン時代みたいに大平原に大軍が終結して,一二回会戦をやれば勝敗がつくと思っていたので仕方ないですが. とりあえず一番有名(であろう)参考文献: バーバラ・タックマン「八月の砲声」 ヨーロッパ各国が大した見識もなしに大戦になだれ込む様子がよく分かります.. **第一次世界大戦であれほど戦線が膠着したのに,なぜ双方とも講和や和平をしようと思わなかったのでしょうか?講和の機会や妥協点はなかったのでしょうか? 妥協点は低地諸国(ベネルクス三国)の回復にあったと思われる. イギリスの参戦を招いたのが中立国ベルギーへの侵入だから,ここからのドイツの撤退がイギリスにとっての交渉のスタート地点. しかし,当時ドイツを牛耳っていた参謀本部の連中は,占領地を手放そうとしなかったから,話にならないと言う事. 彼らは,軍事的な成功が外交的な成功に繋がると信じていた. つまり,彼らはこの期に及んで,パリを落とし,フランスを屈服させようと考えていた. いかにも軍人然とした考えだが,大きな誤り. 戦略が外交を縛り続け,長々と戦争が続く事になった. **WW1で毒ガス・戦車・飛行機が登場しましたが,これら新兵器は戦争の勝敗を左右するものだったのですか? いずれも当時決定打とはなっていない. 毒ガス: 膠着する戦線を打開するために開発された.致死性の猛毒ガス(青酸ガス)は持続性を持たせられず,ホスゲン,イペリット等が多用された.死者はそれほど多くない反面,負傷者は多数(数十万人単位.ヒトラーもその一人と自称している)で,効果は絶大.反面,条約で禁止されるまで延々とお互いに使用しあう泥仕合だったので,どちらか一方の勝敗の決定打とはいえない. 戦車: 敵塹壕を強行突破するために開発された.イギリスのマークIが元祖で,ソンム会戦で多少の戦果を挙げるも,主に信頼性にまだ難があったため,大局を変えるには至らず. ただ,心理的効果は大きかったらしい. 別の流れとして,ルノー軽戦車があるが,こちらは終戦半年前位にようやく実戦投入された程度なので,こちらも大きな影響を与えてるとは思われない. 1919年まで戦争が行われていたら,戦車はまた違った評価になったと思う. ドイツ軍の最後の反攻作戦が失敗した後,戦車隊を中心とした逆襲が行われている. また,フラーなどの手によって攻撃計画「1919計画」が企画され,上層部で承諾を得ていた. もし仮に反乱が起こらずに1919年までドイツががんばっていたら,戦車は戦争を終わらせた決戦兵器として名を残し,その後の戦術理論も違ったものになっていたかもしれない. 飛行機: 最初は偵察機として運用され,その行程で敵戦線にちょっとした爆弾を落とす「嫌がらせ爆撃」が発達して爆撃機へ. それを撃ち落すための戦闘機が生まれ,戦闘機同士の空中戦が発生. が,基本的に地上軍と連携して動く戦術そのものが未発達だったので,こちらも戦局を変えるには至らず. なお,その後,破竹の侵攻速度を持った陸空共同のドイツ電撃作戦や,一式陸攻でPOWを葬ったマレー海戦までは,まだ飛行機は軽く見られていた. あの強大な戦艦が,ぶんぶん飛び回る飛行機「ごとき」に沈められるというのは,当時としては凄い衝撃だった. まあ戦車にしろ戦闘機にしろ,それまでに使った事がない代物なので,どう使えば効率がいいか,どの程度使うとどの程度で故障が出て,どの程度お手入れに手間がかかるか等等,全く未知数だったのです. 要するに,機械はできたけど運用ノウハウがゼロで,これから実地で学習しなきゃならない状態だったのです. **第一次世界大戦の時に流行したスペイン風邪は,大戦にどれくらい影響を与えたのでしょうか? 大流行で,ただでさえ公衆衛生のよくない前線で猛威を振るったと伝えられている. http://ww1.m78.com/honbun/kaiser%20battle.html を参照. 両軍ともインフルエンザによる被害は甚大で,戦闘単位として不適切なまで兵員が減少した部隊が続出した. ドイツは予定していた攻勢の延期を考えるくらいだった. 戦争の遂行に悪影響があると恐れたのか,各国とも被害の情況を隠し,アメリカ以外に正確な被害の記録は残っていない. 全世界で2000万~6000万人が死亡. 大戦による栄養状態の悪化が,流行に拍車を掛けた公算が高く,この事が大戦末期に両陣営で蔓延した厭戦気分に影響した可能性は高い. **第一次世界大戦では毒ガスも戦車も飛行機も決定打となっていないそうですが,それなら何が決め手となって勝敗が決まったのでしょうか? 武器弾薬の製造能力,人員の動員数,それらを動かすインフラ,資本力と言った総合的な国力,その全てが世界最強であったアメリカが参戦したから連合国側が勝利しました. 厳密には無制限潜水艦作戦に怒ったアメリカが参戦した際に, 「アメリカが本格的に参戦したら絶対負ける →なら今の内に勝負を決めないとマズイ」 と言った感じで,焦ったドイツが攻勢を仕掛けて失敗してしまったのが,決定的な敗因となっています. この敗北で,攻勢前はほぼ互角だった兵力差が一気に逆転してしまった為,銃後の反乱を含めて一気に前線が瓦解していしまいました. 第一次世界大戦において,極一部の例外を除いけば攻勢を仕掛けた側が負けると言う構図が展開されていますので,その不文律を犯さざるを得ない状況に追い込まれた時点で,ドイツの敗北は決定付けられていました. (ue◆WomMV0C2P in 軍事板) **〔パリ講和会議で〕日本は「人種平等案」を提出したが,それを力ずくで潰したのがアメリカ,イギリスだったと、小林よしのり「戦争論」3(2003/7),p.211-212にありますが事実ですか? 人種平等決議を平和条約に盛り込むことを拒否した張本人はオーストラリアです. それは国防上の見地に基づくものでした. オーストラレーシア人の立場は〔殆ど外的脅威のないカナダとは〕異なっていた. 地域の果てで孤立した,比較的小規模の白人社会だったため,イギリスがヨーロッパの列強諸国,そしてとりわけ日本から防衛してくれることを望んでいた. オーストラレーシアの繁栄は程度の差はあれ,白人以外の先住民から収奪し,アジアからの労働者の移住を厳しく排除することに依拠していたため,世界で唯一の有色人種の列強国である日本の興隆を恐れるのももっともだった. オーストラリアはベルサイユ条約策定のパリ講和会議で,日本が呼びかけた人種平等決議を平和条約に盛り込むことを拒否した張本人であった. Dominic Lieven著「帝国の興亡」(日本経済新聞社,2002/12/16)上巻,p.223 **第一次大戦の時もいわゆる大本営発表と言うのはあったのでしょうか? 比喩表現としての大本営発表か?だとしたらあったと言わざるを得ない。 戦時下の報道なんてのは自由主義、報道の自由が許された社会においても正確、公正である保証は無い。 特に酷かったのがソンム戦におけるイギリスの報道。 50万人以上の損害を出して、僅か10kmそこら前進しただけの戦いで「情況は有利に進んでいる」ってのはどうかしてる。 流石に戦後に政府は謝ったがな。 他にも末期に流行したスペイン風邪の被害状況は、アメリカ以外ほぼ隠蔽されていて正確な被害状況が分かってない。 #right{(497:343)} **第一次大戦で使用された砲弾の数は第二次の時より多かったそうですが、本当なのでしょうか? 丁度、速射砲が野戦で使用されたのが第一次大戦だったから。 有名どころでフランスの75mm。 これで時間単位の投射量が7~8倍になった上に、網の目のような鉄道網による潤沢な補給により、 文字通り砲弾の雨が戦場に降り注ぐ事になった。 しかし、これが原因で塹壕戦に移行した為に効果が落ちてしまった。 それと、塹壕に攻勢を掛ける前に大量に砲弾をぶっ放すんだけど、大抵は失敗する。 すると、責任者は口を揃えて「砲弾と攻撃精神の不足」をその原因としたがる。 効果の薄い砲撃をしまくるから、砲弾が不足する。 それを補充せざるを得ないと言う悪循環が大量の砲弾製造へと繋がっていった。 #right{(501:289)} 第一次大戦で日本陸軍がたまげたのは弾薬を使用量である。 消費される弾薬は日本の国力では到底賄えないものであり、日本の一カ月の弾薬生産量分が、西方戦線では一日で消費された。 また、次々と生み出される新兵器についても苦悩した。 やはり日本の国力では十分には充足できず、ハード面ではなく主にソフト面を改良して対応することとなる。 #right{(第一次大戦スレ:8)} **WW1って民間人を巻き込んだ大戦争でしたが、偶発的なことを除いて、民間人を殺して生産力を下げる目的の攻撃なんてありましたっけ? 後方に対して生産力を下げさせるほどの攻撃を行う能力はありませんでした。 そうではなく、安全と思っていた自国の中心に対して被害を受けることで戦意を喪失する、 民意が離れる効果を狙っての戦略爆撃です。 とはいえ、戦争が戦線に留まらなくなった、もはや銃後はない、という認識は衝撃的であり、 参戦国の多さと併せて「世界大戦」の名が産まれました。一部では「最後の戦争」とすら 言われていたのですが、すぐに「その1」に格下げされてしまったわけで。 #right{(360:758)} そのほかの回答に付け加えるなら、ロイヤルネイビーによる海上封鎖。 これは、ドイツの銃後の経済…ひいては戦争経済に大打撃を与えた。 さらに、戦争末期にはドイツ国内は栄養失調に倒れる国民も出てきたし、乳幼児死亡率も極めて高いレベルになった。 しかも、停戦してからも、この海上封鎖はしばらく続き、国民生活を相当に悲惨なレベルに押し下げている。 #right{(360:762)} ついでにいうと、WWIがそれまでの戦争とちがう総力戦と呼ばれるのは、 民間人の死亡というよりは「生産・補給し続けなければ戦争ができなくなった」という点が大きい。 それまでの戦争って原則的には戦争前の備蓄+現地調達でなんとかなってたんだけど、 兵力の膨大化・弾薬の消費量の劇的な増加・長期戦化で、後方でも全力で兵器・物資を生産し続けて、 前線に送る輸送網を整えないととてもじゃないがやってられなくなってしまった。 #right{(360:771)} **ガリポリ上陸作戦が上手くいかなかった何で? >半病人のトルコごときに戦艦まで持ち込んだイギリスが負けるってのが信じられないんですが。 事前に上陸が察知されていた。 ゆえに、防御態勢が十分に構築されていた。 上陸機材が不十分で、効率的な上陸が出来なかった。 ゆえに、戦術レベルでも奇襲効果がなかった。 機材不足で十分な重火器・輸送手段が揚陸できない。 本格的な要塞に、あの当時の軍艦では勝てない。 ゆえに、火力支援が不十分。 地形的に内陸との高低差があり、防御に有利。 トルコ側にケマルという有能な指揮官がいたこともあり、失敗に終わった。 まず、上陸地点の秘匿が全然なされていなかったこと。 編成された軍団名が「コンスタンチノープル遠征軍」と称されていた事からそれが窺える。 その為、トルコ軍の堅固な陣地に真正面からぶつかる羽目になった。 上陸予定地点のガリポリ半島の兵用地誌も、トルコ軍の情報も殆ど調べていなかった。 そんな感じで全くの準備不足だった。 次に頼みの綱の戦艦は機雷を恐れて緒戦を除いてあまり有効に働けなかった。 旧式とは言え触雷で沈没1、損傷3の被害を受けた。 また、当時は大発等の上陸用舟艇はまだ存在せず、重装備の揚陸が出来なかった。 前述の堅陣と併せて突破不可能な膠着した陣地戦と言う第一次大戦のお決まりパターンに陥ってしまった。 後、トルコ自身も連合軍の倍以上の損害を受けており、勝ったと言い切るには少々語弊がある。 敵の戦略目標を阻害したという点では間違いなく勝利だが。 #right(){(547:641,642)} **第一次大戦の時のあの複雑怪奇な塹壕線ってやっぱり全部埋めてしまったんでしょうか? >現代では残ってないのでしょうか? 第一次世界大戦において激戦が繰り広げられた有名な戦場では、大抵、塹壕や保塁の遺構が残ってるよ。 ソンム、ヴェルダン、イープル、ガリポリ辺りとか。 ソンムは戦争墓地もあるから見学の際は注意が必要。 塹壕跡は結構深いので転落して怪我をする恐れもある。 また、未だに不発弾とかが残っている所もあるので、これにも注意が必要。 #right(){(581:366)} **第一次大戦の映画で、通信手段として伝書鳩が使われていたんですが、当時は既にモールス信号による通信機があったはずなのに、どうして利用されなかったんでしょう 無線を使う場合でも、前線に於いて目立つ無線アンテナは 敵の格好の目標となり、無線は傍受される可能性があるので、簡単な記号の交換にしか使え ませんでした。 無線機は重いですから、航空機に乗せることが出来ないと言うのもあります。 また、有線通信は、その砲撃によってケーブルが損傷して用を為さなくなりました。 光を用いた通信の場合は、戦場に於ける砂塵と硝煙で用を為しません。 結果的に伝書鳩だけが通信の用を為しました。 特にVerdunの戦いでの鳩の活躍が有名です。 このため、伝書鳩の有用性が再度認められ、1919年には日本陸軍は廃止していた伝書鳩を フランスから1000羽輸入し、教官をフランスから招聘して、研究を行っています。 この鳩は、満州事変や上海事変でも活躍しており、その鳩のための功労賞なんかも制定して いたりします。 ついでに、要塞などが重囲に陥った場合、戦車や装甲列車から戦況を報告する場合、敵の 要塞地帯や陣地を知りたい場合に鳩に写真機を取り付けて、空中撮影させるということまで やっています。 #right(){(318:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} ちなみに第二次世界大戦でも伝書鳩は使われていて、英軍はフランスのレジスタンスとの連絡用に伝書鳩を飛行機から落下傘で降下させるなんてこともやっている #right(){(318:153)} **西部戦線はずっと戦線が膠着してましたが、朝鮮戦争の仁川上陸作戦みたいに連合軍がドイツ軍の後方に上陸して、補給線を遮断することは出来なかったのでしょうか? それ、フィッシャー提督のバルト海侵攻作戦。 実施前にガリポリでぼろ負けして、頓挫しました。 実際そういう作戦が構想され、バルト海に艦隊を送り込んで ドイツの背後を突く作戦が構想された。 このために専用の軍艦が多数建造されたほど。 でも、作戦の提唱者が発動前に別の上陸作戦の失敗から 更迭されてしまい、結局実行されなかった。 後に空母に改造された”ハッシュハッシュクルーザー”は本来は この作戦のために建造された。 #right(){(303:734-735)} **戦争神経症が第一次大戦で急にクローズアップされたのはなぜ? 第一次大戦の兵士達は、塹壕の中で長時間砲撃にさらされた。 この為多数の兵士が戦場神経症にかかり、最初は塹壕病とも呼ばれた。 多数の兵士が発症して深刻な問題になってきたので、注目されるようになった。 兵器の威力が向上し且つ戦争期間が伸びた為、戦闘時に兵士に掛かるストレスが質、量共に激増したからです。 今までの戦争は精々3~4回会戦して蹴りが付いたり、戦争が長期間に及んでも戦闘自体は断続的でした。 しかし、第一次世界大戦になって野砲の性能向上や機関銃により塹壕から出られなくなる事により、 砲火と環境の悪い塹壕でのストレスに長期間、しかも連続して晒され続ける事で神経症を患う者が激増しました。 大戦初期の頃は無理解から神経症を患った者は戦意を失った臆病者とされて、寧ろ処罰対象となり見向きもされませんでしたが、 流石に無視できない数でしたので何かしらの原因があるのではないかと思われ、注目を浴びる事になりました。 #right(){(281:556-559)} ----
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