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#CONTENTS ---- **塹壕戦での膠着状態を打開するため,どういうアイディアが考え出されたの? 両軍とも塹壕にこもった敵を突破して,ナポレオン的な決戦を志向したんだけど,歩兵大隊の衝力は塹壕と機関銃の組み合わせを突破できず,果てしなく死体を量産することになった. このような状況に対するアプローチとして,イギリス人はトラクターを装甲化し,機関銃や砲を乗せた「海上軍艦」を提案した. これが戦車の始まり. 塹壕を突破できる機動力と,小銃弾に耐える装甲を持ち,塹壕線に穴を開ける. これに対しドイツ人は戦術の転換によるアプローチを行った. 小部隊による分散突破と敵後方に迅速に機動することによる敵指揮系統の破壊. これが伏流水となり,WW2の電撃戦がある. **西部戦線が迂回不能な塹壕線のせいで膠着したと聞きますが,海上迂回ということでオランダあたりに上陸作戦とかできなかったでしょうか? もっと大規模な上陸作戦を地中海(エーゲ海)側から行う予定だったから。 ガリポリの戦い http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84 #right{(356:595)} オランダではなくて、ユトランド半島に上陸する計画を推進してた方がいます。そのために 喫水の浅い巨砲を積んだ巡洋艦を建造したりなど準備もされていたのですが、あまりにリスクの高い 作戦であるため実行されなかったとか。 #right{(356:597)} **西部戦線で横隊突撃が自殺行為だとわかった後、自部隊の損害を局限する方法としてはどのようなものが実行されたのでしょうか。 >浸透戦術だけでしょうか? あの手この手が考えられたが、まあどれも微妙な結果に。 戦車 → 有効だったり失敗したりで、戦後も戦車の有用性について議論を残してしまった 毒ガス → そもそも有効範囲があんまり広くないetc 準備砲撃 → どうしても機関銃座は生き残るし、地形が掘り返されて攻撃の障害に 迂回 → 互いに塹壕を伸ばし合って海岸まで睨み合い(西部戦線の場合) #right{(507:382)} ニベルの這う射撃って言う、歩兵の前進に合わせて着弾点を前進させる砲撃方法がある。 勿論、先頭の不幸な奴は巻き込まれるが全体から見れば被害が減るからマシって事で。 もっとも、第一次大戦の大前提である陣地の縦深>歩兵の突破力と、鉄道の機動力>歩兵の機動力の前に脆くも敗れ去ったが。 #right{(507:383)} 戦術レベルでは迫撃砲の大規模な導入などもある。 砲兵と違い、塹壕網の中にいる部隊が軽易に使える点が便利で攻防で用いられた。 また、ストークス式の迫撃砲ではないのだけど、機銃座を撲滅するための歩兵砲など の導入もドイツではしている。 これは広い意味では浸透戦術での突撃隊の援護に活躍しているから質問では 除外されるかもしれませんが。 このほか、大規模な攻勢前の長期間の準備砲撃(数週間にわたり持続して射撃するなど) を廃し、攻勢直前に短期間に集中して猛射する方法をとるなどしたこともある。 これは戦略レベルなのか戦術レベルなのかちょっと判断が難しいですが。 また、砲兵支援は攻防どちらの局面でも使われるのでそこらもちょっとあれです。 #right{(507:384)} **歴史上、初めて行われた戦車戦は、いつ何処でどのように発生したのでしょうか? 戦車で戦車に対抗することを意図した史上初の戦車戦は、1918年4月24日のヴィレル・ブレトニューの戦いであったといわれています。 1918年4月のドイツ軍のアミアン方面への侵攻に際して、ドイツ軍では14両のA7Vを準備し、これを3つのグループに分けて投入しました。 このうちの第3グループの3両がカシィ方面に進出した際,英軍のフランク・ミッチェル少尉の指揮するMkⅣ菱形戦車に迎撃され、1両が撃破されました。 しかし、その後進出した英軍のホイペット戦車は残りの2両のA7Vに逆襲され,7両中4両が撃破されてしまいました。 ミッチェル少尉は更に別のドイツ軍戦車に襲い掛かりますが、迫撃砲弾で履帯を破壊されて戦車を放棄します。 この後ミッチェル少尉は戦功十字勲章を授与されたとのことです。 (名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) **WW1におけるガス中毒者数は? 種々の説があってはっきりと分からないですが、ドイツが20万(死者9000)、フランスが19万(死者8000)、英国18万8000(死者8100)、米国72800(死者1462)、二重帝国10万(死者3000)、イタリア6万(死者4600)、ロシア47万5000(死者5600)となっています。 (Franz W. Seidler,ドイツ連邦国防大学教授,「毒ガス戦の登場」 from 「世界戦争犯罪事典」) **ロシアは第一次世界大戦で西部戦線に兵を送ったそうですけど何で?東部戦線があるのに。 人的資源だけは有り余っていたので、フランスから 「人口が3倍もあるのに動員数がウチと同じくらいなのはおかしい。 兵站は面倒見てやるからこっちにも兵を送ってくれ」、と要求されたので。 東部戦線もギリギリだったけど、フランスに見捨てられたら完全に破滅だったので仕方なく。 四個旅団、約4万人ほどが派遣されました。 バルト海と黒海の制海権は握られていたのでシベリア鉄道を使って大連から3万kmもの 長い道のり経てフランスへと向かいました。 ニベル攻勢による損害、二度に渡る革命等、時代の荒波に左右されつつも彼らは勇敢に戦い、 その戦いぶりはフランスからも賞賛されました。 最終的にはロシア革命の干渉軍に組み込まれたりして、1000人程度にまで減少し 彼らの多くはフランスへの帰化の道を選びました。 #right(){(初心者スレ474:630)} **戦列歩兵(Line Infantry)ってどういう意味合いなのか分かります? 戦列歩兵というのはナポレオン戦争の頃の用語で、分散して自由行動を取る散兵に対して、 隊列を組んで規則正しく進退し、号令と共に一斉射撃を行う主力部隊の伝統的名称なんですが…検索してみると http://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub07.htm フュージリア 17世紀頃ではフュージリア銃を装備した歩兵のこと。 19世紀ごろでは戦列歩兵(フランス)を意味し、ドイツでは散兵戦術をとる軽歩兵を意味する。フランス・ドイツ・19世紀 フュージリア銃 火打ち石式で口径が小さく、叉杖も必要ない小型軽量の滑腔式の銃のこと。 17世紀後半頃から登場し、火縄式の大口径のマスケット銃が主流だったのに対して、フュージリア銃は主に後方部隊の自衛火器として活躍した。 歩兵のマスケット銃が火打ち式にかわり、口径も小さくなっていくと、マスケット銃とフュージリア銃を分けることもなくなった。17世紀・欧州 えーと、Line Infantryって英訳ですよねこの場合。 仮に元の単語がドイツ語のFusilierだった場合、ドイツ語では散兵の意味が、フランス語の意味で英訳されてLine Infantry=戦列歩兵になった、 伝言ゲームの悪寒。 #right{(第一次大戦スレ:26)} **当時スナイパーって結構いたの?? 英語版スナイパーのwikiでは、 「大戦当初ドイツだけがスコープ付スナイパーライフルを所持していた。 これに気づいたイギリスはスナイパーの学校を作って対抗した。 東部戦線のロシア軍はスナイパーのスペシャリストをつくらなかった」 とありますから結構いたのでしょう。 かなりの数の狙撃兵が、前線に配備されていたようです。 映画「西部戦線異常なし」のラストシーンでも、主人公が狙撃によって倒されるほどです。 但し、味方の兵から「残酷な殺し屋」扱いをされたり、狙撃兵が活躍したら直後に敵砲兵の目標と成って、弾の雨が降ってきます。 狙撃兵は移動して他の陣地に行ってしまいますが、歩兵達は移動できませんので、陣地に篭り、鉄のスコールに耐えるしかないので、 歩兵たちから疫病神扱いされることも多かった様です。 #right{(第一次大戦スレ:32,34)} **騎兵が結構な数いたとか? 開戦時のフランス騎兵連隊数(1個連隊は4個大隊squadron) 12コ 重騎兵(Cuirassier) 32コ 竜騎兵(Dragoons) 21コ 猟騎兵(Chasseurs a cheval) 14コ ユサール(Hussars) 6コ アフリカ騎兵(Chasseurs d Afrique}) 4コ 植民地騎兵(Spahis) 合計で365大隊。約91連隊分。 アフリカ騎兵と植民地騎兵は一般的な訳語がなさそうだったので自分でつけた。 アフリカ騎兵は兵役でアフリカに行っていたものとアフリカにいたフランス人の志願兵から成っていたと思われる。 植民地騎兵はアフリカの植民地民が主。 ドイツ騎兵連隊は、 現役x110 予備x33 Landwehr x2 (後備軍?民兵?) Ersaatz x1 (代用?) で合計560大隊。 ドイツ騎兵連隊の現役と予備の内訳 現役(Active) 重騎兵タイプx12 竜騎兵x28 ユサールx21 槍騎兵x24 猟騎兵 x13 バイエルン騎兵x12 予備(Reserve) 重騎兵x3 竜騎兵x10 ユサールx9 槍騎兵x8 jager zu pferd x1 バイエルン騎兵x3 #right{(第一次大戦スレ:106-8)} 騎兵による包囲および迂回 騎兵はその速度を利用して遠い敵の翼側背後を脅威し、効果を得る。 特に砲兵および機関銃を有し有力な歩兵に支援された騎兵団は、強大な抵抗力を持ち、長時間独立行動ができる。 であるから直接会戦に参与して敵の翼側を包囲し、また会戦の前後に主力から離れて敵の側背に進撃し、 その連絡線を脅威して友軍の本作戦を容易にすることができるのである。 特に会戦の当初において敵の騎幕を突破し、その騎兵を撃退して敵軍の側背で行動するときは、 第一戦に効果を与え、じ後の作戦に良い効果を与える。 例1 1914年8月下旬、ドイツ軍は右翼第1軍をもって英軍を攻撃させ、 その騎兵に遠い英仏軍の左側背を脅威させた。 その騎兵団は騎兵師団x4、騎砲兵、載自動車軽砲、機関銃を有し、 また自動車輸送歩兵大隊x1より支援されて、セーヌ河下流とベルギー・フランス国境間の 地区にいる微弱な仏後備隊と鉄道守備をしていた英軍を駆逐し、 ツールネーにいた仏後備旅団x1を全滅させた。 そしてアラー付近に位置していた仏後備軍団x1を撃破し、英仏軍の左側背に甚大な脅威を与え、 ついに英軍はその兵站基地であるブーローギュを放棄してしまったのである。 例2 独軍ウィルナ付近の包囲作戦において、ドイツ軍騎兵団(師団x3)はアイヒホルン軍正面のロシア軍に対し 圧迫を加え、次いで敵の背後に進出し、ウォルヤニーとポドベレス付近で デュナプルヒ―ウィルナ鉄道線に達し、なお前進を続けてウォルヤニー・スモルゴン・モロデチュノに達し、 またウィルナ―ミンスク鉄道を遮断してしまった。 そのためロシア第10軍はその側背の危険により退却するに至った。 ドイツ軍騎兵団のうち一個師団はアイヒホルン軍の左側を援護してウイライカ付近に進出した。 #right{(第一次大戦スレ:109)} ----
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