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太平洋戦全般2 - (2010/10/22 (金) 19:24:54) のソース

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**チャンドラ・ボースのインド国民軍のだいたいの人数を教えてください
それはともかくインド国内軍(INA)はモハン・シンが
5万人のインド人捕虜から選抜した部隊で1万5千人だそうです。
あとマレーに住むインド人の娘による史上初の婦人正規部隊(600人)も結成されたそうです。
#right(){(34:バッチ3)}
チャンドラ・ボースですね。
インド国民軍として編成されたのは三個師団分、約13000名とのことです。
岩波より、「インド国民軍・もう一つの太平洋戦争」と言う新書が1985年に出さ
れています。
ちなみにインパールに参戦後、かれらは2000人に減ったそうです。
#right(){(34:眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**太平洋の島嶼戦を眺めていると日本軍の沿岸砲は要塞に配された砲を除くと大体、駆逐艦クラスの主砲転用、あるいは戦艦の副砲、高角砲の転用が目立ちますが
>太平洋方面の連合軍の沿岸砲はどうだったのでしょうか?
英軍がシンガポール要塞に配備した沿岸砲のうち、15インチ砲(38㌢砲)5門は
艦砲を流用したものです。その他6インチ砲(15㌢砲)も14門、9.2インチ砲(23㌢砲)
2門配備されていました。
余談ですが、島の南西部に配置された15インチ砲は上陸した第六戦車連隊に対して
発砲し、吹き飛ばされた戦車があったとか…。
米軍の海岸砲としては、隠顕式砲架の14インチ砲が有名ですが、これが艦砲の流用かどうかは
ちょっと判りませんでした。

沿岸砲に艦載砲の転用が多いのは、用途が限られているのと軍艦と砲撃戦をやるためには
同等の威力の砲が必要だからです。
#right(){(37:名無し軍曹)}

**満州国軍って実際、どんな軍だったのでしょうか?
史実の満州国軍は、日本軍の
装備と旧張作霖軍の装備を有していました。
後には、日本軍装備が幅をきかせてきますが…。

任務は主に、国内の治安維持と国境警備であり、外征は考慮されていません。
成り立ちが各地にある軍閥を吸収したため、兵員の質は良くありませんでした。

小銃はモーゼルKar98bか38式、30式歩兵銃。
拳銃はモーゼルM1896でこれを一号拳銃として国産化。
戦車はルノーFTが装備されていた。

海上警察隊という海上部隊もあり、松花江、黒龍江警備(ソ連との国境警備)用に
桃級の旧式二等駆逐艦「樫」と哨戒艇、砲艦を数隻所有していた。
このほかに、シュレック飛行艇と94式艦爆、87式軽爆、90式水偵を保有。

陸軍飛行学校、陸軍飛行隊もあり、ポテ25「保貞号」を初期に使用していたが、
後に97式戦闘機を主力とし、後に隼が装備されました。
爆撃機には、日本が輸入したが、使い出が悪かったイ式重爆(B.R.20)を
満州の大豆と引き替えに購入しています。
このほか、屠龍、鍾馗も少数ながら使用されたらしいです。
練習機としては95式練習機、99式高練が用いられました。
また、97式戦闘機を改造した2式高練は満州飛行機によって国産化されています。
#right(){(39:眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**朝鮮人で中将になった人以外で活躍した人っていますか?
洪思翔中将、李王垠中将など、あと李鍵公が中佐で陸軍大学教授になってます。
後に1944年に朝鮮人の官僚、議員への登用が解禁されたので、
そういう世界で活躍した人もいたようです。
#right(){(39:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
あとパクヒョンヒも大陸打通作戦で名を馳せたな
#right(){(39:432)}

**旧日本軍はなぜガダルカナルにこだわったのでしょうか。
東南に進出するための足がかりを築くのが目的だといわれてます。
ガダルカナル島に航空基地を建設し、制空権を確保してニューギニア島を制圧したかったと。
ミッドウェー海戦の大敗北でそんな余裕は無かったはずで、ガダルカナルに
こだわる理由は薄かったんですが…。
むしろ米軍のほうがガダルカナル島の戦略的価値を重視していたと思います。

奪回にこだわったのはひたすら軍の面子を立てるためのように思えます。
#right(){(39:名無し軍曹)}

**第二次世界大戦当時の蘭印の陸上戦力は何個師団程度だったのでしょうか?
装甲車14両(アルヴィス・ストラウスラー)、カーデンロイドM1936×24両、M3A1スカウトカーと、
マーモンハリントンCTLS-4TAC軽戦車240両(これは未着)、CTMS-1TB1、MTLS-1G14中戦車
(これも未着)。

で、装甲車の配置は以下の通り。
Cav 1 : West Group, West Java (Batavia)
Cav 2 : Bandoeng Group, West Java (Kadipaten)
Cav 3 : 3rd Division, East Java (Toeban)
Cav 4 : 2nd Division, Central Java (Rembang)
Cav LW : 2nd Division, Central Java (Magelang)
#right(){(39:眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**硫黄島の攻防で、3日間で延べ800機、推定5000トンの爆撃、艦砲射撃を受けたものの、日本軍の死傷は60名程だったと聞きました。
>これでは、事前砲撃してもしなくても変わらない気がするんですが?
「事前砲撃」を何のためにするかを考えてくださいな。 

島嶼戦ともなると、守備側には圧倒的な地の利があるわけで 
常識的に考えれば水際には防衛陣地、ちょっと奥地には照準ずみの火力支援が用意され 
そこを突破しても二重三重の陣地が上陸軍を待ち受ける……という状況が容易に想定されます。 
事前砲撃でこの敵側の準備を少しでも崩しておくことは、戦術的に非常に大きな意味を持ちます。 

……とはいえ硫黄島攻防戦の場合、上陸部隊が要求しただけの事前砲撃はさまざまな理由で満たされず 
不十分な準備のままで部隊は栗林兵団がまちうける硫黄島に突入することになり 
案の定、巧妙に構築された日本軍の陣地、そしてそこからの濃密な砲火の前に大損害を出すことになりました。
#right(){(41:665)}
>それは分かるのですが、死傷者が60人程だったという事は、陣地をほとんど破壊出来なかったという事じゃないの?
事前砲撃をもっとやるべきだったってのならわかるが、なんでそこで 
事前砲撃はなくてもいいって考えになるのかがわからん。 
硫黄島では事前砲撃での死者は60人にすぎんが海岸付近の砲の50%と 
銃座の25%が破壊または損傷を受けている。 
もしなにもやらなかったら少なくとも史実以上の損害は受けただろうな。 
敵兵を直接殺すためだけに事前砲撃やってるわけじゃないんだよ。
#right(){(41:687)}

**戦時中、日本軍は東南アジアの各地域に進攻しましたが、それらの国にはどれほどの工業設備があったのでしょうか? 
>ドイツは占領したフランスやチェコの工業設備を大いに活用したそうですが、日本はどうだったのでしょうか? 
>インドネシアの油田を活用したぐらいしか分かりません。 
本来なら、経済的な統計が示せればいいのだけど、取りあえず一般論で話をすれば、 
モノカルチャーという言葉を知ってる?に尽きるかと。 
要は、一般的に言って、植民地に対しては積極的な工業投資はなされていない、ということです。 
植民地に期待されるのは、農業、林業、鉱業、そしてそれらの産業に対する労働人口の供給。 
第一次産業の極めて限られた品目の産出を期待されている産業構造に編成されちゃているわけです。 
工業資本の蓄積はせいぜい繊維や日用品を主とする軽工業くらいであり、重工業はほとんど形成されていない。 
AA諸国が独立した際には、そうした重工業関係の民族資本の形成を産業政策の目標に掲げていますが、 
それに成功した例は極めて少ない。今もって植民地時代の遺産を引きずっている状況ですから、 
第2次世界大戦当時なんて何をか言わんやな状況のわけです。 
要するに、ほとんどない…と言って良いかと思います。 

しかも、日本は大東亜共栄圏、八紘一宇というスローガンを掲げながら、 
東南アジア諸国の経済的実態を十分には掴んでいませんでした。 
戦前の東南アジア研究の書誌を大きな図書館で調べればわかりますが、 
満鉄の調査局やごくごく少数の学者がやった極めて少数なものしかありません。 
それも社会学的な基礎調査が多い。 
いくつかの国ではナショナリストたちとの接触を行っており、特務機関が軍事教練などもやってはいるのですが、 
結局は、それぞれの国情に応じて、欧米の勢力を追い出したあとに具体的にどうするかという方法を伴ったビジョンは欠如していました。 
占領地行政はインフラの整備では成果を上げた所もありましたが、 
概ねは経済政策において稚拙なもので、現地経済の自律化にせよ、日本の戦争遂行のための収奪にせよ、 
経済構造を一転させるものではありませんでした。 
総じて言えば、占領地における日本の産業経済政策は、お粗末の極みとしか言いようがありませんでした。 
#right(){(609:243)}
**米軍がダウンフォール作戦で、接収したV1,V2号の余剰を使うという案はあったようです。 サリンを使う、という話も聞くのですが
世界文化社の『ビッグマンスペシャル 連合艦隊 日米決戦編』で 
栗田尚弥氏がダウンフォール作戦について米軍側の計画を詳しく説明していますが 
その中で米軍側がサリンの使用を検討していたことが紹介されているので 
参照してみるといいですよ。 
#right(){(608:960)}
**大戦当時のシンガポール港はどれほどの設備があったのでしょうか? 
シンガポールにはセレター軍港というイギリス海軍の基地がありました。 
当時の表現なら 
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00501975&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA 
シンガポール軍港が最も誇りとするものは浮ドックと乾ドックであった、浮ドックはイギリス本国で建造され、 
一九二八年ロンドンから数隻の軍艦に牽かれ廻航されたという代物で、運送史上に一話題を□しているが、 
わが荒鷲数次の爆撃により大損傷を受け既にセレター軍港の水底深く沈没してしまった 
乾ドックはキング・ジョージ六世と命名されロドネー、ネルソン級のイギリス最大の軍艦も容易に入渠することが出来る超□級ドックである、 
シンガポール島とジョホールバルを結ぶ陸橋の東にセレター軍港があるが、この軍港は商港シンガポールの反対側に位置しており、 
海峡の東端は□の口のように狭く、前面にはテコンベザル島があって軍港の入口を扼し天然の防塞を築いている、 
軍港地帯にはテンガー、センバワン両航空基地があり更に西部には海峡に面して五哩に亘る石造の大埠頭が建設され、 
優に数隻の軍艦を横づけにすることが出来る、前記の浮乾ドックの外に 
海軍工厰、兵器庫、爆弾庫、糧食庫をはじめ貯蔵百万トンといわれる貯油タンクが地下深く埋設され、重油タンクに至っては島内三百を数えるという、 
#right(){(609:246)}
**映画「1941」で潜水艦イ-19がアメリカ西海岸の都市を砲撃していますが、実際にあったことなのでしょうか。
1942年中に3回実施されました。
嫌がらせ以上の意味はなし
#right(){(33:449)}
>あと、イ-19はドイツ製なのでしょうか?
巡潜乙型というタイプで、れっきとした日本製なので違います。

実際に砲撃実施した潜水艦は伊17、伊25、伊26の三隻で、これらも
また日本製です。
#right(){(33:452)}
**米豪遮断に意味なんてありますかね?
オーストラリアは当時自給自足ができず、輸入物資の殆どをアメリカに依存してたからな。
米豪遮断は遮断ラインのこっちにいるアメリカ軍のみならず、
国家としてのオーストラリアまで兵糧攻めにするプランなのよ。
遮断に成功すれば、世論に突き上げられてオーストラリアは手を挙げるかもしれない。
手を挙げて軍門に降ってくれれば言う事無し。
中立に戻るだけでも、連合国が一枚岩でない事のアピールになるし、
アメリカ軍の侵攻経路の選択肢から南太平洋が除外される。
アメリカ軍としても、イギリスの手前、オーストラリア侵攻する訳にもいかんからな。

つー訳で、米豪遮断てのは旨くいけば実に有意義な作戦なのよ。
#right(){(302:140)}

**太平洋戦争において真珠湾攻撃など緒戦でアメリカを強く叩けば,すぐ講和してくるとの読みが旧日本軍にはあったと言われていますが,読み通り本当に講和してきた場合,その後の日本はどういう軍事戦略を取る予定だったんですか?

 ほとんど何も考えてなかったというのが結論.

 ただ,陸海軍はアメリカさえ相手にしなくていいなら,東南アジアから欧州勢力を駆逐することは可能だと考えていた(実際それは達成できた).
 なので,アメリカと講和し,東アジア地域から英仏欄を排除した後は,占領地を維持,防衛する・・・という戦略がとられた筈.

 ただ,「大東亜共栄圏」がなんで「”大”東亜」なのかと言えば,これには「インドも含みます」という意味が込められているから.
 なので,東南アジアを制圧して各地の傀儡政権を設立するのが一段落したら,こんどは英領インドへの侵攻作戦が行なわれた可能性が高い.
 あくまでも予測だが.

 また,オーストラリアに対しては,一応北東部~東部への侵攻計画が考えられていたが,あまり積極的に行う計画ではなかった.
 ニューギニア南岸とサモア,ソロモン諸島を制圧してアメリカとの連絡を絶ち,インド,中東(+アフリカ)方面とも断絶させて英連邦から離脱させ,親日中立を強要する・・・というのが目標にされていた.
 ポートモレスビー攻撃やガダルカナルへの基地設営などは,この戦略に基づいて行なわれている.

**戦時中日本軍はアメリカ本土への上陸作戦を考えてた事はあるのでしょうか?
>計画レベルであったのかまたは主張していた軍人などはいたのでしょうか?
「上陸作戦」と呼べるかどうかは知らんが、
日本海軍は、通称「S特」と呼ばれる特殊部隊を昭和19年初頭に創設。
このS特を潜水艦で米本土に運び、破壊工作を行う計画はあった。
しかし戦局の悪化に伴い計画は中止。

米本土に行き損ねたS特は、翌昭和20年8月、サイパンのB-29飛行場に
強行着陸してB-29を焼き払う「剣」作戦に投入される事になったが
作戦実行前に日本が無条件降伏した。
#right{(362:381)}

ちなみにS特は、米本土上陸後には、現地に潜伏する事になっており、
隊員は髪を伸ばして長髪にし、潜伏用の背広などの私服も用意されていた。
#right{(362:384)}
**太平洋戦争中、アメリカ本土には日本のスパイは1人も居なかったんですか? 
FBIが数百人単位で逮捕しまくってる 

日本は日系人組織以外に黒人組織やら欧州人組織やらマフィアやらのスパイ網を運用してたんよ 
もっともキングオブスパイ、スパイ網の元締の大使館員が完全監視されていて、全部FBIにばれていたらしい 
書名は失念したが、大使館員の未亡人が保管していた文書をもとにした本が前世紀末ぐらいに出版されている
#right{(495:690,695)}
**西亜打通作戦について教えてください。 
インド、中東へ進撃して、ドイツイタリアと手を結ぼうという作戦。 
陸軍が提案したが、あの東条英機に寝言を言うなとけられた。 
#right(){(619:55)}
**太平洋戦争での米軍は、マッカーサのわがままで大きく南回りしたって本当?
>本当はサイパンとか、少し北の方から来るはずだったのが、陸軍の見せ場を作るためにわざわざ、
>インドネシアとかフィリピンで頑張った。ってゆうのはデマ?
陸軍は、というかマッカーサーはなんとしてもフィリピンを陥とすことにこだわった。
理由はいうまでもなし。

一方ニミッツは、というか海軍は太平洋を西進してトラックを、そしてマリアナを
陥として直接日本本土を衝く戦略にこだわった。それが戦前からの海軍の対日戦計画
だったから。

結局大統領自らが両者を仲介して、どっちもやるが極力相手の作戦に協力すること、
という装束案に。

ただ、日本側から見るとアメリカの戦略が統一されず場当たり的に攻撃してくるように
見えるので対応の混乱を招き、アメリカの二軸侵攻計画は結果的には良い方に作用した。

因みマッカーサーはにニューギニア→フィリピンルートを採用させる為に
海軍に根回しを行なって採用させたと言うエピソードがある。

キング提督はそんな彼を「海軍戦争の原理を全く理解していない愚か者」 と評しています。
#right(){(317:777,779)}
**日本軍がインドネシアを統治したときインドネシア人を奴隷にしましたか? 
>また 戦争のあと独立させようとしてたんですか? 
少なくとも建前上は民族自決と独立を支援した。その軍事的な拠り所として地元人の郷土防衛義勇軍(PETA)を育成 
大東亜共栄圏を前提にしてるので日本に従属しての独立ですな 
それでも、オランダ統治時代は本当に奴隷同然だったのでそれよりはマシかと 
PETA幹部もオランダの愚民化政策下では決して得られなかった集団行動や軍事技術を得れたのは奇貨であったと回想してる 
#right(){(627:モッティ ◆uSDglizB3o)}
PETAは、インドネシアから他へ兵力が転用されて、占領兵力が不足したために 
それを補う目的で作られたものだよ。 
だから戦局が悪化した戦争後期以降の話。 
#right(){(627:571)}
**旧日本軍はマダガスカルの攻略を考えていた…ってかいてあったんですけど、マジですか?
マダカスカル攻略…っつーか、当時のマダカスカルは枢軸側。 
(もともとフランスの植民地だったのがヴィシーフランス政権誕生時にそのまま下に入った) 
そして、ここを拠点に通商破壊をやられると、インドの連合軍が干上がりかねない状況だったので、 
連合軍がマダカスカル攻略戦を開始。 
ヴィシーフランス軍(大半はマダカスカル総督によって編成された現地住民)が予想以上の善戦をし、 
日本もこれを支援するために潜水艦を派遣。 
連合軍の戦艦を一隻大破、タンカーを一隻撃沈という戦果をあげたが、 
いかんせんそれ以上の支援は不可能で、ジリ貧になったマダカスカル軍は敗北しましたとさ。 

つまり、日本が攻略するというよりは、ヴィシー政権にマダカスカルを保持してもらうために、 
そこまで進出せざるを得なかったということ。 
#right(){(310:812)}
**太平洋戦争の時,日本はインドネシアを直轄領としようとしていた,と聞いていたのですが,どうなんでしょうか?
「海上護衛戦」文庫版P84以降(第二章6)にこんな記述が.以下抜粋.大意だけ

(昭和十七年春,海軍省 にて)
太平洋協会・西方氏(以下西方)「新占領地に日本名付けるから参加して下さい」 
大井篤氏(以下大井)「過早ではないか.昭南なんてピンとこない.支那は同じ名前では?」 
西方「全部変えるわけではなく,講和時に当然日本領になるところだけ研究.支那は友邦だから無し」 
大井「シンガポールでいいじゃないか.日本軍がこれ以上進むのが心配だ」 
西方「ハワイや豪州まで占領するそうじゃないですか.西太平洋全域を豪亜地中海にする案も既に」 
(以下大井氏の攻勢限界点主張論)
 また,1941年11月20日の第70回大本営政府連絡会議に於いて,「南方占領地行政実施要領」を決定しています. 
 この時に,陸海軍の軍政主担任地域を決定しています. 
陸軍は,香港,フィリピン,マレー,スマトラ,英領ボルネオ,ビルマを,
海軍はオランダ領ボルネオ,セレベス,モルッカ群島,小スンダ列島,ニューギニア,ビスマルク諸島,グァム島を担当しました. 
 その後,1943年1月14日に開かれた第128回大本営政府連絡会議で,ビルマ,フィリピンの独立,マレー,ジャワ,スマトラ,ボルネオ,セレベスの日本領土編入を決めましたが,実際には領土主権を変更するのであれば,講和後に編入しないと国際法上違法となる懸念が生じ,領土編入は行われていません.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2他)
**何で日本の豪州脱落計画は破綻したんですか? 
方針がはっきりと定まっていなかったから、てのが大きい 
第一段作戦(マレー・フィリピン・蘭印攻略作戦でラバウルが終点)が予想をはるかに超えて順調に進み、 
第二段作戦でどこをどう目指すかがろくに決まらないうちに作戦が終わっちゃったのだ 

んで大方針が決まってないもんだからあそこを目指すどこを攻略する、が噴出しまくってしっちゃかめっちゃかになった 
最終的に大きく三つに絞られたが、それをさらに一つに絞り切れずになんと三つ全てに手をつけちゃった。 
すなわち 

印度洋方面 
米豪分断 
ハワイ直行 

印度洋はセイロン攻略はさすがに諦められたが陸軍がかなり戦力を割いてしまった。 
米豪分断が本質問の主題だが、海軍はハワイ直行をやりたくてあまり乗り気じゃなかった 
なもんで中途半端な戦力を出して珊瑚海海戦‐MO作戦が頓挫。 
ド本命に推していたMI作戦は大敗北。 
ガダルカナルが脚光を浴びたのはミッドウェー作戦の敗北でハワイ方面への攻撃が不可能になったため 
再び米豪分断を主軸に据えようとし、そうなると空母が足りないこともあって基地航空隊の比重が高まったためだ。
#right(){(646:239)}
**硫黄島で米軍は馬術メダリストの西に投稿を呼び掛けました。どうして西が硫黄島にいることが分かったんでしょうか? 
>米軍の暗号解読と情報網が優れていたということであれば、沢村栄治が乗船していた艦船も撃沈しなかったと思いますが?
佐官クラスの指揮官の名前はほぼ割れてたから、連隊長の西として呼びかけを行ったという説が有力。 
沢村の場合は、一兵卒だったので、気にされてないだけの話。 
#right(){(657:151)}
**太平洋戦争中、何故、日本軍はグアム・サイパン・テニアン島を硫黄島みたいに要塞化しなかったんですか?
間に合わなかった…

南海で負けが確定してくる
↓
怒濤の如く押し寄せるアメリカ
↓
戦線の縮小が極めて難しい軍上層部の体勢
↓
時間切れ

そこまで資材運ぶのもいっぱいいっぱいだったし。

あと、サイパンは地質の関係でかなり土を掘りにくかったらしい。
#right(){(295:9-14)}
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