v3.0の大改変でプレイヤー大混乱…
その阿鼻叫喚をSNS上で傍観しているなか、そういえばARのv1.0がリリースされる2016年、ARを1人で作りあげた彼が言った最初のコンセプト『グラフィックより挙動の良さで勝負する』を思い出した。
幾度も変貌を遂げた開発体制のいま、今後向かうべき方向はあの頃にヒントがあるのではないか?
今回は、ARの元となるゲームを、掲示板のテストプレイヤーの意見を一つ一つ盛り込みながら完成させていき、ARという形でリリースするまでを当時の掲示板の会話から遡っていきたい。
とのことで、管理者granbeatが今の開発陣に伝えたい当時の彼らの“想い“を振り返ろう。
筆者のgranbeatです。 気付いたら1万字いってました 流し見くらいの気持ちで見てって下さい |
この記事の目次(クリックでジャンプ)
【JM氏の略歴】
今回の主役Julien Mairat氏(以下、JM氏)は1985年にフランスのパリ近郊に生まれる。
子供の頃に親に買ってもらったPS1で『グランツーリスモ2』や『リッジレーサー TYPE4』『エースコンバット』などにハマり、将来は自分もゲームをつくりたいと思うようになる。そして、15歳でグラフィックデザインの専門学校に入学し、卒業後はデザインしたものを動かすマルチメディア制作を学ぶ学校に入学する。Webサイト制作もそこで学ぶ。
卒業後、フランスでフリーランスのWebデザイナーとして少し働いた後、好きで行きたかった日本に行き、Web制作会社に入って4年ほどUIを担当。ゲームに携わりたいと転職を決心して大手モバイルゲーム会社に行き、AR開発において重要な相棒となるJoshua氏と知り合う。その会社も4年間在籍するが、最後の方は手がけているゲームが面白いと感じられず、もっと自分が面白い、やってみたいと思うゲームをつくりたいと思うようになっていた。
そして仕事を継続しつつ、プライベートでゲームを作り始める。
【2011年】
2011年頃よりJM氏はMacbook上で動くレースゲームの制作に取り掛かる。
大まかなコンセプトはGT2の軽量版のようなものとした。彼の青春を共にした名作ゲームを、自身の理想もプラスしてMac上で実現しようとしたのである。
大人になった頃でも時々プレイするというGT2。彼はこのゲームを思い出しつつ、目標を『私がプレイしていたときにゲームが私に与えてくれたのと同じ雰囲気を再現すること』と語る(*1)。
また、彼は本業においてMacbook Proの1台で仕事をしていたが、MacOSにおいてグランツーリスモのような現実志向のレースゲームがほとんど無いため、プラットホームをMac向けとした。
ゲームを1から作る経験がなかったJM氏は、ゲームとして1つの形にするために約1年かけた。本業を続けながら、書籍、論文、インターネットなど様々な資料を調べ少し友人の助けを借りつつもほぼ独学で少しずつ形にしていく。
彼はその中で『Netkar Pro』の開発者とも連絡を取りアドバイスを何度ももらっている。
実はこのNetKer、ARとかなり共通点が驚くほど多い。
まず開発者の出身は同じヨーロッパのイタリア。ソフトウェアエンジニアを本業として働きながらも独学で一人でテストバージョンを作り上げ、NetKerリリースと同時に東京に引っ越し、今後長期的なチームメンバーと出会い開発の規模を拡大していく。この時点でJM氏がアドバイスを請うた2011年なわけだが、奇遇にもJM氏もここまでは全く同じ人生をトレースしている(*2)。
ゲーム自体も、物理エンジンへの極端なこだわりや、掲示板での第三者を交えた積極的なブラッシュアップという根本的な方向性は完全一致と言ってしまっていい。
ただこのNetKerは数年後、幾度ものアップデートを経て「Assetto Corsa」というタイトルで完全進化し、PCレースゲーム界を大きくひっくり返す100億円規模のゲームに成り上がるのはまた別の話。
JM氏はそんなNetKer開発者に物理エンジンの基礎から聞き、リリース後も試作を送りフィードバッグをもらうなどして自身の開発に組み込み完成度を高めていく。ARのゲーム設計の核にはACの開発思想が染み込んでいるのかもしれない。
【2012年7月6日】
彼が1年間地道に作り上げたゲームは『gtplanet』というレーシングゲームや実車関連のニュース記事を専門に扱うサイトの掲示板で初めて世に解き放たれた。
そのタイトルは『Redline Racing』。
ただしあくまで自身が楽しむためのゲームであるとして、配布の目的は一般的なリリースではなく、掲示板の第三者のテストプレイでのフィードバックが主だった。そのため、配布方法はSteam等のプラットフォーム等ではなく『redline-e.com』という個人取得したドメインのサイト上からダウンロードする形式とした(個人ドメインなので当然今はアクセス出来ずゲーム自体も入手出来ない)。
テストゲームのため、今のARと違い車メーカーのライセンスを無断で使用し、フェラーリ、ランボルギーニ、パガーニなど、さまざまなブランドの車で遊ぶことができた。
前述の通り開発を始めた当初はMacOS向けを念頭に置いていたが、当然ながら他のレースゲームとの競合があり差別化が必要だった。
そこで、UnityエンジンでのPC向けプロジェクトをAndroidおよびiOS向けにエクスポートする機能を使い、モバイル版とPC版をウェブサイト経由で連携させることで、全く新しいゲームプレイを実現するという構想があった(ただしこのデモゲームは一旦PC上に動作を限っている)。
RedlineRacingの貴重なプレイ動画
【2012年7月】
掲示板のスレッド作成直後はスナップショットのみだったが、その一週間後に自身のサイトから[Build01]がリリースされる。細かなバグ報告だけでなく、物理エンジンの調整の具合からキーボードのボタン割り当てといったところまで、様々なフィードバックを掲示板の人らからもらう。
ただ、JM氏がセールスポイントとしていた物理演算は「他のPC向けのフルプライスのゲームより遥かに優れている」と評されるなど、この最初のバージョンの時点である程度完成していたと言ってしまっていいだろう。
また、この時点でのこのゲームの真意としては、このプロトタイプを使ってJM氏自身の転職活動において技術力を証明しようという目的もあり、この転職活動の準備の1つとして開発を行っていた節もあった。
ARリリース前にこの掲示板を振り返った際は「もし4年前にこんなに時間がかかるとわかっていたらFlappy Birdみたいなゲームを作っていたかもね(笑)」と述べている(*4)。
[Build02]では、バグ修正の他、フィードバックよりボタン割当の変更、ランブルストリップスの追加、タイヤスモークの追加が行われた。
【2012年8月】
少し期間が空いた後の[Build03]は大規模となった。
芝生のグリップ係数が反映され、インターフェイスが変更、ターボ車のエンジン音が別に用意、シェーダー効果が追加、ポーズメニューが追加、R34とスープラが追加、そしてディーラー上での車体のカラーバリエーションがForza風に多数選べるようになった。
将来的な構想として、広い1つのオープンワールドを軸に、そこで自由気ままに走らせたり、指定ルートのタイムアタックや最長ドリフトをしたりなど、まだまだ可能性を模索し続けていた。
【2012年11月】
次のアップデート内容の先行配信として、ディーラー画面と車購入後のカラーカスタマイズが出来る画面を公式サイト上に実装し、ダウンロード不要で遊べるページを簡易的ながら作った。
また次月では実際にゲーム内のガレージで車の選択と車体・ホイールのカラーカスタマイズができるようになった。
この時点で多数の車種やコースのリクエストがあったが、この時点でもまだ開発体制は二人で行っておりかつ本業もあるなか、プロジェクトはゆっくりながらも確実に進んでいた。
バージョンを経る毎にいくつか車が追加されたが、この頃より新しいコーストラックに着手する。JM氏としては数万のポリゴンで構成される車の3Dモデルとは比較にならないくらいコーストラックのモデリングとテクスチャは時間がかかるため、これが一番の課題だった
【2013年2月】
今まで仮の短いコースしかなかったため、要望の多い車の追加作業を一旦完全に停止し、初のコース追加に向けて長い時間をかけたった二人で1つのコースを完成させていく。オブジェクトやテクスチャを多数追加し、さらにそこにアセットを追加する作業も待っており、この大量の作業量に対しBTBなど他の3Dモデリングで支援する提案を最初はJM氏のこだわりからキャンセルするものの、この課題にじっくり数ヵ月もの時間をかけ挫折、掲示板での彼らの助けをかりつつなんとか6月には追加にこぎつける。
また、この時点から駆動方式(前輪,後輪駆動・四駆)の挙動も実装に踏み出す。オーバーステア・アンダーステアもこの頃から再現できるようになり、その加減も微調整できるようになる。
【2013年6月】
コース作成に長い時間をかけようやく[Build06]がリリースされた。
Redline Racing初のコースとしてForestPathが追加された(前述の通りコース自体は現ARO)。コースレイアウトはGT5のハイスピードリングに似ており(全くの偶然らしい)、他に車が数台と物理エンジンの調整、そして前述の通り駆動方式も実装された。
この[Build06]において、現存するRedline Racing最古の動画が撮影される。
現代からこの10年以上前のインディーズゲームを観て、グラフィックの古さは当然目立つものの、挙動やモデリングの精度は現在のARと比べても遜色ない高い異次元でまとまっているように思える完成度である。
現状残っている最古のプレイ動画 [Build06]
【2013年8月】
前回から大きな期間が空いていないが、ベータテストの末リリースされた[Build07]も大きなアップデートとなった。
新しいコース「Alpha」のほか、タイアの煙、走行中のコースマップ、ゴール後のメニュー、ボンネット上の操作視点、ドリフトポイントが追加され、変速機の作り直し(オートマやバックギアを追加)、ハンコンを含めたコントローラの互換性の強化が行われた。ラップタイムはサーバーに送られ公式サイト上のランキングに掲載されるシステムも導入された(*5)。newsも公式サイトに追加され、最新情報を発信する場が掲示板以外にも開かれた。
車種も、今のARにも残るLFAやR35 GT-R、ランエボXのほか、JM氏のフランス時代の愛車アルファロメオBreraや、今はライセンスの関係で二度と拝めないFerrari F40など豪華なアップデートとなった。
アップデートリリース後も積極的な追加要素の開発は続く。
メニュー画面でのBGMの試作3本が掲示板に投稿される。グランツーリスモのジャズ風に作ったというこれらはJM氏自身がDAW(*6)で作曲した。これらの試作楽曲は今でもSoundCloudから試聴できる(リンク)。
また、市街地をベースにした新コースも開発を始める。JM氏が「リッジレーサーType4」のファンなのをきっかけに、その収録された市街地コースをグランツーリスモの物理演算でレースしたいというコンセプトのもと、鈴鹿サーキットのような立体交差も含めたコースを作り始める。このコースは将来的にBlueCityとなる。
【2013年10月】
この頃よりRedline Racingが開発中止となる。
理由としては、開発におけるタスクがかなり膨大で、長期的に見てスタッフを雇ったり、パートナー企業からの支援を得る必要があることなど、進化させていく上で大きな壁にあたったためと語る(*7)。
【2014年1月】
年も越してすぐ、Redline Racingをスマートフォン向けの基本プレイ無料のゲームに変更する事が発表される。
また、JM氏は開発デバイスをMacbookからiMacにパワーアップさせ、当時でも型落ちであるiPhone 4sでも60fpsが出るまでに最適化を成功させる。次月にはAndroid向けにテストバージョンが配布される。
【2014年3月】
タイムアタックのランキング上でJM氏のタイムを上回るものがあったため、リプレイ機能の開発を行う。リプレイ機能ではPS2の名作ゲームであるエンスージアを参考にして、プレイ視点以外からのリプレイカメラやスローモーションの実装も行う。
スマートフォン向けに最適化するためにForestPathを完全に作り直す。木などの配置を改善することで、木の実際の配置本数を減らしつつコース名に見合う見た目にした。
【2014年4月】
どこにでも人の心がわからないクソ野郎はいる。
この掲示板は小規模ながら更新は多く理想的ではあったが、この頃より16歳のロシア人が半ば荒らし行為を行う。突飛な車種やコースの追加など建設的ではない要望が多く、何度もスタッフとしてメンバーに入れてほしい旨のメッセージを送り続け、最後にはRedline Racingを改造した別の作品ともとれるものを作り発表。JM氏はこの盗作に近い一件でとうとう完全に開発のやる気を失くしてしまった。
この一件は、JM氏の今後における掲示板での対応やリリース体制のみならず、ARリリース後の2019年頃のMOD騒動での対応などにも影響を及ぼす。
【2014年5月】
先月の件や本業の忙しさから進捗はなかったが、この時点でダウンロード人数も4000人を越え、応援コメントも多く、本業で休みが取れ、新たな開発メンバーも合流したなどで開発を再開。
アイデアや意欲が溢れだし、まだ開発を続けているPC版でのハンコン対応、PlayStasionやXboxでの可能性、簡易的なPvPの構想など様々な可能性に貪欲さを示す。その一方で先月の件からかJM氏が掲示板で進捗を逐一共有することは無くなった。
【2015年】
個人の開発ゲームではなくチームとして1つの企業形態で開発を継続することとなり、JM氏は2014年の後半頃からほとんど掲示板に姿を現さなくなってしまった。
2015年11月3日にイギリスで「Infinity Vector LTD」として法人登録を行う。これはiOS向けにAppStoreでリリースするに際し、Apple Developer Programで法人登録が必要であった事から、オンライン上での設立手続きが可能でJM氏の家族が住んでいるイギリスでの設立となった(のち2017年に日本に法人登録を行いイギリス法人は2025年3月4日に廃止)
掲示板は静かになったが開発は製品として徐々にいくつか変更が加えられながら形になっていく。
ライセンスの都合からPC版の開発を終了、いくつか問題があったRedline Racingの名前は変更、掲示板へ書き込みをした人の一部を開発メンバーに組み込むなどの変化もありつつ、最終的に「GT2~4、Forza4、エンスージアを混ぜたような不思議なもの」が出来上がったとしてこの掲示板は4年の歴史に幕を下ろす。
【2016年】
掲示板そから離れてはや2年後の2016年6月27日、Assoluto RacingはGooglePlayとAppStoreでモバイルゲームとして正式に全世界向けにリリース。
2019年にはダウンロード数が100万を突破。さらに約3年後の2022年にはダウンロード数が2,000万を突破し、2023年時点ではGoogle Playストアのレーシングゲームカテゴリで売上ランキング8位にランクインするなど、スマホのインディーズレーシングゲームを代表するタイトルへと日々進化を続ける。
読んでくれてありがとう
長文読破ありがとうございました。 もっと知りたい人はARリリース後の gtplanetの掲示板も残ってるから読んでみてね また暇なタイミングで記事にできたらな、と。 ★gtplanet掲示板 → リンク 関連掲示板1、関連掲示板2 |
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執筆 : give/ギブ (@give_8010) Granbeat
お問い合わせ : give/ギブ ホームページ
この記事は以上です。
*1 原文:my goal for our game would be to recreate the same atmosphere that the game delivered to me when i was playing it. 引用:https://www.gtplanet.net/forum/threads/gran-turismo-2-very-inspired-project.271695/
*2 出典はNetKer開発者本人のインタビューより。https://ravsim.com/2011/11/12/stefano-casillo-talks-about-netkar-pro-part-1/
*3 このスクリーンショットはBuild06でのもの。それ以前のバージョンではコースが収録されていなかった(詳細は後述)
*4 原文:If someone had told me 4 years ago that it will take this long, i would have probably make a game like Flappy Bird lol.
*5 少し前まで[[AR公式サイト>ar.infinityvector.com]]に使われていないRankingのページが残っていたのもこの影響?
*6 DAWソフトは今ではほとんど聞かないReason4。ただDAWとは名ばかりで、MIDIキーボードなどのサウンドインターフェイスを再現するソフトで、楽器未経験者でも直感的に作曲できる。フランスの実家にはFL Studioがあるらしいし、学生時代からある程度DTMには触れた経験があるっぽい
*7 出典:https://www.gtplanet.net/forum/threads/my-flying-simulation.289483/