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下山師匠は“きみ”の名を知らない

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 わたしアンドロメダさん、今クレーンに捕まっているの。
 というわけで、しーきゅーしーきゅー、だれかたすけて―。という電話じゃなかった念話をところかまわず送っているわたし下山アンドロメダなんだけどかんだけどみんだけど、なぜこんなことになったのかを、きみたちに向かって、順を追って話してみましょっか。

 いち、に、さん、はーい。

 アダムスキー氏が設計したUFOに乗って上海にある鞍馬山にやってきたわたしは、山頂に設置されていた捕獲用クレーンに捕まってしまったわけなの。
 なぜなに? なんで鞍馬山にクレーンがあるのかって? そもそもなぜ上海に鞍馬山があるのかって? よ?
 ああそれはね、上海市政府が京都にある鞍馬山を観光の目玉にすべく誘致したのだよ。さすがの鞍馬山が足を生やしたとしても、日本海を泳ぎ切るには無理があるからね。当時バブルなのをいいことに、金があまっていた市政府は鞍馬山を拡大再生産したのだ。はぅはっはー。

 すごいね。

 あいにく、当時の中国の技術力ではオリジナルのコンパクトなサイズは実現できなかったのか、元の鞍馬山が0.584kmで収まっているのに対して上海にある鞍馬山は3kmを越える高さになってしまったの。
 バブル経済に乗っかって、重厚長大路線が受けると思ったのかな。ところで日本には「小少軽短美」というスローガンがあるらしいのだけど、これはものづくりに当たってはより小さく、少なく、軽く、短くすれば、美しくなってムダも省けて性能アップにつながるという考え方なのね。

 うん、わたしは嫌いじゃないよ、その考え方。
 でも、わたしはね、ムダがだーいすきなのさっさのさん。
 だからね、この鞍馬山には無駄にUFOの無人発着場が用意されているはずだったのだよ。この下山アンドロメダさまが引っ込み思案で繊細な天狗である以上、セルフ給油とセルフレジは友達だからね。ここまでの長旅で減ってしまったレギュレーターハンドルを積み上げるにはもってこいと思っていたのだ。

 そして鞍馬山が祀るのは尊天といって、いわば宇宙エネルギーなのだよ。
 レギュレーターハンドルとかいった即物的なものでなく、なんだかよくわからないものを本分とするこのわたしにとっては、ここで宇宙からの波動を受け止めるのは何ら問題ないだろう? ほうぅら、Q.E.D.

 で、このわたしがなぜクレーンに捕まっているかというとだね。

 「にゅぅわぅおぁああああああああああああああああああああああああああああぁ!!!!!!!」

☆彡

 ――こんにちわ、といってしまうとなにかの嘘を吐いてしまうような気がします。
 頭の中でにぎやかに騒ぎ立てる天狗さんが、いっそう騒々しいよう。
 意味の結んでいた言葉がまったくわからなくなっていく。これって悲鳴です。

 鬱蒼とした森。整備されていない参道。ところどころが削れて、風化して。わたしは足踏みをするつもりはなくて、足を止めるつもりもなくて。
 昨日の雨で湿った土の跳ねはレインコートを汚す。雨の名残の湿った空気は温かい。
 雨に濡れるということ。それは寒いというより痛い。寒いと何か大切なものが削れていく気がするから。削れていく、なくなっていく、それって痛い。

 だから、吐息が白くないのはうれしかった。耳、指、羽根、尻尾、身体のはしっこから幸せが逃げていく気がしたから。
 匂い、どこかで嗅いだ気がする、落ち葉の匂い。言葉にできない。来たことがある? ない。だけど。
 音、かさりと踏みしめる音はしなくて、ざりと砂を蹴る音がした。

 一段。また一段。着実と石の階段を昇っていく。
 天国は高いところにあると信じてる。宇宙人の下山さんは空の向こうの宇宙にはそんなものはないよといった。

 ――でもね、天国はあるんだよ、といわれた。
 ヘンテコな人だけど、そこは優しいんだなって思いました。
 ざりざりざり、砂を蹴る音は続いていく。靴底は少しだけ削れても、痛くはない。落ち葉に靴が潜る音はしたけど、それは言葉にできなかった。
 三千メートルある山にはいったいどれだけの階段があるんだろうと聞いたら、天狗の下山さんはやっぱりよくわからないことばかりをいった。

 ――でもね、ワープゾーンもあるんだよ、といった。
 ワープゾーンとはなんだろうという素朴な疑問を持ったわたしです。
 だけど、古びて苔むして瓦が落ちたボロボロの山門の前で、それを見つけた。

 「――魔法陣だ」
 宇宙人にして天狗である下山さんが教えてくれた魔法の図形。目の前の一気に開けたその場所、石畳に刻まれていた。
 六芒星ならわたしだってわかる。誰も手入れをしたような足跡は、ない。そのはずなのに、チリひとつ落ち葉ひとつすら落ちていなかった。
 そしてそれはなんのエネルギーの供給も受けていないように見える。でも光っている。輝いている。わたしはそこにきて、はじめて足を、止めた。

 耳を澄まそうか、それともメモ帳を開こうか。
 決めかねて、ほんの少しだけまごまごすることを選んでいると。
 おせっかいな天狗さんが、前の方の選択肢を自分から選んでみせていた。

 《もしもしもしもし、あや、やっとつながった(ごわんごわん)。わたしアンドロメダさん、あなたの頭上2.702kmのところにいるの(ぐわんぐわん)。やぁやぁ、きみきみ。ということはワープゾーンに着いたのかな?(どぅーらどぅーら) 
 そうだよね、Cルートなんて石段ぜんぶ登ろーなんて道は辿ってられないよね。きみをAルートに案内しよう!(どかーん)》

 一方的に送られてくるビジョンの中、下山さんは揺れていた。前後左右に揺れていた。爆発音がした。
 そして下山さんは黒のゴスロリドレスを着ていた。なんで? というひらめきを言葉に移す考えをぐっとのみ込む。
 この人にツッコミを入れても意味はないのだから。代わりに簡潔に用事を言う。

 《――それで、ここでなにをすればいいんですか?》
 《ああそれはだね、まず六芒星もしくは籠目紋という図形の、きみから見て一番上の頂点に立ってだね》
 《――立ちました》
 《そして、同じところを二度通らないように一筆書きで一周しておいで、すると――(どっかーん!)》

 コミカルな爆発音とともに、下山さんとの通信は途絶えた。
 向こうから打ち切るのははじめて。よほど切羽詰まっているのか、ふざける余裕がないのもはじめてだった。
 でも、わたしは心配しなかった。下山さんはわたしのことを心配しないでといっていたから。
 いつか心配したことがある、でもあの人は高笑いというには下手な笑い声をいつだってしてくれる。

 「――よし」
 だからわたしは今度こそ口に出すと、メモ帳を開く。事前に教えてもらった通りに一筆書きで魔法陣をぐるりと回った。
 いち、に、さん……。
 〈元の位置から一歩手前を目指す/線と線の交じり合うところはカウントしない〉
 歩みを進める。星を描く。すると一瞬の静寂、風の音すら途切れて。目の前はまっしろな光に包まれて。

 気が付くと。わたしの目の前にはありとあらゆる黒を塗り重ね合わせた。とにかく禍々しくおどろおどろしい建物。
 それに、その正門前で高いびきをかくおじいさんの寝姿があらわれた。

☆彡

 いやはや、失礼したね。日本萌えキャラ能力検定一級保持者であるわたしのつつがない悲鳴をきかせてしまったかもしれない。
 公益財団法人「日本萌えキャラ能力検定協会」が実施しているこの資格は三級までならきちんと義務教育を受けた日本人なら誰でも受かるが、二級以上ならちゃんとした勉強が必要になるからねえ。
 準一級以上ともなると五千通り以上はある萌えキャラのレパートリーをすべてこなさなければいけない。え、そんな小噺はいいからとっと話を進めろ。はにゃ?

 きみがいま目の前に立っているのは魔王殿というものだよ。
 かつて六五〇万年前に、金星からこの地球に舞い降りた魔王様の居城のレプリカというものなのさ。
 六五〇万年前は盛り過ぎだろうという意見もあるそうだが、鞍馬山の公式ウェブサイトにも書いてあるから仕方がない。
 ちなみに天狗というものは古来流星のことをアマツキツネと呼んだものへの当て字を指し、すなわちこれは墜落した宇宙船のことを指したのだよ。

 うにょーん。

 すなわち、天狗とは宇宙人のことに他ならないのだね。
 かの名作漫画『うしおととら』にて、「藤田和日郎」老師は「山本五郎左衛門(さんもとごろうざえもん)」魔王陛下の自分は天狗ではないという抗議(『稲生物怪録(いのうもののけろく)』ではきちんとその旨を告げているよ)を無視して、大天狗として描いたが魔王というのは天狗の階級の中でも中々に高位に当たるからね。混同もやむなしとも言えなくなくなくなくなくなくもないだろう。

 「あばばばばばば」

 失礼、わたしのUFOを捕獲しているクレーンは機械だからどうせ雷が弱点だと思って、さっき左側の方に雷魔法を三連続で放ってみたのだが、吸収されて逆に100万ボルトくらいで反撃を喰らってしまったよ。失敬失敬、わたしとクレーンではレベルが違うのでさしたるダメージにはならないが、このままではきみと山頂で感動の再会をする前に髪型がアフロになってしまうからね。縦ロールになるならまだいい方だが、もしサザエさんになってしまったら目も当てられないことだろう。

 「うごごごごごごご!」

 今度はマグニチュード8くらいで揺らされてしまったよ、おいおい、いくらわたしが常時飛行していて地属性無効とはいえ、これじゃあUFOが持たないじゃあないか、どうしてくれる。え、何? そうか、鞍馬山のガイドブックを読めばいいのか。なになに、攻略情報によると右のクレーンは雷属性を吸収するが、左のクレーンが雷が弱点なのか。よし!

 「サンダガ!」
 やった! 雷魔法で左側のクレーンを倒したぞ。あとは、右側だけだが……。
 それで先ほどの話なのだけれど、天狗でも狐狸の類でもない魔王陛下はだね。ほら、天使と天狗は同一視されるというだろう。
 そして、天使と天狗、天使と堕天使、声に出して言ってみるといい。共通点が見つかるはずだよ「てんし」と「てんぐ」、「てんし」と「だてんし」。
 つまり点々「濁音」が多いということで、「天狗」=「堕天使」が成立するのだ! ちょうど黒い羽根を生やしていることだしおあつらえ向きだろう。完。

 いいや、続くつづく。もうちょっと続いちゃうんだよね、これが。山本陛下も素直にアザゼルって名乗っとけばいいのに、わざわざ現地名まで、日本人に合わせて即興で名乗るんだから、もう。
 ん、あの老人は……? 

 ボキッ★

 「あ、やばい。UFOの大黒柱が折れた」

☆彡

 下山さんはぬいぐるみの真似をしているつもりなのか、クレーンに捕まっているのはいつものことのようです。
 宇宙人の出没する山々にはだいたいクレーンが設置されているのだとか。そもそもUFOキャッチャーってUFOをキャッチするでなくて、UFOがクレーンを出してキャッチするものだとわたしは思います。そうして、わたしが益体もない考えに囚われていると、目の前のおじいさんがううんと伸びをして起き上がります。
 ふとんの代わりだったのか、薄汚れた新聞紙がばらばらと落ちる。漢字の羅列、現地の簡体字はどこかピンと来ない。お互いがおたがいのことを、いまいちピントを合わず、見つめ合ったのは一瞬? 一時? 心の中で、数を数えていない。

 あまり不躾にじろじろ見るのも違うと思って。でも、視線を切ることもできなくて。少し困っていると、山の上では寒そうな格好なおじいさんは言葉を告げた。
 「んん……アンタ、道に迷わされたのかい?」 
 あ、はい、と続けようとして。少し引っ掛かる。“された”? なされた、でなくて。わずかな引っ掛かり。
 小さい数字を数える。細かい数字が気になる。大きな数字は怖い。けれど、見なければならない。

 おじいさんを中心に、少しぐるりと見まわす。
 少し距離があって、ここからでも視線は水平。背は同じくらい。夏の山でも怪しいのに、タンクトップに短パンはもっと寒そう。
 伸び放題の髭も髪は完全に白けているけど、砂と泥となんだかよくわからない染みがこびりついていて、仙人というには怪しかった。
 背中には、書道のパフォーマンス大会で使うような大きな大きな筆がしょい込まれてる。

 「――もしかして、宇宙人の方ですか?」
 だからわざと外れる質問をした。でも、完全には離れていないと信じている。
 「んあ? いやはやはやはやインザスカイ、ワシは宇宙人ではないよ。地球に帰化しておるからのう。確かにワシはこの地球上に、単身フロンティーアーを求めて舞い降り立ったったった若く麗しきイケメン宇宙人だったわけだが、五千年を経過したならば暁には! かくのごとくさくのごとくまくのごとく素敵に枯れ果てたお爺ちゃんになっちゃったわけなのじゃよ。カーッカッカッカッ!」

 答えを得たも同然で、口を閉じる。いけない。あの天狗の宇宙人(下山さん)に甘えすぎている。
 「――もしかして、天狗の方ですか?」
 でも定型句の質問しかできなかった。ああどうしよう。とても顔をほころばせて、この地球人の人楽しそう。

 「おほぅ! そいつァナイスクエスチョン! アンタがワシのことを天狗といえばそうともいえるし、そうではないともいえる。立ってみての通り、ワシは謙虚で正直な地球人じゃからな。
 だからたとえ、ワシがそうだといっても納得は得られまい? だからワシは言葉じゃなくて行動で語るねッ! ワシの名は太郎丸権蔵、見ての通り性別は男性の、外見年齢70歳前後、占い師『新宿の名付け親』として界隈でブイブイ言わせとる身じゃが、そんなことはどーでもいい。問題は肩書きじゃなくて中身よだからなぁ。
 そして、ここ上海の鞍馬山II(くらまやま・トゥー)でジジイとお嬢ちゃんが出会ったからといって面白いことが起こるかは定かではないが、ワシというジジイであるというのならそうでないともいえる。つまりは、えーっと、なんだっけ。
 お嬢ちゃんの名前は? おおっと、言わずともよい。田中エリザベスちゃん? そうだろぉ!! え、違う? ま、こんなこともあるじゃろ。本日はお日柄は特によくねーな。降水確率は30%って……じゃかあしいわ。誰がお天気ジジイやわい! というのは、まぁええとして、よしお嬢ちゃん、アンタに二つ名をくれてやろう。
 それもタダで! どよ? え。タダより高いものはないからいらない? 若ぇのにしっかりしてる嬢ちゃんじゃな。見たところ外見年齢14歳で実年齢50歳くらいだってのにしっかりしてやがる。おおなんだなんだ、おなごの年齢を呼ぶのは野暮だって神託が入ったぞ、いいじゃねえか、天狗アワーに比べればヒューマンライフなんぞ誤差よ誤差」

 ところで、わたしの名前は田中エリザベスではないです。
 途中、ちょくちょく脳内会話で訂正を入れました。どれがどれだかは、説明を省きます。
 一通り口上を述べた太郎丸というおじいさんはポリポリと白髪頭を搔くと、手を後ろ手に、背中に背負った大きな大きな筆を前に回して構えます。
 あたかも侍のようでした。害意は感じません。ただただ迷惑な予感だけがしました。

 「よってここで会ったが百年目ぇ、今日からアンタは――『愛と感動のアボガドフライバーガ《待てい!!!!》」

☆彡
 ☆彡
  ☆彡
   ☆彡

 あ、流星群。太郎丸おじいさんが言い切る前に割り込んできたのは、唐突な下山さんの声。
 月が見えるほど、暗さを増してきた空にあって、輝くのは下山さんの四散して輝くUFOでした。
 わかりやすく隕石のように赤熱して落ちてくるUFOのかけらは、原形をとどめていません。

 《おおっと! その辺にしてもらおうか、太郎丸僧正、その子は親愛なるわたしの弟子なのでね。うかつに変な名前でも付けられたら目も当てられないのさ!!! のさ!! のさ! のさ(エコー)》
 なんとエコーが。ここが山だからでしょうか。
 そして、割れたソーサーの中から、黒い点が。刻一刻、点は線となり、線は面となって像を結びます。
 黒い翼を羽ばたかせる下山さんは、猛スピードで羽の一枚一枚を焦がしながら、一直線にこちらに向かってきました。

 「とう! そこまでだ! クソジジイ!! ここで会ったが百年目! 我が弟子を解放するんだ!!」
 あまりにも見事な、着地時に片膝をつき地面を強く叩く、どこかで見たポーズでした。ちなみにこのポーズはある電脳映画で有名になりましたが、源流は香港で取られたとある映画の方にあるそうです。だから、大陸に縁のあるかっこうを下山さんは選んだんですね。
 そして、背後では爆発炎上。わたしが細かく外見を語る暇もないうちに、魔王殿は崩壊しました。

 わたしがおろおろしている眼前で、サムズアップ。なにかを成し遂げたかのような、晴れやかな顔をする太郎丸おじいさん。
 そして、わたしを背に隠してカラスのように口をとがらせる下山さんはぽつりと一言だけ漏らしました。 

 「孫の顔も声も忘れたか、ジジイ」

☆☆       ☆

 地上に落ちた星を見送って、歩く。わたしはわたしたちになり、同行者を増やしながら歩く。
 レプリカの魔王殿は観光客向けらしく、本物の天狗は三名しか働いていなかった。務めていた天狗さんたちがアフロになりながら飛び出してくる。
 下山さんはわたしの腕をとって逃げ出した。おじいさんが付いてくる。追いかけっこがはじまった。わたしたちは逃げる方で、太郎丸さんは追いかける方。
 ワープゾーン、金剛床というらしいも破壊されてUFOも墜落。結局逃げるのは足に頼らなければいけない。わたしの翼は頼りない。尻尾は揺れる。

☆☆彡       ☆彡

 走る。走る。走る走る走る。泥草を突っ切って、未知の道を駆け抜けて。引っかき痕はいらないと、下山さんは木々の痛みを振り捨てた。
 歩くのはとっくにやめてた。走るのもやめようとする。それならば、と!
 下山さんは飛んでいた、太郎丸さんも飛んでいた。山頂目指した鞍馬山を抜け出そう。山の表面から抜け出して、今は夜、ここは夜。
 雨のにおいと土草の気配を振り払う。かける、駆ける、翔ける――! 新緑は暗鬱へと印象を変えて、渦まいて。色彩はゴッホのようだとわたしはおもった。

 ざあざざっという音、空気を弾く激しい音と感覚と温かい手のひら。全身を空気がたたく。
 けれど、わたしたちは自由に空を舞う。山の輪郭を捉える。山の稜線をにらむ。
 目くばせをする。うなづく。一本杉のてっぺんへ。そして、そこから一転、落ちていった、

      ☆彡?

↓↓
☆☆


 フォールダウン? これって墜落じゃない、これは足の居場所をとらえ直しただけ。
 あっという間に空の一部だったわたしたちは、山の裾野にまぎれた。ふっと、一息をつく。
 ひと心地着いたのは下山さんも同じだったようで、きょろきょろと所在なさげに見渡して。申しわけなさげに、つぶやいた。

 「身内の恥ずかしいところをお見せしてしまったね。あれは太郎丸権蔵、わたしの祖父だ」
 《それも、父方と母方を兼ねる形でね。だから私はおじいちゃんっ子だったんだよ、あの時はわたしにおじいちゃんがひとりしかいないことを疑問に思わなかったなあ。せいぜいが、天狗幼稚園の年少さんだった頃に、ほかの子たちはお正月がお得だなあって思ったくらいだったんだよ。》

 しみじみとした声と心の声は、あっ、きっとこの人の本音なんだなと思いました。
 この人は天狗だけど、自分で言うほど背が高くない。鼻も低い、嘘を吐いて鼻が伸びるキノッピオじゃないんだ。
 でも、人間ではないと思わせるほどには軽かった。だから、この人は天狗なんです。

 それからわたしは、追跡者のしるべになることもおそれずに、煌々と輝く、下山さんの灯した天狗火を頼りにメモ帳をひらく。
 〈下山さんは純粋なアルクトゥールス星人じゃない/父方の母親と母方の母親もおなじ〉
 〈ほんとうの意味はわからない/でも哀しい目をする。ここは聞かない〉 
 〈百年前までイギリスを拠点にしていた下山さんは日英同盟をきっかけに日本に帰ってきた/そこでおじいさんと鉢合わせて大ゲンカ〉
 下山さんはそうしてほしいように見えました。だから、ひとつひとつ書き込んでいきます。

 下山アンドロメダという宇宙人にして、天狗であるこの人の言葉は正直言ってよくわかりません。
 でも、この人があのお爺さんのことを本当に好きだったこと。どうしようもないほどの怒りを抱いたこと。それが拍子抜けするくらいのスピードで自分の中から抜けてしまったこと。すると今度は会いたくなってしまったこと。だから脳内に直接適当なことを浴びせかけてみたら神の声と思われてショックを受けたこと。
 そこまで、話してくれました。

 「あの爺さん、天狗らしいだろう? いっつも飄々として、まったくもう、ね。わたしほどに真面目な天狗もいないからというのに♪」
 グッと言葉を呑み込む。理由は、言うまでもなく。代わりに、いったのは。

 「――だから、逃げたんですか?」
 自分でも驚くほどに、強い言葉でした。こんなことを言うつもりはなかったのに、どうしてとクエスチョンがつくほどに。

 「……そうかもしれないね。年下に言われたら2136歳も形無しだね。はぅ↑はぁ……↓」
 本当に落ち込ませてしまいました。でも、下山さんはすぐに上を見ると、握りこぶしを作ってしゅっしゅっと空を切ると。
 《うん、ちょっと上にいるクソジジイ殴ってくるわ》と、脳内に力強く伝え、↑に向かって飛び立ちました。

 ミ☆→                                              ←☆彡
                           ミ☆→                   ←☆彡
                                     ミ☆⇔☆彡

 頭上で星と星がぶつかり合う音がしました。
 一度。
 二度。
 三度。
 四度。

 はじめは硬い音、続いて輝く音、温かい音、最後に無音。間隔はそれぞれ、数秒、数十秒、数分、数十分。
 はらはらと見守るわたし。黒衣と黒翼の天狗は、それが同じ黒でも夜空の闇とは全く違うとばかりに色鮮やかでした。
 対する太郎丸天狗は、着の身着のまま好き勝手に空を飛んでいました。自由なおじいさんです。

 一度目は衝突なのか。
 二度目は本音なのか。
 三度目は和解なのか。
 四度目はなんなのか。まったくわかりません。この祖父と孫の間柄にわたしは立ち入る隙がないのです。

 そして五度。すとんと音を立てて、下山さんはわたしの目の前へと降り立ちました。そうして、とても晴れやかな、素敵な笑顔でそういうのです。
 「わたしのことはコンクリートジャングルの女王『下山アンドロメダ』と呼んでくれないかな?」
 第一声はそれでした。正気に戻れとわたしはグーで殴りました。

☆☆彡

 いいパンチをもらったのなら、礼儀としてノックダウンを興じねばならない。そういって、下山さんはあえてひっくり返ると、即座に起き上がります。
 コンクリートジャングルの女王を名乗るすなわち都会派らしく、下山さんは奮ってうきうき気分で下山することにしたようです。わたしの手を引いて。
 地に足を落として。一歩一歩、慈しむように。それはそれはもう、頼もしかったのだけれど。
 果たして、わたしは愛と感動のアボガドフライバーガーになってしまったのでしょうか。ぎりぎりいうかいわないかで途切れたので、謎は深まるばかりです。

 「夜のうちに逃げないと夜逃げにはならないからね、うきうきエスケイプといこうじゃないか☆彡」
 結局あれから、太郎丸さんは駆けつけてきた烏天狗の皆さんに捕まってしまいました。魔王殿修繕費用を返すまで、人質として預かっておくと大音量のアナウンスが流れました。そうです。下山さんも借金を抱えてしまいました。わたしが申し訳のなさそうな顔をしていると下山さんはいいます。

 「子どもがお金の心配なんてするものじゃないよ。親がいないのは私も同じだが、こうして二千年くらいは生きているのだから。五十年やそこらで天国に行こうだなんて達観することはない。改めて勧誘しておくよ、わたしの弟子にならないか?」
 「でもそれって天国にはもういけなくなっちゃうよねって、下山さんは言いましたよね?」
 そうです。天狗の住む世界は天狗道といって、天国に地獄にももう行けない人たちの集まりなのです。それは知っているわたしは、うなづくことをしません。

 「知ってた。一人っ子だろう、“きみ”は」
 だけど。本当に、なんとなしに、一切悪びれることなく下山さんは言葉をつづけました。

 「黒孩子(ヘイハイズ)――、かつてこの国では人口の爆発を防ぐため、多産ではなくその逆を推奨した。金さえ積めば生まれた子どもも、闇に葬られていった。だから黒い子供たち、例に漏れずこの国でも黒と闇は強く、固く結びついているよ」
 ぎゅっと、握りしめる手のひらは今だけは冷たく思えます。今は夜で、ここはすべてを呑み込む山の神の住処だと思いだします。
 もう片方の手を空中に遊ばせた下山さんは、指をペンのように光らせて、走らせた。目線の先、空中がメモ帳のように文字を占めるナニカに、変わる。

 〈1. 黒もっこは無害ゆえに無敵であり、あなたの傍から決して離れない〉
 〈2. 黒もっこは無害ゆえに無敵であり、決してあなたに危害を加えない〉
 〈3. 黒もっこは無害ゆえに無敵であり、決してあなたは彼らを殺せない〉
 〈4. 黒もっこは無害ゆえに無敵であり、二度の新月を迎えると消滅する〉

 「黒もっこ、一部でささやかれている都市伝説だ。これは黒物子と字を当てられるが、こうともいえる、『黒没子』と。黒もっこの正体はわたしたちなら腹の内に宿すことができるものだ」 下山さんは自分の腹をさすりながら、続けます。
 《いわくそれは、ふたり目の子を宿した母親の当局に抵抗するためのささやかな詩だったのだろうね。母親が好き好んで我が子を殺そうと思えるものか。
 それに、母親にとって、妊娠当初の胎児は母体に害をなすことができるものではない。二ヶ月もすれば、周りこそが気づいて動くのだ。
 黒もっこは怪異じゃない。一族のため、その大切な幹になる一人っ子をよりよく育てる枝葉となるふたりっ子を切り払い、堕胎すべく動く社会的圧力の寓話だよ》

 〈1. 黒もっこは無害ゆえに無敵であり、あなたの傍から決して離れない〉
 〈2. 黒もっこは無害ゆえに無敵であり、決してあなたに危害を加えない〉
 〈3. 黒もっこは無害ゆえに無敵であり、決してあなたは彼らを殺せない〉
 〈4. 黒もっこは無害ゆえに無敵であり、二度の新月を迎えると消滅する〉

 黒もっこという四行の詩は、物心ついたころからわたしを追いかけてきました。今もわたしの視界を占めています。
 それに追いつかれたのが、わたしが死んだ理由のひとつです。わたしはその手をそっと振り払おうとして――抱き留められました。もっと大きな枠組み、でもそれは死ではなくて、今わたしたちがこの場に生きていることの証明で。
 女性らしいやわらかみ、でもほのかに骨の浮いた感触。この人はいま、軽やかに、わたしをとらえています。

 「いいんだ、いいんだよ、こんなルール、もういらないんだから。だからこうしよう」 

 〈1. 黒もっこは無害ゆえに無敵であり、あなたの傍から決して離れない〉
 〈2. 黒もっこは無害ゆえに無敵であり、決してあなたに危害を加えない〉
 〈3. 黒もっこは無害ゆえに無敵であり、決してあなたは彼らを殺せない〉
 〈4. 黒もっこは無害ゆえに無敵であり、二度の新月を迎えると消滅する〉

 おせっかいな天狗さんは、勝手にわたしを縛るルールを改変していきます。
 彼女の体温は熱くて、火傷しそうで、でも振り払う気にもなれなくて。

 「いや、違うな。中途半端に打ち消しても意味がない」

 〈1. 黒もっこ下山アンドロメダは無害ゆえに無敵であり、あなたきみの傍から決して離れない〉
 〈2. 黒もっこ下山アンドロメダは無害ゆえに無敵であり、決してあなたきみに危害を加えない〉
 〈3. 黒もっこ下山アンドロメダは無害ゆえに無敵であり、決してあなたは誰もが彼らきみを殺せない〉
 〈4. 黒もっこ下山アンドロメダは無害ゆえに無敵であり、二度の新月を迎えると消滅すきみが生き続ける限り不滅である〉

 《清書しよう。》
 そう、心の中でつぶやきながら下山さんはタクトを振るいます。吹き消された空中の文言の代わりに。
 「1. 下山アンドロメダは無害ゆえに無敵であり、きみの傍から決して離れない
  2. 下山アンドロメダは無害ゆえに無敵であり、決してきみに危害を加えない
  3. 下山アンドロメダは無害ゆえに無敵であり、決して誰もがきみを殺せない
  4. 下山アンドロメダは無害ゆえに無敵であり、きみが生き続ける限り不滅である」

 口から発せられたのは、誓いの言葉でした。
 それから、下山さんはわたしが痛いというまで、ずっと、ずうっと――、朝までずっと寄り添ってくれました。


 そして、太陽が昇ります。
 夜の暗闇、忘れていた山の寒さ、それらを振り払って、わたしたちはBルートに向かって歩き出します。
 Bルート、それは下山する道を指すのはもちろんのこと、天狗道への階段だと下山師匠はいいました。
 階段を昇るのではなく、下るなら天狗から遠ざかっているのでは? といったら、きっと下山師匠は喜ぶのでしょう。

 だから、わたしは口に出してはいいません。
 下山師匠ははちゃめちゃを喜ぶ人です。黒もっこの正体もあんな理路整然としたルールで片付くものだとは、アレですべてだとは信じていません。正解です。黒もっこはそれだけじゃありません。
 でも、そのすべてを知ったら黒もっこをぜんぶそのはちゃめちゃで塗り固めてしまうでしょう。だから、わたしは下山師匠といっしょに歩いても、もう寄りかからないと決めました。彼女もきっとそれを望んでいます。

 それに、天国行きの階段を、今もわたしは探しています。はちゃめちゃに慣れてしまったら、わたしは天狗になってしまうのです。
 でも、下山師匠はUFOは墜落したから、空の向こうから見守るでなく、これから一緒に戦って、働いてくれるのだといいました。
 だから、わたしはまだ、弟子になったわけではないけれど、下山アンドロメダさんのことを師匠と呼ぶことにしました。

 そうだ。代わりに、きみの名前を教えてほしいといわれたから、なんと答えましょうか。
 死神(シニガミチャン)――? それも悪くないけど、どうでしょう。
 でもきっと、師匠はどちらでもいい名前だと、あの不器用な高笑いで応えてくれるんです。 
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