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ダンゲロスSS上海
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ダンゲロスSS上海

燃え上がる決意の炎

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AM 2:00 ゴーストクラブハウス

 ぐわん。ぐわん。があん。があん。

 深夜の上海蟹ランドに、異様な音が響く。
 異様な足音の主は、月明かりに照らされて不気味に輝く西洋甲冑。甲冑の中に、それを纏う者の気配はない。空洞の甲冑だけが、誰もいないテーマパークの中を闊歩している。
 旧フランス租界の廃墟に居を定めていた亡霊の騎士、クラム・ハードシェルである。館を荒らす狼藉者から租界に魔幇(モーパン)の怪物が放たれるという情報を得て避難しに来たのだ。

 無論、いかなる刺客が襲ってこようとも打ち倒すことができるという自負はある。
 しかし、そのおぞましき怪物、触手生命体「姦龍(ファクロン)」の姿を万が一にも清らかなる貴婦人の目に入れてはならぬ。そう思ったのだ。

 目的地はホラー・アトラクション「ゴーストクラブハウス」。亡霊騎士を隠すなら幽霊蟹の中。闇に蠢かんとする甲殻類の群れの片隅に、西洋甲冑の騎士はがらんと音を響かせてうずくまり、動きを止めた。電源を落とされて動きを止めているカニたちの他に、彼の姿を見たものはいなかった。
 なお、ゴースト・クラブとは本来はスナガニの仲間を指す英語名である。夜行性で淡い色のものが多いことからそのような名前がつけられている。



ダンゲロスSS上海
第一回戦:上海蟹ランド

『燃え上がる決意の炎』



AM 9:30 上海大世界(ダスカ)

 蟹ランドより20kmほど離れた場所にある上海大世界に来賓を招いて盛大に執り行われる百年節の開幕セレモニー。そこへ、轟音と共に一台のベンツが現れた。

九龍(クーロン)の貧民どもだけじゃ轢き足りないわ! 来賓の皆様! 心場(こころば)フレイがタイヤの染みにしてくれるわー!」

 人々を轢き倒しながら猛進撃するメルセデス・ベンツ。その走行車線上に狐面の男がいた。
 狐面の男は、上体を揺るがせもせず滑るような歩法で立ち位置を変えてベンツの轢殺空間から抜け出す。車体が彼のすぐ脇を猛スピードで走り抜ける。
 そして、ベンツはそのまま直進して反対側の壁に激突、動きを止めた。運転席のサイドウィンドウには拳大の穴が空き、運転席の少女は顎を砕かれ意識を失っていた。
 すれ違いざまに狐面の男――その号は拳狐(チュアンフー)――が『為逸速的一息(いっそくがためのいっそく)』による高速の一撃を放っていたのだ。

「お尋ねしたい。こちらに、恋辻(こひつじ)メーメーと名乗る女性はいるだろうか」

 ベンツ暴走騒ぎなど無かったかのような涼しい声で拳狐が尋ねる。

「あらあら、メーメーちゃんのファン? あの子ならシフト変更で蟹ランドよ。拳士様、お堅そうに見えて結構お好きなのかしら? よかったら代わりに私と――あら?」

 美しい女性の応える台詞が終わる前に、狐面の拳士は風のように姿を消していた。



AM 10:00 シャンハイ・クルーズ

「さあ、あちらをご覧ください。上海蟹の群れが、ライオンを襲っていますね! 弱き者は生き残れない……これが上海の掟です!」

 船頭の軽快なトークと共にシャンハイ・リバーを巡り様々な上海蟹の生態を楽しむクルーズは、上海蟹ランドで人気のアトラクションのひとつだ。本物の上海蟹と、人工の蟹や動物のオブジェクトが巧みに組み合わされて独特のリアリティーを生んでいる。

「そしてこちらは……ワニ!? きょ、巨大なワニです!? こんなの居たかな……? しかし上海蟹はワニにも負けませ……負けてるーっ!?」

 体長10mの白っぽい巨大ワニが、上海蟹をむっしゃむっしゃと美味しそうに食べている。シャンハイ・リバーの頂点捕食者の座が今、入れ替わった!

(んふー、ここは美味しい蟹がいっぱい居て良いところだなー)

(スパイク、あんまり目立たないようにね!)

 ワニの名はスパイク。上海を騒がせる透明ワニ。本日はメーメーを護衛するついでに軽くおやつを楽しんでいる。



AM 10:30 ミート・ザ・クラブ!バックヤード

 蟹ランドのマスコット・上海蟹くんの着ぐるみの背中から、女性の上体が現れる。全身汗だくで、Tシャツが身体にべったりと張り付いている。彼女は目にも止まらぬ早さで500mL入りのペットボトルを手に取り、一息で飲み干した。

「ふえーー、あっづいーー」

 既に季節は冬。コートを着ないと肌寒い季節だが、それでも着ぐるみの中は暑くて蒸す。30分おきに休憩を取らなければ倒れる重労働だ。
 高い報酬に目が眩んでシフト変更を快諾してしまったが、これなら大世界でコンパニオンしてた方がだいぶ良かったと後悔するメーメーであった。

 一見楽しげな着ぐるみキャストだが、生易しい仕事ではない。重く暑い着ぐるみの中で激しいリアクションを続ける過酷なミッションなのだ。更に着ぐるみのサイズ上、一定以下の低身長が要求される。
 上海蟹くんの中の人となるのは、限られた者にしか許されない名誉ある仕事なので、メーメーちゃん頑張って!



AM 11:00 ワールドキッチン・イル・グランキオ

「カカカカカーンゥ! 世界中の上海蟹を楽しめるなんて、八つの海の王である俺様に相応しい店だな! 気に入ったぜェー! なァてめーら!」
「アイアイキャプテン!」

 長い髭を揺らして笑うキャプテン美髯(ビゼン)の声がレストランに響き渡る。美髯とその部下たちが店内を占拠して傍若無人に料理を食い散らかし放題である。

「どうだい兄弟、お前さんも気に入ったかァ?」

「うう……グスッ……故郷のモザンビークを思い出す味ネ……」

 泣きながら上海蟹のココナッツ煮込みを食べている黒い肌の男は、謎の中国人『R』。

「さァて、占い師の言うことにゃこの蟹ランドに清王朝のダイヤがあるって話だぜェ~」

「グスッ……その話、本当かネ? あいつ怪しいヨ?」

 いぶかしむRに、美髭は笑って答える。

「カカカカカカーンゥ! 王たる俺様の見立てじゃァ、あの占い師は本物よォ!」



PM 0:00 蟹ランド主街(メインストリート)

「うおおおおおーっ! ダイヤはオレのもんだーーーっ!」
「待てコラ鎧っ! ダイヤを寄越せーっ!」

 メインストリートを騒動の渦が包み込む。がらんがらんと金属音を響かせながら逃げるのは鎧の騎士クラム。追うのは数百人の群衆。
 クラムが『貴婦人』を懐に帯同して潜伏していることがなぜ露呈したのかについては説明する必要もないだろう。上海は多数の魔人が蠢く都であり、魔人たちの中には探知系の能力を持つ者が一定の割合で存在し、ほぼすべての上海人はダイヤを求めているのだから。

「ぬう、逃げきれぬ。ならば已むなし!」

 クラムは剣を抜き、横薙ぎに一閃する。
 群衆の先頭にいた数名の者の胸元に一筋の切り傷が刻まれ、鮮血を滴らせながら倒れる。

「次は加減せぬぞ。下半身と泣き別れしたい者から来るが良い」

 群衆の大半は悲鳴を上げて逃亡。それでも恐怖を強欲で押し止めてこの場に残った者たちも、クラムを遠巻きに見つめるだけとなった。

「カカカーンゥ! ダイヤが出てきたぜェーっ!」

 流血沙汰に臆せず、青龍刀を手にクラムに襲い掛かる者あり。たなびく流麗な髭。キャプテン美髯だ。

「ふむ。腕が立つ者が来たようだな」

 クラムは両手剣の刀身で振り下ろされた青龍刀を受け止める。

「カカカーンゥ! てめェもやるじゃねェか動く鎧ィ!」

 青龍刀と両手剣が重々しい金属音を響かせながら何度も撃ち合わされる。無法の荒くれ剣戟と、実直な正当洋剣術。太刀筋は違えど実力は互角。ゆえに。

「びっくりしたヨ! 占い当たったネ!」

 陸上選手のような踏み込みで横合いからクラムに迫る黒い影あり。謎の中国人『R』!

「ホアチャーッ!」

 Rの拳が唸る。美髯との交戦に手一杯のクラムは対応できない。鋭い拳が鎧の脇腹に突き刺さる。尋常の金属鎧なら貫通するほどの威力。その拳はかのブルース・リーすらも超えるほどの力を備えていた。
 だが、クラムの鎧には傷ひとつ付かず衝撃で数歩後ずさるのみ。

「硬イ……? この鎧、普通じゃないネ」

「なァに、だったら捕縛すれば良いだけよォ」

 美髯が懐からじゃらりと鎖をちらつかせる。Rも袖から赤と金の糸を結い合わせた中華風の縄をしゅるしゅると垂らす。
 その時、更なる乱入者が三人の真ん中に現れた。

 何処からともなく忽然と出現したそれは、巨大なワニであった。体長、およそ10m。乳白色のざらついた硬質の皮膚。都市伝説と称するよりも、神話の中から出てきたと形容した方が相応しい威容であった。
 遠巻きに三人の戦いを見ていた者たちも、怪物の出現に怯えて逃げ出す。

「グォオオオッ!」

 巨大ワニが咆哮と共に丸太のような尾を振るう。Rは跳躍し背面飛びの姿勢で回避。美髯は幅広の青龍刀を盾にして尾を受けながら後方に飛んで威力を殺す。

「象みたいなデカさネ。故郷のタンザニアを思い出すヨ!」

「カカカーンゥ! 北極海のクラーケンよりは小せェなァ!」

 全く怯む様子のない美髯とR。巨大なワニ――『透明ワニ』の名で上海を騒がす怪異の正体――は、鼻息荒く二人を睨みつける。

『緊急放送! 緊急放送! 園内に巨大なワニが出現しました! 上海蟹ランドは臨時閉鎖します! ただちに避難してください!』

 スピーカーから緊迫した声が響き、蟹ランド全域で悲鳴が上がった。

「ワニ……?」

 高く聳える(シェ)ンデレラ城の尖塔の上に立つ狐面の男が、眼下の騒ぎを見下ろして訝しげに呟いた。



PM 0:15 上海アソート蟹蟹(シエシエ)

 ぬいぐるみやアクセサリから、付箋紙や粘着テープ等の雑貨まで。多種多様なかわいらしい上海蟹グッズがところ狭しと並べられたファンシーショップ。店員が避難して誰もいなくなった店内に、シャツの上にスタッフパーカーを羽織ったメーメーが妙な連れと共に入ってきた。
 カニの絵が描かれた大きな毛布を被ったような存在……ゴースト上海蟹くんである。

「ふー、なんとか逃げきれましたね」

 布を剥ぎ取ると、中から西洋甲冑の亡霊騎士が現れる。混乱に乗じてメーメーは、クラムにゴースト上海蟹くんの布を被せて戦線離脱させることに成功したのだ。

「まずは助力に感謝したい。されど、貴君もダイヤを求めし者ではなかろうか?」

 クラムの問いに、メーメーは正直に答える。

「ええ。清王朝のダイヤを狙ってます。でも、私の手元には無くて良いんです。今の混乱が続いてくれるなら、持ってるのは誰でもいい」

「ふむ、ソレガシの宝を奪う気は無いということか」

「状況次第、ですね。財宝を守る伝説の騎士様、まずは騎士様の宝が本当に清王朝のダイヤなのかどうか、確認させて頂けますか?」



PM 12:20 朱家角(しゅかかく)アベニュー

 透明ワニ・スパイクと、美髯、Rの戦いは、運河を湛える瀟洒な水郷を模した区画へと移っていった。

(ぐおおお……こんなに強い人間、はじめてだよ……?)

 爬虫類の巨大な爪と牙、そして尾は命中すれば致命の一撃となる威力を持つ。しかし、海賊武人と黒き拳法家の連携は巧みであり、スパイクは徐々に押されていた。青龍刀が硬い鱗に切り傷を刻み、拳による打撃の威力が巨体の奥まで浸透する。

「怪物退治なら(おれ)も混ぜてもらおう!」

 戦場に、一陣の風が吹き荒れた。狐面の男が猛烈な踏み込みで巨大ワニに近付く。上体の構えを解放し、魔人能力による逸速の両掌底を巨大生物の鼻先に叩き付ける。
 破壊力=質量×速度×速度! 速度こそが二乗オーダーで効いてくる最重要項である!
 空気の爆ぜる音が響き、拳狐の足元の路面が砕け、透明ワニの10mの巨体が宙に浮く。

「グオォオオオーーッ!」

 スパイクは呻きのたうち、横転して水路の柵を破壊して水中にざぶりと沈む。拳狐、美髯、Rの三人は水路を覗き込むが、既にそこにワニの姿は見えなかった。

「消えタ……? 故郷のケニアでは、ワニこんなに速く泳ぐ無いヨ?」

「ワニなどどうでも良いわ! 邪魔者のせいでダイヤが逃げちまったぜェー?」

 キャプテン美髯は青龍刀を担いで、髭を揺らしながらクラムとダイヤを求めて姿を消した。

「ところでアナタ、拳狐(チュアンフー)ネ? ひとつお手合わせ願うできるカ?」

 謎の中国人『R』は、滾る拳法家としての血潮を抑えきれずに拳狐へ拳を向ける。

「うむ。己は人を探しているのだが……貴殿とここで会ったのも天命。存分に血肉を喰らい合おうぞ」

 拳狐の心も同じだった。貪婪な笑みを浮かべRの申し出に同意する。



PM 0:30 上海アソート蟹蟹(シエシエ)

 クラムとメーメーの前に、傷ついたスパイクがぬるりと現れる。巨体が陳列棚を押し倒し、蟹グッズが店内に散乱する。

(ぐおお……手強かったよぉ……特にあの狐面。あれ勝てる気しないよ……?)

「お疲れ様、スパイク。大変だったね」

 メーメーは巨大ワニの鼻先を抱き締めて愛おしげに撫でる。そしてクラムに向き直って彼のことを紹介する。

「騎士様。貴方を信頼して明かします。この子は私の親友。名前はスパイク。魔幇を打ち砕くための、私の矛です」

「ふむ、なればソレガシも大切な御方を紹介するのが礼儀であろう。我が貴婦人の尊容、しかと照覧あれ」

 クラムは、がらんどうの胴体の中から宝石箱を取り出して開く。彼はその箱を『轎子(ジャオズ)』と呼んでいる。騎士の見る幻覚の中では、貴婦人が乗った輿に護衛として随行していることになっているようだ。
 クラムの目には輿の中で煌めく美しき貴婦人の姿が、メーメーとスパイクの目には箱の中で煌めく大粒のダイヤが映っている。

「似てる……清王朝のダイヤに。でも何かが違う……」

 魔幇内部に潜り込んでいるメーメーは、一度だけ清王朝のダイヤを目にする機会があった。だから別物であることははっきりと判った。だが、クラムが愛する貴婦人の姿は、清王朝のダイヤとそっくりでもある。

「ふむ、やはり我が貴婦人と世を騒がすダイヤは他人の空似であったか。迷惑千万な話だ」

(……騎士様の言葉、古い言い回しの中にフランスの訛りがある)

 そう気付いた瞬間、メーメーの記憶の焦点が定まった。それは、ダイヤ誕生にまつわる伝説のひとつ。清王朝に仕えた悲劇のフランス騎士。その名は。

「パルルード卿……。騎士様の本当の名は、パルルード卿ではありませんか?」



PM 0:40 リーサル(クラ)マウンテン

 笑顔の蟹が連なる車輌。朗らかな装飾とは裏腹に、ここは殺人上海蟹の跋扈する危険な山を駆け巡る絶叫ジェットコースターである。
 その車輌の上に、武術家が二人。安全バーなど装着せず、座席にすら座らず、車体の上に直立状態で対峙している。拳狐とRである。

 AIによる自動運行装置は、この状況を発車オーライと判定した。空気の読める優れたAIである。
 カタカタと音を立てて斜面を登ってゆくコースター。頂点を越えて加速したら試合開始の合図だ。

「面白い趣向だ。楽しませてもらうよ」

「フフッ、故郷エチオピアの成人式を思い出すネ」

 轟、と車体が急加速する。体感的には自由落下に近い。激しい風圧と浮遊感が襲いかかる。
 二人は足場を掴むために素足である。急激なGに対応できず振り落とされれば即敗北だ。

 高速で飛び去る景色の中、先に動いたのはR。不安定な足場をものともせず、コースターの車体の上を駆け、踏み込む。

「ホワッチャァー!」

 怪鳥の如き叫びと共に拳を繰り出す。
 されど、拳狐の打撃は後の先を極めた逸速の魔技。相手の初動を見てから動き出し、相手よりも先に視認不能の反撃が到来する。

 みしり。
 打撃が突き刺さる。
 拳狐の不可視の逸速打撃はRの左掌によって反らされ、Rの右拳が拳狐の胸板を抉っていた。

「ぐうっ」

 拳狐は痛みを堪えて足元に集中する。車体がカーブに差し掛かり猛烈な橫Gが襲ってくる。重心移動を誤れば一瞬で決着だ。

「おや……不思議そうな顔してるネ? どんなに速くても軌道が判れば捌くできるヨ。体勢を保つのに精一杯。撃ってくる拳、読みやすいネ」

 Rが更に追撃の拳を放つ。コースターのGに対応するために体勢を崩した拳狐は、最早『為逸速的一息(いっそくがためのいっそく)』の発動条件を失っており防戦一方となる。

「ホモ・サピエンスの誕生より30万年……世界に散らばっタ人類はこの中国に至リ、中国四千年の歴史が最強の拳法を作り上げタ……」

 Rの打撃が続く。拳狐は辛うじて致命的な打撃を避け、高速で走行する車体の上に踏みとどまっている。

「だが、故郷のアフリカを去った人類の肉体は現地に適応するため貧弱になったネ……」

 黒人特有の優れた体幹が、ジェットコースター上という極限の戦場にあっても身体を安定させ、『中国四千年の歴史』を乗せた両腕が正確無比な打撃を放つ。この戦場における地の利は、謎の中国人『R』にあった。

「屈強な黒人の肉体に、中国四千年の拳! コレガ! 俺ガ! 人類の最終到達点ダ! 貧弱な身体を後悔しながら死ネ! ホアッチョワァーーーッ!!」

 止めの一撃をRが放つ。安定した砲台から射出される最強の砲弾。それは人体工学的に理論値上最強の拳であった。
 その拳を舞うようにすり抜け、拳狐がRの懐に滑り込む。魔人能力ではない。鍛練により身に付けた拳法の理である。

「どんな拳でも軌道が判れば対処できる。その通りだ。この一撃を待ってたよ」

 理論値上の最強。すなわちそれは、予測可能な一撃であった。
 拳狐は身体を捻りながら右拳を突き上げ、Rの顎を撃ち抜いた。衝撃でRの身体がコースターを離れて宙に浮く。

「がふっ……だが俺の身体能力なら体勢を立て直シ……グワァーッ!?」

 軌道を跨ぐように配置された、凶悪な姿の殺人上海蟹のオブジェにRが激突した。そして、地上へと落下してゆく。拳狐の勝利である!

「最強の肉体と最強の拳……恐るべき敵だった。だが、肉体と精神の調和がまだ完璧ではなかった。奴が更なる功夫(クンフー)を積んでいたら、(おれ)の負けだったかもしれない……」



AD1644 北京(ペキン)

 躍進目覚ましい清王朝は、この年に北京へ入城。覇権への道を着々と歩んでいた。その城の中に、異彩を放つフランス生まれの騎士が一人、食客として仕えていた。
 彼の名はパルルード卿。祖国のフランスでは銃火器の普及により騎士は本来の役割を失いつつあった。騎士道に人生を捧げた武人である彼は、騎士らしい戦いの場を求めて遠く東の果てまで流れ着いて来たのであった。

 幼き順治帝の元で権勢を振るっていた摂政のドルゴンは風変わりな異国の騎士を大層気に入っており、他の者には任せられぬ重要な任務を与えた。
 とある貴婦人の護衛である。

 パルルード卿は知らなかった。その護衛任務が、魔のダイヤを完成させる儀式のためであることを。その儀式が、貴婦人の命を犠牲にする残酷なものであることを。

 さてここで、読者諸君には貴婦人と護衛騎士のみが知る秘密の名を明かしておこう。秘密裏に護衛任務を遂行するため、当時としては珍しい英語による暗号名を、貴婦人が騎士に与えたのだ。

 その名は、クラム・ハードシェル。



PM 0:50 上海アソート蟹蟹屋

 メーメーは騎士にパルルード卿の伝説を伝えた。それは、清王朝のダイヤ誕生にまつわる秘密の逸話であり、知る者は多くない。

「ふむ。腑に落ちる話ではある。ソレガシに臓腑は無いが」

 亡霊ジョークだ。しかし、ひとつの仮説として得心はゆくものの、クラムにそれが事実だという実感が沸くことはなかった。
 彼の記憶は核心以外の全てが抜け落ちている。クラムにとって重要なのは、貴婦人の命を守れなかったという後悔だけであり、自身が何者であったかなどは些末なことなのだ。

「カカカカカーンゥ!! 『連環の計』ィーッ!」

 その時。高笑いと共に、窓ガラスを割って金属鎖が飛び込んできた。鎖は机上に置かれた宝石箱を絡め取り、その中に佇む貴婦人と共に奪い去った。

「清王朝のダイヤ、確かに頂いたぜェ! これほどのお宝の匂い、俺様の鼻から隠し通せると思ったのが貴様らの迂闊よォー!」

 クラム、スパイク、メーメーは店外に飛び出て奪われた貴婦人を追う。
 地上であるにもかかわらず、そこには巨大な海賊船が停泊していた。船首には真っ赤なバニースーツを着た女神像。キャプテン美髯の愛船『レッドバニー号』である。

「野郎共、帆を上げろォ!」
「アイアイキャプテン!」
「上海の宝は手に入れた! 出航だァー!」

 めりめりと大地を砕きながら進むレッドバニー号。美髯の能力『超海制覇』による超常航法だ。

「ぬううーーーっ! 待て! 待つのだ! 嗚呼、我が貴婦人よ!」

 平素の落ち着いた佇まいをかなぐり捨て、取り乱しながらクラムが船を追って駆ける。スパイクはその姿を見て思った。もし、メーメーを失ったら自分はどんな気持ちになるのだろうかと。

(ねえメーメー、僕も行っていい? 騎士さんを助けてあげたいんだ)

「もちろん! 行ってらっしゃい! それでこそ私の親友!」

 メーメーの声に見送られ、大きなワニも勇ましく駆け出した。



PM 1:00 (クラ)マウンテン下の茂み

「ぐっ……がはっ……おのれ拳狐ゥ……」

 血にまみれた謎の中国人『R』が、よろめき、咳き込みながら立ち上がる。

「許さないネ……!『ライオンの尾を踏んで長生きした者はいない』……故郷ウガンダのことわざヨ……!」



PM 1:20 フィッシャーマンズベイ

 恋辻メーメーの身体能力は魔人としては高い方ではなく、一般人よりは強い、程度のものである。ゆえに、美髯の船を追うクラムとスパイクに追随することはできず、離れた場所から『鱗語交流(リンゴトーク)』を活用した連絡係を担当することになる。

「キャストの持ち場を離れちゃったけど、ワニ騒動でうやむやにできてるみたい。良し、計算通りっ!」

 お仕事用スマホにも特に着信は無い。スタッフに合流して今後の指示を仰ごう。
 漁船の連なる港町を模した区画を通り、ミート・ザ・クラブ!方面へと向かおうとするメーメー。その背後に近付く影がひとつ。

「見つけたぞ、張琅月(チャン・ランユエ)。いや、恋辻(こひつじ)メーメーと呼んだ方がいいか?」

 狐面の男が、メーメーを呼び止めた。彼のことをメーメーはよく知っている。上海覇者の有力候補。予選の戦いぶりから既に高い人気を博している。

拳狐(チュアンフー)様!? どうして私の本名を知ってるのです? 貴方は……何者ですか?」

(おれ)のことはいい。……警告するために来た。魔幇は強大だ。危ないことは考えず、君は穏やかな日々を過ごすべきだ」

「穏やかな日々? そんなものはもうありません。魔幇に奪われたから」

 メーメーは、拳狐を鋭い視線で睨みつける。

「言い方が悪かった。だが考え直してくれ。君の本当の名前も、君の復讐心も魔幇は知っている。掌の上で君がもがくのを見て楽しんでいるんだ。上海を去るといい。君は賢くて語学も堪能だ。いくらでも生きていく道はあるはずだ」

「賢くなんかない。私の頭の中には復讐しかないから。私の生きる道は、復讐の道だけだから」

 拳狐は、心の底からメーメーの平穏を願っている。だが、その願いは彼女には届かない。

「ならば――この拳で君を止めよう」

 拳狐が構える。基本に忠実な、古めかしく、そして積み重ねられた鍛練に裏付けられた型を。
 その構えを見てメーメーの瞳に怯えが一瞬走る。だが、瞳に決意の炎を再び燃やしてメーメーも拳を構える。地を這うような低い姿勢。形意拳・鱷形(ウォウゼン)

「私は、止まれません!」



PM 1:20 蟹ランド主街(メインストリート)

 路面と建築物を破壊しながら、キャプテン・美髯の船「レッドバニー号」が進んでゆく。戦利品であるダイヤ、クラムの愛する貴婦人を乗せて。
 追いすがるクラムとスパイクが、巨船に並走する。

「待たれよ! 我が貴婦人を返してもらう!」

 陽光を反射して煌めくクラムの剣が振るわれ、レッドバニー号の船体に斬り付ける。だが、木造のガレオン船は両手剣の攻撃を弾き返し、傷ひとつ付かない。『超海制覇』による「座礁しない」効果は、船に破壊不能に近い加護を与えているのだ。

(下から行ってみる!)

 スパイクは、船が抉った大地から沸き出す水の中に飛び込んだ。しかし、すぐに陸上に戻ってくる。

(ぐおお……しょっぱい! それに瓦礫がジャマで下からは近付けない)

 ヨウスコウアリゲーターは、多くのワニがそうであるように生涯を淡水域で生活する種である。『超海制覇』で沸き出す海水への耐性は低い。

「……ところでワニ殿。メーメー殿の元を離れていて良いのか?」

 クラムは、スパイクに尋ねた。彼女一人で、危険ではないのかと心配になったのだ。

(ん……聞いてみる。メーメー、そっちは大丈夫?)

(………大丈夫、です)

 メーメーは、遠隔会話能力でそう答えた。狐面の男と拳を向けあっている状態にもかかわらず。

(メーメーは大丈夫だって!)

「うむ……そうか……」

 清王朝のフランス騎士、パルルード卿の伝説。ダイヤに力を宿す儀式の日、かの貴婦人はパルルード卿に別の任務を与えて遠ざけていたと云う。彼女は自らの死を、騎士に見せたくなかったのだろうか。
 護衛対象の意思に従うことで、その命を守れるとは限らない。だがクラムは、スパイク達の関係に立ち入るのは無粋と考え、それ以上は何も言わなかった。

(騎士さん、僕の尻尾に乗って! 船の上まで跳ね飛ばすよ!)

「うむ。それは良い考えだ! 試してみよう」



PM 2:00 蟹工船ワークショップ

 フィッシャーマンズベイの一角で、上海蟹を獲り、缶詰めを作る。労働の素晴らしさを体験できるキッザニア的な欺瞞アトラクションである。
 蟹工船の、暗い船内にメーメーは追い詰められていた。

「これで20回目だ。もっとも(おれ)がその気なら軽く百回は殺せている。いい加減に諦めたらどうだ? 魔幇は(おれ)のように甘くはないぞ」

 拳狐の手刀が、メーメーの頚で止められている。寸止めにせずそのまま振り抜いていたなら、脛椎を折られて絶命していただろう。
 メーメーは、荒い息を吐き、瞳に涙を浮かべながらも拒絶する。

「うっ……うぐぅ……嫌です!」

 立ち向かっても打ち砕かれる。逃げても捕まる。隠れても見付かる。メーメーが何をしても、拳狐はそれを上回ってくる。
 堪えても涙が滲み出てくる。どうして私はこんなに小さくて弱いんだろう。メーメーは自分の弱さが悔しくて仕方ない。
 それでも。心だけは折れるつもりはない。強くなりたい。願いを込めた鱷形拳を構える。

(……強くなった。あの頃より、ずっと)

 拳狐は、メーメーの形意拳を高く評価している。良く鍛練された、研ぎ澄まされた拳だ。
 床に這いつくばらんばかりの低い体勢。ワニの大顎のように掲げられた掌。小さいながらも先程の巨大ワニを思い起こさせる鋭い牙だ。

 拳狐が奇妙に感じた、メーメーの独特な動作がある。時折、右手で自身の腰の辺りを不規則なリズムでノックするように叩いている。拳法としては無意味な動作だが、精神集中のためだろうか。
 それもまた良し、と拳狐は考える。効率のみを求めては、自分だけの拳に辿り着くことはできない。メーメーの奇妙なノック動作は、彼女独自の戦闘スタイルのために編み出された守破離の破なのだろう。

 メーメーが踏み込む。迎撃しにくい地を這うような歩法。そして急激に跳ね上がり拳狐の腕を掴む。変化も鋭く、軌道を読みにくい。
 だから、拳狐は悲しかった。もし彼女が体格や筋力に恵まれていたら、魔幇に挑み得るほどの拳士になれていたかもしれないのに。
 拳狐は、敢えて掴ませた腕を回転させ、メーメーの身体から操作権を強引に奪い取った。その動きに抗うための力が、彼女には足りない。メーメーの身体が中空に浮かされ、背中から地面に叩き付けられる。

「21回目。残念だが、君は弱い。十分に思い知ったろう?」

「嫌だ……っ! 絶対に諦めない!」

 メーメーは飛び離れながら、胸元から取り出した小瓶から液体を拳狐の足元に撒く。拳狐は二歩下がって液体を避ける。

(鼻の奥に張り付くような重い臭い……灯油か?)

 メーメーは灯油に火を放つ。赤い炎が燃え上がる。

「私の正体が魔幇にバレてても。私がどれだけ弱くても。復讐を諦める理由になんてならない! 復讐を諦めないかぎり! パパもママも私の中で生きているんだから!」

 拳狐は炎を避けて部屋の隅に移動し、冷静に判断する。少量の灯油。ガソリンほどの猛烈な火力も無く、短時間で燃え尽きるだろう。強引に突っ切ることも可能で、行動制約としても弱い。

 メーメーが再び鱷形拳を構える。今までにない気力の漲りが感じられる。決死の一撃が、来る。
 ならば、迎え撃つのみ。拳狐も炎の中で構える。身体を斜めに開き腰を落とす。左手を前に掲げて相手との距離を測り、右手は胸の前で静止させ迎撃を放つ準備をする。
 炎の只中を突っ切り、低い姿勢でメーメーが踏み込む。これまでで一番速い。

 ――形意拳・鱷形。ワニの動きを模したその拳は、突進力と奇襲性に優れている。そして、メーメーが修めた鱷形拳には門外不出の秘拳がいくつか存在する。
 メーメーが、拳狐を目掛けて跳ね上がる。全身を不規則な軌道で回転させながら。ワニのデスロールを模した秘拳。『鱷形拳(ウォウゼンチュアン)殺影翻身咬(シャーインファンシェンヤオ)』! 通常の拳の理を逸脱した軌道で迫るその拳は、拳狐の逸速を以てしても初見で捕らえられる動きではない!

 だが、拳狐はその拳を知っていた。『為逸速的一息(いっそくがためのいっそく)』、発動。魔人能力によって放たれる逸速の拳が、翻身咬(ファンシェンヤオ)の軌道を正確に穿つ。
 殴り飛ばされたメーメーは、無力な小動物のごとく壁面に叩き付けられ、床の上に崩れ落ちた。

 この時点で勝敗は決した。勝者は――

 ――拳狐が、背後から迫る脅威を察知して振り向いた時には既に手遅れだった。
 そこには巨大な口があった。無数の牙が並ぶその口が、真っ赤な奈落を湛えて噛み付いてくる。一撃を放った直後の拳狐に、その体勢から回避する猶予はなかった。
 狐面の拳士は、巨大ワニに咥えられて排水孔の中へと引きずり込まれ、姿を消した。

 勝者は、透明ワニ。



PM 2:15 レッドバニー号

 ぐわん。ぐわん。があん。があん。

 貴婦人を求めて走る亡霊騎士の足音が船上に響く。デッキの階段を駆け上がり、船長室の扉を蹴り開く。

「カカカカカーンゥ! 俺様の船にようこそォ!」

 高笑いするキャプテン美髯は、年代物のソファーでくつろぎ、葉巻をくゆらせながら大粒のダイヤ『貴婦人』を手にして弄んでいた。クラムの目には、海賊の男が貴婦人の身体を撫で回しているように見えた。

「無礼者っ! 汚い手を我が貴婦人から放せ!」

 クラムの剣が大上段より振り下ろされる。美髯は左手に持った青龍刀で受け止め、右手のダイヤを机の上に置く。

「おっとォ、随分と威勢のいいお客さんだなァ?」

 美髯は前蹴りでクラムを蹴り飛ばす。甲冑の騎士は仰向けに倒れる。
 机の上に腰掛けた貴婦人が、そんなクラムを見て失笑したかのようにクラムは感じたが、それは彼の錯覚である。貴婦人は何も言わず、その冷艶な瞳は何も映さず、ただ静かに美しく煌めくのみである。それもまた彼の幻覚であったが。

「貴婦人……我が貴婦人よ……!!」

「チッ……会話になりゃしねェ。無作法な客人は退場者してもらうぜェ?」

 キャプテン美髯が青龍刀を、クラムが居る床に向ける。
 すると、床が鎧の重量でメリメリと裂け、クラムは床下へと落下した。一層下のフロアでも、更にその下でも。クラムが落下した衝撃で床が破壊されどんどん下に落ちてゆく。
 最終的にクラムは船底をも突き破る。既にレッドバニー号は陸上を離れ、上海蟹ランドの中央に広がるネオ陽澄湖(ようちょうこ)の上に出ていた。その湖底深くへと、鎧の騎士は沈んでゆく。

「カカカカカーンゥ! じゃァな、鎧の騎士ィ。湖の底で蟹と仲良く暮らしなァ!」

 その計略の名は、『超海制覇・石兵八陣』。船体に強固な守りを与える能力の反転運用である。局所的に船体を著しく脆くすることで、美髯はクラムを船外に放逐したのだ。
 穏やかな湖面を、レッドバニー号が往く。湖を横断して対岸のゲートを通過すれば、そこは上海湾。ひとたび外洋に出てしまえば、海賊船から貴婦人を取り戻すことは不可能となるだろう。



10年前 とある拳法道場

「だって、ワニが大好きなんだもん。大きくて、強くて、かわいくて。いつか庭に大きなプールを作ってワニを飼えたらいいな!」

 どうしてワニの形意拳を練習してるのか、と問うと琅月(ランユエ)はそう答えた。子供らしい夢だな、と思ったら自然と笑い声が漏れてしまったようだ。

「あ、私の夢を笑った? ひどい! だったら哥哥(おにいちゃん)の夢はなに?」

(おれ)の……夢……?」

「そう。哥哥(おにいちゃん)の夢。教えてよ。変な夢だったら笑ってあげるからさ」

 道場に入門してきた、金持ちの商社の娘。気紛れの道楽だろうと思っていたが、その修行ぶりは意外にも熱心で、上達も早かった。
 朗らかで、気取らず、努力家で。いつの間にか道場の人気者になっていた。距離の詰め方が鱷形拳のように異様に早いのでちょっと苦手に感じることもあったが。

(夢……)

 握った拳を見つめながら考える。自分の夢はなんだろう? これまで、ぼんやりと抱えていた想いの輪郭が、次第にはっきりとしていくのが感じられた。

(おれ)の夢は――」



PM 2:20 地下メンテナンス通路

 上海蟹ランドには、来場者の知らない広大な地下空間がある。施設を維持管理するために張り巡らされた地下通路は、中型車両が走行できるほどに広い。
 ワニに咥えられたまま排水管路の中を通過した拳狐は、地下通路のコンクリート床の上に解放された。程なくして、恋辻メーメーも通路に降りてくる。

「いつも助けてくれてありがとう」

 メーメーはスパイクの太い首にぎゅっと抱きついて頬を寄せた。巨大なワニも満足気に低い声で唸る。
 魔人能力『下水鱷魚(シーワーゲーター)』で下水道内を移動する速度に上限は存在しない。移動する速度はスパイクが管渠構造の中を通ってゆくイメージを思い描く速度に等しく、条件次第で光速すらも越えうる。広大な上海蟹ランド内のどこに居ようとも、メーメーが呼べば一瞬で現れることができるのだ。

「そのワニが、君のペット……なのか?」

 拳狐が訊ねる。幼い琅月(ランユエ)の夢が、少しは叶ったのだろうか。それは、復讐に生きる彼女にとって、幾ばくかの救いになっているのだろうか。

「この子の名前はスパイク。私の親友で、共に復讐を成し遂げる仲間です」

「認めよう。君達は強い。だが魔幇は強大だ。復讐を果たせずに命を落とすやも知れぬぞ」

 狐面の拳士が告げる警句に、小さな拳士は傍らの大きなワニの頭をそっと触れながら答える。その鋭い瞳には決意の炎が赤々と燃えている。

「たとえ路半ばで倒れようとも。復讐を忘れて朽ちてゆくより好货(マシ)です」



PM 2:30 ネオ陽澄湖(ようちょうこ)の湖底

 ネオ陽澄湖は、上海蟹の名産地である蘇州陽澄湖を模して作られた人造湖である。上海蟹の生育に最適な環境が整えられており、巨大な養殖池としても運用されている。
 その湖底を、甲冑の騎士が歩いている。その視線の先の水面には大きな船腹。呼吸は必要ないので水中活動自体は可能だが、水の抵抗で素早くは動けず船との距離は離れてゆくばかり。

 だが、常人なら凍えるほどの冷たい水の中にいるせいか、気持ちは落ち着いてきた。温度を感じる肉体もないのに奇妙なことだ、と考えることができるほどに。
 自分は何者なのか。クラムは思う。貴婦人を守る護衛騎士だ。自我を出して取り乱すなどあってはならないことだ。恐らく自分は、清王朝のパルルード卿なのであろうと思う。その名を捨てたのは、貴婦人を守るために不要だからだ。

 鎧の騎士である自分が、この湖の底から貴婦人の囚われた船まで辿り着ける方法はない。だから、やるべきことは自分の位置を性格に把握して、伝えること。そして、待つことである。
 大きな、白い影が見えた。長い尾をうねらせ、魚雷のように近付いてくる。透明ワニ・スパイクだ。

(お待たせ! さあ背中に乗って! 反撃開始だよ!)

「うむ。かたじけない」



PM 2:40 レッドバニー号

『こちら食糧庫! 巨大なワニが出た!』
『機関室にワニだ! 2人やられた!』
『武器庫の見張りが倒れている!』
『ギャーーーッ! ワニが来る!!』

 船内各所から巨大ワニ出現を報告する通信が同時多発で上がってくる。船体側面の排水口から潜入したスパイクが、能力『下水鱷魚(シーワーゲーター)』で船内の排水配管を縦横無尽に高速移動しながら各所に出没しているのだ。
 キャプテン美髯は眉をしかめた。

「さっきのワニが家族連れで来やがったのかァ?」

 ダイヤの箱を懐に入れ、青龍刀を手にして船長室を出る。騒然としている船内の中を歩き回りワニを探す美髯。

 がしゃり。

 背後の金属音を聞き逃さず、美髯は素早く向き直る。振り下ろされる金属パイプを、青龍刀が受け止める。背後から襲撃したのは、潜伏していたクラム・ハードシェルである。
 スパイクが船内各所で暴れて陽動している隙に、船体後部の装飾を手懸かりにしてよじ登って潜入してきたのだ。もしクラムの「形状変化しない」能力がなければスパイクが咥えて一緒に配管から潜入できたので展開が早かったのだが、思わぬディスシナジーでそれができなくてここはとても苦労した。

「カカカカカーンゥ! また来やがったか騎士ィ。不意打ちたァ趣味がいいじゃねェか。騎士道精神はどうしたんだァ?」

「うむ。騎士道精神はソレガシには不要ゆえ、既に忘れ申した」



PM 2:45 地下メンテナンス通路

「おおっとー、動くの良くないネ。お嬢ちゃんの首がスパッといくヨ?」

 謎の中国人『R』が、メーメーを捕らえ首筋に邪悪な形状の中華風投げナイフを突きつける。それは拳狐が油断した一瞬を突いての早業であった。

「――(おれ)に『動くな』と言うのは『銃を抜け』に等しい意味になるが、それで合ってるのか?」

「ゴチャゴチャうるさいネ」

 Rはメーメーを取り押さえたまま、反対の手の袖から拳銃を取り出して発砲した。銃弾は拳狐の左脚に命中する。
 銃撃音が極めて小さい。消音器が内蔵された異様に太い銃身。中国公安が特殊任務に使用する64式拳銃だ。

「――俺の名は『R』。リベンジのRあるヨ!」

「卑怯な真似を……」

 脚の痛みに表情を歪ませながら、拳狐が非難する。メーメーを危険に晒した自分自身への憤り。恵まれた身体能力と優れた拳法の技を持ちながら、非道に走るRへの失望。

「卑怯? そんな言葉は故郷のヨハネスブルクには無いネ」

 Rは邪悪な形状の冷たい刃で、メーメーの首の表面をなぞる。

「お願い拳士様……動かないで……」

 涙目のメーメーが、震える声で拳狐に呼び掛ける。
 彼はその言葉を『今はまだ』動かないように求める意図だと理解した。メーメーには何か策がある。
 拳狐は見たのだ。彼女の拳が刻む不規則なノック動作を。怯えている様子は演技。メーメーは冷静だ。



PM 2:50 レッドバニー号操舵室

『ブリッジより全クルー! ワニは一匹! 瞬間移動でどこにでも出てくるが狭いところには入れない! 通路に逃げ込め!』

 美髯配下の航海士は、声を限りに船内一斉放送を行った。ワニは強くて巨大だが、その巨大さは船内での行動を制限する。
 拳銃程度の反撃ではワニは全く怯みすらしなかった。多くの仲間がやられた。こいつはキャプテンに任せて自分達は隠れるしかない。
 放送を終え、通路に向かおうと彼が振り向くと。そこには乳白色の湿った皮膚を持つ、巨大な怪物がいた。さっきまではいなかった。どこから入ってきたのか。

「グオオオ……」

 都市伝説の透明ワニが低い唸り声をあげながら、ゆっくりと近付いてくる。



同刻 レッドバニー号中央通路

 キャプテン美髯が金属の鎖を投擲する。

「喰らえッ! 『連環の計』ィーッ!」

 クラムは手にした金属パイプを素早く回転させて鎖を絡め取る。

「その曲芸はもう見た。忌々しき技よ」

 貴婦人が連れ去られた瞬間を思い出し感情が一瞬昂ったが、すぐに抑え込んだ。護衛者に、感情は不要。パイプを一振りして、絡んだ鎖を振り落とす。
 ぐわん、ぐわんと足音を響かせ、クラムが美髯へと迫る。

「ならばこれはどうだァッ? 『博望坡の火計(キャプテンファイヤー)』ッ!」

 通路壁面が展開し、火炎放射機構からクラムに火炎が浴びせかけられる。だが、熱による攻撃はその鎧を加熱させるだけで、鈑金鎧は熔けもせず、歪みもせず、焦げあとひとつつかなかった。
 ぐわん、ぐわんと足音を響かせ、クラムが美髯へと迫る。

「ならばこれはどうだァッ? 『雷公鞭の計(キャプテン・コレダー)』ッ!」

 通路壁面が展開し、電撃放射機構からクラムに電撃が浴びせかけられる。だが、電流による攻撃はその鎧を通電させるだけで、鈑金鎧は熔けもせず、歪みもせず、焦げあとひとつつかなかった。
 ぐわん、ぐわんと足音を響かせ、クラムが美髯へと迫る。

「チィッ! 『石兵八陣』ッ!」

 クラムの足元を青龍刀が指し示す。『超海制覇』の反転運用で床の強度が異常低下し、鎧の荷重で崩壊しようとする。
 鎧の騎士は、左腕を美髯に向けて掲げた。鈑金鎧の手首の隙間から、ワイヤーの付いた(モリ)が射出され、美髯の腹部に突き刺さる。蟹工船からスパイクが持ってきた上海蟹漁用のハープーンガンを、手甲内部の空洞に仕込んでいたのだ。

 ワイヤー巻き取り機構で崩落危険エリアを脱出し、美髯に迫るクラム。金属パイプが振り下ろされる。青龍刀が、重いパイプの一撃を辛うじて弾いて逸らす。

「グウッ……! てめェも曲芸が上手いじゃねェか! だがそれで銛は弾切れだろう?」

 美髯は腹部から銛を引き抜き、投げ捨てる。銛の「返し」で傷が拡がる激痛に耐えながら毒づく胆力。七つの海の支配者を自称するだけのことはある。

「然り。されど弾切れはお互い様であろう。船に穴を空ける荒業、そうそう何度も使えまい」

(カカカカカーンゥ! 痛いところを突きやがるぜェ……。こいつを何とかしてもまだワニもいやがる…。だが、俺様の『超海制覇』は座礁知らず! 外海にさえ出れば母船レッドバニー・プルミエール号と7000人の部下で亡霊騎士も巨大ワニもまとめて海の藻屑だぜェーーーッ!)

 クラムが振るう金属パイプと、美髯が振るう青龍刀が何度も打ち合わされる。――互角!
 水中で愛用の両手剣を手放してしまったため現地調達した慣れないパイプでの剣戟であることを考慮しても、腹部に重傷を負いながらこれほどの剣捌きを見せるキャプテン美髯の海賊耐久力は驚異的と言わざるを得ない。



PM 2:50 決着

 メーメーを拘束する謎の中国人『R』の頭上から何かが降ってきて、Rの首に巻き付いた。
 蛇だ。メーメーが爬虫類と遠隔交信する能力『鱗号交流(リンゴトーク)』で呼び寄せたのだ。

 それは、毒もなく、Rの首を絞め殺せるような力もない、普通の蛇であった。だが、メーメーが拘束を逃れる一瞬の隙を作り出すには十分だった。



 海賊船の船体が大きく揺れて、岸にめり込み停止した。

「馬鹿な!?  俺様の船が座礁だと!?」

 正確には座礁ではない。単なる停船だ。
 レッドバニー号の推進力を担うスクリューに、異物が挟み込まれていた。それは、七色の怪しい輝きを帯びた両手剣。その形状をけして変えることのない、クラムの愛剣である。
 クラムは船内に潜入する前に、船の航行能力を奪っていたのだ。



 拳狐の全身が加速する。爪先。足首。膝。腰。背骨。肩。肘――右拳! 全身の関節を同時に加速し、その加速全てが拳に乗算される。

 Rと拳狐の間を隔てていた距離が瞬時に消滅し、拳狐の拳がRの顔面に炸裂する。一拍遅れて破裂音が通路内に響き渡り、床面の塵が宙に舞い上がる。音の壁が破られた音だ。
 屈強なRの肉体がコンクリートの壁にめり込み、動きを止めた。64式拳銃と邪悪な形状の中華風投げナイフが、Rの手を離れてゴトリと落ちた。

「安っぽい負け犬が、復讐なんて軽々しく言わないで欲しいな」

 メーメーが、既に意識の無いRに向かって吐き捨てるように言った。



「糞ッ! 七つの海を支配するこの俺様がこんな所で!?」

 あり得ない座礁に動揺した美髯の剣が乱れる。
 そして、美髯は見てしまった。クラムの背後の通路にゆっくりと姿を現す巨大なワニの姿を。その姿に美髯の心は折れ、今まで威勢良く揺れていた自慢の髭がしなしなと(しお)れていった。

 クラムの金属パイプが振り抜かれる。受け止めようとする青龍刀にはそれを防ぐだけの力はなかった。鉄パイプが海賊船長の胸骨を粉々に打ち砕く。

「海なら七つでも八つでも好きなように支配するがいい。だが、我が貴婦人に手出しすることは罷り成らぬ」

 愛する貴婦人を取り戻し、クラム・ハードシェルはそう告げた。
 スパイクはその言葉に同意して低く喉を鳴らした。



PM 3:00 開示

『騎士様、こちらも無事に終わりました』

 クラムの頭部に位置する兜の内側。空洞内に上海蟹くん柄の粘着テープで貼り付けられたスマートフォンから、メーメーの声が響く。彼女の私用スマホだ。スパイクと共に下水へ潜る状況も想定して防水性能がもっとも高いモデルを選択している。

『メーメー殿とスパイク殿には大変世話になった。どれほど感謝しても足りぬ』

 スパイクとの感覚共有で状況を把握したメーメーが、通話状態にしたままでクラムと連絡を取り合うことで、クラムとスパイクの意志疎通を可能にし、円滑に作戦を進める補助をしていたのだ。

『もしもの時のためにモールス信号を使うの決めてて良かったですね。騎士様、どこでモールス信号を覚えたんですか?』

 その会話を聞いていた拳狐(チュアンフー)は背筋が冷たくなった。時折メーメーが行っていた不規則なノック動作。あれは、モールス信号だった。
 拳狐と戦っていた間も。Rに拘束されていた時も。メーメーは同時に別戦場でも戦っていたのだ。自分の命を掛け金にしたギャンブルに慣れすぎている。

『うむ。我が貴婦人を守るために必要な事柄は全て学んでおきたかったのでな。おお、そうであった。ひとつ聞きたいことがあったのだ。石兵八陣(あのワザ)を二度しか使えぬと的確に見抜いた根拠を教えて頂きたい』

『あの船、ガレオン船みたいに見えるけど中身は普通に近代的な船なんです。だから、沈没しないために内部は幾つかの浸水区画に分けられてます。あのサイズの船だと、戦闘することを考慮しても区画数は大きく見積もって6区画。穴が2つでギリギリ1/3。3つになると半分が浸水して耐えられなくなります』

 メーメーの中には、商社の跡取り娘として学んできた知識が生きているのだ。それを、復讐のための武器として活用するしかない彼女の生き方を拳狐は悲しく思う。

 その後、二言三言交わしてクラムとの通話は終了した。
 拳狐も、疑問をメーメーに投げ掛けることにした。

「何故スパイクを呼び戻さなかった? (おれ)が君を見殺しにするかもしれないのに?」

 メーメーは、楽しそうに笑って答えた。

「見捨てたりなんかしないって信じてましたよ? だって、こんな所までわざわざ来てくれたんだから。そうでしょ、哥哥呀(おにいちゃん)?」

 10年前と同じ呼び方をされた拳狐は絶句し、しばらく返す言葉が出てこなかった。

「………………いつから気付いていた?」

「もしかしたらそうかもしれない、と思ってたけど……確信したのは上海大賽の予選動画を見た時です」

「……!? つまり最初から判っていたということか……。なぜ気付いていない振りをしたんだ?」

「お仕事柄の癖でってのもありますが……その方が大きな隙を作れそうだから、かな。通用しないと解ってて殺影翻身咬(シャーインファンシェンヤオ)を仕掛けてるのがバレたら、何か他に狙いがあるって感付かれちゃうじゃないですか」

 つまり。序盤の石組みの時点で、既に敗北に至る布石を打たれていたということだ。
 完敗だ――拳狐は改めてそう思った。



PM 5:00 燃える上海蟹ランド

 夕闇が迫る中。上海蟹ランドが真っ赤な炎に包まれている。何処からともなく上がった火の手が、上海蟹ランド全域を飲み込んだのだ。上海蟹の焼ける香ばしい匂いが漂う。
 建物の中に避難していた上海蟹のマスコットたちが、炎に追われてメインストリートを逃げ惑う。パレードと呼ぶよりも百鬼夜行と呼ぶのが相応しい異様な光景だ。それはまるで、これからの十日間で上海に巻き起こる大争乱を戯画にしたかのようであった。

 亡霊の騎士、クラム・ハードシェル。
 狐面の拳士、拳狐。
 透明ワニ、スパイク。

 これらの名は、上海全土を揺るがす事件の主役となる者のうちの三名である。
 燃える上海蟹ランドを背に、それぞれの道を去ってゆく三つの影。彼らが何を為すのか。それが上海に何をもたらすのか。
 その答えを知るのは、ネオ陽澄湖の上海蟹だけである。



ダンゲロスSS上海
第一回戦:上海蟹ランド

『燃え上がる決意の炎』

クラム・ハードシェル:損壊なし、護衛完遂
貴婦人:損壊なし

拳狐(チュアンフー):軽微な負傷

透明ワニ:軽微な負傷、護衛完遂
恋辻(こひつじ)メーメー:軽微な負傷

心場(こころば)フレイ:戦闘継続不能
キャプテン美髯(ビゼン):戦闘継続不能
謎の中国人『R』:戦闘継続不能

上海蟹ランド:全焼
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