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ダンゲロスSS上海
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ダンゲロスSS上海

『民以食為天』(上)

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1.『钢铁构架(さびたてっこつ)』――張三(チャン・サン)


 真夜中、男は棉被(かけぶとん)を払い、身を起こした。
 太い、丸太のような己の腕を見る。

 そこには、数本の錆びた杭が突き立っていた。
 少なくとも、男の姿を見る第三者がいたとすれば、そのように思っただろう。

 しかし、そうでないことを男は知っている。
 その杭は、外から男の腕に突き立てられたものではない。

 男の体内から生えている(・・・・・・・・・・・)

 魔人能力、『鉄杵』。
 それは、棒状の鉄の形質を作り変える能力。
 形だけではない。性質もまた作り変える。
 長い『魔幇』との戦い、今日までの下準備のために傷つき朽ちて老いていく肉体の大半を、男はこの異能によって代替し、誤魔化してきた。

『我は鉄の杵より針を作り出す無謀。誰もが呆れる愚直の徒!
 鉄を肉とし、鉄を骨とし、鉄を血とする、穿ちの針!
 然るにこの身に刻む号、『钢铁构架』張三!』

 つい先日、男はそのように名乗りを上げた。
 鉄を肉とし、鉄を骨とし、鉄を血とする。
 それはまったく(たと)えではない。ただの事実である。

 その制御が、甘くなっている。
 脳が軋む音を幻聴する。
 当然だ。男が今行使している魔人能力の範囲・制御の複雑さは、人ひとりの脳が行使できる世界改変の域を超えている。
 いっそ、自らは人ではないと割り切る傲慢さがあれば、この苦痛から解放されるのだろう。

 しかし、男はどこまでも人間だった。
 人間を自認していた。

 枕元に置いた瓶に直接口をつけ、白酒を呷る。
 酒精がわずかに脳の警告信号(いたみ)をやわらげる。

 思考する余裕を取り戻した意識で、男は再び自らの腕から生えた鉄杭を見た。

 その杭は赤く錆びている。
 褪せた血の色をしている。

 錆びるとは、酸化することである。
 輝いていた鉄が、時を経て呼吸を繰り返し、脆くなり、蝕まれ、朽ちていくまでの過程である。

 するべきことがあった。
 戦い続けなければいけなかった。
 そのために、肉と骨と血とを鉄で補った。
 それでも、形を変えて終わりは近づいてくる。

 恐れはない。
 いつか来るもの。
 兄には早々に来てしまったもの。
 多くの友たちにも訪れたもの。
 その順番が、回ってくるだけのこと。

 ただ、すべきことを為さぬままに、終わることだけは許せない。

 魔人能力『鉄杵』。

 棒状の鉄の形質を操作する能力の拡大解釈行使により、突き出た錆びた鉄杭を、男は自らの血肉へと変える。

 自らの人としての輪郭を再定義し、男は起き上がった。
 床を抜け出し、呼吸を整える。

 脈拍と呼吸が安定したところで、男はいつもの作業着に着替え、宿の庭先へ出た。
 凍てた朝の空気が、微睡んでいた四肢を覚ます。

 周囲に誰もいないことを確認して、男は日課の無極站樁功(くんれん)を始めた。

 足は肩幅に。足先は前に。
 自然に、重力と体幹と大気と鼓動と筋肉の収縮と。
 すべてが自然にあるように立つ。

 放鬆(ファンソン)

 男の修める武術において重要なその境地は、単なる脱力ではない。
 しかして力みもない。
 あるべきところに、あるべきだけの力が行きわたる。
 肉体の一部がどこかに居着くことなく、自在である。

 放鬆(ファンソン)が満ちたことを意識し、
 そこから頭頂が天に引かれる感覚を意識しつつ、下半身の関節を緩める。
 次いで、両肩を沈め、胸をわずかに後ろに引く。
 肺で取り入れる気を丹田へと落とす感覚。

 塌腰、斂臀。
 臍の裏にあたる命門を開放し、背骨の軸を尾骶骨までまっすぐに繋ぐ。
 体内にある「脈」を臓腑から頭、臓腑から腰まで繋ぎ伸ばす。

 さらに股関節を緩め、踵に意識と重心とを収束させる。
 かくて、「脈」は、一本の棒のような形で頭から脚まで、男の肉体を貫く。

 イメージするのは、鉄の棒。
 赤く錆びてなお、穿つべきを打ち据えんとする鉄杵。

 肉体も、精神も、全て削ぎ落された無。
 そこで、鉄杵は磨かれ、削られていく。

 意識が引き延ばされ、あるいは加速し、撹拌される。
 無極站樁功とは、正しく静かに立つことで己を無とし、万事太極を生み出す礎としての境地へと心身を置く功法である。

 男の精神たる鉄杵は、たちまち一本の針となった。
 細く、脆く、しかして、何かを刺し貫くことに特化した形。

 これが男の「無極(きげん)」。

 大きな戦い、これまで目指してきた終幕を前に、改めて、男はそれを魂に焼き付ける。

 意識を現実へと向けると、目の前には、男と同じ格好で向き合う女がいた。
 男の姿を見つけ、途中から無極椿に加わったのだろう。

 女の名は、林 希美(はやし のぞみ)
 男は、林 希美(リン・シーメイ)と呼んでいた。

 男――張三と、『破幇同盟』を結んだ相手。
 張三(チャン・サン)に、動き出す最後の理由をくれた存在。

 その放鬆(ファンソン)は、初めて会ったときと比べて遥かに安定している。
 魔人能力は本人の心性を示す。
 元より、貪欲な性質なのだろう。
 彼女はすばらしい吸収力で、張三の武術を身につけている。

 その成長は未来の象徴だ。
 張三は、朝日を眺めるように、目を細めた。

「いい放鬆(ファンソン)だ」
「ありがと」

 はにかむような林希美の笑顔は、錆び(おい)た目で直視するには眩しすぎた。
 張三は目を逸らし、昇りゆく太陽を見上げる。

「飯、食うか」
「うん!」




2.『黒物子(かげをいくもの)』――死神(ファ)


『うん、『還元』だ。なんてことはない、シンプルな化学の問題だよ。
 きみは理解できなくていい。ただ、それを、周りの誰かに伝えれば十分だ。
 そうだね。信じられないのも無理はない。協力を得るのも難しいだろう。
 けれど、私はそれこそが、きみの望む決着に繋がる方法だと、この下山アンドロメダの名前に賭けて誓おう。え? おまえは誰だって? だよね~』

「誰と話をしてるんですか?」

『ああ、悪い。ちょっと、電話をしていたんだ。
 とある腹ペコ少女に、ヒントをあげてたのだよ。
 荒唐無稽な話だが、彼女がMr.ファミマかMs.モノトーンあたりに相談すれば、信じてもらえるだろう。

 あの娘がそれを心から信じて、あの朴念仁を助けたいと思うか。
 そして、『麒麟の涙』に選ばれた二人が、底抜けのお人よしか。
 この2つのフラグが立つかによって、ルートが分岐するというところかな。

 なんのことかわからないって?

 この下山アンドロメダ師匠の言うことが理解できるとまだ信じているなんて、さすがは私が見込んだだけあるね。ほめてるんだよ。本当さ。

 ええと、それで何だったか。そう、天狗の話だ。
 『魔幇』にもまた、天狗はいるわけだよ。
 ああ、天狗といっても妖怪のそれではないよ?

 以前にも言っただろう。
 宇宙人は地球にいると地球人になってしまう。
 地球人と定義されれば人間という概念の型枠に当てはまって宇宙人由来の様々なポテンシャルが発揮できなくなってしまうから、天狗という形の「はみだした存在」に概念を対比させて、型枠による「削ぎ落し」から逃げているわけだ。
 そういうモノは他にもたくさんいてね。仙人、天女、妖怪魑魅魍魎の多くは様々な星系からきたものだったりするしそうでないかもしれないのだ。

 おっと、話がずれたね。『魔幇』にいる天狗の話だ。
 そいつは鴉天狗でね。鴉というのは鳥の中でも人の営みに強く繋がりのあることからわかるとおり、鴉天狗であるそいつも、人に強く執着するという珍しいタイプの天狗だった。

 『魔幇』の鴉天狗は、「人の蘇生(・・・・)」と「人の面影の再現(・・・・・・・)」を研究していね。

 この星特有の現象である認識による世界律改変……魔人能力を応用して、そうした事象を引き起こそうとしていた。

 たぶん、愛した人がいたのだろうね。私にはわからない執着だけど。
 そう。つまり、その鴉天狗の真っ黒くろなルール違反……魔人能力研究と宇宙人の謎技術の融合によって魂を改造され、死と生の狭間で揺蕩う存在になったのが、『きみ』というわけだね』

「わたしは、その人に生み出された? おとうさんに魂を売られたからではなく?」

『それは間違いじゃないよ。きみの父親は鴉天狗にきみの魂を売った。
 だからきみは50年前に鴉天狗の黒に取り憑かれ、それから十数年周期で現世と向こう側を行き来するモノになっている』

「借金を返せれば、天国に行けるのは?」

『それは本当だろうね~。
 鴉天狗の黒を君の魂と結び付けているのは、借金を起点とした契約による縛りだ。
 完済できれば契約は断ち切れ、鴉天狗の黒は君と離れて、君は安らかに人として生きて死ねるってわけさ。
 それは天国に行けると言い換えてもいいんじゃないかな? 知らんけど。
 だからきみは金を稼いでもいい。
 ただ、鴉天狗を倒してしまっても、借金完済と同じ効果は期待できるだろう。

 まあ、結局のところやりたいことをすればいいのだと、わたしはきみに助言しよう。
 さあ、きみは何がしたい? 大詰めを迎えたこの舞台で、きみは』

 少女は、脳内に響く声と会話しながら、ふと顔をあげた。
 該当テレビでは、明日、星期五に行われる上海大賽の一大イベントを広報していた。

 『魔幇』を統べる首領、五爪の翁と、若き上海の最強、劉炎嵐のマッチング。

 その吊り上がった眉、不機嫌そうな表情を、少女は覚えていた。

「……炎嵐くん」

『ふむ。やりたいことは決まったようだね。
 それじゃあ、下山アンドロメダ師匠に任せるがいい。ノアの方舟に乗ったような気持ちで任せてもらえれば悪いようにはしないとも。
 わたしはデウスエクス家のマキナちゃん(イージーハッピーエンドライター)だからね。
 とはいえ機械(マキナ)ではない生身だからエネルギーを必要とはするけれど。
 ということで、きみ、ちょっとその屋台で食事はどうかな? ちょっとスペース両替の関係で懐具合が寂しくてね。少し奢ってくれたりしてもらえると、明日の師匠フォローのクオリティが3ランクくらいアップすることは請け合いだよ』




3.『ファミリー・魔都(シャンハイにつどうもの)』――林 希美(リン・シーメイ)


 『魔幇』設立百週年を記念する百年節(パーティ)まであと二週間。
 その場で、『魔幇』首領は、魔都の支配者の証として清王朝のダイヤを掲げる予定。

 つまり、『魔幇』としては、それまでに何としてでもダイヤを奪還する必要があり、逆に言えば、それまでダイヤを『魔幇』から守り切れば、『魔幇』の屋台骨に大きなダメージを与えることができるわけだ。

 では、そのダイヤは誰が持っているのか?
 それについては、特に二つの有力な噂が飛び交っていた。

 曰く。気鋭の解決屋、劉炎嵐(リュウ・ホェンラン)が上海大賽で鉄山彦斎から引き継いだ。
 曰く。上海大賽で名を馳せる仮面の武人、拳狐(チュアンフー)が、遊色の鎧騎士から伝説のダイヤを奪った。

 この街を代表する武侠、そのどちらが真のダイヤ所持者なのか。
 野次馬たちの興味関心が二人に向く中で、ダイヤ所持候補者の一人である劉炎嵐が、『魔幇』の首領に宣戦布告した。

 上海大賽の運営者(プロモーター)である講知泉はそれを受け、魔幇の首領『五爪の翁』と、劉炎嵐との試合をセッティングすることになった。

 ただし、その試合に応じるにあたって『魔幇』側は劉炎嵐に対し、いくつかの条件を提示した。

 一.対戦に当たって、劉炎嵐側は、3人の戦士を用意すること。
 二.劉炎嵐側の3人の戦士のうち一人は、拳狐とすること。
 三.当日は、『魔幇』側が用意した3人と劉炎嵐側の用意した戦士3人により、一対一の戦いを三度行う形とすること。なお、どちらかに欠員が出た場合にはその場で対戦形式を決定するものとする。
 四.最終戦は、『魔幇』首領、『五爪の翁』と劉炎嵐の一対一の戦いとすること。

 今、上海中の魔人はこの武闘会に注目していた。

 そして今。
 そんな注目の的である劉炎嵐が、私の目の前にいる。

 私がいるのは、魔人武器工房通りの一角、張三の昔馴染みのラテン店主の店の地下にある、隠れ家めいた一室だった。

 そこには、私と張三の他に、ここ数か月で魔都において名を馳せる魔人たちが集まっていた。

「くべるべき薪は十全。
 さすがは清王朝のダイヤ、よくよくここまで炙り出せたものだ」

 丈の長いコートに身を包んだ狐面の男。
 魔都を彷徨する幽霊騎士から伝説のダイヤを奪ったとされる武侠、拳狐。

「なあ、本当にタオマオは無事なんだろうな!?」

 擦り切れたスーツを着崩した、強面の屈強な大男。
 魔幇末端組織の所属でありながら清王朝のダイヤを「連れ歩いている」とされ、魔幇の捕縛対象となっているマフィア構成員、郭 亀岩。

「なるほど、アタシら全員それぞれに、別の理由で声かけてるわけだ。
 名に聞こえし百年武侠、張三殿は意外と舌が回るじゃないか」

 服から髪に至るまで、左右を白黒に塗り分けた大柄な女性。
 海を渡り、ダイヤを求めて『魔幇』と大立ち回りを繰り広げている『万事屋』、白髪黒羽。

「ダメ。全然ダメね、この空間。可愛いが全然足りてない」
「我慢して。ダイヤについての答え合わせをするために、ここの人たちとはきちんと話さないといけないんだから」

 黒と桃色のフリルだらけのワンピースに身を包んだ、およそ戦士には見えない女の子。
 香港を拠点に活動するイギリスの名門、チャムリー家の令嬢の護衛として、このダイヤ戦線で名を挙げている解決屋、喬芽芽。
 護衛対象であるカルミア・チャムリーは彼女の隣に腰かけている。

「……わたしは、『魔幇』の所属ってことになってるけれど。いいの?」

 女の私から見てもため息が出るようなスタイルを、チャイナドレスに包んだ美人さん。 
 『魔幇』所属でありながら、組織の施設、上海蟹ランドと提籃橋監獄を壊滅させた実行犯として、追われている、『魔幇』性風俗部門の構成員、恋辻メーメー。

「クソ。何がクソって、自分(テメェ)の喧嘩に、人を巻き込まなきゃなんねえってのがムカつくな!」
「ホェンちゃんおさえて! お茶沸騰しちゃうよう! っていうか熱いよう!」

 生きている炎。炎のように逆立った金髪と赤銅色の肌、真紅のシャツを羽織る偉丈夫。
 上海大賽にて、『魔幇』の首領、五爪の翁に宣戦布告した最新の魔都最強、劉炎嵐。
 パートナーである『電梟(デンシャオ)王 双葉(ワン・シャンイェ)が、彼の横で、劉炎嵐の怒りと周囲のメンバーの圧とに震えている。

「ファッファッ、本当にいいのですかな、張三殿。
 ミーであれば、口八丁手八丁財八丁でこの場をまとめることも可能ですが」

 黒丸型のサングラス。 狐を思わせる切れ長の瞳と怜悧な顔立ちと時代がかった黒の唐装。
 『魔幇』のビジネスパートナーと嘯きながら、No2に甘んじている立場からの脱却を狙う闇商人、(ファ)()()魔都(マトー)

「ねえ、張三。本当にまとめられるの?
 ファミマに任せなくていいの? いや、こいつに任せてもそれはそれで不安だけど」
「まあ、正直は美徳ですが言葉を選ぶ習慣をつけると生きやすくなりますよ、林希美殿」

 あまりに個性的な面々をぐるりと見渡して、私は思わず隣の張三の脇腹を小突いた。
 張三は、立場も利害も別々のこのメンバーを相手に交渉し、チーム分けをして、『魔幇』を破るための作戦を遂行しようとしている。

 誰かが異議を唱え、『魔幇』に情報を流せば、致命的な事態だ。
 けれど、張三には全く気負った様子がない。

「まあ、なるようにしかならんだろうが……まあ、悪いようにはならんさ」
「なんで?」
「年寄りの勘と意地だよ」

 そして、張三は立ち上がると、大きな円卓を囲んで座る魔人たちをぐるりと見渡した。

「皆、それぞれ慌ただしい状況で集まってくれたことに感謝する。
 改めて、俺は張三。
 『魔幇』の始まりに関わっていて、今は、『魔幇』を潰すことを目的に動いている」

 張三はいつになく真剣な口調で、卓を囲む一人ひとりの目を見た。

「清王朝のダイヤを巡る皆の戦いを、俺は情報屋を通じて一通り知っている。
 皆がそれぞれの理由でダイヤを求めて、あるいは『魔幇』と敵対する理由があって、戦ってきた。協力したり競い合ったりして、この街を駆け巡ってきた。

 その結果として、『魔幇』が力を削がれ、『魔幇』の头目(ボス)が表舞台に出てくることになった。

 これは、『魔幇』が追い詰められている何よりの証拠だ。
 俺は『魔幇』を観察し続けてきたが、百年間で組織がここまでコントロールを失っている状況は、見たことがない。

 『魔幇』は头目(ボス)を前面に出すこのタイミングで、乾坤一擲の作戦に出る。
 それがうまくいけば、『魔幇』はさらに百年、存続するだろう。
 しかし同時にそれは、『魔幇』を破る最大の隙でもある。

 その隙を突くのに、俺たち『破幇同盟』では足りない。
 だから、どうか、皆、力を貸してもらいたい。
 そして、力を貸し合ってもらいたい。

 ここにいる面子のほとんどは、『魔幇』を敵視しているか、あるいは敵対せざるを得ない理由があるのだと思う。ただし、共感できる理由があるとは限らない。

 けれど、『魔幇』という敵の敵という一点でもって、ここから一週間だけでいい。
 『魔幇』を破るために力を合わせたい。合わせてほしい」

 そう言って、張三は深く頭を下げた。
 無防備な首が、全員に晒される。

 しばしの沈黙。
 それを破ったのは、狐面の男、拳狐だった。

「張三。おぬしの気概は理解しよう。
 だがな、それでは是とも否とも答えようがない。
 おぬしは(おれ)らに、何を求めるのだ?」

 面の奥から向けられる刺すような視線。
 それを、張三は真正面から受け止める。

「上海大賽で『魔幇』の头目(ボス)が出てくる日、三つの戦場で、『魔幇』を迎撃したい。

 一つ目の戦場は、『上海大賽』。
 劉炎嵐と头目(ボス)とが戦う、観客ありのタイマン三本勝負だ。

 二つ目の戦場は、ここ『魔人武器工房通り』。
 上海大賽の裏で『魔幇』が仕掛けてくるであろう、ダイヤ奪還作戦の迎撃戦。
 おそらく乱戦になるだろう。

 三つ目の戦場は、『ラボ跡地』。
 正式には、魔人化学研究施設第3号ラボ跡地。
 ここに、头目(ボス)とは別に『魔幇』の指揮系統の中核となっている幹部がいる。
 こいつがいる限り、ダイヤが取り戻せずとも『魔幇』は形を変えて残り続けるだろう。
 それを叩く、潜入戦だ。

 俺は、ここにいる面子を、それぞれの戦場に振り分けて事に当たりたいと考えている」

 どういうことだろう。
 ダイヤを所持しているのは、劉炎嵐か拳狐のはず。
 そして、その二人は、『魔幇』からの条件によってどちらも上海大賽で戦うことになるはず。

 それなのに、まるでそことは別の場所でダイヤ奪還作戦の迎撃を行うような言い方を張三はした。

「なるほど、それじゃあ、一の戦場……『上海大賽』は、劉炎嵐と拳狐、二の戦場……『魔人武器工房通り』は、アタシ、白髪黒羽が固定メンバーってことになるわけだね」

 そんな私の疑問を解くように、モノトーンカラーの長身女性、『万事屋』白髪黒羽が手を開いた。
 彼女の手のひらの上には、確かな存在感を放つダイヤがあった。

 それを目にした瞬間、私の中の何かが、脈動し、理解する。
 これは、ホンモノだ。

 人々の想念の収束地点。
 満ちる寸前の器。
 最も大きく育った欠片。

 つまり、現在のダイヤ所持者は、白髪黒羽だったのだ。

 しかし、だとすれば、なぜ『魔幇』の首領は、劉炎嵐の挑戦を受けたのだろうか?

「しっかし、不思議なモンだな。渡せばそれまでだと思ったんだが」

 そう言って、今度は劉炎嵐が全員に見えるように手のひらを差し出した。
 なんと、彼の大きな手の上にもまた、ダイヤが輝いていた。

 白髪黒羽のそれとほぼ同じ形。
 強いて言えば輝きの照り返しが僅かに少ない。
 しかし、僅かに光の当たり具合が変われば評価が逆転しかねないほどの眩さを湛えた結晶だった。

 なぜ、ダイヤが二つあるのか。
 そんな理性の疑問を、胸の中で脈打つ本能が否定する。

 当然だ。
 清王朝のダイヤ……『麒麟の涙』は欠片だ。
 そこに人々の想いが満ちればそれは『完成』する。

 争奪戦で奪い合われるのは、その欠片の中に満ちる想いであり、器ではない。
 故に、器は複数存在することもありうるのだ。

「ああ。『魔幇』は、表向きダイヤの所有者と噂される劉炎嵐と拳狐を、大衆の面前で打倒することで、人々に組織が盤石であることを示す。
 そして、その裏で、最も完成に近いダイヤの持ち主である白髪黒羽を殺すことで、そこに集められた民意を奪って、『魔幇』の元に『麒麟の涙』……完全な形となった清王朝のダイヤを奪還するつもりだろう。
 『上海大賽』『魔人武器工房通り』のどちらもに負ければ、ダイヤは『魔幇』の手に渡るってことだ」

 それまで黙って聞いていた郭 亀岩がおもむろに口を開いた。

「張三さんよ、あんたが言ってた、タオマオが目撃された場所ってのが、三つ目の戦場『ラボ跡地』ってことでいいのかよ」
「そうだ」
「……わかった。なら、俺は、『ラボ跡地』に行く」

 意外なことに、反論はなく、全員の反応は、「自分がどの戦場に向かうか」だった。
 張三が場を仕切っていることへの反発や作戦への疑問反論、そう言った発言はない。

「ファッファッ。不思議ですか、林希美様」

 疑問が顔に出ていたのだろうか。
 声をかけてきたのは、闇商人、(ファ)()()魔都(マトー)だった。

「まあ、正直に言えば」
「ミーに対してもそうでしたが、張三殿はおそらく事前に、全員に対して個々に話をつけに行っているのですよ。
 一緒に飯を食い、頭を下げ、自分の事情を説明し、それぞれの利害とこの作戦の目的が一致していることを説明し、その上で、金銭、情報、礼節、相手が必要な報酬は既に支払っている。
 ここで決めるべきは全員が意見を交わさなければならない、チームの編成についてだけ。
そのような下ごしらえが済んでいたわけですな。

 彼の奔走により、ここに『破幇同盟』を内包した大きな対魔幇戦線、言うなれば『ファミリー・魔都』が結成されたと言えるかもしれませんな!」

 なるほど。
 ここしばらくたびたび姿を見なかったのは、そうした根回しのためか。
 悔しいけれど、そういう場だと私はあまり役に立たない。
 戦闘だけでなく、そういう面でも格の違いを見せられると、悲しいものがある。

「まあ、彼も完璧ではありません。声をかけた相手は22人ほどだそうです。
 六割には断られたということになりますね。
 私に任せてくれれば言いくるめて全員この場に集められたでしょう。
 まあ、その後、どんなトラブルが起きたかはわかりませんがね」

 いつの間にか、ホワイトボードに、三つの戦場の構成メンバーが書かれていた。

  • 『上海大賽』:劉炎嵐、拳狐、恋辻メーメー
  • 『魔人武器工房通り』:白髪黒羽、喬芽芽
  • 『ラボ跡地』:張三、郭 亀岩

  • 『バックアップ』:王 双葉、カルミア・チャムリー、(ファ)()()魔都(マトー)

 私以外全員の名が書かれている。
 慌てて私は『ラボ跡地』に自分の名前を書こうとして、張三の大きな手にそれを阻まれた。

「すまん。おまえは、『魔人工房通り』を頼む」
「なんで?」
「あのラボは、『魔幇』の罪の跡だ。見れば必ず疵になる。
 あの場所には「行かなくてはいけない人間」だけで行くべきだ。
 それに、ダイヤの守りは十分にしたい。信用できる人間に任せたい」

 有無を言わせない口調。
 いつも、張三は私の言うことは基本、一度は肯定する。
 意見を言うにしてもその後だ。

 今はその肯定がなかった。
 それはきっと、張三が心から必要なことだと考えているからなのだろう。

「私は、張三の同盟相手だよ」
「そうだ」
「それでも、張三は、私が張三と行くべきではないと思うの?」
「そうだ」

 取り付く島もない。
 言い返せる言葉もない。

 だが、確実に嫌な予感がした。

「……わかった。けど、約束して。
 帰ってきたら、何か私に奢らせて。何が食べたい?」

 張三は少し考え込むと、緩く笑って首を横に振った。

「そいつは、帰ってきたら考えるとしよう。
 安心しな、高いものは吹っ掛けないさ」

 その言葉に、私は確信する。
 張三は、『黒幕』と刺し違えて、『魔幇』と死ぬつもりだ。





4.『百戦不殆(ひゃくせんあやうからず)』――『拳理通天』李龍文



 上海大賽。

 上海における歴史ある武闘会だが、近年は『魔幇』により運営される興業である。
 最強の肩書きを持つ者らが集まり、その中で最強を決めることが大会の最大の目的。

 この大会で優勝した者は、真の最強を意味する「上海覇者」の称号を得る。

 李龍文は、かつてこの闘技場で戦う武闘家だった。
 八極拳をベースとして、古今東西様々な武術を修め、師の悲願であった「上海覇者」の称号を得ようと技を磨いた。

 だが、10年前、全てが変わった。
における恣意的なマッチングや不利な条件の押しつけといった『魔幇』の横暴に抗ったことで、李龍文は組織の粛清を受けた。

 妻子の命
 上海大賽を奪われ、そして、李龍文自身の武の誇りは、头目(ボス)によって粉砕された。
 それ以来、李龍文は『魔幇』の一員となり、様々な汚れ仕事を引き受けた。
 その中で、いつの間にか、組織の中でそれなりの立場にまで上り詰めていた。

 表向きの立ち位置は、上海大賽の司会者だ。

 だが、今、男は再び戦士として上海大賽の舞台に上がった。

「東! 『拳理通天』! 前へ!」

 『拳理通天』とは、李龍文の現役時代の号である。
 あまねく拳理に通じ、天へ至る。
 いつか目指した境地。

 師の前で宣言し、その号を賭けて戦い続けた日々を示すその言葉が、李龍文の胸には空虚に響いた。

「西! 『拳狐』! ならびに恋辻メーメー! 前へ!」

 李龍文の前に、男女二人が立つ。

 一人は、丈の長いコートに身を包んだ狐面の男。
 一人は、体の線をあらわにする旗袍(チャイナドレス)をまとった童顔の若い女。
 どちらもが、『魔幇』に抗う一派だという。

 今日の上海大賽のメインイベントは、头目(ボス)と『紅虎』劉炎嵐との戦いだ。
 李龍文と二人との戦いは、その前座に過ぎない。

 だが、李龍文にとってこの一戦は、一生に一度、最後の戦士としての時間となる。

「『五爪の翁』は、二対一で構わぬとのことだが、『拳理通天』。
 おぬしも、本当にそれで構わぬと?」

 拳狐が問いかけてくる。

 本来、この戦いにはあと一人、『魔幇』側の戦士が参加し、一対一の戦いを三度行うはずであった。
 しかし、最後の一人、魔幇四天王の一角、目艮竟(ムゥ・ゲンジン)が逐電したため、急遽、李龍文が二人を相手にすることとなったのだ。

 本来、李龍文の力量からすれば、よくて『拳狐』一人にすら太刀打ちできない。
 そもそも、武人を引退し、上海大賽の司会となったことからも、彼の戦士としての寿命が尽きたことの証明だ。

「二対一? 計算が違うな。
 一対一で、敵には足手まといがついている。
 それだけだろう。問題などあるはずもないさ」

 だが、李龍文は高揚感に任せて笑った。

 そう。あらゆる無理を通して、今の李龍文は、この一時だけ、全盛期の肉体を取り戻している。
 『魔幇』幹部、『七鴉の翁』が施した、魔人能力『欲病胎蔵回路』による、精神エネルギーを強制的に身体エネルギーに補填することで実現した身体能力増強と、違法薬物によるドーピング。

 心身を削り、寿命を前借りし、ほんの一時の武を取り戻す。
 おそらく、次の夜明けを待たず、李龍文は死ぬだろう。

 だが、それによって、今、李龍文は戦える。
 忌み嫌った『魔幇』の手下としてであろうとも。前座であろうとも。

 司会として目を奪われた才能。
 その戦いを網膜に焼き付けてきた気鋭の戦士、『拳狐』と戦える。

 全てを失ったはずの男にとって、望外の誉であった。

 拳狐のやや後ろに控えていた女が、李龍文を見上げた。

「……あなたは、わたしを、覚えていますか?」
「生憎、お嬢さんの客になったことはないはずだが」
「そうですか」

 沈んだ声。昏い瞳で一瞥すると、女は再び押し黙った。

 恋辻メーメー。
 組織の一員でありながら、反逆の萌芽ありとして最近ブラックリストに追記された女。

 性的魅力と交渉能力こそ危険だが、身体能力に特筆すべきものはないと記録されていた。
 実際、その立ち姿だけで、功夫はたかが知れている。

 その若さ、その容姿を保ちながらと考えれば、それなりの套路を重ねているようだが、それでも、上海大賽の場に立つには力不足と言わざるを得ない。

 だが、その瞳の色にどこか見覚えがあるような気がして、李龍文は追憶する。
 しかし、薬物で高揚し、精神力を身体増強のために削り続ける思考では、それが何なのかに思い至ることはできなかった。

 そうだ。
 今はそんなことは関係ない。

 自分は、再び戦える。
 あの、拳狐と拳を交えることができるのだ。

 一瞬の沈黙。

 心臓が高速で脈を打つ。
 あと何度、この振動を感じることができるだろう。

 滑り落ちる砂時計を幻視する。
 一度は止まった砂だった。

 妻を殺され。子を殺され。
 その憤怒で何物も打ち砕けると思って振るった拳が。
 無数の武術を修めて磨いた功夫が。

 自分の倍以上の年の老人に、粉砕された。
 その日、武人としての李龍文は一度死んだのだ。

 だから、ここから先は、殭屍の戦だ。

 銅鑼が鳴る。
 戦いの始まりを告げる音が、屋外闘技場に響き渡る。

 魔人能力の行使、不問。
 武器の使用、不問。

 決着は、対象の絶命、場外、あるいは、降参のみ。

 李龍文の体が思考より疾く動く。
 裡問より至る。

 相手の懐へと踏み込み、反撃を許さぬ一撃を叩き込む八極拳の王道。

 李龍文は滑るように踏み込みながら、拳狐の手を払うように腕を振り上げた。
 そのまま腕を折りたたみ、頭部の防御と一体で肘による打突を繰り出す。

 拳狐は正面からの迎撃を避け、彼我の腕の接触点を起点にして円を描くように身を翻す。

 側面を取られた。
 しかし、それは李龍文の不利を意味しない。
 脚と体を開き、拳狐が直前までいた場所へ踏み込んで、太極を描くように弧の軌道に追従、拳の甲で拳狐の側頭部を打つ。

 この足さばきは李龍文の主戦法である八極拳というよりも、八卦掌のものに近い。
 しかし、鞭のようにしなる高速の拳打は、截拳道の流れを組んでいる。

「成程。無数の流派を修めただけではこうは動けぬ。
 己の術理として新たな技として組み直す。存外に研究者肌とみえる」

 一房、拳狐の髪が闘技場のタイルに落ちた。
 一筋、頬に血が流れる。

「だが、それだけではないな。
 これが、音に聞く『百戦不殆』か」

 拳狐の言葉に、李龍文は頷いた。

「孫子曰く、知彼知己、百戰不殆。求道とは即ち、知を己に重ねる道程。
 百戦を経て千変へ至り万武を修めて最奥へ触れんとす。
 然るにこの身に刻む号、『拳理通天』李 龍文!」

 名乗りによって自己を定義し、認識がさらに魔人能力を強化する。

 魔人能力『百戦不殆』。

 李龍文の能力は、情報の戦力化である。
 相手のことを知るほど、相手の技が王道であるほど、李龍文にとっては与しやすい相手となる。

 拳狐の動きは、極めて高い水準で練られた功夫の上に成立している。
 構えを見るだけでわかる。

 極めて古典(クラシカル)
 極めて王道(スタンダード)

 司会として初めて拳狐を見たとき、李龍文は、彼の周りだけ、時が遡ったかのように錯覚した。

 時代とともに奥義が失われ、口伝によって変質してしまった功夫の、原型(アーキタイプ)を見たように思えたからだ。

 その相手と、李龍文は真正面から打ち合っている。
 打ち合えている。

 拳を通して、相手の術理を読み取る。
 純然たる武。

 強くなって、何かをするための武ではない。
 武そのものが目的であり、それを突き詰めるものの技。

 恋辻メーメーは動かない。
 否、動けないのだ。

 李龍文と拳狐の技の応酬は、互いに武の最適解を叩き続ける結果として、余人の立ち入る隙のない太極を構築している。

 端から見れば、踊っているようにも見えただろう。
 だが、ほんの僅かに間合いを誤り、隙を見逃せば、即座に命を断ち切る一撃が互いを狙っている。

 一合ごとに、李龍文は、拳狐という男の功夫を知っていく。
 一合ごとに、李龍文は、拳狐という男の力量を知っていく。
 一合ごとに、李龍文は、拳狐という男の人生を知っていく。

 それは即ち、魔人能力『百戦不殆』により、李龍文が拳狐を圧倒していくということでもある。

 違法薬物と『百戦不殆』の効果により、李龍文には、拳狐の拳打がまるで水の中の動きのように見えた。

 膝とともに両の手を振り上げ、虎爪掌として拳狐の腕を抑え込み引き崩す。

「っ!?」

 下がった拳狐の頭をさらに左掌で撃ち落とし、李龍文は全ての意識を一撃の掌打に込めた。

 猛虎硬爬山。
 李氏八極拳が開祖、李書文が得意とした絶招。

 虎が山を打ち崩すが如き上から下への崩しと、そこからの虎が山を翔けるが如き一撃。

 拳狐の体が水平に飛ぶ。
 確実に捉えた。

「……三」

 絶命には至らずとも、確実に骨の数本は奪っている。

「二」

 相手は手負い。
 そして、李龍文は、拳狐を理解したことで、魔人能力で十分なまでに強化されている。

 ここに(・・・)勝敗は決まった(・・・・・・・)

「一……ッ!」

 吹き飛ばされた拳狐。
 その先には、試合が始まってから瞳を閉じ、まったく身動きをしていない、人形のような様子であった、恋辻メーメーがいた。

「――『為逸速的一息(いっそくがためのいっそく)』」

 拳狐が恋辻メーメーの横を行き過ぎる瞬間。
 拳狐は、軽く、女の背を押した。

 魔人能力『為逸速的一息』。

 それは、止まっているものを高速で動かす能力。
 発動直前まで対象が止まっていた時間が長いほど、速度と継続時間が強化される。

 通常対象とできるのは、拳狐自身の肉体や無生物であり、自由意志を行使できる生命体の影響下にあるものは対象にできない。

 しかし、自由意志を行使することを放棄した状態の生命体であれば、それは成る。

 恋辻メーメーは、神速で飛翔した。
 まともな踏み込みによる加速ではない。
 世界中のまともな武術による縮地でもない。

 恋辻メーメーが武術の達人であれば、身体は術理に叶った動きを取り、李龍文の理解の範疇での挙動になっただろう。

 だが、そうではなかった。
 彼女が操る武術は、形意拳・鱷形(ウォンゼン)
 正当な形意拳には存在しない、異端の技。

 鰐の牙のように、女の腕が李龍文の肩を捉える。
 打撃としては不十分。関節を捩じ切るほどの力もない。

 だからこそ、李龍文の『百戦不殆』は発動しない。
 それは武術として、まったく不合理だからだ。
 なぜなら、恋辻メーメーの動きは、全く李龍文にダメージを与えない。

 不意は打った。動きは阻害した。
 だが、それだけだ。

 拳狐が十全の状態ならば意味がある。
 だが、拳狐は場外ぎりぎりの闘技場の隅で、身を起こしたばかりだ。

 だが、李龍文は知らない。

 恋辻メーメーの魔人能力『鱗語交流(リンゴトーク)』の存在を。
 そして、彼女の最強の矛の存在を。

 上海大賽の闘技場は屋外にある。
 即ち、雨天でも戦えるように、闘技場のタイルの隙間には、下水へと繋がる排水用の管が存在している。

 そして、恋辻メーメーが、『鱗語交流(リンゴトーク)』によって相棒となった、『透明ワニ』スパイクは、下水道であれば距離・口径に関係なく、超高速での移動を可能とする、魔人能力を行使するワニである。

「いくよ、スパイク」
(オッケー、メーメー!)

 李龍文の背後に、体長5mの白ワニが現れ、その牙が李龍文の半身に喰らいついた。

 もしも、李龍文がまったく自由な状態であれば、その不意打ちを避けることができただろう。

 だが、憧れていた拳狐に必殺の一撃を打ち込めたという高揚と、まったく理解できない術理で不意打ちをしかけた恋辻メーメーへの混乱による『百戦不殆』の無効化が、致命的な隙を生み出した。

 不意打ちと単純なパワー。

 恋辻メーメーの相棒、『透明ワニ』スパイクは、李龍文の弱点そのものであった。

「この……ッ!」

 李龍文は寸勁による口内の攻撃で牙から抜け出そうとする。
 しかし、ワニの狩り特有の、噛みつき状態からの全身回転により、三半規管と体力が削ぎ落されていく。

 野生の圧倒的な力。
 だがそれだけではない。
 まるで人のように狡猾で戦術的に、こちらの力をいなすように、奪うように振り回される。
 逃れようとすれば、恋辻メーメーの関節技がそれを阻害する。
 ワニとともに絡みついているはずなのに、まるで感覚を共有しているかのように、女をワニの爪牙が傷つけることはない。
 そして、女の動きはワニを邪魔することなく、確実に李龍文を追い詰めていく。

 これこそが、形意拳・鱷形(ウォンゼン)
 恋辻メーメーが、実際の鰐との交感によって体得した、初見殺しの技である。

 意識が途切れんとする、その直前。
 白のワニは、牙による拘束から、李龍文を解放した。

 空を仰ぎ見て倒れる李龍文を、拳狐が見下ろす。

「一対一におまけがついたもの、という話であったが。
 了見が違ったな。これは二対一の復讐劇、己はあくまで介添人だ」

 復讐劇。

『……あなたは、わたしを、覚えていますか?』

 試合開始前、恋辻メーメーは、そう口にした。
 つまり、この女は、『魔幇』に入ってから、李龍文が殺した者の関係者ということか。

張琅月(チャン・ランユエ)
 張一族の秘伝、とやらのために両親を殺された女です」

 李龍文はようやく理解した。
 なぜ、恋辻メーメーの昏い瞳に見覚えがあったのか。

 それは、妻子を殺された自分と同じ目だったからだ。

 そして同時に、妻子を殺された日のことは鮮明に思い出せるのに、目の前の少女の言う「張一族の秘伝のために殺した相手」の顔が浮かばない、そのことに、李龍文は自嘲した。

 なんて、皮肉。
 自分は、あれほど許せなかった外道の側に、心底落ちていたのだ。

「殺せ」

 李龍文は、絞り出すように呟いた。

 自分は、『魔幇』に妻と子どもを殺された。
 だが、張琅月のように、復讐の火を守り続けられるほど強くもなかった。
 また、拳狐のように、武人を貫くこともできなかった。

 ただの半端モノ。
 この命に、意味はない。

 せめて、それを断ち切ることで、女の溜飲が下がるのならば、それでいい。

 張琅月――恋辻メーメーは、李龍文の頬を掠めるように拳を叩きつけた。
 拳から血が滲み、闘技場のタイルへと滲んだ。

 激怒。憤怒。慟哭。混乱。
 様々な感情が瞳に浮かんでは消えた。

 そして、その端正な顔を歪めると、李龍文に背を向けた。

「あなたを見てわかった。
 私の復讐の対象は、『魔幇』だ。あなた個人じゃない」

 そして、恋辻メーメーは李龍文を見ることなく、拳狐に声をかけた。

「拳狐さん。この人、治せますか?」
「ああ。最近できた友に、内功の達人がいる。
 あ奴ならば、体内の毒を和らげることくらい造作なくやってのけるだろうさ」

 李龍文は、あらゆる意味で自分が敗北したことを悟った。
 復讐者として、そして、許すものとして、恋辻メーメー……張琅月に負けた。

 そして、きっと、武人として、拳狐にも負けていた。
 振り返ってみれば、拳狐は魔人能力をほとんど行使しなかった。
 おそらく、一対一でも、彼は李龍文に勝ち得たのだ。
 だが、この戦いが女にとって持つ意味を知り、文字通りの介添人となったのだろう。

「……俺の、負けだ」

 その言葉に呼応するように、決着の銅鑼が鳴る。

 『魔幇』の勝利を期待していた客たちにどよめきが走る。
 だが、『魔幇』の头目(ボス)、五爪の翁は表情一つ変えなかった。

(ね、メーメー。コイツの中にあったこの黒い蟲、食べていい?)
(……ダメ。ペッしなさい。ペッ)



5.『太可愛了(かわいすぎる)』――喬芽芽(チャオ・ヤーヤー)


 喬芽芽(チャオ・ヤーヤー)は生まれながらの美少女であった。

 家族は彼女を愛し、かわいがった。
 そして愛された少女は確信した。

「私って世界一かわいい」

 その確信が、より彼女を輝かせた。
 芥子粒が蜜液をまとい、加速度的に大きさを増して金平糖になるように。

 いつからか、単に容姿が良いだけの可愛らしさから、喬芽芽はその精神が、魂が、生き方が、愛らしさを放つようになった。

 そこから先は、螺旋と循環の日々だ。

 ――『太可愛了(かわいすぎる)

 彼女の魅力がその賞賛を生み、その賞賛が彼女の魅力をより揺るがぬものとする。

 喬芽芽が「解決屋」をするのは、何かが欲しいからではない。
 それがこの街でもっとも、社会的階層を問わず不特定多数の人間と出会える立場だから。

 即ち、己の「カワイイ」を、多くの人に伝え、多くの人の『太可愛了』を受け取ることができるから。

 金も、名誉も、あればいいが、副次的なものにすぎない。
 汗水を垂らしてまで欲しいものではない。

 能力によって、喬芽芽はほぼ傷つくことがない。
 本気で戦うような危機など、まず訪れない。
 事実、ここまで、喬芽芽は一度として「カワイイ」を崩すことなく、相対する敵を倒してきた。

 だから、理解できない。

 汗と血にまみれ、戦う目の前の二人の姿が、動機が、理解できなかった。



 尸    尸    尸



「ネームドラッシュの次は、モブで圧殺ってことか!
 今度のヤツは性格最悪だな!」
「全く同意ですね! ……よりによって、あの子の能力をパクって使うとか」
「ってか、『電梟』たちとの連絡も断たれてる。相当強力な情報封鎖かけてんな!」

 左右を白黒に塗り分けた長身の女、白髪黒羽が周囲の暴徒を薙ぎ払う。

 同時に、日が沈んだ直後の夜空を思わせる藍色髪の三つ編みを靡かせ、小柄な犬系少女、双喜が鋭角の軌道で空中を疾駆し、討ち漏らした相手を的確に昏倒させる。

 喬芽芽は少し離れたところでこれみよがしにイミテーションのダイヤを掲げ、白髪黒羽の方へ押し寄せる人並みの何割かを引きつけ、倒し続けていた。

 だが、後から後から、津波のように人間が押し寄せる。
 性別も年齢も服装も様々で統一感がない。
 唯一共通するのが、皆、欲に目が眩んだ(・・・・・・・)かのように、理性を失っているということだ。

 予想外の事態に混乱を極める事態を嘲笑うように、鴉の声が戦場に響いた。

 魔人武器工房通り。
 その中にある、張三の知己であるという武器職人の工房で、喬芽芽たちはその圧倒的な物量による進軍を迎撃していた。



 尸    尸    尸





 清王朝のダイヤ……『麒麟の涙』を狙う『魔幇』の刺客が、上海大賽の裏で襲撃するという想定の元、現時点で最も完成に近いダイヤの欠片を持つ女、『万事屋』白髪黒羽は無数のトラップを仕掛けて、この場所に防衛線を張っていた。

 喬芽芽は、雇用主であるカルミアの指示によって、白髪黒羽の護衛についていた。
 カルミア曰く、清王朝のダイヤ『麒麟の涙』は、上海の支配者の証なのだという。

 白髪黒羽からそれを奪うことは難しいが、恩を売っておけば、この戦いの後、この街でのカルミアの立ち位置は盤石なものになるということらしい。

 白髪黒羽は一方的に「守られる」ような女ではない。

 しかし、相手は『魔幇』。
 事実、先日は幹部級の魔人が、大量に押し寄せ、白髪黒羽は劉炎嵐たちと協力してなんとかそれを退けたのだという。

 だからこそ、念には念を入れていた。

 闇商人、(ファ)()()魔都(マトー)がかき集めた資材と、『万事屋』白髪黒羽の経験、そして上海有数の電脳屋『電梟』王双葉のドローン技術の粋を集めた防御。
 そして、上海最強の解決屋による護衛。

 だが、蓋を開けてみればこの事態である。

 強力な刺客が数名やってくることは想定していた。。
 しかし、襲ってくるのはどう見ても『魔幇』とは縁のない一般市民だ。

 おそらく、精神に作用する魔人能力による洗脳と扇動による攻撃。
 なりふり構わないにもほどがある。 

 戦況は、ダイヤ防衛側……白髪黒羽たちの不利へと傾いた。

 喬芽芽は強い。
 だが、それは「(自らよりカワイイと認めた相手からの攻撃でない限り)絶対に傷つかない」という、守勢での最強であり、多くの有象無象を瞬時に制圧できるタイプの強さではない。

 強力な一の相手には有利に戦えるが、自分以外に守るべきものがある中で無数の雑魚を散らすのには向かない魔人である。

 そして、白髪黒羽。
 彼女の魔人能力は、物体を媒介したイメージの強制伝達。
 これは使い方によっては面制圧にも応用可能だが、それを彼女はしなかった。

 操られているとはいえ、無辜の相手をできる限り傷つけない。
 後遺症が残るようなイメージの押し付けは行わない。

 それが白髪黒羽の流儀なのだろう。
 誰一人殺すことなく昏倒させ、体術を中心にして襲撃者たちを次々と無力化していく。

 だがそれは、単に相手を打ち倒す何倍もの集中力を要する離れ業だ。
 そもそも、人は簡単に気を失わない。
 それが何らかの魔人能力によって理性を失った存在ならばなおさらである。

 だが、そこで、さらに予想外の展開が訪れた。
 どちらかというと、白髪黒羽と喬芽芽にとって、よい方向に。

 それが、突如乱入してきた少女、双喜による加勢だった。

 双喜は、自らを清王朝時代のロストテクノロジーの産物であると公表、自らを拘束することが一攫千金に繋がると喧伝し、ダイヤ争奪戦に積極的に関わることで、ダイヤと清王朝のロストテクノロジーの両取りをほのめかす『ダブルハピネスキャンペーン』というスローガンでこの騒動を加熱してきた台風の目だ。

 彼女が望むのは、欲望の錯綜。
 ダイヤが名も知られぬ誰かに奪われ、さらに事態が混沌とする方が、これまでの彼女の行動理念にはかなうはず。

 しかし、彼女は白髪黒羽と暴徒たちの間に立ちはだかると、『万事屋』を守るように戦い始めたのだ。

 かくて、戦況は拮抗し、現在に至る。

 死者はなく、だが、双方に消耗が続いていく。
 死肉を求める鴉が、飽いたように大きく鳴いていた。



 尸    尸    尸



「しっかし、双喜だっけ? アタシの見立てじゃ、アンタの目的は「ダイヤを巡る混乱そのもの」だ。アタシに協力する理由はないんじゃないの?」
「どういうわけか、この襲撃者は、私の妹の能力を勝手にパクって使ってるんですよ。それが許せないってわけです」

 端的に、双喜は説明した。
 配信で上海中の欲望を煽っていたときとはうってかわって、感情を殺した口調。

 否、それは静かな怒りに染まった声だった。

「『欲病胎蔵回路』。人の心中の欲を『虫』として具現化し、指向性を与える能力ですね。
人々を操っているのは、その力です」
「アンタの妹そのものが襲撃者って話はないのかい?」
「ありませんね。あの子は私が看取りましたから」
「そっか。ソイツは業腹だ。いいね、ダイヤ関係なしに、その襲撃者をブン殴ってやりたい気分だよ」
「ありがたい申し出ですが、それは私に任せてほしいところですね!」

 喬芽芽にとって、双喜の抱えた事情は関係ない。
 白髪黒羽が、自分の苦境に関わらず相手に共感して首を突っ込もうとする気持ちもわからない。

 だから、喬芽芽はパニエで膨らませたスカートを翻し、目の前の相手を一人一人、戦闘不能にしていく。

 魅力で無効化できない洗脳済みの相手には、可憐さには欠けるが暴力で対処する他ない。
 ならばせめて、その過程くらいは軽やかに。

「はっ。ノンポリのトリックスターと思ったら、なかなかどうして骨があるじゃないか、シュアちゃん」
「なんかその呼び方、人造人間は人造人間でも未来から来たムキムキ半裸男性を思い出すのでちょっとアレかと。それより『万事屋』さんこそ、軽そうな口調で、欲が全く浮ついてない。どういう生き方したらそんな芯の欲になるんですか」

 白髪黒羽と双喜の、苦境には不似合いな軽妙な会話が、喬芽芽の耳に飛び込んでくる。

 喬芽芽は首元のチョーカーから鎖で下げられた銀のハートを弾く。
 僅かに揺れた心臓のモチーフは、すぐに動きを止める。
 このハートの意匠は、喬芽芽の北極星だ。

 大丈夫。今日も喬芽芽はカワイイ。カワイイは揺るがない。

 カワイイということは、意識の収束点だ。
 だから喬芽芽は揺るがない。
 まずカワイイ自分に集中し、全てはその次に意識すべきものだ。

 なのに。どうして、喬芽芽は、あの二人の会話に耳を傾けてしまうのだろう。
 あの二人の戦いぶりを、目で追ってしまうのだろう。

「く……そっ。マジか! 容赦ねえなあ!」

 黒羽の悪態で、喬芽芽の意識は戦場へと引き戻される。

 いつの間にか、暴徒に加えて、大量のドローンまでもが工房の中に侵入していた。
 飛行ドローン。
 そこには、明確に対人殺傷を想定した火器が搭載されていた。

「シュアちゃん、人間はいい! ドローンを優先して!」
「わかりました……がっ、欲望の方向性が追えないから全部はちょっと間に合わないですよ!?」
「ヤーちゃんも頼んだ!」
「わかった……けど!」

 人並みをかき分けて三人の魔人が動く。
 射撃体勢に入る前に、一機、二機、三機とドローンが叩き落とされていく。

 だが、一機、届かない。
 その照準は、白髪黒羽へと向けられている。

 白髪黒羽には、多くの理性を失った暴徒が群がっている。
 その中には、老婆がいる。青年がいる。子どもがいる。

 白髪黒羽の表情が歪んだ。

 喬芽芽は火器に興味がない。
 そんな可愛らしくないものに自分を傷つけることはできないから、その形状から性能を推し量る必要がなかったのだ。

 そして、双喜もまた、火器について詳しくなかった。
 殺意、殺傷欲を見れば、その危険領域を理解できるから、火器の種別からその攻撃範囲を予測する必要がなかったからだ。

 だから。
 この場で、その事態の意味することに気付き、動けたのは、白髪黒羽だけだった。

 ドローンに搭載されているのは、ショットガンモジュール。

 放射状に散弾を発射する火器である。
 即ち、無差別に、白髪黒羽たちに群がる暴徒ごと、まとめて弾丸で薙ぎ払うための射撃。

 白髪黒羽にとって、今自分に掴みかかっている人々は、ダイヤを奪おうとする敵であると同時に、傷つけるべきでない、魔人能力で操作された無辜の民でもある。

「――『創造上の想像力(イマジナリーファイア)』!」

 ショットガンに対するセオリーは、距離を取り、遮蔽を取ること。
 遮蔽として他者の肉体は最適だ。

 だが、白髪黒羽はその真逆の行動をとった。

 ドローンが射出した散弾にまさに飛び込むように、距離を詰めたのだ。

 人々を巻き込まないように。
 全ての弾丸を、自らの身一つで受け止めるために。

 嘲笑うように、どこかで鴉が嗤った。

 乾いた射撃音。
 びくん、と弾けるように、白髪黒羽の長身が体を震わせた。

 何か、魔人能力を防御に使ったのだろう。
 白髪黒羽の肉体は原型を留めてはいる。まだ立ってはいる。

 だが、全身から血を流し、脚は僅かに震えていた。

「く……そっ。ドジったな……」

 喬芽芽は首元のチョーカーのハートに触れた。
 それは、揺れていた。止まらずに、揺らいでいた。

 わけがわからない。
 この戦いが始まる前、喬芽芽は、黒髪白羽にダイヤを求める理由を聞いた。

 彼女は、親友の出産祝いに、清王朝のダイヤを贈りたいのだという。
 世界で二番目に素敵な親友が、次の世代に血を残したのだ。
 それにふさわしいのは、完全無欠の宝物しかありえないからだと。

 酔狂だ。命を賭けるに値する理由だとは思えない。

 喬芽芽は、自分に似合うだろうからという理由でダイヤを求めた。
 だが、それは、喬芽芽には、誰も自分を傷つけられない、自分が世界で一番カワイイという事実があるからだ。余裕をもってそれを求めるだけの力量があるからだ。

 だが、白髪黒羽はそうではない。
 彼女が弱いわけではないが、彼女には隙がありすぎる。

 たとえば、戦い方に対するこだわり。
 たとえば、弱者を放っておけないという矜持。
 たとえば、一度知り合った相手を身内と認めて協力してしまうお節介。

 そんな彼女に、その願いは遠すぎる。

「黒羽さん! ……なっ!?」

 白髪黒羽が双喜が駆け寄ろうとしたそのとき、暴徒たちの動きが、止まった。
 そして、全員が体を震わせ、蹲り、悲鳴とも嗚咽とも苦悶ともつかぬ呻きをあげる。

「何が起きてる!?」
「欲の『虫』の強制羽化!」
「宿主はどうなる?」
「深刻な身体的損傷と精神的欠落を抱えます!」
「どうにかできないのか!?」
「……『欲心流路』で患部のスキャンして摘出……これだけの人数……ええいままよ! あの子の力で無差別大虐殺勝手にされて罪なすりつけとかド許せないですからね! やりますよ!!!」

 そして、双喜の姿が霞み、部屋中を飛び回る。
 暴徒たちの体内から「何か」が飛び出す直前に、肉体の一部を摘出していく。

 わずかに捉えられる残像から、双喜の苦悶の表情が見てとれた。
 明らかに、生命活動に影響しかねない、何らかの無理をしていることがわかった。

 喬芽芽の銀のハートは揺らぎ続けていた。

 わからない。
 どうして、彼女たちは、命を賭けるのか。
 自らの力量に足る行いとは思えない。

 カワイイは余裕から生まれるものだ。
 生のキャパシティに足る中で、最大の輝きを放つことだ。

 そのキャパシティが、喬芽芽は人より大きかったから、あらゆることが自由だったし、あらゆることを求めてきた。

 生きることに余裕があるならば、その範囲で欲を満たすのはいい。
 けれど、彼女たちは違う。
 自分たちの限界を、力量を知り、けれど、それで手が届く以上の結果を、血を吐いて、汗を流して、求め続けている。

 明らかに手に余るものを求めて、命を危険にさらしている。 

 おかしい。
 理解できない。

 そう、喬芽芽は理解できなかった。

 震え続ける、銀のハートのその理由に。
 自らのカワイイの基準が、揺らいでいる、その理由に。

「……『太可愛了』」

 薔薇色のリップに潤む唇から、そんな言葉が漏れた。
 いつも、喬芽芽自身に捧げられていた言葉を、今、喬芽芽は、目の前で、血と汗を流す二人の魔人相手に、紡いでいた。

 わからない。
 なぜ、喬芽芽は、身を挺した戦い方をする彼女たちを、「カワイイ」と思ったのか。

 それは、喬芽芽の「カワイイ」ではない。
 全くベクトルが異なるもの。

 だが、「カワイイ」。

 カワイイとは何か。

 目が離せない魅力。
 心を炙られるような熱。
 胸の鼓動を加速させるあり方。

 圧倒的な劣勢の中、不合理な理由で意地を、スタイルを張り通す二人の姿は、間違いなく「カワイイ」だった。

 押し寄せるドローンを、血を流しながら黒髪白羽は迎撃し続ける。
 人々から羽化しようとする欲望の『虫』を、命を削りながら双喜は摘出し続ける。

 喬芽芽は、チョーカーで揺れる銀のハートを、強く握りしめた。

 カワイイが、拡張する。
 世界の認識が、変容する。

 自らこそがカワイイ。
 だから、自らが頂点。
 自らだけが不可侵。

 そうやって生み出された魔人能力が、進化する。

「認めるわ。――あなたたちも、『太可愛了(かわいすぎる)』」

 魔人能力『可愛くてごめん』改め――『太可愛了』。

 自らと異なる、己を削り尽力するという他者のカワイイを認めた、喬芽芽の新境地。

 白髪黒羽の、双喜の身を、桃色の輝きが包み込む。
 輝きは、二人の心身を「あるべき形」、より「カワイイ」姿へと回帰させていく。

 即ち、癒しと強化のバフ能力。
 己にだけ向いていたカワイイの加護を、認めた相手に分与する異能。

 白髪黒羽と双喜、二人の動きが、加速した。

「これなら全員なんとか――!」

 体内の「虫」が摘出され、暴徒たちが全員倒れ伏し。
 全てのドローンが粉砕された中、白髪黒羽の視界の端で、二羽の鴉が飛び去ろうとするのが見えた。

「『創造上の想像力(イマジナリーファイア)』」

 モノトーンの『万事屋』の手の中に、六発の弾丸が現れる。

「――『眠る』」

 リボルバーに、念を込めた弾丸を装填すると、白髪黒羽は鴉に狙いを定める。
 傷だらけだった肉体に、桃色の輝きが活力と集中力を注ぎ込む。

「当たるかな」
「当然。あなたは喬芽芽が認めた『太可愛了』なんだから」

 銃の射程距離からは遥か遠い場所で視界から消えようとする刹那、
 白髪黒羽は、弾丸を放った。

 二羽の鴉が地へと墜ちる。

「シュアちゃん。アレが『魔幇』の刺客ってことでいいのか?」
「ええ。なんか『欲心流路』の感度が上がったんでわかりました。
 アレが、あの子の能力をトレースしてたモノですね。
 ドローンを操って、このあたり一帯の通信封鎖をしてたのも、アレでしょう。
 本人というより、本人の魔人能力で具現化された何かっぽいですが。
 まあ、潰してきます」

 今にも駆けだそうとする双喜に、喬芽芽は声をかけた。

「双喜っていったわよね、あなた。
 ダイヤの騒動が終わったら、死んじゃうとかなんとか聞いたけど」
「はあ、そうですけど」

 そして、喬芽芽は銀のハートのチョーカーを外すと、双喜の首にかけた。
 銀のハートから溢れた桃色の輝きが、今まさに日の沈む藍夜の色をした人造少女の瞳の色を、日がまだ地平線の上にある刻の黄昏色、紫へと塗り替えていく。

「あなたは死なないわ。あなたは私が認めた『太可愛了』だもの。私が死なせない」
「……そうですか」

 双喜はチョーカーのハートを握り、そして、改めて鴉にトドメを刺すべく工房を飛び出した。

 残された白髪黒羽は、ため息をつくとその場に倒れこんだ。
 そして、改めて、自分の護衛を引き受けた「世界一カワイイ」解決屋を見上げる。

 自分を見下ろすその目は、戦いが始まる前のそれとは全く違うように、白髪黒羽には思えた。

「見違えたね。アンタは自分にしか興味がないと思ってたけど。
 ってか、アタシをカワイイなんて言ってくれるのは、世界で一人だけだと思ってた」
「それは、そいつと私以外、見る目がないだけよ」
「はは、世界一カワイイ女にそう言ってもらえるなんざ、光栄だよ」

 喬芽芽は屈みこむと、つん、と白髪黒羽の頬を突いた。
 気安い対等の友人にするような、他愛ない仕草だった。

「親友のために危険に首突っ込んで上海の支配者の証のダイヤなんて手に入れて、しかもその争奪戦では一般人を巻き込まないように命を賭けて……そこまでして手に入れたのに、そのダイヤ、結局、あの子にあげちゃう(・・・・・・・・・)んでしょ? そんないい女、他にいないわよ」
「うわ、聞いてたのか。ま、あんな話を聞かされちゃあなあ」
「でも、安心なさい。この冒険で、貴女は『麒麟の涙』より輝く宝石になった。
 世界で二番目の親友さんにだって、十分見合う宝物だと思うわ」
「……ああ」



 尸    尸    尸



「『仔の漆・欲病胎蔵回路』――消滅」
「『仔の陸・電気人形』――消滅」

「……头目(ボス)の前座は敗北。
 『麒麟の涙』の奪還は失敗ですか。

 まあ、よいでしょう。それでも『魔幇』は止まらない。
 头目(ボス)が破れても。私が死んでも。
 あなたと私の子どもたちは、終わらない」
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