ダンゲロスSS上海
Hello Shanghai
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dangerousss_shanghai
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――上海は、思っていたより甘い匂いがする。
黄浦江の風が湿っていて、露店の胡麻と砂糖の匂いが混ざる。南京東路のネオンは昼みたいに明るくて、人の背中が小さな波みたいに揺れる。わたしはスーツケースを引きずり、屋台でミルクティーを受け取った。氷がカラリと鳴る。ストローで一口吸うと、舌にやわらかい甘さが残った。
観光だと自分に言い聞かせる。上観観光。はじめての魔都。
でも、目的はひとつだ。
でも、目的はひとつだ。
——ダイヤを見つける。つかまえる。ぜったいに。
噂は、港に着く前から耳に入っていた。百年の歴史を持つチャイナマフィア【魔幇】の記念祭。その目玉だった清王朝の至宝が、開催直前の夜に消えた。誰かが奪った。上海中が騒いでいる。ニュースも、屋台も、地下鉄の車内広告まで、十日間の祝祭と警戒の話題でいっぱいだ。
十日。カレンダーに赤ペンで丸をつけるイメージを思い浮かべる。
わたしには、期限を数えるのが癖になっている。返済の締め日、利息が増える日、そして——天国へ行くために、今日できること。
「田子坊、こっちだよ」
露店の女の子が指をさす。路地は細くて、人と看板と明かりがぎゅうぎゅうに詰まっている。上を見上げると洗濯物と電線、遠くにガラスの塔。上海は半分が魔人でできている、と誰かが言った。たしかに歩くだけで、いろんな気配がぶつかってくる。角を曲がるたび、別の国みたいだ。
わたしはフードを深くかぶった。背中の違和感が落ち着く。羽は折りたためるけれど、ひらひらすると目立つから、今日はおとなしくしていてほしい。尻尾は、ときどき勝手に動く。注意しないとスカートの裾が跳ねる。
普通の女の子みたいに歩く練習は、ずっとしてきた。まっすぐ前を見て、足音を小さく、荷物は軽く、息は整える。
小籠包を六個だけ買って、紙舟にのせてもらう。先っぽを噛むと熱いスープが唇に触れて、指の先まで熱が移った。なるべくゆっくり食べる。腹八分。体温、良好。心拍、落ち着いている。
数字で確かめると、すこし安心する。
路地を抜けると、河の匂いが戻ってきた。黄浦江の対岸には尖った塔。観光写真の中みたいな夜景だけど、実物はもっと喧しい。誰かが花火を上げて、誰かが口笛を吹いて、露店が鍋をたたく。祝祭は、街ごと大きな胸をふくらませているみたいだ。
十日間の騒ぎは、わたしには都合がいい。音が大きいと、小さな音に気づかれにくい。色が多いと、灰色がまぎれる。人が多いと、ひとりが消えても騒がれない。
——そして、ものが動く。表でも、裏でも。
「解決屋に頼めば?」
昼間、港で荷物を見てくれた兄ちゃんがそう言った。魔人たちの問題は、魔人たちで解決する。上海には、そういうなんでも屋がいるって。
でも、今回は自分の手でやる。手数料は払えない。
十億の元本はまだしも、利息は三百億。桁が多いから、数字を声に出すと舌がもつれる。けれど、言葉にしておかないと、遠い夢みたいになってしまう。
十億の元本はまだしも、利息は三百億。桁が多いから、数字を声に出すと舌がもつれる。けれど、言葉にしておかないと、遠い夢みたいになってしまう。
返す。全部。ぜったい。
そうしたら——天国に行ける。
約束は、守らないと。
そうしたら——天国に行ける。
約束は、守らないと。
わたしは南京東路の端で立ち止まった。空気の振動を拾う。拍手、笑い声、警笛、紙幣の数える音、靴の擦れる音、言語が混ざるざわめき。
その下のほうで、もっと小さな音が重なる。噂は、いつだって目立たないほうから広がる。
「パーティの主催者が怒ってる」
「ダイヤは三つに割られたらしい」
「いや、箱だけがすり替えられたんだ」
「犯人は、外国の魔術師」
「違う、内通者だ」
言い方が違うのに、どれもほんとうみたいな顔をしている。
その下のほうで、もっと小さな音が重なる。噂は、いつだって目立たないほうから広がる。
「パーティの主催者が怒ってる」
「ダイヤは三つに割られたらしい」
「いや、箱だけがすり替えられたんだ」
「犯人は、外国の魔術師」
「違う、内通者だ」
言い方が違うのに、どれもほんとうみたいな顔をしている。
わたしはメモ帳を開く。鉛筆で短く書く。
〈現物は未確認/保管場所は移動中?/割れた・分割の噂に注意〉
〈十日以内に市場へ“音”が出る。出る前に拾う〉
〈祝祭会場、倉庫、港、ホテル、病院、寺、クラブ〉
〈“お金の匂い”が強い場所を優先〉
ページの隅に、小さく×印をつけていく。手が覚えている動き。返済のときも、こうやって線を引いてきた。一本ずつ、静かに減らす。声に出さない“よし”が喉の奥で転がる。
〈現物は未確認/保管場所は移動中?/割れた・分割の噂に注意〉
〈十日以内に市場へ“音”が出る。出る前に拾う〉
〈祝祭会場、倉庫、港、ホテル、病院、寺、クラブ〉
〈“お金の匂い”が強い場所を優先〉
ページの隅に、小さく×印をつけていく。手が覚えている動き。返済のときも、こうやって線を引いてきた。一本ずつ、静かに減らす。声に出さない“よし”が喉の奥で転がる。
「写真、撮ってあげようか」
背後から日本語が聞こえて、振り向くと、同世代くらいの女の子がスマホを掲げていた。観光客みたいな笑顔。
「——うん、お願い」
わたしは川を背景に立つ。羽は服の下、尻尾は足に沿わせて、無害そうなポーズ。シャッター音。画面の中、わたしはちゃんと普通だ。髪は少し茶色で、目尻は笑っている。
ありがとう、と言って別れる。スマホの画面を明るさ最低にして、写真を見直す。
普通に写っている。普通に——見える。
それでいい。今日は観光客。明日は仕事。区別は大事だ。
ホテルは取っていない。祝祭のあいだは空きが少ないし、高い。黄浦江の橋のたもと、夜通し開いている食堂の二階に長椅子がある。そこに腰を預けて目を閉じる予定。寝過ごすと体が固まるから、アラームは二つ。
明け方に市場へ。魚と氷を運ぶ台車の音は、情報屋の靴音と似ている。そこから繋ぐ。倉庫街、搬入口、裏口、ゴミ置き場。ダイヤはきっと静かに動く。音ではなく、沈黙で。
沈黙を張り合わせると、地図になる。
沈黙を張り合わせると、地図になる。
胸ポケットで小さな鈴が鳴った。アラームのテスト。良好。
わたしはミルクティーを飲みきって、ストローを折った。紙コップをゴミ箱に入れる。指先が少し甘い。舌で拭う癖をやめて、ハンカチで拭いた。こういうところ、丁寧に。天国は、きっとそういう細かいところを見ている。
「——よし」
声は小さく。
声は小さく。
十日。
祝祭。
ダイヤ。
返済。
天国。
祝祭。
ダイヤ。
返済。
天国。
順番は決めた。あとは歩くだけ。
外灘の欄干に手を置いて、指を伸ばす。風が爪を冷やす。
外灘の欄干に手を置いて、指を伸ばす。風が爪を冷やす。
わたしは人の流れにまぎれて、祭りの街へ入っていく。
普通の女の子みたいに、笑いながら。
そして、普通じゃない速度で、必要なものだけ拾っていく。
普通の女の子みたいに、笑いながら。
そして、普通じゃない速度で、必要なものだけ拾っていく。