だんのこまち@wiki
第2話 夜の柵と、逃げる勇気
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見るだけ。
青羽ユウは、そう言った。
言ったはずだった。
初期村の灯りを背に、東の柵へ向かって歩き出したときも、本気でそのつもりだった。
別に戦うつもりはない。
無茶をするつもりもない。
突発系クエストの発生条件を満たしたから、ちょっと様子を見るだけ。
そう、見るだけ。
ゲームを始めたばかりの初心者が口にする「見るだけ」ほど信用できない言葉はないのだが、そのことをユウはまだ知らなかった。
◇
夜のFoFは、昼とまったく違っていた。
空には現実よりも大きく見える月が浮かび、村の家々から漏れる灯りが、地面に細長い影を落としている。
昼間はただの草むらに見えた場所も、夜になると黒い塊みたいだった。
風が吹くたびに草が揺れる。
そのたびに、何かが潜んでいるように見える。
「……思ったより怖いな」
ユウは端末を開いた。
《現在地:初期村 東小道》
《時間帯:夜》
《夜間補正が適用されています》
《視認距離:低下》
《聴覚情報:重要度上昇》
《一部モンスターの行動パターンが変化します》
《時間帯:夜》
《夜間補正が適用されています》
《視認距離:低下》
《聴覚情報:重要度上昇》
《一部モンスターの行動パターンが変化します》
「昼と同じじゃないのか……」
当たり前と言えば当たり前だ。
しかし、画面の明るさを上げれば解決するような夜ではなかった。
FoFの夜は、ちゃんと夜だった。
見えない。
聞こえる。
そして、少し怖い。
ユウの視界左端に、小さな表示が出る。
《恐怖蓄積:微小》
「まだ何も出てないのに?」
抗議しても、システムは返事をしてくれない。
暗い場所を一人で歩いているだけで、身体が勝手に緊張する。
それをゲームが拾っている。
いや、ゲームというより、この世界が拾っている。
ユウは腰のショートダガーに手を添えた。
それだけで少し落ち着く。
弓は背中にある。
だが、昼間の訓練でよく分かった。
弓は、構えれば勝てる魔法の道具ではない。
弦を引くにもSTを使う。
狙い続けるだけで腕が震える。
しかも夜は視界が悪い。
「レンジャー、思ってたより玄人向けでは?」
今さらすぎる感想だった。
◇
壊れた柵の近くまで来ると、木槌の音が聞こえた。
コン、コン。
コン、コン。
一定のリズムで、誰かが作業をしている。
「……ロットさん?」
昼間、鉱石を渡した鍛冶見習いの青年が、柵の前でしゃがみ込んでいた。
肩に工具袋をかけ、片手に木槌、もう片手に赤銅の補強具を持っている。
「お、開拓者の兄ちゃん。来ちまったのか」
「来ちまったって言いました?」
「いや、助かるけどな。正直、一人だとちょっと心細かった」
ロットは苦笑いした。
その横には、壊れた柵。
昼間ユウが転んだ、あの場所だ。
柵の向こうは、もう村の外。
暗い草むらが続いていて、その先は森になっている。
「これ、今直してるんですか?」
「ああ。昼のうちに材料はそろったからな。朝まで放置すると、小型の魔物が入り込むかもしれない」
「朝じゃだめなんですか?」
「だめってほどじゃない。でも、夜に一匹でも入れば、家畜が逃げる。畑も荒れる。そうなると明日の仕事が増える」
ロットは、何でもないことのように言った。
ユウは少し黙った。
たぶん、このクエストを放置してもゲームは進む。
村が滅びるわけではないだろう。
でも、誰かの明日の仕事は増える。
NPCの行動が変わる。
村の安全度が下がる。
そういう形で、世界は反応する。
派手なムービーではなく、生活の細部で。
《突発系クエストが発生しました》
【夜の柵を直す者】
内容:ロットが東の柵を修理する間、周辺を警戒してください。
達成条件:修理進行度100%までロットを守る。
失敗条件:ロットの作業中断 / 柵内への魔物侵入。
推奨:複数人、または十分な休息後の行動。
現在状態:HP 76% / ST最大値低下中
内容:ロットが東の柵を修理する間、周辺を警戒してください。
達成条件:修理進行度100%までロットを守る。
失敗条件:ロットの作業中断 / 柵内への魔物侵入。
推奨:複数人、または十分な休息後の行動。
現在状態:HP 76% / ST最大値低下中
「状態まで見られてる……」
しかも、ご丁寧に「おすすめしませんよ」と言われている。
普通なら戻る。
絶対に戻る。
しかしロットは、ユウを見て言った。
「無理なら村に戻ってくれ。あんたが倒れたら、俺は修理どころじゃなくなる」
その一言で、ユウは逆に逃げづらくなった。
情けない理由だった。
格好つけたい、というほどでもない。
ただ、昼間自分が持ってきた鉱石で、今この人が柵を直そうとしている。
そこまで関わってしまうと、完全に他人事にはできなかった。
「……少しだけ手伝います。危なくなったら戻ります」
「その判断ができるなら、十分助かる」
《クエストを受注しました》
「受注確認なかった!」
「どうした?」
「いや、世界の圧が強いなって」
「よく分からんが、夜は圧が強いぞ」
ロットは真面目な顔で返した。
◇
修理はすぐには終わらなかった。
ロットが壊れた支柱を押さえ、補強具をはめ、木槌で打つ。
その間、ユウは柵の外側を見張る。
《修理進行度:8%》
「低っ」
「焦るな。焦って雑に直すと、明日また壊れる」
ロットの返事は落ち着いていた。
ユウは小弓を構えかけたが、すぐに下ろした。
ずっと構えているとSTが減る。
それは昼に学んだ。
代わりに、音を聞く。
草の揺れ。
木槌の音。
ロットの息。
遠くの虫の声。
その中に、ときどき違う音が混じる。
かさり。
「……右?」
《レンジャー補正:微弱な気配を検出》
《方向:右前方》
《距離:不明》
《方向:右前方》
《距離:不明》
「お、レンジャーっぽい」
喜んでいる場合ではない。
ユウは右前方の草むらを見つめた。
見えない。
何かがいる気はする。
でも、見えない。
ユウは背中の小弓に手を伸ばした。
弦を引く。
暗い。
狙いが定まらない。
それでも、草むらが揺れた場所へ矢を放った。
矢は、草むらを越えて奥の木に刺さった。
《Miss》
《夜間視界不良》
《照準姿勢が不安定です》
《夜間視界不良》
《照準姿勢が不安定です》
「知ってた!」
直後、草むらから何かが飛び出した。
緑の小さな影。
昼に戦ったものと同じ、グリーンカーバンクルだ。
ただし、夜のせいか額の宝石がうっすら光っている。
《グリーンカーバンクル》
《夜間行動中》
《夜間行動中》
「またお前か!」
グリーンカーバンクルは、ユウではなくロットの方へ向かった。
「え、そっち!?」
「作業音に寄ってきてる!」
ロットが叫ぶ。
ユウは慌てて走った。
STが減る。
足が重い。
それでも、ロットとカーバンクルの間へ身体を入れる。
ショートダガーを抜く暇がない。
ユウはとっさに、腰の工具袋——ではなく、自分のバッグから昼間拾った小石を掴んで投げた。
石はカーバンクルの横の地面に当たり、乾いた音を立てる。
カーバンクルが、ぴたりと止まった。
《注意誘導:成功》
《対象の進行方向が変化しました》
《対象の進行方向が変化しました》
「え、効いた!」
「音に反応するんだ! 倒すより逸らせ!」
「そういうゲーム!?」
「そういう夜だ!」
ロットの返しは、やっぱり真面目だった。
カーバンクルはユウの方を向いた。
来る。
ユウはショートダガーを構えた。
昼と同じだ。
身を沈める。
跳ぶ。
直線。
ユウは半歩、横へずれようとした。
だが、夜の草地は昼より足元が見えない。
かかとが石を踏む。
身体が傾く。
「うわっ」
完全には避けきれなかった。
肩に衝撃。
《被弾》
《Damage:9》
《衝撃値:小》
《姿勢崩れ》
《Damage:9》
《衝撃値:小》
《姿勢崩れ》
転びはしなかった。
踏ん張った。
それだけで、昼より少し成長した気がした。
ユウは近くに着地したカーバンクルへ短剣を突き出す。
《Hit》
《Damage:4》
《Damage:4》
「硬い!」
昼よりダメージが低い。
暗くて弱点が見えない。
相手の動きも速く感じる。
カーバンクルがまた距離を取る。
追いかけたくなる。
でも、追いかけたらSTが切れる。
ロットを守るクエストで、ユウが遠くへ行っても意味がない。
ユウは息を吸った。
「倒さなくていい。逸らせばいい」
自分に言い聞かせる。
カーバンクルが再びロットへ向かおうとする。
ユウは今度、足元の小枝を踏み折った。
ぱきっ。
カーバンクルが反応する。
こちらへ来る。
ユウは後ろへ下がらず、柵から離れる方向へ斜めに歩いた。
走らない。
大きく動かない。
自分が制御できる範囲だけ。
カーバンクルが跳ぶ。
ユウは半歩ずれる。
今度は避けた。
「よし!」
突かない。
倒そうとしない。
カーバンクルが着地した瞬間、ユウは地面の土を蹴って音を出した。
カーバンクルはまたそちらを見る。
そのまま、柵から少し離れていく。
《注意誘導:継続》
《修理進行度:31%》
《修理進行度:31%》
「これ、戦闘っていうより……」
犬の散歩。
いや、魔物の誘導。
ユウは変な汗をかきながら、グリーンカーバンクルを柵から遠ざけた。
少し離れたところで、カーバンクルは興味を失ったのか、草むらへ消えていった。
《対象が戦闘範囲外へ離脱しました》
「倒さなくても終わるんだ……」
ユウは肩で息をした。
HPは67。
STは半分以下。
でも、ロットは作業を続けている。
柵は少しずつ形を取り戻していた。
◇
その後も、夜はユウに優しくなかった。
二度目の気配は、左からだった。
今度はカーバンクルではなく、小さな羽虫のようなモンスターだった。
《ランタンモス》
《光源に反応》
《光源に反応》
名前の通り、ぼんやり光る羽を持っている。
ユウが「見えやすくて助かる」と思った直後、ランタンモスはロットの作業灯へ一直線に飛んだ。
「ロットさん、灯り狙われてます!」
「消すと作業できねえ!」
「ですよね!」
ユウは弓を構えた。
相手は飛んでいる。
短剣では届かない。
ようやくレンジャーの出番だ。
ユウは深呼吸する。
弦を引く。
腕が震える。
羽虫は小さい。
暗い。
動く。
「無理では?」
それでも撃った。
矢はランタンモスの少し下を通過した。
《Miss》
「はい!」
ランタンモスが灯りへ近づく。
ロットが片手で追い払おうとするが、作業が止まりかける。
《修理進行:停滞》
《ロットの集中が低下しています》
《ロットの集中が低下しています》
「まずい」
ユウは二本目の矢をつがえた。
狙う。
当てる。
そう考えた瞬間、腕に力が入りすぎた。
《照準姿勢が不安定です》
《ST消費増加》
《ST消費増加》
「落ち着け……」
昼間の訓練を思い出す。
腕だけで引くな。
背中を使え。
背中の使い方は、まだ分からない。
分からないが、少なくとも腕だけに力を入れるのをやめる。
足を開く。
呼吸を止めない。
ランタンモスは、灯りの周りを回るように飛んでいる。
まっすぐ狙うから外れる。
なら、飛ぶ先を狙う。
ユウは少しだけ先へ矢を向けた。
放つ。
矢が走る。
ランタンモスの羽をかすめた。
《Hit》
《Damage:3》
《対象の飛行姿勢が崩れました》
《Damage:3》
《対象の飛行姿勢が崩れました》
「当たった!」
ランタンモスが地面近くまで落ちる。
ユウはすぐにショートダガーへ持ち替え、走りかけた。
だが、途中で止まった。
STが少ない。
走ると危ない。
それに、倒す必要はあるのか?
ユウは足元の土を蹴って、ランタンモスとは反対側に音を立てた。
反応しない。
光源に反応するなら——。
ユウは端末を開き、初期支給品の中から小さな携帯灯を取り出した。
《簡易ライトを使用しますか?》
「これ、使ったらまずい気もするけど……」
点灯。
青白い小さな光が灯る。
ランタンモスが、ぴくりと向きを変えた。
「よし、こっち」
ユウは簡易ライトを持って、柵から離れる。
ランタンモスがついてくる。
ただし、簡易ライトを持つ手元に小さな警告が出る。
《光源使用中》
《周辺モンスターに発見されやすくなります》
《周辺モンスターに発見されやすくなります》
「そういうデメリットもあるよね!」
ユウは泣きそうになりながら、それでもランタンモスを柵から引き離した。
十分に離れたところで、簡易ライトを地面に置き、自分はそっと後ろへ下がる。
ランタンモスはライトの周りをぐるぐる回っている。
《注意誘導:成功》
戦わなくてもいい。
倒さなくてもいい。
FoFのクエストは、目的をちゃんと読む必要がある。
このクエストの達成条件は、ロットを守り、柵を直すこと。
魔物を全滅させることではない。
ユウはようやくそれを理解し始めていた。
◇
《修理進行度:68%》
半分は超えた。
だが、ユウの状態はかなり悪かった。
HP:67 / 100
ST:18 / 46
MP:30 / 30
《ST最大値低下:軽度》
《恐怖蓄積:小》
ST:18 / 46
MP:30 / 30
《ST最大値低下:軽度》
《恐怖蓄積:小》
「休みたい……」
ユウは柵の内側に戻り、膝に手をついた。
ロットが作業しながら言う。
「無理するな。そこに座って息を整えろ」
「でも見張りが」
「見張りが倒れたら意味ねえだろ」
正論だった。
ユウは柵の支柱にもたれて座った。
STが少しずつ回復していく。
ただし、最大値は戻らない。
休めば現在値は戻る。
でも、無理で削れた最大値は簡単には戻らない。
FoFの疲労は、ただのゲージではなかった。
「これ、長時間探索する人すごいな……」
「慣れた開拓者は飯を食うし、荷物を減らすし、無駄に走らねえ」
「飯」
ユウはそこで気づいた。
初期支給品に携帯食があったはずだ。
端末を開く。
《初心者用携帯食》
効果:ST回復速度を短時間上昇。
備考:味は期待しないでください。
効果:ST回復速度を短時間上昇。
備考:味は期待しないでください。
「備考が正直」
使う。
手の中に、固いビスケットのようなものが出てきた。
食べる。
「……うん」
味は期待しない方がいい。
だが、身体の奥が少し温まる感覚があった。
《ST回復速度上昇:小》
「アイテムも、飲んだ瞬間に数字だけ増える感じじゃないんだな」
ユウは、報酬でもらったアーケインエッセンシャルも確認した。
《アーケインエッセンシャル》
効果:HPを10回復。
使用条件:飲用動作完了。
注意:被弾・転倒時に使用が中断される場合があります。
効果:HPを10回復。
使用条件:飲用動作完了。
注意:被弾・転倒時に使用が中断される場合があります。
「飲用動作完了……」
つまり、戦闘中に雑に使うと失敗する。
回復アイテムすら、使うタイミングがいる。
ユウは小瓶の栓だけ緩めておき、すぐ使えるようにした。
そういう細かい準備が、この世界ではちゃんと意味を持つ。
たぶん、そういうゲームなのだ。
◇
次の異変は、音ではなかった。
匂いだった。
「……なんか、土臭い?」
湿った土の匂い。
草むらの奥から、ずる、ずる、と何かが這うような音がする。
ユウは立ち上がった。
ロットも木槌を止める。
「まずいな」
「まずいタイプですか?」
「たぶん、穴掘りだ」
「穴掘り?」
柵の外側の地面が、もこりと盛り上がった。
次の瞬間、小さな獣のようなモンスターが地面から顔を出した。
丸い鼻。
短い前足。
背中には石のような甲羅。
《ストーンモール》
《地中移動》
《柵を無視して侵入する可能性があります》
《地中移動》
《柵を無視して侵入する可能性があります》
「柵の意味!」
「だから厄介なんだよ!」
ストーンモールは、柵の下を掘って村の内側へ入ろうとしていた。
ロットが慌てて木槌を持つ。
だが、彼が作業を中断すれば修理進行が止まる。
《修理進行:停滞》
「俺がやります!」
「無理に倒すな! 穴を塞げ!」
「穴を!?」
ユウは一瞬固まった。
モンスターを見たら攻撃。
そう思い込んでいた。
だが、目的は侵入を防ぐこと。
相手が地面を掘ってくるなら、攻撃より穴を塞ぐ方が早いかもしれない。
ユウは周囲を見た。
壊れた柵材。
補修用の杭。
土嚢のような袋。
昼間、ただの背景だと思っていたものが、急に使えるものに見えてくる。
《周辺オブジェクト:使用可能》
《補修用土袋》
《重量:中》
《補修用土袋》
《重量:中》
「重そう!」
それでも持つ。
予想通り、身体が重くなった。
《装備重量増加》
《移動速度低下》
《移動速度低下》
ユウは土袋を抱え、ストーンモールが掘っている穴へ向かう。
ストーンモールが顔を出した。
鼻先でユウの足を突く。
《被弾》
《Damage:6》
《姿勢崩れ》
《Damage:6》
《姿勢崩れ》
「地味に痛い!」
ユウは土袋を落としそうになった。
踏ん張る。
体感コントロールの警告が出る。
《体感値上昇》
《転倒注意》
《転倒注意》
「ここで転んだら終わる……!」
ユウは走らない。
足元を見る。
一歩。
もう一歩。
ストーンモールがまた鼻先を出す。
ユウは土袋を穴の上へ落とした。
どさっ。
《侵入経路を一時封鎖しました》
《ストーンモールの進行が遅延》
《ストーンモールの進行が遅延》
「やった!」
しかし、ストーンモールは別の場所からまた掘り始めた。
「一回じゃ終わらない!」
「二つ目の袋、右だ!」
ロットが叫ぶ。
ユウは二つ目の土袋を取りに行く。
STが減る。
腕が重い。
HPも少しずつ削られている。
そこで、ユウは小瓶のことを思い出した。
アーケインエッセンシャル。
今ならまだ距離がある。
飲める。
ユウは土袋を置き、小瓶を取り出した。
栓を抜く。
飲む。
その間に、ストーンモールが顔を出す。
「待っ——」
鼻先が足に当たる。
《被弾》
《アイテム使用が中断されました》
《アイテム使用が中断されました》
「うそだろ!」
小瓶の中身が少しこぼれた。
《アーケインエッセンシャルの効果が低下しました》
《HP +6》
《HP +6》
「十回復じゃなくなった!」
FoFは厳しい。
いや、リアルと言えばリアルなのかもしれない。
飲んでいる途中に攻撃されたら、そりゃこぼれる。
ユウは半泣きになりながら、二つ目の土袋を抱えた。
ストーンモールが掘る。
ロットが修理する。
ユウが塞ぐ。
また掘る。
また塞ぐ。
戦闘というより、完全に夜間作業だった。
だが、柵の修理進行度は少しずつ上がっていく。
《修理進行度:82%》
「あと少し……!」
そのとき、ストーンモールが大きく身体を震わせた。
背中の石のような甲羅が淡く光る。
《ストーンモールが硬化行動に入りました》
《次の侵入行動が強化されます》
《次の侵入行動が強化されます》
「なにそれ!」
「放っておくと柵の下をぶち抜かれる!」
「倒すしかないやつですか!?」
「ひっくり返せれば、しばらく動けねえ!」
ひっくり返す。
ユウはストーンモールを見た。
丸い身体。
低い重心。
短剣で突いてもたぶん効きにくい。
弓でも厳しい。
じゃあ、どうする。
周囲を見る。
補修用の杭。
土袋。
壊れた柵材。
てこのように使えるかもしれない。
ユウは長めの柵材を掴んだ。
《即席道具:不安定》
《使用には体感判定が必要です》
《使用には体感判定が必要です》
「判定とか言うな!」
ストーンモールが地面を掘り進む。
ユウは柵材の先を、ストーンモールの腹側へ差し込んだ。
重い。
かなり重い。
STがごっそり減る。
《ST不足》
《動作失敗の可能性:高》
《動作失敗の可能性:高》
「ぬ、ぐ……!」
腕だけでは持ち上がらない。
背中。
足。
腰。
昼間、弓で言われたことを思い出す。
腕だけで動かすな。
ユウは足を踏ん張り、身体全体で柵材を押し下げた。
ぎし、と木がしなる。
ストーンモールの身体が少し浮く。
「ロットさん!」
「分かってる!」
ロットが木槌で地面を叩いた。
大きな音。
ストーンモールが驚いたように身を縮める。
その瞬間、ユウは力を込めた。
ごろん。
ストーンモールが裏返った。
《体感判定:成功》
《ストーンモールが転倒しました》
《行動不能:短時間》
《ストーンモールが転倒しました》
《行動不能:短時間》
「よし!」
ユウはその場に膝をついた。
STがほぼ空だった。
ロットはその隙に、最後の補強具を打ち込む。
コン。
コン。
コン。
最後の一打が、夜の空気に響いた。
《修理進行度:100%》
《東の柵の修理が完了しました》
《東の柵の修理が完了しました》
同時に、ストーンモールは地面へ潜り、村の外側へ逃げていった。
《ストーンモールが離脱しました》
《柵内への侵入を防ぎました》
《柵内への侵入を防ぎました》
ユウは、地面に座り込んだまま空を見上げた。
星が見えた。
すごく綺麗だった。
だが、それを味わう余裕はあまりなかった。
「……疲れた」
心の底から出た声だった。
◇
クエスト完了の表示が、遅れて開いた。
《突発系クエスト:夜の柵を直す者 を達成しました》
《報酬:45G》
《報酬:補修用ナイフ》
《レンジャー経験値 +18》
《短剣基礎経験値 +4》
《回避基礎経験値 +3》
《環境対応経験値 +5》
《村の安全度が上昇しました》
《NPC:ロットの信頼度が上昇しました》
《初期村 東小道の夜間情報が一部更新されました》
《報酬:45G》
《報酬:補修用ナイフ》
《レンジャー経験値 +18》
《短剣基礎経験値 +4》
《回避基礎経験値 +3》
《環境対応経験値 +5》
《村の安全度が上昇しました》
《NPC:ロットの信頼度が上昇しました》
《初期村 東小道の夜間情報が一部更新されました》
「環境対応経験値……」
戦闘だけではない経験値。
夜に動き、音を使い、光で誘導し、穴を塞いだ。
その全部を、FoFは経験として記録している。
ロットが工具袋を肩にかけ、ユウの隣に座った。
「助かった。正直、途中で逃げ出すと思ってた」
「俺も途中で逃げ出すと思ってました」
「逃げ出してもよかったんだぞ」
「え?」
ユウはロットを見る。
ロットは直したばかりの柵を見つめていた。
「無理だと思ったら逃げる。人を呼ぶ。朝まで待つ。柵の内側だけ守る。それも開拓者の判断だ。全部倒そうとして倒れるやつより、よっぽど頼りになる」
ユウは黙った。
たしかに、今回ユウは魔物をほとんど倒していない。
カーバンクルは逃がした。
ランタンモスも誘導した。
ストーンモールも倒していない。
それでもクエストは達成された。
守るというのは、倒すことだけではない。
FoFが少しだけ分かった気がした。
「TRustDiamondみたいな人たちって、こういうのも全部分かってるんですかね」
「さあな。ああいう大きな開拓者の集まりは、でかい戦いをするんだろう。けど、でかい戦いをするにも道がいる。飯がいる。修理する鍛冶屋がいる。夜に柵を直すやつもいる」
ロットは笑った。
「ターブルロンドへ続く街道だって、最初は誰かが小さな道を守ったんだろうよ」
「ターブルロンド……」
TRustDiamondの本部があり、団ノ子のギルドハウスもある街。
ユウにはまだ遠い場所。
だが、その遠い街へ続く道の端っこに、今自分はいる。
そう思うと、不思議と胸が熱くなった。
◇
村へ戻ると、家々の灯りはまだ少しだけ残っていた。
村長の家の前に、昼間の女の子が眠そうな顔で立っている。
「あ、地面好きな開拓者さん」
「その覚え方やめてもらえる?」
「柵、直った?」
「直ったよ」
「じゃあ、明日ヤギ逃げないね」
「たぶん」
女の子は嬉しそうに笑った。
ただそれだけ。
派手なファンファーレもない。
村人総出の感謝イベントもない。
でも、ユウはその笑顔だけで、やってよかったと思った。
端末が小さく震える。
《村の生活ログが更新されました》
《翌朝、家畜の脱走イベントが抑制されます》
《鍛冶見習いロットの作業予定が変更されます》
《東小道の安全度上昇により、行商人の到着確率が微上昇しました》
《翌朝、家畜の脱走イベントが抑制されます》
《鍛冶見習いロットの作業予定が変更されます》
《東小道の安全度上昇により、行商人の到着確率が微上昇しました》
「行商人……?」
さらに、マップの黒い部分がわずかに広がった。
《周辺情報が更新されました》
《東小道:夜間危険度を記録》
《東の森入口:存在を確認》
《交易路の断片情報:1 / 5》
《ターブルロンド方面の街道情報がわずかに開示されました》
《東小道:夜間危険度を記録》
《東の森入口:存在を確認》
《交易路の断片情報:1 / 5》
《ターブルロンド方面の街道情報がわずかに開示されました》
ユウは思わず息を呑んだ。
たったひとつの柵を直しただけ。
それなのに、遠い街へ続く情報が少しだけ開いた。
FoFの世界は、どうやらそういうふうにできている。
巨大なレイドを倒した人だけが、世界を進めるわけではない。
誰かが柵を直す。
誰かが鉱石を拾う。
誰かが夜道の危険を記録する。
そういう小さな行動も、世界の地図に薄い線を引く。
ユウはその線の上に、初めて立った。
◇
村長の家に戻ると、ログアウト用の安全エリア表示が出た。
《安全エリア内です》
《ログアウト可能》
《ログアウト可能》
今度こそ、ユウは迷わなかった。
体力も限界だった。
精神的にも、かなり疲れている。
「ログアウト」
《ログアウトしますか?》
【はい】 / 【いいえ】
【はい】 / 【いいえ】
今度は【はい】を選ぶ。
視界がゆっくり白くなる。
木の匂いが遠ざかる。
夜風の冷たさがほどける。
最後に、端末へ小さな通知が残った。
《本日の行動記録》
- 初期村で目覚めました。
- 基礎訓練を完了しました。
- 村外れの鉱石回収を達成しました。
- 夜の柵を直す者を達成しました。
- 東小道の夜間情報を記録しました。
《称号候補を検出》
逃げ腰の見張り番
条件:夜間クエスト中、敵を討伐せず複数回の誘導に成功。
効果:なし。
備考:逃げ腰でも、守れるものはある。
逃げ腰の見張り番
条件:夜間クエスト中、敵を討伐せず複数回の誘導に成功。
効果:なし。
備考:逃げ腰でも、守れるものはある。
「称号名、もうちょっとなんとかならない?」
ユウの抗議は、白い光の中へ消えていった。
◇
現実のコネクションシートで目を開けたとき、部屋は静かだった。
身体は動く。
現実の腕。
現実の足。
痛みはない。
けれど、妙に疲れていた。
ユウはしばらく天井を見上げたまま、動かなかった。
動画で見たFoFは、もっと派手だった。
TRustDiamondの攻城戦。
大規模レイド。
魔法と剣が飛び交う戦場。
きっと、あれもFoFだ。
でも、自分が今日体験したFoFは、まったく違っていた。
起き上がりに失敗するFoF。
短剣で転ぶFoF。
弓を外すFoF。
小型モンスターに怯えるFoF。
夜の柵を直すNPCを、必死に守るFoF。
そして、その小さな行動に世界が反応するFoF。
「……面白いな」
声に出すと、少し笑ってしまった。
うまくいったから面白いのではない。
うまくいかない理由が、ちゃんと世界の中にあるから面白い。
知らないことがある。
試すことがある。
間違えることがある。
そして、間違えた結果すら、次の一歩につながっている。
ユウは端末でFoFのプレイログを確認した。
最後のマップ更新に、まだ見ぬ文字が浮かんでいる。
《東の森入口》
《交易路の断片情報:1 / 5》
《行商人の到着確率:微上昇》
《交易路の断片情報:1 / 5》
《行商人の到着確率:微上昇》
ターブルロンドは遠い。
団ノ子のギルドハウスも、TRustDiamondの本部も、まだ地図の向こう側だ。
そこにたどり着く日は、ずっと先かもしれない。
けれど、その道の最初の情報を、今日ひとつだけ開いた。
ユウは小さく息を吐いた。
「明日は、ちゃんと準備してから行こう」
初心者にしては、かなり大事な学びだった。
もっとも、そう言っている人間ほど、次の日もだいたい何か忘れる。
それもまた、開拓者の第一歩なのかもしれない。