セフィロト と セフィロトの樹 と 生命の樹 の簡単な解説
まず簡単な前提
生命の樹はキリスト教の言う「旧約聖書」に出てくる用語
「旧約聖書」は元々ユダヤ教の「聖書」のこと
ここでは便宜上「旧約聖書」と書きますよ
そしてカラバとはユダヤ教の思想の一派のこと
宗派とはちょっと違うけれど、宗派だと思っても大きく違いはない
カラバは旧約聖書を研究して、解釈や注釈を色々つけた
このカラバはキリスト教の神学者に強い影響を与えた
ここから本題
旧約聖書に出てくるのは「生命の樹」
英語では「Tree of Life」と書く
エデンの園に「知恵の樹」と共に植えられていた樹
生命の樹と知恵の樹には実がなっており
知恵の樹の実を食べると「神と等しき善悪の知識」を得るとされ
生命の樹の実を食べると「神に等しき永遠の命」を得るとされる
アダムとイブは知恵の樹の実を食べたので
エデンの園を追放されたが
生命の樹の実も食べるところだったらしい
創世記3章22節にはこう書いてある
主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。
カバラでは世界の創造とは神「アイン・ソフ」から聖性が流出する過程として考えられており
創造された世界とは聖性が様々な形を採ったものとする
そしてこの神「アイン・ソフ」から流出する聖性そのものを指して「セフィロト」と形容している
実際には「セフィロト」単体では表現されておらず
後述の「セフィロトの樹」などの用語から逆説的に辿ることによって意味を知ることが出来るもの
カバラで神「アイン・ソフ」から流出した聖性が
どのように世界を形作っているのかを理解しようとした
それを図式化したものがセフィロトの樹と呼ばれるもの
つまり「セフィロトの樹」とは「世界の概念」「世界の組成」そのものを指す
セフィロトの樹の図には2種類ある
1つは
10個のセフィラ(円)と22本のパス(線)からなる図形的なもの
伝統的なカラバの解釈を元にしており
だいたいセフィロトの樹と言うとコレをイメージする
もう1つは
大樹の形をしていて
各部に実のような円がつき、根が羽根のような形になっているもの
これは16世紀のルネッサンス期イギリスの神秘学者ロバート・フラッドが考案した図
天に根を張り、地に枝を伸ばす「倒立した樹」となっている
どちらもセフィロトを理解するために
本来描くことの出来ないものを描こうとしたものなので
図の形式は違っても同じものを指している
カバラでは神は「アイン・ソフ」であり
「アイン・ソフ」とは無限を意味する言葉である
また生命の樹は神と同等の永久の命、つまり無限を意味している
ただどちらかと言えば生命の樹すら神の一部であるかのような感じ
カバラの表現する無限とはまさに限りのないことであり
神の聖性(セフィロト)とは神そのものの一部であると考える
神の聖性が流出して構築されたこの世界は神そのものの一部であると考える
そしてその神の無限を意味するものは生命の樹なので
世界の概念を意味するセフィロトの樹と生命の樹は同一になるという考え方
本来は「生命の樹=セフィロトの樹」は
カラバの解釈に依るものなのだが
いつのまにか一般化しているようである
非常に簡略化して解説しているし
管理人自身がとても理解しきれていないことなので
間違ってたらごめんなさい
あと、自分でがんばって調べてください
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