ゼロの調律



漂う空気に乗せられている、肺の中にこびりつく様な生臭さと鉄臭さ。
壁や床の上をコーティングしている、焼け焦げた肉とも泥々と溶けかかった粘膜とも付かない質感を施した、正体不明の赤黒い汚れ。
静寂だけが支配する筈の空間に時折聞こえてくる、亡者達が獲物を求めてさ迷い歩く足音と呻き声。
思わず鼻を覆いたくなる様な。目を背けたくなる様な。耳を塞ぎたくなる様な。
立ち入る者の心の内を不快と不穏で彩る、その裏返った世界では最早ありふれているとも言えるのに、誰もが決して馴染む事のない光景。

その一部と化しているラクーン大学エントランスホールに、血溜まりの中、うつ伏せに倒れた一人の少女の肉体がポツンと残されていた。
身体にくっついている事が不思議な程、千切れかかっている左腕。
元よりはみ出していた状態で這いずり回ったせいで、余計に床に擦りつけられ引き摺り出されたピンク色の腸。
最後に獲物を掴み取ろうとした為か、爪の剥がれかかっている右腕は前方に伸ばされたまま床の上に落とされており、白く濁りを見せた目の上には二つの小さな風穴が開いていた。
レオン・S・ケネディによって射殺された、ゾンビと化した一人の少女、雛咲深紅の肉体だ。

彼女の肉体は既に死体。その身体には、魂は存在しない。
この町に迷い込み、この町の中で命を落とした、この町に『呼ばれし者』達――――それは、名簿に載っている者、載っていない者を問わず、だが。
『今の』サイレントヒルにおいて彼等の魂、精神は、『澱み』に取り込まれる運びとなっている。
そして、その魂が『澱み』から出て来る事は、日野貞夫の持つ鏡石の異例を除いては有り得ない事。
そう、それには只一人の例外も無い。決して有り得ない事なのだ――――。





ゆらりと、横たわる雛咲深紅の身体に触れる何かがあった。
それは、誰の目にも決して映らない力だった。
いつの間に触れたのかも、何処から近づいたのかも、誰も知る事はない。
緩やかに、静かに、しかし、確かな強さを持って存在する奇妙な力。
何者にも捉えられず、認識もされない。理解出来るのは、その力が生み出した後の結果だけだ。



――――人々の潜在意識を反映し、具現化する、サイレントヒルの町そのものの性質――――



その力に触れられた雛咲深紅の身体から、一つのエネルギー体が立ち昇る。
それは、雛咲深紅本人の身体に残る魂の残滓から創り上げられたもの。
ともすればそれは、幽霊、と呼ばれる存在に見えるだろう。
厳密に言えばそうではない。雛咲深紅の霊魂は既に『澱み』に囚われているのだから。
言うなればそれは、かつてのサイレントヒルでジェイムス・サンダーランドの精神より生まれたレッドピラミッドシングやバブルヘッドナース、或いはマリアに近しい存在。
町の力が何者かの精神を反映し、生み出したのは、憐れな意識と魂の分身達。
元となる精神が、雛咲深紅や雛咲真冬氷室霧絵のものなのか。それとも別の誰か――――この町に既に囚われている何者かのものなのか。そこまでを特定出来る者は誰もいないが。
雛咲深紅達が住まう世界での“ありえないもの”とされる存在が、このサイレントヒルの世界でも生み出される理由がそれなのだ。
そしてそれ故に、雛咲深紅達の知る“ありえないもの”とは若干の差異も生じてしまっているのだが。







ジェニファー・シンプソンが心を痛めて、鷹野三四が僅かな好奇心を覗かせて、雛咲深紅の死体の横を通り過ぎた時。
誰にも聞かれる事のない形にならない安堵の呟きが、エントランスホール内に溶け込む様にして消えた。
『深紅』は儚げな笑みを浮かべて、胸を撫で下ろしていた。
死に際の彼女が心配していた事――――ジェニファーの安否を確認出来たから。
ジェニファーを手助けしてくれる協力者も出来た様子だから。
しかし、気がかりが全て無くなった訳ではない。
今の『深紅』の思い残したもの。それはあのホテルでの事だ。

あの不思議な感覚を覚えた一室。
あの部屋で唯一動かす事の出来た日記から読み取れた二人の少女の、一つの想い。
深紅の真冬への想いを膨れ上がらせ、そのまま彼女の脳裏に焼き付いた故にこうして『霊体』となった今も気にかける事の出来るあの想い。

父親への、思慕。

ハリー・メイソンという男性。
その娘と思われる二つの姿を見せた少女。
イメージの中にもあった霧の町。
あのホテルには必ず何かがある筈。
それは、この町との関係も隠されているのかもしれない。
誰かに伝えなくてはならない。
『地縛霊』と化してしまった為、『深紅』は最早ここから動く事は出来ないが。
どうにかして誰かに伝えたい。
あの想いを、伝えなくてはならない。


誰かに。


誰かに――――。







◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


研究所――――地図上ではそう表記されていた筈の区域内の棟。
広々として殺風景なエントランスホールで四人を出迎えたのは、一人の少女の死体だった。
年の頃は、十五、六だろうか。まだ中高生だと思われる。
左腕は千切れかけ、腸は跳び出している上に、額には銃痕まで残された無残な死に方。
三沢は推察する。彼女もまた、『あっち側』に行ってしまった為に生き残りの誰かに殺されたのだろうと。
ゾンビの様な連中は銃を使わない。また、三沢の知る限りの、ではあるが、銃を扱う化け物共に殺されたのなら彼女も奴等の仲間入りをしている筈。
それが、理由だ。
見い出せた期待を一笑するかの様に現れた惨劇。
ロッキーのテーマを口ずさんでいたジムも気が滅入ってしまったらしく、少女を見るなり歌を止めてしまっていた。

「……ジム。それで、どっちに行けばいいの?」
「あ、ああ。……こっちだよ。ついてきな」

ジルの促しにより、重い空気の漂う場で三人が動き出す。
出来る事をやる。
まだ十代の子供であろうと、死に様が憐れであろうと、死者にかまけてはいられない。それは三沢も正しい選択だと考える。
そういった判断が下せるのは彼女がそれなりに修羅場をくぐり抜けている事の証明だ。
永井頼人とそうは変わらぬ年齢だろうに、やはり国柄というものか。
入り口から左側にあった通路に入ったジムの後を、ジル、須田の二人が続いた。

動かないのは、三沢のみ。
三沢は一人、この場に来た時からジム達には聞こえない声を――――目の前で死んでいる少女の霊体の声を聞いていた。
これは悪夢や幻覚ではない。しかし、化け物の様な敵意や害意は一切感じられない、三沢も初めて見る種類の『あっち側』の存在。
少女が訴えかけている必死の想いを、三沢は確かに感じ取っていた。

“南のホテルへ” “あの部屋の少女” “ハリー・メイソン” “彼の……こども……?”

高ぶっている感情を吐き出す様に、繰り返されている四つの言葉。
そこに何かがあるというのか。ハリー・メイソンとは警察署で出会った男の事なのか。
彼の子供とは、シェリル・メイソンを指しているのだろうか。
疑問は浮かぶが、何だそれはと問い掛けようとも、少女の霊はただ繰り返すのみ。

「南のホテル、か」

確認するでもなく、ぽつりと呟いて。
三沢は身体を返して少女に背を向けた。
少女はいつまでも、ただ言葉を繰り返していた。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


ジムが言うには、細い通路の突き当たりにはエレベーターがあり、ウィルスのワクチンを作る為にはそれで三階に行かねばならないらしい。
まずはそのワクチン精製の機械が存在しているかどうかを確認しなければ始まらない、との事だ。
仮に材料が揃おうとも、その機械がなければワクチンは作れないのだから、言わんとする事は恭也にも分かる。

「あれ、ミサワはどうしたんだ?」

それはそれとして最初に生じた問題は、この僅かな移動の中でも三沢がただ一人ついてきていないという事だった。

「え……? あ、俺見てきます」
「おいおい、頼むぜ、まったくさ」

二つの溜息を背中で聞き、恭也は早足で短い一本道を戻る。
エントランスホールに入れば、果たして三沢は未だ少女の死体の前に立ち尽くしていた。

「三沢さん。あの……もう行かないと。みんな待ってますよ」

声をかけるが、反応はない。
恭也の声が聞こえない程に少女の死を悼んでいるのか。しかし、そういう感じにも思えない。
訝しげに首を傾げる恭也が気付いたのは、三沢の視線だ。
三沢は少女の死体の前に立ちながらも、死体そのものを見ている訳ではないのだ。
彼の視線は、虚空の一点を凝視している様に止まっている。
恭也もそちらを見やるが特に目立つものは無い。一体、何を見ているのか。

「三沢さん?」

やはり返事はない。
三沢が何を見ているのか。それを再度意識した瞬間、恭也の視界が若干の乱れを帯びた。
唐突に飛び込んできた映像に、僅かに呻きながらも恭也は――――それを見た。

(な、なんだ、これ……?)

死体となって床に倒れている少女。その上に立つ、色褪せた彼女の姿を。
そして聞いた。
南のホテルへ。あの部屋の少女。ハリー・メイソン。彼の子供。
何度も何度も、ただその四つの言葉だけを繰り返す、彼女の声を。

「っはぁ……」

吐息と共に幻視を解く。
慌てたように少女の死体を確認するが、彼女の姿などは何処にも見えやしない。
しかし死体の位置からしても、今のは、間違いなく三沢の見ていた映像だ。
今のは、幽霊というやつなのだろうか。いや、そうとしか思えないのだが。
率直に言えば奇妙な男だとは恭也も思っていたが、まさかそんなものが見えていようとは――――。

「南のホテル、か」

二度の呼び掛けにも無反応だった三沢が口を開き、ぼそりと呟いたのは、幻視の中の少女が散々繰り返していた単語の一つ。
振り返った三沢が、漸く恭也に目を向けた。

「どうした?」
「いや、どうしたって……今“視えてた”のって……本物の幽霊なんですか?」
「さあな」

それだけを残すと三沢は恭也の横を通り、エレベーターへの通路へと入っていく。
おせえよ、とのジムの悪態が聞こえてきた。二言三言、ジムはそのまま騒がしく喚いている。
恭也もそのまま戻ろうとして――――ふと足を止め、少女の死体を見返した。
他に何も見えないその場所に、儚げに立つ少女の姿が思い出される。
今も少女はあの言葉を繰り返しているのだろうか。
“視える”者にしか映らない姿で。“聴こえる”者にしか届かない声で。
まっすぐと、恭也を見つめて――――。

背筋に寒いものが走り、恭也は小さく身震いをした。


【Dー3/研究所(ラクーン大学)・1階エレベーター前通路付近/二日目黎明】


【三沢 岳明@SIREN2】
 [状態]:健康(ただし慢性的な幻覚症状あり)
 [装備]:89式小銃(30/30)、防弾チョッキ2型(前面のみに防弾プレートを挿入)
 [道具]:マグナム(6/8)、照準眼鏡装着・64式小銃(8/20)、ライト、64式小銃用弾倉×3、精神高揚剤
     グロック17(17/17)、ハンドガンの弾(22/30)、マグナムの弾(8/8)
     サイドパック(迷彩服2型(前面のみに防弾プレートを挿入)、89式小銃用弾倉×5、89式小銃用銃剣×2)
 [思考・状況]
 基本行動方針:現状の把握。その後、然るべき対処。
 0:「南のホテルへ、あの部屋の少女、ハリー・メイソン、彼のこども」か……
 1:民間人を保護しつつ安全を確保
 2:どこかで通信設備を確保する
 ※ジルらと情報交換していますが、どの程度かはお任せします。


【須田 恭也@SIREN】
 [状態]:健康
 [装備]:9mm機関拳銃(25/25)
 [道具]:懐中電灯、H&K VP70(18/18)、ハンドガンの弾(140/150)、迷彩色のザック(9mm機関拳銃用弾倉×2)
 [思考・状況]
 基本行動方針:危険、戦闘回避、武器になる物を持てば大胆な行動もする。
 0:今の……幽霊?
 1:この状況を何とかする
 2:自衛官(三沢岳明)の指示に従う
 ※少女(深紅)の地縛霊の言葉を、三沢への幻視を通して聞きました。


ジル・バレンタイン@バイオハザード アンブレラ・クロニクルズ】
 [状態]:疲労(中)
 [装備]:レミントンM870ソードオフVer(残弾6/6)、ハンドライト、R.P.D.のウィンドブレーカー
 [道具]:キーピック、M92(装弾数9/15)、M92Fカスタム"サムライエッジ2"(装弾数13/15)@バイオハザードシリーズ
     ナイフ、地図、携帯用救急キット(多少器具の残り有)、ショットガンの弾(1/7)、グリーンハーブ
 [思考・状況]
 基本行動方針:救難者は助けながら脱出。
 1:ワクチンを入手する
 ※闇人がゾンビのように敵かどうか判断し兼ねています。
 ※幻視についてある程度把握しました。


ジム・チャップマン@バイオハザードアウトブレイク】
 [状態]:疲労(中)
 [装備]:89式小銃(30/30)、懐中電灯、コイン
 [道具]:グリーンハーブ×1、地図(ルールの記述無し)
     旅行者用鞄(26年式拳銃(装弾数6/6 予備弾4)、89式小銃用弾倉×3、鉈、薪割り斧、食料
     栄養剤×5、レッドハーブ×2、アンプル×1、その他日用品等)
 [思考・状況]
 基本行動方針:デイライトを手に入れ今度こそ脱出
 1:ワクチンを入手する
 2:死にたくねえ
 3:緑髪の女には警戒する
 ※T-ウィルス感染者です。時間経過でゾンビ化する可能性があります。



※『呼ばれし者』の魂は『澱み』に囚われる為、浮遊霊化、地縛霊化、怨霊化等の現象で生まれるクリーチャーは魂とは違う存在(岩下明美の例を出すと魔力の塊)とします。
※この場合の『呼ばれし者』の浮遊霊等は、性質としては零のそれと殆ど変わらないものとします。
 それ故、本来の霊への対抗手段である射影機裂き縄等でも封印は可能です。
※これに伴い、『呼ばれし者』以外の幽霊(氷室邸から発生した浮遊霊等)は、本来の霊魂の存在である故に魔力の塊では無い事とします。
※流行り神の『死者の霊魂』化につきましても、こちらの設定を当てはめさせて頂きます。
※裏世界での研究所の破壊痕が、サイレン後の表世界に影響しているかどうかは後続の方に一任します。




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最終更新:2016年03月13日 15:32