atwiki-logo
  • 新規作成
    • 新規ページ作成
    • 新規ページ作成(その他)
      • このページをコピーして新規ページ作成
      • このウィキ内の別ページをコピーして新規ページ作成
      • このページの子ページを作成
    • 新規ウィキ作成
  • 編集
    • ページ編集
    • ページ編集(簡易版)
    • ページ名変更
    • メニュー非表示でページ編集
    • ページの閲覧/編集権限変更
    • ページの編集モード変更
    • このページにファイルをアップロード
    • メニューを編集
    • 右メニューを編集
  • バージョン管理
    • 最新版変更点(差分)
    • 編集履歴(バックアップ)
    • アップロードファイル履歴
    • ページ操作履歴
  • ページ一覧
    • ページ一覧
    • このウィキのタグ一覧
    • このウィキのタグ(更新順)
    • このページの全コメント一覧
    • このウィキの全コメント一覧
    • おまかせページ移動
  • RSS
    • このウィキの更新情報RSS
    • このウィキ新着ページRSS
  • ヘルプ
    • ご利用ガイド
    • Wiki初心者向けガイド(基本操作)
    • このウィキの管理者に連絡
    • 運営会社に連絡(不具合、障害など)
harukaze_lab @ ウィキ
  • ウィキ募集バナー
  • 目安箱バナー
  • 操作ガイド
  • 新規作成
  • 編集する
  • 全ページ一覧
  • 登録/ログイン
ページ一覧
harukaze_lab @ ウィキ
  • ウィキ募集バナー
  • 目安箱バナー
  • 操作ガイド
  • 新規作成
  • 編集する
  • 全ページ一覧
  • 登録/ログイン
ページ一覧
harukaze_lab @ ウィキ
  • 新規作成
  • 編集する
  • 登録/ログイン
  • 管理メニュー
管理メニュー
  • 新規作成
    • 新規ページ作成
    • 新規ページ作成(その他)
      • このページをコピーして新規ページ作成
      • このウィキ内の別ページをコピーして新規ページ作成
      • このページの子ページを作成
    • 新規ウィキ作成
  • 編集
    • ページ編集
    • ページ編集(簡易版)
    • ページ名変更
    • メニュー非表示でページ編集
    • ページの閲覧/編集権限変更
    • ページの編集モード変更
    • このページにファイルをアップロード
    • メニューを編集
    • 右メニューを編集
  • バージョン管理
    • 最新版変更点(差分)
    • 編集履歴(バックアップ)
    • アップロードファイル履歴
    • ページ操作履歴
  • ページ一覧
    • このウィキの全ページ一覧
    • このウィキのタグ一覧
    • このウィキのタグ一覧(更新順)
    • このページの全コメント一覧
    • このウィキの全コメント一覧
    • おまかせページ移動
  • RSS
    • このwikiの更新情報RSS
    • このwikiの新着ページRSS
  • ヘルプ
    • ご利用ガイド
    • Wiki初心者向けガイド(基本操作)
    • このウィキの管理者に連絡
    • 運営会社に連絡する(不具合、障害など)
  • atwiki
  • harukaze_lab @ ウィキ
  • 悪伝七

harukaze_lab @ ウィキ

悪伝七

最終更新:2019年10月27日 01:21

harukaze_lab

- view
管理者のみ編集可
悪伝七
山本周五郎

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)谷屋《たにや》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)屋|伝七《でんしち》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「木+兌」、第3水準1-85-72]
-------------------------------------------------------

[#8字下げ]一[#「一」は中見出し]

「谷屋《たにや》氏、一本参ろう」
 道具を脱ろうとしていた谷屋|伝七《でんしち》は、そう声をかけられて振返った。
「いざ――」
 と寄って来たのは市島三千馬《いちじまみちま》である、誰か他の者とならよいが三千馬ではしようがない。
「いやもう疲れた、今日は止めだ」
「意気地のないことを云うな、五本や六本の稽古で疲れるやつがあるか、さあ参ろう」
「明日にしてくれ、何しろ……」
「ぐずぐず云わずに来いよ」
 三千馬は寄って来て面垂《めんだれ》をぐいと引いた。
「よせ、痛いではないか」
「痛かったら仇を取る気で来い、そんな弱いことでは藤緒《ふじお》どのの婿にはなれぬぞ」
「な、何をばかな……」
 伝七は思わず顔を濃くした。藤緒というのはその道場の主|大貫太兵衛《おおぬきたへえ》の一人娘で、かねてから伝七が心ひそかに想い焦れている相手であった。
「元気を出せ、ゆくぞ!」
 三千馬はとび退って竹刀《しない》を構えた、しかし伝七は慌てて面を脱ぎ、
「いやだ、今日はどうしても御免だ」
「おい谷屋卑怯だぞ」
「稽古ではないか、やれやれ」
 居合せた連中が面白そうに囃したてるので、伝七はこそこそ隅のほうへ引込み、手早く道具を脱ってしまった。
「ちぇっ、しようのない……」
 三千馬は美しい眉を顰《しか》めて舌打をした、「それでは何のために道場へ来るのか分らないではないか、いったい貴公は自分の名札がどの辺をうろついているか知っているのか、――少しは恥しいということを知るがよい」
 しかし伝七は聞えないふりをして道具を片付けると、みんなの罵り嗤《わら》う声をうしろに、まるで逃げるように道場からとび出した。
「なんだ三千馬の野郎、みんなの前で藤緒さんのことなど云やあがって、自分がちょっとばかりできるもんだから威張っていやがる、――へん豆腐の化物め!」
 外へ出るといまいましそうに唾《つば》をした。
 実に生れあわせほど悲しいものはない、伝七は幼い頃から学問もできず、武芸も何ひとつ上達しなかった。顔の色は黒いし、体つきは不恰好だしおまけに口下手ときている、――家柄は代々の老職で八百石余り、二男坊だが才能さえあれば出世の途に不足はない、それなのにてんでその才能に恵まれていないのだ。
 それに反して三千馬はどうだ、彼はまた家中まれにみる才物である、学問では藩校の首席を通したし、武芸では大貫道場で十九歳から代稽古を許され、現にまだ二十五歳の若年ながら国表金穀元締方勤めという、出頭の役に摺《ぬきん》でられている。家は徒士《かち》で百五十石足らずの小身だが、三千馬の将来はすでに輝かしく約束されている。しかも――なおそのうえに、色が白くて眉眼秀で、まるで歌舞伎役者のように美男なのだ、家中の娘たちや城下の女どもまで、三千馬の通る姿をみつけると胸をときめかせながら秋波を送るという、すばらしい人気をもっていた。
「とても三千馬には敵わない」
 伝七は幼い頃からそう諦めていたのである。――なにしろ子供の時分から、相手は遊び仲間の牛耳をとるほうだし、彼はいつも、
「なんだ、谷屋の木偶《でく》の坊か」
 という扱いを受けていた。父親や兄の伝市郎《でんいちろう》でさえ、ことごとに白い眼をして、
「何をうろうろ致しおる、白痴《たわけ》者め」
「谷屋家の面汚しだぞ伝七」
 などと呶鳴りつけるばかりだった。
 非凡な人物なら知らぬこと、こんな境涯にあっては普通の者ではたいていくさる――、始めのうちこそなにくそと負けぬ気を起してもみたが、持って生れた無能が自分にも分ってくると、やがてはそれも馬鹿げてきて、
 ――まあいいや、どうにでもなれ。
 と観念してしまうようになっていった。
 ところが、その悲しき諦めのなかに、まったく思いがけぬ渦が巻起ったのである、――それは恋であった。伝七は大貫道場の娘藤緒に、命までもと心を焦し始めたのであった。
 伝七は苦しんだ。
「……おれのような木偶の坊が、いくら恋焦れたところでしょせん想いの適うことはあるまい、思い切らなくてはならぬ」
 何度そう思ったか知れない。しかし恋の力ほど不思議なものはなかった、諦めようとすればするほど、夢に現《うつつ》に藤緒の姿がちらついて離れず、騒ぎたつ血はどう抑えようもないのだ。――久しく覗きもしなかった道場へ、近頃また伝七が通い始めたのも、じつはその恋が惹き寄せるのであった。


「伝さん、谷屋の伝さん」
 呼ばれて振返ると、忠太郎《ちゅうたろう》である。
「忠公か」
「久しく鼬《いたち》の道じゃあねえか」
「いま訊ねようと思っていたところだ」
「そうか、そりゃあちょうどよかった」
 忠太郎はもと呉服町の唐物屋の伜で、伝七や三千馬とは幼い頃の喧嘩友達であった。――その後身を持崩して無頼《やくざ》の仲間に入ったが、いまだに三下奴で、これも伝七と同様いつまでも※[#「木+兌」、第3水準1-85-72]《うだつ》の上らぬ男である。けれど……伝七にとってはまたとない友達で、冷い世間にこの男だけは伝七の気持をよく知っていてくれた。悲しみにつけ、腹の底を割って話のできるただ一人の相手である。
 お大工町の裏に長屋の一軒を借りて、忠太郎は荒涼たる独り暮しをしていた。――埃だらけのひと間へ、遠慮いらずにあがりこんでどっかり坐った伝七、
「ああ――」
 と刀を投出して、
「ここへ来ると骨まで伸びるぜ」
 肩をゆりながら、言葉までが急に楽々となった。
「伝さんが来るだろうと思って、良い酒をもらったのを取っておいた、やはりおらあおめえと呑む酒でなけりゃあ旨《うま》くねえ」
「そいつはありがたいな、じつは相談があって来たんだが、素面《しらふ》じゃあ云いにくいことなんでちょうどいい、一杯御馳走になってからにしよう」
「素面で云いにくいたあ……女出入か?」
「馬鹿な、まあいいや、後でゆっくり話すから――手伝おうか?」
「お客は黙って見ていねえよ」
 忠太郎が手まめに動いて、間もなく塗の剥げた八寸の膳を据え、焼いた千物を肴《さかな》に、盃の取り遣りを始めた。
「伝さん、おめえこの頃三千馬に会うか」
「三千馬? ――うん」
「会うどころか、たった今ひどいめにあってきたところだ」
「あいつぁおめえ大したやつだぜ」
「――どうして」
「こないだある筋からばれ[#「ばれ」に傍点]てきたんだが、ひでえ御乱行なんだ、茶屋の女を手馴づけたり芸者とできたり、それからおめえ後家さんをひっかけたり、まるで――」
「忠公、そりゃあ蔭口というもんだ、蔭口はいけねえぞ蔭口は」
「だって証拠があるんだぜ」
 忠太郎は酒を呷って、
「きゃつだっておめえ、昔やあ棒千切を持って喧嘩した仲間だ、厭な噂が立ちゃあ心配もすらあな――ところがあの三千馬ときたら、この頃あ途中で会ってもこの蟲螻蛄《むしけら》がってな面あしやがる」
「若手の出世頭だ、しようがねえさ」
「その出世頭が怪いものよ、綺麗な顔はしているが、ひと皮剥げばどんなぼろが出るか知れたものじゃあねえ、何しろ御勤役のお手当ぐれえであんな真似ができるはずあねえ」
 金穀元締方を勤める者は、御用商人たちと酒席をともにするのも仕事のひとつで、あえて珍しいことではなかったし、美男で知られた三千馬がそのあいだに多くの女たちと馴染を作ったとしても、また人間としてやむを得ないことではあるまいか。――反感はもちながら、三千馬の偉才に心から敬服していた伝七は、そんな悪評さえ三千馬の偉さを裏書きするかに思えるのであった。
「おらあ昔っからあの野郎が気に喰わなかった。あいつにゃひとつとして正真正銘というところがねえ」
「また十八番《おはこ》か」
 正真正銘は忠太郎の口癖である。
「頭から足の爪尖まで才気の固りで、どこを叩いても本音というものが出ねえ、こいつぁ人間が真当でねえ証拠だぜ、――三千馬の野郎きっと賄賂《まいない》でも取込んでいるに違えねえ、おいらあそう睨んでるんだ」
「そんな馬鹿なこと云うものじゃあねえ、癪なやつだが三千馬は家中随一の利け者だ、出る杭は打たれると云って、世間の噂なんざあ何を云うか知れたものじゃあねえ――まあいいや、三千馬の話なざあよしにしよう」
「おっとそれで思出した、おめえ何か相談があるって云ってたじゃあねえか、何だ」
「うん……」
 伝七はひょいと眼を外らして、
「まあ、もう少し酔おう」

[#8字下げ]二[#「二」は中見出し]

「笑わずに聞いてくれ、じつはなあ――、おいらあ女に迷っちまったんだ」
 酔いが出て、すっかり楽になった気持で伝七は切出した。
「伝さんだって男だ、女に迷ったからってべつに不思議じゃあねえ」
「だが相手によらあ」
「誰だい――相手ってえのは」
「笑っちゃあいけねえぜ」
「友達の相談を聞いて笑うやつがあるかい」
「じゃ云うが、大貫道場の娘だ」
 忠太郎は思わず唾をのんで唸った。――大貫道場の藤緒といえば弓町きって評判の美人、いやこの城下で何人と指に折られる娘だ。
「おいらあ諦めようとしてずいぶん苦しんだ、分るだろう忠公――無芸鈍才のおいらが、選りに選ってあの娘に惚れるなんて、人が聞いたら好いお笑種だろう、けれどもおいらにとっては命懸けなんだ、どうしても忘れることができねえ、苦しいんだ、辛いんだ……」
「――おめえ」
 と云ったが、忠太郎はぐっと言葉をのんだ、世間広しといえども、いま伝七の苦しい気持を、本当に察してやれる者は忠太郎一人だ。
「よく打明けてくれた、伝さん」
 忠太郎は鼻頭をこすって、「男が惚れるならそこまでいかなくちゃあ嘘だ、おいらあ気に入ったぜ」
「諦めろと云ってくれ」
「ばかな、男が性根から惚れた、これこそ正真正銘、男の本音だ。立派なものだぜ伝さん、かまわねえから当ってみねえな」
「――どうしろって?」
「親爺に当るんだ、大貫太兵衛に直談判とやらかすんだ、何の遠慮があるものか、おめえは御二男でも榊原家御老職の御子息様、相手はたかが町道場の娘じゃあねえか、度胸をきめてぶつかってみねえな」
「忠公……それを本気で云ってくれるか」
「おいらあおめえの友達だぜ」
 伝七はじっと相手の顔をみつめていたが、やがてこくりと頷いた。
「じつはおいらもそうしようかと思っていたんだ、けれども自分独りじゃ踏切がつかねえから、おめえの意見を聞きに来たんだ、――どっちにしてもこのまま苦しんでいるより、駄目なら駄目とはっきりさせてえのよ」
「始めから駄目ときめるやつがあるものか、男は度胸だ、必ずうんと云わせる気で堂々とやってみねえ、後にゃあ忠太郎が控えている」
「よし、おらあきっとやってみせるぜ」
 伝七は元気に膝を叩いて云った。
 そう心をきめてみると、何だか急に運がひらけてきそうに思えた。忠太郎と別れて家へ帰ると、父や兄の眼を避けてそっと自分の部屋へ入り、蒲団を頭から引被ってその夜は寝たが、――さてどういうふうに太兵衛へ持込んだらよいか、かれこれと考えるうちに四五日経った。
「こいつはいけない、こんなことをしているとまたずるずるべったりになってしまうぞ、――男は度胸だ、玉砕の覚悟でやっつけよう」
 一世一代の度胸をきめたが、ちょうど大貫道場の稽古休みの日であった。
 油を固めにつけて髪を結直し、風呂で体を丹念に磨きあげ、少しでも男ぶりをあげようと骨を折ったが――嗤うやつは嗤え、彼はできるなら眉をひき白粉を塗りたいとさえ思ったくらいである――が、やはり蛙は蛙であった。伝七は鏡をほうり出して嘆息しながら、しかし晴着を取出して着ると、そっと裏手から家をぬけ出して行った。
 太兵衛は幸い在宅であった。――客間へ通されてしばらく待つあいだ、
「さあ、いよいよのるか反るかだ、肚《はら》を据えて堂々とやるんだぞ、伝七!」
 と自分を唆《け》しかけていたが、やがて太兵衛が出て来ると、いっぺんにその度胸がけし飛んで胴顫いがし始めた。
「お待せ申した、何ぞ御用かの」
 門弟のなかで愚物の親玉、太兵衛にとってはあってもなくてもよい男だが、老職の伜だけに扱いは鄭重である。
「は、その、突然参上仕って、さぞ御迷惑のことと存じますが」
「どんな御用でござるか」
「いや、それがその、――あれでござる」
 腋の下へ汗が滲出てきた。
「何でござるか」
「その、思切って申上げますが、まったくなん[#「なん」に傍点]でありまして、ことによるとお叱りを蒙るかも知れませぬが、拙者……その決して、決して酔興や冗談で申上げるのではありませんので、幾重にもそれだけはお含みを願いまする」
「何やら少しも分りませんが、いったい御用は何でござるか」
「じつは――」
 一時に顔へかっと血がのぼる、伝七は慄えながら云った。
「じつは、その縁談でござる」
「はあ――縁談?」
「御息女藤緒どのを嫁にいただきたいと存じて」
「どなたの嫁に?――」
「む、無論、せ、拙者でござる――」
「お手前が?」
 太兵衛は危く失笑《ふきだ》しそうになった。

 意外と云って、ちょっとこのくらい意外なことはない。――色の黒い眉の薄い、とぼけたような顔を一所懸命に尖がらせて、胴顫いをしながら力んでいるようすを見ると、怒るより呆れるよりまずおかしさが先になって、それを我慢するのに骨が折れる始末であった。
「いかが、いかがでございましょうか」
「――さよう」
 太兵衛はようやく顔をあげた。
「思召しはかたじけないが、何しろ思いのほかのことで、いまここで即答はなり兼ねる、当方にもちょっと存じよりがござるから両三日お待ちください、改めて御挨拶を申上げましょう」
「さようでござるか、何分とも、その」
「心得てござる、かならず延引は致さぬから」
「よろしく、万事その、ぜひ」
「さらば今日はこれにて」
 太兵衛は追い立てるように座を起った。
 道場を辞した伝七は冷汗を拭きながら、それでも心は浮き浮きとしていた、頭から笑殺されるかも知れぬと思っていたのに、両三日考えて返辞をするという挨拶である。
「なるほどものは当って砕けろというが、玉砕の覚悟でやるとたいていのことはうまくゆくものだ、太兵衛老人め眼を白黒させていたが……何しろこっちは度胸をきめているんだ、へ! 何と云ってくるか」
 もう半分はこっちのものだという気がした。
 ところで、その翌日の宵であった、夕食のあとで自分の部屋にいると、兄の伝一郎がやって来て、
「父上のお召しだ、参れ」
 と云う、――見るとひどく不機嫌な顔だ、また小言かとうんざりしながら、兄に跟《つ》いて父の居間へ行くと、敷居を内へ入るが否や、
「この白痴者――!」
 と伝左衛門が呶鳴りつけた。
「きさまの馬鹿は知れているが、これほど底ぬけとは知らなかったぞ、だいたいきさまは儂《わし》を何者だと思っているか、谷屋の家は御当家の宗祖|将監秀光《しょうげんひでみつ》公以来の重臣、代々老職を勤める由緒ある家柄だぞ、それをきさま」
 伝左衛門はぶるぶる顫える手で、小机にあった手紙を取るなりばさっと伝七の顔へ叩きつけた。
「なんだこのざまは、谷屋の家名へ泥を塗る白痴者め、読んでみろ!」
「は――」
 叱られるのは慣れている、馬鹿でも白痴でも平気だが、――叩きつけられた手紙を見ると、さすがの伝七もあっと驚かされた。それは大貫太兵衛から来たもので、
「――前略、……御子息伝七殿よりの御求婚、かたじけなく存じ候えども、すでに御同藩市島三千馬殿よりも娘御所望の御申込これ有候。よって種々勘考仕り候結果、武をもって本分とする愚老の娘なれば、御子息伝七殿と三千馬殿と撃剣の仕合を願い、勝ちたるほうへ藤緒を差上ぐることと決定仕り候、よって当日より中三日おいて十月七日、拙者道場において御両所の仕合を催すべくその趣意はすでに市島殿へも……」
 そこまで読むと、伝七は恥しさと口惜しさと驚きと落胆がごっちゃになって、思わず手紙を取落した。
「二十五歳になって勤役もなく、父や兄の脛を噛っている分際で、どこを押せば嫁を欲しいなどと云えるか。それもよし、ぜひとも欲しい嫁ならもらってやらぬではない、それならそれとなぜ頼まぬのだ、――谷屋伝左衛門の子ともある者が町道場へ出掛け、自分の口から嫁の話をするなんど、恥を知らぬにもほどがある、この大馬鹿者、うつけ者め!」
「ま、――しばらく」
 兄の伝市郎が父を制した、
「伝七、父上のお怒りもさることだが、その手紙にある市三千馬との勝負、そのほうどう思うか、云うてみい」
「……どうと云ってその、べつに」
「父上に対して不仕末のお詫は後のことだ、当面の問題はその勝負、そのほうが勝てばよし、万一にも負けるようなことがあったら、――家中への面目、谷屋家の名聞にかけてそのままにはおかれぬぞ」
「そのままにおかぬと云って……どう――?」
「馬鹿者!」
 伝左衛門が喚いた。
「訊き返すやつがあるか、負ければ詰腹じゃ白痴め、こんな恥さらしな真似をしたうえ、なおまた三千馬に負けてのめのめ生きていられるか」
「今度は兄も執成をせぬ、もし敗れたら切腹をさせるからその覚悟でおれ」
 伝七は思わず身顫いをした。
 なんという皮肉な運命であろう、人もあろうに市島三千馬が恋敵で、その上に剣術の勝負でことを決めようとは、――
「まさか、まさか三千馬が張合っていようとは思わなかった、それならそうと早く分っていれば、あんな馬鹿なことはしなかったのに、勝てばよしと云ったって三千馬に勝てる道理がないじゃないか」
 負ければ切腹だという、――なにしろ家名だの面目だのというと、人間の一人や二人殺すのは屁とも思っていない連中だ、どうやらいつもの威しでは済まぬらしい。
「弱ったぞ――」
 伝七は蒼くなって部屋へ帰った。

[#8字下げ]三[#「三」は中見出し]

「おい、忠公……忠公」
 しみるように風の冷える晩秋の夜半、お大工町の忠太郎の家の表を、伝七が忍びやかに叩いていた。
「――誰だ」
「おいらだ、伝七だ、明けてくれ」
 忠太郎がとび起きて来た。戸を明けると、冴えた星空の下に顫えながら立っていた伝七が、怯えたように中へとび込んで来た。
「ど、どうしたんだ伝さん」
「いいから早くあとを閉めてくれ、――誰か後を跟けて来たやつぁねえか」
 忠太郎は首を出して覗いたが、更けた裏街はひっそりと寝鎮って、犬の仔一匹見えなかった。
「どうしたんだい、こりゃあ」
 戸を閉めて、行燈《あんどん》へ灯を入れた忠太郎が、寝床を片隅へ押しやって坐った。
「おめえ死人みてえな顔だぜ」
「家をとび出して来たんだ」
「とび出した? ……どうしてまた――」
「何しろとんでもねえことになっちまった、まあ聞いてくれ、こうなんだ」
 伝七は手短かに仔細を語った。意外なことの発展に忠太郎も驚いた。
「うーむ、そうか」
「そういう訳なんだ、口惜しいがおらあとても三千馬には勝てねえ、負けると定った仕合をして、耻の上塗をしたあげく切腹じゃあ、いくら伝七がお人好しでも浮ばれねえや」
「そいつは大変なことになりゃあがった、――それでこれからどうする」
「しようがねえから江戸へでもずらかるつもりでとび出したんだが、おめえにひと眼会って行きてえと思って寄ったのよ」
「そうか、江戸へ行くか――」
 忠太郎は顔色を蒼くして、しばらくじっと腕組をしていたが、やがて坐り直すと、
「伝さん、江戸へ行くのはいいとして、おめえこのまま行っちまうつもりか」
「このままとは……どのままだ」
「あの娘に未練はねえかと云うのだ」
 伝七はぎくりとした。
「おめえも命懸で想った女だ、体あずらかれても心は残るぜ、こうなれば破れかぶれ、一番ここで肚を据える気はねえかい」
「どうしろと云うのだ」
「娘を攫《さら》うのよ、後はどうにでもならあ、手貸しはするぜ」
 伝七は思わず息をのんだ、忠太郎は押被せるように、
「これが無体に慰むとか売とばすとかいうのなら別、男が心底から惚れた恋だぜ、正真正銘まじりっ気なしの恋だ。そうだろう伝さん」
「う、うん」
「男が男の本音を押切るんだ、やりかたこそ少し手荒だが気持ゃあ綺麗な生一本だ、――うっちゃっておきゃあ三千馬の野郎がままにする、こいつぁ忠太郎様が勘弁ならねえ、どうだ?」
 あの藤緒が三千馬の妻になる――? 匂うような頬も、つぶらな眸子《ひとみ》も、しなやかに伸びた手足、温く盛上った胸のふくらみも、みんな三千馬の手で自由にされるのだ……伝七は思切ったように眼をあげた。「忠公、やっつけよう」
「やるかい」
「世間が何と云おうと、おいらの気持ゃあおめえと天道様が御存じだ、手を貸してくれ」
 更けた裏街の向うから犬の遠吠が聞えてきた。
 朝になるのを待って、忠太郎は谷屋家のようすを見に行った。果して一家は大騒ぎで、人を八方に出して伝七を探している、――何しろここで逃げられては家名に疵がつく、三千馬との仕合だけはさせなければならぬというので、伝左衛門眼の色を変えて飛回ったが、幸いお大工町の忠太郎の住居までは気付かぬとみえ、知人の宅や街道口ばかり警戒している有様であった。
 これなら大丈夫と、ひと騒ぎ過るのを待って、今度は藤緒のほうの動静を探りにかかったが、さてなかなか旨い機会《しお》がない、二日、三日と経って――十月十二日になった。
 その日の夕方、
「伝さん、今夜だ今夜だ」
 と忠太郎が戻って来た。
「何かあるか」
「今夜あ田沢丹波《たざわたんば》の邸で歌合せがある、藤緒さんは勘助《かんすけ》爺を供に伴れて行くそうだ、帰りは早くて四ツだと聞いた、こんな良い折はまたとねえぜ」
「いよいよ……や、やるか」
 伝七はにわかに胸の騒ぐのを覚えた。
 その夜――、
 田沢丹波邸へ歌合せの会に招かれて行った藤緒が、老僕と一緒に辞して出たのは四ツを過ぎた頃であった。
 物陰に忍んでいた忠太郎と伝七、
「おい、来たぜ」
「うん――」
「ぬかるな」
 頷き交して、半丁ばかり後から跟けて行った。――伝七はしきりに胴顫いがでるので、歯をくいしばって力んでみるが、どうにも不安がつのってやりきれない、
 ――よせばよかった。
 と何度も苦い悔が胸を緊めつける、そうこうするうちに四五丁あまり行く、左が建念寺の長い築地で、右手が子安八幡の森になっている寂しい場所へさしかかった。――忠太郎が袖を引いて、
「伝さんここでやろう」
 と囁いた。のっぴきならぬ気持で、ごくり唾をのみながら頷くと、――忠太郎は足を早めて追いながら、
「もし、ちっと待っておくんなさい」
 と声をかけた。――思いがけぬ人声に、老僕がぎょっとして振返るところへ、跳込んで行った忠太郎、ぱっと勘助の提燈《ちょうちん》を叩落した。
「な、何をさっしゃる」
「ええ騒ぐな」
 仰天して逃げようとする勘助へ、駈けつけて来た伝七が烈しく当身をくれる、むーと呻いてのめるやつには眼もくれず、呆れている藤緒の手を掴んだ。
「あれ! 何をなさいます、誰か来て」
「くそっ、――」
 藻掻く体を力任せに引寄せる、後から忠太郎が手早く猿轡を噛ませた。
「背負って行こう」
「がってんだ、早く」
 伝七は夢中で娘の胴を担ぐ、忠太郎が脚を肩に、かねてきめておいた逃口、裏街道の吉田越をさして懸命に駈けだした。――それからおよそ半刻あまり、休んでは駈け、駈けては休みしながら城下を北へ十五六丁ばかり出外れた閻魔堂まで来た……二人とももうへとへとで一歩も前へ歩けなくなっていた。
「いけねえ、――」
 忠太郎は、藤緒をお堂の縁へおろすと、喘ぎながら悲鳴をあげた。
「おいらあ死んじまいそうだ、喉がひっついて息もできねえ」
「ここまで来れば大丈夫だから、お堂を借りて少し休むとしよう、――おれもひどく渇くが、どこかに水はねえか」
「待ちねえよ」
 忠太郎は立上って、
「もうちょっと行くと堰があったはずだ、ひとっ走り行って汲んで来るとしよう」
「それじゃあおれにもひとつ頼む」
 忠太郎はお堂の中から土器《かわらけ》の花立を取出して来ると、疲れた足を引摺りながら闇の中へ出掛けて行った。――後に残った伝七は、表にいてもし追手にでもみつけられてはと、藤緒を抱えるようにしてお堂の中へ入った。
「どうかお赦しください、藤緒どの」
 娘を静かに坐らせると、伝七はおろおろ声で云い始めた。
「こんな乱暴をして、さぞお蔑みなさるでしょう、よく分っています、けれど――拙者にはこうするより外に、自分の気持を知っていただく法がなかったのです」
 そう云ってぺこりと叩頭《おじぎ》をした。
「思切って云います、私は命に賭けてあなたを想っています、無才無能で世の人たちから木偶の坊と云われている私ですが、あなたを想う心だけは嘘偽りのない潔白なものです、――どうかそれだけは分ってください」
「――――」
「今夜のお詫びはどのようにもいたします、腹を切れとおっしゃれば……腹も切ります、その代りどうか、私の気持だけは憎まないでください、お願いです、お願いです」
「――――」
 藤緒はかたく眼をつむったまま身動きもしなかった。
 伝七はすっかり怯気づいてきた。恋焦れた娘が無残に猿轡を噛まされ、怖れに身を縮めているさまを見ると、悪いことをした――という後悔がぐいぐいと胸を緊めつけるのだ、伝七は堪らなくなって起上る、とたんに、「……あ――」
 と低く叫んで立派んだ。入る時には気がつかなかったが、お堂の闇の中に巨《おお》きな閻魔大王の坐像が安置してある、金箔を置いた両眼がぎらぎらと光り、かっと開いた口からは今にも大叱咤が叫ばれるかに見えたのだ。
 伝七は心に慄え声で、
「ふ、ふ、藤緒どの」
 と走寄ると、
「さあお立ちください、お家まで送って参ります、お家まで」
 急いで猿轡を脱る。ところへ、
「大変だ、大変だぜ伝さん」
 喚きながら忠太郎が戻って来た。

[#8字下げ]四[#「四」は中見出し]

「伝さん追手に先を越されたぜ」
「なに追手だ――?」
 忠太郎は息をせいて、
「堰のところで水を飲んでいると、八丁の数の向うから提燈が来るんだ、見ていると三岐のところで三方に別れ、一つがこっちへやって来る、そいつがおめえ三千馬だ」
「三千馬――来るか?」
「それ、あの提燈がそうだ」
 忠太郎の指さすところを、流れるように近寄って来る提燈の火、伝七は振返って、
「忠公、お嬢さんを伴れて来い」
 と云うと、吃驚している忠太郎を後に、ぱっと外へとび出す。
「おーい市島」
 と大声で呼びながら道へ出た。提燈はお堂の前を五六間行ったところで停った。
「――誰だ」
「おれだ、谷屋伝七だ」
 と追いついて、
「藤緒どのを捜しに来たのだろう、あの閻魔堂にいる、おれのした仕事だ、済まなかった、どうか早く伴れ帰ってくれ」
「――――」
 三千馬はじろりと伝七を見た、それから素早く道の左右を窺ったと思うと、声をひそめて云った。
「かまわずに行け、吉田越には手は回ってはおらん、今のうちに娘を伴れて越えてしまえ」
「な、な、何だって――?」
 意外な言葉に、伝七はただ眼を剥くばかりだった、――この時、忠太郎が藤緒を伴れて、二人のすぐ背後にある杉の木蔭へ身を隠したことは伝七も三千馬も気付かなかった。
「貴公ばかだぞ――伝七」
 三千馬は親し気に寄って来て、
「どうして仕合を逃げたのだ、拙者は負けてやるつもりでいたのだぞ」
「え――?」
 ますます分らない。
「と云っただけでは分るまい、納得のゆくように話してやるが、じつはあの娘を望んだのは拙者の本心ではないのだ、太兵衛に少しばかり義理があって、のっぴきならず嫁にもらわなければならぬことになったのだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、――すると藤緒さんを嫁にもらう気はなかったのか」
「当りまえだ」
 三千馬はにやりと冷笑して、
「拙者には大望がある、これから出世という体で、町道場の娘などを嫁にしてどうするかい、――だから撃剣の試合で婿をきめるというのを幸い、貴公に負けてやるつもりだったのさ、さあ……これだけ話せば合点が参ったであろう、娘は譲ってやるから早く行け」
「待て、待てよ、そんなことを云って、いったい大貫先生にどんな義理があるんだ」
 伝七がそう訊いた時、杉の木蔭から藤緒がすっと立現われた。
「それはわたくしが申上げましょう」
「――ええ?」
 伝七も驚いたが、三千馬はもっと驚いた。しかし藤緒は冷やかに落着いた声で、
「市島様が義理とおっしゃるのは、父からお金を借りていらっしゃることなのです」
「三千馬が金を……?」
「市島様は御出世の途をつけるためとかで、二三年このかた上役の人々に無理な散財を遊ばしました、それで父からも少からぬ御融通を申上げているのです。義理があるとはそのことでござりましょう? ……三千馬様」
 三千馬はふいっと外向いた。――伝七はそのようすを見ると、いきなり破れるように、
「あはははは、わははははは」
 と笑いだした、
「三千馬め、そんな、あははははは、そんなやつだったのか、わはははは、そんなやつだったのかきさま、あっはははは」
 笑う笑う、堰を切った水のように、腹の底からふきあがってくる笑いだ。――が、やがてぐいと一歩進み出た。
「三千馬、弁明があるか」
「余計なことを云わずに行け、娘はきさまにくれてやる」
「藤緒どの、――」
 伝七は振返って、
「あなたはまだ三千馬を良人にもつおつもりですか?」
「いいえ、初めから父のきめました縁談、今までは黙って順うつもりでおりましたが、三千馬様のお心を伺って覚悟がきまりました、この縁談はわたくしからお断り申します」
「しめた」
 伝七は大きく叫んだ。

「それではちょっとそっちへ退いていてください、おい忠公いるか」
「ここにいるぜ」
「お嬢さんを頼むぞ」
 藤緒を忠太郎のほうへ押しやると、伝七は大股に踏出して呶鳴った。
「三千馬、抜け」
「抜いてどうするのだ」
「斬ってやる」
「ふふん、その痩腕でか――?」
 歌舞伎役者のような美しい三千馬の顔に、すごい嘲りの微笑が浮んだ。
「斬るとも!」
 伝七は元気に喚いた、「今までおれはきさまが大人物で、学問武芸ともに秀でたあっぱれの秀才と思っていた、伝七など側へも寄れぬ傑物だと信じていた、さればこそ心から畏服してきさまには手出しができなかったのだ、ところがどうだ、きさまはじつにちっぽけなやつじゃないか」
「――何だと」
「出世したさに上役に取入る金を借り、その借金に縛られて心にもない婚約を結び、またそれを退れようとしては拵え勝負を考えたり――呆れかえった下司根性だ、それに比べれば、伝七は無芸凡才で何の取柄もないが、人間の性根だけは無くしてはいないぞ」
「うまいぞ伝さん、しっかりやれ」
 忠太郎が思わず声をあげた。
「おれは今こそきさまが斬れる、腕では斬らぬ心で斬るんだ、心汚れたきさまの腕が勝つか、おれの正真正銘な心が勝つか――こい!」
「こうか」
 喚くのと、提燈を投出して抜討ちをかけるのと同時だった。がっ! と危く抜合せた伝七、地に落ちてぽーっと燃えあがる提燈の焔に、蒼白めた三千馬の顔を見る。
 ――こんな野郎!
 猛然とつきあげてくる殺気。
「えーい」
 叫んでひっ外す。
「おっ」
 三千馬が体をひらくところへ、踏込んだ伝七、真向を衝く、危く躱《かわ》し半身を捻る、のっけ[#「のっけ」に傍点]へ猛烈な体当りをくれた。だっ! と三千馬が腰を取られて左へ、転じようとした時、右足の踵が小石を踏んだ。
「しまった」
 よろよろっと崩れる構え、刹那! 伝七は身を沈めながら三千馬の脾腹へ、
「えいーッ」
 と一刀入れた。
「がぁっ!」
 悲鳴とともに三千馬が後へのめる。つけ入って肩へもう一刀、さらに頸根を深々と斬放した。
「わぁ――やった、やった」
 忠太郎が跳上って喚く。伝七は倒れた三千馬の姿を、しばらくはただ喘ぎながら見守っていたが、やがて鼻の詰ったような声で、
「――斬った」
 と呻いた。
「斬れた、三千馬が斬れた、この……この痩腕で三千馬が斬れた」
 そう云いながら、張切った気持が弛んだものか、どうとばかりにそこへ坐ってしまった。

 明る朝、――
 三千馬の死体を発見して、榊原家中の者が大騒ぎをしている時分、吉田越から五里あまりも行った峠の上で、伝七と藤緒の二人が休んでいた。
「では――あなたは後悔なさいませんね」
 伝七が静かに訊いた。藤緒はすっかり元気を取戻した明るい顔で、わずかに羞を含みながら伝七へ頬笑を見せて答えた。
「はい、命を賭けて――と仰せられた、あなたのお心が身にしみました、女に生れての冥加、わたくし嬉しゅう存じます」
「拙者こそ、――拙者こそ」
 伝七は湧上る歓喜に眼を輝かして云う。
「谷屋伝七は今こそ生きる道を発見しました、藩中屈指の達者と云われた三千馬を、みごとに斬って退けた力――拙者は初めてその力を知ることができたのです。才智乏しくともこの不退転の心あれば、立派に道を拓《ひら》いていくことができる……江戸へ出ましょう」
「はい、どこへでも」
「江戸へ出て、はじめから遣直すのです、谷屋伝七は今日新しく生れ更ったのです」
 見違えるように自信の溢れてきた伝七の満面を、矢倉山の峰から今さし昇る朝日の光が輝かしい紅を投げかけた。――そして藤緒は、その逞しい横顔へ飽かぬ眸子をとめていた。
「おーい」
 二三丁先で忠太郎の声がする。
「早く来いやーい、おいらあ待ちくたびれて根が生えそうだよ――」
 谷には鳥の声々。
 かくて榊原藩には、『朋友を斬ってその恋人を盗んだ、悪人伝七』と噂はながく残っていたが、さりとて伝七へは追手の沙汰も起らなかった――。それは日頃から三千馬が嫉まれていたのと、『悪伝七』と評判はしながら心から憎む者がなかったためであろう。江戸へ出た伝七は奮然修業を積み、数年ならずして水戸侯に取立てられ、食禄二百石をいただいて数代栄えたと伝えられる――忠太郎のことは残念ながら分らない。



底本:「爽快小説集」実業之日本社
   1978(昭和53)年6月25日 初版発行
   1979(昭和54)年7月15日 二版発行
底本の親本:「講談倶楽部増刊号」
   1936(昭和11)年9月号
初出:「講談倶楽部増刊号」
   1936(昭和11)年9月号
※表題は底本では、「悪《あく》伝七《でんしち》」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ

タグ:

山本周五郎
「悪伝七」をウィキ内検索
LINE
シェア
Tweet
harukaze_lab @ ウィキ
記事メニュー

メニュー

  • トップページ
  • プラグイン紹介
  • メニュー
  • 右メニュー
  • 徳田秋声
  • 山本周五郎



リンク

  • @wiki
  • @wikiご利用ガイド




ここを編集
記事メニュー2

更新履歴

取得中です。


ここを編集
人気記事ランキング
  1. 熊谷十郎左
  2. 怒らぬ慶之助
  3. 入婿十万両
  4. 失恋第六番
  5. 義務と名誉
  6. 一代恋娘
  7. 特急第七号
  8. 浪人走馬灯
  9. 河底の奇蹟
  10. 日日平安
もっと見る
最近更新されたページ
  • 1963日前

    白魚橋の仇討(工事中)
  • 1963日前

    新三郎母子(工事中)
  • 1963日前

    湖畔の人々(工事中)
  • 1963日前

    鏡(工事中)
  • 1963日前

    間諜Q一号(工事中)
  • 1963日前

    臆病一番首(工事中)
  • 1963日前

    決死仏艦乗込み(工事中)
  • 1963日前

    鹿島灘乗切り(工事中)
  • 1963日前

    怪少年鵯十郎(工事中)
  • 1963日前

    輝く武士道(工事中)
もっと見る
「山本周五郎」関連ページ
  • No Image 千本試合
  • No Image 豪傑ばやり
  • No Image 水中の怪人
  • No Image 友のためではない
  • No Image 癇癪料二十四万石
  • No Image 殺人仮装行列
  • No Image 秋風恋
  • No Image 竹槍念仏
  • No Image 挟箱
  • No Image 彩虹
人気タグ「山本周五郎」関連ページ
  • No Image 悪伝七
  • No Image 平八郎聞書
  • No Image 彦四郎実記
  • No Image 弛緩性神経症と妻
  • No Image 奇縁無双
  • No Image 女ごころ
  • No Image 難破船の怪物
  • No Image 評釈勘忍記
  • No Image 逆撃吹雪を衝いて
  • No Image 風格
もっと見る
人気記事ランキング
  1. 熊谷十郎左
  2. 怒らぬ慶之助
  3. 入婿十万両
  4. 失恋第六番
  5. 義務と名誉
  6. 一代恋娘
  7. 特急第七号
  8. 浪人走馬灯
  9. 河底の奇蹟
  10. 日日平安
もっと見る
最近更新されたページ
  • 1963日前

    白魚橋の仇討(工事中)
  • 1963日前

    新三郎母子(工事中)
  • 1963日前

    湖畔の人々(工事中)
  • 1963日前

    鏡(工事中)
  • 1963日前

    間諜Q一号(工事中)
  • 1963日前

    臆病一番首(工事中)
  • 1963日前

    決死仏艦乗込み(工事中)
  • 1963日前

    鹿島灘乗切り(工事中)
  • 1963日前

    怪少年鵯十郎(工事中)
  • 1963日前

    輝く武士道(工事中)
もっと見る
ウィキ募集バナー
新規Wikiランキング

最近作成されたWikiのアクセスランキングです。見るだけでなく加筆してみよう!

  1. MadTown GTA (Beta) まとめウィキ
  2. R.E.P.O. 日本語解説Wiki
  3. シュガードール情報まとめウィキ
  4. GTA5 MADTOWN(β)まとめウィキ
  5. SYNDUALITY Echo of Ada 攻略 ウィキ
  6. ガンダムGQuuuuuuX 乃木坂46部@wiki
  7. ドタバタ王子くん攻略サイト
  8. ありふれた職業で世界最強 リベリオンソウル @ ウィキ
  9. パズル&コンクエスト(Puzzles&Conquest)攻略Wiki
  10. MADTOWN @ ウィキ
もっと見る
人気Wikiランキング

atwikiでよく見られているWikiのランキングです。新しい情報を発見してみよう!

  1. アニヲタWiki(仮)
  2. ストグラ まとめ @ウィキ
  3. ゲームカタログ@Wiki ~名作からクソゲーまで~
  4. 初音ミク Wiki
  5. 機動戦士ガンダム バトルオペレーション2攻略Wiki 3rd Season
  6. 検索してはいけない言葉 @ ウィキ
  7. Grand Theft Auto V(グランドセフトオート5)GTA5 & GTAオンライン 情報・攻略wiki
  8. 発車メロディーwiki
  9. 英傑大戦wiki
  10. SDガンダム ジージェネレーションクロスレイズ 攻略Wiki
もっと見る
全体ページランキング

最近アクセスの多かったページランキングです。話題のページを見に行こう!

  1. 魔獣トゲイラ - バトルロイヤルR+α ファンフィクション(二次創作など)総合wiki
  2. 参加者一覧 - MadTown GTA (Beta) まとめウィキ
  3. 参加者一覧 - ストグラ まとめ @ウィキ
  4. Lycoris - MadTown GTA (Beta) まとめウィキ
  5. シュウジ・イトウ - アニヲタWiki(仮)
  6. ぶんぶんギャング - MadTown GTA (Beta) まとめウィキ
  7. 雑談・交流掲示板 - 星の翼(Starward) 日本語wiki @ ウィキ
  8. ロスサントス救急救命隊 - ストグラ まとめ @ウィキ
  9. テュフォン・エフェメロス - Fate/Grand Order @wiki 【FGO】
  10. サーヴァント/一覧/クラス別 - Fate/Grand Order @wiki 【FGO】
もっと見る

  • このWikiのTOPへ
  • 全ページ一覧
  • アットウィキTOP
  • 利用規約
  • プライバシーポリシー

2019 AtWiki, Inc.