harukaze_lab @ ウィキ
熊谷十郎左
最終更新:
harukaze_lab
-
view
熊谷十郎左
山本周五郎
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)市松《いちまつ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)馬|如月《きさらぎ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#感嘆符二つ、1-8-75]
-------------------------------------------------------
[#8字下げ]一[#「一」は中見出し]
「市松《いちまつ》待て!」
突然わが名を呼ばれて、福島正則《ふくしままさのり》は愛馬|如月《きさらぎ》の手綱をぐいと絞りながら、
「誰だ?」
と振返った。声に応じて傍の叢《くさむら》からぬっと出た浪人態の武士、大太刀をふるって、
「首をもらうぞ!」と走り寄った。
「推参な下郎め、名乗れ!」
「故|治部少輔三成《じぶしょうゆうみつなり》の家人、久代寛第《くしろかんだい》と申す者だ、亡主の遺恨思知れ!」
石田三成関ヶ原に敗戦して四条に斬られ、秀頼《ひでより》は大坂城に亡んだ。これ皆もとは故太閤殿下恩顧の諸大名ども、いずれも徳川家に加担して大坂城の堀を浅くしたためである。ことに正則は関ヶ原で三成に弓を射かけた敵、折あらば治部少輔の遺恨を一太刀酬いようと、窺い狙う者二三にとどまらなかった。折も良しこの日、備後安芸五十万石福島|左衛門尉《さえもんのじょう》正則は、城外|己斐山《こいやま》に狩を催したが、生来の剛気闊達だ、興の進むにつれていつか近侍の者を離れ、獲物を追ってこと己斐谷の奥深く馬を乗入れて来たのであった。
「狼狽者《うろたえもの》め、喰詰者のなまくらでこの正則をみごと斬る気か」
「ほざくな、死ねい!」
矢声とともに斬りつける、正則は持った鉄鞭でぴしりひっ払うと、
「うぬ、来い!」喚きざまひらり馬からとび下りて腰の藤四郎吉光を抜いた。その時二三十間はなれた雑木林の中から、
「曲者、さがれい!」
大音に喚きながら走り出た徒士組《かちぐみ》の物具つけた若武者一人、持っていた手槍を取直すとぱっと投げた、空を切って飛んできた手槍は横さまに久代の股の間へ入る、手練だ、出足に絡んだからたたら[#「たたら」に傍点]を踏んで前へのめる。
「邪魔するな」と立直るところへ、
「相手をしよう、こい!」と喚きつつ駈つけた若武者、小太刀を抜いて詰寄った。振返りざま寛第が、
「うぬ」大太刀を真向へ!
「とう」鍔止《つばどめ》にひっ払って踏込むや否や、
「や! えい※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
面へぱっと割つけて返す剣、脾腹を胸まで斬って、とび退った。早業だ。
「が――」異様に喚いた久代寛第、二三歩出て大太刀を取直そうとしたが、がくんと膝が折れてそのまま、
「む、無念だ!」悲しく呻きながら前のめりに倒れる。脇へ廻った若武者、寛第の呼吸を窺っていたが、つと寄ってぱっと首を刎《は》ねた。
「みごとだ!」
正則が大きく声をあげると、若武者は手早く刀を納めてはっと平伏した。色も変えぬ若武者を心地よげに見下した正則、
「見覚えのない顔だな、新参か」
「は、関ヶ原の陣より御奉公仕ります」
「誰の組下だ、名は何という」
「先年亡くなりました可児才蔵《かにさいぞう》の下にて、唯今は無役、熊谷十郎左と申します」
「ふむ、竹葉軒の組下で十郎左――」
正則なにか思出した容子で、
「では、獺《かわうそ》眠りの十郎左というはそちであろう」
「は、これは恐入ります」
平伏するのを見て正則にやにや笑った。
「獺の昼寝をそのまま、暇さえあれば眠っているで獺眠りの十郎左。ははははは、たしかそうであったの?」
「は、そのとおりで――」
十郎左もにやにや苦笑しながら、べつに悪びれもせぬ有様。正則は藤四郎吉光を鞘に納めて腰からぐいと脱《と》ると、
「褒美じゃ、取っておけ」と差出した。十郎左は臆する色もなく膝行して、
「は、かたじけのう頂戴仕りまする」
押頂いて受取った。塵を払った正則、乗棄てた愛馬|如月《きさらぎ》に跨ると、
「供せい!」
と一言、鞭をあげて谷口のほうへ向った。
もともと徒士組五十石二人扶持、無役の熊谷十郎左は、曲者久代寛第を斬って正則の危急を救った功により、吉光の銘刀を拝領のうえ食禄百五十石を加増、間もなく四ノ廓内に邸を賜って移り住むことになった。
[#8字下げ]二[#「二」は中見出し]
「おい、獺眠りめが出世したな」
「泰平の世にうまい儲けだ」
「二百石取となれば獺眠りもできまいが」
家中の評判はしばらく十郎左で賑っていた。ところが当の十郎左、二百石ぐらいで獺眠りをやめるような生優しい男でなかった。賜った邸は暴れ者揃いの旗本組屋敷の隣りで、骨っぽい連中の眼が四方から絶えず光っているにもかかわらず、暇さえあれば十郎左、ごろりごろりと寝て暮らした。
集りにも出ぬ、酒の付合もせぬ、そればかりか朝夕の挨拶も満足でない。旗本組の若手で、四ノ廓内に住む連中が集って武芸会というのをつくり、組頭の邸に寄って月に二度ずつ武芸試合の催しをする。これには組以外の者も参加して武術を練るようにと、係奉行からそれぞれ申渡されているのだが、十郎左ばかりは知らぬ顔であった。
「どうして武芸会へ出ないのだ?」腹にすえかねたのがそう云って詰《なじ》ると、
「おれが出るとせっかくの催しが駄目になるでな」と空嘯《そらうそぶ》いている。
「どうして催しが駄目になるのだ」
「およそ役にたつ武芸は荒く練るのが法だ、なるべく打たれぬよう、怪我せぬようにと、逃れることから先に考えてかかるような武芸会に、十郎左の荒い剣法が出たら、あたら木剣踊りに死人ができようも知れぬからよ、はははは」
これを聞いて武芸会の連中怒った。
「怪しからぬ十郎左め」
「我らの剣術を木剣踊りと云ったな」
「押かけて行って打のめしてくれよう!」
拳を顫わせていきり立った。
しかし、獺眠りなどと馬鹿にはしているが、腕のたつことは皆知っているから迂闊には手を出さなかった。折があったらひと泡吹かせてやろうと待っているうちに、今度はもっと皆の膨れあがる事件が持上った。
それは。藩の作事奉行を勤める二千七百石|間堂八左衛門《ごんどうやざえもん》というのに一人の娘があった。その時十八歳、瓜実顔のきりりと緊まった肉付、肌は小麦色で髪は丈に余るばかり、名を妙《たえ》と呼ばれるこれが、城中若武者たちの狙いの的になっていた。
「我こそあの妙女を家の妻に」
「拙者こそ婿に」
と心の内で面々に望んでいた。望んでいたばかりでなくそれぞれ人を頼んで、ぜひ嫁にと申込んだ者も三、五人にとどまらなかったが、八左衛門なかなか応と云わなかった。全体あんなにして誰にやるつもりだろうと、皆がやきもきしていると。ある日、下城の途中間堂八左衛門は馬を熊谷十郎左の邸へ向けた。
作事奉行の訪れと聞いて、縁先にまろ寝をしていた十郎左も、さすがに慌てて洗面し衣服を改めて、※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]々《そうそう》に客間へ出た。
「は、手前十郎左にござります、不意の御入来何か御用にても――」と頭を下げるのを、八左衛門にこにこしながら抑えて、
「いや、そう固くなられては困る、実はちと折入った頼みがあってな」
「私にお頼み!」
「手取早く申せば嫁をもらっていただきたいのだ」
「それはまた急な――」
「実は拙者の娘で妙と申すものがいる、美しゅうも賢うもないが、親のめがねで武家の妻に必要な嗜みだけは授けてあるつもりじゃ、今日まで諸方より縁談もあったがみな断ってきた、貴殿ならばと見込んで親爺じきじきの押掛話じゃ、嫁にもらってくだされい」
「それは平に御辞退いたしましょう!」
十郎左、言下に答えた。
[#8字下げ]三[#「三」は中見出し]
「なに厭か?」
八左衛門、思わず眼を瞠った。
当時主君正則の第一の寵臣、間堂八左衛門が自慢の娘を、親の口からもらってくれと頼まれて、一応考えでもすることか言下にぴたり断るとは、さすがに獺眠りの十郎左、一風も二風も変った男である。
「なぜいかぬ、拙者の娘ではお気に入らぬか?」
「いや、そうではござらぬ」
十郎左落着はらって答える。
「私考えまするに、戦塵一度は納って、世は泰平の緒についたかに見えますれど、諸国の帰趨は未だ統一を欠き、人心の不安もまた鎮まらず、いつまた世を挙げての合戦となろうも知れませぬ、迂闊に妻など娶ってもしそうなる時は、要なき歎きをみせるばかり、それを思いこれを思い御辞退申したのでござる」
聞くより間堂はたと膝を打った。
「うん、よく申した、あっぱれな覚悟それがします。恥入らねばならぬ」
「いやなかなかもちまして――」
「そこでな十郎左殿、間堂八左衛門改めて貴殿に頼みがござる」
「と仰せられますと」
「男暮しは何とやら不自由なもの、世俗にも蛆がわくとか申すくらいだ、幸い娘妙だが、これは家に遊んでいるも同様な躯《からだ》、嫁にとは云わぬこちらへ寄来すから、濯ぎ洗濯厨のことにでも召使ってもらいたいが、どうだな」
「いやそれは余りに失礼」
「失礼でない、という訳を申そう、実はこれは妙からの頼みなのじゃ!」
「え?」こんどは十郎左が驚いた。
「かようなことを親の口から申すべきではあるまいが、つい先だってのこと、妙め拙者と奥を前にして、下女にでもよい十郎左様の傍で暮したいと立派に申しおったのじゃ、健気《けなげ》な心根いとしゅうなってかように、不躾な使者に立った親心、頼む十郎左!」
「――」
「明日よこすから、この家の隅において召使ってやってくれ、くれぐれも頼み申したぞ!」
「ああそれは――」止める手を振切って八左衛門は帰ってしまった。
ああは云ったがまさか一藩の作事奉行ともある者が、娘を下女には寄来すまいと高をくくっているとその翌朝、まだ暗いうちに裏口から、小さな包を一つ抱えた娘が一人さっさと勝手へあがってくると、呆れかえっている下男を押除けて水仕に掛った。それと聞いて十郎左も驚いた。急いで行って、
「あなたは?」と訊くと、娘は手をつかえて、
「妙と申します、どうぞよろしく」頬を染めながら俯向いた。すんなり育ちきった肩から腰への肉付、むっくりと盛上った胸のふくらみがさすがに十郎左の眼には眩しかった。
「こりゃあ内の大将の負だ」
下男が側でにやにやしながら考えていた。さあこれを聞いて旗本組の若手が騒ぎだした。
「おい聞いたか?」
「うん、実にもって心外千万だ、獺眠りごときにお妙殿が押掛け花嫁とは何たることだ」
「間堂殿も気が知れぬ、藩中に男がないではなし、選りに選って十郎左とは、まるで我々を蔑《ないがしろ》にしたも同然ではないか」
「こうなるうえは是非に及ばぬ、十郎左めをうんというほど打懲《うちこら》してやらねば、第一我ら旗本組の意気地が立たぬ!」
それでなくとも高慢の鼻へし折ってくれようと機会を窺っていた暴れ者ども、それに恋の恨が重なったからその勢は物凄いばかり、
「おいいいことがあるぞ、集れ」と、ある日、中にも骨っぽいのが四五人、首を集めて何かひそひそと秘策をめぐらせていた。
かくて風を待つ六月も二十四日となった。この日は故可児才蔵の忌日に当っているので、十郎左は毎年、城下から東に三里ばかり行った府中村の寺にある、竹葉野才蔵の墓に参詣するのを欠かさぬ習わしとしていた。今年も例のとおり香華を手向けようと家を出たが、所用で刻を過したので寺に着いたのは夏の日も既に暮れきった時分であった。
「これはすっかり夜に入りましたな、提灯をお持ちなされたがようござりましょう」
寺僧のすすめるのを断って、いつかじっとり夜露さえ下りた道草を踏みながら、城下はずれに千町畷という処へさしかかったのは、もう五つ頃のこと、海のほうから吹く風がひんやりと潮じめりを肌へもってくる。
「はてな?」突然、十郎左はいぶかしげに首を傾《かし》げながら足を止めた。
[#8字下げ]四[#「四」は中見出し]
途すがら、夜気いっぱいに虫の音を聞きつつ来たのに、畷へかかって二三町、小松原のあたりまで来るとばったりそれが絶えてしまった。
「何かいるな」そう思って神気を凝らすと、ひしひしと身に感じられる殺気だ。
「待伏せだ、少くとも五人はいるな」頷きながら、ふたたび何気ない態で歩いて行く。と――果して小松原の中からばらばらと躍り出た一人の男、無言のまま木剣をふるってはっしと打って掛った。
「出おったな案山子《かかし》め!」
叫びながら体を捻った十郎左、外されてのめる奴には眼もくれず、
「一人ずつは面倒だ、隠れているのも出ろ、五人や十人に驚く十郎左ではないぞ!」
小松原のほうへ呶鳴ったからわっと総立。
「うぬ大言を吐くな!」
「それ出ろ!」
喚き喚き四人の荒くれ、手に手に寸延《すんのび》の木剣を提げて街道へとび出してきた。十郎左は道のまん中に大手をひろげて、
「こい、へろへろ武士の木剣踊りも、たまに見るのは乙だろう、だが下手に騒ぐなよ、十郎左の技は少し荒いぞ!」
「ええその高慢の鼻へし折ってくれる!」
「やれ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
罵りざま左右の二人が、ぱっと打込んでくる、右足を退いて十郎左、「どっこい」と交わす、とたんに前のが必死の上段、真向から打下した。風を切って落ちてくる木剣、右へ外して出る、いつ誰のを奪取ったか無反《むぞり》の木剣《やつ》、身を沈めながら、
「まず二人だ!」喚きざまひっ払った。
「あ! う※[#感嘆符二つ、1-8-75]」諸声《もろごえ》に横へすっ飛ぶ両名、残ったのが思わず二三歩さがるのへ跳込んで、
「三人!」と叫んで脾腹へばっ! くれておいて返す早業だ、三人めが呻きながら膝をつくよりも、四人めがだだだと尻居に倒れるほうが早かった。
「これで四人か」と立直った時、残る一人は七八間先で生きた心地もなく、ただ木剣を構えているというばかりだ。十郎左からりと木剣をそれへ投出して、
「一人は片付役に残しておく、早く手当をして連れて帰れ」
「は、はい」顫えている。
「ひと言申聞せてやる、耳をほじって聞け。武士が命を投出す時は一生に一度だ、分るか一生に一度だぞ、十郎左もその時がくるまでは獺眠り勝手のことよ。貴公らとてもそのとおり、大事のお役にたつまではせっかく命を大切になされい、分ったかな、分ったら、さらばだ」
云いすてると、見返りもせずに寛々として立去った。五人の暴れ者ども、呆れかえって見送るばかりだった。
隠すより顕わるるはない、いつかこのことが家中に弘まり、ついには正則の耳にまで達したので、いつか忘れるともなく忘れていた十郎左のことを、ふと又正則は思出した。
「十郎左に定番出仕をするよう、何か役を与えてやらぬか!」正則の御声掛りだ。
それでなくても権望家間堂八左衛門の娘につながる縁だ、早速に十郎左は御使番に取立てられ、萩の間詰として城へ召されることになった。
「おめでとう存じます」
妙が逸早く祝いの挨拶をすると、さすがに十郎左も悪くないかして、
「うふふ」と含笑をもらした。
秋は夏を追って去り、朝夕の霜ようやく白く、音戸の瀬戸に鰤《ぶり》の味の濃くなる頃、十郎左は初めて宿直《とのい》に召されることになった。その第一夜であった。
ひどく冷える晩であった。
宿直の間は正則の寝所の控えにあって、二十畳敷ばかりのがらんとした造、そとへ小さな火鉢が一つ、蛍の尻のような火がぽつんと光っている有様である。
「火の元は特に戒めて!」と厳重な達しがあるから、毎夜十人ずつの宿直の人々は、身体凍えながらに夜明を待つ始末であった。初の宿直に出た十郎左、神妙に控えていたと思うとやがて四つ半に間もない頃、
「寒くて致方がない、火鉢はこれぎりでござるか?」不平そうに云いだした。
「さよう、宿直の間にはこれが掟、火種も多からずと定まっております」
「ふーむ、それでおのおのには寒くござらぬか!」
十郎左遠慮がない。
「――」みんな面膨らせた、これが寒くなくってどうする、おれはさっきから後架《かわや》へばかり通っている。おれの胴顫いは癇のせいではないぞと、いずれも胸の中で苦情たらたらだ。
「いずれもお寒いとみえますな」
一座を見廻してそう云った十郎左、すっと立って出て行った。また横紙破りが何か始めるぞと黙って見ていると、間もなく小侍にある青銅の大火鉢へ、かっかと熾《おこ》った炭火を山と盛上げ、三四人の若侍に舁《かつ》がせて運び込んで来た。見るより顔色を変えた一同、
「やっ、これは熊谷氏何をなさる」
「滅相な、乱心めされたか」
驚く人々を尻眼に、十郎左平然と大火鉢を宿直の間のまん真中へ据させた。
[#8字下げ]五[#「五」は中見出し]
「これはとんでもない、掟を破れば重い咎めのあるは知れたこと、我ら一同迷惑でござる、早々お取除けくだされい!」
「それとも我々が運び出そうか?」
詰寄られたが十郎左びくともせず、
「まあまあ急かれな、拙者に思案がござるから、おのおのは黙って見ておられい」と平気で笑うばかり、何と云っても取合わぬ。
「これは御詰衆まで申上げなければなるまい」
「それがよろしかろう」
「拙者が行って参る」あくまで掟を恐れているとみえ、一人が急いで出て行った。
間もなく、御詰に出ていた老職、宅間大隅《たくまおおすみ》が色を変えてやって来た。来るなりややしばらく、火の盛上った大火鉢と十郎左の顔を見比べていたが、やがて詰るように、
「熊谷とやら、掟の面承知でこの火鉢を持込んだのであろうな?」
「いかにも、承知で仕った!」
「不届千万な儀だ」大隅はかっと声を荒げた。
「城中の掟は軍令と同じく、禁令を犯せば重科たることも知っておろう、それを承知で掟を破るからには、定めし覚悟あってのことに相違ない、聞こう! 大隅しかと承わろうぞ!」
「申上げましょう」十郎左、待っていましたとばかり、恐れげもなくずいと膝をすすめた。
「はばかりながら、そもそも宿直の役目はいかなるものにござりますか。すなわち御寝所の控えに詰め、不意の変事に備え、万一曲者などある時は即座にこれを除いてもっぱら御主君の御安泰を守護仕るが役、さればこそ宿直に限り御錠口内まで刀を携えること御許しでござる。しかるに、この寒気のおりから、宿直の間に小《ささ》やかなる獅噛《しがみ》火鉢ひとつ、火種も多きに過ぎずとあっては、夜半ならぬうちに宿直の者身心冷えきり、手足の指は凍えてとっさには箸を掴むことさえかないませぬ。かかる時万一にも、曲者あって御寝所間近を騒がし奉るとせばいかが、冷えたる心、凍えたる手足、竦みたる体をもって充分に働けましょうや、かじかみたる手に刀を取落し、痺れたる足に躓《つまず》き転び、御役目をまっとうすることができなかった節は何といたします?」
「うむ――」
「掟も重く、役目はさらに大切にござりましょう、掟の面|忽《ゆるが》せならぬとあれば、十郎左の痩腹ひとつかっ割いて御詫仕る、その代りには御詮議の上今後、宿直の間には充分に火を置かれまするよう、きっとお計いくださりませい」きっぱりと云ってのけた。
道理に詰って宅間大隅、呻っているとさっと襖が明いて、意外にもそれへ正則が出て来た。不意のことで一同吃驚、慌ててそこへ平伏する、正則はそれらに会釈もなく、
「十郎左の申すところもっともだ、宿直の間は充分に温めてやるがよいぞ」
そう云い残して、そのままさっさと奥へ入ってしまった。
「お許しが出ました、さあこれで大威張でござる、いずれもお寄りなされぬか」十郎左は誇る様もなく微笑していた。
世の人が『獺眠り』と呼ばなくなったのはこの頃からである。
「妙どの!」
元和《げんな》三年の浅き春二月のある日、十郎左の居間で呼ぶ声がするから、急いで行ってみると一通の手紙をながめていた。
「お召でござりますか」
「これはそなたのもとへ来た書面だな」
「はい」受取って見て、
「左様でございます」
「そなた拙者のもとへ参ってから、折にふれてその旗野新八郎《はたのしんぱちろう》と申される仁と文通しておられるようだが、御縁者ででもあるかな」
「はい、弟でござります」
「――弟御?」
「本多上野介《ほんだこうずけのすけ》様御身内へ養子に参り、唯今では御留守居役とか」
本多上野と聞いて、十郎左の眉が寄った。
「かようにしばしばの文通でみると、よほど仲の良い御姉弟と思われるな」
「いいえそうではござりませぬ、私は年に一度か二度が精々、大抵の手紙は父八左衛門と新八郎の取交わすもの、私はただ仲次役でござります」
心なく云ったのであろうが、十郎左の胸には異様に響いた。
「それは妙なこと、間堂殿はなぜじかに御文通をなされぬのであろう」
「それはあの、私が家におりました時分、よく私の文に父のを入れて送る習わしでござりました。日頃から頑固な性分ゆえ、年老いて末子の愛に溺れるなどと、同役衆から笑わるるが辛い、そう申しまして、姉の私に手紙のやりとりを頼むようになったのでござります」
「なるほど、そうもあろうか」
十郎左はさりげなく頷いてそのままその話を切った。
妙はしばらくそこに坐っていたが、それっきり十郎左が黙ってしまったので、そっと座を立とうとした、しかし何か去り難そうに、そこでまたしばらくもじもじしていた後、つと坐り直して、
「旦那さま」といつになくわくわくした調子で声をかけた。
「なんだ」と十郎左が顔をあげる。
「あのう、申上げようと存じながらついつい申しそびれておりましたが――」云いかけてぽっと頬を染めながら、妙は身を捻って俯向いた、丸まるとした肩から胸へかけて、めっきり艶めいてきたこの頃の肉付、匂うばかりの色気に思わず十郎左眼をしばたたいて、
「何でござるな――」
「私、体が、あのう」とまで云って、はっと袂へ顔を埋めた。
「体がどうした」十郎左まだ分らぬ。
「あのう――、それゆえ私、実家《さと》へ養生に帰ろうと存じますが――」
「養生に帰る? それはまたなぜ」どこまでも感の悪い十郎左の顔を、妙は恨めしそうに見上げていたが、思いきったとみえて、
「赤児《やや》を産みに」と答えた。
「や?」十郎左あっと眼を瞠ると、いきなり敷物をめくられたように突立上って、慌てふためきつつ次の間へとび込んで行った。
「まあ、ほほほほ」妙は自分の羞かしさも忘れて、袂に面を蔽って笑うのだった。
それから一刻あまりも後。
「少し歩いて参る」と云って十郎左はぶらり邸を出た。
城下を北へ、すたすたと通りぬけると神田川を越して大須賀村、そこからさらに二葉山へと登って行った。頂上へ登ると見晴台があって、広島城の搦手から城下がひと眼に見下せる実に良い眺めだ。何を思ったか十郎左、そこへ来るとじっと御城へ眼をやった。城の搦手は半年以前からの修築工事で、搦手御門から脇の木戸八番九番十番まで、櫓々にはまだ足場が組まれたままである。
「修築の采配を執《と》っているのは作事奉行間堂八左衛門――。本多上野は江戸の執政――。娘に托した文書の往来、うん! これは迂闊に見※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]《みのが》すことはできぬぞ」
深く頷いた十郎左、どっかとそこへ腰を据えて、鋭い眸をいつまでも工事場から離さなかった。
[#8字下げ]六[#「六」は中見出し]
山から下りて十郎左が邸へ帰ったのはもう日暮がた。家へ入ると妙が下男の左平《さへえ》を捉えて何か叱っている。
「どうしたのだ」と訊くと左平が、
「さきほど旦那さまが、風呂の焚付にせいと仰せられてくださった反古《ほご》の中に、大事な御手紙がありましたそうで――」
「あの中に、今日新八郎から父へ参った封書がまざっておりました」妙は訴えるように十郎左を見上げた。
「それを焚いてしまったというのか?」
「はい」
「そうか、それは拙者の粗忽であった、そうと知らず反古を纒めて渡したつもりであったが、心付かぬことであった許してくれい」
「いいえ許せなどと――」
妙は快く笑顔を見せて頭を振った。
「明日、実家《さと》へ帰るがよい、左平に手廻りの物を持たせて遣わそう」十郎左はそういって居間へ入って行った。
その夜更けて、燈近く十郎左が密かに披いていたのは、反古にまぜて焚かせたという旗野新八郎の書面ではなかったろうか。
いくばくもなく、
「獺眠りが山守になったぞ」
そういう噂が家中に弘まるようになった。三十日――五十日、十郎左は非番となるごとに必ず二葉山へ登って日を暮らすのであった。
「ぜんたい山の上で何を考えているのだ」
「天文でも始めたか」
「いや待て、いまにまた何かやらかすぞ!」
とりどりの噂を耳にもかけず、十郎左は来る日も来る日も御城修築の有様を見ては日を暮らした。
かくするうちに元和三年五月一日。修築もひとまず終るところへ、江戸の老中本多上野から、端午の節句の祝儀申上ぐるため使者を差遣わした、という通知が広島城へ届いた。これは慶長五年、正則が芸備五十万石に封ぜられて以来の習わしで、年々本多佐渡守から祝儀の使者を受けていたのであるが、前年正信が歿したので今年から改めて上野介|正純《まさずみ》が、父に代って祝儀の使者を差立てようというのである。
五月二日、上野介使者、備後福山を出立という報知《しらせ》がきた。その夜である。
「左平、これへ参れ」十郎左の呼ぶ声に左平が行ってみると、部屋の内を綺麗に片付け、家財、什器を幾つにも分けて始末した中に、十郎左が端然と坐っていた。
「これは――どうなさるのでござります」
「実は明日、御用向によって急に遠方へ参ることになった、そこで家財はこのままに致しておくゆえ、必要に応じてお前に処分してもらいたいのだ」
「それはまた急なことでござりまするな」
「これに処分いたすべき明細の目録が書認めてある、もし御係より何も御申渡しのない時は、この目録によってよしなに処置を頼む!」そう云って一封の目録を差出した。
「御係りの御申渡しと仰せられますと――?」
左平何となく腑に落ちぬところがある。訊き返そうとすると、
「もうよいから退って寝ろ」
と云われたので、目録を預って退った。
明くれば元和三年五月三日、からりと晴れた夏空だ。平日より早めに床を出た十郎左、体を水で潔めて食事はかたちばかり、衣服を改めて出仕の仕度が済むと、左平を呼んで一通の書面を渡し、
「いま一刻経ったら、この書面を間堂家にいる奥へ持って行ってくれ、一刻の後だぞ」
「かしこまりました」
「では行って参る、達者でおれよ」
ひと言を後に十郎左は邸を出た。
城へ登った十郎左、遠侍へ出るとすぐに八左衛門が登城したかどうかを訊ね、まだ登城していないことをたしかめると、そのまま自分の御詰である萩の間へ通った。
とかくするうち四つの太鼓が鳴る。それを合図に老職の者がおいおいと登城してきた。十郎左は萩の間の入口に坐って、それとなく御廊下を通って上る人々に眼を配っていたが、やがてすっと立上った。間堂八左衛門が足どり急しく上って来るのをみつけたのだ。
「十郎左か」
八左衛門が早くもみつけて声をかけた。十郎左は無言でつつと走寄る、殺気を感じたから八左衛門足を止めて、
「どうした、十郎左」
「お命を頂きまする!」ぎらり抜いた。
「狼狽《うろた》えるな、御城中なるぞ」
「御免!」さっと切ったが、さすがに腕が鈍って肩を僅かに傷つけたばかり、しまったと思って二の太刀、突きに寄ると必死に体をひらいて、
「ま、待て」と間堂。叫びながらばたばたと逃げだした。これを見た詰合の面々、
「十郎左乱心でござる、お出合めされ!」
わっと総立になった。
[#8字下げ]七[#「七」は中見出し]
八左衛門は足にまかせて御錠口のほうへ逃げて行く、駈つけた人々一度は十郎左を押取囲んだが、必死の勢に恐れてはっと散った。御杉戸の近くで追付いた十郎左、
「御卑怯でござりますぞ」呼びながら前へ廻った、後傷をさせまいという意《こころ》だ。
「ま、待て、何ゆえの刄傷だ」
「申しますまい、黙ってお命を頂くがせめてもの聟引出、御覚悟遊ばせ!」
「さては――あれ[#「あれ」に傍点]を知ったのだな」八左衛門腸を絞る悲痛な呻きだ。
「福島家にこの男あった、あ、あっぱれな十郎左――」
「御免!」踏込んだ十郎左、肩から胸までずん! と斬下げた、倒れながら八左衛門、
「た、妙が、かわいそうに」糸のような声で云ってがっくりうつ伏した。十郎左すり寄って止めを刺す。あまりの凄じさに、手を出すこともできず遠巻にしていた人々、
「十郎左乱心でござる!」
「お出合めされ!」いたずらに騒ぐばかりだった。
その時廊下を踏鳴らしながら、かなたから正則が駈つけて来た。騒ぎを聞いて近侍の止めるのもきかず跳んで来たのだ。
「曲者はいずれにおる」城中にがあんと響く大声で喚きたてた、さっと左右にひらいて平伏する人々の中に、自分の愛臣間堂八左衛門の死骸を置いて、熊谷十郎左が端然と控えている、見るより癇癖な正則は詰寄って、
「うぬこの始末は何だ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」喚きたてる、声の下に十郎左はっと低頭して、
「申訳ござりませぬ、十郎左思わず心を取乱し、過って間堂殿を殺《あや》めましてござります、御成敗のほど!」
「ええ、白痴《たわけ》め!」正則ぶるぶる拳を顫わせ、
「庭へ、に、庭へ出ろ、詮議に及ばぬ、八左衛門の仇余がじきじきに斬殺してくれる!」
「はっ!」
十郎左すっと立って、悪びれた様もなく庭へ下りる。日頃の烈しい正則の気性を知っているから、老職どもも手が出せぬ、あれあれと見る間に十郎左は御庭先へ出て、芝生の上にきちんと坐った。
「佩刀《はかせ》!」叫んで奪取るように、小姓の手から刀を取るときらり引抜いて庭へとび下りた。正則が背後へ近づくと十郎左が、
「殿!」と低い声で云った。
「この内に書認めたものがござります、殿御一人にて密々に御披見下さりませ」片手で差出す書状、見向きもせず、
「ええやかましい!」喚きざま斬下した。頸を半ば斬られながら十郎左、うむと堪える必死の気力、もう一言呻くように、
「――御披見!」
「えい!」二の太刀、十郎左の首はころりと前へ落ちた。秀吉の荒小姓として生立ち、七本槍の一人と※[#「言+区」、115-上段-6]《うた》われ、鬼と恐れられた正則。一度怒れば理非にかかわらず、阿修羅のごとく暴れてあくまで我意を通さずにおかぬ正則。しかし、さればとそ又一面には、娘のような涙脆さと、弱法師のごとく感じ易い心をもっている正則ではあった。
十郎左の首がとんで、屍が前へのめった時、はじめて正則は十郎左の最期の言葉に気がついた。
「殿――」恐る恐る近寄って来た老職へ、
「ええ退っておれ」と呶鳴りつけて、足下に落ちている書状を取上げた。表に『密書』と書いてある。正則はそれをつと懐中へ入れると、すっと廊下へあがって立去った。
「御一人にて密々に御披見!」そう云われたことが頭にあるから、正則は居間へ入ると近侍の者を遠ざけてただ一人、机に向って書状を披いた。そして第一節を読みはじめるがいなや、
「あっ! これは※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」
と声をあげて反ぞった。
陰謀! 恐るべき陰謀だ※[#感嘆符二つ、1-8-75] 徳川幕府の恐るべき政策の魔手が、いつか正則の身辺に近づいていたのだ。それは外でもない。福島家五十万石を取潰すべき密計が、本多佐渡守の指図書によってほとんど九分九厘までできあがっていたのである。
豊臣氏大坂城に亡んで、徳川氏の天下とはなったがいまだ、豊家恩顧の大名は巨封を擁して頑張っている、徳川家万代の策としては何より先にこれらの大名を片付けなければならぬ。まず清正は毒害した、次に狙われたのが正則であるのは当然の順序であろう。
元参州の出である間堂八左衛門が、次子新八郎を本多上野介の身内に聟入りさせるとともに、徳川家に対する二重の縁で、ついに自分の身を殺して幕府のためにこの秘策に与ったのである。八左衛門は作事奉行として御城修築の采配を握っているのを倖い、密に搦手の四の櫓を大砲櫓に直した。これだけでも幕府から謀叛の嫌疑をかけられるには充分であったが、なお脇門の廓内にある武庫を火薬庫に改築した。こうしておいて、端午の節句に祝儀の使者を送り、使者に城見廻りをさせてこれを摘発すればよいのである。
「うーむ、計りも計ったり!」正則読むにしたがってびっしり汗だ。密計の次第に、証拠として新八郎より八左衛門に宛てた書面まで封じ込んであるのを、とくと見た正則、
「許せ十郎左、余は早まったぞ」と云ったままはらはらと落涙した。
「正則一生の不覚だ、殺すではなかった、そち一人を殺しての五十万石は、正則にとって塵ほどの値打もないぞ、許してくれ!」
鬼福島が血を吐く声であった。
遺書には、本多家より使者の到着せぬうちに早々櫓を改築すること。火薬庫を取壊すことなどが繰返し認《したた》めてあり、十郎左はあくまで乱心として屍を取棄てて間堂八左衛門の名を汚さんでいただきたいと、飾らぬ真心をもって綴ってあった。
「聞届けた、望み通りに致してとらすぞ、誰が知らんでも正則が知っている。なるほど、十郎左は乱心じゃ――」
正則の頬を涙が流れ絶えなかった。
「十郎左は乱心じゃ!」
そしてついには両手のうちへ顔を埋め、声を放って泣くのだった。
十郎左が左平に持たせてやった妙への書状は、まだ正式に婚姻の式を挙げなかった妻への離別状だった。妻と、生まれ出る子に迷惑をかけまいとする、優しい心遣いがここにも顕われていた。
十郎左の死によって、一時その取潰しを免れた福島家も、執拗な徳川家の高等政策にかかってそれから二年後、元和五年にはついに国を除かれて津軽へ配され、次で越後魚沼から信濃に転じ、ついに寛永元年七月、川中島に於て正則は死んだ。
謫居《たっきょ》にあって死ぬ前まで、おりにふれては傍の者にこんなことを云っていたと伝えられる。
「十郎左という男は恐ろしい奴だった、あれはふだん獺のように眠っているが、ことがあると獅子のように起上る、あんな思切った男は見たことがない!」
また、正則の死の床までまめまめしく付添っていた女房こそ、十郎左と浅き契を交わした妙女であって、十郎左の遺児《わすれがたみ》で当時もう八歳になっていた三十郎《さんじゅうろう》は、寂しい正則の晩年に仕えて、彼の心を慰めるただ一人の、可愛いおどけ役であったという。
底本:「強豪小説集」実業之日本社
1978(昭和53)年3月25日 初版発行
1979(昭和54)年8月15日 四刷発行
底本の親本:「キング」
1932(昭和7)年8月
初出:「キング」
1932(昭和7)年8月
※表題は底本では、「熊谷十郎左《くまがいじゅうろうざ》」となっています。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
山本周五郎
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)市松《いちまつ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)馬|如月《きさらぎ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#感嘆符二つ、1-8-75]
-------------------------------------------------------
[#8字下げ]一[#「一」は中見出し]
「市松《いちまつ》待て!」
突然わが名を呼ばれて、福島正則《ふくしままさのり》は愛馬|如月《きさらぎ》の手綱をぐいと絞りながら、
「誰だ?」
と振返った。声に応じて傍の叢《くさむら》からぬっと出た浪人態の武士、大太刀をふるって、
「首をもらうぞ!」と走り寄った。
「推参な下郎め、名乗れ!」
「故|治部少輔三成《じぶしょうゆうみつなり》の家人、久代寛第《くしろかんだい》と申す者だ、亡主の遺恨思知れ!」
石田三成関ヶ原に敗戦して四条に斬られ、秀頼《ひでより》は大坂城に亡んだ。これ皆もとは故太閤殿下恩顧の諸大名ども、いずれも徳川家に加担して大坂城の堀を浅くしたためである。ことに正則は関ヶ原で三成に弓を射かけた敵、折あらば治部少輔の遺恨を一太刀酬いようと、窺い狙う者二三にとどまらなかった。折も良しこの日、備後安芸五十万石福島|左衛門尉《さえもんのじょう》正則は、城外|己斐山《こいやま》に狩を催したが、生来の剛気闊達だ、興の進むにつれていつか近侍の者を離れ、獲物を追ってこと己斐谷の奥深く馬を乗入れて来たのであった。
「狼狽者《うろたえもの》め、喰詰者のなまくらでこの正則をみごと斬る気か」
「ほざくな、死ねい!」
矢声とともに斬りつける、正則は持った鉄鞭でぴしりひっ払うと、
「うぬ、来い!」喚きざまひらり馬からとび下りて腰の藤四郎吉光を抜いた。その時二三十間はなれた雑木林の中から、
「曲者、さがれい!」
大音に喚きながら走り出た徒士組《かちぐみ》の物具つけた若武者一人、持っていた手槍を取直すとぱっと投げた、空を切って飛んできた手槍は横さまに久代の股の間へ入る、手練だ、出足に絡んだからたたら[#「たたら」に傍点]を踏んで前へのめる。
「邪魔するな」と立直るところへ、
「相手をしよう、こい!」と喚きつつ駈つけた若武者、小太刀を抜いて詰寄った。振返りざま寛第が、
「うぬ」大太刀を真向へ!
「とう」鍔止《つばどめ》にひっ払って踏込むや否や、
「や! えい※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
面へぱっと割つけて返す剣、脾腹を胸まで斬って、とび退った。早業だ。
「が――」異様に喚いた久代寛第、二三歩出て大太刀を取直そうとしたが、がくんと膝が折れてそのまま、
「む、無念だ!」悲しく呻きながら前のめりに倒れる。脇へ廻った若武者、寛第の呼吸を窺っていたが、つと寄ってぱっと首を刎《は》ねた。
「みごとだ!」
正則が大きく声をあげると、若武者は手早く刀を納めてはっと平伏した。色も変えぬ若武者を心地よげに見下した正則、
「見覚えのない顔だな、新参か」
「は、関ヶ原の陣より御奉公仕ります」
「誰の組下だ、名は何という」
「先年亡くなりました可児才蔵《かにさいぞう》の下にて、唯今は無役、熊谷十郎左と申します」
「ふむ、竹葉軒の組下で十郎左――」
正則なにか思出した容子で、
「では、獺《かわうそ》眠りの十郎左というはそちであろう」
「は、これは恐入ります」
平伏するのを見て正則にやにや笑った。
「獺の昼寝をそのまま、暇さえあれば眠っているで獺眠りの十郎左。ははははは、たしかそうであったの?」
「は、そのとおりで――」
十郎左もにやにや苦笑しながら、べつに悪びれもせぬ有様。正則は藤四郎吉光を鞘に納めて腰からぐいと脱《と》ると、
「褒美じゃ、取っておけ」と差出した。十郎左は臆する色もなく膝行して、
「は、かたじけのう頂戴仕りまする」
押頂いて受取った。塵を払った正則、乗棄てた愛馬|如月《きさらぎ》に跨ると、
「供せい!」
と一言、鞭をあげて谷口のほうへ向った。
もともと徒士組五十石二人扶持、無役の熊谷十郎左は、曲者久代寛第を斬って正則の危急を救った功により、吉光の銘刀を拝領のうえ食禄百五十石を加増、間もなく四ノ廓内に邸を賜って移り住むことになった。
[#8字下げ]二[#「二」は中見出し]
「おい、獺眠りめが出世したな」
「泰平の世にうまい儲けだ」
「二百石取となれば獺眠りもできまいが」
家中の評判はしばらく十郎左で賑っていた。ところが当の十郎左、二百石ぐらいで獺眠りをやめるような生優しい男でなかった。賜った邸は暴れ者揃いの旗本組屋敷の隣りで、骨っぽい連中の眼が四方から絶えず光っているにもかかわらず、暇さえあれば十郎左、ごろりごろりと寝て暮らした。
集りにも出ぬ、酒の付合もせぬ、そればかりか朝夕の挨拶も満足でない。旗本組の若手で、四ノ廓内に住む連中が集って武芸会というのをつくり、組頭の邸に寄って月に二度ずつ武芸試合の催しをする。これには組以外の者も参加して武術を練るようにと、係奉行からそれぞれ申渡されているのだが、十郎左ばかりは知らぬ顔であった。
「どうして武芸会へ出ないのだ?」腹にすえかねたのがそう云って詰《なじ》ると、
「おれが出るとせっかくの催しが駄目になるでな」と空嘯《そらうそぶ》いている。
「どうして催しが駄目になるのだ」
「およそ役にたつ武芸は荒く練るのが法だ、なるべく打たれぬよう、怪我せぬようにと、逃れることから先に考えてかかるような武芸会に、十郎左の荒い剣法が出たら、あたら木剣踊りに死人ができようも知れぬからよ、はははは」
これを聞いて武芸会の連中怒った。
「怪しからぬ十郎左め」
「我らの剣術を木剣踊りと云ったな」
「押かけて行って打のめしてくれよう!」
拳を顫わせていきり立った。
しかし、獺眠りなどと馬鹿にはしているが、腕のたつことは皆知っているから迂闊には手を出さなかった。折があったらひと泡吹かせてやろうと待っているうちに、今度はもっと皆の膨れあがる事件が持上った。
それは。藩の作事奉行を勤める二千七百石|間堂八左衛門《ごんどうやざえもん》というのに一人の娘があった。その時十八歳、瓜実顔のきりりと緊まった肉付、肌は小麦色で髪は丈に余るばかり、名を妙《たえ》と呼ばれるこれが、城中若武者たちの狙いの的になっていた。
「我こそあの妙女を家の妻に」
「拙者こそ婿に」
と心の内で面々に望んでいた。望んでいたばかりでなくそれぞれ人を頼んで、ぜひ嫁にと申込んだ者も三、五人にとどまらなかったが、八左衛門なかなか応と云わなかった。全体あんなにして誰にやるつもりだろうと、皆がやきもきしていると。ある日、下城の途中間堂八左衛門は馬を熊谷十郎左の邸へ向けた。
作事奉行の訪れと聞いて、縁先にまろ寝をしていた十郎左も、さすがに慌てて洗面し衣服を改めて、※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]々《そうそう》に客間へ出た。
「は、手前十郎左にござります、不意の御入来何か御用にても――」と頭を下げるのを、八左衛門にこにこしながら抑えて、
「いや、そう固くなられては困る、実はちと折入った頼みがあってな」
「私にお頼み!」
「手取早く申せば嫁をもらっていただきたいのだ」
「それはまた急な――」
「実は拙者の娘で妙と申すものがいる、美しゅうも賢うもないが、親のめがねで武家の妻に必要な嗜みだけは授けてあるつもりじゃ、今日まで諸方より縁談もあったがみな断ってきた、貴殿ならばと見込んで親爺じきじきの押掛話じゃ、嫁にもらってくだされい」
「それは平に御辞退いたしましょう!」
十郎左、言下に答えた。
[#8字下げ]三[#「三」は中見出し]
「なに厭か?」
八左衛門、思わず眼を瞠った。
当時主君正則の第一の寵臣、間堂八左衛門が自慢の娘を、親の口からもらってくれと頼まれて、一応考えでもすることか言下にぴたり断るとは、さすがに獺眠りの十郎左、一風も二風も変った男である。
「なぜいかぬ、拙者の娘ではお気に入らぬか?」
「いや、そうではござらぬ」
十郎左落着はらって答える。
「私考えまするに、戦塵一度は納って、世は泰平の緒についたかに見えますれど、諸国の帰趨は未だ統一を欠き、人心の不安もまた鎮まらず、いつまた世を挙げての合戦となろうも知れませぬ、迂闊に妻など娶ってもしそうなる時は、要なき歎きをみせるばかり、それを思いこれを思い御辞退申したのでござる」
聞くより間堂はたと膝を打った。
「うん、よく申した、あっぱれな覚悟それがします。恥入らねばならぬ」
「いやなかなかもちまして――」
「そこでな十郎左殿、間堂八左衛門改めて貴殿に頼みがござる」
「と仰せられますと」
「男暮しは何とやら不自由なもの、世俗にも蛆がわくとか申すくらいだ、幸い娘妙だが、これは家に遊んでいるも同様な躯《からだ》、嫁にとは云わぬこちらへ寄来すから、濯ぎ洗濯厨のことにでも召使ってもらいたいが、どうだな」
「いやそれは余りに失礼」
「失礼でない、という訳を申そう、実はこれは妙からの頼みなのじゃ!」
「え?」こんどは十郎左が驚いた。
「かようなことを親の口から申すべきではあるまいが、つい先だってのこと、妙め拙者と奥を前にして、下女にでもよい十郎左様の傍で暮したいと立派に申しおったのじゃ、健気《けなげ》な心根いとしゅうなってかように、不躾な使者に立った親心、頼む十郎左!」
「――」
「明日よこすから、この家の隅において召使ってやってくれ、くれぐれも頼み申したぞ!」
「ああそれは――」止める手を振切って八左衛門は帰ってしまった。
ああは云ったがまさか一藩の作事奉行ともある者が、娘を下女には寄来すまいと高をくくっているとその翌朝、まだ暗いうちに裏口から、小さな包を一つ抱えた娘が一人さっさと勝手へあがってくると、呆れかえっている下男を押除けて水仕に掛った。それと聞いて十郎左も驚いた。急いで行って、
「あなたは?」と訊くと、娘は手をつかえて、
「妙と申します、どうぞよろしく」頬を染めながら俯向いた。すんなり育ちきった肩から腰への肉付、むっくりと盛上った胸のふくらみがさすがに十郎左の眼には眩しかった。
「こりゃあ内の大将の負だ」
下男が側でにやにやしながら考えていた。さあこれを聞いて旗本組の若手が騒ぎだした。
「おい聞いたか?」
「うん、実にもって心外千万だ、獺眠りごときにお妙殿が押掛け花嫁とは何たることだ」
「間堂殿も気が知れぬ、藩中に男がないではなし、選りに選って十郎左とは、まるで我々を蔑《ないがしろ》にしたも同然ではないか」
「こうなるうえは是非に及ばぬ、十郎左めをうんというほど打懲《うちこら》してやらねば、第一我ら旗本組の意気地が立たぬ!」
それでなくとも高慢の鼻へし折ってくれようと機会を窺っていた暴れ者ども、それに恋の恨が重なったからその勢は物凄いばかり、
「おいいいことがあるぞ、集れ」と、ある日、中にも骨っぽいのが四五人、首を集めて何かひそひそと秘策をめぐらせていた。
かくて風を待つ六月も二十四日となった。この日は故可児才蔵の忌日に当っているので、十郎左は毎年、城下から東に三里ばかり行った府中村の寺にある、竹葉野才蔵の墓に参詣するのを欠かさぬ習わしとしていた。今年も例のとおり香華を手向けようと家を出たが、所用で刻を過したので寺に着いたのは夏の日も既に暮れきった時分であった。
「これはすっかり夜に入りましたな、提灯をお持ちなされたがようござりましょう」
寺僧のすすめるのを断って、いつかじっとり夜露さえ下りた道草を踏みながら、城下はずれに千町畷という処へさしかかったのは、もう五つ頃のこと、海のほうから吹く風がひんやりと潮じめりを肌へもってくる。
「はてな?」突然、十郎左はいぶかしげに首を傾《かし》げながら足を止めた。
[#8字下げ]四[#「四」は中見出し]
途すがら、夜気いっぱいに虫の音を聞きつつ来たのに、畷へかかって二三町、小松原のあたりまで来るとばったりそれが絶えてしまった。
「何かいるな」そう思って神気を凝らすと、ひしひしと身に感じられる殺気だ。
「待伏せだ、少くとも五人はいるな」頷きながら、ふたたび何気ない態で歩いて行く。と――果して小松原の中からばらばらと躍り出た一人の男、無言のまま木剣をふるってはっしと打って掛った。
「出おったな案山子《かかし》め!」
叫びながら体を捻った十郎左、外されてのめる奴には眼もくれず、
「一人ずつは面倒だ、隠れているのも出ろ、五人や十人に驚く十郎左ではないぞ!」
小松原のほうへ呶鳴ったからわっと総立。
「うぬ大言を吐くな!」
「それ出ろ!」
喚き喚き四人の荒くれ、手に手に寸延《すんのび》の木剣を提げて街道へとび出してきた。十郎左は道のまん中に大手をひろげて、
「こい、へろへろ武士の木剣踊りも、たまに見るのは乙だろう、だが下手に騒ぐなよ、十郎左の技は少し荒いぞ!」
「ええその高慢の鼻へし折ってくれる!」
「やれ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
罵りざま左右の二人が、ぱっと打込んでくる、右足を退いて十郎左、「どっこい」と交わす、とたんに前のが必死の上段、真向から打下した。風を切って落ちてくる木剣、右へ外して出る、いつ誰のを奪取ったか無反《むぞり》の木剣《やつ》、身を沈めながら、
「まず二人だ!」喚きざまひっ払った。
「あ! う※[#感嘆符二つ、1-8-75]」諸声《もろごえ》に横へすっ飛ぶ両名、残ったのが思わず二三歩さがるのへ跳込んで、
「三人!」と叫んで脾腹へばっ! くれておいて返す早業だ、三人めが呻きながら膝をつくよりも、四人めがだだだと尻居に倒れるほうが早かった。
「これで四人か」と立直った時、残る一人は七八間先で生きた心地もなく、ただ木剣を構えているというばかりだ。十郎左からりと木剣をそれへ投出して、
「一人は片付役に残しておく、早く手当をして連れて帰れ」
「は、はい」顫えている。
「ひと言申聞せてやる、耳をほじって聞け。武士が命を投出す時は一生に一度だ、分るか一生に一度だぞ、十郎左もその時がくるまでは獺眠り勝手のことよ。貴公らとてもそのとおり、大事のお役にたつまではせっかく命を大切になされい、分ったかな、分ったら、さらばだ」
云いすてると、見返りもせずに寛々として立去った。五人の暴れ者ども、呆れかえって見送るばかりだった。
隠すより顕わるるはない、いつかこのことが家中に弘まり、ついには正則の耳にまで達したので、いつか忘れるともなく忘れていた十郎左のことを、ふと又正則は思出した。
「十郎左に定番出仕をするよう、何か役を与えてやらぬか!」正則の御声掛りだ。
それでなくても権望家間堂八左衛門の娘につながる縁だ、早速に十郎左は御使番に取立てられ、萩の間詰として城へ召されることになった。
「おめでとう存じます」
妙が逸早く祝いの挨拶をすると、さすがに十郎左も悪くないかして、
「うふふ」と含笑をもらした。
秋は夏を追って去り、朝夕の霜ようやく白く、音戸の瀬戸に鰤《ぶり》の味の濃くなる頃、十郎左は初めて宿直《とのい》に召されることになった。その第一夜であった。
ひどく冷える晩であった。
宿直の間は正則の寝所の控えにあって、二十畳敷ばかりのがらんとした造、そとへ小さな火鉢が一つ、蛍の尻のような火がぽつんと光っている有様である。
「火の元は特に戒めて!」と厳重な達しがあるから、毎夜十人ずつの宿直の人々は、身体凍えながらに夜明を待つ始末であった。初の宿直に出た十郎左、神妙に控えていたと思うとやがて四つ半に間もない頃、
「寒くて致方がない、火鉢はこれぎりでござるか?」不平そうに云いだした。
「さよう、宿直の間にはこれが掟、火種も多からずと定まっております」
「ふーむ、それでおのおのには寒くござらぬか!」
十郎左遠慮がない。
「――」みんな面膨らせた、これが寒くなくってどうする、おれはさっきから後架《かわや》へばかり通っている。おれの胴顫いは癇のせいではないぞと、いずれも胸の中で苦情たらたらだ。
「いずれもお寒いとみえますな」
一座を見廻してそう云った十郎左、すっと立って出て行った。また横紙破りが何か始めるぞと黙って見ていると、間もなく小侍にある青銅の大火鉢へ、かっかと熾《おこ》った炭火を山と盛上げ、三四人の若侍に舁《かつ》がせて運び込んで来た。見るより顔色を変えた一同、
「やっ、これは熊谷氏何をなさる」
「滅相な、乱心めされたか」
驚く人々を尻眼に、十郎左平然と大火鉢を宿直の間のまん真中へ据させた。
[#8字下げ]五[#「五」は中見出し]
「これはとんでもない、掟を破れば重い咎めのあるは知れたこと、我ら一同迷惑でござる、早々お取除けくだされい!」
「それとも我々が運び出そうか?」
詰寄られたが十郎左びくともせず、
「まあまあ急かれな、拙者に思案がござるから、おのおのは黙って見ておられい」と平気で笑うばかり、何と云っても取合わぬ。
「これは御詰衆まで申上げなければなるまい」
「それがよろしかろう」
「拙者が行って参る」あくまで掟を恐れているとみえ、一人が急いで出て行った。
間もなく、御詰に出ていた老職、宅間大隅《たくまおおすみ》が色を変えてやって来た。来るなりややしばらく、火の盛上った大火鉢と十郎左の顔を見比べていたが、やがて詰るように、
「熊谷とやら、掟の面承知でこの火鉢を持込んだのであろうな?」
「いかにも、承知で仕った!」
「不届千万な儀だ」大隅はかっと声を荒げた。
「城中の掟は軍令と同じく、禁令を犯せば重科たることも知っておろう、それを承知で掟を破るからには、定めし覚悟あってのことに相違ない、聞こう! 大隅しかと承わろうぞ!」
「申上げましょう」十郎左、待っていましたとばかり、恐れげもなくずいと膝をすすめた。
「はばかりながら、そもそも宿直の役目はいかなるものにござりますか。すなわち御寝所の控えに詰め、不意の変事に備え、万一曲者などある時は即座にこれを除いてもっぱら御主君の御安泰を守護仕るが役、さればこそ宿直に限り御錠口内まで刀を携えること御許しでござる。しかるに、この寒気のおりから、宿直の間に小《ささ》やかなる獅噛《しがみ》火鉢ひとつ、火種も多きに過ぎずとあっては、夜半ならぬうちに宿直の者身心冷えきり、手足の指は凍えてとっさには箸を掴むことさえかないませぬ。かかる時万一にも、曲者あって御寝所間近を騒がし奉るとせばいかが、冷えたる心、凍えたる手足、竦みたる体をもって充分に働けましょうや、かじかみたる手に刀を取落し、痺れたる足に躓《つまず》き転び、御役目をまっとうすることができなかった節は何といたします?」
「うむ――」
「掟も重く、役目はさらに大切にござりましょう、掟の面|忽《ゆるが》せならぬとあれば、十郎左の痩腹ひとつかっ割いて御詫仕る、その代りには御詮議の上今後、宿直の間には充分に火を置かれまするよう、きっとお計いくださりませい」きっぱりと云ってのけた。
道理に詰って宅間大隅、呻っているとさっと襖が明いて、意外にもそれへ正則が出て来た。不意のことで一同吃驚、慌ててそこへ平伏する、正則はそれらに会釈もなく、
「十郎左の申すところもっともだ、宿直の間は充分に温めてやるがよいぞ」
そう云い残して、そのままさっさと奥へ入ってしまった。
「お許しが出ました、さあこれで大威張でござる、いずれもお寄りなされぬか」十郎左は誇る様もなく微笑していた。
世の人が『獺眠り』と呼ばなくなったのはこの頃からである。
「妙どの!」
元和《げんな》三年の浅き春二月のある日、十郎左の居間で呼ぶ声がするから、急いで行ってみると一通の手紙をながめていた。
「お召でござりますか」
「これはそなたのもとへ来た書面だな」
「はい」受取って見て、
「左様でございます」
「そなた拙者のもとへ参ってから、折にふれてその旗野新八郎《はたのしんぱちろう》と申される仁と文通しておられるようだが、御縁者ででもあるかな」
「はい、弟でござります」
「――弟御?」
「本多上野介《ほんだこうずけのすけ》様御身内へ養子に参り、唯今では御留守居役とか」
本多上野と聞いて、十郎左の眉が寄った。
「かようにしばしばの文通でみると、よほど仲の良い御姉弟と思われるな」
「いいえそうではござりませぬ、私は年に一度か二度が精々、大抵の手紙は父八左衛門と新八郎の取交わすもの、私はただ仲次役でござります」
心なく云ったのであろうが、十郎左の胸には異様に響いた。
「それは妙なこと、間堂殿はなぜじかに御文通をなされぬのであろう」
「それはあの、私が家におりました時分、よく私の文に父のを入れて送る習わしでござりました。日頃から頑固な性分ゆえ、年老いて末子の愛に溺れるなどと、同役衆から笑わるるが辛い、そう申しまして、姉の私に手紙のやりとりを頼むようになったのでござります」
「なるほど、そうもあろうか」
十郎左はさりげなく頷いてそのままその話を切った。
妙はしばらくそこに坐っていたが、それっきり十郎左が黙ってしまったので、そっと座を立とうとした、しかし何か去り難そうに、そこでまたしばらくもじもじしていた後、つと坐り直して、
「旦那さま」といつになくわくわくした調子で声をかけた。
「なんだ」と十郎左が顔をあげる。
「あのう、申上げようと存じながらついつい申しそびれておりましたが――」云いかけてぽっと頬を染めながら、妙は身を捻って俯向いた、丸まるとした肩から胸へかけて、めっきり艶めいてきたこの頃の肉付、匂うばかりの色気に思わず十郎左眼をしばたたいて、
「何でござるな――」
「私、体が、あのう」とまで云って、はっと袂へ顔を埋めた。
「体がどうした」十郎左まだ分らぬ。
「あのう――、それゆえ私、実家《さと》へ養生に帰ろうと存じますが――」
「養生に帰る? それはまたなぜ」どこまでも感の悪い十郎左の顔を、妙は恨めしそうに見上げていたが、思いきったとみえて、
「赤児《やや》を産みに」と答えた。
「や?」十郎左あっと眼を瞠ると、いきなり敷物をめくられたように突立上って、慌てふためきつつ次の間へとび込んで行った。
「まあ、ほほほほ」妙は自分の羞かしさも忘れて、袂に面を蔽って笑うのだった。
それから一刻あまりも後。
「少し歩いて参る」と云って十郎左はぶらり邸を出た。
城下を北へ、すたすたと通りぬけると神田川を越して大須賀村、そこからさらに二葉山へと登って行った。頂上へ登ると見晴台があって、広島城の搦手から城下がひと眼に見下せる実に良い眺めだ。何を思ったか十郎左、そこへ来るとじっと御城へ眼をやった。城の搦手は半年以前からの修築工事で、搦手御門から脇の木戸八番九番十番まで、櫓々にはまだ足場が組まれたままである。
「修築の采配を執《と》っているのは作事奉行間堂八左衛門――。本多上野は江戸の執政――。娘に托した文書の往来、うん! これは迂闊に見※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]《みのが》すことはできぬぞ」
深く頷いた十郎左、どっかとそこへ腰を据えて、鋭い眸をいつまでも工事場から離さなかった。
[#8字下げ]六[#「六」は中見出し]
山から下りて十郎左が邸へ帰ったのはもう日暮がた。家へ入ると妙が下男の左平《さへえ》を捉えて何か叱っている。
「どうしたのだ」と訊くと左平が、
「さきほど旦那さまが、風呂の焚付にせいと仰せられてくださった反古《ほご》の中に、大事な御手紙がありましたそうで――」
「あの中に、今日新八郎から父へ参った封書がまざっておりました」妙は訴えるように十郎左を見上げた。
「それを焚いてしまったというのか?」
「はい」
「そうか、それは拙者の粗忽であった、そうと知らず反古を纒めて渡したつもりであったが、心付かぬことであった許してくれい」
「いいえ許せなどと――」
妙は快く笑顔を見せて頭を振った。
「明日、実家《さと》へ帰るがよい、左平に手廻りの物を持たせて遣わそう」十郎左はそういって居間へ入って行った。
その夜更けて、燈近く十郎左が密かに披いていたのは、反古にまぜて焚かせたという旗野新八郎の書面ではなかったろうか。
いくばくもなく、
「獺眠りが山守になったぞ」
そういう噂が家中に弘まるようになった。三十日――五十日、十郎左は非番となるごとに必ず二葉山へ登って日を暮らすのであった。
「ぜんたい山の上で何を考えているのだ」
「天文でも始めたか」
「いや待て、いまにまた何かやらかすぞ!」
とりどりの噂を耳にもかけず、十郎左は来る日も来る日も御城修築の有様を見ては日を暮らした。
かくするうちに元和三年五月一日。修築もひとまず終るところへ、江戸の老中本多上野から、端午の節句の祝儀申上ぐるため使者を差遣わした、という通知が広島城へ届いた。これは慶長五年、正則が芸備五十万石に封ぜられて以来の習わしで、年々本多佐渡守から祝儀の使者を受けていたのであるが、前年正信が歿したので今年から改めて上野介|正純《まさずみ》が、父に代って祝儀の使者を差立てようというのである。
五月二日、上野介使者、備後福山を出立という報知《しらせ》がきた。その夜である。
「左平、これへ参れ」十郎左の呼ぶ声に左平が行ってみると、部屋の内を綺麗に片付け、家財、什器を幾つにも分けて始末した中に、十郎左が端然と坐っていた。
「これは――どうなさるのでござります」
「実は明日、御用向によって急に遠方へ参ることになった、そこで家財はこのままに致しておくゆえ、必要に応じてお前に処分してもらいたいのだ」
「それはまた急なことでござりまするな」
「これに処分いたすべき明細の目録が書認めてある、もし御係より何も御申渡しのない時は、この目録によってよしなに処置を頼む!」そう云って一封の目録を差出した。
「御係りの御申渡しと仰せられますと――?」
左平何となく腑に落ちぬところがある。訊き返そうとすると、
「もうよいから退って寝ろ」
と云われたので、目録を預って退った。
明くれば元和三年五月三日、からりと晴れた夏空だ。平日より早めに床を出た十郎左、体を水で潔めて食事はかたちばかり、衣服を改めて出仕の仕度が済むと、左平を呼んで一通の書面を渡し、
「いま一刻経ったら、この書面を間堂家にいる奥へ持って行ってくれ、一刻の後だぞ」
「かしこまりました」
「では行って参る、達者でおれよ」
ひと言を後に十郎左は邸を出た。
城へ登った十郎左、遠侍へ出るとすぐに八左衛門が登城したかどうかを訊ね、まだ登城していないことをたしかめると、そのまま自分の御詰である萩の間へ通った。
とかくするうち四つの太鼓が鳴る。それを合図に老職の者がおいおいと登城してきた。十郎左は萩の間の入口に坐って、それとなく御廊下を通って上る人々に眼を配っていたが、やがてすっと立上った。間堂八左衛門が足どり急しく上って来るのをみつけたのだ。
「十郎左か」
八左衛門が早くもみつけて声をかけた。十郎左は無言でつつと走寄る、殺気を感じたから八左衛門足を止めて、
「どうした、十郎左」
「お命を頂きまする!」ぎらり抜いた。
「狼狽《うろた》えるな、御城中なるぞ」
「御免!」さっと切ったが、さすがに腕が鈍って肩を僅かに傷つけたばかり、しまったと思って二の太刀、突きに寄ると必死に体をひらいて、
「ま、待て」と間堂。叫びながらばたばたと逃げだした。これを見た詰合の面々、
「十郎左乱心でござる、お出合めされ!」
わっと総立になった。
[#8字下げ]七[#「七」は中見出し]
八左衛門は足にまかせて御錠口のほうへ逃げて行く、駈つけた人々一度は十郎左を押取囲んだが、必死の勢に恐れてはっと散った。御杉戸の近くで追付いた十郎左、
「御卑怯でござりますぞ」呼びながら前へ廻った、後傷をさせまいという意《こころ》だ。
「ま、待て、何ゆえの刄傷だ」
「申しますまい、黙ってお命を頂くがせめてもの聟引出、御覚悟遊ばせ!」
「さては――あれ[#「あれ」に傍点]を知ったのだな」八左衛門腸を絞る悲痛な呻きだ。
「福島家にこの男あった、あ、あっぱれな十郎左――」
「御免!」踏込んだ十郎左、肩から胸までずん! と斬下げた、倒れながら八左衛門、
「た、妙が、かわいそうに」糸のような声で云ってがっくりうつ伏した。十郎左すり寄って止めを刺す。あまりの凄じさに、手を出すこともできず遠巻にしていた人々、
「十郎左乱心でござる!」
「お出合めされ!」いたずらに騒ぐばかりだった。
その時廊下を踏鳴らしながら、かなたから正則が駈つけて来た。騒ぎを聞いて近侍の止めるのもきかず跳んで来たのだ。
「曲者はいずれにおる」城中にがあんと響く大声で喚きたてた、さっと左右にひらいて平伏する人々の中に、自分の愛臣間堂八左衛門の死骸を置いて、熊谷十郎左が端然と控えている、見るより癇癖な正則は詰寄って、
「うぬこの始末は何だ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」喚きたてる、声の下に十郎左はっと低頭して、
「申訳ござりませぬ、十郎左思わず心を取乱し、過って間堂殿を殺《あや》めましてござります、御成敗のほど!」
「ええ、白痴《たわけ》め!」正則ぶるぶる拳を顫わせ、
「庭へ、に、庭へ出ろ、詮議に及ばぬ、八左衛門の仇余がじきじきに斬殺してくれる!」
「はっ!」
十郎左すっと立って、悪びれた様もなく庭へ下りる。日頃の烈しい正則の気性を知っているから、老職どもも手が出せぬ、あれあれと見る間に十郎左は御庭先へ出て、芝生の上にきちんと坐った。
「佩刀《はかせ》!」叫んで奪取るように、小姓の手から刀を取るときらり引抜いて庭へとび下りた。正則が背後へ近づくと十郎左が、
「殿!」と低い声で云った。
「この内に書認めたものがござります、殿御一人にて密々に御披見下さりませ」片手で差出す書状、見向きもせず、
「ええやかましい!」喚きざま斬下した。頸を半ば斬られながら十郎左、うむと堪える必死の気力、もう一言呻くように、
「――御披見!」
「えい!」二の太刀、十郎左の首はころりと前へ落ちた。秀吉の荒小姓として生立ち、七本槍の一人と※[#「言+区」、115-上段-6]《うた》われ、鬼と恐れられた正則。一度怒れば理非にかかわらず、阿修羅のごとく暴れてあくまで我意を通さずにおかぬ正則。しかし、さればとそ又一面には、娘のような涙脆さと、弱法師のごとく感じ易い心をもっている正則ではあった。
十郎左の首がとんで、屍が前へのめった時、はじめて正則は十郎左の最期の言葉に気がついた。
「殿――」恐る恐る近寄って来た老職へ、
「ええ退っておれ」と呶鳴りつけて、足下に落ちている書状を取上げた。表に『密書』と書いてある。正則はそれをつと懐中へ入れると、すっと廊下へあがって立去った。
「御一人にて密々に御披見!」そう云われたことが頭にあるから、正則は居間へ入ると近侍の者を遠ざけてただ一人、机に向って書状を披いた。そして第一節を読みはじめるがいなや、
「あっ! これは※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」
と声をあげて反ぞった。
陰謀! 恐るべき陰謀だ※[#感嘆符二つ、1-8-75] 徳川幕府の恐るべき政策の魔手が、いつか正則の身辺に近づいていたのだ。それは外でもない。福島家五十万石を取潰すべき密計が、本多佐渡守の指図書によってほとんど九分九厘までできあがっていたのである。
豊臣氏大坂城に亡んで、徳川氏の天下とはなったがいまだ、豊家恩顧の大名は巨封を擁して頑張っている、徳川家万代の策としては何より先にこれらの大名を片付けなければならぬ。まず清正は毒害した、次に狙われたのが正則であるのは当然の順序であろう。
元参州の出である間堂八左衛門が、次子新八郎を本多上野介の身内に聟入りさせるとともに、徳川家に対する二重の縁で、ついに自分の身を殺して幕府のためにこの秘策に与ったのである。八左衛門は作事奉行として御城修築の采配を握っているのを倖い、密に搦手の四の櫓を大砲櫓に直した。これだけでも幕府から謀叛の嫌疑をかけられるには充分であったが、なお脇門の廓内にある武庫を火薬庫に改築した。こうしておいて、端午の節句に祝儀の使者を送り、使者に城見廻りをさせてこれを摘発すればよいのである。
「うーむ、計りも計ったり!」正則読むにしたがってびっしり汗だ。密計の次第に、証拠として新八郎より八左衛門に宛てた書面まで封じ込んであるのを、とくと見た正則、
「許せ十郎左、余は早まったぞ」と云ったままはらはらと落涙した。
「正則一生の不覚だ、殺すではなかった、そち一人を殺しての五十万石は、正則にとって塵ほどの値打もないぞ、許してくれ!」
鬼福島が血を吐く声であった。
遺書には、本多家より使者の到着せぬうちに早々櫓を改築すること。火薬庫を取壊すことなどが繰返し認《したた》めてあり、十郎左はあくまで乱心として屍を取棄てて間堂八左衛門の名を汚さんでいただきたいと、飾らぬ真心をもって綴ってあった。
「聞届けた、望み通りに致してとらすぞ、誰が知らんでも正則が知っている。なるほど、十郎左は乱心じゃ――」
正則の頬を涙が流れ絶えなかった。
「十郎左は乱心じゃ!」
そしてついには両手のうちへ顔を埋め、声を放って泣くのだった。
十郎左が左平に持たせてやった妙への書状は、まだ正式に婚姻の式を挙げなかった妻への離別状だった。妻と、生まれ出る子に迷惑をかけまいとする、優しい心遣いがここにも顕われていた。
十郎左の死によって、一時その取潰しを免れた福島家も、執拗な徳川家の高等政策にかかってそれから二年後、元和五年にはついに国を除かれて津軽へ配され、次で越後魚沼から信濃に転じ、ついに寛永元年七月、川中島に於て正則は死んだ。
謫居《たっきょ》にあって死ぬ前まで、おりにふれては傍の者にこんなことを云っていたと伝えられる。
「十郎左という男は恐ろしい奴だった、あれはふだん獺のように眠っているが、ことがあると獅子のように起上る、あんな思切った男は見たことがない!」
また、正則の死の床までまめまめしく付添っていた女房こそ、十郎左と浅き契を交わした妙女であって、十郎左の遺児《わすれがたみ》で当時もう八歳になっていた三十郎《さんじゅうろう》は、寂しい正則の晩年に仕えて、彼の心を慰めるただ一人の、可愛いおどけ役であったという。
底本:「強豪小説集」実業之日本社
1978(昭和53)年3月25日 初版発行
1979(昭和54)年8月15日 四刷発行
底本の親本:「キング」
1932(昭和7)年8月
初出:「キング」
1932(昭和7)年8月
※表題は底本では、「熊谷十郎左《くまがいじゅうろうざ》」となっています。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ